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番外編 茜色の菖蒲

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守屋刀十狼が家督を継いでから数年が経ち、その役割が板に付き始めたとある春の日。
近代の地球と月、更には古代日本の文化が融和した倭国文化の情緒が色濃く残るサイガ地方。
その中心地にあるサイガ全域を見渡せる小高い丘の上に建つ武家屋敷の一室で二人の男が向かい合っていた。
サイガ筆頭となった守屋家の当主、守屋刀十狼。そして、先代にして後見人。刀十狼の実父、守屋刃造-モリヤ ジンゾウ-。

「我に女子を嫁がせる……そう申されたか」

突然、刀十狼の身に降りかかった婚儀。刀十狼の不満気な口調に、刃造は責める様な口調で睨み付けた。

「もうすぐ十八になると言うのに女中の誰にも手を付けていないと聞いた。今がどの様な時節か分かっていよう?」

暦が統合暦に代わって約一世紀。それと同時に地球を代表する三つの大国が地球の覇権を争い
国家民族思想宗教に関係無く、地球全土全人類を巻き込む大戦争を繰り広げるようになってから約一世紀。
その影響もあって地球の平均寿命は月や他の星と比べて恐ろしく低く、二十代半ばまで存命出来れば上等。
三十なら長寿、四十で妖怪、五十を過ぎれば生き神、生き仏の領域とまで言われている。
地域によって大きな隔たりがある為、必ずしも地球全土で、それが当て嵌まると言うわけでは無いのだが
傾向としては非常に強く、人の移り変わりが非常に早い。刀十狼の様に十代で責任のある立場に就く事も珍しいことでは無い。

「そして、今のお前がどういう立場にあるのかもだ」

寧ろ、家督を継いでおきながら、未だに父親から口喧しく叱責を受けている方が稀有であった。
そもそも、代々倭国人を守護し続けて来た守屋家の当主という立場にありながら、世継どころか所帯すら持っていないというのは
サイガ筆頭という立場も含めて、無責任を極め、後見人として隠居生活に落ち着いていた筈の刃造が叱責を飛ばすのも当然の事であった。

だが、サイガ地方――倭国は他の地域には無い特殊性により、比較的安全な地域であった。
まず、月の政府機関に籍を置く、君嶋家とは千年以上も続く、血脈にも似た固い絆で親交が結ばれている。
更に百年前、当時の守屋家当主が「倭国、並びに守屋は地球の真の指導者に対し、無条件で礼を尽くす」という宣言を出し
自らを景品とする事で三国の三竦みを強固な物にし、戦火の矛先を回避しており、取り合えずの安全を得る事に成功していた。

倭国は非常に手狭な小国。その戦力は問題にはならないが、その影響力の強さは無視出来るものでは無い。
下手に武力による支配を実行しようものならば月と敵対することになり兼ねない。
だが、倭国を得ることが出来れば、月との関係をより強固にする橋渡しとしての効果が期待出来るというのが三国の総意であった。
勿論、扱いが面倒な小国で排除出来るものなら排除してしまいたいという意見も少なくなからずあった。
暴走の可能性を充分に秘めている以上、平穏が永劫に続く保障は無いが他の小国と比較すれば平和であると言えた。

それをよく理解している刀十狼は臆面も無く、こう答え――

「子は授かり物ですからな。時が来れば恵まれる事でしょう。それよりも今は倭国の発展に力を入れるべきだ。
それとも何か? 目に付いた先から女子に種付けして回れとでも申されるおつもりか親父殿は。それでは獣ぞ」

――鼻で哂って刃造から目線を逸らした。

男である刀十狼が子を生すという事は、女の身体に子種を植え付け、孕ませ、産ませるという事だ。
その行いが快楽をもたらすということも承知している。そして、古今東西、その快楽に溺れて破滅した者がいる事も。
だから、女を知らぬ刀十狼は子作りという行為に対し、女に触れる事を厭っていた。

だが、刀十狼が筆頭としてサイガ地方を治める立場にあるとは言え、強固な父権社会を持つ倭国において実父たる刃造が――

「このまま、筆頭として、当主としての役割を果たさぬと言うのならば、それも致し方が無い。
守屋刃造が後見人である以上、守屋刀十狼に女達が守屋の子を身篭るまで犯せと命ぜねばならん」

