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匿名ユーザー

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月下の魔剣~獣~


 大根を片手にしていた岬陽太は、得体の知れない獣の力で押し倒されて唸った。坑う余地を与えず、少年を力でのめす。
薄暗い見知らぬ建物の中での死闘の末のこと。陽太の背後に木製の扉が行く手を阻み、襲い掛かる獣は扉諸共に少年を床に沈める。
激しい音があたりに響き、割れるガラスの音が耳をつんざき、体全体で受けた衝撃が陽太の人生でも最も過酷な闘いだと示す。
 勝手もわからぬ世界を彷徨っていた陽太に襲い掛かる魔の手。夜の闇に包まれ始めた時刻のことだった。
 扉と魔獣に挟まれ、両腕を脚で押さえつけられて、生暖かい息が陽太の頬にかかる。相手はまるで悪魔に操られたように
残忍であり、欲望に魂を乗っ取られたように陽太を逃がすことはしなかった。陽太の腕に獣の爪が食い込む。

 「レイディッシュよ、魔剣の誇りを忘れるな……」

 陽太の傍らに落ちた、一本の大根。彼はそれを『レイディッシュ』と呼ぶ。だが、よくよく見ればただの大根だ。
 床に叩き付けられ、ガラスの破片が細かく少年のてのひらを傷つけて、息の荒い四本足の野獣と対峙する。苦しい闘いだ。
それでも陽太はキズだらけの大根を剣のように持ち構え、得体の知れない敵に立ち向かった。大根は彼にとって武器だった。それさえも、
砕け散り、無に帰り、そして陽太の体力を奪い続ける。闇雲に振り回していてはいけない。相手は獣。容赦がない。
 はっはと、獣の息がかかるぐらいまでに陽太の顔に牙が近づくも、一瞬の隙を狙い陽太は脚で獣の腹を蹴り上げて獣からすり抜けた。

 陽太には相手が何者かなのかはすぐには理解は出来なかった。ただ、獣のような四本の脚で陽太に無慈悲にも襲い掛かり、
手足から伸びる鋭い爪が血に飢えていることだけは確認できた。陽太と同じ身の丈程ある猛獣は建物の中を彷徨いながら、
陽太を執拗に追い回す。陽太も応戦しようと、自ら召還した『魔剣・レイディッシュ』を上段の構えで迎え撃つ。
 陽太は夜の間、食材を見事なまでに再現させる能力を持っているのだ。大地開闢以来、神々が創造してきた森羅万象。
それを一瞬で否定した上に蹂躙する、まさに『厨ニ病』の塊のような能力を持った少年。

 神が苦難を与えるのならば、それに叛いてやろうではないか。
 太陽が全てを焼き尽くすのならば、月光で凍てつかせればよい。
 地面に濃い影を落とすのならば、闇で覆い尽くしてしまえばよい。

 岬陽太という少年を言い表すには、これほど十分すぎる言葉はない。

 「畜生!組織がおれをどうしようって言うんだ!!」

 人間の言葉を理解できない獣は細かいガラスの破片を踏みながら、扉に爪立てながら陽太を威嚇していた。
やがて窓からの月明かりで陽太は猛獣の全貌を知ることとなる。見たことも無い、残忍な冷たい血だけが体を廻る魔物。

 オオカミのような耳に牙、そして爪。悪魔にあるまじき豊かな尾。 
 全てが闇の建物の中で繰り広げられる。光りが差し込む隙さえない。
 突如二本足で立ち上がる魔犬が再び陽太にかぶさるように襲い掛かった。

 「こ、こいつ……。おのれ、白い魔犬!」

 陽太の言葉に歯向かうように魔犬は、歯向かうことの出来ない力で陽太の手にしたレイディッシュを一撃で跳ね飛ばした。

    #

 「なにするんですか!」

 日が傾き始めた往来の中、長いみどりの黒髪の少女・黒咲あかねは、メガネ男子の先輩。迫に声をあげた。
彼が折角手に入れた演劇のチケットを破り捨てようとしていたからだ。
 あかねの声でチケットは守れたもの、メガネ男子の顔は未だに険しい。


