FullMetalDemon◆j893VYBPfU
――さぁて、と。殺るかぁ?
あたしは満面の笑みを浮かべながら、
目の前にいるスカした黒いゴキブリの
料理方法をあれこれと考えてみる。
絞殺扼殺殴殺撲殺轢殺斬殺刺殺射殺焼殺爆殺氷殺圧殺屠殺。
活け造り残酷焼きハンバーグ骨付きカルビトマトジュース。
――どれがいっかなぁー?
――どれにしよっかぁー?
ねえねえ?そこのアンタはどれ選ぶ?
うーん。あいつに選ばせてやるってのも、
なかなか乙なのかもねー。結構悩むわ…。
もしあいつがどれも嫌がるってんなら、
一通り試してみるってのもアリよね?
ま、原型留めてねーかもしれねーけど?
はぁー、考えるだけで軽くイッちゃいそー♪
それともアレだ。人間界のごく一部で流行りの
豚の物真似で命乞いとかさせて、『豚は死ね♪』
とかやってみるのもいいかもしんない 。
ま、こっちも元々ある程度活きが良い相手じゃねーと、
あたしの体力どこまで落ちてるかわかんないからね?
ヴォルなんとかにこっちに呼び出された時から、
枷みたいなのが嵌ってるのには気づいていたけどさ。
さっきまで一緒にいた七三とか人相悪そうなお兄さんじゃ、
殺る気がなさ過ぎて参考にすらなりそーにねーし。
そういう意味じゃ、あたしの慣らしにゃ良い相手な訳よ。
クソ生意気そうな、潰し甲斐のあるアレは。
あたしは舌舐めずりしながら、そこかしこにある使えそうな“武器”を探す。
人間にゃ無理でも悪魔の腕力なら、建造物はなんだって武器になる。
その点、村ならアイテム拾いたい放題だ。
支給品など、ハナっから関係がない。
――そして。
見ぃーつけたぁー♪
悪魔のあたし向きって言えそうな“武器”が。
人間のあいつが一番嫌がりそうな“鈍器”が。
あたしは“それ”を担ぐと、いかにもアナクロそうな黒いのに向き直る。
他にも攻撃に適した“武器”はいくらでもあったのだが。
その武器を選んだ理由はあいつへの嫌がらせを兼ねた、
悪魔的な刺激に満ちた「お遊び」のつもりだった。
――だが。
あたしが最初から警戒して全力を出さずに、
そこで遊びを持ち込んでしまったことが。
手痛い失敗の原因になるとは、思いもよらなかった…。
◇ ◇ ◇
私は槍を反転させ地面に突き立て、
返り血に染まった大斧を構え直す。
探していた槍は、確かに手に入った。
だが、私はあえてこの局面に置き斧を選ぶ事にした。
本来、私は斧よりも槍のほうが扱いに習熟している。
単なる術技の引き出しなら、槍のほうが遥かに多い。
なにより、攻撃における速度が桁違いに変わる。
だが、私は師の形見と共に戦場を駆け抜けたいと願った。
自ら手にかけておいて、おこがましい限りではあるのだが。
唯一人で戦場にいるよりは、何かと共に在る方が心地良い。
――それに、なによりも。
振るうごとに師の形見の扱いを心身で理解し、
己と斧とが一体と化していく感覚。
己と師が一つとなるようでもあり。
今はまだ、捨てたくはない。
――今は防具として用をなさぬが、この鎧も同様だ。
人間は他者との繋がりにより、初めて自己を形作る事が出来るという。
ならば、世界を創り上げた女神とその住民より存在を否定された私は、
“
漆黒の騎士”と呼ばれ畏怖・憎悪される事でしか、己の存在を確立出来ない。
“世界に仇を為す者”として。
“魔道に堕ちた剣士”として。
かつて私がそうであったように。
今もまた、そうであるしかない。
私の名(ゼルギウス)に意味はない。
私が何者(漆黒の騎士)であるかこそが、今の私の全てである。
敵対するという関係で以て、初めて私は他者と繋がりを持つ事が出来る。
既に馬脚を現した偽りの“英雄”など、今更誰一人求めはしないだろう。
だからこそ。この鎧を捨ててしまえば、私は何者でもなくなってしまう。
これこそが私を私たらしめる、唯一無二の鋳型にして証明。
この私が溶け出さぬように、私が私であり続ける為のもの。
私は我が主との思い出と共に、最期までありたいと願う。
多少の戦術上の有利不利など、知ったことではない。
それに、何より予感めいたものがあった。
この敵相手には、速度に秀でた槍より、
破壊力に優る斧こそが望ましいと。
私は己の戦人としての勘に従い、
大斧を構えなおすと――。
目の前の赤毛の小娘は、足元にある何かを掴み、
軽く一振りして両手持ちの棍棒のように構えた。
あの小娘が凶器として拾ったものは――。
人間の、死体。
それはかつて暗黒皇帝と呼ばれた、比類なき強敵の死骸。
あの救い難く愚かな下衆は、騎士の戦いを穢し抜き。
――
ハーディン殿の、死後の尊厳を踏み躙った。
「ま、武器としちゃ中々悪くない感じじゃない?
