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白狐と青年 第13話 2/2
●
平賀の所へと向かったキッコとクズハを見送り、残った男三人は研究区を適当に回っていた。
商店が軒を連ね、オープンカフェが談笑の場となり、奇態な格好をした大道芸人が相棒の異形と共に珍妙な仕草をしては見物人がそれを囃したてている。
相変わらずだ。
昨日も思った感想を改めて胸に抱き、頬を緩めた匠に明日名がすまなそうな顔をして話しかけた。
「すまないね、昨日いきなりあんな話を聞かされて大変だろうに」
半ば強引に匠達を外に連れ出す形になってしまった事に負い目を感じているのだろうか。
その声音は気遣わしげな色を含んでいる。匠は先程不承不承という雰囲気を表に出してしまったことに少し罪悪感を覚えた。
「いや、まあ……俺自身はそんなに、クズハの方が大変だと思うけど」
「それでも、だよ」
そう穏やかに言う明日名はとてもキッコと式契約を果たすような豪の者には見えない。
平賀のじいさんの助手だって言ってたけど……。
隣でどこの店に行こうかと彰彦と話し合っている明日名はなるほど、確かにいかにも白衣が似合うだろう線の細い、ひょろ長い背格好だ。
研究者である平賀の助手というポジションは収まりが良く見える。しかし、
腕の傷痕……あれは研究職の人間が負う類のものには見えなかった。
昨日は他に気を取られて気にしている余裕が無かったがその件に一応の解決が見られた今、彼がどのような人物なのか気になる。
明日名が匠の様子に気付いたようで視線を寄越してきた。
「俺の事が気になるかい?」
「……まあ」
「そういや匠と明日名兄さんは昨日が初対面だったんだっけ?」
彰彦に肯定の意を返すと明日名がやや申し訳なさそうにいいや、と答えた。
「俺の方は信太の森で遠目から匠君たちを見ていたんだ」
「そうなのか?」
あの場に他の者が居たとは意外だ。
思った事をそのまま口にすると明日名は苦笑した。
「どんな形であれ極限状態でクズハを戦闘させて彼女の中のキッコの≪魔素≫を食いつぶさせる必要があるとキッコが言った時、
『復讐の機会を与えてくれるか』って本当に愉しそうに笑うものだから嫌な予感がしてね。
やり過ぎないか心配だったんだ。まあ、結局匠君は貫通創もらっちゃったわけだけど」
「ああ、キッコさんが『留飲が下がったざまあみろっ』て大喜びしてた例の……」
匠の腹の辺りに目をやって感慨深げな彰彦に「あの女狐、そんなに人が重傷負って嬉しいのか」と匠は呻いた。
「まあまあそうツンケンするなよ」
宥めながら彰彦が明日名を示す。
「改めて俺が明日名兄さんを紹介してやるよ。フルネームは安倍明日名。平賀のじいさんの助手でキッコさんの式契約者。
明日名兄さんは第二次掃討作戦の時に家もろともすっ飛んで路頭に迷っているのを平賀のじいさんに拾ってもらったんだってよ。
今は助手としてキッコさんと一緒に平賀のじいさんの手伝いだ」
「キッコは基本的に町を回って人間観察に勤しんでいるから主に動くのは俺一人になるけどね」
「この通り天性の使われる才能の持ち主だぜ」
妙に堂々と不名誉な才能に太鼓判を捺して明日名を示す彰彦。
ああ、掃討作戦に巻き込まれた時に傷を負ったのか。
匠が内心で頷いていると、明日名は自身の紹介のされ方に困った顔をし、「まあいいか」と表情もそのままに匠に問いかけた。
「やはり彼女を好きにはなれないかい?」
キッコの事を言っているのだろう。それはすぐに分かった。それ故に匠は数秒考える。
キッコの事情は分からないでもない……。
話は聞いた。事情も理解した。今回のクズハの件については少なくとも、もうキッコには恨みを持ってはいない。
しかし、
「もう殺し殺されという関係にはなろうとは思わない。けど、好きになれるかは分からない」
信太の森で斃れた仲間を思うと敵意が消えるということは無かった。
「そうか」と答え、明日名は告げる。
「でも、キッコの方は君に散々文句を言いながらも感謝もしているようだったよ」
「感謝?」
