チェンジ・ザ・ワールド☆
Moonlight Serenade1
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Session1
細い細い三日月が空に浮かぶ夜の公園の遊歩道を、忍足侑士は気怠そうに歩いていた。
9月に入り季節は夏から秋へと変わりつつあった。そんな高校生活もあと残りわずかとなり、プロテニスプレーヤーとして本格的に海外に行くかテニスを辞めるか悩む日々に、正直疲れ果てていた。
秋の夜は好きだが、なんとなく景色が憂鬱に映って忍足の気分を余計に惑わす。
「何だとっ! お前の為に毎週来てやってるのに、その態度はどういう事だよっ!?」
なんや? もめ事かいな
遊歩道から木の向こう、道路側へと視線を向ける。
「いつも来ていただいている事には感謝しています。ですがそういったお付き合いをお客様とする訳にはいかないんです……」
木の間から見えたのは二人の男女だった。
「他の常連客とは二人っきりで飯食いに行ったりするんだろ? 何で俺だけ断るんだよっ!」
「お客様と二人きりでとか、個人的に出かけたりはしません、秋元様の誤解です」
痴話喧嘩かと思ったが話の内容からするとどうも違うようだ。忍足が助けに行こうかと迷っていると、
「嘘を吐くなっっ!!」
バシン!!!!
っ!?
突然男が女に手を挙げ、顔面に向かってその手を振り下ろした。
慌てて木の向こうの柵を飛び越え、再び振り上げられた男の腕を掴んで出来るだけ冷静に男を諭す。
「お兄さん、女性に手を挙げるんは男としてどないやろなあ」
「何だ、お前は! 関係ない奴はひっこんでろっ!」
「いや、関係ないかも知れんけど、暴力はあかんで。なんならおまわりさん呼んで来てもええけど? すみませーん、この人泥棒ですーーー!」
「!? くっ、くそっ! 離せっ!」
男は忍足に掴まれた腕を乱暴に振りほどくと、目の前で頬を押さえて頭を深く下げている女に向かって言った。
「今日の所は帰ってやる。だが絶対に許さねえからな! 客を馬鹿にしやがって、覚悟してろよ!」
「申し訳ありません」
去って行く男の姿が見えなくなると、女は大きなため息を吐いて顔を上げた。
「助けてくれてありがとうございました」
忍足は一瞬ドキリとした。顔を上げた女が、相当の美人だったのだ。その奇麗な顔に、立派な手形が出来ている。
「……ああ、別にええよ。お姉さんこそ大丈夫かいな?」
一発殴っとけばよかったかなあ。
と少しだけ後悔しながら、忍足は男が消えた方向を睨んだ。
「私は大丈夫、慣れてますから……え~っと、あなた、もしかしてその制服、氷帝学園の生徒さんですか? テニスバッグ持ってるってことは、テニス部?」
小首をかしげる女は白いブラウスに茶色っぽいスカートを履いていて、肩くらいのさらさらの髪と大きな色素の薄い緑色の瞳が印象的だった。年齢は忍足より少し上のようだ。
ハーフかな?