 「久遠荵は、自由過ぎる」
 「過ぎません!」
 「過ぎると思う」

 あかねの言葉を押し込んで、あかね、荵の先輩である迫は厳しく言い放った。

 演劇部の仲間とともに舞台を見に行こうと、学園近くの駅で待ち合わせをしていた、演劇部員・黒咲あかねも
携帯電話をちらちらと気にして、未だ姿を現せない荵を部員たちと待ち続けていた。なのに、久遠荵が姿を現さない。
 「時間通りに来ないことは、自ら拒んだと看做す」と、あかねの先輩である迫は冷たく荵を引き離した。
 迫があかねたちを引き連れて改札口に向かおうとした瞬間に歩みを止め、あかねはほっと息をつく。

 「ちょっと待て。久遠からだ」

 とみに迫が自分の携帯電話を開く。あかねたちは迫の断片的な会話を聞いているうちに、荵からの電話だと理解した。
風邪ならば仕方がない。誰もが納得のいく理由だ。ただ、携帯電話を手にして荵から受け取ったメールを見た黒咲あかねだけは違った。

 (『ごめん、あかねちゃん!イヌを追いかけているうちに、迷子になりましたー。わおーん』って……)

 迫との通話直後に届いた、荵からのメールにあかねは頭を捻る。おまけについた、イヌの肉球の絵文字が理解に苦しむ。

 イヌを追いかけているうちに、迷子になってしまった。
 久遠荵はウソをついてはいない。
 ただ、それを信じてくれるかどうかは別のお話。

 「黒咲、準備はいいか?」
 「とてもいいですっ」
 「よし、行くぞ。返事は?」

   #

 「わんっ」

 学校らしき廊下をローファーで歩く。故意ではなく、いつの間にか、そうなっていただけ。ちょっとばかり不安なので、
声をあげて払拭する。小さな体をぱたぱたと、久遠荵は暗いリノリウムで敷かれたの廊下を光り射す方へと進む。
 とある教室に光りが灯っていたのだ。暗い建物のなか、それは非常に目立つ。荵は恐る恐る明るい教室へと、
未知なる扉を開くがイヌっこはおろか、人影さえも見当たらない結末。

 「誰かいますか。いないなら返事しろー」

 整然と並んだ机は荵を不安の底に沈める。どこにでもある風景なのに、荵にひしひしと伝わるアウェー感。
 ひんやりと脚もとを冷たい空気がなぞった。背中を震わせれば震わせせるほど落ち着かない。


 いきなり。

 耳をつんざく音が荵を襲った。耳を塞ぎたくなるような鋭い音。同時に目を疑う瞬間を目の当たりにした。
 大根がガラス窓を突き破って飛んできたのだ。戻ることを忘れたブーメランのように、大根は回転しながらガラスの破片をまき散らし、
秩序正しく並んだ机にぶつかって墜落した。突然の出来事に荵は声を失い、しりもちついて、くまさんぱんつを露にするが、
幸い目撃者は誰もいない。白いぱんつに描かれたくまさんの貞操は守られたのだった。
 氷のようなガラスの破片が所々刺さった大根に気を取られていると、誰かが教室に押し入ってきたことに荵は肝を潰す。
 きゃん!と小さな声をあげて縮こまる荵は、生まれて初めて死ぬかもしれないという恐怖を感じた。

 「誰だ?組織か?」

 割と若い声。声変わりは恐らく迎えていないだろう。少年と青年の狭間を行き来する声だと、荵は察知する。
 荵は両手を恐る恐る開いて声の主の姿を見る。荵の目の前には短髪の少年が一人、息を切らせて、目を泳がせながら
立っているだけだった。

