「恋の抑止力~ほらゲームが始まる~♪」
笠置透(かさぎ みなも)は上機嫌で鼻歌を口ずさみながら、
大江戸先進科学研究所の食堂の厨房でボゥルの中身を攪拌する作業を続けていた。
もうすぐバレンタインデー。
日本ではお菓子業者の陰謀が耶蘇教の聖人の偉業を塗りつぶしてしまった『人造の』特別な日である。
とはいえ一般的な婦女子にそんな問題は瑣末なわけで、透もまた生まれてこの方眼中になく、
何をやっているかといえば父親と幼馴染へのチョコ作成という、周囲が聞いたらこれはこれで
ドン引きしかねない恒例行事のためだった。
彼女にとっては毎年変わらぬ、特別だけれども特別でない、慣れた行為に過ぎない。
煮え切らない関係と言えば「ひかるちゃんはlike、鮎川は愛してる」という有名な台詞があったが、
はたして彼女の中でも幼馴染への厚意にどこまでメリハリが着いているのかは甚だ疑問だ。
その手の中のボゥルに入った溶けたホワイトチョコレイトこそ、
もしかしたら最も雄弁に彼女の内面を語っているのかもしれない。
真っ白いけど、溶けてぐちゃぐちゃ。
さて、彼女も黙っていれば美人の類である。
黒髪ロングという希少な美的センスは、成人ではあるが未だ未だあどけなさの
抜けていない貌とあいまい、触れたら崩れてしまいそうな危うげな雰囲気すらある。
それがパステルカラーの飾り気の無いエプロンを胸にかけ、髪が落ちないようにと
後頭部のあたりでくるりとまとめると、無造作なのにどこか色香が漂うのはお年頃のせいであろうか。
髪の長い女性が黙々と三つ編みにしている所作も確かに見ていてほっこり来るものがあるが、
それはそれで筆者の甘酸っぱい思い出を刺激するものなので、黒い歴史として蓋を閉めておく。ぱたん。
さて、そんな透の足元でちょこなんと尻を突いて、
しきりに尻尾を振っては舌なめずりをしている犬がいる。
毛足は短く、色は黒い。面長で、ひょろりとしているが筋肉質だ。
ドーベルマンとジャックラッセルテリアが駆け落ちしたら、その子供はこんな風になるだろうか。
元々は研究所の敷地に紛れ込んだ野良犬だったが、
誰かが餌付けしたのか、はたまた『虐待コピペ』を実践したのか、すっかり居付いてしまった。
職員は思い思いの名前で呼んでいて、ポチだのクロだの無難なやつに始まり、
パトラッシュだのグレート・パスカルだの椛だのといった版権臭いものが乱舞する中で、透はティンダロスと呼んでいる。
いわく、曲がり角から餌を狙っているかららしいが、その辺の機微を正しく理解できる職員はいなかった。
で、そのティンダロス、溶けたチョコなど与えてみれば、
ひと舐めで興味を失うだろうについに『ちょうだい、ちょうだい』と飛び跳ね始めた。
筋肉質の小型犬の跳躍力はけっこうなもので、透が油断したところに、
ボゥルを世界一有名な配管工よろしく突き上げる。
「ひゃっ!?」
ボゥルの中のホワイトチョコは慣性にしたがって飛び散り、透の顔に飛散した。
「やぁん…鷹くんの(チョコレート)がぁ…」
食堂で休憩中だった職員達の何人かが、彼女の状況と台詞にコーヒーを吹いた。
「もぅ…口の中までぇ…いきなりなんだから」
ティンダロスはこりゃ拙いと空気を読み、さっさと厨房から逃げ出している。
残された透は小ぶりな唇の端を伝って落ちそうになる白濁を人差し指でぬぐい、
ちょっと悩んでから結局口に含んで舐めとった。
頬とか、鼻梁とかに粘りつく白いほとばしりも、丁寧に拭ってから嚥下する。
湿った音がやけに鮮明に響いた。
「んぅ…濃くって、飲みづらいよぉ」
そこで好い加減、衆人の視線に気づいた透は、恥ずかしそうに顔を歪めた。
「は、はしたない娘(こ)とか思わないでくださいね…」
初撃に耐えたはずの幾人かが、更にコーヒーを吹いたのだった。
天然ものはこわいと言うおはなし。