「ん? そう、氷帝学園高等部3年。忍足侑士や。ちなみについ先日テニス部は引退したばかりや」
忍足は微笑んで答える。
「おしたりゆうし君……カッコいい名前ですね。テニスっていうのも何だかあなたに似合ってます。私は藤森和葉。そこの『dig(ディグ)』ってお店でピアノ弾いてるんですけど、助けてくれたお礼に、一杯どうですか?」
名前を褒め、さらにはテニスが似合うなどと言われたのは初めてだった。
「ぷっ、高校生て分かってて酒勧めるなんて、お姉さんオモロいなあ」
「誰がお酒を奢るって言いましたか? ジュースとお菓子です。あ、でももう結構遅いし、お家の人心配するかしら」
「別に、まだ9時前やし。せっかくやから高校生らしくジュースとお菓子奢ってもらおかな」
「本当に? 良かった。恩人にお礼もしないで帰せないですもん。さ、どうぞ」
「恩人やてそんな。エラいすごい事したみたいやな」
「だって本当に助かったんですから、恩人です」
先ほどまで憂鬱だった忍足の気分が、目の前で微笑む和葉の顔を見て少し晴れたような気がした。
店に戻るとバーテンらしき男が和葉に駆け寄って来た。
「和葉ちゃん、大丈夫だった!? って、顔っ!!」
和葉の頬が腫れてるのを見るや、バーテンは慌ててカウンターに戻って濡れたおしぼりを持って来た。
「大丈夫です、マスター。彼が助けてくれたんですよ」
そう言って忍足をバーテンに紹介する。
「そうなのか! 君、本当にありがとう! 良く来てくれるお客さんだからこっちから手荒な事ができなくてね。あの人ずっと和葉ちゃんにちょっかい出してたから困ってたんだ、助かったよ……」
客商売とは因果なものだ。迷惑な客でも常連客だから無下に追い出す訳にもいかないらしい。
「いいえ、別にたいしたことはしてないですから」
「カウンターに座ってください」
和葉に促され、忍足は荷物を置いて足の長い丸椅子に腰掛けた。
ゆっくり店内を見回す。
バーというより大人な雰囲気の喫茶店といった感じで、茶色で統一された調度品などはどれも趣味が良かった。
そう広くないカウンターとテーブル席が5席。店の奥にはグランドピアノとドラムセットがあり、壁にはヴィオラが掛けてある。
客は一人もなく、忍足一人だけだった。
「昼間は喫茶店で、夜は軽食とお酒も少し出すんだ。演奏は週に4回で、日替わりで色んなアーティストに来てもらってるんだよ。あ、和葉ちゃんだけは毎週金曜日に固定で弾いてもらってるんだけどね」
そう言ってバーテン改めマスターは忍足の目の前に水の入ったコップとおしぼりを差し出した。
「ジャズのお店ですか?」
「うん、まあ一応ジャズがメインだけど色々なジャンルの曲をやってるよ。君は若いからジャズなんて聴かないかな?」
「そうですねえ、音楽は結構好きですけど、ジャズは聴いた事ありませんね」
「そうか。ジャズも聴いてみるといいよ。とても深い……いつも金曜日はお客さん多いんだけど、今日はまだちょっと時間早いし、さっきのお客さんが騒ぎ出した時に5人くらいいた人も帰っちゃってね」
はははと乾いた笑いをするマスターは、忍足が店内を見回していたので掻き入れ時に暇な事の理由を教えてくれたのだと思われる。
「ええっと、かずは、さんでしたっけ? あの人、いつもあんな目に会うてるんですか?」
先ほど大丈夫かと尋ねた時、確かに和葉は慣れてると言った。マスターの顔が曇る。
「ああ……彼女マイナーでは人気のジャズピアニストでね。美人だし人当たりもいいから時々勘違いしたお客さんともめるんだよ」
「はあ、確かに人は良さそうですね」
「はい、お待たせしました」
バーテンの後ろからやって来た和葉は、忍足の前に紅茶とケーキを並べた。
「お、美味そうやなあ」
良い香りが漂っていたのは、この紅茶を煎れていたかららしい。
「ケーキはマスターの手作りでとっても美味しいですよ。紅茶もマスターこだわりの茶葉で、ケーキにすごく合うから味わって食べてくださいね」
和葉に言われて勧められるまま一口ケーキを食べると、ふんわりとした食感とビターチョコの風味が口の中に広がって、何とも言えず美味しかった。
「……美味い」
「そうでしょう? マスターは以前フランスの有名ホテルでパティシエをしてたんですよ」
