チェンジ・ザ・ワールド☆
雨の日に〜2章−1
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2-1
第二章
薄暗い部屋のベッドの脇で、男はぐったりと項垂れていた。
「お願い……します。ゆる……して……下さい」
蚊の鳴くようなか細い声が静かな室内の空気を揺らした。
くすっ……
小馬鹿にした様な笑みを浮かべベッドに腰掛ける女は足を組み、目の前で項垂れる男の肩を蹴った。
「うっ……」
ドサリーーー
と男は人形の様に力なく倒れると、啜り泣き始めた。それを確認すると女はゆっくり立ち上がり、男の頭を踏みつけた。
ぐいぐい、ぐいぐいと、何度も踏みつけてはさも楽しそうに口元を綻ばせた。
男は呻きながらも女に蹴られながら、軸足に縋り付く様に這って行った。
「もっと蹴って下さい……お願いします……僕を、捨てないでーーー」
ピタリと動きを止め、足にすり寄る男の顔を両手で引き離し、女は爪で男の頬を引っ掻いた。
痛みで男の顔が一瞬歪む。
泣き出しそうな男の顔を見ると、女が口を開いた。
「もう二度とあんな真似しないで、もしやったら……」
にやりと笑い、女は男の耳元に口を寄せ、
「殺すわよーーー」
と甘い声で囁いた。
男はその言葉に恍惚の表情を浮かべ、ふるふると体を小刻みに震わせた。
「あ……あーーー」
岡部は非常に困っていた。本村理絵から毎日の様にメールがくるのだ。しかも本村は岡部の返事も待たずに、今日の夜に食事をする約束を勝手に取り付けたのだ。
「はあーーー」
大きなため息を吐き、机の上のパソコンに目を落とす。開かれた画面には算数の文章問題が映し出されている。
もうすぐ塾で二ヶ月に一度の定期テストが行われる為、その問題作りに講師達は追われているのだ。岡部は小学三年生から六年生までの算数と理科を担当している。
自分が子どもの時分には塾に通う子どもは少なかった様に岡部は思う。田舎の町だ、中学受験などする子どもは殆どいなかったし、幼い頃から塾に通う様な家は大抵金持ちと相場が決まっていた。
幼い頃に両親が相次いで病死した為親戚の家で育った岡部は、伯父や伯母に迷惑をかけない為にも塾などには通わず公立の高校を受験し、大学も自分自身で勉強し奨学金の試験を受け、安い下宿に入りアルバイトをしながら国立大学を卒業した。伯父や伯母はとてもいい人で、子どもがいなかった事もあり岡部を自分達の本当の子どもの様に育ててくれたのだが、やはり岡部には伯父達に大学の費用まで出してもらいたくはなかった。伯父達はそう思わないだろうが、迷惑を掛けたく無かったのだ。
大学を卒業して地元に戻り塾に就職した岡部は、亡くなった両親が岡部の為にこつこつ貯めていた貯金の一部を使い、一人暮らしを始めた。伯母は一緒に暮らしたいと悲しんだが、自分達はもう成人した岡部の保護者である必要は無いし、自分で決めた事なら好きにしろと、伯父は岡部の自立を喜んでくれた。
伯父達の家から車で十五分位の所にアパートを借りていたので伯母はたまに訪れては食事を作ってくれる。岡部が可愛くて仕方がないのだ。
「はあーーー」
岡部は再びため息を吐く。
メールを受信した携帯のバイブが机の上で響いたのだ。
メールを開く。
ーー今日の午後九時に駅前で待ってます
「岡部先生」
背後から声を掛けられ、岡部は慌てて携帯を隠した。振り返ると坂井がそわそわと落ち着かない様子で立っていた。
「坂井先生、どうしました?」
「あの先生もしかしたら、理絵に携帯の番号とか無理矢理聞かれませんでしたか?」
「えっ? い、いえーーー」
岡部は何故か嘘を答えてしまった。坂井は訝し気に岡部を見つめる。
別に坂井に隠す必要はなく、むしろ正直に答えて坂井から本村に頻繁にメールするのを止める様諌めてもらう方が良いはずだ。嘘をつく必要は全くない。
岡部は慌てた。早く撤回せねば。
「あっ、いえ、違うんです。その、本村さんから携帯の番号とアドレスを聞かれたんですけど、その……無理矢理とか、そんなんじゃなくて、ですねえーーー」
しどろもどろの岡部の様子を見て、坂井は困った様にくすりと笑った。
「すみません、岡部先生……あの子ったら先生に失礼な事を……悪気は無いと思うんですけど、本当にすみません」
「と、とんでもないです」
岡部は手を顔の前で振り、今日の食事に付いて来てもらう様にお願いする事にした。
「あ、あの坂井先生。実は今日の夜に本村さんに食事に誘われてるんですけど、坂井先生もよろしければ一緒に行きませんか?」
坂井は驚いた顔をして、ちょっと考えた。
「あの……ご一緒して理絵を叱りたいんですけど、今日はまだ定期テストの問題作りが終わってないので、次回ご一緒させて頂きます。理絵には私から電話しておきますから……本当にすみませんーーーあの子のペースに合わせてると疲れますから、適当に断って下さいね。岡部先生お優しいから断りにくいかも知れないですけど」
そう言うと坂井は優しく微笑み、教室を出て行った。
適当に断るーーー自分にそんな器用な事が出来るだろうか。
今でも十分本村に振り回されている自分に、岡部は脱力した。
約束の九時を十分程回って、本村は現れた。相変わらず吸い込まれそうな瞳は遠くからでもすぐに本村と判る。向こうも岡部を見つけると満面の笑みを浮かべ、手を振りながら駆け寄って来た。
「岡部さーん! ごめんなさい、待ちました?」
本村は黒のスーツを着ていた。肩からは大きめのバッグが下がっている。
「いいえ……何だか荷物が重そうですね」
岡部の言葉に本村は自分の格好を上から眺めると、小首を傾げた。
「今就職活動中なんです。せっかくだから英語を活かした仕事がしたいんですけど、こんな田舎じゃなかなか無いでしょう? だから思いきって都会で探そうかと思って……」
岡部達の町から特急電車で一時間程行けば、人口百万を超す日本の大都市の一つ、福岡市だ。もちろん仕事も田舎とは比べ物にならない程たくさんある。
岡部達の住む堂ヶ崎市の人口は精々十数万人で、その五人に一人は高齢者だ。
「そうなんですか。いいお仕事が見つかるといいですね」
「ええ。じゃあ行きましょうか」
本村は岡部の腕に自分の腕を絡めると、ぐいと引っ張りながら歩き始めた。
続く…
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