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第1話

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廃民街の名探偵 第1話




 つけっぱなしのラジオが騒々しい曲を垂れ流し始めた。朝の八時に決まって流れるラジオ番組の冒頭だ。
 ブラインドの隙間から朝の日差しが無遠慮に侵入し、薄暗い事務所が外から炙られているような錯覚をおぼえる。
 ソファでくたばっていた体を無理やり起こす。体の節々が痛い。昨日の疲れが抜けきらぬまま、俺は今日の活動を開始する。
「ステファン、いるのかいないのか返事しろ」
 ゴミだらけのテーブルからミネラルウォーターのボトルを摘みあげ、寝ている間に失った水分を補給する。美味い。ピチカー社製よりイマカラ社製のほうが体に馴染みやすくて気に入っている。
 汗を吸ったシャツを脱ぎ捨て、ロッキングチェアに掛けてあったシャツと取り替える。
 投げ捨てられたワイシャツの胸ポケットからタバコを抜き取り、口にくわえた。
「おいステファン、三秒以内に返事しないとマコールのジュディにお前のことバラすぞ」
「ちょっと待ってよ神谷さん! なんで知ってるのさ!」
 ダイニングの扉から金髪頭の少年が顔を出した。
 俺の目を盗んでサラミを丸ごと頬張っていたようだがその生意気そうな顔もいまは驚きと戸惑いで愉快な面になっていた。
 ズボンから取り出した簡易ライターでタバコに火を点ける。安物の紫煙が肺の空気を洗浄し、ようやく朝が来たことを実感した。
「神谷さん、なんでオレがジュディのこと好きだって知ってるのさ!」
「いいからお前はベーコン焼いとけ。コーヒー淹れるのも忘れるな」
 ステファンはぶちぶちと文句を言いつつもキッチンへと消えていった。
 足の踏み場もないくらい散らかった床を見下ろすと人生をやめたくなってくる。
 この閉鎖された都市で、代わり映えのしない閉鎖された一日がまたやってきたのだという事実に俺はため息を吐いた。

 閉鎖都市。
 あらゆる文化と文明をぶちこんで煮詰めた希望と絶望の坩堝。
 なんでもありゆえに自由でなんでもありゆえに限界がなく、そのために定形を保てない不安定な世界だった。
 誰がいつ何のためにつくったのか、それすらも定かではない。
 一説によると天上人が地上の人間を試しているのだとか、また別の説を頼れば人が神になるための蟲毒の儀式なのだとか。
 だがそんなことはどうでもいい。
 閉鎖都市でもとりわけあぶれ者たちが密集する掃き溜め、廃民街で探偵業を営む俺に都市の由来も目的も関係ない。
 今日の飯にありつき明日の寝床を確保できれば、それでいいのだから。

 ステファンの淹れた味の薄いコーヒーを飲み下し、もはやアンティークと呼んでも過言ではないブラウン管テレビの電源を入れた。二十インチの狭い四角形の中でモノクロのキャスターが今朝のニュースを読み上げていた。
「ん? このキャスター不倫問題がバレて局をクビになったんじゃなかったか?」
「いつの話をしてるのさ。それはけっきょく眉唾でちゃんとした婚約者と結婚したでしょ、三ヶ月も前に」
「そうだったか」
 流行りのキャスターの身上など道端で踏み付けるスパゲティの残飯みたいなものだ。ボロ雑巾で拭き取ったらすえたにおいを残して跡形もなく消えてしまう、たかだかその程度のもの。鼻が曲がるほどの悪臭でもしなければ記憶の片隅にも残らない。
 コーヒーのおかわりを頼み、カリカリに焼けたトーストにマーガリンをひいた。その上で輪切りにしたトマトとレタスとベーコンを乗せて半分に折りたたむと簡単ながらもフレッシュなサンドが出来上がる。
 料理などほとんど作らない俺が胸を張って人に勧められる唯一のメニューだ。
『次のニュースです。昨夜、避民地区でも有数の大手IT企業であるCIケールズの代表取締役、ジョセフ・J・ケールズ氏が何者かに殺害されるという事件が起きました。現場は――』
 旧式テレビの枠に収まりきらないテロップが自殺の可能性を否定していた。
 これはまたでかい事件が起きたものだ。全都市放映の局でわざわざ廃民街(他の地区では避民地区と呼んでいる)のニュースを流すことなどそうそうない。
 住み分けができているというよりも平和な地区でわざわざ汚く治安の悪い地域の情報を電波に乗せる必要がないからだ。
 CIケールズは主に廃民街を中心に営業しているだけでなく、少なからず外の地区にも技術提供をしているため社長の顔は広く知られていた。
 綺麗好きな都市民たちも無視できない人物だったわけだ。

「うちのパソコンもケールズだったよね」
「回線込みだとエクセプテラより安かったからな。まあ、どちらも品はいいが貧民の懐に優しくないのが問題だな」
 サンドに噛み付きコーヒーで流し込む。明日はチーズを挟んでみてもいいかもしれない。
「でも社長が殺されるって尋常じゃないよね。護衛とかもいただろうに」
「無能なごろつきを雇ったのか、殺った野郎が凄腕だったか。どちらにせよ、しばらくは街が荒れるな。お前も不用意に出歩かないほうがいい」
「へえ、神谷さんが心配してくれるなんて雨でも降るんじゃないの?」
「余計な火種を作るなと言ってるんだ。ただでさえ俺のことを快く思ってない連中がごまんといる。ごたごたに巻き込まれても俺は知らんぞ」
 にべもなく返すとステファンは頬を膨らませてウインナーにホークを突き刺した。
 おんぼろテレビのキャスターは現場のビル前で中継しているレポーターに状況を訊ねている。
 デザートのヨーグルトに砂糖とリンゴの切り身を入れて平らげた。

 俺は昨日の仕事の続き、富豪お求めの骨董品探しに出掛けるためワイシャツに着替えた。
「ステファン、ゴミ出しと新聞を取ってこい」
「はいはい、人づかい荒い人は事件に巻き込まれて禿げ上がるほど苦労すればいいのに」
「そういえば新しいバリカンを取り寄せたまま試し刈りしてなかったな」
 ふくれっ面だったステファンは慌ててゴミ袋を担ぎ、裏口から出て行った。
 さすがに坊主頭にされては恰好もつかない。マコールのジュディに会わせる頭もないということだ。
 電気髭剃りを充電していると飛び出していったステファンがゴミ袋を抱えて帰ってきた。
「ゴミ出しに行ってゴミを持ち帰れとは教えてないぞ」
「お、女の子だよ、神谷さん!」
 要領を得ない返事をするのでさらにからかってやろうかと思ったがやめておいた。ステファンの身振りによると裏口のほうで何かがあったらしい。
「なんだ、何があった」
「女の子が倒れてるんだよ! 裏口出てすぐのところに!」
 視界が灰色に濁っていくような気がした。
 これはどう考えても良くない兆候。一日の始まりからして最悪な事態に巻き込まれそうな予感。
 俺は薄汚い天井を仰ぎ、目を覆った。

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