自分達は結局キッコから住処を奪い去ってしまった。そこに感謝される謂われは全く無いはずだが。
そう思って明日名を見返していると彼は頷き、
「第二次掃討作戦時、クズハが入ったカプセルにまで彼女の炎が及ぼうとしたのを守ってくれた気概、
それに異形の子を屠ろうとしなかったその情。
カプセルを破壊されて衰弱していくクズハを見ているしかなかったキッコにはありがたい事この上なかったようだね」
「キッコが……?」
そこまでキッコはクズハに情を抱いていたのかと少し意外に思う。
「あれでキッコはクズハの事を気にかけていてね。以前血を分けた妹のようだと言っていたよ。」
「そうか……」
匠は神妙に頷き、「……ん?」と首を傾げた。
「……妹?」
「娘とか孫とかじゃねえの?」
彰彦と二人、そう答えると明日名が俯き気味に、
「……本人の前で言ってみるかい?」
勢いよく首を左右に振った。
「好き好んで地雷は踏みたくない」
「全くだ。でも喋り方は明らかに婆ちゃん的なアレだよな……」
彰彦の言に一行は声を上げて笑う。
話し合っているうちに商店が立ち並ぶ通りにたどり着いた。
個人経営の肉屋、八百屋、魚屋、電気店や工務店などが軒を連ねている。
複数種の食料を買うには一軒一軒店を回らねばならないためスーパーなどの集合店で買うよりも手間がかかるが
一品一品は安く手に入るしその店独自の惣菜も手に入る。
それに、
「おー、匠ちゃん、帰って来てたってほんとだったんだ」
「荷物もらったぞー、ありがとなー」
「おお、匠。平賀のとこに居るキッコさんってありゃどこの美人さんだ?」
「いや、明日名さんの知り合いなんでそこら辺は詳しくないんだよおっちゃん」
「彰彦よー、とっとと金返せよー」
「気が向いたらな!」
行く先々で店主や客と会話が弾む。平賀の研究区は匠が暮らしていた土地だ。知り合いもまた多い。
「明日名さん、今日はまた珍しい組み合わせで買い物かい?」
「ははは、まあ男三人、親睦を深めようと思ってね」
「そいつは良いこった」
そう言って厳つい顔に歯を見せる笑みを浮かべた肉屋の店主におどけて匠が口を開く。
「負けてよおっちゃん」
「バーカ、せめてキッコさんか、匠がいるんならクズハちゃんもいるんだろ?
どっちか連れてきてからそういうことは言いやがれ。野郎相手じゃあ負けてやる気にならねえよ」
「く、こうなったら今度平賀のじいさんのプロマイドを店先に大量散布して……」
「やめろ、んなことされたら店畳まなきゃならねえ!」
そんなやり取りをしながら商店を回っていると端々でキッコの名前を聞いた。
「……キッコ、馴染んでるんだな」
増えていく買い物袋を抱え、匠はしみじみと呟く。
「あれで結構人が好きなんじゃないかと俺は思うよ」
「住処を追われて人嫌いになってもおかしくないと思うんだが」
「キッコさんあんま物事にこだわらねえタイプだからなー。――まあ変なところでこだわって匠みたいにひっでえ目にあったりもすんだけど」
「ひっでえ目に遭ったのは確かだけど、クズハの前であまり腹の傷の事は言うなよ」
彰彦に言いながら匠は「俺は根に持ち過ぎているだろうか」と小さく漏らす。
「そんなことはないさ」
明日名は商店街を出る道を先導しながら言う。
「あれは戦争で、君とキッコは敵だったんだ。そしてキッコは君の仲間をどんな理由であれ殺した。
それを割り切ることもないと俺は思う。ただ、キッコの相棒としては、彼女は彼女でクズハを愛おしんでいるという事は分かって欲しいかな。
クズハを操った事に関しても、荒療治だったけどクズハが抱えていた問題を解消するには適した行動だったと俺は思うからね」
「ん、分かった……」
あの妙な因縁のある異形と、これからどう付き合って行こうか。
研究所に戻る道すがら匠はずっと考えていた。
商店が軒を連ね、オープンカフェが談笑の場となり、奇態な格好をした大道芸人が相棒の異形と共に珍妙な仕草をしては見物人がそれを囃したてている。
相変わらずだ。
昨日も思った感想を改めて胸に抱き、頬を緩めた匠に明日名がすまなそうな顔をして話しかけた。
