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生徒会の活動を終えて帰りの電車に乗り込むと、ドアの近くの座席がちょうど一人分だけ空いていた。
そのドアから乗ったのが私だけということもあってか、他に座りそうな人はいない。
私はありがたくその席に掛けることにした。
腰を下ろすと、間を置かずに電車は駅を滑り出す。
すっかり遅くなってしまった。
周りに推される形で立候補してしまったが、生徒会長がこんなに忙しいとは思ってもいなかった。
もしかして厄介事を押し付けられてしまったのかもしれない。
どうも昔から貧乏くじを引いてしまう役回りなのだ。
「はぁ」
小さく溜息をもらすと、不意に、右肩に何かが触れた。
かすかな重みを感じて視線を動かすと、私の肩にもたれて天使が眠っていた。
天使。黒髪の頭頂部に浮かんだ天使の輪に私の目は惹きつけられた。
その髪をツインテールに結っているのが可愛らしい。
幼い中学生か、大人びた小学生か。そんな容姿だ。
フリルをあしらったロングの白いワンピースは、なんだか避暑地のお嬢様に見える。
勝手なイメージだけど。
たぶん、いいとこの子なんだろうな。上品な空気が全身から漂ってる気がする。
髪の毛からだろうか、甘い香りがして鼻腔をくすぐってくる。
私はうっとりしてしまって、目を細めた。
いいなあ。こんな子をモデルにしたら、私でも少しはましな絵を描けるだろうか。
と、無粋なアナウンスが車内に響いて、少女が身じろぎした。
起こすのも可哀想だと思ってじっとしていたが、私はもう降りなければいけない。
彼女を起こさないと。
そんなこと思っているうちにブレーキがかけられる。

「ん……」
あーあ、起きちゃった。
少女はぼんやり目を覚ますと、寄りかかっていた私に謝るでもなく、ただ笑って見せた。
それはもう、にっこりと。
男の人だったら、誰でも鼻の下がのびるんじゃないだろうか。
だって全然こどもらしくない、変な色っぽさがあったから。
少女が立ち上がって、追いかけるみたいに私も慌てて立った。
ぼやっとしてたら降りそこねてしまう。
ホームで私は、その場をすぐに去ることができなかった。
壁に背中を預けて携帯をいじる少女から3メートルくらいの距離を保って、その姿を眺めてしまう。
自分の意思なんか関係なく、まるで、見えない力に強制されているかのように。
「なにか用?」
少女が言葉を発してから数秒遅れで、私はそれが自分に向けられたものだと理解した。
「あ……あの、ごめんなさい」
なにを謝っているのだろう。見てたことを?
「用がないなら消えてくれる?」
愛らしい顔立ちに似つかわしくない言葉遣い。
私はますます興味をそそられている自分を感じていた。
こんなに創作意欲をかきたてられる対象に出逢ったのは、生まれて初めてだった。
「モ、モデルに」
「は?」
「モデルになってくれない? 絵の」
気づいた時には、そう申し出ていた。
「モデル、ね……」

と、少女の携帯が鳴った。初期設定のままと思われる、シンプルな着信音。
少女は一瞬携帯に視線を落とすと、私に向かって不敵に微笑んだ。
そして、電話に出る。私の目を捉えたままで。
「ああ……こんばんは、おじさま。ううん、平気よ。いいわ、私も会いたかったの。ええ。それじゃ、いつものところで待ってます」
私は少女の方へ1歩、2歩と近づいた。
吸い寄せられるような感覚だった。
「と、いうことなんだけど」
電話を終えた少女が私に1歩、間をつめる。
もう手を伸ばせば触れられる距離だ。
「わたし忙しいのよね。人気あるから」
「人気?」
「そ。血のつながらない優しいおじさまがたくさん待ってるから」
「え?」
「一緒にご飯食べておしゃべりするだけでお小遣いくれる、バカなおじさまがね」
「だ……ダメ! そんなのよくないよ!」
「どうして?」
挑みかかってくるような鋭い目つきに、後ずさりしたくなるような重圧を感じさせられる。
「だ、だって、そんな援助交際みたいなこと」
一瞬、男の手が彼女の身体の上を這い回るのを想像してしまった。
そんなの絶対に嫌だ。
「固いなぁ。たいしたことじゃないでしょ」
「だって、だって……」
少女が私の顔を下から覗きこんでくる。
「ああ。お姉さん、処女なんだ」
「なっ……!」
「図星?」
暗に自分は処女じゃないと宣言されたみたいで、私は陰鬱になった。
なんでこんな子がそんなことを。

「お、親が、心配するよ」
「心配ねえ……するわけないでしょ、あんなやつらが。あいつら、仕事のことしか考えちゃいないわよ」
少女の瞳には諦めの色が浮んでいた。誰にも、なにも期待していないんだ。
「もういい? わたし行くけど」
「待って。ま、まだ……」
まだ。まだ行かせるわけにはいかない。
私には彼女が必要なのだ。
「なによ、もう」
「し、心配なの」
「はあ?」
「私が心配なの。だから、そういうこと、もうやめて」
「ふーん。ならさぁ」
少女は試すような口調で問いかけてきた。
「お姉さんが私の相手、する? お金払えるならだけど」
私は最低かもしれない。
けれどその時の私には、正攻法で彼女を口説ける自信がなかった。
いくら入ってたっけと思いながら、鞄を探って財布を取り出す。
幸い……かどうかはわからないが、新しい画材が欲しくて下ろしたなけなしの5万円があった。
「……へえ」
「モ、モデル料よ。これで、私のモデルに……」
少女は躊躇いもせずにお金をひったくると、私の右腕に自分の腕をからませた。
「いいよ」
私は奇妙な背徳感に目眩がした。
実際にはモデルを頼んだだけなのに、少女をお金で買ってしまったような気分だ。

「ね、モデルってヌード?」
私は裸婦は描かない。
でも、たぶんもう私は目の前の少女に狂わされていたのだ。
「そうね。脱いでもらうことになると思う。できる?」
「おもしろそう」
少女は私の腕を引いて、年相応にはしゃいでみせた。
「ホテルでも行く?」
「今日、うち誰もいないの。だから――」
「お姉さん、悪い人だ」
少女が微笑む。
少なくとも家庭や学校では品行方正で通っている私がこの短時間で悪い人になってしまったというならば、そうさせたのは間違いなく彼女だ。
「ねえ、お姉――お姉さんなんて名前?」
「藤澤、藤澤夏実」
「夏実お姉さん、わたしのことはルリって呼んでね」
それが本名かどうか、私にはどうでもよかった。
でもルリという響きは彼女に合っていると思った。
「よろしくね、夏実さん。わたし人前で裸になるの初めてだから」
「え? あ、あなた!?」
イタズラ小僧みたいな表情で、少女は小首を傾げた。
「わたし、体売ってるなんて一言も言ってないけど」
続けざま、私の耳許に悪魔の囁きを吹きこんでくる。
「夏実さんになら売ってもいいよ……処女」
きっと今夜は絵を描くだけではすまない。
私はルリのもつ魔力に抗うことはできないだろう。
そして、過ちを犯す。二度と引き返せない過ちを。
それは、確信めいた予感だった。

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最終更新:2009年08月14日 21:51