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奈良時代
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奈良時代 (710年-794年)
唐の長安をモデルに、奈良に平城京を作った。 人々は良民と賤民に分けられ、賤民の中には売買の対象になる人々を奴婢(奴は、男性の奴隷。婢は女性の奴隷)と呼んだ。 農民は租庸調に苦しみ、北九州の防衛のため防人となった人たちは、旅費は自腹、給料も出なかった。 山上憶良「貧窮問答歌」(万葉集)
- 710 平城京
「あおによし 奈良の都は咲く花の におうがごとく 今 さかりなり」(万葉集)
米を重視し、水田開発者に便宜
- 722 百万町歩開墾令
- 班田の不足による
- 723 三世一身の法を定む
- 743 墾田永世私財法
- 741 聖武天皇が仏教の力で災害・疫病を鎮めようと国分寺・国分尼寺建立の詔(みことのり)を発する
- 良弁(ろうべん)(華厳宗) 東大寺の開山 756年には鑑真とともに大僧都に任じられる
- 745 行基 朝廷より日本最初の大僧正の位を贈られた。
- 752 東大寺大仏開眼供養 廬舎那仏金銅像(華厳経)
- 南都七大寺(大安寺、薬師寺、元興寺、興福寺、東大寺、西大寺、法隆寺)
- 南都六宗(三論宗、成実宗、法相宗、倶舎宗、華厳宗、律宗)
- 一切経の写経事業(公明皇后)
- 道慈(三論宗)
- 玄昉(法相宗)
- 754 鑑真和上来朝
- 戒律(「四分律」)を伝える(僧侶と在家信者を区別)
- 759 唐招提寺(金堂)創建(鑑真)
- 僧尼令
- 行基
天平文化
- 正倉院
古事記
- 我が国に現存するもっとも古い歴史書
- 711 国際国家としてのグローバルスタンダードとして天武天皇が指示
- 712 編纂:太安万侶(おおのやすまろ) 口誦:稗田阿礼(ひえだのあれ)
- 上・中・下の全3巻、総字数46,027字を4ヶ月で書き上げた
- できごとの継起的構成を重視し、時間的な辻褄があわない部分もある
- 漢字だけを用いて日本語を書き表す
- 太安万侶が訓主体の書記を開発 →「万葉集」へつながる?
- 漢文としての体裁が崩れ、国際的な価値を損ねた
- 表記に不完全さがあるため、本居宣長は『古事記伝』を完成させるのに31年を要した
日本書紀
- 720 天武天皇が指示 編纂:舎人親王
- 「古事記」が献上された8年後に30巻の日本書紀が完成
- 全巻漢文(中国語)で書き、「漢書」などの中国の史書の体裁に則ったものを意図
- 執筆は、中国人と日本人で分担
出雲風土記
- 713 元明天皇が地名・伝承・産物・土地の状態をまとめた風土記の作成を命じる
- 733 出雲風土記完成
万葉集
- 7世紀前半から8世紀中葉までほぼ130年間の歌
- 万葉仮名 (平仮名・片仮名のない時代に成立した非漢文のテキスト 2方式の書き方)
- 一文字ずつ表音的に書く
- 漢字の表意性を活かしながら一部に表音的な書き方を交える
- 「古語」回帰すべき正しい日本語 (本居宣長)
- この頃、国民の言語というものが成立していたはずはない
- 国家は存在しても、国民はまだ存在しなかった
- 地域間の言語は通訳が必要なほど多様だった