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瞬転のスプリガン 第1話

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 悪魔は白昼に舞い降りた。太陽の光の下に、何ら自らを恥じることなく。
 耳を劈く轟音と、凄まじい破壊の波。瞬きひとつの間に、衝撃が動く全てを上書きした。
 声はない。声はない。声を発する者はそこにはいない。赤く輝く火の粉が爆ぜ、支えを失った建材の欠片が地に落ちる、虚しい物音があるだけだ。
 街角で震える少女にとって、それは静寂と変わらなかった。可愛らしいポシェットの名札には『ことね』と書かれている。運悪く地獄の現出に居合わせた幼い娘。
 ことねは物陰にしゃがみこんで膝を抱え、目を閉じて縮こまっていた。忍びよる怖いものをやりすごそうとして。
 仮死状態になっているように感覚のない時間が流れた。
 あまりに音がなかったものだから。ことねは恐る恐る、長い睫毛を揺らして瞼を開くことにした。不安が胸の奥で渦巻いている。幾度も空えずきして唸る喉を鎮め、まるい膝の間から涙の滲んだ瞳であたりを窺う。
 見慣れた市街は、酸鼻極まる惨状だった。
 罅割れの走った摩天楼、断層を生じて波打つ足場、踏み潰されたようにひしゃげた乗用車。つい先日、ことねが母と買い物をした洋服店は瓦礫の山になっていた。
 嗅覚を刺すひどい悪臭に気づく。肌を焦がす熱さからこの世の炎上を知る。
(おかあさん)
 封印の魔法を掛けられたように声は出ない。灰色に煙る街に少女はひとり。
 味方はいない。味方はいない。差し伸べられる手はそこにはない。嘲笑するように揺らめく一体の陽炎と、頑として口を利かぬ無数のガラクタがあるばかりだ。
(おうちにかえりたい)
 その一心で、ことねは立ち上がることにした。しっかりした白い生地のスカートが拡がる。目線が上向きになり、鬱うつたる気分も深呼吸で少しは薄らいだ。
 糊で貼りついたような靴の裏を硬い地面から引き剥がして、ことねは歩き出す。心細さが勇気となり棒きれの脚を動かす。お気に入りの赤い靴を鳴らし、小さな歩幅をいくつもいくつも繋いで歩く。
 近づく者を容赦なく炙る火の手を避けながら、割れ砕けたアスファルトに爪先を挫かれながら、幼い娘はひとり我が家を目指す。大小の岩石が岸にごろごろしている川の上流を飛び跳ねた思い出が甦る。涙を袖で拭う。
(おかしいの、こんな、まちのなかで)
 不意に視界に馴染みのない巨大質量を認めて、ことねはそちらを確かめた。重厚な存在感を放つ黒ぐろとした金属塊。
 戦車だ。ただし、近づいてみれば、頼もしい車体は甲虫の死骸のようにひっくり返っていた。無防備に晒された腹から噴き上がるのは、無限の黒煙。砲身はへし折られ、かつての雄姿は見る影もない。
(ああ、そうか……)
 ことねは、ここに至って初めて、幼いなりに現状を理解する。数ヶ月前から止むことのない一連の報道を彼女は見ていた。
 家族の団欒を少しだけ暗くする、けれど遠い世界の出来事。おとぎ話でしかないはずの。渋い顔をして黙り込む父と、わざと明るく振る舞う母がいて。
(まけたんだ)
 思い出す。
 人類に恐るべき“敵”が現れたこと。
 近代兵器による迎撃を物ともせず、名だたる大都市を次々に炎熱の海に沈めたという、異世界の軍勢。
 彼らが、この街を襲ったのだ。今ここに横たわる戦車は戦って、壊されたもの。

