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比嘉 朝美(ひが ともみ:1959年11月1日-2011年7月24日)は
南西放送の元アナウンサー。
沖縄県出身、コザ高校→琉球大学卒。
沖縄電力を経て、1993年開局と同時に
アナウンサーとして入社した。
だみ声ながら、司会業頼まれることが頻繁。アナウンサー生活末期には沖善社という葬祭業のナレーションも務めた。
これが退社の引き金になったとされる。
比嘉は結婚後の姓で、結婚前は喜久山、弟は琉球朝日放送で働いていた(南西放送に就職志願歴あり)が、重大事件[要出典]で解雇された。
2011年7月24日、逝去(51歳)、アナログ放送とともに生きた人生だった。
南西放送時代の担当番組
エピソード
他局視聴推奨事件
2004年3月18日、
宮里真紀子アナのピンチヒッターとしてプラス1を担当、その番組の最後に
「このあと7時から興奮して10時から泣いてください」とコメント、当然裏番組となるサッカー(女子五輪最終予選:琉球朝日で放送)と白い巨塔の最終回(
沖縄テレビ)のことをさしていた。
結果2番組とも沖縄県内においても高い視聴率を取る一方で、南西はその日のゴールデン・プライムの2時間帯で
琉球放送やNHK沖縄総合にも負けて最下位。
後日厳重注意となった。
このため、今でもヘイリーのアメージング・グレイスを聞くとあの日の失態を思い出すと語っている。
最終更新:2011年07月26日 00:22