 「……誰だ。組織ならば、おれは受けて立つ」
 「そしき?」

 少年の言葉が荵には理解できない。

 「おれの能力を狙うのならば、おれの屍を越えて行かなければならない。それが神によって定められたものならば、
  おれはその定めを根底から叩き潰してやるぜ。なぜかって?決まってるさ。それが岬月下のジャスティスだから」

 荵は仁科学園高等部の演劇部員だ。古今東西、幾つもの戯曲を読んできたし、自分たちでも書き上げたりもした。
 だが、荵が今まで触れた中で『岬月下』と名乗る少年が口にした台詞は覚えがない。
 少年は床に転がっている大根を拾い上げると、冷静な顔をして大根に語りだした。

 「『魔剣・レイディッシュ』よ。闘いに敗れて、さぞ悔しいことだろう。だが、悲しみだけではない。
  こんな姿になろうと、お前の闘いの激しさを物語る勲章として永久に刻まれることだろう」
 「ねえ。なにしてるの?おおきな独り言?」

 月下と名乗った少年は大根を机に置いて寂しげに語った。

 「弔いだよ。喪に服すがいい」

 荵はやはり少年の言葉が理解できなかった。

 「さて。『組織』という言葉に疑問を抱いたということは、自分が組織の一員ではないという証明だということだ」
 「わたし、一応……『仁科学園』の生徒の『演劇部員』だけどねっ」
 「『仁科』か。おれの記憶にはない学校の名だ。おれの通う中学とは離れているのだろうな」
 「きみ、中学生?わたし、高校生だよっ。わおーん!うーっ」

 月下と名乗った少年は小さな先輩を前にして、二の句を継ぐことができなくなった。


   #

 岬月下……、いや。彼の名は岬陽太という。ただ、彼自身は月下と名乗る。
 陽太は教壇の机に腰掛けて、自分の身にふりかかった出来事を荵に語りはじめた。
 よくよく見ると、陽太の足元もスニーカーというところから、何かのっぴきならない事情があったに違いないと荵は感じた。

 「白い魔犬を追っているんだ」
 「わおーん!?」
 「やつは雪のように白い毛並み、剣のように鋭い牙、豊かな稲穂のような尻尾。そして、創成、そして破壊の神から
  温かみのある血潮を奪われたかのような、非常に残忍な性質。そう……やつは、ただの獣だ。生きているだけの獣だ」
 「イヌなの?なんなの?」
 「ああ、確かに。やつは四本の脚で闇を切り裂き、静けさを食いちぎる。この校舎を今も徨いつづけていることだろう。
  おれの住む街にやつが現れたときから、歯車は狂いはじめた。いつもなら、おれの能力で簡単に撃破できるんだが、
  やつは違った。狡猾だ。すんのところで、おれの喉元を噛みちぎられるところだった。だが、天がおれに味方したんだろう。
  通りがかった車に撥ねられた鉄片が、やつの尻尾を目掛けて飛び込んだ。そして鮮血を花びらのように散らせたのさ」

 状況を思い浮かべた荵は肩を竦めながら、熱心な陽太の話に耳を傾け続けた。

 「しかし、信じられないことが起きたんだ。赤い血溜まりが刹那に色を失い、空に浮かぶ雲を映した。
  そこに穴が開いたように。白い魔犬はその穴に飛び込み、姿を眩ませたんだ……」
 「どういうこと?月下くんは、その……その」
 「ああ。おれはな……おれたちの世界から白い魔犬を追って来たんだ」

 荵は瞬時には理解出来なかった。
 自分がどこにいるのか。何が起こって、何が起きんとしているか。

 「わたしは……。あかねちゃんたちとの待ち合わせ場所に行く途中、おっきなイヌとすれ違って、
  追いかけているうちに。ここの廊下にいたんだよ。だから、靴も下履きのままだよ」
 「もしかして、知らず知らずに誰かを瞬時に移動させる能力を使っていたのかもしれないな」
 「能力?」
 「ないのか?持っていないのか?」

