Giant Killing ◆j893VYBPfU


内から込み上げる何かは一切無視して、気合を入れ直す。
なに人間相手に動揺してんのよ。
…あたしらくもない。

両頬を叩いて、萎えた心に喝を入れる。

――あいつは、何かを狙ってやがる。
どうにも、そんな気がしてならない。

左耳は耳鳴りが止まず、足元は未だふらつき。
切られた尻尾からは、断続的に痛みを伝える。
早いとこ、メガヒールとかで治しとかないと流石にヤバいかもね…。

でも、そいつは後回しだ。
治療なら、あいつぶっ殺してからでもゆっくり出来る。
っていうか、人間相手に身を守るってのが性に合わない。
とはいえ、他に適当な鈍器引っ張り出して突っ込んでも、
さっきみたいなマグレがもう一度あるかも――。


『相応の惨めさで以て、逝く事で償え。』


おいおい。何あいつの妄言リフレインしているのよ?

ちょっとヤキ回ってない?
今のあたし…。


――だったら。


念には念を入れて、離れてぶっ殺せばいーじゃない?
それならこっちが万が一にも傷付くことなんてねーし。
よし、そいつでいこう。それがいい。
じゃあ思いっきり盛大に、逃しようがない程に。


――エトナ最強の奥義で、焼き尽くしてあげるわ。


意識を集中する。
体内に溜まる膨大な魔力を、二つの腕に集束させる。
両の掌で荒れ狂う、あたしの魔力塊。
それに、望む指向性と形を持たせる。
想像するものは、創造するものは。
全てを燃やし尽くす、灼熱の太陽。


『カオスインパクト』


このあたしの、最大の切り札。
これを前には、たとえ同じ魔神だろうがひとたまりもない。
殿下の魔王玉よりも、破壊力だけなら遥かに上回る。


――叩き付け、焼き尽くし、押し潰す。


膨大な光熱を伴う、魔力による質量塊。
あたしは、気を抜けば暴れ狂る魔力を制御しながら。
全ての魔力を注ぎ込み、その為の形と力を整える。


魔力が霧消しないように。暴走しないように。
ただその時だけは、意識をそちらへと傾ける。
魔法を行使する際の、意識の集中による高揚と忘我状態。
あたしはその感覚に身を任せる。軽く、脳が甘く痺れる。


――そうして、上空に現れたものは。


村の夜空を朱に照らし上げる、破壊の太陽。
その半径は、今は数メートル規模にも達し。
それはあと数秒の間に輪郭を整え、その形成を終える。
いつもだったら、数発でこの会場ごと吹き飛ばす威力があるけど。
今の出来は、せいぜいが村の一角を焦土にする程度でしかない。
これもまた、あたしに架せられた制限なんだろう。

でも、充分。これだけあれば充分。
あの黒いゴキブリを、逃がさず跡形もなく焼き尽くすには。
あいつの荷物も武器も残らず溶かしそうだけど…。
ま、いっか?他の人間から奪えばいいだけだし。

あたしはほんのすぐ後の未来を夢想し。
魔法への意識集中で恍惚となりながら。
ゆっくりと、黒いのに狙いを定め。
囁くような、甘い声色で――。


「キッチリ殺ってあげる…。」


最後に息を大きく吸い込み、詠唱の一言を――。


『待っていたぞ、その隙を――。』


唐突に、そんな声を聞いた気がした。
風切り音が急速に“迫る”、あたしの眼前に。
もちろん、これから打ち出すモノは遠ざかる為、
真上の太陽とも、これが生じた熱流とも違う。

これが意味する事は―――?!

迫る迫る迫る迫る迫る迫る!
魔法に傾けていた意識を目の前に戻すと、
あたしが欲しかった三叉の槍が。
今まさにあたしの口内に飛び込んでくる――?!

流石にそこは硬化しようもねーというか、そんな暇さえも
ああ考えているうちにもう目の前に槍の鈍く光る穂先が
「俺のをしゃぶりな、ハニー♪」と言わんばかりに突っ込んで
そんなもの入れたら死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死んじゃうって、
死んでたまるかぁぁぁぁあああああ!!