――と命令されたら、刀十狼は口を噤んで従う他無くなる。

父と、己。どちらが正しいのかと言われれば、間違いなく父親の方だ。
取り合えずの安全を得ているとは言え、いつ死しても何ら不思議では無い世の中だ。現に先々代は二十代前半で没している。
お家存続の為に世継ぎを遺し、死ぬ準備をしておくのは当然であり、其処に刀十狼個人の意思が介入する余地は何処にも無い。

「是――」

観念した刀十狼が一言呟こうとすると、広大な守屋の屋敷を駆ける騒々しい足音が彼等の一室にまで響いた。
大声で捲くし立てながら騒ぐ声に刀十狼は辟易した様子で刃造に一礼してから、襖を開け、縁側の方へと目を見やる。

「ひ、筆頭!! 一大事に御座りまする!!」

「何事か」

刀十狼を探しに屋敷を駆け回っていた男の顔には汗が浮かび、着物が着崩れており、逼迫した様子を窺わせた。

「も、物の怪に御座りまする! 物の怪の群れが近辺の村落を喰らいながらサイガに向かっておりまする!!」

「直ちに人を集めよ。現地には我が先行する」

「ぎょ、御意に御座りまする!!」

男は来た時と同様に、足音騒々しく守屋の屋敷を走り去っていった。

「親父殿、話の続きはまた後日。民の安寧こそが我々守屋の本懐ですからな」

「世継ぎも遺さぬまま逝ってくれるな」

「死んでしまっては護れる者や、護らなくてはならない者も護れなくなってしまいますからな。
尤も、世継ぎであれば我がおらずとも親父殿がいる。まだ枯れる様な御歳でもありますまい?」

渋々ながら送り出そうとする刃造に刀十狼は先程の意趣返しか、皮肉を込めて吐き捨て屋敷を出て行った。
一国の主として、一人前の大人としての振る舞いを要求されているとはいえ、まだまだ、子供と言うべきか。

刃造は人知れず嘆く――

「その熱意の幾分かでも、子作りに回してくれれば肩の荷も下りるというのに……」

――親の心子知らずとはよく言った物である。

三国間の戦争が激化し、地球全土、全人類を巻き込むに至ったのには理由がある。
人の身でありながら、人の域を超越した存在、エーテル能力者の台頭である。
通常兵器はエーテル兵器にとって変えられ、年齢性別に関係無く、エーテル能力を有する兵隊のみで構成された軍隊。
より高度なエーテル兵器の乱開発。一人でも多くと、人権を完全に無視したエーテル能力を有する人間の『乱獲』
強いエーテル能力者は、より強いエーテル能力者によって捻じ伏せられる。分かり易い弱肉強食の様相を呈していた。

そんな社会の中で、能力者が台頭する前から、エーテル能力とは似て異なる力を併せ持つのが守屋家代々の当主達であった。
遥か古来より受け継がれてきた守屋家の法理。最大の秘術。必殺中の必殺。それが彼等に付けられた「名前」であった。
名は体を表すという諺にある通り、守屋家の歴代当主には自らの名前に関係した能力を持っている。
先代当主の守屋刃造は「刃」物の形状をした兵器を「造」り出すという能力を持っている。
一見すると、鍛冶師の様な才能の様にも見えるが、刃造は蔵も材料も必要としない。
使い手にとって最適な刃物型のエーテル兵器を想念によって完全な無から産み出すという異能力である。

当代当主の守屋刀十狼にも同じような異能力が備わっており、その力は守屋家の歴史を完全に覆す程。
「十」の太「刀」と、「十」の銀「狼」を体内に宿し、合計二十の異物を自由自在に意のまま操る能力。
時には「十」の太「刀」を一振りの大「刀」に変え、あらゆる障害を一「刀」両断の名の下に切り伏せる。

そして、またある時は――

その身を巨象程もある巨大な銀狼へと姿を変え、銀の毛並を靡かせ、並大抵の能力者では視認出来ない程のスピードで大草原を直走る。
体内に取り込んだ十頭の銀狼と同化し、身体組成を作り変える獣化能力により、人でありながら人ならざる第二の身体を持つ。
最上級のエーテル能力者ですら人間以外の存在にはなれない。それにも関わらず、その楔を名前の力だけで容易く破壊している。
それが守屋刀十狼を、人の領分を逸脱したエーテル能力者が蔓延る世界の中であって尚、異能中の異能たらしめていた。

