チェンジ・ザ・ワールド☆
雨の日に〜2−2
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2-2
十五分程歩くと、目的の場所に到着した。立派な門の脇に
日本料理 わひろ
と書いた小さな看板があった。
名前は聞いた事がある。この町一番の高級料亭だ。昔天皇陛下がこの町を訪れた時にもわざわざ食事をしに立ち寄ったのだと、伯父に聞いた記憶がある。
何度か車で前を通過した事はあったが、岡部はここが店だとは気が付かなかった。なぜならそこは昔ながらの数寄屋造りの建物で、看板も表札の様に小さなもので目立たないのだ。普通の立派な民家だと思っていた。
木の扉を開けると入り口まで点々と石畳が続いていて、立派な瓦の屋根が年代を感じさせる。石畳の隙間には落ち葉が挟まり、何とも風流だ。
「いらっしゃいませ、本村様。お待ち致しておりました」
入り口の大きな扉を開くと、着物をきっちりと着こなした女性が三名、正座をして深々とお辞儀をした。そのうちの一人、一番上等そうな着物の女性がすうっと立ち上がり、それを合図に他の女性も立ち上がった。
呆気にとられている岡部を他所に、本村は慣れた様子でパンプスを脱ぐと、岡部を促した。
「さ、岡部さんこっちよ」
岡部は急に恥ずかしくなって来た。自分がとんでもなく場違いな場所に来た様な気がして、靴を脱ぐ動作もスムーズに行かない。
なんとか靴を脱ぎ、本村の後を追いかける。
長い廊下は家をぐるりと一周する様に造られていて、廊下の中央には立派な中庭が拵えてある。中庭の庭石から植木から竹に至るまで、全てが計算され尽くされた美しい配置で客を迎えている様だ。いや、実際にきちんと計算されて造られているのだろう。
「さあ、どうぞ」
本村に背中を押され、部屋の中へと入る。部屋は畳十畳程の広さで、開け放された障子とガラス戸の向こうにはこれもまた先程の中庭と同様に立派な庭が見えていた。
室内には背の低い年期の入ったけやきの座卓があり、落ち着いた濃紺の座布団が向かい合わせに置いてあった。
「今日は天気も良うございますし、お庭を眺めながらゆっくりお食事をして頂こうと思いまして。今朝から庭師を呼んで手入れをさせて頂きました」
岡部の後ろから付いて来ていた先程の上等な着物を着た女性が、そう言いながら床の間に備え付けてある有明行灯に火を付けた。
「女将さんいつもありがとう」
本村は座布団に座ると、岡部にも座る様勧めた。
岡部は女将が部屋を出て行くのを確認すると、本村を不思議そうな目で見つめた。いまいち状況が把握しきれないでいる。
「あの、本村さん……」
岡部に名前を呼ばれ、本村は岡部が何を言わんとしているのかに気付いた。
「ああ、ここは私の父が良く食べに来るお店なんですよ。私も子どもの頃から良く父に連れられて来てたんで、女将さんとは昔からの知り合いなんです」
「失礼ですけど本村さんのお父様は、どんなお仕事を?」
「建築関係です。本村建設ってご存知ですか?」
岡部ははい、と頷いた。本村建設といえば岡部達の住む市内でも一番の建設会社だ。確か今年の市内長者番付にも名前が乗っていたはずだ。
なるほど、本村理絵はお金持ちのお嬢様なのだ。だからこの様な高級な店に入っても堂々としているし、アメリカ留学なども簡単に出来る。おかげで人の都合などお構い無しに約束を取り付けたりする、ちょっと強引な性格になったのだろう。
「それなら無理に仕事を探さなくても、お父様にお願いすれば簡単に見つかるんじゃないんですか」
少し皮肉を込めて岡部は言った。本村は苦笑いをしながら机に両肘を付いた。
