チェンジ・ザ・ワールド☆
雪時計.1
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雪時計
少しくすんで鈍色に光る私の懐中時計は、去年のあの雪の日からずっと止まったままだ。
あの日、
灰色の空から飽きる程降り続く雪と同じ銀色の髪をした、あのお侍さんに出会ってからーーー
私は貧しい家庭の長女として生まれ、幼い頃から江戸の傘屋に奉公に出されていて、梅雨と雪の季節は毎日朝から晩まで働き通しだった。
あの日は師走の中頃にしては珍しく、雪が朝から降り続いていた。
店の得意様である江戸でも有名な宝石商の屋敷へ頼まれた傘を届けに行った私は、そこの息子の有作(ゆうさく)にしつこく絡まれて、なかなか帰らせてもらえず困り果てていた。
「なあ、いいだろ? このオレが付き合ってやるって言っているんだ。お前のような下女じゃ一生掛かっても買えないような物だって買ってあげるよ?」
店の裏手にある細い路地で、有作は私の腕を掴んだまま離さない。
「困ります、有作様。私のような女、有作様には相応しくありませんから……」
先ほどからこのような問答を何度繰り返しただろう。
雪も止まず夕刻になって辺りも薄暗くなり始めた頃、私はいい加減店に戻らなければ叱られると思い、再び頭を下げた。
「そろそろ店に戻らないと、旦那様に叱られますので失礼させてくださいーーーきゃあっ!?」
パシン!!
という渇いた音が響き、私の体は後ろへ倒された。
「痛っ!」
「こっちが下手に出てやっているのに、調子に乗りやがって! いいからお前はオレの言う事を黙って聞いていればいいんだ!」
有作に思い切り頬を殴られ、雪の上に倒れた私は突然の事に一瞬何が起きたのか分からずにいた。
ガシャッ!
「あっ……」
次に聞こえてきたのは有作とは別の男の声。
私は痛む頬に顔をしかめながら、ゆっくりと目を開けた。
「あ……」
一番最初に視界に飛び込んで来たのは、黒いブーツ。
そしてその足の下から覗いているのは私が大切にしていた懐中時計の鎖だった。
奉公に出てきて1年ほど経った頃、傘屋の旦那様がよく頑張っているからと買ってくれた大切な懐中時計だ。
ゆっくりとその懐中時計を踏みつけるブーツを辿って視線を上に向けると、空から降って来る雪のような銀色の髪をしたお侍が、しまったという顔で踏みつけた足をゆっくりとどかす。
「おいおい、勘弁してくれよ。せっかく近道しようと思ったのに、痴話喧嘩に出くわすわ、偶然足を出した下に何か飛んで来て踏んづけるわ、俺ってもしかして今日厄日? なあ、そうだろ? 厄日だよな?」
「誰だあんた。邪魔をしないでくれないか?」
有作は突然現れた銀髪の男にそう言い、男は踏みつけた懐中時計を拾い上げ小さく項垂れた。
「いやね、別に俺はあんたらの邪魔をする気はさらさらないんだよね。ただね、この道を通らせてもらえればそれでいいの」
「だったらさっさと行ってくれないか」
「そうだよなあ。こっちに来ることなんて滅多にないもんなあ……いや待てよ。大体俺がこっちの道を通ったのが悪いんじゃないな。じゃあ何が悪かったんだ?」
ぶつぶつと独り言を言い始めた男に、有作が苛立ちながら言う。
「そんな事、オレは知らないよ。ほら、さっさと行ってくれ」
「ああ、そうか。分かった! てめえが悪いんだあっ!!」
言うが早いか、男は私の懐中時計を思い切り有作目がけて投げつけた。
「ぐわあっ!?」
見事有作の顔面に命中した懐中時計は、まだ雪の上に倒れたままだった私の手の中へと跳ね返ってくる。
「ようし、一件落着だ。おいあんた、大丈夫か?」