どっとはらい
笠置透(かさぎ みなも)は上機嫌で鼻歌を口ずさみながら、
大江戸先進科学研究所の食堂の厨房でボゥルの中身を攪拌する作業を続けていた。
もうすぐバレンタインデー。
日本ではお菓子業者の陰謀が耶蘇教の聖人の偉業を塗りつぶしてしまった『人造の』特別な日である。
とはいえ一般的な婦女子にそんな問題は瑣末なわけで、透もまた生まれてこの方眼中になく、
何をやっているかといえば父親と幼馴染へのチョコ作成という、周囲が聞いたらこれはこれで
ドン引きしかねない恒例行事のためだった。
彼女にとっては毎年変わらぬ、特別だけれども特別でない、慣れた行為に過ぎない。
煮え切らない関係と言えば「ひかるちゃんはlike、鮎川は愛してる」という有名な台詞があったが、
はたして彼女の中でも幼馴染への厚意にどこまでメリハリが着いているのかは甚だ疑問だ。
その手の中のボゥルに入った溶けたホワイトチョコレイトこそ、
もしかしたら最も雄弁に彼女の内面を語っているのかもしれない。
真っ白いけど、溶けてぐちゃぐちゃ。
さて、彼女も黙っていれば美人の類である。
黒髪ロングという希少な美的センスは、成人ではあるが未だ未だあどけなさの
抜けていない貌とあいまい、触れたら崩れてしまいそうな危うげな雰囲気すらある。
それがパステルカラーの飾り気の無いエプロンを胸にかけ、髪が落ちないようにと
後頭部のあたりでくるりとまとめると、無造作なのにどこか色香が漂うのはお年頃のせいであろうか。
髪の長い女性が黙々と三つ編みにしている所作も確かに見ていてほっこり来るものがあるが、
それはそれで筆者の甘酸っぱい思い出を刺激するものなので、黒い歴史として蓋を閉めておく。ぱたん。
さて、そんな透の足元でちょこなんと尻を突いて、
しきりに尻尾を振っては舌なめずりをしている犬がいる。
毛足は短く、色は黒い。面長で、ひょろりとしているが筋肉質だ。
ドーベルマンとジャックラッセルテリアが駆け落ちしたら、その子供はこんな風になるだろうか。
元々は研究所の敷地に紛れ込んだ野良犬だったが、
誰かが餌付けしたのか、はたまた『虐待コピペ』を実践したのか、すっかり居付いてしまった。
職員は思い思いの名前で呼んでいて、ポチだのクロだの無難なやつに始まり、
パトラッシュだのグレート・パスカルだの椛だのといった版権臭いものが乱舞する中で、透はティンダロスと呼んでいる。
いわく、曲がり角から餌を狙っているかららしいが、その辺の機微を正しく理解できる職員はいなかった。
で、そのティンダロス、溶けたチョコなど与えてみれば、
ひと舐めで興味を失うだろうについに『ちょうだい、ちょうだい』と飛び跳ね始めた。
筋肉質の小型犬の跳躍力はけっこうなもので、透が油断したところに、
ボゥルを世界一有名な配管工よろしく突き上げる。
「ひゃっ!?」
ボゥルの中のホワイトチョコは慣性にしたがって飛び散り、透の顔に飛散した。
「やぁん…鷹くんの(チョコレート)がぁ…」
食堂で休憩中だった職員達の何人かが、彼女の状況と台詞にコーヒーを吹いた。
「もぅ…口の中までぇ…いきなりなんだから」
ティンダロスはこりゃ拙いと空気を読み、さっさと厨房から逃げ出している。
残された透は小ぶりな唇の端を伝って落ちそうになる白濁を人差し指でぬぐい、
ちょっと悩んでから結局口に含んで舐めとった。
頬とか、鼻梁とかに粘りつく白いほとばしりも、丁寧に拭ってから嚥下する。
湿った音がやけに鮮明に響いた。
「んぅ…濃くって、飲みづらいよぉ」
そこで好い加減、衆人の視線に気づいた透は、恥ずかしそうに顔を歪めた。
「は、はしたない娘(こ)とか思わないでくださいね…」
初撃に耐えたはずの幾人かが、更にコーヒーを吹いたのだった。
天然ものはこわいと言うおはなし。
どっとはらい