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「第三話 起動、そして猫来たりて」

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 『Robochemist!』


 第三話「起動、そして猫来りて」



 機械の胃袋、棺桶とも表現できるその場所。
 狭っ苦しい操縦席に体を押しこみ、さきほど手渡された鍵を鍵穴に差し込むと、力を込めて廻した。

 ―――……キュィィィィィン……。

 甲高い音と共に機体がガタガタ動揺、各部モーターが唸りを上げた。主機から送られる強大な電力が機体に行き渡り、重厚な造りのカメラアイに仄かな青色が宿る。
 機体に積まれた電子機器が電子を流し込まれ産声を上げた。回路を伝い所定の場所に電荷、発熱。
 カメラが撮影した映像が操縦席内部のモニターに映し出され、その上に被さるように大きいウィンドウが開く。その奥でプログラミング言語が高速スクロールする。

 『キー確認』

 『主機起動 正常稼働確認』

 『全モーター起動 正常稼働確認』

 『全ローラー起動 正常稼働確認』

 『姿勢制御機構起動 正常稼働確認』

 『総合戦闘管制システム起動 正常稼働確認』

 『 〝アノフェレス〟 起動します 』

 コンクリートの太い支柱が立ち並ぶ競技場で、全高5mもある灰色の外殻機が立ち上がった。遠目にみれば甲冑か何かが起立したように見えたに違いない。
 ところが、アノフェレスは立ち上がるや否やふらふらとし始めた。それこそ酒でぐだんぐだんになったオヤジの方が余程しゃっきりしているという程に。
 アルメリアはふらつきの止まらない機体をなんとか宥めようと、操縦桿とペダルを総動員して、外部に繋がっている無線に向かって慌てて口を開いた。

 ≪っととととと、うわぁ、ちょっと、ふらつきますよ!≫

 外殻機には二種類の姿勢安定化機構が備わっている。
 一つは内部機構により姿勢を安定させるジャイロシステム。
 もう一つは機体の姿勢から自動で各部モーターを動かし倒れないようにするサーボシステムである。
 ジャイロシステムは確かに便利だが、『なんとなく』安定するだけで効果が薄い。一方のサーボシステムは機体自ら姿勢を安定化させてくれるので効果が高いが、無論、欠点がある。
 それは、『勝手に直してしまう』ことである。例えば戦闘で不自然な体勢を取って戦わなくてはならない時、サーボシステムの修正値が高かった場合、強制的に体勢を修正されてしまう。
 もちろん、この場合は直さない、とプログラムすればいいのだが、何しろ戦闘に二度と同じ状況が無いように、その『場合』が多すぎてどうしようもない。繰り返し教えることで修正するしかないのだ。
 四脚や六脚式ならば倒れる倒れない以前の問題だが、二脚式となるとそうはいかない。
 勝手に姿勢を修正されてしまうと、アノフェレス最大のアドバンテージである機動力を殺されてしまうので、サーボシステムは『緩く』設定されている。
 ただ撃つことのみに特化すれば三次元戦闘は行わなくてもよいが、アノフェレスは近接戦闘を念頭に設計した高機動外殻機なのでそうはいかないのだ。壁を蹴ろうとしている最中に地面に着地する体勢になったらどうなるか、ということだ。
 結果、言わばセンスのある人間や熟練した人間にしか使いこなせなくなってしまっていた。
 しかも装甲や機能性が犠牲になったピーキー機。利点を大いに活かすために反応速度は最大になっており、感度も極めて高い。つまり『遊び』が無いので操縦者の腕前がそのまま浮き彫りになるのだ。
 アノフェレスの脚部はある程度広く造られているとはいえ、さぁ歩け走れ駆け回れと言われたら、難しい。いきなり乗って直立出来ているアルメリアはセンスのある方なのだ。
 ではアノフェレスに蓄積されたデータを使えば良いのではと思うかもしれないが、操縦者の経験値が零では同じようなことだ。