「サイガ筆頭、守屋刀十狼。推して参る……!」

接敵――大草原を直走る銀狼が神木の如き巨大な四肢で地面を抉り、遥か後方の道程を爆散させ土煙を巻き上げ、大きく跳躍する。
太陽を背にした銀狼の咆哮が空気と草木を震わせ、異形等の呻き声にも似た声を掻き消し、流星の如く我が身を敵陣へと叩き落した。
大音響と共に大地を揺るがし、サイガの空に屹立した巨大な砂塵の柱の中から閃光が点滅すると共に空気を引き裂く甲高い音が鳴り響く。
次第に点滅していた閃光が燦然と輝き、砂塵を弾き飛ばした。クレーター状に穿たれた大地の中心には人の身に戻った刀十狼の姿があった。
広げた両の手に二振り、背には翼状に展開された八振り。合計十の倭国刀。傍らには異形の遺体も、体液も、断末魔の声さえも残らなかった。
文字通りに塵へと変え、完全に消滅させると展開した倭国刀を体内へと取り込むと、背後を走る救助隊が筆頭に追いつけ追い越せと必死に走る。

「一人として死なせるな! 一人として護り損なうな! 生こそが我等の誇りぞ!」

「おおおおおぉぉぉぉぉッ!!」

クレーターから飛び出した刀十狼の檄にサイガの屈強な男達が雄叫びで応え、瓦礫の山の解体に取り掛かる。
救出現場においては筆頭も小作人も関係が無く、刀十狼も救助隊の隊長の指示に従い、汗や埃で精悍な顔を汚しながら
傷付いた人々の救出に尽力し、その粗方終えた時には黄昏時、既に空は茜色に染まっていた。
最後の瓦礫を解体し、生き埋めになった人間を運び出そうと中に踏み入った刀十狼は、倒れていた犠牲者を目にして訝し気に眉目を細めた。
最後の犠牲者の性別は女。年の頃は十を過ぎたばかりであろうか。髪の色は空と同じ茜色――異民族の少女であった。


機神幻想Endless 番外編 茜色の菖蒲


救出劇から一夜明けた朝。刀十狼は配下の者を連れ立ち、難民達の視察に赴いていた。
炊き出しの量に不足は無いか、治療を受ける事が出来ずに苦しんでいる者はいないか、物資に不足が無いか。
現地の状況を自らの目で見て、場合によっては目録を修正しては配下の者に新たな指示を出す。
尤も、そんな事は普段の刀十狼の行いを見ているサイガの民達にとっては当たり前の日常的な光景だ。
筆頭の手間を増やすわけにもいかないと従者達も万全に万全を重ねている為、彼が横から口を挟む事はそう多くは無い。
なので、彼がやっている事と言えば、難民たちの気晴らし紛れの雑談に付き合う程度であった。

「あの娘は……」

炊き出しの鍋を取り囲む避難民たちの喧騒から外れ、木の下に茜色の輝く髪が刀十狼の目に付いた。
この辺りの人間は純粋な倭国人が殆どで、守屋家の様な例外を除けば、皆誰もが黒い髪をしている。
黒髪の中に混じる茜色の髪は嫌でも目立つ。しかし、少女と同じ髪の色をした人間の姿が見当たらない。
年齢的には夫がいても不思議ではない年齢でもあるが、親の庇護を受けている年齢でもある。

「娘。家族はどうした?」

一人寂しそうにしている姿に刀十狼は見るに見かねて問いかけてみるが、娘は無言で首を横に振る。

「食欲は?」

棄てられたか死に別れたか、どちらにしても珍しい事では無い。
刀十狼は、その事に関しては深く追求せずに更に問いかける。だが、娘は目を伏せ、再び首を横に振る。

「行く当てはあるか?」

三度目の問いかけ。矢張り、娘は俯き、首を横に振る。

「名は?」

四度目の問いかけ。この問いに対しても娘は肩を震わせ、首を横に振る。
何一つ、名前すら持たない少女。こんな時代だ。倭国内では珍しいが、地球規模で考えれば何も珍しい事では無い。
自分の名も出生も知らず、物心付いた時からただ生きる為だけに訳も分からず、戦火から逃げ行く日々を過ごす者など掃いて棄てる程いる。