嬉しそうにマスターの自慢をする和葉に、忍足は何故かちょっとむっとしながら、紅茶に手を伸ばした。
「ーーー美味い」
紅茶も本当に美味しかった。
カランカランと小気味よい音を立てて店の扉が開くと、中年のカップルが入って来た。
「いらっしゃいませ」
「こんばんは。あれ? 今日はお客さん、少ないね。座れないかと覚悟して来たのに……しかも高校生のお客さんとはまた珍しいね」
男性客がそう言って忍足に微笑みかけながらテーブル席に座った。
「そういう日もありますよ。彼は今日は特別ゲストです」
マスターは返事をしながら水とおしぼりと突き出しを持ってテーブル席に向かう。
「おしたり君」
「はい?」
その様子を紅茶を啜りながら見ていた忍足に、和葉が声をかけて来た。
「もう少し時間大丈夫なら、これからピアノ弾くので良かったら聴いていきませんか?」
「ああ、聴きたいな。俺ジャズはよう分からんから、どんなんかちょっと興味あるし」
「音楽は好きですか?」
「まあ普通に」
「ジャズも好きになってくれると嬉しいです」
優しく笑う和葉に再び心臓を弾ませて、忍足は確信した。
この笑顔で男を勘違いさせるんやな、と。
「和葉ちゃん、何か弾いてくれないか?」
「はい」
テーブルの男性客に言われ、和葉は忍足に笑顔を残してカウンターから出て行った。
ピアノの前に腰掛け、和葉は譜面を何枚か取り出すと目をつぶった。
すうっと息を吸い込み目を開けると、和葉の指は鍵盤の上を踊るように動き始めた。
「はあ……」
忍足は驚いた。
聴いた事のある曲だという事もあったが、何より和葉の演奏にだ。
音楽の事に詳しい訳ではないが、和葉は楽しそうに、その細い体からは想像もできないほどの力強さと繊細さでピアノをかき鳴らしていた。そしてその演奏する姿がより和葉の美しさを際立たせていた。
「When You Wish Upon a Star」
「え?」
マスターが忍足の後ろに立って小声で教えてくれた。
「ああ、ディズニーの曲かいな。それで聴いた事ある思たんやな。ジャズになるもんなんやなあ」
「アレンジ次第ではどんな曲でもジャズになるよ。ジャズは自由で枠に捕われたりしない。ウチの店の名前の『dig』ってのは英語では探求するとかって意味だけど、音楽のスラングではジャズの楽しさを発見する、とか、ジャズの良さを知るって意味があるんだ」
「へえ」
自由で枠に捕われない。
忍足には妙に響く言葉だった。
プロの道を歩むか、大学に行って親の跡を継ぐか、果たしてどちらが正しい選択であり自由なのだろうか。
そしていつの間にか演奏は二曲目になっていた。
「別にええって」
「駄目です!」
忍足はdigを出てからこの調子で着いて来ようとする和葉と、道ばたで押し問答を続けていた。
堪らず和葉を振り返る。
「かずはさん、あんたが俺を送ってどないすんねん。帰りはあんた一人で店まで戻らなあかんねんで?」
「話し込んで遅くなってしまったし、もし補導されたら……おしたり君は未成年でしょ? 私はこれでも23歳ですよ。一緒にいれば補導されません」
「そういう問題ちゃうやろ」
確かにすぐに帰るつもりではいたが、和葉との会話は楽しかった。もっと話したいと思ったくらいだ。だが、それとこれとは別の問題で、はあとため息を吐いて忍足はこのお人好しの奇麗な顔のお姉ちゃんを見つめる。
さっき男に殴られた跡が痛々しい。
「ーーーほならこうしよ。ちゃんと家に着いたら連絡するし、かずはさんは店に戻って。な? そうやないと俺も心配やから……せっかく助けたのにまた何かあったら俺本気でへこんでまうわ」
忍足のこの言葉は効果があったらしい。和葉は言葉を詰まらせ、しばらく空中を睨んでから観念したように言った。
「分かりました……じゃあ携帯の番号教えますから、絶対連絡してくださいよ?」
「分かっとる。ほら」
忍足と和葉は互いの携帯を取り出し、アドレスの交換を済ませると相手の名前を見て無意識に感想を述べていた。
「おしたりって、忍足って書くんですねえ。侑士……へえ~」
「かずはって和に葉なんか。なんや奇麗な名前やな。名は体を表す言うけど、ほんまやな」
もちろん互いの声は聞こえていない。
「あ、忍足君」
突然我に帰った和葉が忍足を呼ぶ。