「すまないね、昨日いきなりあんな話を聞かされて大変だろうに」
半ば強引に匠達を外に連れ出す形になってしまった事に負い目を感じているのだろうか。
その声音は気遣わしげな色を含んでいる。匠は先程不承不承という雰囲気を表に出してしまったことに少し罪悪感を覚えた。
「いや、まあ……俺自身はそんなに、クズハの方が大変だと思うけど」
「それでも、だよ」
そう穏やかに言う明日名はとてもキッコと式契約を果たすような豪の者には見えない。
平賀のじいさんの助手だって言ってたけど……。
隣でどこの店に行こうかと彰彦と話し合っている明日名はなるほど、確かにいかにも白衣が似合うだろう線の細い、ひょろ長い背格好だ。
研究者である平賀の助手というポジションは収まりが良く見える。しかし、
腕の傷痕……あれは研究職の人間が負う類のものには見えなかった。
昨日は他に気を取られて気にしている余裕が無かったがその件に一応の解決が見られた今、彼がどのような人物なのか気になる。
明日名が匠の様子に気付いたようで視線を寄越してきた。
「俺の事が気になるかい?」
「……まあ」
「そういや匠と明日名兄さんは昨日が初対面だったんだっけ?」
彰彦に肯定の意を返すと明日名がやや申し訳なさそうにいいや、と答えた。
「俺の方は信太の森で遠目から匠君たちを見ていたんだ」
「そうなのか?」
あの場に他の者が居たとは意外だ。
思った事をそのまま口にすると明日名は苦笑した。
「どんな形であれ極限状態でクズハを戦闘させて彼女の中のキッコの≪魔素≫を食いつぶさせる必要があるとキッコが言った時、
『復讐の機会を与えてくれるか』って本当に愉しそうに笑うものだから嫌な予感がしてね。
やり過ぎないか心配だったんだ。まあ、結局匠君は貫通創もらっちゃったわけだけど」
「ああ、キッコさんが『留飲が下がったざまあみろっ』て大喜びしてた例の……」
匠の腹の辺りに目をやって感慨深げな彰彦に「あの女狐、そんなに人が重傷負って嬉しいのか」と匠は呻いた。
「まあまあそうツンケンするなよ」
宥めながら彰彦が明日名を示す。
「改めて俺が明日名兄さんを紹介してやるよ。フルネームは安倍明日名。平賀のじいさんの助手でキッコさんの式契約者。
明日名兄さんは第二次掃討作戦の時に家もろともすっ飛んで路頭に迷っているのを平賀のじいさんに拾ってもらったんだってよ。
今は助手としてキッコさんと一緒に平賀のじいさんの手伝いだ」
「キッコは基本的に町を回って人間観察に勤しんでいるから主に動くのは俺一人になるけどね」
「この通り天性の使われる才能の持ち主だぜ」
妙に堂々と不名誉な才能に太鼓判を捺して明日名を示す彰彦。
ああ、掃討作戦に巻き込まれた時に傷を負ったのか。
匠が内心で頷いていると、明日名は自身の紹介のされ方に困った顔をし、「まあいいか」と表情もそのままに匠に問いかけた。
「やはり彼女を好きにはなれないかい?」
キッコの事を言っているのだろう。それはすぐに分かった。それ故に匠は数秒考える。
キッコの事情は分からないでもない……。
話は聞いた。事情も理解した。今回のクズハの件については少なくとも、もうキッコには恨みを持ってはいない。
しかし、
「もう殺し殺されという関係にはなろうとは思わない。けど、好きになれるかは分からない」
信太の森で斃れた仲間を思うと敵意が消えるということは無かった。
「そうか」と答え、明日名は告げる。
「でも、キッコの方は君に散々文句を言いながらも感謝もしているようだったよ」
「感謝?」
自分達は結局キッコから住処を奪い去ってしまった。そこに感謝される謂われは全く無いはずだが。
そう思って明日名を見返していると彼は頷き、
「第二次掃討作戦時、クズハが入ったカプセルにまで彼女の炎が及ぼうとしたのを守ってくれた気概、
それに異形の子を屠ろうとしなかったその情。
カプセルを破壊されて衰弱していくクズハを見ているしかなかったキッコにはありがたい事この上なかったようだね」
「キッコが……?」
そこまでキッコはクズハに情を抱いていたのかと少し意外に思う。
「あれでキッコはクズハの事を気にかけていてね。以前血を分けた妹のようだと言っていたよ。」