――詠唱を中断!太陽を打ち消し、意識を己自身に回すっ!

魔力を無駄使いしてしまったが、そんな愚痴言ってらんねえっ!
あたしは槍を睨みつけ、前歯を打ち鳴らす!!


ガキィィィィンン!!


あたしの顎が衝撃で持ち上がり、その刃の嫌な鉄味が舌に広がる。
ひふぁい。ひひゃひゃんひゃった。
(痛い、舌噛んじゃった)

――だが、

「ふぁ、ふぁふぃんふぇほはははがひのひっ!!」
(ま、魔神エトナは歯が生命!)

あたしは自分でも訳の分からない言葉を発し。
『硬化』した歯で槍を真剣白刃取り(?)を敢行。
その喉奥でぶっとくて長いのを堪能する事を防いだ。

あ、あ、あ、ああああああぶねーだろーがてめーが?!
そんなハードコアなプレイなんぞお断りだっつーの!!

あたしは口に咥えた槍を右手に持ち、
その返礼とばかりにそれを構えるも。


――あいつが、いない。


あいつは、
あいつは、


――何処いきやがった?


あたしは周囲を見回す。何処にもいない。
いや、そんな事はありえない。
すぐ近くに――。


べきべき、と。


轟音。
轟音が轟く。
振動が走る。
何処かから。
唐突に、何の前触れもなく。
あたしのまともな片耳に何かが倒壊する、
その実に耳触りな音を届け続ける。

めきり、
めきり、めきり、めきりと。
乾いた木が砕ける音、硝子や陶器類がけたたましく
割れまくる音が響き渡り、足場が激しく揺れ始める。
危うく転びそうになるも、辛うじて踏みとどまる。
でもこの騒音と振動は、一体何?


――地震?いや、それにしては余震すらない。


「何処だ、何処逃げやがったぁぁああああああ!!」


あたしは声を張り上げて、吠える、吼える、咆える――。
月面に向かって、村中にその怒りの声が聞こえるように。
人にあり得ざる存在の、人を凌駕する高次存在としての。
鬱陶しい下等生物に対する、ありったけの憎悪を込めて。

だが、返事はない。
というか、“真下から”続く轟音に掻き消される。


――真下から…、まさかっ?!


あたしは視線を真下に泳がせる。
それと同時に。


天井が見事崩落し、その足を滑らせながら。
乗っている屋根ごと、あたしは地に墜ちていった。


          ◇          ◇          ◇

「っがぁ?!…っつう。」


あたしは墜落し、したたかにその背中を打つ。
砕けた屋根が降り注ぎ、あたしに降り注ぐ。
背中から胸へと突き抜ける、形容し難い衝撃。
肺に残ってた空気が残らず叩き出され、
苦痛の呻き声を上げさせる。


――気が付けば、あたしは瓦礫の中にいた。


あわてて取り落したのか、デイバックを落としている。
不意を突かれて足滑らせたせいか、硬化が間に合わず右の足首を捻ってる。
ダメージは大したものじゃないが、これまでの外傷の中じゃ一番重い。
お尻も痣ができたかもしれない。


だが、そんな些細な事よりも。
人間ごときに不覚を取る、そんな事実の方が衝撃であった。


「――ウインドォッ!」


自前の初歩魔法を使い、纏わりつく瓦礫を吹き飛ばす。
狙いも何もなく、ただ暴発させ吹き散らせるだけなら、
さほど時間も詠唱もいらない。


視界が晴れる。束縛するものもこれでない。
――視線を、足元に落とす。

落とした荷は、すぐ傍に埋もれていた。
手にしていた槍も、当然のごとく無事だ。

あたしは槍を杖代わりに立ち上がろうとするが、
そのすぐ傍に――。


「私ならここだ、化け物。」


――振り向けば、奴がいた。


ぬけぬけと、悪びれる事もなく。
むしろ、これまで以上に尊大に。

これから屠殺される運命にある豚を眺める態度で、
まるで痩せこけた野良犬を見るような蔑んだ眼で、
尻もちをついている、このあたしを。


見下(みおろ)していた。
見下(みくだ)していた。


悪魔であるこの私を。
たかが人間の分際で。


――あの女と同じ、人間の分際で!!