関節曲がるから癖あるけど、慣れりゃそこそこ使えそうね。
ちょっと脆そうだけど、スペアもすぐ調達できるからいっか?」
赤毛の悪魔は、棒術の披露でもするように。
それは実に軽々しく、その死体を振り回し。
此方を心底見下し、口元を釣り上げて哂う。
己の剛力を誇示する為に。
此方をただ威圧する為に。
人間の死体には鈍器ほどの価値しかないと、
己の悪意に満ちた嗜虐を訴える為に。
――我が認めた獲物を、死後もなお弄ぶつもりか?
害意というものが湧き出る。
憎悪というものが滲み出る。
悪意という悪意を、あの小娘に感じる。
どこまでも、見下げ果てた下衆だ。
だが、あれに人の倫理や武道など問うだけ無駄であろう。
もし、こちらがその外道に憤慨して見せたところで。
あれは不快感を与えた事実に、ただ歓喜するのみ。
こみ上げる私憤は抑制し、戦人としての理性のみをこの場では働かせる。
“あれ”は、あの小娘にとっての鈍器。
死体を選んだのは、あれの趣味嗜好によるものだろう。
大半の人間は、死体を必要以上に弄ぶ事に不快感を抱く。
あれはそういった生理的嫌悪感を煽り、こちらの攻撃を緩めさせる
意図も含まれてはいるのだろう。下劣だが、効果的な手段ではある。
下手に打ち合えば、間違いなく死体はこちらの手で損壊するのだから。
そして半端な攻撃では、死体の重量に得物ごと押し潰される。
これは人外の膂力と倫理を嘲弄する人間性を併せ持つ存在にのみに許された、
まさに鬼畜の所業。“悪魔”との呼び名は、決して伊達ではないようだ。
血潮が急激に熱を失う。
脳漿が急速に凍て付く。
臓腑が煮え滾る灼熱の憎悪ではなく、
心臓が凍結しそうな程の極寒の悪意。
私は、実に珍しい事に。
――眼前の下衆に、殺意というものを抱いた。
赤毛の殺人鬼は地を駆け、この私に襲い来る。
私もまたその動きに合わせ、斧を担いで地を駆ける。
その動きは、実に左右対称を為す。
「ぶっ殺ぉぉぉぉぉおおおすっ!!!!」
見るもおぞましき鈍器を担ぎ上げ、迫り来る。
僅かに残った、赤黒い血を撒き散らしながら。
元は皇帝だった死体が迫る。
私の生命を奪わんとすべく。
私の肉体を壊さんとすべく。
だが。
――こちらを舐め過ぎだ、化け物が。
私はその大上段から袈裟へと振り下ろされた慮外の一撃を見定め。
相手と鏡合わせに構えを取り、寸分違わぬ軌道で斧を振り下ろす。
あれの一撃は、ただ得物の重量と速度にものを言わせた原始的な一撃。
対する私の一撃は、威勢こそ劣るものの無駄をそぎ落とした精密狙撃。
二つの一撃は、中空にて接する。
そしてその一方が弾き落される。
当然の結果として。
――あれの鈍器が。
死体はその軌道を大きく逸らされ、虚しく地に堕ちる。
常識外れの力を加えられ、その地面を陥没させながら。
原型を留めぬほど、その身を損壊をさせながら。
――その胸から、黒い宝珠が転がり落ちる。
破壊力、速度ともにあれが優ってはいた。
だが、その一撃の優越を覆すなど容易い。
原因は、互いの得物が最大の破壊力を発揮する打点と時期にある。
あれの攻撃は、最初からこちらの頭蓋を狙った一撃。
対してこちらは最初から迫り来る死体を狙い、
そのベクトルをそらす事のみを試みる。
無理に受け止める必要はない。
元より、戦闘用に特化された稀代の名斧と、無駄の過ぎる肉製の鈍器。