「そうか……」
匠は神妙に頷き、「……ん?」と首を傾げた。
「……妹?」
「娘とか孫とかじゃねえの?」
彰彦と二人、そう答えると明日名が俯き気味に、
「……本人の前で言ってみるかい?」
勢いよく首を左右に振った。
「好き好んで地雷は踏みたくない」
「全くだ。でも喋り方は明らかに婆ちゃん的なアレだよな……」
彰彦の言に一行は声を上げて笑う。
話し合っているうちに商店が立ち並ぶ通りにたどり着いた。
個人経営の肉屋、八百屋、魚屋、電気店や工務店などが軒を連ねている。
複数種の食料を買うには一軒一軒店を回らねばならないためスーパーなどの集合店で買うよりも手間がかかるが
一品一品は安く手に入るしその店独自の惣菜も手に入る。
それに、
「おー、匠ちゃん、帰って来てたってほんとだったんだ」
「荷物もらったぞー、ありがとなー」
「おお、匠。平賀のとこに居るキッコさんってありゃどこの美人さんだ?」
「いや、明日名さんの知り合いなんでそこら辺は詳しくないんだよおっちゃん」
「彰彦よー、とっとと金返せよー」
「気が向いたらな!」
行く先々で店主や客と会話が弾む。平賀の研究区は匠が暮らしていた土地だ。知り合いもまた多い。
「明日名さん、今日はまた珍しい組み合わせで買い物かい?」
「ははは、まあ男三人、親睦を深めようと思ってね」
「そいつは良いこった」
そう言って厳つい顔に歯を見せる笑みを浮かべた肉屋の店主におどけて匠が口を開く。
「負けてよおっちゃん」
「バーカ、せめてキッコさんか、匠がいるんならクズハちゃんもいるんだろ?
どっちか連れてきてからそういうことは言いやがれ。野郎相手じゃあ負けてやる気にならねえよ」
「く、こうなったら今度平賀のじいさんのプロマイドを店先に大量散布して……」
「やめろ、んなことされたら店畳まなきゃならねえ!」
そんなやり取りをしながら商店を回っていると端々でキッコの名前を聞いた。
「……キッコ、馴染んでるんだな」
増えていく買い物袋を抱え、匠はしみじみと呟く。
「あれで結構人が好きなんじゃないかと俺は思うよ」
「住処を追われて人嫌いになってもおかしくないと思うんだが」
「キッコさんあんま物事にこだわらねえタイプだからなー。――まあ変なところでこだわって匠みたいにひっでえ目にあったりもすんだけど」
「ひっでえ目に遭ったのは確かだけど、クズハの前であまり腹の傷の事は言うなよ」
彰彦に言いながら匠は「俺は根に持ち過ぎているだろうか」と小さく漏らす。
「そんなことはないさ」
明日名は商店街を出る道を先導しながら言う。
「あれは戦争で、君とキッコは敵だったんだ。そしてキッコは君の仲間をどんな理由であれ殺した。
それを割り切ることもないと俺は思う。ただ、キッコの相棒としては、彼女は彼女でクズハを愛おしんでいるという事は分かって欲しいかな。
クズハを操った事に関しても、荒療治だったけどクズハが抱えていた問題を解消するには適した行動だったと俺は思うからね」
「ん、分かった……」
あの妙な因縁のある異形と、これからどう付き合って行こうか。
研究所に戻る道すがら匠はずっと考えていた。
●
研究所に帰ると既にキッコとクズハ、それに平賀が待っていた。買い物をしていた時間は一時間程だ。思ったよりも早くに検査は終わったらしい。
「クっズハちゃーん。検査の結果どうだった?」
彰彦が荷物を放り出しながら訊く。クズハは詳しい事は分からないのかどう答えたらよいものかと迷うそぶりを見せ、その間にクズハの左右から平賀とキッコが答えた。
「体の方は問題無しじゃな」
「≪魔素≫の方も十全よ。問題ないだろうて」
「みたいです」
ほっとした顔でクズハ。
「おお、そいつはよかった!」
「ああ、本当に良かった」
あれだけの大騒ぎをしたんだ。それくらいの結果は返ってきてくれないとな。
そう思いながら匠は安堵の息を吐いた。
「クズハちゃんの件はこれで決着ついたな。匠達はこれからどうすんの?」
肉屋で仕入れたコロッケを皿に広げながら彰彦が訊ねる。