 地響きがする。
 地響きがする。
 音よりも、大地と構造物の微震がことねに危険を伝えていた。
 初めは小さく、だんだん大きく。それが意味することなど、もはや疑いようもない。
 だというのに。この期に及んで、ことねは気のせいだと思いこもうとした。二度、三度、繰り返されるまで、幼い脳は逼迫する現実を拒絶した。
 振れ幅は次第に大きくなって。恐るべき彼らが近づいている。
 地響きがする。
 地響きが止む。
(あ……)
 我に返ったときには、もう。すぐ、そこまで。
「見よ、“リクゴウ”に“オルピヌス”」
 至近距離から、それは遠雷さながらの音を降らせる。
 表情を引き攣らせながら、ことねはゆっくりと頭を動かす。もはや確かめずにはいられない。鬼ごっこだって、一番怖いのは鬼を見失ったときなのだ。
「まだ、矮小なる人族が、残っておったわ」
 高層ビルの陰から、彼らは連れ立って姿を現す。きいきいと金属光沢の甲冑を擦れ軋ませて。
 大の男が二人掛かりでやっと抱えられるかという大木が六本、ことねの視界を埋め尽くす。彼ら三人分の脚だった。構造は節足動物のそれに近い。
 小さなことねは、全貌を知るために目線を上げていく。
 幾つもの節に分かれた胴体は、縦長の楕円立体。空気を弾き飛ばせそうな肉厚な二本腕には、兇悪な棘がびっしりと並ぶ。正面から見て体幹をはみ出すほどに大きい、翼とも脚ともつかぬ何かを背負っていた。
 さらに仰げば、太陽を食らうように、昆虫のカミキリムシを思わせる奇妙な貌がある。三対の複眼と触角が、舐め回すように少女の見た目と匂いを探る。
 巨人であった。
 三体のいずれも、禍まがしい重甲殻で全身を覆っていた。色以外は全くの同型と見える。戦闘に当たって甲冑を装着しているのか、彼ら自身が昆虫の形質を持つのかは知れない。身の丈五、六メートルという巨躯の持ち主は、身動きだけでアスファルトを踏み砕く。
 魔界の住人。魔の眷属とも呼べるか。地上に侵略の魔手を伸ばした異世界の怪物達だ。巨大にして頑強極まる異形の体躯に、人類の修めた物理からはるか隔絶した異能の力を宿す。
 彼らは、“魔族”と呼ばれていた。
「間違いないですドルンドメオン、人族の兵隊カーストでございます。八つ裂きにしませんと、八つ裂きにしませんと」
 深緑の一体が、異様に長い触角をぐわぐわと動かして喋る。甲高い男の声は媚びを含んでいた。驚くべきことに、ことねには彼の言う意味が理解できた。
「我にはとても戦士とは思えぬ。オルピヌスは見解を述べよ」
「わたくしには人族の生態については分かりかねますが、専門家であるリクゴウの言ならば、信ずるに足るのではないかと」
 漆黒の魔族に意見を求められた赤銅の同族が、無気力に言葉を紡ぐ。
 ことねから向かって右に、密林の深奥から緑色を拝借した“リクゴウ”。左には、砂漠の夕陽から赤色を分け与えられた“オルピヌス”。
 中央に一歩踏み出た隊長格が、闇夜の魔窟から黒色を簒奪したという“ドルンドメオン”。
 魔界にて命名された魔族達は、彼らだけに通じる会話をしきりに行っていた。異質なもの同士のやりとり。どこか間の抜けた応酬がへたりこんだ少女の頭上を飛び交う。
 ことねには、それがひどく恐ろしいものであるように感じられた。魔族にはもとより人類と対話するつもりなどないのではないか。同じく言語を解しながら、分かり合うことなど不可能に思えた。
「ふむ。さして支障があるわけでなし。ここはリクゴウを信じよう」
「間違いありません!」
 巨大な腕を大儀そうに持ち上げ、漆黒の魔族ドルンドメオンがことねに絶望の影を落とす。次元を歪ませる重圧を幼い娘は錯覚する。視界の端で深緑の取り巻きがはしゃぎ、喝采を送っていた。
(あ……ああ……)
 声は出ない。声は出ない。意思の疎通がなることはない。