「侑士でええよ」
「じゃあ、侑士君」
「なんや?」
名前を呼ばれるのがなんだか嬉しい。
「もし、また近くを通ったらお店に遊びに来てください。マスターも喜びますから」
「俺、受験生やねんで。遊びに誘ったりしてもし受験失敗したら、和葉さんが俺のこと養ってくれるん?」
ニヤリと笑う忍足に、和葉は少しだけ目を丸くさせる。
「あ、そうか、受験生でしたね……じゃあ、勉強に疲れて気分転換したい時があったら、遊びに来てください」
養ってくれるかという冗談を軽くスルーされ、忍足はそれでも和葉の申し出を嬉しく思った。
「ああ、ケーキも美味かったし、気が向いたらまた和葉さんの演奏聴かせてもらいにいくわ。でもチャージ料金とかってあんねやろ? そんなリッチやないからしょっちゅうは行かれへんけど」
「侑士君ならチャージ料金も飲み物代もタダでいいですよ。私が奢ってあげますから」
「なんでやねん」
「私の恩人ですから」
忍足はじっと和葉を見たまま数秒考えた。
「ーーー和葉さん」
「はい?」
「あんた、誰にでも優しくするんはええ事やと思うけど、TPOはわきまえた方がええで。やないと今日のあの怖い兄ちゃんみたいに勘違いしたアホがあんたに惚れてまうから」
「そんな事ないです、ちゃんと相手を選んでますよ」
「俺が勘違いしてあんたの事好きになったらどないすんねん。ほんで一緒に飯食いに行ってくれやって詰め寄ったら困るやろ?」
「侑士君は年上好きなんですか?」
「はあ?」
和葉は見当はずれも甚だしい事を言い放った。これはもう天然だと確信し、忍足はがっくりとうなだれる。
「あのなあ、そいういう意味ちゃうで。ものの例えや。誰にでも愛想振りまいて優しくしてたら、男は皆アホやから勘違いしてあんたが自分の事好きなんちゃうやろか? って思ってまうって事が言いたいねん……せやから殴られてんのに、何で気づかへんの? 自分相当ボケボケやな」
「侑士君となら一緒にご飯食べてもいいですよ。私、弟みたいであなたの事好きです」
頭をガツンと殴られたような衝撃を受けた。
「ほんまに人の話聞いとらんな。そう言う事を言うな、言うてんねん」
「……」
和葉が突然黙ってじっと忍足を見上げた。その上目遣いにドキッとしながら、それでも負けてはいけないと忍足は続ける。
「どんなに相手の事を気に入っても、軽々しく好きなんて言うたらあかんで。ほんまに心の底から好きな相手にとっておくもんや。ましてや男相手に言っていい言葉ちゃうやろ」
これではどちらが年上か分からない。
「私……」
ふと目を伏せて、和葉が話し出した。
「今日のお客さんにも、他にトラブルのあったお客さんにも、一度だって好きだとかご飯食べに行きましょうとか、思わせぶりな態度取ったりしたことないんですよ……」
「え?」
忍足は驚いた。
「仕事柄笑顔で応対するのは当たり前でしょう? だからいつもお客さんとお話する時は笑うようにしてるんですけど、ただそれだけなのに気があるって思われてしまって」
まだまだ修行が足りないですねと最後に小さく言って、和葉は自虐的な笑みを作った。
「あ……すまん。俺、何も知らんと偉そうな事言って」
「いいんです。侑士君は私の事を心配して言ってくれたんですから……本当に優しいんですね。でも、さっき言った事は本当ですよ。一緒にご飯食べに行きたいのは、あなたの事す……いや、気に入ってるからです」
好きと言いかけてやめた和葉が可愛くて、忍足は笑った。
「年上とは思えんなあ。妹みたいや」
そう言って和葉の頭をよしよしと撫でる。さらさらの髪が忍足の手をくすぐり気持ちよかった。一瞬和葉の瞳が悲しげに揺らいだ事に、忍足は気付かなかった。
「あ、もうっ私の方がお姉さんですよ?」
「ははは。ほんなら、帰ったら連絡するし。和葉さんももしまた怖い奴に絡まれて危ない時は、俺に連絡しいや。いつでも助けに行ったる」
「ふふ、ありがとうございます。それじゃあ、おやすみなさい」
「おやすみ」
名残惜しそうに和葉の頭から手を離すと、忍足は公園の中へと消えて行った。
三日月がとても奇麗に輝いていた。
続く…
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