「適当に町を回って師範や門谷さん、向こうで世話になってる番兵さん達に適当に土産ものでも買って和泉に戻るよ」
同じく出店で仕入れた惣菜を用意しながら匠は答えた。その答えに彰彦が不満げに口を開く。
「なんだ、もう帰んのかよ」
「無理言うな。もともとここに来た目的はこうして果たされたんだ。それに今は自治政府から出ている中央に来んなっていう圧力に反抗してる状態だし」
……あまり門谷さんに迷惑はかけられない。
今回の件では散々世話になった。あんまりここに居過ぎて政府側から余計な口出しをされるのも避けたい。
そう考え、はたと気付いた。半ば責める口調で言う。
「お前こそ師範たちの所へ帰れよ。師範たち、あれでけっこう心配してると思うぞ」
彰彦はケッ、と吐き捨てた。
「心配してる奴が一発殴っとけなんて言うかよ」
「いや、心配してるのは道場の方な」
「ひっでえ!?」
「冗談だよ」
笑いながら言う。彰彦は乱暴に食べ物に手をつけながら「ともかく、やなこった」と口にした。
「跡取りはどうする」
師範たちの子供は彰彦一人、切実に師範たちは彰彦の帰りを待っているものと思う。
「匠がやってくれよ」
「俺のは途中から自己流で基本形から外れてるから無理。せいぜいが剣術系の指南と基本の指導くらいだな」
残念でした。と言ってやると彰彦はそっぽを向いた。
強情な。
ヤケ気味に惣菜を頬張っていく彰彦にそんな感想を抱いていると平賀がふむ、と口を開いた。
「彰彦君、一度和泉に戻るかな?」
「そうせいそうせい」
「今井君、せっかく匠君が来て帰るきっかけができたんだ。戻ってみてはどうだろう?」
年長者三人に言われて彰彦が顔を引き攣らせた。
「あー、じゃあ今度遊びに行くわ」
そう言うと「俺、ちょいと散歩でもして来る。またな、匠もクズハちゃんも」と言って去ってしまった。
そんなに道場に帰りたくないか?
少なくとも匠の記憶の中の彰彦は師範、というよりも道場や流派に対して誇りを抱いているように見えた。
価値観が変わったのだろうか。それとも……反抗期か?
いやいやこの年でそれはどうなんだろうと思い、首を振る。すると、
「何を珍妙な顔をしておるか」
キッコの呆れ顔が目の前にあった。その手に持った更には食べ物が山と積まれている。
「いや、ちょっとな」
「クズハの事かの?」
実際には違うがそっちも気にならないわけではない。とりあえず頷いておく。キッコは皿の山を高速で崩していきながら、
「昨日の話は他言無用となってるからの。これからもクズハには異形として生きてもらうことになる。多少生きづらいだろうがの」
「まあ、それは仕方ないな」
下手に事実を話して人と異形の合成体を研究対象にされてもかなわない。
「でも、お前みたいに完全に人の姿をとるというのはどうだ?」
少なくとも奇異の視線を向けて来る連中からは逃れられるはずだ。しかしキッコは「駄目だの」と否定する。
「完全な状態の人への変化はこれでなかなかにしんどいものなのよ。尻尾でのバランス感覚の維持がままならんし≪魔素≫も上手く扱えなくなる。
我とて長い間の完全人化は難しいし、戦おうとすれば耳と尻尾が勝手に出てきおる。
それに、もし人と偽って生活していてもそれがばれたらどうなる? 騙したなと誹りを受けかねんだろうて」
「……軽挙はできないか」
しょうがない事と思うが不憫にも思う。クズハが元は人間だと知ってしまえば尚更だ。
少し暗い表情をしている匠を見かねてキッコが言う。
「心を読めたから分かる事だがの、クズハは匠、貴様に懐いとる……何故か気に食わんがの。今の生活にも特に不満も感じておらん。
今回色々知って憂いも晴れたろう、これ以上を求めることもないだろうて」
「そうだな」と答えながら、匠は改めてキッコを見る。キッコは怪訝な顔をして訊いてきた。
「何か我の顔に付いておるか?」
「いや……クズハの事、よく見てるなと思って」
「何を言うかと思えば、我とクズハは繋がっておったのだ。それも当然だろうて」
「そうか……」
答え、つと目を逸らす。そして小さく告げた。
「いろいろ、誤解とかで戦って……悪かったな」
キッコは食べ物をつまむ手を止め、気味悪げな顔をして匠を見た。