男は私の腕を取って立たせると、再び懐中時計を手にとってふたを開ける。
「ホラ見ろ! あいつの所為で完全に壊れたぞ! 俺は悪くねえ。あいつがあんたを殴ったから、あんたの懐からこの時計が飛び出して、たまたま通りかかった俺の足の下に落ちたんだ。そうだろ? そうだよな!?」
「は……い?」
嬉しそうに私の目の前に懐中時計を突きつけてきた男と、ひびが入ってすっかり止まってしまった懐中時計を見比べて、私は漸く現実の世界へと戻って来る事が出来た。
「あ……大事な時計が……」
「んなもん、こいつに弁償させとけ。それにな、しつこくされたら蹴りの一発でもくれて逃げちまえばいいんだよ」
「でも、店のお得意様だからーー」
男から受け取った懐中時計をじっと見つめ、私はどうしようと不安になる。
大事にしてきた旦那様からのプレゼントを、こんな事で壊してしまうなんて……何と言って謝ればいいのだろう。
「時計屋行くぞ」
「え?」
ぼそりと言った男の言葉に、私は顔を上げた。
バツの悪そうな顔をして、銀髪の男はさっさと路地を歩き出す。
「あっ、待ってください」
「大事な物なんだろ? ーーーまあ、なんだ。こいつの所為にしたものの、やっぱ踏んだも怒りに任せて投げたのも俺だしな。弁償してやるよ」
私はまだ状況をしっかりと理解出来ないまま、銀髪の男の後に付いて行った。
通り過ぎる時、有作はまだ気を失ったままで、体には薄らと雪が積もり始めていた。
凍死してしまわないだろうか?
そんな事を考え、咄嗟に勝手口の戸を大きく数回叩いてその場を去った。
家の者がきっと見つけてくれるだろう。
しつこくて嫌いな男ではあるが、やはり死なれては目覚めが悪い。
ふと空を見上げ、前を歩く銀髪の男の後ろ姿へと視線を落とす。
初めて出会ったこの男に、私は何やら感じた事の無い気持ちを抱いた。
~~~
時計屋に到着すると、銀髪の知り合いらしい店主が私の懐中時計をひとしきり見た後に首を横に振った。
「また派手にやったな、銀さん。こりゃ駄目だよ。どこに持って行っても直らねえよ」
「な、直らねぇことあるかあっ! てめえ、時計職人だろうが! 直してみせやがれ! この間キャバクラで女の子のケツ触って鼻の下伸ばしてた事、嫁さんにばらすぞっ!?」
どうやら懐中時計を本格的に壊してしまった事に焦っているようだ。
「バカヤロウ! 直らねえもんは直らねえよ! ていうか、誰がキャバクラで鼻の下伸ばしたんだよコノヤロウ! こちとら町内会の役員の集まりで遅くまで会議だったんでぃ! そーいう銀さんこそ、この間パチンコですって家の物を勝手に質屋に入れてまたその金でパチンコ行った事、お登勢さんに言うからなっ!?」
「わー! わー!! 何大きな声で言っちゃってくれてんのおっ!? 違うから! あれ、家の前に捨ててあった物を拾って質屋に持って行っただけだから! 家のガキどもの私物なんてこれっぽっちも触ってないからっ!」
いつの間にか時計の修理の話しから互いの秘密の暴露に変わってしまった。
私は子どものように言い合う二人を見ながら、ふと笑った。
銀髪の男の名が、見た目通り『銀さん』というのだと知って嬉しかったのだ。
「あの、もういいです。ありがとうございました」
カウンターに置かれた時計を取り、私はまだ言い合う二人に頭を下げると店を出た。
まだ雪は降り続いていたけれど、何だか今まで体験した事の無い出来事に巻き込まれ、ドキドキして楽しかった。
ゆっくりと傘を開き、時計屋の中で騒ぐ良い大人二人をもう一度振り返り傘屋へと戻って行った。
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