 ≪いいからさっさと歩け、話はそれからだ≫

 競技場の端で、いつ用意したのかパイプ椅子に足を組んで座ったセンジュは、手元の無線機に命令を下した。口調こそ淡々だが、久しぶりに活動が出来るので嬉しそうに見える。
 その隣には両手を前で合わせたアオバが居る。ツナギ姿ながら、寄りそうようにしかも背筋をぴんと伸ばしているところは、まるで執事かなにかのようだ。
 両手を横にしてバランスを取りつつ、一歩を踏み出す。アノフェレスの片足が、すぐ下に赤ん坊がいるような慎重さで地面を踏みしめた。ぎしりと小気味いい音が鳴る。

 ≪教授、やっぱり私には無理っぽいです!≫

 無線越しに泣き言を漏らす。
 それから機体の膝を地面に付いて、やっと安らぎを得ることに成功した。この体勢なら倒れように倒れまい。
 戦闘になったら無様に転倒して笑い物になることが容易に想像できてしまった。敵前で転べば、銃なり剣なりの攻撃で戦闘不能になること間違いなし。装甲の薄いアノフェレスならあっという間だろう。

 ≪ふむ………そうか、では………≫

 センジュが頭をがしがしと掻き、紫の瞳を細め、無線を睨みつけた……その時、奇声がもう一つの無線機から聞こえてきた。
 例えるなら、蔓にぶら下がったターザンの雄たけびのような。女だが。

 ≪イィヤッホー!!≫

 同じく搭乗していたシュレーは無反応だった。……だった。
 ちょっと離れた地点で眠っていた六脚式外殻機プロトファスマのカメラアイに突如として光が宿るや、ローラー全開で地をかっ飛んだ。あっという間に百mを走破すると、障害物手前で急停止してグルングルン派手に回転。
 唖然とする皆を尻目に、六脚の安定性を活かして片方に傾き、ぐんと跳躍。火花を散らして着地。脚部が緩衝材の役割を果たし、上半身の揺れを最小限にする。
 外殻機の中でも重量があるはずなのに、まるで四脚か二脚であるかのような軽快な動き。

 ≪楽しーーーっ!!≫

 更に全速力で競技場を駆け回り、六脚式には困難とされる跳躍を再度行い、あろうことかコンクリート製の障害物に乗り、更に跳躍、着地、ローラーダッシュを決めて見る見るうちに膝をついているアノフェレスに突っ込んでいく。
 六脚のロボットが全速力で突っ込んでくるのを眼にすれば、当然仰天の声を上げる。センジュとアオバがアッと息を呑んだ。

 ≪わわっ!?≫
 ≪よいしょーっと!≫

 全ローラー逆回転、脚部踏ん張り、上半身を傾け、それらの総動員によりプロトファスマはアノフェレスの装甲に接触する寸前で制動をかける。ローラーが白煙を噴き、地面に六本を超える複雑な線が描写された。
 激しく動いたために機体から熱気が立ち上がり揺らめき、小規模な蜃気楼を構築する。
 シュレーは満面の笑みを浮かべながら、機体を立て直した。モーターの唸りが競技場に響く。青いカメラアイが瞬いた。

 「馬鹿な……六脚であの動き……」
 「ええ、自分もあの動きは見たことがありません。初めて乗ったそうですが……」
 「神はその者が望む才能を与えるとは限らない……か」
 「神を信じぬ貴方が言いますか」
 「表現上は仕方無かろうよ」

 眉に皺を寄せて顎に手を置き難しい表情で考え事を始めたセンジュと、感心したように頷くアオバ。
 一方アルメリアは交通事故に遭いかけたような心境で、恐る恐るといったように無意識に閉じてしまっていた眼を開けると、頭部を動かし、すぐ手前で直立しているプロトファスマを見遣った。カメラアイが光を細く絞る。

 ≪ちょっと!≫

 アノフェレスの腕が持ち上げられるや、プロトファスマの胴体を殴りつける。ガスンと鉄と鉄をぶつけた音がした。
 プロトファスマの重厚な頭部が、あたかも『きょとん』とした風にアノフェレスの方を向いた。人間には到底見えぬ形状なのに、動きがいちいちコミカルなのは、きっと気のせいだ。

 ≪なぁに?≫
 ≪なぁに? ……じゃないですよ! 危なかった! 今のは結構危なかった!≫
 ≪大丈夫だよ! ヨ!≫
 ≪馬鹿ッ≫

 またアノフェレスの文字通り鉄拳が振り上げられ、今度はプロトファスマの手に収まった。殴ったはずだ。だが、まさか受け止められるとは思いもしなかった。
 シュレーは、相手が見てもいないのにニンマリ口元を上げると、その握りしめた硬き手をぶんぶん振った。

