チェンジ・ザ・ワールド☆
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Session4
あれから毎日、今までと同じように忍足は和葉にメールを送っていた。電話もたまにした。それがもう日課になっていて、和葉の事をもっと身近に感じられるようで楽しかった。
料理が好きだという事や、動物が好きだという事、子どもの頃に少しだけテニスをしていた事や今はヨーロッパに戻ってしまった両親の事。
たくさん和葉の事を知った。
しかし、当たり前だが跡部に聞いた兄の話は出なかった。
忍足はいつか和葉の口から直接聞ける日が来るのだろうかと思った。そうなってくれたら、例えどんな状況だろうと和葉を受け止めたいと心から思った。
そして今日、久しぶりに忍足はdigへとやって来た。
「いらっしゃい、侑士君」
もうすっかり怪我も治り、笑顔で迎えてくれた和葉に笑顔を返す。
「こんばんは」
カウンターのピアノがよく見える位置に腰を下ろすと、忍足はテーブル席に座る男に目を留めた。
!?
そこにいたのは、あの日、和葉を殴ったあの男。
驚いて体を強ばらせた忍足に気付いた和葉とマスターは、大丈夫と目で訴える。
「でも……」
「大丈夫です。侑士君、今日はコーヒーでいいですか?」
二人が大丈夫だと言うのなら大丈夫なのかもしれないが、それでもやはり心配だ。
「ああ……」
気付けば店内には客が溢れていて、狭いながらに大変盛況だった。
「じゃあ、そろそろ」
「はい」
和葉が一段落した所でカウンターから出て新しく据えられたピアノへと向かう。大きな拍手がわき起こり、忍足は心なし緊張した。
いつもはこんなに客が多いんやなあ。
ポロン……
と、ピアノの音色が和葉の指から紡ぎ出される。
なんだか不思議な曲だ。
「Here Come De Honey Man?……珍しい曲を弾くなーーー」
小さく、本当に独り言として呟いたマスターに、忍足は首を傾げる。
切ないような、何かを訴えるようなそのメロディーに、店内の客の誰もがうっとりと聞き入っていた。
ジャズというのは、基本的なメロディーとコード進行以外は奏者達のソロだと思って良いと教えてもらった。忍足にはどこがソロパートなのかは分からないのだが、客が曲の途中で拍手を送ることがあるので、恐らくその前に弾いていたのがソロなのだろう。
しかし、ソロというのは楽譜に乗っていない、演奏者が自由に弾くパートなのだが、和葉のそれは思いつきで演奏しているとは思えないほど上手だと思う。
もしかしたらジャズだけでなく、音楽をする人たちに取っては当たり前の事なのかも知れない。
そう考えると、次から何か曲を聞く時はメロディーとソロの違いを真面目に聞き分けてみるのも面白いと思えた。
30分ほどの一回目の演奏が終わると、ピアノの前に座っていた例の男が立ち上がり、大きな花束を和葉に手渡した。
少し驚いて、それでも和葉はその花束を受け取ると笑顔で何か言った。
拍手で二人の会話は聞こえなかったが、その姿を見て本当にもう終わったのだと、忍足はほっとした。
「今日はハンコックばっかり弾くの?」
戻って来た和葉に、忍足の隣りに座っていた40代くらいの男性が尋ねた。
「いえ、そういう訳では……次はもう少し違った曲を弾こうと思っています」
はんこっく?
不思議そうな顔をしていたのだろう。マスターがくすりと笑って忍足に教えてくれた。
「ハンコックっていうのは、ピアニストの名前だよ。Herbie Hancokって言うんだ。和葉ちゃんが好きなアーティストなんだ」
「へえ」
「さっきは全部ハンコックの曲だったから、今日はハンコックだけしか弾かないのかと思ったんだよ」
隣りの男性が言った。
「なるほど」
「何か意味でもあるの? 一番最初にHere Come De Honey Manだったっけ? あれ弾いてたけど」
「だから本当に特に意味はないんですよ。私が弾いたらおかしいですか?」
少し困ったような恥ずかしいようなそんな複雑な顔をして、和葉が隣りの男性に言っている。
「いいや、全然。今までにないパターンだったから、面白かったよ。ところで、あの話はちゃんと考えてくれた?」
あの話?