たとえどれだけの剛力があろうとも、効率よく運用せねば意味がない。
戦場では無駄や遊びの少ないものが勝利する。その差は歴然であった。
「――ぬぁにぃ?」
あれが、憤怒と驚愕に醜く顔を歪める。
だが此方は敵が動揺から立ち直る前に。
振り下ろした斧の下端と竿で、敵の得物を抑え込みながら。
そのままに前進、悪魔の懐に奥深く入る。
右足を踏み込み、身体を低く沈み込ませ。
その身を一つの鉄槌と見立て、打ち振るう。
沈めた全身の発条が、弾けるように伸びる。
――狙いは、その顎。
貴様が屑鉄と貶したものの重みを、思い知れ。
何かが、息を飲む音が聞こえる。
一瞬後の衝撃、異様なる手応え。
たとえ今の甲冑に防御力はなくとも、
重さのみは本物であるがゆえに――。
重装歩兵による衝突は、それのみで必殺の凶器たり得る。
元より千切れかけた、肩の装甲がひしゃげ落ちる。
あれの顎が大きく跳ね上がり、数歩たたらを踏む。
私は、あれが受けたであろうダメージを確認する前に。
両腕を交差させたまま、その無防備となった右脇腹へ。
側面下方より師の斧を、渾身の力にて振り抜く。
その肩に残る、両腕に伝わる、確かなる手応え。
――仕留めた、と思うのも束の間。
胴に駆け抜けた斬撃は、確かに小娘の右胴を捉えはしたが――。
私はそこで、信じられぬものを見た。
◇ ◇ ◇
撃ち落とされた?
あたしの一撃が?
軽く痺れた手の感触と、唐突な理不尽に疑問を感じたのも束の間。
鈍器が持ち上がらない。黒いのが近づいてくる。訳が分からない。
――気が付けば、キスでもできそうなほど間近に奴の顔が迫る!
マズイ、マズイ、何かがマズイ!――。
あたしは瞬時にその身を『硬化』させ、その攻撃に備える。
反撃とかは捨てる。今これこそが、あたしの最大の防御。
鉄球でも打ち込まれたような、不快な音を立て。
あたしの顎に、あいつの肩がめり込む。
衝撃が顎を突き抜け、脳にまで伝わる。
でも、かすり傷一つ付かない。
悪魔だから当然の事だ。
あっぶねー、あっぶねー…。
いっきなり何してくれてやがるのよコイツ?
そう軽く悪態を付くヒマすら得られず。
続けて斧が跳ね上がり、あたしの脇腹を狙い撃つ。
『硬化』。乙女の肌にゃ、かすり傷一つ付きやしない。
でも、中身だけは別。硬化も何も及ばない。
頭と胃の中で小さなプリニー隊が踊り狂う、
実に気持ちわりー違和感が残りやがる。
――ちっ。思ったより活きが良過ぎるわね、コイツ…。
この
エトナ様にここまでやらせるだなんて、さ。
黒いのは驚きに目を見開く。でも、それは一瞬の事。
黒いのは矢継ぎ早にその斧を振り下ろし薙ぎ払い斬り払う!
次々と甲高い音が響き渡り、あたしはその勢いに押されてよろめく。
打撃や斬撃に傷付く事こそないが、流石に衝撃までは殺し切れない。
脳天、脇腹、股間、首筋、側頭部、両手首、向う脛――。
様々な攻撃が全て違う場所に、まるで出鱈目なリズムで入る。
ったく。人が大人しくしてりゃ、やりたい放題やってくれるわね?
だがあいつの動きがあまりにも滅茶苦茶すぎて、
全身の『硬化』を解き反撃する機会が掴めない。
攻撃は未だその休まる所を知らず、もう一度側頭部へ一撃が迫る。
だが。手がすっぽ抜けたのか、斧の腹が迫るのが視界の端に映る。
――はっはーん。あんまり効かないから、焦ってドジ踏んだのね?