だが、あたしはいいように傷付けられ、
軽蔑され切ってる事による怒りよりも。

立て続けに信じられない事を起こし続け。
今、まさにあたしを窮地に追いつめている
この黒いのの得体の知れなさに。

月明かりさえ厭うような、暗闇の甲冑を身に纏い。
その全身に返り血を浴びて、艶めかしい光沢を施し。
人間とも、悪魔とも言えない鋭利な殺意を突き付ける、
漆黒の騎士」としか言いようのない、今のその姿に。


「…てめぇ、本当に人間か?」


あたしは戸惑いと、悪魔にありえざる感情を抱き。


「何なんだよ、テメェー?!」


その湧き上がる得体の知れない感情を否定する為に。
悪魔が絶対に認めてはならないそれを掻き消す為に。
あたしは喉よ潰れよとばかりに、怒声を張り上げた。


          ◇          ◇          ◇

――如何にして、あれを仕留めるべきか?


私は、これまでの戦闘と会話の中で得た情報を元に。
眼前の悪魔の性格を分析し、勝機を模索していた。

――観察して、推察して、分析して、見極める。
戦闘では基本と言っても良い事柄だ。

そして、私が最も慣れ親しむ行為でもある。
相手を常に警戒しなければ、生きていけなかったが故に。
相手の顔色を常に伺い、常に模範解答を用意して
相手を操作する事が、私の生き方であったが故に。
それは、実に容易い事である。

あれの性根は殺人鬼のそれであって、騎士のものではない。
故に、己が殺される可能性に初めて気が付いた場合――。
相手を恐れ、同時に憎悪する。
遊戯が成立しないがゆえに。

所詮は遊び半分でしかない為、己が傷付く事を何よりも厭う。
己が安全の高みから、相手をただ一方的に惨殺する事を好む。

――故にこそ。

己がこちらに嬉々として攻撃を仕掛ける時は、優位を確信した場合のみ。
ああいう手合いは少しでも傷付く可能性を恐れた場合、攻撃すら控える。

所詮は小賢しいのみの臆病ものに過ぎぬ訳だが。
逆を言えば目先の利に執着するタイプとも言える。
そこに付けいる隙はある。

一方、人間を侮蔑する卑小な自尊心だけは高い。
ベオクがラグズを野蛮な半獣と侮り。
ラグズがベオクを卑劣なニンゲンと蔑み。
どちらでもないものを雑種の印付と忌み嫌うのに、
あの悪魔がこちらを侮蔑する感覚は近い。

それ以上に、何かしら私怨が憎悪を加速させている。
由縁は知らぬが、この憎悪も大いに利用できそうだ。

ただし。
付かず離れず。絶えずこちらの攻撃が届かぬ間合いを維持され、
なりふり構わず攻撃を仕掛け続けられれば、私は敗北する。

故に魔法を行使する際の意識を集中する隙を狙い、
『硬化』の及ばぬであろう口内を狙撃したが。
それでなお、仕留め切る事は出来なかった。

――それも、あまりにも出鱈目な手段で。
化け物故か、勘だけは人一倍鋭いようだ。


――今、逃せばこちらの敗北。


――捉えきればこちらの勝利。


そう考えて差し支えないだろう。
だからこそ。

私はこちらの戦場へと引き摺り降ろした。
周囲を瓦礫に囲まれた足場の悪い中では、
思うように機動性は発揮できない。
加えて、あれは右の足首を捻っている。
これは残された、こちらの最大の幸運。

故にこそ、瞬時に手の届かぬ所へ逃げるのは不可能。
今この場こそがあれの処刑場にして、
私に残された最後の勝機を得る場所。


私はこの唯一の機会を活かさねばならない。
『硬化』すら無為となす一撃によって。


ウルヴァンを脇に構えるが、あれが一向に立ち上がる様子はない。
こちらから、間合いを引き離す隙を窺っているのだろう。
『硬化』をしながらの後退は難しいのか、
あるいは得物の投擲を警戒しているのか、
動くに動けない焦燥がその貌にありありと浮かぶ。
流石に、先程までの攻撃が懲りたのだろう。


