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ケンザロス

 西方の大国。
 ルア帝国の北側に接する。ルアに劣らぬ強力な軍隊を保持し、ルア帝国に対抗できる数少ない国のひとつである。
 文化の高い国であり、国土も肥沃で、シュトラ街道を通って送られて来るさまざまな地域の品々によって豊かな暮らしをしている。首都はフレイヴン。




ケンザロスの体制





ナウルデュノン戦役以降のケンザロス概史 (5600年代〜5700年代)

 ケンザロスの現在の姿がいかに塑成されたものかを理解するには、ナウルデュノンの戦いとその影響を知ることが不可欠である。この戦いは、かつて西方に戦乱を招いた古き大国ルアが、長い静穏を破って新興のケンザロスへ襲いかかったことによりおこなわれた。ケンザロスにとっては建国以来始めて受けた本格的な侵攻であり、初めて体験する本格的な戦争となったものである。

 ルア帝国は、ケンザロスが勃興するはるか以前に神聖体制のもとで西方全土に及ぶ覇権を打ち立てた時期を有する。しかし神聖体制終了後は概して内向的な時代を送り、西方の波乱の要因となることを極力自省しているかのようであった。同じ時期、西方にはいまひとつの大国であるプロミシアがあり、栄華と没落とを繰り返しつつも強大なルアに対峙し続けていたのだが、やがて起こったアウロゾーンの戦乱のなかで、その血脈は途絶えてしまう。プロミシア滅亡後の地政的空白を埋めたのが、北方より移住してきたフラン人たちにより創始されたケンザロスである。当時のルアはちょうどアウロゾーンの戦乱を経て国力の衰微期にあり、ケンザロスはこの眠れる強国に煩わされることなく繁栄の足掛かりを築くことができたのだった。
 ケンザロスが他国との諍いを持たないまま次第にその基盤を固めつつあった一方で、ルアは回復の活路を南方に求めていた。大規模な遠征軍を編成したルアは、大陸南端のルーベンサウマーに侵攻。王都ハイアテッドを陥落させてルーベンサウマーの属領化に成功する。これによって大陸海の交易路を確保すると、ルアは西方侵攻の野心を実現させるに足る余力をふたたび拡充するに至り、その無慈悲な眼差しをついにケンザロスに据えることとなる。
 かくしてナウルデュノンの戦役は始まった。

 戦争初期、ルアの軍勢はケンザロス国土深くへと侵攻し、一時は首都フレイヴンへも迫る勢いを見せた。しかしケンザロスは、執政シリオルの全権指揮のもとに反撃をおこない、帝国軍を南部へ押し戻すことに成功する。この間にシリオルは友邦ボズノールへと伝令を発しその参戦によって帝国を東から脅かした。帝国軍は後退し、ナウルデュノンに戦線が形成される。シリオルはケンザロス最大の要害であるバーンド・ルリア城を拠点に前線で軍略を繰り広げ、激しい攻防の末にナウルデュノンの奪回を果たす。一方のルアはナウルデュノン東部域を手中に収め、帝国北辺領として辺境軍団を常駐させた。これ以降、両者は戦争続行の体力と意欲とを著しく失って戦線は膠着、停戦交渉もないまま、両国の激戦はひとまず中断されることとなった。
 ケンザロスの防衛にラランが関与したのかどうかは明らかではない。ラランはリア・レイアスを挟んでフレイヴンの後背に位置するが、諸国家の動静には不干渉を貫徹してきた。しかしケンザロスが陥落しルアの支配下に落ちるようなことがあれば、心性魔術という異質な魔法文化を持つ帝国との衝突はラランにとって避けられない事態となるだろう。ラランが極秘裏にケンザロスを援助した可能性が囁かれるのはこの所以である。実際、後に東荒野の魔術師たちがケンザロスを脅かした際には、ラランは魔法使いを派遣し、ケンザロスの戦いを助けている。もっともこのときは侵略者が魔術師だったからでもあって、国家間の戦争にラランが加わったことは歴史上皆無とされている。神聖体制時代のルアは、西方全土を掌中に収めた際にも、ラランへは手をださなかった。現在のルアがかつてと同様にラランを扱うつもりなのかは不明だ。しかし、魔法使いたちに外敵の動向を過小視する楽観的な傾向があるという見方は、まったく無根拠なものというわけではない。ラランが外部の社会へ関わりを持たない方針を維持し続けるのは、強大な力で世俗社会を乱したくないという自制よりも、何者も自分たちの脅威にはなり得ないだろうという過信によるところが大きい。

