チェンジ・ザ・ワールド☆
雨の日に〜3−9
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3-9
広い居間はい草独特の香りが漂い、田舎の正しい姿を加藤達に見せつけていた。老人の妻も奥から茶を持って現れ、夫婦揃ってこじんまりと加藤と津田の向かい側に座った。
二人の夫婦は、とても優しそうな老人で、二人とも長年農作業に精を出して来たのだろう。両手の節は太く、日に焼けて色も浅黒かった。しかし奇麗に服装や髪型も整えていて、清潔感があった。
「お父さん……」
心配そうに妻は夫の横顔を覗き込んだ。
「もう、いいじゃろ……親父もお袋も死んだ、それに刑事さん達は殺人事件に関わると言ってるんだーーー」
「でもーーー」
落ち着きなく体をそわそわと動かす妻と視線を合わせると、老人は申し訳無さそうに咳払いをした。
「大丈夫です、あなた方から聞いたという事は一切公表しませんから」
加藤の言葉に山村勘助(やまむらかんすけ)と名乗った老人は無言で頷き、語り出した。
山村老人の話しによれば、昔からこの家は真蓮寺へ米や野菜を届けていたということだった。
秋杜は子どもの頃から寺に住んでいた為、小学校から中学校までは近くの集落にある学校へ毎日通っていたのだと言う事だった。近くの集落に出るまでに車でも十分はかかる。おまけに開けた町まで出るには、さらにその集落から車で二十分近くかかるのだ。当時の道路事情は今よりも劣悪だっただろうから、加藤はあの古井呉服店から真蓮寺までの道のりを赤ん坊を抱いて住職がどうやって戻って来たのか、想像もつかなかった。
秋杜が、真蓮寺の住職が連れ帰って来た捨て子だという話しは村の者で知らない者はいなかったという。
「あの子はとても頭の良い子だった…でも、ちょっとおかしな所があって」
そう言って山村老人はため息を吐き、茶を啜った。
「おかしかった、とは、どのようにおかしかったんですか?」
津田は山村老人の話しを、メモ帳に必死に書き取りながら尋ねた。
「ーーーこんな事、人様に話していい事ではないんでしょうが……」
中々先をしゃべらない山村老人に、津田はにっこりと笑いかけた。
「心配いりませんよ。あなた方にご迷惑は掛けませんから」
津田の柔らかな顔に、山村老人は冷や汗をかきながら少しだけ頷いた。よほど話しづらい事なのか。加藤はじっと老人を見つめて動かない。
「そのーーー普段はあまり人としゃべらない、無口で大人しい子なんだけど、何と言うか……女性に、酷い事をされるのが好き……と、言うか……」
ピタリと津田はペンを動かす手を止め、加藤を振り返った。
「そ、それは一体? 寺に女性はいませんよね?」
慌てる津田は、ごくりと聞こえるくらい大きな音を立てて唾を飲み込んだ。
自分自身その音に少し気まずくなる。
「はい……秋杜は高校には行かず、中学を卒業してからは寺の雑事を殆ど一人でやってました……だから、この家に来て田植えの手伝いなんかをする事もたまにありました……」
そこまで話すと、山村老人はふと大きく開いた障子の先の、開け放された庭を見つめてため息を吐いた。
秋になりかけた山の匂いは濃厚で、外に広がる田んぼの稲は穂を揺らし、緑と黄土色のコントラストが美しく背景にそびえる連峰と合わさっていた。車の音などもちろん聞こえるはずもなく、どこかで流れる沢の音と、風に揺れて擦れ合う葉の音が時間を支配していた。室内の柱に掛けられたゼンマイ式の時計が時を刻む音だけ、異様に大きく聞こえた。
「儂には年の離れた妹がおった……」
ふと、山村老人が沈黙を破った。
「おじいさんーーー」
「ーーーもう、墓に持って行くのは辞めだ。お前も、いいだろう? 今まで誰にも話せなかったんだ……儂もお前も、楽になってもいいだろう?」
山村夫妻は互いを見つめ合い、加藤達には聞こえないテレパシーで会話をしているようだった。
「ーーー分かりました。おじいさんがそう、おっしゃるなら……」
とうとう山村夫人も納得して俯いた。
「刑事さん。儂らが秋杜について知っている事、全部お話します」
山村老人はそう言って加藤と津田を見据えた。
その目には、もう迷いは無い様だった。
「ありがとうございます。ご協力、感謝します」
加藤が言うと、老人はしっかりと頷いた。
「儂の妹は秋杜より一つ年下で、両親や儂らが米をお寺に届ける際には妹もよく付いて行ってました……妹は秋杜といつの間にか仲良くなっていたみたいでーーーいつだったか、夜中に妹の姿が無くなっていて、家中大騒ぎになった事がありました。一晩中あちこち探しまわっても見つからなくて、神隠しかと騒ぎになった時、妹がふらふらと裸足で山から降りて来るのを家内が見つけたんです……」
山村老人の妻女は、体を微かに震わせながら夫の言葉の続きを語った。
加藤と津田は静かに二人の話しを聞いていた。
「私が見つけた時、治音(はるね)ちゃん……この人の妹ですけど、治音ちゃんは夢遊病者みたいにふわふわして歩いてて、気違いみたいにくすくす笑ってました。私はもう、その様子に気が動転してーーーすぐに治音ちゃんの肩を掴んでその場に座らせました……」