攻撃に転じる様子は、まるで身受けられない。
とはいえ、こちらが先に攻撃しても殆どは通じず、
『月光』では力を矯める隙を見て逃げ出すだろう。
そうなれば、勝機は完全に失われる。

勝敗の天秤は、未だ大きく揺れた中。
次の互いの取る行動が、勝敗を決する。


――ならば。


ここで今、あれの攻撃を釣り出し、迎撃するしかない。
それには、あれの心理を把握し、操作する必要がある。


――ならば、見せよう。人の剣術と言うものを。


          ◇          ◇          ◇


あいつが今、目の前にいる。

周囲には、民家の残骸の山。
間合いを取ってボコろうと考えているのだが、
あいつはその離れる瞬間を狙い澄ましている。

だから動き出せない。意識を集中しないと『硬化』出来ない以上、
始めの一歩を踏み出せない。何より、右足に踏ん張りが効き辛い。
下手に動けば、真っ二つにされちまう。

翼があっても、目の前で飛んだ所で良い的になるだけだ。
あるいは、その斧を投げつけられるか。

今は魔法も論外だ。距離が近すぎるので、構える時間がない。
使おうとすれば、さっきのようにその隙をあいつは狙ってくる。

何より、今このまま逃げてしまれば。
支給品を、あいつに取り逃げされる。
あいつに、反撃の武器を与えてしまう。
――それは、実に面白くない。

さっきさりげなくあいつが僅かに落とした視線は、
デイバックにしっかりと向いていた。
今逃げれば、確実にあいつに持ち逃げされてしまう。
あれだけやり合って、収穫はただ槍一本のみ。
しかも荷物を失って傷だらけという結果では、
あまりにも割に合わねー。


退くは損害。
征くも危険。


どうすりゃ、どうすりゃいい――?

「…冷や汗が流れているぞ。
 よもや、たかが人間風情に怯えでもしたか?」

悩むあたしに、あいつは挑発する。
脳髄が、瞬時に沸騰する。臓腑が煮え滾る。
下等生物に不利を見透かされた事に。
このあたしの無様を指摘された事に。
でもあたしは歯を喰いしばり、激昂を抑える。

やはり、今ここであいつを殺るしかねー訳だが。
あいつと足を止めて殴り合うってのが、実に気に入らない。

どうにかしないと。
どうにかしないと。

そんなあたしを侮ってか。
黒いのは、手元にある斧を傍の地面に突き刺し、


――――武装を、放棄した。


そして、こちらを手で招く。

「ならば、素手にて相手をしてやろう。来るがいい。
 それでなお臆するというなら、負け犬は背を向けて去れ。
 私の目に付かないところで、震えているのがお似合いだ。」

ガリッ…。

あたしはもう一度、奥歯を強く噛み締めて堪える。
顔が火照る。頬が紅潮し、怒りで動悸が荒くなる。
先程まで身体が冷え切っていたのに。
今度は煮え滾るように、憎悪で熱い。

――あの人間をバラしたいって気持ちに、歯止めが効かなくなる。

でも、ここは抑えなきゃならない。
認めたくはないが、あいつは凄く厄介だ。
眼を離せば何をしでかすか、全く見当が付かない。

素手の人間に悪魔が負ける道理なんてないが、
こいつはこれまで人間ではありえないような
離れ業を次々とやってのけてきたのだ。


――まだ、何かある可能性がある。


退くのが罠なのか?
征くのが罠なのか?