 ≪外殻機で握手って、いいよね!≫
 ≪確かに……じゃなくって!≫

 無邪気と言うか、驚きの白さというか、裏表の無い性格というべきか。一応怒ってみるアルメリアだが、当の本人は意に介さず、むしろそれすら楽しんでいるように思えてくる。
 外殻機同士が握手し合う不思議空間が今ここに。
 もう怒りなんて消えてしまった。
 とりあえず握手を解除したアルメリアは、カッコがつかないのでアノフェレスでよたよたと立ち上がった。胃カメラを初めて飲んだ衝撃に打ち震える中年オヤジ並みのキレの無い動きだが、初めて乗った事を考慮すれば称賛に値する。

 ≪ふぅ………立てた≫

 両手を横にして安定化させつつの情けない直立だが、彼女にとっては大きな一歩である。
 すると今度は無線越しにぱちんと手を叩く音がして、頭部をプロトファスマの方に向けて見た。中の人と見事に同じ動作を再現しているのが見えた。才能の無駄遣いもいいところである。
 シュレーが提案した。

 ≪いいこと考えた!≫
 ≪?≫
 ≪私がそっちに乗ればいいんだよ、どう?≫
 ≪………あっ≫

 アルメリアはその発想はなかったと思い口をぽかんと開きつつも、二つの事柄についてほっとしていた。
 一つは自分でも操縦できるであろうプロトファスマに乗れること。そしてもう一つは、肉体的なことである。何か。それは暑さだ。
 ほとんど動いてないのにもかかわらず、操縦席内部は初夏の陽気。操縦椅子の後ろに申し訳程度に空いた冷却口から冷風が出ているが、全く意味を成していない。動き続ければどうなるかなど想像したくもなかった。
 こりゃあ、死ねる。だけどシュレーなら耐えられる、ケロッとして居られる。
 いつの間にかアルメリアの脳内ではシュレーが超人か何かに設定されていた。
 その後、乗り換えて見たところやはりシュレーはアノフェレスをヒョイヒョイと乗りまわし、その場にいた全員を驚かせた。訓練も経験も無いはずなのに、動きが異次元だったからだ。
 誰が宙返り後に美しい受け身を決めるなんて想像出来たのか。
 兎に角、センジュチームは攻撃手にシュレーを。防御手にアルメリアに決定した。
 なお、目標役は自動でも構わないのでのんびりと探すことになった。何しろ目標役は『動けるだけ』『無人』という制約上、最悪の場合センジュでもアオバでも棒立ちでも良い訳で、急ぐこともないからだ。
 夏の大会まで2カ月あるかないか。果たして、彼女らは勝ちあがれるのだろうか。
 彼女らの前途は多難である。


 ◆  ◆  ◆  ◆


 ロボットに関する講義を聞いて、部品の加工、締めに体育……これだけで一日がほぼ終了してしまったが、疲労はがっちりと溜まるわけで。そのあとに部室兼倉庫に寄ってゲームに関する説明をアオバから聞けば、既に夕方だ。
 いくら春だからと言っていつまでも明ると思ったら大間違いだ。夕方になれば夕日が手を振り始め、更に時間が経過すれば空は群青に染まる。
 疲れた体を引きずるようにして寮に辿り着いたアルメリアは、実家から郵送されてきた中にあった帽子を頭から取り、指に引っ掛けてくるくる廻しつつ、鍵穴に銀色の鍵を差し込み廻した。
 鍵をポケットにするりと入れてドアを開きするりと入れば、ドッと疲れが筋肉の奥で牙を剥き出しにする。

 「糖分、糖分を取らなきゃ……チョコー……蜂蜜ヨーグルトお菓子お菓子……おか……」

 アルメリアはふらふらとリビングに入ると、さっそくソファーに倒れ込み顔を押しつけて、ぴくりとも動じず呟いた。心なしポニーテールも元気が無く、右に寄っている。
 こんなときは甘いものを摂取するに限る。糖分は体に良い。疲労回復には寝るか糖分摂取と相場が決まっている。だが、考えただけで甘いものが出てくるわけも無く。
 最短経路はキッチンに行き砂糖を口に放り込むことだが、疲れているとそれすら億劫だった。新しい環境に放り込まれた影響はそれほど絶大なのだ。