 首をかしげる荵は、ぷいっとくびを縦に振った。
 当たり前のように『能力』について尋ねる陽太のことが不思議でたまらなかったからだ。

 「迫先輩からは『お前は恋愛物を書き上げるスキルが足りない』って言われたし」
 「そういう能力か?」

 荵は教壇に上がると、黒板に背伸びをしながら自分の名前を書き、傍らにイヌの肉球を描いた。
 転校生さながら荵はぴょこんとお辞儀を陽太に改めて行った。

 「久遠……ネギ」
 「しのぶっ」
 「ネギ」
 「しのぶだってば!」
 「静かに!ネギ!やつが来た!」

 陽太は真面目な顔をして、荵の肩を叩く。


 「涙を拭く覚悟をしろ。おれは行かなければならない」
 「きゅうん!……なに?」
 「ネギを危険な目にさらすことは、おれとして、男として許されることではない。必ず、生きてネギと再会することを誓う」

 陽太は荵の声を背後に、窓ガラスが割れた教室から駆け出して、闇の中に自らの姿を飲み込ませた。
 荵は黒板に書かれた自分の名前と肉球をちらと一瞥した。

 「わおーん!月下!戻ってきてよ!」

 教室に残っても仕方がない。
 だが、教室の外には白い魔犬がいるらしい。

 「魔犬でも、きっと話は通じるはずだよっ」

 イヌと聞いてじっとすることが出来ない荵は、ぴかぴかなローファーの足音を立てながら教室をあとにした。
 壁伝いに廊下を歩く。校内向けのポスターが手に触れる。メガネをかけたウサギの絵が描かれており、
 『今月は尻尾身嗜み月間です。きれいにね!風紀委員』という文字が月明かりで浮かんで並ぶ。
 「尻尾?なんで?」

 さらにポスターを慣れてきた目で眺めると『うがいてあらい!佳望学園保健室』という見慣れぬ名前が荵を引き止めた。

 階段の踊り場に白い尻尾が荵の目に入った。
 秋の稲穂のように豊かな尻尾。
 ゆらりと波打つ尻尾は意思を持った生き物のよう。仔犬のように固まった荵は、陽太の言葉を思い出しながら息を殺して尻尾を見守った。

 白い魔犬?
 それとも、新たなる……。

 油断はならぬ。

 決意を持って話し掛ける。イヌはともだち。裏切ることはない。

 「わおーん!」

 白い尻尾が視界から消えると同時に、荵の不安を掻き立てる。荵は目を力いっぱい閉じて、身を縮ませていた。

 「何の声?誰?」

 荵がゆっくりとまぶたを開けると、白いイヌが立って荵を見つめていた。

 イヌが立って?

 学生が着ているようなカーディガン。身の丈は平均的な高校生ぐらいか。真っ白な毛並みに包まれて、真っ白な髪を生やし、
不思議そうに鼻の先を荵の方を向けている、一人のイヌの少年。こつこつと階段を降り、荵の前で足を止めて話しかけてきた。


 「ここの生徒じゃないよね。どうしてここに?」
 「……わう」
 「……」

 イヌの少年は話すことが苦手のようであり、それ以上話し掛けることはなかった。
 荵が口を開く。

 「白い魔犬だ。だよね、きみ」
 「……」
 「魔犬でも、話せばわかってくれるよね。だって」
 「ぼくは魔犬でも何でもないよ。ただのイヌだもの」

 頭を垂れていた荵は静かに笑った。

   #

 荵は不思議で堪らなかった。イヌと話が出来る。それだけで、恥ずかしくなり、顔が赤くなり、天に上るような夢心地。
薄暗い見知らぬ学校の階段に共に並んで腰掛けて、イヌと話が出来る幸せ。荵は何を話せばいいのか分からずにいると、
イヌの少年が気を遣ってか荵のことを尋ねた。頬を赤らめた荵は自分のこと、仲間のこと、今あったこと、能力のこと、
岬陽太のこと、そして白い魔犬のことをつらつらと話した。イヌの少年はじっと話を聞いていた。
 堰を切った河川のようにとどまることを知らず、水無月の雨のように止むことを知らず、荵はきゃんきゃんと話した。

