リコは錆びたパイプ椅子に座って、事の成り行きを見守っていた。
ハンガーの広大な空間のはじまりで、お偉いさん方二人が何かしら話し合っている。内容に興味は無かったが、その話し合いが終わるまでは帰れないとの事で、周りの同僚たちも、眠たげにハンガーの入り口を眺めて、じっと待っていた。
ウラジミルの散らかした残骸を拾い集めて、夜じゅう掛けてバラバラになったハードディスクやら装甲やらを復元したあと、リコはようやく腰を落ち着けることができた。深夜から今までの行軍はリコを疲弊させてはいたが、眠気はいつか、どこかで散ってしまっていた。
冴えた眼は、頭蓋骨の裏側に疲労を貯金していて、今のリコにとって、朝もやの中でぼやける太陽のコントラストも、アスファルトを這う複雑なライティングも、単なる巨大な不快さの固まりでしかなかった。
吐く息が白い。リコは口の前に手をやった。肌がピンと張っている。夜のうちに蓄えられた冷気が、ハンガーの内側に充満していた。言い争う二人の周りには常に薄い雲が舞って、光の粒が昇って、やがて暗がりの中に消えた。
「冗談じゃない、いくらなんでも欠片も明かさないってのはおかしい、不当だ」
「今回の作戦はIPFによるものではなく、こちら側主導の作戦ですので」眼鏡を掛けたのっぽな男が言った。弁護士みたいな風貌だな、とリコ思った。痩せていて、頬がこけていた。
「馬鹿馬鹿しい、この傭兵どものせいで北の基地がやられたんだ」
「大佐。ドール基地は空爆されたのです。憶測で物を語らないでいただきたい」
「空爆?レーダーにも引っかからない航空戦力をマフードどもが持っていると?下らない、子供だましな、そんな言い訳は――」
声は途切れることなく続く。白熱灯の暖かい橙と、朝焼けの紅の合間で、工具箱に収まった用具を点検していたエンジニアーの一人が、あくびを噛み殺した。リコの右隣に座る同僚の貧乏ゆすりも酷くなる一方だ。汚れたトランプの箱をしきりに手のひらで遊ばせている奴。その脇に立つ男は、財布の口を開けたり、閉じたりを繰り返している。
「大将」
リコは手を挙げた。すばやく。垂直に。真面目な学生が教師に質問するような調子で。
「何だね、技術曹長」
「腹が減った。みんな減ってると思う。あんたも減ってるはずだ」
その時、リコの視界の端で、入り口の外で何かがちらついた。黒い尻尾。リコがそちらに目を向けると、いぶかしげに眉をひそめたグルダが、髪を揺らしつつハンガーの中を覗き込んだ所だった。グルダはリコに気づいて、首をかしげる。リコは彼女に向かって肩を竦めた。まだここに入ってこないほうが懸命だ。そういうサインだった。
「何で子供がこんなところに?」
のっぽがグルダに気がついて、不思議そうに呟いた。それから、大佐に目を戻して、あとずさるほど驚いた。彼だけではない。リコも、その周りの同僚たちも。
大佐は幽霊でも見たかのように大きく目を開いて、グルダを見つめていた。表情を強張らせ、焼けた肌は灰色に染まった。右手で咽を弄る。息を詰まらせる原因を取り除こうとして、でもそこには何も無い。ただ空気を掻く。リコは文字通りに“血の気の引いた”人物を初めて見た。
グルダはそんな大佐を静かに見つめ返していた。その表情は怒っているように見えたし、悲しんでいるようにも見えた。戸惑っているようにも見えたし、悟っているようにも見えた。ただ、喜んでいるようには見えなくて、つまるところ、子供らしくない無表情だったのだが。
「大佐?」
「……ああ、そうだな。続きはゲストハウスの方で……お前たちはここで待機だ。拾ったものは、俺がよしと言うまで絶対に引き渡すな。え?ああ、待機していればそれでいい。何をやっていてもかまわん。どうせウサギは出払ってるんだ」
ハンガーの広大な空間のはじまりで、お偉いさん方二人が何かしら話し合っている。内容に興味は無かったが、その話し合いが終わるまでは帰れないとの事で、周りの同僚たちも、眠たげにハンガーの入り口を眺めて、じっと待っていた。
ウラジミルの散らかした残骸を拾い集めて、夜じゅう掛けてバラバラになったハードディスクやら装甲やらを復元したあと、リコはようやく腰を落ち着けることができた。深夜から今までの行軍はリコを疲弊させてはいたが、眠気はいつか、どこかで散ってしまっていた。
冴えた眼は、頭蓋骨の裏側に疲労を貯金していて、今のリコにとって、朝もやの中でぼやける太陽のコントラストも、アスファルトを這う複雑なライティングも、単なる巨大な不快さの固まりでしかなかった。
吐く息が白い。リコは口の前に手をやった。肌がピンと張っている。夜のうちに蓄えられた冷気が、ハンガーの内側に充満していた。言い争う二人の周りには常に薄い雲が舞って、光の粒が昇って、やがて暗がりの中に消えた。
「冗談じゃない、いくらなんでも欠片も明かさないってのはおかしい、不当だ」
「今回の作戦はIPFによるものではなく、こちら側主導の作戦ですので」眼鏡を掛けたのっぽな男が言った。弁護士みたいな風貌だな、とリコ思った。痩せていて、頬がこけていた。
「馬鹿馬鹿しい、この傭兵どものせいで北の基地がやられたんだ」
「大佐。ドール基地は空爆されたのです。憶測で物を語らないでいただきたい」