分からない。どっちがそうなのか。
あるいは、ハッタリかマジなのか。
脳ミソが沸点に到達している中での、疑惑という名の一片の氷塊。
これが、辛うじて気の短いあたしの攻撃を思いとどまらせていた。

でも、どちらにした所でどこまでも悪魔舐めくさった
あいつを確実にぶっ殺すって気持ちだけは揺るぎない。
その時期に、遅いか早いかの違いがあるだけで。

「どうした?この大口、塞いでくれるのではなかったか?」


…我慢が、そろそろ限界に達しつつある。


「それとも、そちらがもう一度咥える方がお望みか?モノ好きだな。
 今の私のモノは少々大きすぎるが、それは構わないのか?」


…ぷっちーん。


よし、決めた。ここで退くなんてありえねえ。
てめえは今すぐ死刑。マッハで死刑。
この槍、今度はてめえがしゃぶりやがれ。


あたしは尻もちをついた姿勢のまま、あいつに攻撃する機会を待つ。
音が後から付いてくる位の速さってやつを、思い知らせてあ・げ・る。


“漆黒の騎士”の肩が、僅かに動く。
 多分、何か仕掛けてくるのだろう。


ま、なにやらかすか知らねえけどさ。
どう転んでも、素手の人間相手に悪魔が負けるわきゃねえだろーが?
それが、あたしが殺る事を決めた最大の理由。
ハッタリなら、そのままみっともなく死ね。
もし罠なんかあっても、それごと押し潰してやる。

でもま、念には念を入れて。
油断を誘い、サックリと殺る。
安全かつ確実にぶち殺す為に。

でも、その方法は?
命乞い?駄目だろう。
こいつには見逃す理由が何一つない。
つーか、人間相手にあたしがみっともないからヤだ。

色仕掛け?論外だ。
たとえ嘘でも、あいつ相手に媚なんて売りたくねえ。
というか、あたしが脚線美自慢してた時も、
どこかしらあいつ、鼻で笑ってた気がする。
脳内で誰かと比較して、憐れんでる感じで。

あ、思い出したらさらにムカついてきた…。
だったら――。

あたしは不意を討つ他の手段を考えていると。
聞き覚えのある少年の、ハスキーな声が聞こえてきた。


「エトナさーん…。エトナさーん…。」


ったく、あいつ何しにこっち来たのよ?
まさか、あたしが心配で見に来たとか?

援軍というには、あまりにも頼りないのがやってきた。
でも、見るからに人畜無害で大人しそうなあいつが、
こいつぶっ殺す手伝いなんてするわけなさそうだし…。
むしろ、あたしの殺しを止める方向に動き出しかねない。
ってそうなると…。

レシィどいて!そいつ、殺せない!』

とかやらなきゃいけなの?
すげえ迷惑じゃん、それ。


…いや、待てよ?
――これは、“使える”!


「レシィ、こっちよこっちー!」


あたしは声のした方角に振り向き、大声で答える。
目の前のこいつに聞こえるように。
視線を、レシィに向けさせるように。


「…何?」


黒いゴキブリがそう呟き、僅かに首を動かす。
あたしの仲間に。あいつにとっての新しい敵に。
あいつは、敵の援軍に注視せざるを得ない。
レシィがどんな悪魔か、一切知らないから。

――意識が、僅かにあたしから逸れる。


その瞬間が、来た。
来た、来た来た来た。ついに来たああぁ!
あいつが致命的な隙を作る、その瞬間が!


偶然というか、あたしに転がり込んだ最大の幸運。
まったく、いー仕事してくれるわねレシィちゃん!
あとで活火山マーボー豆腐の残り汁ぐらいはおごったげるわ!


あたしは足を折り曲げ、勢いよくしゃがんだ体勢から。
痛む足を無視して強引に地を蹴り、槍を手に飛びかかる!


―ー狙いは、当然のごとく口。
そんなに人に咥えさせるのが好きなら、こんどはてめぇでしゃぶっときなボケ。
あとでてめえのもキッチリ切り取って、口に入れ縫い付けてやるから感謝しな?
そう脳内で呟き、あたしの殺意をぶつける。

風が悲鳴を上げる。音が置き去りにされる。
手にした槍が、身体が吸いこまれるようにあいつに向かう。一直線に。
あと瞬き一つの間に、あたしはあいつにディープスロートを敢行する。
三叉槍が喉から脳まで突き抜け、赤茶けたきったない汁をぶちまける様を夢想した、
その瞬間に。