「いきなりどうしおった。我は人も、特にお前たちが攻めてきた時の軍人を幾人も殺した。今さら敵意を向けられる事くらい気にせんがの」
「いや、一応、な」
歯切れ悪く答え、ついでに匠は気になっていた事を確認してみた。
「あの時……掃討作戦の時、信太の森であんたが言ってた守りたいものってやっぱり……」
言いさしてクズハに目を向ける。キッコも心得たもので小さく頷き、
「初めは小娘に興味も無かったのだがの、ただ我の住処が落ち着く事に繋がるのならばと思うて見ていたら……情が移りおった」
「そうか」
「んむ、まあ、仲良うできるのならばそれに越したことは無いの」
そう言って小気味よく笑ったキッコを見て、別の卓の惣菜をつまんでいた平賀とクズハが首を傾げた。
「どうかなさったんですか?」
クズハの問いにキッコは機嫌良く答える。
「いやいや、匠と我とで多少和解というか歩み寄りが成ったようでの」
「それはまためでたいのう」
平賀が嬉しそうに言い、明日名が口元に笑みを浮かべて頷いた。キッコはクズハを抱き寄せながら、
「うむ、ではそれを祝して――飲むかの」
懐から酒瓶を取り出しクズハに「飲め」と突き出した。頭を抱えて明日名がとがめる。
「キッコ、またクズハが困ってる。やめておくように」
「なんだ明日名よ、我に口出しするか」
匠は酒が入る前から酔っ払いめいたキッコの言動に呆れ、しかしただの宴会好きなその姿にまた毒気が抜かれていく思いがした。
「クっズハちゃーん。検査の結果どうだった?」
彰彦が荷物を放り出しながら訊く。クズハは詳しい事は分からないのかどう答えたらよいものかと迷うそぶりを見せ、その間にクズハの左右から平賀とキッコが答えた。
「体の方は問題無しじゃな」
「≪魔素≫の方も十全よ。問題ないだろうて」
「みたいです」
ほっとした顔でクズハ。
「おお、そいつはよかった!」
「ああ、本当に良かった」
あれだけの大騒ぎをしたんだ。それくらいの結果は返ってきてくれないとな。
そう思いながら匠は安堵の息を吐いた。
「クズハちゃんの件はこれで決着ついたな。匠達はこれからどうすんの?」
肉屋で仕入れたコロッケを皿に広げながら彰彦が訊ねる。
「適当に町を回って師範や門谷さん、向こうで世話になってる番兵さん達に適当に土産ものでも買って和泉に戻るよ」
同じく出店で仕入れた惣菜を用意しながら匠は答えた。その答えに彰彦が不満げに口を開く。
「なんだ、もう帰んのかよ」
「無理言うな。もともとここに来た目的はこうして果たされたんだ。それに今は自治政府から出ている中央に来んなっていう圧力に反抗してる状態だし」
……あまり門谷さんに迷惑はかけられない。
今回の件では散々世話になった。あんまりここに居過ぎて政府側から余計な口出しをされるのも避けたい。
そう考え、はたと気付いた。半ば責める口調で言う。
「お前こそ師範たちの所へ帰れよ。師範たち、あれでけっこう心配してると思うぞ」
彰彦はケッ、と吐き捨てた。
「心配してる奴が一発殴っとけなんて言うかよ」
「いや、心配してるのは道場の方な」
「ひっでえ!?」
「冗談だよ」
笑いながら言う。彰彦は乱暴に食べ物に手をつけながら「ともかく、やなこった」と口にした。
「跡取りはどうする」
師範たちの子供は彰彦一人、切実に師範たちは彰彦の帰りを待っているものと思う。
「匠がやってくれよ」
「俺のは途中から自己流で基本形から外れてるから無理。せいぜいが剣術系の指南と基本の指導くらいだな」
残念でした。と言ってやると彰彦はそっぽを向いた。
強情な。
ヤケ気味に惣菜を頬張っていく彰彦にそんな感想を抱いていると平賀がふむ、と口を開いた。
「彰彦君、一度和泉に戻るかな?」
「そうせいそうせい」
「今井君、せっかく匠君が来て帰るきっかけができたんだ。戻ってみてはどうだろう?」
年長者三人に言われて彰彦が顔を引き攣らせた。
「あー、じゃあ今度遊びに行くわ」
そう言うと「俺、ちょいと散歩でもして来る。またな、匠もクズハちゃんも」と言って去ってしまった。
そんなに道場に帰りたくないか?