(おかあさん、たすけて)
 殺意の濃さに呼吸もできない。視界が闇に閉ざされる。
 ことねの願いは、ついに母には届かなかった。
 けれど。
 音が聞こえる。軍馬の嘶きにも似た勇ましい排気音が。
 音が聞こえる。過剰駆動力による車輪の空転擦過音が。
 そして魂を震わす風切り音が。鋼の意志を伴って、ことねの耳に滑りこむ。
 青い電光が疾走った。
 黒の鉄鎚の直撃より早く。それは叩き潰される運命からことねを救い出す。乙女の危難に必ず馳せ参じる、神話の英雄さながらに颯爽と。
「む!?」
 ドルンドメオンは、無為に地面を陥没させた腕を引き戻す。何者かが割り込みを掛け、少女を攫ったことを知った。
「ドルンドメオン、あそこに」
 オルピヌスがきちきちと体節を鳴らし、謎の影の行方を指し示す。数十メートルという隔たりの先に。
 それはスーパーカーだった。
 三体の魔族を睨み据えるハイビーム光。流麗なフォルムをした超高性能乗用車だ。透き通る空のような鮮烈な青。
 車体後部の左半分が展開して、鉄の片腕に変わっていた。五指さえ備えた鋼の手。
 極超音速という神速の挙動と、ミクロン単位という極微の制動とを可能とする、エーテル圧式打撃マニュピレータがその正体。
 機械の指先に抱かれて、ことねは目を開ける。少しの苦痛も、窮屈すら感じさせない優しい掌。
 硝子細工を扱う手つきで、彼はことねを地上に降ろす。
『少し、我慢して欲しい』
 スーパーカーは物を言う。彼は喋るのだ。冷静沈着な若者の声で。
 素直に頷くしかないことねを、金属の指の腹が撫でる。
 ひとまずの役割を終えたのか、マニュピレータは収納された。そこには既に、公道を走っていても違和感のない車の姿があるだけだ。
 スーパーカーは相対したまま、低速で前進。余裕の歩調で魔族との距離を縮めていく。

「近づいてきます! 間違いありません! あれは人族の兵隊カーストでござっ」
「黙れ。見れば分かる」
 騒々しく喚き立てるリクゴウを裏拳で黙らせ、ドルンドメオンは興味深そうに青の英雄を観察する。
「格闘戦を挑んでくる人族は初めてだったかな」
「その実力、確かめて参りましょう!」
 名誉挽回の好機とばかりに、深緑の魔族が跳ねる。巨躯にまるで似合わない、目を見張るすばしっこさだった。
 最接近。戦車すら破壊する一撃がスーパーカーを狙う。
「間違いありません! このリクゴウにお任せあればー!」
 金砕棒じみた腕を振り翳して踏み込むリクゴウ。その足の甲を、青い爪先が上から穿つ。スーパーカーのフロント部に折り畳まれていた、巨人の上下腿が伸ばされたのだ。
「ギャッ!?」
 雷に打たれたような激痛に、リクゴウは攻撃を繰り出すのも忘れて悲鳴を上げる。
『フォルムチェンジッ、ロボットフォルム』
 短く息を吐くように、若き戦士の声が完全変形を宣言。このスーパーカーの車体には、ひとによく似た機械の四肢が隠されている。
 リクゴウを踏み抜いた足先を支点として、青い車体が前転するように起き上がる。このとき魔族を向いた屋根側は、変形後の背面に相当する。
 思わぬ追撃の予感に、深緑の魔族は堪らず後退を選択するが、
「しまっ!?」
 逃げられはしない。リクゴウの足は依然として昆虫標本の態で大地に縫い止められている。
 変形機構を利用し、左足で敵の回避行動を制圧。腕力と撥条で全身を跳ね上げ、振り返りざまに右脚で回し蹴りを放つ。
 それが。
『超重延加拳、撥車(はねぐるま)』
 直撃を受けた魔族リクゴウが、奇声を発して吹き飛ぶ。勢いを殺せぬままに高層ビルに激突。表現を絶する断末魔とともに、生命反応を消失させた。深緑の甲殻は、間に入った腕ごと粉砕されていた。
 鮮やかな一撃必殺を披露しながら、スーパーカーは変形を終えていた。
「ロボット……?」
 廃墟と化した市街の隅で息を潜めていたことねは、夢のような光景に思わず呟いた。
 まさしくそれは機械仕掛けの巨人。スーパーロボットともいえるか。
 車輌形態の美麗な曲面と目映い青色を受け継いだ、芸術のような機体。目鼻口の揃った精悍な貌には光があった。
 巨人は自然体に構える。前腕と下腿に移動したタイヤを、慣らすようにわずかに回転。
「貴様は、いったい……」
 同胞を失った赤銅色の魔族オルピヌスが、唸るように問い掛ける。これまでに魔族が相手をしてきた“兵隊カースト”とは一線を画す形態と実力。
 全身に青を纏ったスーパーロボットは、威風堂々と声を張って名乗りを上げる。
『流派超重延加拳、スプリガン』
 己の戦いの流儀と、古い巨人の霊であるともいう妖精の名を。



      瞬転のスプリガン



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