黒いのが身体を捻り、一歩前に出る。
あたしの槍が躱される。見てもいないはずなのに。
いとも容易く、あっさりと。

そしてあいつは棒立ちから、
いつの間にか両手を上げて。

あたしの右手と槍が掴まれ、前へと引っ張られる。
踏み込んだ足がバランスを崩し、同時に何かに躓かされる。
あたしの身体が前のめりになり、飛び出した勢いのままに地面へと近づく。
一体何が起きたか、と。それを理解する前に。
顔面から、地面へと盛大に叩きつけられ。


がこん、と。


あたしの右肩から、実に不愉快な音色が響き――。


豪快に、外れた。


「っんぎゃああああああああぁぁぁ!!!!!」


――気が付けば。
あたしは地を舐めていた。
真上には、“漆黒の騎士”。
奴の肘があたしの右肩の上に添えられ。
全体重を掛けられ、関節を破壊された。

その右手には、あたしの持っていた槍。
ついでに、武器まで奪われちまってる。

「やはり、関節には『硬化』も及ばぬか」

脱臼の激痛にのたうちまわるが、
背中から押さえつけられるため、
どれだけ暴れても、こいつを振りほどけない。
構造上、背中にはどうあがいても力が入らない。
むしろ、靭帯がさらに軋み、千切れていく。

ごきごき、と。
ぶちぶち、と。

あたしの右肩を、さらに致命的に曲げながら。
あたしの悲鳴もまるで聞こえないかのように。
さも無感動に、黒いのは呟く。

このあたしを、さらに壊しながら。
身体と気力、その両方を蹂躙する。
徹底的に、容赦なく。


「な、なんで…。ひぃ、ひぎいいいいぃぃぃぃいいいいぃぃぃぃいいい?!
 放せ、せぃ、ててめいがぁぁあああぁああぁぁぁぁぁぁぁああっ……!!」


――理解、できない…。


今、あたしはどうしてこうなっている?
今、あいつが死んでなきゃおかしいのよっ!?

でも、なんであたしが地面を舐めて這い蹲っている?
そして、なんであいつが上にのしかかっている?

あたしは確実に、あいつの不意を突いていた筈なのに?
あいつがレシィに気を取られ、振り向いた隙を狙ったのに?

何故?
どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?
どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?
どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?


一体、何が起こったの?
漫画の別々のシーンを、無理やり繋ぎ合わされたような理不尽。
それが今、リアルに私の身に降りかかっている。


混乱する思考に答えを与えたのは――。
皮肉にも、“漆黒の騎士”。


「素手だからと侮ったか?
 人の剣術においては、互いが足を止めての
 組打ちや無刀取りという術技も数多くある。
 一度で人を壊し切れぬ、非力な人故の補いの内一つだ。
 ただ威勢に任せぶつかり合う貴様ら悪魔には、
 想像だに出来ぬだろうがな。」

「あるいは、攻撃が見透かされていた理由か?
 その程度の事すら、貴様には分からぬのか?」

肩に堪え難い激痛を与えながら。
みっともなく涙と鼻水を流し続ける私を前に。
黒いのは、溜息を付きながら呆れ声で答えた。


「貴様は分かりやす過ぎる。
 直線的すぎる殺意の発露。
 表情、目線、呼吸、揺れる髪、筋肉の緊張…。
 攻撃位置と前兆を、何より雄弁に語っている。
 …もっとも、そう仕向けたのは私だがな。
 貴様は卑劣だが、裏を返せば安全を確信すれば容易く攻撃に転ずる。
 その程度の詰まらぬ殺人鬼を前に、純正の騎士が注意を切るなど
 ありえるとでも思うか?」


着ているクズ鉄よりも冷やかな声が、あたしの片耳に木霊する。
そして、今にして理解してしまう。

釣られたのは、あいつじゃない。
釣られたのは、このあたしなんだ。

あいつは、注意を余所に向けた振りをして。
あたしの攻撃を誘っていたのだ。
あたしを視界の隅に残しながら。


――なんという、無様。


「相手さえ完璧に把握してさえいればな。
 いかに神速だろうと見切るのは容易い。」

「一言で言えばな。全て経験と直感の賜物だ。
 半生を戦闘に置いたもののみが身に付けられる。
 殺しすら遊び半分でしかない貴様には分かるまい?
 脆すぎる人間が、それでも恐怖を噛み殺し。
 鋭刃に身を晒してなお前に出るその意味を。
 ただ頑丈なだけの貴様には、永久に理解出来まい?
 …人の剣術というものは。」