「空爆?レーダーにも引っかからない航空戦力をマフードどもが持っていると?下らない、子供だましな、そんな言い訳は――」
声は途切れることなく続く。白熱灯の暖かい橙と、朝焼けの紅の合間で、工具箱に収まった用具を点検していたエンジニアーの一人が、あくびを噛み殺した。リコの右隣に座る同僚の貧乏ゆすりも酷くなる一方だ。汚れたトランプの箱をしきりに手のひらで遊ばせている奴。その脇に立つ男は、財布の口を開けたり、閉じたりを繰り返している。
「大将」
リコは手を挙げた。すばやく。垂直に。真面目な学生が教師に質問するような調子で。
「何だね、技術曹長」
「腹が減った。みんな減ってると思う。あんたも減ってるはずだ」
その時、リコの視界の端で、入り口の外で何かがちらついた。黒い尻尾。リコがそちらに目を向けると、いぶかしげに眉をひそめたグルダが、髪を揺らしつつハンガーの中を覗き込んだ所だった。グルダはリコに気づいて、首をかしげる。リコは彼女に向かって肩を竦めた。まだここに入ってこないほうが懸命だ。そういうサインだった。
「何で子供がこんなところに?」
のっぽがグルダに気がついて、不思議そうに呟いた。それから、大佐に目を戻して、あとずさるほど驚いた。彼だけではない。リコも、その周りの同僚たちも。
大佐は幽霊でも見たかのように大きく目を開いて、グルダを見つめていた。表情を強張らせ、焼けた肌は灰色に染まった。右手で咽を弄る。息を詰まらせる原因を取り除こうとして、でもそこには何も無い。ただ空気を掻く。リコは文字通りに“血の気の引いた”人物を初めて見た。
グルダはそんな大佐を静かに見つめ返していた。その表情は怒っているように見えたし、悲しんでいるようにも見えた。戸惑っているようにも見えたし、悟っているようにも見えた。ただ、喜んでいるようには見えなくて、つまるところ、子供らしくない無表情だったのだが。
「大佐?」
「……ああ、そうだな。続きはゲストハウスの方で……お前たちはここで待機だ。拾ったものは、俺がよしと言うまで絶対に引き渡すな。え?ああ、待機していればそれでいい。何をやっていてもかまわん。どうせウサギは出払ってるんだ」
「ウラジミルはいつ帰って来るの」
大佐も、のっぽも消えて。同僚たちが銘々好き勝手に暇をつぶし始めて。ようやくグルダはハンガーの中に入ってきた。それまでは律儀に入り口で、足先で引き扉の溝を蹴って待っていたのだ。リコは、俺もそいつを知りたいんだ。と言って、彼女に本を差し出した。彼女に借りていた本だ。
「返すよ」
「あら、ありがとう。面白かった?」
「空気を読んだみたいな気分になった」
そう、と言って、グルダは本をジャージのポケットにねじ込んで、それで、と続けた。
「ウラジミルは何をやってるの?」
「詳しくは知らないんだ。ゴミ拾いだってこと以外は」
そう。グルダはあからさまに不機嫌な顔をして、そっぽを向いてしまった。子供扱いされたと思ったらしい。リコは頭を掻いて、本当に、誓って何も知らないんだと言った。
「俺よりも大佐に訊いたほうがいいんじゃないかな。奴の方がよく知ってる」
「あの人は敵だから嫌」
グルダはますます唇を上に尖らせて、目を閉じた。随分な怒りようだな、とリコは顎を撫ぜた。こいつは厄介だぞ。しかし、それとは別に、綺麗だな、と思った。朝焼けに染まって、床は紅色の間接照明として機能している。彼女はその中で律儀に空間を削り取っていた。相変わらず、交わらず、浮かんでいた。
「おい美人なお嬢ちゃん。怒ったって何も始まらんぞ。解決方法を考えるんだ。別のプランを立てるんだ」
「……大佐の家にでも忍び込もうかな」
大佐も、のっぽも消えて。同僚たちが銘々好き勝手に暇をつぶし始めて。ようやくグルダはハンガーの中に入ってきた。それまでは律儀に入り口で、足先で引き扉の溝を蹴って待っていたのだ。リコは、俺もそいつを知りたいんだ。と言って、彼女に本を差し出した。彼女に借りていた本だ。
「返すよ」
「あら、ありがとう。面白かった?」
「空気を読んだみたいな気分になった」
そう、と言って、グルダは本をジャージのポケットにねじ込んで、それで、と続けた。
「ウラジミルは何をやってるの?」
「詳しくは知らないんだ。ゴミ拾いだってこと以外は」
そう。グルダはあからさまに不機嫌な顔をして、そっぽを向いてしまった。子供扱いされたと思ったらしい。リコは頭を掻いて、本当に、誓って何も知らないんだと言った。
「俺よりも大佐に訊いたほうがいいんじゃないかな。奴の方がよく知ってる」
「あの人は敵だから嫌」
グルダはますます唇を上に尖らせて、目を閉じた。随分な怒りようだな、とリコは顎を撫ぜた。こいつは厄介だぞ。しかし、それとは別に、綺麗だな、と思った。朝焼けに染まって、床は紅色の間接照明として機能している。彼女はその中で律儀に空間を削り取っていた。相変わらず、交わらず、浮かんでいた。
「おい美人なお嬢ちゃん。怒ったって何も始まらんぞ。解決方法を考えるんだ。別のプランを立てるんだ」
「……大佐の家にでも忍び込もうかな」
↓ 感想をどうぞ(クリックすると開きます)
| + | ... |