「我の元に来るか?」

娘は弾かれた様に顔を上げ、濡れた瑠璃色の瞳の中に刀十狼の真摯な顔を映し出した。

「二度は言わぬ」

娘は初めて、首を縦に振った。寄り辺となる者がいないのなら、暫くの間、守屋の屋敷で面倒を見てやれば良い。
刀十狼にとってみれば、深く考えての行動では無く、屋敷に住む人間の一人や二人増えても何ら問題は無かろう程度。
まるで犬猫でも拾うかの様な気分で娘を連れて屋敷に戻った刀十狼であったが、屋敷の者はそういうわけにもいかない。
現在、守屋家では現当主の刀十狼が未だ、後継者を用意していないという問題に頭を抱えているというのは、既に周知の事実である。

その問題の元凶たる刀十狼が倭国では珍しい髪や、目の色が異なる結婚適齢期の異民族の娘を連れ帰った。
種付け用にと刃造が用意した大勢の女中にも指一本触れず、朴念仁を通り越し、影で男色の気があるとさえ言われていた刀十狼が。

何か恐ろしい物でも見るような目をしていた衛兵に対し、刀十狼は――

「(昨日の騒動で身寄りを失ったようでな。あまりに不憫であった故、暫くの間)この娘を屋敷に住まわせる(事にしたので良くしてやってくれ)」

――省きに省いて短く告げると、衛兵は腰を抜かし、それを聞いていた庭師は泡を吹いて倒れ、使用人は四つん這いで屋敷の中へと駆けた。
そうして、彼が女子を連れ帰ったという話は瞬く間に屋敷に広まり、給仕の女中は釜戸は爆破させ、廊下を磨いていた小坊主は壁に激突。
刀の手入れをしていた守屋の武士達は誤って刀身を握り締め、指を切り落としかけた。
極め付けに刃造は呑んでいた酒を誤って器官に流し込み、咽返り、口に残っていた酒を鼻から噴出し、粘膜を酒で焼かれて悶絶した。
刀十狼が深く考えずに連れ帰った気の毒な娘を見て、屋敷の住人達は「あの唐変木で朴念仁な筆頭の嫁」と早合点してしまったのである。
ただ娘一人を連れ帰っただけで守屋の屋敷が半壊滅状態に陥るという珍事に、それを引き起こした張本人は全く気付いていない。

尤も、謎の自爆を遂げた刃造は――

「そうか! そうか! 幼い娘子の方が好みであったか! いやはや、我も気が効かなんだ! もっと早く言えば童女を用意したというのにな!」

――と言ったっきり全身に謎の暴行痕を残し、廊下の隅で朽ち果てた姿が目撃されたとかされていないとか。
そんな具合に駄目な感じになった守屋家の住人達も真相を知ってから半日程で、どうにか平常業務へと復旧した。

「度し難い阿呆どもが……」

その翌朝、刀十狼は連れ帰った異民族の娘を伴い屋敷の外れにある花畑を訪れていた。
娘を連れて街中を歩いていると経緯を知らないサイガの民が、屋敷の者と同じような反応をして騒がしくて適わないと思ったからである。
名前すら持たない娘に、せめて名前を付けてやらねばなと考えたのだが、騒がしくされては纏まる考えも纏まらない。
静かに思案出来る場所であれば何処でも良かった。それが偶然、人気の無い場所が花畑だったというだけの事である。。
娘は辺り一面に広がる花畑を前にして歳相応に喜色満面の笑みを浮かべ駆け回る。

「笑えるか……」

初めて見る娘の笑顔に刀十狼は安堵したかの様子で笑みを浮かべた。
娘を連れ帰ったは良いが、喋らず、顔色を変えず、表情を変えず、刀十狼の問いかけに対し、頷くか、首を横に振るか。
それでも、何処へ行くにしても、何をするにしても親鳥の後を歩く雛の様に刀十狼の背を追いかける辺り、懐かれているようにも思えた。
物事に対する反応が薄かろうと笑えるのならば、その内、喋る事が出来るようにもなるだろうと、再び、娘の名前を考え始める。

(茜……犬猫ではあるまいて)

太陽の光を浴びる茜色の髪を見て、瞬時に茜という名前が思い浮かぶが即座に打ち消す。
思いの他、人に名前を与えるという行為が難しく、妙な責任感みたいなものを感じ刀十狼は頭を抱えた。