すっかり会話に置いてきぼりだった忍足の耳に、気になる単語が届いた。
「あ……その話は、今はーーー」
「え? 何かまずかった?」
「すみませ~ん、注文いいですか~?」
「はい!」
男性の質問に和葉がばつの悪そうな顔をしていると、向こうから客が手を振った。それに答えて慌てて和葉はカウンターから出て行った。
いまいち和葉の反応の意味が分からなかったが、話したくなさそうな雰囲気を見ると、あまり楽しい内容ではないのかもしれない。
チラリと時計を見ると、10時になろうとしていた。
「あ、マスター、俺そろそろ帰ります」
忍足が立ち上がると、丁度注文を取った和葉が戻って来た。
「侑士君、帰るんですか?」
「ああ、お子様は早よう帰って進級試験勉強せんとな」
そう言って笑ってみせた忍足に、和葉は微笑んだ。
「マスター、おあいそしてください」
「いいんですよ。また来て下さい」
「いや、そう言う訳にはいかん」
財布を取り出した忍足の手をぐいと押し戻す和葉に、強い口調で言った。
「駄目です!」
負けじと和葉も強く言い返す。
じっと見上げる和葉の顔に、忍足はため息を吐いた。
「かなんなあ……ほんまに頑固な人や」
「子どもは大人に甘えたらいいんですよ」
そして二人で店の外へと出た。
「さっき、隣りの人が言うとった、あの話っては、俺が聞いたらあかん話?」
店の前で忍足はつい尋ねてしまった。和葉はちょっと驚いたが、すぐに笑った。
「いえ、いけないという事は無いんですけど……さっき侑士君の隣りに座っていた方、大手会社の音楽プロデューサーなんです」
「へえ」
「それで、私がインディーズで出してるアルバムを聞いて気に入って下さって……」
「すごいやん。ほんならメジャーデビューの話かいな?」
忍足が心底嬉しそうに言うのを見て、和葉は何故か悲しそうに笑った。
「ーーーええ。メジャーでアルバムを作らないかって誘って下さって」
「ほんまかいな! なんや俺まで緊張して来たわ」
「まだきちんと返事はしていないんですけど」
「なんでや。速攻返事したらええやん! そんなええ話、滅多にないんとちゃうか? アルバム発売する時は絶対に教えてや? 俺、たくさん買って配るし」
満面の笑顔の忍足を見ていると、和葉も嬉しくなって来た。こんなにも自分の事で喜んでくれている。
「ふふ。気が早いですけど、もしそうなったら侑士君には私がプレゼントします」
「またそうやって俺を子ども扱いしよる。CD買うくらいの小遣いはもっとるから心配せんでもええって。おっと、その小遣いくれる親が待っとる家に帰らないかんかった。ほんなら、またな」
「ふふ。はい、おやすみなさい」
手を振って長い足で颯爽と歩いて行く忍足の後ろ姿を見つめながら、和葉は小さくため息を吐いた。
「大人の私がしっかりしないで、どうするの」
忍足の中で、進路はもう決まりつつあった。本腰入れて勉強すればぎりぎり医学部の試験にも合格するだろう。
先月まで悩んでいたのが馬鹿らしく思えて来る。
実際大学に進むという方向へはなんとなく決めていた。ただ、誰かに背中を押して欲しかったのだ。
テニスはもちろん続けたい。だが、プロはそんなに甘い世界じゃないことも十分分かっていた。上には上がいる。もちろんそれに追いつく為の努力をする覚悟だってなくはない。這いずり回ろうがかっこわるかろうが、努力することには意味があるのだから。