「父は私が就職する事に反対なんです。もうそれこそ本当の親馬鹿で、アメリカに行く時も父の友人がロサンゼルスにいるんですけど、その友人の家にホームステイさせて、毎日メールをよこすんです。まるでカゴの鳥ですよ……だから自分の力で仕事を探して、父から解放されたいんです」
思ったよりしっかりしている本村に驚きながら、岡部はすうっと開いた部屋の襖に目をやった。
「失礼いたします。ビールとお通しをお持ち致しました」
開け放された庭のどこからか、微かに花の香りが漂って来た。
少し酒で火照った顔に夜風が気持ちいい。
岡部は高級料理を惜しげも無くご馳走してくれた本村に、申し訳ないなと思いながら歩いていた。
出される料理はどれも美味しくて、岡部は感動しどうしだった。
「本当にご馳走になってしまって、いいんですか。食事代高いでしょう?」
店を出てから何度尋ねられただろう。本村はあまりに紳士的な岡部に微笑んだ。
「ふふふ、そんなに気にしないで下さい。私がご馳走したかったんだし、この前奢ってもらったお返しです」
「しかし、女性に食事代を出させるなんて……」
頭を掻きながら岡部は困った様な表情を浮かべる。
「じゃあ、今度また一緒に食事して下さい。その時は岡部さんの好きなお店で、岡部さんの奢りで」
本村の言葉に岡部は仕方なくそれで手を打つ事に合意した。
他愛の無い話しをしながらしばらく歩くと、商店街に辿り着いた。流石に夜の商店街は人が少ない。辛うじて開いている加藤行きつけのパチンコ店と、場末のスナックが数軒灯りを付けているに過ぎなかった。
この間坂井と行った映画館は、閉館したばかりの様だった。
「岡部さんって、子どもの頃はどんな子だったんですか?」
岡部は本村の質問に少し考えてから答えた。
「そうですねえ、大人しい目立たない子だったと思いますよ。これと言って勉強や運動が出来た訳じゃないし、友達も特別多かった訳でもないし……」
「ふふーーーなんか想像出来ます。けど頭は良さそうですよ? きっと可愛かったんでしょうねぇ」
くすりと笑い、本村は岡部の腕に絡ませていた腕を解くと、軽やかに花壇の端に飛び乗った。
「私は昔っから我が儘で、負けん気が強くって、友達は殆どいませんでしたーーー唯一ずっと仲良くしてくれてたのは、春香なんです」
岡部は坂井の顔を思い出し、顔が綻んだ。坂井は子どもの頃から心優しい少女だったという事が分かり、嬉しくなったのだ。
「岡部さんは春香の事、好きなんですよね」
突然本村に言われ、岡部は動揺した。
「なっ、何でそんなーーー」
「そんなのばればれですよ……私、春香の事大好きだから、岡部さんがどんな人なのかちゃんと知りたくて強引に食事に誘ったりしちゃったけど、岡部さんいい人で良かった。春香と仲良くしてあげて下さいね。あ、後は私とも仲良くして下さいね」
そう言って本村は笑った。岡部は本村の事を勘違いしていた様だ。もっと他人の気持ち等考えないのかと思ったが、根は優しいのだ。
ふと見ると少し先を歩いていた本村は嬉しそうに岡部を振り返った。
「今日は楽しかったです、私の家あっちなんで……それじゃあおやすみなさい」
そう言って手を振り走り出した。
「あっ!」
あまりに突然の事に岡部は虚をつかれ、本村に挨拶する事が出来なかった。
数日前に不審な男がいた道を走って行く本村の後ろ姿を見送りながら、岡部はふと不安になった。いくら家がここからそう遠く無いとはいえ、連続殺人犯がいるかも知れない時に一人で帰していいのだろうか?
何だ、この胸騒ぎは……
ぞわっと全身が粟立ち、いつの間にか強く自分の手を握りしめている事に気付いた岡部は、次の瞬間、本村が消えた角に向かって駆け出していた。
続く…
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