 「念力があれば…………ねんりきサイコキネシス……」

 顔をソファーに接触させたままモゴモゴと呟くアルメリア。
 念力があれば楽だろうな。念じただけで物が浮いたり。空も飛べるかもしれないし、能力活かしてあんなことやこんなこと、子供の頃に夢想した出来事を実現して、人生を楽しくするんだ。
 どうも疲れていると思考が妙な方向に飛んでしまうようである。
 念力で空を飛びつつ機関砲をぶっ放す三つ編みの女の子が全身から光を放出しながら雄たけびを上げた。と、その光が緑色に変化して、バリアへと変質する。

 「駄目……」

 頭を振りあげてソファーにボンと落とす。眼よ覚めよ。シャワーも浴びずして寝るなど女子の沽券にかかわる。
 全身に乗った鉛の塊を排除、両腕、頭、胴体、脚、その順番でソファーから起き上がり、突発性の欠伸を手のひらで隠し、涙で滲む眼を擦る。
 熱いシャワーを浴びてジュースでも飲んで授業の復習予習をして寝よう。このままソファーに座っていては睡魔に手を引かれ極楽へ飛んで行けそうなので、立ち上がり伸びをすると、リビングを出る。

 「ふぁ……ねむ……」

 眼を開けていられない。立ったままなのに瞼がとろりと落ちてくる。両手を振る元気も無く、肩を落としたまま。
 アルメリアは体に鞭を打ちシャワー室へと足を運び、止めた。呼び鈴が鳴ったのだ。友達の数が余り多くない現在、来るのはシュレーか、配達業者か、どちらかだろう。
 ぴんぽーん、ぴんぽーぴんぽーん………ぴぴぴぴぴんぽーん、ぴんぽーん。
 ドアの外の人物は何が楽しいのか呼び鈴をリズムつけて押しまくる。眠く疲れているときに呼び鈴を連打されたせいで、温和なアルメリアの心に沸々と苛立ちが募ってきた。
 ずんずんと玄関に歩いて行くと、乱暴にドアの鍵を解除して取っ手を回し開けた。

 「何か用です…………って、クー姉ちゃん!」
 「むず痒いからクーでいい」

 この苛立ちをどこにくれてやろうと企んでいたのだが、ドアを開いたらその気は消滅してしまった。
 綿のように繊維の細い黒髪を三つ編みにして左右に垂らし、サファイアのエキスを塗りたくったように涼しく、内なる光を持つ紺碧色の瞳。存在感は希薄であるが、一度意識すれば記憶にずっと残る、そんな女性。
 春物のブラウスとズボンはいずれも黒く、黒猫を擬人化したらこうなるのでは、というクーにとても似合っていた。
 元々孤児だったクーは、アルメリアの両親の友人であるジュリアという女性の師匠格に当たるアイリーンに拾われて今まで育った。アルメリアと年齢が近かったこともあってか、よく一緒に遊んだものだ。
 あの後クーはアイリーンの会社で働くこととなり疎遠にはなったがメールなどでやり取りはあった。お姉さんのような存在であり、友人でもあった。
 そのクーが、一体こんな場所に何の用なのだ。
 アルメリアはドアを半開きにしたまま、中に通すか迷った。
 クーはその様子をじっと見ている。鏡面のような瞳に見詰められたアルメリアは変わってないなぁ、と思いつつもちょっとビクついていた。
 クーが足元の重そうな鞄をちらりと一瞥して、口を開く。

 「お願い」
 「はい」
 「泊めて」
 「………はい?」
 「泊めて」
 「宿は……」
 「無かった。泊めて」

 アルメリアはぽかーんとしてしまった。訪ねてきた理由が泊めてくれだなんて、想像すらしてなかったのだから。
 硬直したアルメリアとは対照的にクーは動じず、頭すら下げてくる。野宿すること自体に苦痛は無くても、島一つが学園の島では野外に寝れそうな場所が無く、警察に職務質問を受けた時の言い訳が思いつかないというのは秘密だ。