(気紛れに拾った娘の名付けですら、この様か……子を成した時が思いやられるわ)

「刃造」「刀十狼」といった力を持つ名前は親が付けるのでは無く、守屋の奥義としてシステム化された命名法であり彼等が頭を悩ませる事は無い。
だが、力を持つ名前とは生まれた直後に与えられる物では無く、奥義が適応されるまでの間は親が頭を抱えて幼名を付けてやる必要がある。

内心で嘆いていると陽射しが遮られ、刀十狼の身体に影が覆い被さった。影の主は茜色の髪の娘。
その腕には小さな花輪が抱えられており、娘は刀十狼の頭の上に乗せ、満足気な笑みを浮かべた。

「ふむ……もう菖蒲の時期であったか」

言葉無く笑う娘の背後で咲き乱れる菖蒲の花々に刀十狼は花輪を頭に乗せたまま立ち上がり、踵を返した。
慌てた様に娘は忙しなく足を動かして刀十狼の背を追う。
刀十狼は再び人里を訪れ、露店が軒を連ねる商店街で足を止め、辺りを見回し、目当ての物を探す。
そして、刀十狼が足を向けたのは女物の装飾品を取り扱っている露天商。

「こ、これは筆頭!?」

「この簪頂いていくぞ。それと鏡を借りたいのだが」

「へ、へい!」

商人に代金を渡し、簪と鏡を受け取った刀十狼は背後で不思議そうにしている娘に向き直り、今し方購入した菖蒲の簪を茜色の髪に挿した。
鏡に映る娘の表情は驚いているような、喜んでいるような複雑な表情をしている。

「あ、あり……ありがとう……ございます……!」

「礼には及ばん」

たどたどしい口調で礼を言う娘に刀十狼は大層、満足気な笑みを浮かべて目を閉じた。
娘に表情が戻った。声を出せるようになった。そのどれもが刀十狼の気分を喜びで満たす。

「娘。名が無いと言ったな?」

「……はい」

「では、我からそなたに名を贈ろう。そなたの名は、あやめ。今日から、あやめと名乗るが良かろう」

「あや……め……」

それから娘――あやめは何度も自分の名を口の中で反芻して――

「ありがとう御座います。刀十狼様」

――と花の様な笑顔を浮かべて、はっきりとした口調で礼を述べた。

「そなたが喜んでくれるのならば我も満足ぞ……それに声を聞くことも出来た」

その日の夜、刀十狼は同じ布団の中で静かな寝息を立てて眠る、あやめの体温を感じながら今後の事を考えていた。
昼間に見せたあやめの笑顔。そういった当たり前の日常を護るために刀十狼――守屋は幾多の戦場を駆け抜けて来た。
守屋として当たり前の役割を果たしただけとは言え、あやめに対する特別扱いが過ぎるのでは無かろうかと。
物を買い与え、名を与え、屋敷に招きいれ、挙句の果てには同衾まで許している。
立場のある人間が、救出した人間に対する行いとしては余りにも不適切で軽率であると言える。
それ以上に、経緯はどうあれ一つの布団に刀十狼と共に娘が寝ているという事が――

(親父殿の耳に入ったら些か面倒な事になるやも知れんな)

世継の用意をせよと急かす刃造にとってみれば、これ程、好都合な状況は無い。
女を抱く事に忌避感を抱いている刀十狼が同衾を許しているという事は、あやめに対し何かしらの感情を抱いていると考える筈。
その上、あやめはまるでそうする事が当たり前かの様に刀十狼の布団の中に潜り込むなど全面の信頼を置いている。
それだけの条件が揃っているのならば刃造が「その娘を孕ませよ」と命じたとしても何ら不思議な事ではない。

(やれ……どうしたものやら)

内心でぼやきながら眠りに落ちた刀十狼の懸念は現実の物となった。それも最悪の形で。
翌朝、あやめの体温で温もりまどろんでいた刀十狼は不覚にも寝過ごしてしまったのである。
いつまでも起きて来ない若き当主を心配して様子を見に来たのが女中では無く、よりにもよって刃造。
仲睦まじく一つの布団で眠る刀十狼と、あやめの姿を見て剣造は、漸く当主としての自覚を持ってくれたと歓喜に打ち震えた。