 この戦役がふたつの国および西方諸地域へもたらした影響は広範だが、第一義的にはまずもってルアとケンザロスの現在の国境を定めたものとしての意義を持つ。
 北大陸において、国の覇権領域がこれほどまでに明確に区分されている場所は他にない。通常、国家間は帰属の曖昧な領域や未開地域を広く挟んでいる。西方諸国のように比較的文明化された国家においても、その覇権領域は概して都市単位で定まり、国の範囲は面としてではなく点の集合として求められる。しかしルアとケンザロスの軍勢が対峙する前線は互いに認知可能な明確な境界を成し、この境界を挟んだ南北を両国の領域として定めることができる。これは国家間相互の交渉によって定められたものではなく、戦争終結時の戦線がそのまま事実上の国境となったものである。一部には河川が自然国境となっている部分もあるが、ほとんどは両者の暗黙の認知によってつくられた人為的なものだ。そうした境界ははっきりした単線としてあるわけではなく、双方が応急的なものとして築いた防塁や馬防柵、空壕といった数々が幾重にも並行し重なり合って、全体としての曖昧な国境帯を形成するものである。合意を介在せず、激戦の残留物という事実性にのみ依拠した国境だ。
 エスタモス山地からラウエンノウム、ナウルデュノンを経てテロン山塊へと至る長大な国境帯は、現在に至るまで双方の守備兵以外の接近を厳禁とされ、絶えざる巡視によって再度の衝突に備えている。


 たとえ仮初めのものであったとしても事実上の停戦を迎えることができたケンザロスは、ふたたび起こるであろう戦いを懸念しながらも、総力戦からの緊張を解かれ、体勢の修正に身を振り向ける余裕が生まれた。
 それまで他国からの侵略をほとんど予想もしていなかったケンザロスがこの戦いから受けた損害はきわめて大きく、戦後は早急の国力回復が最大の課題となった。ケンザロス防衛に大きく貢献したシリオルは引き続き執政としてこの難題に当たり、国政の全面的な改革に取り組んだ。
 シリオルの定めた目標は、何よりもルアに対抗し得る兵力を整えることであり、そのためにまず全土的な課税体制の確立による国庫増大・安定化が図られた。国力回復の基盤として重農主義的施策が推進され、南域を中心とした大々的な開墾奨励による穀物増産、農作物の国内流通の自由化などが実行されることとなった。
 軍改革においてまずおこなわれたのは、常備兵を主体とする選抜軍団の編成である。さらに、再度ルアが侵攻してきた場合への防御を恒久化するため、辺境守備軍を新たに創設。対ルア防衛上の最重要公土を司るナウルデュノン公を、バーンド・ルリア要塞に常駐する辺境守備軍総指揮官に充て、南境防衛に専任させた。
 戦時下体制に引き続いてのこうした軍組織改革により、ケンザロスは全土的な安全保障体制を確立した。ルアの全面的侵攻という事態に恐怖を喚起させられた列公は、強力な常備軍を管轄する中央政府のもとへの従属を余儀なくされ、王権は揺るぎないものとなる。

 一方でシリオルは、ルアに対抗するにはケンザロス一国では限界があるとも考えていた。南東には古くより盟を結ぶボズノールが位置していたが、遠方であること、またルアの他に不安定要素を残さないとの考えから、当時交流を持たなかった東方の国・ラダカーンへの接触が試みれらた。
 ケンザロスにとっては、支配階層が魔術に専心し神権政治をおこなうラダカーンはルア同様に異質な文化の国であり、王宮にはラダカーンへの接近を危惧する者も少なくはなかった。またラダカーンは閉鎖的な国でもあった上に、ボズノールとの間にバジネアの帰属をめぐる争議を問題として抱えてもいた。しかし王宮の意見は、ラダカーンに妥協することは可能でも、ルアと分かり合うことは永遠に不可能との結論に達する。幾度にも及ぶ困難な外交交渉の末に、ケンザロス、ボズノール、ラダカーンの三国はルア帝国に対して結束する必要性を共有し、ラダカーンの都アザラスにて三国間の盟約が結ばれることとなった。
 この同盟はケンザロスの安全保障に貢献するのみならず、ラダカーン・ボズノール二国との交易を増加させ、商業の発展を促すことにもつながった。