「駄目?」
「や、大歓迎ですけど、シャワー前だったから」
「ありがとう」

 半身を逸らす様にして手を広げて迎える動きをして、それから自分が先に行く。後から荷物を引きずったクーがついていく。ドアがばたむと閉まった。
 物珍しいのか棚の本を見たり窓の外から映る朱色の太陽をみたり、せわしない。女の子座りでも胡坐でもなく体育座りなのがなんともクーらしい。
 傍らに置かれた大きくかさばる鞄がもそりと動いたが、クーが指でつつくと静かになった。顔を寄せると、“鞄に”語りかけた。

 「動いちゃダメ」
 「なんかいいました?」
 「……何も」

 キッチンでせっせせっせとレギュラーコーヒーを淹れていたアルメリアは、カップに眼を落したまま聞いてみた。独り言なのだろうと自己処理した。
 動いてはならぬと言われたら動きたくなるのが動物の常。鞄の暗闇を見つめ続けるそれは、お得意のパンチで鞄内部から外部に震動を発生させた。鞄の一部が膨らむ。
 しかしクーは慌てず騒がず鞄の取っ手を掴むや、逆さまにひっくり返した。

 「フギャッ!?」

 憐れかな。まことに憐れかな。
 くぐもった悲鳴が一つ上がりて。中で小さく小分けされた荷物の間に身を潜めていた動物は、天地が逆転したことに受け身も取れなかった。いくら身体能力が優れようと身動きとれない状況では意味をなさぬ。
 コーヒーの入ったカップを持ってリビングに戻ってみれば、鞄をひっくり返すクーの姿があるわけで、思わず首を傾げる。

 「何でもない。何でもない」
 「ふ~ん……あ、はいコレ」
 「コーヒー?」
 「ミルクと砂糖入りですよ~」
 「好み」

 クーはカップを受け取ると、ソファーの方に移動して、なんとなしにゴクリと一口飲んだ。アルメリアはその横に腰掛けて一口。
 さて、クーは猫っぽいところがあるが、現実的な問題として熱いものが飲めない。だというのにうっかり熱いコーヒーを飲んでしまったのだ。舌が熱を感知。たちまち全身に悪寒ならぬ熱寒(?)が閃光した。

 「ぐぶっ!?」

 コーヒーをひっくり返す前にアルメリアに手渡し、舌をだらりと出して悶絶する。七転八倒しそうになるのを堪え、ぷるぷると両手を握って涙を滲ませた。

 「だ、大丈夫?」
 「ひらが、あつふてッ、さまへばよかった!(舌が、熱くて、冷ませばよかった!)」
 「ごめんなさい! 熱いの駄目って忘れてて……」

 クーは心配そうな顔で見つめてくるアルメリアに手を振って大丈夫アピールをすると、こくりと唾を飲んだ。まだ舌がびりびりしていていて、ひりりと痛む。今度からは冷ますべきだ。
 その声を聞き付けた鞄の中の動物は、心配してもぞもぞと動き鞄から顔を覗かせようとした。それがいけなかった。

 「………んー……今動いたような?」
 「動いてない。全然動いてない。何も入ってない」

 二つ持ったカップのうち自分の方に口をつけて芳醇な黒液を飲んで、視界の端っこで何かが動いた気がして眼をやれば、床で放置された鞄が蠢いた。
 怪しいなんてものではない。不気味だ。いわゆる非科学や心霊の類を懐疑的な眼で見るアルメリアにとって、ポルターガイストだのなんだので処理できる事項ではなく、当然中に何かが居ると考えるのが妥当だ。
 鞄は大きいが人の類が入れる大きさではない、つまり中に動物がいる、クーが連れているのはいつも猫。単純な方程式を読み解けば、中身の推測は容易であった。
 首をぶんぶん振りまくって否定するクーを横に立ち上がるとカップ二つを机に置いて、草食動物を狩る肉食動物のように四つん這いで接近する。