少なくとも匠の記憶の中の彰彦は師範、というよりも道場や流派に対して誇りを抱いているように見えた。
価値観が変わったのだろうか。それとも……反抗期か?
いやいやこの年でそれはどうなんだろうと思い、首を振る。すると、
「何を珍妙な顔をしておるか」
キッコの呆れ顔が目の前にあった。その手に持った更には食べ物が山と積まれている。
「いや、ちょっとな」
「クズハの事かの?」
実際には違うがそっちも気にならないわけではない。とりあえず頷いておく。キッコは皿の山を高速で崩していきながら、
「昨日の話は他言無用となってるからの。これからもクズハには異形として生きてもらうことになる。多少生きづらいだろうがの」
「まあ、それは仕方ないな」
下手に事実を話して人と異形の合成体を研究対象にされてもかなわない。
「でも、お前みたいに完全に人の姿をとるというのはどうだ?」
少なくとも奇異の視線を向けて来る連中からは逃れられるはずだ。しかしキッコは「駄目だの」と否定する。
「完全な状態の人への変化はこれでなかなかにしんどいものなのよ。尻尾でのバランス感覚の維持がままならんし≪魔素≫も上手く扱えなくなる。
我とて長い間の完全人化は難しいし、戦おうとすれば耳と尻尾が勝手に出てきおる。
それに、もし人と偽って生活していてもそれがばれたらどうなる? 騙したなと誹りを受けかねんだろうて」
「……軽挙はできないか」
しょうがない事と思うが不憫にも思う。クズハが元は人間だと知ってしまえば尚更だ。
少し暗い表情をしている匠を見かねてキッコが言う。
「心を読めたから分かる事だがの、クズハは匠、貴様に懐いとる……何故か気に食わんがの。今の生活にも特に不満も感じておらん。
今回色々知って憂いも晴れたろう、これ以上を求めることもないだろうて」
「そうだな」と答えながら、匠は改めてキッコを見る。キッコは怪訝な顔をして訊いてきた。
「何か我の顔に付いておるか?」
「いや……クズハの事、よく見てるなと思って」
「何を言うかと思えば、我とクズハは繋がっておったのだ。それも当然だろうて」
「そうか……」
答え、つと目を逸らす。そして小さく告げた。
「いろいろ、誤解とかで戦って……悪かったな」
キッコは食べ物をつまむ手を止め、気味悪げな顔をして匠を見た。
「いきなりどうしおった。我は人も、特にお前たちが攻めてきた時の軍人を幾人も殺した。今さら敵意を向けられる事くらい気にせんがの」
「いや、一応、な」
歯切れ悪く答え、ついでに匠は気になっていた事を確認してみた。
「あの時……掃討作戦の時、信太の森であんたが言ってた守りたいものってやっぱり……」
言いさしてクズハに目を向ける。キッコも心得たもので小さく頷き、
「初めは小娘に興味も無かったのだがの、ただ我の住処が落ち着く事に繋がるのならばと思うて見ていたら……情が移りおった」
「そうか」
「んむ、まあ、仲良うできるのならばそれに越したことは無いの」
そう言って小気味よく笑ったキッコを見て、別の卓の惣菜をつまんでいた平賀とクズハが首を傾げた。
「どうかなさったんですか?」
クズハの問いにキッコは機嫌良く答える。
「いやいや、匠と我とで多少和解というか歩み寄りが成ったようでの」
「それはまためでたいのう」
平賀が嬉しそうに言い、明日名が口元に笑みを浮かべて頷いた。キッコはクズハを抱き寄せながら、
「うむ、ではそれを祝して――飲むかの」
懐から酒瓶を取り出しクズハに「飲め」と突き出した。頭を抱えて明日名がとがめる。
「キッコ、またクズハが困ってる。やめておくように」
「なんだ明日名よ、我に口出しするか」
匠は酒が入る前から酔っ払いめいたキッコの言動に呆れ、しかしただの宴会好きなその姿にまた毒気が抜かれていく思いがした。