「いや、誠に目出度き事よなぁ!! 遂に刀十狼も所帯を持つ決意を固めてくれたか!!」

(迂闊……何と申し開きをするべきか)

申し開きも何も刃造の目に付いた時点で何もかもが手遅れで、既に祝言を挙げる手配まで進めている有様であった。

「あ、あの……刀十狼様」

何と無く訪れようとしている波乱を予感したのか、あやめはおろおろと視線を刀十狼と刃造の間を行ったり来たりさせている。
彼女のそんな様を見て、刀十狼は決心したかの様に表情を変え、あやめを安心させるかの様に頭を撫でた。

「心配はいらぬ。親父殿の誤解はすぐに解く。そなたの悪い様にはせぬ」

刀十狼は立場上、跡継ぎを遺す為に不本意な婚姻であっても受け入れなければならないという役割と責任がある。
それに、そもそもの元凶は今までに世継を遺そうともしなかった刀十狼本人。そして、あやめは保護した人間に過ぎない。
そんな彼女を守屋の騒動に巻き込むのは、あまりにも酷だと考え、刀十狼は覚悟を決める。

(ただ一言申せば良い。この娘は関係無いと。我は親父殿が用意した女子と契りを結ぶと言えば丸く収まろうよ)

意を決して立ち上がろうとすると、あやめは刀十狼の左腕を両腕で抱き止め、その眼を真直ぐに見据える。

「刀十狼様は私では、お嫌でしょうか?」

「何……?」

「刀十狼様は私の命を救って頂きました。身寄りも名前も無い私に、居場所と名前を与えて下さいました。
私などが出来る事と言えば、刀十狼様のお子を産む事くらいしか出来ませんが……」

「それがどういう意味か分かって申しておるのか?」

「元より母胎売りの商品として教育を受けていた身です」

刀十狼の諭す様な口調に、あやめはそれまでとは打って変わった毅然とした口調と態度で言い放つ。

母胎売り――貴族や、小国の国主、領主など普通の人間以上に子供を遺すことを重視している人間を専門にした人身売買業者である。
その商品としての教育。上位層の人間の伴侶に相応しい良妻賢母として、跡継ぎを遺すための母胎としての教育を受けているという事だ。

「商品になる前に棄てられ子を産んだことも無く、殿方を知らぬ身ではありますが、刀十狼様の仰る意味を理解していないわけではありません。
私は……あやめは刀十狼様をお慕いしております。何でしたら私の身体を仮腹にして頂いても構いません」

だが、刀十狼は何も言わずにあやめの腕を優しく解き、刃造の方へと向き直る。無言の返答にあやめは俯き、肩を震わせて黙り込んだ。

「親父殿。祝言を挙げるのならば、まずは筆頭たる我が盟友君嶋に話を通すのが筋であろう?」

「お、おお……おお! その通り! その通りだ、筆頭!」

ほんの数日前とは人が変わったかのような刀十狼の言葉に、刃造は感極まったかのような様子で力強く頷く。

「往くぞ、あやめ」

再び、あやめの方に向き直って身を沈め、白磁の様な白い手を取る。

「え……」

「何を呆けておる? 月への挨拶周りはそなたにも同行してもらう。我の妻として、守屋の女としてな」

「は……はい!!」

あやめの白い手を握る無骨な手は、ほんのりと薄紅に染まり暖かな熱を帯びていた。


※ ※ ※


「……そして、我はあやめと契りを結び、子を成すに至ったというわけだ」

時は現在。場所はサイガの中心にある守屋家の屋敷の一室。
刀十狼の誘いを受けた悠は再会を祝して酒を酌み交わし、空白の三年間を埋めるかの様に話に花を咲かせた。
色々と話題は尽きないが、今の悠が最も興味を示さずにはいられなかったのだが、唯一無二の親友、刀十狼の結婚だった。

「成る程ねぇ……って言うか、地球の価値観だと晩婚の類だったとは言え、よく決意したね?」

それもこんな幼女を奥方に迎えるなんて――とまでは口に出せなかったが、悠とていずれは君嶋家の当主となる身だ。
刀十狼と同様、そう遠くない未来に子を、世継を遺すという義務があるのだが、刀十狼の場当たり的な婚姻に首を傾げた。
義務感だけで契りを結び、子を産ませたのであれば何故、18歳を間近に控えるまで、その義務を果たさなかったのか?