 「本当に無い」
 「なんで必死なんですか?」
 「……何も無いから」

 クーが心なし焦った様子でアルメリアの手を引き止めさせようとする。何も無いなら開けても問題はないはず。これはクロだろう。クロだけに。
 鞄に手をかけて、チャックを一気に引く。
 なぁおおおーーん。
 黒の体毛に、空色の瞳をもった一匹の雄猫。お座りして尻尾を体にくっつけるようにして、外の眩しさに眼を細めつつ鞄の中からアルメリアをじっと見つめていた。縦に割れた瞳孔が爛々としている。
 クーはどうしようもなくて、両手を宙に浮かしたまま右往左往した。言い訳は思いつかなかった。
 この場に至って誤魔化せるだろうか。否、不可能だ。

 「………えっと」
 「クロちゃん?」
 「うん、クロ………」
 「べっつに隠すこともないと思うんですが。この寮、規約ではペット禁止って書いてないし。クロちゃんお利口さんですから、粗相もないと思いますから」
 「……いいの?」

 追い出されることを心配していたが、どうやら大丈夫なよう。
 アルメリアの顔色を窺い、鞄から顔をだしてあっちこっちを観察しているクロに眼を落とし、そろそろと手を伸ばすとぺたんと床に座り、抱き寄せ膝の上に乗せた。
 クロは大人しく膝の上に乗ると、前足で顔を洗って、舌で舐めた。長年付き添ってきた人間の膝はとても落ちつくもの。同等の態度で接し、また生活してきたが故の絆。

 「……あれ?」

 同じく傍らに座ったアルメリアはクロを撫でようとしてその異変に気がついた。
 以前見たときよりも毛並みが荒く、また痩せている気がするのだ。というか確実に肉が落ち、動きにハリが無い。
 言うならば、そう……。

 「………もう御爺ちゃんだから。眼は悪くなったし獲物は取れない。ジャンプすると転ぶ。鳴き声もダミ声…………」
 「そうなの……」
 「いい。生き物は私も含めて老いるから。でも私はクロを見捨てない」
 「家族ですもんね、クロちゃん」
 「家族…………うん」

 なぁ~お。
 幾分掠れた鳴き声。若い頃と比べたらずっと老いてしまったクロを、クーが緩く腕に抱く。
 人の寿命が最高100年として、猫の寿命は最高で20年ほど。クーが美しい女性になった頃には、彼女の半身たるクロは老齢になってしまった。違う種は共に歳を取ることすら困難なのである。
 アルメリアはクーがクロを愛しむように喉を撫で始めたのをみて、心が安らぐと同時に悲しくなってきた。喉がごろごろ鳴りて、気持ち良さそうに瞼が降りる。
 いつか老いる。いつか死ぬ。産まれたものは死ぬ。瞬時に頭に浮かぶ文字列に意識をとられる。
 いけない。ネガティブな思考は常に行動の脚を引っ張る。というより、そんなに心配なら鞄に入れて持ち歩いたりひっくり返さなきゃいいだろうに。それも触れ合いの一種なのか。
 アルメリアは頭を振ると、コーヒーを一気に飲んでしまおうとカップを取りに行き、口をつけた。湯気立つそれは淹れたてでとても熱い。カップを持つだけでも熱い。

 「それ熱……」

 熱いはずのコーヒー一気飲みと言う苦行を始めたアルメリアを、クーが宇宙人に握手を求められたときだってそんな顔をしないなほどまで引き攣らせ、手を上げた状態で硬直して見守った。
 カップの中身を咥内に。一気飲みで味なんて分からなくて、黒液に舌や喉が異常温度に晒された。粘膜が根こそぎなんとか胃袋に流しいれた。白い喉が上下した。

 「んぐっ、んぐっ………ふぅ。シャワー浴びてきますね!」

 ぐいと口元拭いて、カップを机の上に置く。
 なんというタフネス。クーが感心してぱちぱち手を叩いた。

 「………すごい。じゃあ私は泊めてもらう代わりに料理作る」
 「いいんですか?」
 「もちろん」

 さっそくクーはクロをソファーに寝かせると、キッチンの方に歩いて行った。アルメリアは上の服を脱ぎつつ、シャワー室に歩いて行った。
 結局クーがアルメリアの部屋に住みついたというのは言うまでも無い。

 ―――……ちなみに。



 「あ、ところで」
 「?」
 「この学園には何の用事?」
 「アイリーンに経験を積めって言われたからちょっとした仕事をしに。知り合いのセンジュって人のとこに連絡してあるから行ってきなさいって言ってた」

 という会話があったそうな。


            【終】

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