チェンジ・ザ・ワールド☆
雨の日に〜1−4
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1-4
本村は元気な女性だった。食事の途中であった岡部と坂井は微妙に冷めてしまったパスタやスープを食べながら、本村のアメリカでの様々な話しを散々聞かされた。
すっかり料理も食べ終わりコーヒーのお替わりもした頃、時計の針は二時を回っていた。
「あのすいません、ちょっと失礼します……」
岡部はなかなか言い出せなかった言葉を、本村の会話の隙をやっと見つけて言った。ずっとトイレを我慢していたのだ。
「はい、どうぞ。でね、春香……」
本村は笑顔で言うと、坂井に向かって話しを続けた。
岡部はトイレに入ると一息ついた。
本村の会話は岡部にはなかなか辛いものがあった。何を話しているのか理解するのに一瞬時間が掛かる上、コロコロと話題が変わるため結局何を言いたいのかが分からない。要するに脈絡の無い会話をただ楽しむというものだ。
用を足し洗面台で手を洗いながら鏡に映った自分の顔を見て深呼吸をすると、また岡部の脳裏に不思議なビジョンが浮かんできた。
暗闇の中、若い女性が歩いている後ろ姿が見える。街灯が一つぽつんと見えるが、それ以外には灯りらしきものは何も見えない。
女性は高そうなブランドのバッグを右手に持ち、下着が見えそうな程丈の短いスカートを履いている。女性は街灯の下辺りを歩いているはずなのに、全く進んではいない。
「……っ? な、何なんだ、一体……」
岡部は背筋に冷たいものを感じながら、捻った蛇口から勢い良く流れる水を見つめた。
「どこかで、会った事がある……?」
自分の口から出た全く意味の分からない言葉に岡部はひどく狼狽した。恐ろしい考えを振り払うと、急いでトイレを出た。
バカバカしい。
「岡部さん」
岡部がドアを開けると、目の前に本村が立っていた。
「本村さん……」
トイレは店の奥にあり、細い通路の一番奥にあるので先程座っていた席からは死角となっている。
「岡部さん、良かったら携帯番号とアドレス教えて下さい」
にこにこしながら自分の携帯を出した。
「えっ、番号って……」
「嫌……ですか?」
悲しそうな目で見つめられて嫌とは言えず、困惑したまま岡部は自分の携帯番号とアドレスを本村に教えた。
本村は自分の携帯に岡部の番号とアドレスを登録すると、
「やったぁ、岡部さんの番号教えてもらちゃった。後で私の番号とアドレス、メールしときますね、ちゃんと登録して下さいよ?」
そう言ってウインクすると、女性用トイレの中へ滑り込んだ。
テーブルへ戻ると、坂井が申し訳無さそうに頭を下げた。
「岡部先生すみません。理絵ったらうるさいでしょう?」
「い、いえ、とんでもないです。楽しいですよ」
岡部は慌てて坂井が頭を下げるのを制した。
「へえ。珍しい事もあるもんだーーー」
びくりーーー
急に頭上から聞こえてきた、聞き慣れた低い声に岡部は肩を竦めた。ゆっくりと振り返ると、加藤が不気味な笑みを浮かべている。
「え、あ、か加藤。あのこれはな……」
「あれー、どなたですか?」
そこへ丁度本村が帰ってきて、加藤はますます口角を上げ、ニヤリと笑った。
「こんにちはお嬢さん達。俺は岡部の友人の加藤です、よろしく」
加藤は岡部の肩を掴み、立ち上がろうとしていた岡部を強引に椅子に座らせると、自分も岡部の隣りの椅子に座り、本村と坂井を交互に見た。
「ーーー随分若いね、それに可愛い。お嬢さん達こいつとどういう関係?」
可愛いという言葉が嬉しかったのか、坂井と本村は嬉しそうに微笑んだ。
冷や汗を拭う岡部を他所に、加藤と坂井、本村の三人は会話を弾ませていた。
「加藤、お前仕事は……?」
「ケチ臭い事言うなよ、仕事の合間の息抜きってやつさ」
何故加藤がここにいるのかを知りたかったのだが、そんな事は聞かせないとでも言うかの勢いで、加藤は若い女性二人と話しを続ける。良く会話が成立するなと岡部は感心した。
どれほどの時間が経過しただろうか、ちらと窺うと遠目に店員が不機嫌そうなのが分かった。長い事大声で話し込んでいるのだ、店側にしてみれば早く出て行って欲しいのだろう。
「あの、そろそろ店を出ませんか?」
やっとの思いで口を開くと、岡部は再び時計に目を落とした。
三時二十分ーーー
どうりでデザートの甘い香りが先程から漂い始めたはずである。
「そうですね、出ましょう。お店にも迷惑がかかるし……」
坂井は今だとばかりに立ち上がり、ごねる本村をなだめた。
岡部はレシートをさっと取り、加藤と先立ってレジへ向かった。
「岡部先生、いけません!」
お金を払おうとする岡部に追いついた坂井が、財布を出しながら岡部の手を押さえた。
「いいじゃないですか、食事代くらい払わせて下さい。映画は坂井先生のおかげでタダで観れたんですから」
「でも……」
微笑む岡部の顔を見上げ、坂井は困惑した。
「いいんですよ、本当に気にしないで下さい」
坂井は胸が締め付けられる様な感覚を覚えた。
「すみません、御馳走さまです」
「やだー、私もおごってもらっていいんですか? 悪いわ」
坂井の背後から顔を出した本村は、何となくわざとらしいセリフを吐いた。
「ええ、いいですよ」