だが、ただ親が医者だというだけで自分も医者になるというのが、自分の意志が無いみたいで嫌だったのだ。
別に医者になるのが嫌な訳ではない。親を尊敬しているし、医者という職業も素晴らしいと思う。
和葉に会って、忍足は力になりたいと思った。側にいて、心の支えになりたいと思った。
いつ何があっても駆けつけてやれるぐらいの甲斐性を持った男になりたいと。
怪我をしている和葉を見た時は、心の底から何も出来ない自分に歯がゆさを感じた。怪我をすぐにでも治してやりたいと本気で思った。
そう、自分の手で守ってやりたかった。
どうして出会って間もない和葉にこんなに入れ込んでしまっているのかは分からない。
綺麗な顔だからと言われたら、奇麗な顔をした女性ならいくらでもいるし、もっと性格が会う女友達もいる。恋愛は理屈じゃないのかもしれない。
それにどちらかといえば忍足は和葉よりもう少し明るく元気な女の子がタイプだ。
だがメールのやりとりや電話での会話で、藤森和葉という人物を知れば知る程惹かれて行った。だから、大学に行って医者になって、和葉そのものを内側と外側の両方から守りたいと強く思うようになったのだ。
「忍足。お前何急に勉強に力入れてんだよ」
「やかましいわ、俺は決めたんや。医学部に行って医者になるんや」
図書室で勉強をしているのは忍足と同じテニス部の仲間で同級生の宍戸亮だ。
ここ最近忍足の勉強の仕方は半端ではなかった。別に普段からいい成績を取っているのだから、そんなに必死にやらなくても大学までエスカレーター式に行ける氷帝では余裕で試験は合格するはずだ。
だが、どうやら本気で医者を目指すつもりらしい目の前の胡散臭い伊達眼鏡男に、宍戸は思ったままをぶつけてやる。
「お前みたいな変態に診察される女の患者は可哀想だな。俺が旦那や彼氏だったら絶対にお前には看てもらわんように、別の病院を選ぶ」
「お前ほんまに失礼なやっちゃな。俺みたいなイケメンドクターがおったら、病院は繁盛する事間違いなしやろ」
「良く自分で自分の事をイケメンだなんて言えるな。図々しいーーー問題起こしても絶対に俺の所には頼って来るなよ」
「起こすか、アホ。医療ミスせんようにするためにしっかり勉強するんやないか」
「誰が医療ミスっつったよ? 看護士や患者に手出しまくって病院を修羅場にするって事だろうが」
忍足は少し赤らんだ顔でそう言い切った友人に、全身の力が抜けて行くのが分かった。
恥ずかしいのなら言わなければいいのに。
「俺、そんなに女たらしに見えるんか?」
「たらしてんじゃねえか」
「いつたらしたんや」
「お前のファンの女、ほとんど全員が忍足の手つきって聞いたぜ?」
どこのどいつや、そんなホラをさも当然のように広めた奴は……
「しかもなんでお前俺やなくて他人の噂を信じてんねん。ありえへん」
「あれ? 違うのか?」
意外だとでも言わんばかりの宍戸の顔面に、思い切り握っているシャープペンをぶつけてやりたくなった。が、我慢する。
「ファンの子に手なんかつけるか、アホ! そんなん手だしまくってとっかえひっかえしてるんは跡部だけや」
「俺様が何だって? あ~ん?」
ものすごいタイミングで現れた俺様……もとい、跡部に、忍足は大げさにため息を吐いた。
こらこら、何顔を赤くしとんねん、宍戸!