 「うん。だいたい分かったよ。きみのこと」
 「怖がらないの?」
 「それ、ぼくが言う台詞だよ」

 荵は初めてこの世界にやって来てから笑った。

 「ぼくは犬上ヒカル。ここの高等部の生徒だよ」
 「わたしは久遠荵だよっ。ここの……って」
 「佳望学園って言うんだけど」
 「けもう」
 「そう、けもうがくえん」

 ヒカルは思い出したように立ち上がり、荵にあることを尋ねた。
 けして荵を悩ませるような質問ではなかった。

 「迷子を捜しているんだ。ぼくの同級生で、ウサギの女の子」
 「うーん。ここに来てからは月下くんとしか会ってないなあ」

 ヒカルの尻尾は垂れ下がるのを荵が見ると、何となく申し訳ないことをしてしまったと荵の見えない尻尾も垂れ下がった。
二人は並んで暗い廊下を歩くが、荵は今までと違って華やかな散歩道のように感じた。
 ヒカルが言うには図書館で船を漕いでいると、いつの間にか周りが暗くなり人影が消えていたという。そして、ヒカルを
起こしたのがウサギの少女なのだという。荵はヒカルの話を聞きながら歩いていると、先ほど通りかかった校内向けのポスターが
張られている通りに差し掛かった。ちらと、ポスターをもう一度見てみると、ウサギの少女の絵が描かれていることを思い出した。


 「因幡、風紀委員長だから責任感あるんだけどね」

 荵が因幡という風紀委員長からのポスターを確認しようとしたが、すでにその場所を通り過ぎた後だった。

 「ねえ。気付かないの?ヒカルくん」
 「何を?」
 「わたしが下穿き履いていること」

 ヒカルは荵に諭されて、初めて荵がローファーを履いていることに気付いた。おかしなことが起きているから、
気が付かなかったと分かりやすい言い訳をすると、荵はにこっとヒカルの尻尾を叩いた。が、尻尾の動きが止まる。
 目線の先。ヒカルの目線の先を見るがいい。

 廊下の柱に小魚が突き刺さっていた。
 何匹も、何匹も、顔の方を柱に埋めて青白く光っていた。魚は奥へと続いて突き刺さっていることも確認できる。
荵は思わずヒカルの背後に隠れると、白い魔犬がこの近くにいるのではと、直感的に感じとった。
 荵はヒカルに気をつけるように忠告するが、ヒカルの興味は魚しかなかった。しかも、魚のあとを辿ってみると言うではないか。 

 「危ないよ」
 「捜さなきゃ。迷子を」

 何でもいいから手がかりが欲しい。
 幸せの青い鳥を探すように、ヒカルと荵は魚を辿りながらヒカルには見慣れた、荵には見慣れぬ校内を歩く。
柱から落ちた魚の音で荵が声をあげると、ヒカルは荵の口を手で塞いだ。温かい毛並みに包まれたヒカルの手は荵を落ち着かせる。

 ヒカルの真横を魚が風気って飛び、柱に勢いよく突き刺さった。
 目を丸くしたヒカル、そして思わずヒカルの背中に抱きつく荵。ぎゅうっとヒカルのカーディガンが伸びる。
 どうやら、少し開いた擦りガラスから魚は飛び出したらしい。それを覗き込むのは非常に危険だ。ヒカルはじっと固まる。