それとも、へばってきたって所か。なんにせよ、これで終わりね。
あたしはその攻撃が終わる頃合いを見定める。
そして、私刑を始める瞬間を夢想し、
勝利を確信した笑みを浮かべた瞬間。
パァン、と左側で軽く何かが破裂したような音が響き。
あたしが唐突に痛みを感じ、意思に反して膝が落ちた。
―――――ィィィィィィィィィン。
甲高い耳鳴りが起こり、頭がふらつく。視界が安定しない。
訳も分からず、その体勢を大きく崩した所に――。
黒いののボロボロの鎧が、耳触りな軋み音を上げ。
装甲のいくつかが内側からの力で弾け、崩れ落ち。
バカみたいに研ぎ澄まされた、殺意の集束を感じ。
「……っ光――。」
異常な気迫を乗せた言葉が、かすかに届き。
月輪を思わせる閃刃が、あたしに迫り来る。
はっ、今のまぐれ当たりでチャンスだとでも思ったの?
今更てめーが何やっても効く訳がねーだろーが?
あたしはそう嘲りの笑いを向けるつもりが――。
不意に悪寒が走る。
唐突に怖気が走る。
体温が急激に十度は下がったような、酷くおぞましい錯覚。
肌から感じる寒気ではなく、心臓から滲み出る寒気。
身体の血が氷水のように凍え、毛穴という毛穴が緊張で引き締まる。
――こんな異様な感覚は、今まで一度も感じた事がない。
あの超魔王バールに、初めて喧嘩を売った時にすら――!!
“殺される?”
あれだけは、致命的に“ヤバい”。
あれだけは、絶対に受け止めちゃならない。
そう囁く、乙女の直感。
あたしは、ふらついた身体に鞭打って。
その脚の力だけで、強引に後方に大きく飛び退き。
真横に薙ぎ払われた斧が、あたしの尻尾を掠める。
あたしは大きく跳躍してクルクルと宙転しながら、
小さな民家の屋根に着地して、その場に腰掛けた。
…冷や汗が頬を伝う。凶の気配は消え失せた。
――今、もしかしてさりげなくヤバかった?
あたしは時間稼ぎの為に、見下ろしながら口を利く。
何故だか、あいつの攻撃で身体の調子がおかしい。
だったら、あいつの手が届かない高さでタイム入れないとね。
「…ま、結構いー線いってるわね。あんた。
ハッタリだけじゃないってのは認めてあげるわよ。」
あたしは、未だに続く左耳の耳鳴りと痛みは無視しながら
満面の殺意に満ちた嗜虐の笑みで、あいつに微笑みかける。
…あいつに弱みなんぞ、欠片も見せたくねえ。
「…そうねぇ。相手がゼニスキーやマデラス辺りなら、
制限とか無しでもなんとかなったかもねー。」
「…制限?ああ、やはり貴様“も”そうなのか。」
何かに非常に納得したように、独り大きく頷く黒い奴。
ま、あたしが本来の力が出ていないってのは理解したみたいね?
でも、なんかあたしに向けられた言葉じゃなさそうなのが
すげームカつくんだけどさ。
「…でもま、結果は見ての通りよ。
あんたがどんなに足掻こうが、人間だから叶わねーの。
あたし達悪魔の戦士はね、気合と根性さえ入れれば
身体をすぐにでも硬くさせられるのよ。金属よりもね。」
「あとはまあ、暗黒闘気って奴?
あんた達人間の柔肌と違って刃物や銃だって弾き返せるから、
防具なんてあんまり意味ないのよ。だからね、みーんな身軽。
ま、あたしってば身体にも結構自信あるのよねー。
第一、この健康美あふれる脚線美を隠すだなんて罪よね、罪。
身体中にクズ鉄まとわなきゃ簡単に壊れる、あんた達とは違ってさ♪
要するに、根本的なレベルが違い過ぎるのよ。…絶望的にね。」
あたしは、先程の異常事態にその疑問を隠し切れていない
(その割にはあまり驚いてないのがムカつく)黒いのに、
あえて悪魔の秘密を教えてやる。
もちろん、フェアな戦いとかそういう馬鹿馬鹿しい理由じゃない。
『原因が分かってもどうにもならない』っていう、
圧倒的な恐怖と絶望を教えてやるためだ。
なんかこういうのって、こっちだけズルしまくって
無敵モードみたいで最っ高に気持ちいいからねー♪
「もし悪魔をどうしても殺りたいって言うのならね?