明るくなり始めた山の中は、夏とは言え肌寒く、寝間着姿に裸足という格好の治音は、朝露に足下を濡らしながら虚ろな目で義理の姉を見つめた。
「治音ちゃん、あんた一体今までどこにいたの? 一体どうしたっていうの?」
姉の言葉にかくかくと首を左右に揺らしながら、治音は笑っていた。
「うふふふ、秋杜さんって、とっても楽しい人なの……だってどんなにあたしが引っ掻いても噛み付いても楽しそうに笑って、もっと引っ掻いておくれ、治音ちゃん。もっと噛んでおくれ、治音ちゃんって私の足に縋り付くのよ。ね? とっても楽しいでしょ? お姉様ーーー」
そう言って伸ばされた治音の爪の間には微かに血が滲んでいて、治音がその指をぺろりと舐めた瞬間ぞおっと寒気が走り、妻は大声で夫に助けを求めていた。
「それから儂達は、治音が秋杜と会えない様に蔵の中へ閉じ込めました。本人は何故閉じ込められたのか良く分ってなくて、そりゃあもう閉じ込められたのを嘆いてました」
山村老人が言うと、津田は寒気がするのを振り払う様に、頭を軽く振った。
「その事は、お寺の人には言ったんですか?」
老夫婦は大袈裟に手を横に振って否定した。
「そんな事言える筈ないです! 真蓮寺はここら一帯ではとても格式の高いお寺だ。儂が医者になれたのも、真蓮寺あってこそ……だから儂らは治音を閉じ込め、秋杜と会わせない様にするしか、互いの名誉を守る方法が他になかった……」
がっくりと項垂れる二人に、津田が尋ねた。
「では、お寺の人は秋杜にそういった性癖がある事を知らなかったんですか?」
「知らなかったと思います……治音が米を届けに行く時に一緒に来なくなったから、住職達は不思議がってましたから……本当の事など言えませんから、治音は病気で町の病院に入院しているという事にしたんです」
「そのーーー妹さんは今、どちらに?」
津田と山村老人の会話に加藤は割って入った。加藤に尋ねられ、山村老人は悲しそうな顔をした。
「治音は……秋杜が寺からいなくなった後、しばらくしてから蔵から出したけど……一年程後に病気で死にました」
「そう、ですか……」
ふわりと外から吹き込んで来た風が、稲のむせ返る様な青い香りを運んで来た。
「秋杜は自分の性癖の事に悩んで、寺を飛び出したんですかね……」
山村老人の家を出た後、車を運転する津田が、シートを倒してフロントに足を乗せふんぞり返る加藤に尋ねた。
「さあなーーー」
加藤はそう言うと窓を開け、ポケットから煙草を取り出し、火を付けた。
「でも秋杜が今回の事件に何かしら関わっているとして、女性に傷つけられて喜ぶマゾなら、道端で見かけた女の人に声掛けてってのも何となく説明付きますね。すみません、僕を叩いてくれませんか? みたいな……」
津田は秋杜怪しいという、ハッキリとした情報が浮かび上がった事が何だか嬉しいらしく、機嫌が良い。ぷうっと煙を吐き出すと、加藤は緑が段々と黄緑や肌色になりつつある連峰を見上げた。
「お前の声の掛け方はどうかと思うけどな……まあ、まだ確信は持てないが、怪しい事に変わりはないか……」
「成川さんの言う共犯者説も、微妙かも知れませんね。秋杜の単独犯でも犯行は十分だと思いますけど」
津田の言葉には返事をせず、加藤は外をぼんやり眺めた。
「空気が美味いと煙草も美味いな…」
「ちょっと先輩、俺の話し聞いてます?」
加藤は何かしっくり来ない自分の考えに、ぎゅっと煙草の煙を吸い込んだ。
煙草の煙ごともやもやを吐き出したかった。
どんどんと流れる景色の中、加藤は思った。秋杜は一体何を考えながら寺を出たのだろうかと。自分の中の恐ろしい性癖に、僧侶という立場が堪らなくなったのだろうか? それとも己の中の御しきれぬ欲望を、ただひたすらに解放したかったのだろうか?
山村夫妻に秋杜と思われる人物の写真を見て貰った所、二人とも口を揃えて間違い無く秋杜だと答えた。すっかり老けてしまっているが、見間違うはずが無いと。実の父親である杜助よりも、山村老人の方が遥かに一緒に過ごした時間は多い。秋杜という人物が実在する人間で、女性にいじめられると喜ぶという現代ではそう悲観する事の無い性癖の持ち主であり、数週間前加藤達の町いた事は間違いない。
自分の感は正しい、そうに違いない。
加藤は自分自身にそう言い聞かせ、津田が飲もうと手を伸ばした缶コーヒーを奪い、飲んだ。
「先輩! 俺が今飲もうとしたのにっ!」
「……甘ったるいな、このコーヒー」
「もう……自分勝手だなあ、先輩は」
膨れる津田の顔を見て、加藤は笑った。
少しでももやもやを払うには、津田で遊ぶのが一番だ。
「バカやろ。俺が自分勝手じゃ無くなったら、一体俺は誰になる?」
「はあ……成川さん、何か情報掴んだかなあ」
横暴な先輩との会話に疲れた津田は、成川の事を考えて現実逃避を試みながら、緩やかなカーブが続く山道を太陽に向かって走らせた。
隣りにいるのがごつい男の加藤などではなく、成川だったらどんなにか楽しいだろう。そんな事を考えながら。
窓から入り込む自然いっぱいの空気は、隣りでぷかぷかと煙草を吹かす先輩によってマイナスイオンの効果を半減させていた。
続く…
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