 シリオルに始められた内政諸施策はその後も代々の執政により継続されていったが、戦争直後こそ軍や租税の制度改革は準戦時下体制的な説得力をもって広く理解を得ることができたものの、その基盤として目論まれた農業生産は一朝一夕に増加できたわけではなかった。一方で、同盟諸国との遠隔交易は次第に国内の関連産業を活発化させ、これに伴う金融業の発展とも併せて、交易の恩恵を享受する商人・貴族勢力の発言力を増していった。外交と通商を国力増強の源泉と考える者たちは重商主義的政策への転換を志向するようになり、二大都市バルスアおよびケイレンディスで勢力を増しつつあった商工組合の強い影響を受けながら、保護貿易の推進や商工業への非課税などを主張し始めた。
 これらは一定の範囲で導入され、その結果、シリオルの描いた道筋とは変わりはしたものの、常備軍を安定的に維持するだけの国庫財力が整うことにつながった。しかし同時に、南部の農産地と北部の商業諸都市との経済格差や、商工組合の強大化および為政層との癒着などの問題を招くことともなった。
 このようにして重農主義者と重商主義者との対立が生まれ、その後も双方の勢力の多寡によってその都度の実行政策が影響されるという構図が続くこととなる。
 また政治情勢の面においては、戦時下からそのまま引き続いた執政職への権限集中が、諸々の制度改革とその速やかな実行を果たすことができたという利点を持った一方、王宮内の他の有力者たちの不満と反発を潜在化させることとなっていた。執政中心の体制を是とする執政派と、王を頂とし諸高官へ均等に権力が配分された状態への回帰を求める王権派との綱引きが続いた。王権派といっても一枚岩ではなく、伝統的な王権のあり方を尊重する者や、勃興する商工層とつながりさらなる権益拡大を図るなかで執政弱体化のために王権をいわば利用しようという立場の者とに分かれ、執政派や地方列公を含めた政争の複雑化を生みだすこととなる。こうした政治派閥は、先述の経済施策の重心をめぐるふたつの立場とも混じり合い、現在に至るケンザロス宮廷内の権力状況を彩る主たる区分を成している。


西方大戦時点におけるケンザロスの宮廷諸派 (5700年代末期)

王権派重商主義者
 急進派
商工組合・元老院との強い関係。伝統主義者。門閥貴族。王権重視というより、反執政。ラダカーンを政治的に重視。対ルア強硬派。
主な人物:紋章官長ドルファン(反執政派貴族層の主導者)
 穏健派
ドルファンとは一部で共闘、一部で対立。王権重視。
執政主導体制をそれなりに認めているが、その権限は縮小すべきと考える。門閥貴族。国内産業の保護を重視。
主な人物:ケイレンディス公シャルゾン、バルスア公シャルク
王権派重農主義者
王権重視。プラグマティスト。実定法推進派。王立学院、学術協会との強い関係。商工組合の廃止を目論む。
ラダカーンを貿易面で重視するが、政治的にはむしろ不信視。対ルア慎重派、ただしルアへの謀略工作を重要と考える。
主な人物:秘書官長オブニアード(反執政派官僚の主導者)
執政派
プラグマティストかつ伝統主義者。王室は重視しているが、執政中心の政治実行体制を有効なものと考える。
同盟国・友好国との均衡外交を推進。対ルア慎重派(一部には強硬派も)。
主な人物:エクハーゾン公センディルス、その他官僚の多数、列公の一部
執政自身 (執政ハイネス)
重農主義。プラグマティスト。財政規律重視。ボズノールを政経両面で重視。対ルア慎重派。
概して執政を支持。対ルア慎重派。
主な人物:ナウルデュノン公デュア、親衛騎将アステルタイン









最終更新:2012年04月30日 10:25