「そうよな。決意に至った理由は……」

「理由は……?」

「同じ倭国人であっても、戦時下の地球と、概ね平和な月とでは、それだけ価値観に大きな隔たりがあるということだ」

身を乗り出して目を輝かせる悠に微笑を浮かべ、刀十狼は誤魔化すかの様に手の中で遊ばせていた盃を一気に煽った。

「おいおい……僕と君の関係だろう? 誤魔化すなよ」

肩透かしを食らった悠は不満気に口を尖らせるが、その内心で考える。
守屋刀十狼、現十九歳。妻、あやめ推定十三歳。そして、二人の間に生まれた赤子が一人。
子作りを始めた時期や、二人が出会った頃の年齢を逆算するのが、怖くなる年齢でもある。

(価値観が違う……って、まさか、幼女に一目惚れとかじゃないよね……)

――親友が自らの意志で結婚した事は喜ばしいが、妻の年齢や肝心な部分が気掛かりになって悠は複雑そうな表情を浮かべた。
その表情に気付いていない刀十狼は照れ臭そうな表情を浮かべ多くを語らぬまま盃を煽った。
その後ろで桜色の倭服に身を包んだ、あやめも頬どころか耳まで朱に染まった夫と同じような顔色で口元を抑え、華の様な笑みを浮かべていた。


語り部:守屋あやめ

私が歩んできた人生は、平凡とは程遠く無縁な道程だったかも知れません。
一番最初に記憶しているのは守屋のお屋敷とは比ぶるべくも無い程、質素で手狭な部屋の中でした。
其処には同年代の少女達が詰め込まれ、子供を産める歳になるまでの間、商品になる為の教育を受けていました。
誰もが自分の生まれや育ちどころか、名前すらも知らず互いを番号で呼び合う。そんな場所でした。

ですが、それを苦に思った事はありません。それが当たり前の事で、それ以外の事を知らなかったからです。
刀十狼様の元に嫁いでから知った事なのですが、貧困に喘ぐ地域では地域ぐるみで少女に子供を産ませては
人身売買を生業にしている商人に売り渡し、住民達はどうにか日々の生計を立てているのだそうです。
なので、恐らくは商品としての教育を受けていた私達が生まれた場所はそういう地域だったのかも知れません。

初潮を迎え、子供が産める身体になった時点で商人達は私達を商品としてお金に換えるべく売りに出します。
何故、このように手間のかかる商売が幅広い地域で行われているかには理由があります。
新生児や、成長途中の子供の中にエーテル能力者が現れる可能性があり、軍事施設や研究施設などで非常に高値でやり取りされるからです。
それを見定めるまでの待機期間として多くの商人は初潮を迎えるまでで、子供が産める身体になるまで様子を見ます。
其処まで待って、エーテル能力が宿らなければ母胎を欲している人の元へと手っ取り早く、売り渡されてしまいます。

人によっては悲惨だと思うでしょう。目を背けたくもなるでしょう。こうした人達の事を口汚く罵るかも知れません。
ですが、こういった事が公然と行われいるのも、こうでもしなければ生きていけない人が多くいるからなのです。
それに私は自分自身の境遇に対して、そんな過去があった事を今でも不幸だと感じていません。
私を商人に売り渡した故郷に恨みはありません。商才に乏しく、商品になる前に私を棄てた商人の方も恨んでおりません。

私の歩んできた短い生涯が余りにも平凡とは言い難く、不幸だと同情を受けたとしても、考えを改めるつもりもありません。
売り渡されたお陰で、棄てられたお陰で刀十狼様と出会い、名前と居場所を頂き、結ばれ、お子を頂くことが出来ました。
私は心の底から幸福なのだと胸を張って断言し、今日を生き、明日を迎える事が出来るからです。
この様な時代ですから、私の生涯が後何年続くのかは分かりません。明日にも消えてしまうかも知れません。

そうだとしても、名残と未練を残す事になるとしても、恨みも後悔もありません。
この様な時代でも、得難い幸福と温もりを得る事が出来た。それだけで充分で御座います。


ただ我儘を申せば天寿を真っ当し、その日までこの幸福が続けばと願っております。それが決して叶う事の無い夢幻だとしても。





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