破壊は続行される。
悲鳴は無視される。
絶叫は黙殺される。
激痛が、感じる限界を超える。

ぶちんっ、と。


「ぎぃあああああぁぁぁあぁぁあああああぁああぁぁぁああああああ!!
 あ、ああっ…。い、いたっ、いだあああああぁぁぁああぁぁぁぁあ!!」


右肩が外れる。靭帯が千切れる。
完全に。
右肩が不自然に長くなり、痛み以外の全ての感覚が無くなる。
右腕はくっ付いているだけで、もう二度と動かないだろう。
オメガヒールで直したって、もう無駄だ。

それは自分の身体だからこそ、理解できる。致命的損傷。
魔法も使えない。猛烈な痛みが邪魔をして集中が出来ない。
立ち上がろうにも、先程のあれで足まで更に悪くしている。
逃げる事すらままならない。
まともに戦える力は、何一つ残っちゃいない。


――つまりあたしは、敗れたのだ…。


人間ごときに。
悪魔のくせに。


あたしがオンナとして、あの女に敵わなかったように。
今度は殺し合いで、この男に敵わなかったってことか。


結局、あたしって人間に勝てないホシに生まれたのかな?
と馬鹿な妄想を抱いてしまう。ここまで理不尽も極まると。
レシィが今更になってあたし達の様子を遠目で見て、
慌てて駆けつけるのが見える。でも、もう遅い。
あたしはもう、殺られてしまう。

バッカねえ、アンタもう来るんじゃねえよ。
一緒にぶち殺されるわよ?
心中で毒付くも、もう立ち上がる気力すらない。
もういいや。勝手にしやがれどちくしょうが。

あいつはあたしの背中に軽く刃を当て、薄く裂き。
『硬化』の防護が失われている事を確認すると。

漆黒の騎士は、あたしを手離して、立ちあがる。
槍をその手に、ゆっくりと首にあてがい。
あたしを片足で踏みつけて、抑えながら。
これから、まさに斬られようというのに。

痛みで身体が動かない。
気合がまるで入らない。
――でも、それ以上に。

『こいつには、どうやっても勝てない。』

そう思ってしまった瞬間に気合も根性も全て萎え、
『硬化』も『暗黒闘気』も失われてしまった。


「戦意喪失か。戦いも、ここまでだな。」


――あたしの首元に、穂先を向けられる。


「才なく心なく刀剣を弄んだ愚物。相応しき惨めさで逝け。」


槍を振りかぶる気配を感じる。
きっつい罵倒の言葉が来るも、それすらどうでもいい。
まー、自業自得っちゃ自業自得だし、仕方ないっか?
なんていうか、ホントのチートはあたしじゃなくって、あいつ?
あいつの言っている事で、辛うじて理解できるのはそんなところ。

そういや『硬化』と『暗黒闘気』を伝えた魔界の格闘家の開祖って、
人間界から修行にきた伝説の格闘家だったって与太話があるけど…。
案外、本当にこーいう出鱈目な人間の類だったのかもしんない。

あたしは、ふとそんなどーでもいい事を唐突に思いだし。
自分を哂った。まー、そりゃ勝てるわけねえわ。
肩ならしでいきなりババひいてりゃ世話ねえし。

あー。でも、くそだりーなー。
レシィ来る前に、さっさと終わらせてくれねーかな?
殺るなら殺るで、あの子が来る前にさ。
あたし生きてると、巻き込んじまうだろ?

あたしは投げ槍に、視線を土煙が立つ方向へと向けながら。
そんなどうでもいい事をぐるぐると考えてはいたが――。


背中から感じた衝撃で、意識は途絶えた。

113 FullMetalDemon 投下順 113 Knight of the living dead
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113 FullMetalDemon 漆黒の騎士 113 Knight of the living dead
113 FullMetalDemon エトナ 113 Knight of the living dead
最終更新:2011年01月28日 15:13