岡部は微笑みながら頷いた。
坂井と本村は坂井の家へ向かう事となり、四人は店の前で別れる事になった。別れ際坂井は岡部に何か言おうとしたが、強引に腕を絡めてひっぱる本村に邪魔され、口をぱくぱくさせるだけだった。
「あ、そうだ忘れる所だったーーー」
本村はすっと坂井から離れると、加藤と岡部の前に立ち、微笑んで右手を差し出した。
岡部は不思議に思いながら右手を出すと、急にぐいと引き寄せられ頬に柔らかいものが触れた。
「ちょっと理絵! 何してるのよっ!?」
呆然と何が起こったのか把握出来ないでいる岡部と本村を引き離しながら、坂井が声を荒げた。
「そんなに怒る事ないでしょ? さよならの挨拶しただけなのに」
「ここはアメリカじゃないのよっ!? す、すいません、岡部先生ーーー」
「えっ? あーーー」
そこで漸く自分が本村にキスされたのだと気付き、慌てて隣りに立つ加藤を見上げる。
ニヤリと笑う加藤に、坂井の束縛から逃げた本村が近付いて手を差し出す。
「さよなら、加藤さん。春香が怒るから、握手だけ」
そう言って笑う本村と握手をして、加藤も笑う。
「ああ」
「じゃあ、また!」
元気良く歩き出した本村に引きずられる様に、坂井は何度も謝りながら頭を下げた。
「気を付けて」
軽く手を挙げて二人を見送り、二人が離れると、岡部はため息を吐いた。
「お前モテモテだな」
「はあ、どこがだよ……からかって遊んでるんだよ」
そう言ってチラリと視線を上げる。
加藤は体格がいい。こうして二人立っていると、よりはっきりと自分との身長差にため息が出る。
毎日外を歩き回るおかげで肌は浅黒く日焼けし、子供の頃からやっている柔道のおかげで筋肉質だ。身長が高い所為もあって、まるで壁が歩いている様に見えてしまう。町で肩がぶつかっても文句を言って来る人間はまずいないだろう。本人は厳つい顔をしていて醜男だと思っているようだが、きりりとして男らしい顔だと岡部は思う。
「加藤、そう言えばお前、今日は仕事非番なのか?」
岡部の質問に加藤は苦笑いをして答えた。
「いや、この前殺された被害者の実家に行ってた帰りに、偶然お前を見つけたんだよ」
「そうか……でも俺道路に背を向けて座ってたのに、良く気が付いたな。それに若い女の人とあんなにお前がスラスラしゃべれるなんて、知らなかった……」
「はは。仕事柄あちこちに目を光らせてるし、色んな年齢の人と会話するからな。その辺は得意だーーーおい、岡部……」
ふと小声で加藤が呼んだ。不思議に思い加藤を見上げると、どこかを見つめている。
岡部は加藤の視線の先を辿った。
するとそこには歩いて行く坂井と本村、そしてその二人を物陰からじっと見つめる男がいた。
ベージュ色のトレンチコートを着て、中折を目深に被った背の低い中年の男だ。あからさまに様子がおかしい。
「ちょっと職質かけてくる」
「あ、おい加藤!」
そう言うや否や加藤は足早に男の死角に回り込み、視線が曲がり角へ消えて行く坂井達に向いている事を再確認すると、ポンと男の肩を叩いた。
岡部も慌てて加藤の後を追う。
「警察ですけど、ちょっといいですか?」
思わぬ所から手が出てきたので、男はそれこそ飛び上がらんばかりにひどく驚いた。
見上げた先にいる大きな男に警察手帳をつきつけられ、ひどく狼狽えた様子で視線を泳がせる。
「な、何だね?」
冷静を装ってはいるが、動揺しているのが手に取る様に分かる。
「いや、質問してるのはこっちですよ。お名前聞かせて下さい」
加藤が警察手帳を背広の懐にしまい込み、右のポケットから小さなメモ帳を取り出そうと手を入れた、まさにその瞬間だった。
「あっ!!」
男はものすごい勢いで走り出した。
「待てっ!」
加藤はそれこそ鬼の様な形相で男を追いかけ出した。
岡部は一瞬どうしてよいか分らなくなり、加藤が消えた曲がり角を見つめたが、仕方なく後を追うことにした。
男はかなりの脚力の持ち主だった。見た目では五十代前半ぐらいだと思われたが、一向に追いつかない。運動不足の岡部は途中で追いかける事を諦めた。よしんば男に追いついて岡部が確保した所で、刑事でもない自分に何かあって加藤が責任を問われる事にでもなれば本末転倒だ。
肩で息をしながら前方に目をやる。男の姿も加藤の姿ももう見えなくなっていた。岡部は壁に寄りかかり、息を整えようと深呼吸をした。
こんなに走ったのは一体どれくらい振りだろう。もしかしたら高校生以来かも知れない。
かくかくと笑う自分の膝に苦笑していると、加藤が戻って来た。
「加藤……」
「運のいいヤツだ、途中でトラックに遮られて撒かれちまった……くそっ!」
忌々しそうに吐き捨てると、加藤も上がってしまった息を整えた。
「逃げるなんておかしいよな」
「当ったり前だ、後で商店街の防犯カメラの映像を鑑識に回して、絶対あの野郎突き止めてやる!」
加藤はスポーツなら何でも得意だ。走るのも、陸上部と良い勝負をするくらい早いのだ。そんな加藤から運が良かったとはいえ、逃げおおせた男はやはり怪しい。
「あ〜くそ、ムカつくっ!」
そう言うと、加藤は懐から煙草を取り出した。
続く…
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