目の前の宍戸は忍足の言った事を信じたのか、頬を染めて跡部から視線をそらしている。純情な男だ。
「俺はお前と違うて、ファンの子に手は出さんって話や」
「はっ! 俺様を下賤な奴らと一緒にするな。俺様は俺様に似合う高貴な女以外に興味はねえ」
「あ~はいはい、コウキね。もうええから用がないんやったらさっさと向こうに行ってくれ。勉強の邪魔や」
「何の用もないのに俺がお前を探しにわざわざ来るとでも思ってるのか? そんな暇じゃないぜ」
「せやったら早う用件を言え」
偉そうにふんぞり返る年中脳内春男に、忍足はイライラをどこまで我慢出来るか自分と戦ってみる事にした。
「そうだな。まあ話してやってもいいが、ここで話してもいいのか?」
「はあ?」
一体何がしたいんや、この男は。あかん、さっき我慢しようと思ったのに既に切れそうや。俺って我慢出来ひん男やったんやな。
「お前が良いってんなら、別に俺は構わないぜ」
「もったいつけとらんでさっさと話せや」
ほんまに切れそうや。
そうかと呟いて、跡部は手前の椅子に座ると、偉そうに座った。
「和葉の事だがーーー」
「ちょっと待ったーーーー!!!!!」
「うおっ!?」
忍足が突然大声を出したので、宍戸は驚いて椅子から落ちそうになった。
跡部も驚いてる。
「静かにして下さい!」
当たり前だが図書委員に怒られた。
「あ、すんません……」
頭を下げて、忍足は跡部の後ろに回って腕を掴んだ。
「こんな所で話しなや。場所変えるで」
「何だよ、それなら最初からそう言えばいいじゃねえか。面倒くさい奴だな」
どっちがや! 最初に和葉さんの話や言うてくれたら図書委員にも怒られずに済んだんやないか! このアホ! 誰の所為やっちゅーねん!
と思ったが、言うとまた話がややこしくなるのでぐっと堪えた。
やっぱり俺、偉いわーーー
忍足の涙ぐましい努力のおかげで、妙に楽しそうな跡部は黙って着いて来た。
宍戸一人、訳が分からないまま図書室に取り残されていた。
「で? 和葉さんの事ってなんや?」
二人がやって来たのは屋上だった。秋の風が校舎の上を吹き抜ける温度が丁度良い。
「お前、和葉がメジャーデビューするって話、知ってるか?」
「ああ、聞いたで」
「じゃあ、アメリカに行くってのは?」
「は? レコーディングってアメリカでするんかいな」
「まあ、そうだが、そうじゃなくて……」
どっちやねん。
相変わらず高圧的な態度なくせに言い淀む跡部に、忍足は再びイライラが爆発しそうになる。
「本当に知らないんだな?」
「だから何がや?」
「アメリカでメジャーデビューするから、今月末には日本を発つ。それからは向こうを拠点にして活動するんだそうだ」
「は……?」
跡部の言っていることが良く分からない。
アメリカでメジャーデビューするから、アメリカに行く。
ーーーーーーアメリカを拠点に活動する?
それって、もしかして……
漸く気付いたらしい忍足に、跡部がふっと不適な笑みを寄越した。
「和葉はアメリカに住むってことだ」
「な、なんやてっ!? 嘘や、この間はそんな事一言も……っ!?」
この間店の外で話した時、デビューの話かと尋ねたら、和葉は一瞬悲しそうな顔をした。もしかしたらそれはアメリカに住む事を指していたのではないか。
「この話は実は結構前からあったんだ。だが、和葉がまだ日本にいたいからって断ってた。ところがアメリカのレコード会社の上の方から、今年中にアルバム制作に取りかかりたいとせっつかれて、ここ数日でやっと決心したらしい」
もしかしたら和葉がアメリカに行く事を決心したのは、忍足がdigに行った日なのではないかと思った。
「アメリカ……」
ちょっと会いに行くという距離ではない。忍足は跡部を睨んだ。
「だから言っただろ? 和葉はやめておけって」
結構前からあった話というなら、和葉の家に行ったあの時にはもう既にこの話を跡部は知っていたのだろう。
友人としての跡部なりの配慮だったのかも知れないが、もう時既に遅しである。
「無理やーーー」
「あ~ん?」
「和葉さんの事、諦めるやなんて俺には出来ん」
「お前……」
「本気で好きになってしもうたんや。あの人は、俺が守るって決めたんや」
自分自身に言い聞かせるようにつぶやく忍足に、跡部は一瞬目を見開く。そしてすぐに呆れたように首を振ると、ため息まじりに言った。
「勝手にしろ。和葉がお前に惚れるなんて、まずないだろうがな」
「今の言葉、忘れんなや」
再び風が吹いて、忍足は無意識のうちに走り出していた。
続く…
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