目一杯勢い上乗せした一撃で、硬くなった身体ごと叩き割るか、
悪魔の力で何十発でもタコ殴りにし続けるしかないって訳。
…だからさ、さっきのは偶然でも結構いい線行ってたのよー。
もっとも、全然力足りてねーけど。」
あたしは薄笑いを浮かべて宣告する。決定的な悪魔と人間との違いというものを。
あいつが余程の馬鹿でもない限り気付くよう、その絶望的な物量差というものを。
――きっちりと、言い聞かせてやる。
「その一方でさ。あたしは捕まえさえすりゃ一発で、
あんたをスクラップに出来るだけの力があるの。
…さっきの死体みたいにさ。
で、それまでの間にあんたはどれだけ当てるつもり?
百発?
千発?
万発?
億発?
さらにはね、速さも全っ然違うのよ。今みたいにね。
あたしがその気にさえなりゃ、触れる事さえ出来ないのよ。
あたし殺りたいならさ、もうちょっと努力しないとねー?」
そう。悪魔の戦い方ってのはそーいうものである。
相手が硬いなら、それ以上の馬鹿力で粉砕すればいい。
落下星やアバランシュのような槍技は、
大地裂きや乱れ散り花のような斧技は、
まさにそれを狙っている。
要は、どっかの熱血少年誌みたいな限りないインフレ合戦というか、
相手を圧倒できる質量を用意出来た方が必ず勝てる。
逆を言えば、理論上あの黒いのは絶対にこちらに勝てないのだ。
所詮人間は、それだけの物量(パワー)を用意できない存在だから。
仮に用意出来たとしても、その力に身体が耐えられないだろうから。
だからこその、
カーチスとかのサイボーグだったりするわけだろうけど。
…
ゴードンは抜きにして。あいつは例外、規格外。
本来、魔神以上のクラスともなれば不随意でもその『硬化』が働く。
以前、あたしが
ラハール殿下の寝込み襲った時でも。
円月刀で全身を切り刻み、
ガトリングガンで撃ち捲り、
モーニングスターで殴り付け、
ドリルで抉っても傷一つ付かないという
珍現象が起こったのもそれが理由である。
ただし、それでも呼吸が外れると拳銃弾一発で死ぬ事もあるから
流石に無敵とまでは言えないし、その為に一応防具も存在はする。
さらには、今ではその硬化にも制限が課されており。
魔神クラスのあたしですら、強く“硬化”を意識しなけりゃ
無敵の防御力場も上手く働かないようである。
当然、四六時中硬化に意識なんか集中し続けられない。
そればかり意識し過ぎれば、注意や動きまで鈍っちまう。
もしかして殿下とか
フロンちゃん、息吸うみたいに
硬化することが当たり前すぎて慣れ切っているから
意識して硬化させるなんて初歩中の初歩、
却って忘れちゃているかもしれない。
中ボスは、顔見た限り素で忘れてたみたいだけど
「その場のノリで」とか言い出しそうだよねー。
ま、これについては態々教えるつもりはねえ。
敵に塩送りつけて喜ぶマゾなんかじゃねーし。
そんな馬鹿、いるならぜひ顔を拝みたいわね。
――だが。
黒いのはあたしの答えに絶望に打ち振るえるどころか。
むしろ、嬉々としてその低い声を弾ませていた。
「ほぅ。ご忠告、実に痛み入る。
言わば雄牛の戦い(ブルファイト)のように、
真っ向勝負で突き合い、その守りを打ち砕く…。
それが、そちらの世界での戦士の作法という訳か。
貴様はともかく、悪魔達の戦い方への姿勢には
心より戦人として敬意を表そう。」
どこか楽しげに、からかうように。
黒いのはあたしに語りかける。
だが、その口から分かるように。
あいつはあたしを恐れていない。
それどころか、あたしなど眼中にすらない。
無関心なのだ。敵にすら値しねーとか言わんばかりに。
「――そして、道理で。道理で弱いはずだ。
その硬化に頼り切り、見切り躱す事もないなら当然の事か。」
そのこちらを見下げまくった口調に、殺意が湧く。
こいつ、現実が見えているの?
それとも恐怖でイッちゃった?