 「……」

 するとヒカルはいきなり魚が飛んできた教室の扉を開き、足元に落ちた魚を投げ返す。
 暗闇から聞こえてきた声は、荵には聞き覚えのある人物だった。

 「白い魔犬を味方につけるとは、ネギもやるな」
 「ち、違うよ!この子は」
 「獣人に身を変える能力。やつはそんなものを持っていてもおかしくない」
 「ヒ、ヒカルくんだって」
 「笑止千万とはこのことだ!ネギ!冗談はやめておけ。この校舎にはおれとネギ。そして白い魔犬しか居ないはずだぞ!」

 岬月下……もとい、岬陽太は小魚をダーツの矢のように構え、ヒカルの鼻先を狙っていた。
魚を投げ捨てると、手を高らかに上げて陽太は叫んだ。

 「叛神罰当(ゴッド・リベリオン)!いでよ、
魔剣!レイディッシュ!!!」


 まばゆい光がヒカルと荵の目をつんざく。
 目がくらむ。
 薄々と目を開くと、陽太がポーズを決める姿が瞳に焼き付いた。

 呪文のように唱えた言葉、召還されたのは一本の大根。白く、まだ茎の葉も新鮮に見える。
 大根をヒカルに投げ与えると、ヒカルは大根の感触を確かめた。ずっしりとして重いそして、見た以上に硬く感じる。
陽太も同じく大根を手にして、勇者の剣のように誇り高く天を突いたが少しぐらついている。息も多少切れているようだ。

 「ふうぅ……。一晩で三本もレイディッシュを召還すれば、おれの体力もそれだけ削られているということだ。
  だがな、おれは神に叛いた男だ。万物創生以来、全ての理を敵に回してでもおれはおれなんだ」

 ヒカルは太い大根をゆっくりと見回していた。

 「白い魔犬『ホワィティスト』。お前とおれは今互角に戦える状態だ。ならば、魔剣・レイディッシュを使わせてやろう。
  一対一の差しでの勝負。力あるものは栄え、力なきものは斃れるだけ。わかり易いと思わないか?魔犬遣いよのネギ」
 「ぜんっぜんわかんない!」
 「来いよ!魔犬!その牙、レイディッシュの錆にしてやろう!」

 上段の構えで陽太が一歩向かう。ヒカルは本能的に身構えて、陽太の動きを読み取ろうとした。

 ヒカルの頭部を狙う陽太。脇ががら空きだ。ヒカルがそれを察知してレイディッシュを打ち込もうと跳ねると、
陽太のわき腹目掛けて大根を水平に振った。しかし、身の軽い陽太は両足のばねでヒカルの一撃をかわし、立ち位置が入れ替わる。
 今度は陽太の篭手ががら空きだ。すかさずレイディッシュを伸ばすヒカルだが、元来の気の優しさで力を緩めてしまった。
それを見透かしたのか、陽太は突きを試みる。危険な技だ。剣の心得を知らぬ陽太は野良犬殺法。振れば当たる、振れば当たるを
繰り返していた。ただ、精彩さに欠ける。無駄に体力を消耗しているのだ。

 「加速しろ!加速するんだ」

 陽太はレイディッシュに言い聞かせながら、両手で握り直すと勝算を見出だしたのか白い歯を見せた。
 幾度の闘いを乗り越えてきたはずだ。それを露にする気配さえもなく、陽太はステップワークを軽やかにヒカルに見せ付ける。
 ヒカルの尻尾が止まる。そして、ゆっくりと古時計の振り子のように揺れる。
 戦いを楽しんでいるのではなく、相手を警戒しているのだ。イヌと普通に会話さえ出来そうな荵は、もちろんヒカルの
心理状態を把握していた。

 「だめだよ。月下くんの誘いに乗っちゃ」
 「……」
 「ヒカルくん!」
 「……」

 荵は教室の壁を背にして、声を掛けることしか出来なかった。荵のその行動は陽太にとって願ったり叶ったり。
 なぜなら、荵の声でヒカルの集中力を奪うことが、この戦いにおいて陽太にとって有利に傾くからだ。

 陽太は声を絞り出しながら、荵を睨んで声をあげた。

 「魔犬遣いネギ……」


     つづく。



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