「しかも、その硬化すら完璧には程遠い。
そして、硬度を無視できる斬撃にも無力。
『女神の祝福』程の奇跡の御業ではない。
少なくとも、貴様はアシュナードよりは弱い。」
黒いのは何かに納得し、まるで勝利を確信したかのように。
聞いた事もない単語を並べ、独り勝手に頷いてしまってる。
やがて、黒いのはまるで出来の悪い子供に諭すように、
ゆっくりと噛み締めるように口を開いた。
「…はっきりと言おう。
たとえ貴様を斃すのに何撃必要かなど、さしたる問題ではない。
貴様の一撃は、永久に届かぬ一撃だからだ。
私は一度たりとも当たらずに斃せば良い。ただ、それだけの事。」
おい。
おいおい。
おいおいおい。
――こいつ、もしかしてもの凄い馬鹿?
途轍もない妄言。
物理現象をも無視した現実逃避。
奴の誇大妄想は、ここに極まる。
あたしの口は、しばらくの間あんぐりと開いていたが。
少ししてから、ようやく現実の世界へと帰還を果たす。
ああん?てめー、何いつまでも気持ちよくラリってやがる?
状況わかんねーほどに大馬鹿者なのかてめーは!
――あたしが、そう吠えようとした矢先に。
――鋭い痛みは、あまりにも遅れてやってきた。
後退が遅れて、刃を掠めた尻尾の半ばが――。
あたしの目の前で、唐突にぽとりと落ち。
まるで別の生き物のようにのたうつのを見た。
「ッんぎゃああああああぁぁぁぁぁッ?!!!」
思考が混乱する。
理性が錯乱する。
知性が迷走する。
感情が暴発する。
唐突の理不尽に。現実をガン無視したその展開に。
決してありえない事が、たった今身に起きている。
――人間は、悪魔に決して勝てない。
これは条理であり常識。覆しようがない摂理。
水が低い所へと流れるように。重力でモノが落ちるように。
物量が違いすぎるのだ。だからもうこれはどうしようもない。
あのゴードンやカーチスですら、殿下に迫る戦いは出来ても
やはり最後まで勝てなかった。
――だが。
条理すら曲げる不条理が、今起こりつつある。
起こりようのない奇跡が、今目の前にある。
あたしの混乱が多少醒めたせいだろうか?
尻尾を切り落とされた痛みが鮮明さを増す。
耳鳴りは未だに止む気配がない。
頭もまだ少し酔ったままだ…。
――まさか、あの時の打ち損ないで?
もしかして、これまでの滅茶苦茶な攻撃も
最初からこれを狙って?
――こいつ、一体何者なの?
まるで、まるで人間じゃあない…。
だからといって、悪魔でもない…。
今、あたしに何が起きている?
今、あたしは何に痛がっている?
わからない、わからない、わからないっ!?
混乱する思考を余所に、本能は警告を発する。
あたしのこれまでの人生の中で、最大音量で。
――あれは危険だと。
――あれには近づいてはならないと。
――あれには関わってはならないと。
黒いのは、実に冷やかにこちらを下から見下ろし。
まるで、こちらを心底憐れむかのように口を聞く。
「悪魔の剛力も硬化も、この私には不要。」
「第一、精神力で硬化を為すと言うならば。
硬化など関係がない攻撃を続ければよい。
あるいは、完全な形で貴様の不意を討つ。
ならば、気合も入れようがあるまい?」
黒いのの言葉に、私は何故か寒気が走る。
あいつの放言など、知ったことじゃない。
こっちの攻撃は、かすめるだけでバラバラになるっていうのに。
あっちの攻撃は、硬化した身体には傷一つ入らないというのに。
またいざとなれば、大きく避けるスピードだってあるのに。
参加者の製品カタログがもしあったりするのなら、
あたしに負ける要素なんて何一つないはずなのに?
だからこそ、妄言の類だと無視してもいいはずなのに。
――なのに、なのに。
あたしの無敵のボディが、今罅割れを感じつつある。
たった今斬り落とされた尻尾が、その可能性を語る。
――悪魔の常識が、今まさに覆されようとしている!
それに。さっきも感じた、身体の内側から突き上げる、
この血が遡るような酷い寒気みたいなものは、一体何?
流れる冷や汗が止まらず、背筋が凍り付くのは何故?
この黒いゴキブリと、どうして距離を置きたいと思い始めている?
このあたしが、人間ごときに?
そんな動揺する私に、奴は心より蔑んだ声で
死刑を宣告した…。
「これ以上、生き恥を晒す事もあるまい?
所詮はただの殺人鬼に過ぎぬ貴様が、
騎士の戦場を踏み荒らしたその愚行。
相応の惨めさで以て、逝く事で償え。」
最終更新:2011年01月28日 14:30