可奈はアスファルトの上り坂をゆっくり歩いていた。
ホントならここは歩きたくないのだが、通学路なのでそうも言っていられない。
しかし可奈がいま歩いているのは、べつに学校へ行くためではなかった。
もうとっくに夏休みである。
額も腋も背中も汗でぐっしょりと湿っていた。
最近曇りが多かったのに、なにも今日に限ってこんなカンカン照りになることないじゃないか。
右手にお花を抱え、左手にお菓子とジュースの入った買物袋をぶら下げて、可奈は恨めしげに空を見上げた。
「あ」
クラッときた。
危ない。日射病だか熱射病だか知らないが、これで倒れてしまったらあんまりだ。
と、視線を前方に戻すと、目の前に高校の制服を着た綺麗な女の人が立っていた。
「……雪さん」
可奈がつぶやくと、雪子は口の端をイタズラっぽく上げて微笑んだ。
そんな仕草がたまらなく懐かしい。
「久しぶりだね、可奈」
ああ、この声……雪さんだ。
本当に、久しぶり。
「なにしてんの、雪さん」
可奈はなんだか照れくさくなってしまって、ちょっと冷めた言いかたをしてしまった。
急だったし。
それに、どうせならちゃんとおしゃれしてるところを見てほしかった。
こんなサンダル履きの時じゃなく。
「なにって、帰ってきたんじゃない。お盆だしさぁ」
「お盆って……お盆までまだ3週間以上あるけど」
「はぇ?」
とぼけた声を出して、雪子は目を丸くする。
でも何か思いついたのか、すぐに得意顔になった。
「し、知らないの? 東京じゃお盆は7月なんだよ」
「先週終わったじゃん」
「……も、もう、うるさいなあ可奈は!」
「雪さんって、昔からそうだよね。時間にルーズって言うかいいかげんっていうか」
「可奈がこまかすぎるの!」
何も変わっていない。
こういうところも、このやりとりも。
時間が巻き戻ったみたいだ。
「しばらくいられるの?」
話したいことがたくさんあった。
1日や2日じゃ全然たりないくらい、いろんなことが。
でも雪子は悲しそうに微笑む。
「ん、そういうわけにもいかなくて。もう帰らなくちゃ」
「もうっ!?」
「うん。もともと、可奈に会いたくて来ただけだから」
「そ……そう、なんだ」
雪子の顔を見ているのがつらくなって、可奈はうつむいた。
そうしないと泣いてしまうのが自分でわかったから。
あんまり心配はさせたくない。
なのに雪子はそれを見抜いてしまったようだった。
「ごめん……ごめんね、可奈。傍にいられなくて」
「なんで? なんで雪さんが謝るの!? わたし……わたしが……」
「それはいいの」
可奈の言葉を遮って、雪子は少し屈んだ。
目の高さが可奈と同じになる。
「可奈が、元気そうでよかった」
「うん」
「それだけで、私はよかったって思えるんだよ」
「うん……」
雪子の瞳を見ていると、それが嘘じゃないと思えた。
なにも怒ってないし、誰も責めていないのだろう。
「リンドウ?」
可奈の持っていた花に、雪子は目をとめた。
小さく青い花が腕の中で揺れている。
「お花屋さんで、適当に買った」
「私に?」
「一応ね」
「綺麗……」
雪子が嬉しそうに、本当に嬉しそうに微笑んだ。
リンドウは、雪子の好きな花。それくらい、本当は知っていた。
「ありがと」
「雪さん、わたし――わっ」
言いかけて、突然の強風に一瞬目蓋を閉じる。
「……もう」
そこには、雪子はいなかった。
「勝手なんだから」
ふと雪子が立っていた右手の方に視線を移すと、そこだけ真新しいガードレールに気がついた。
なんだ。
可奈は小さく一つ、溜息をついた。
知らない間にここまで来てたんだ。
可奈はジュースとお菓子を足下に置いた。
持って帰って食べるので、かたちだけ。
そしてリンドウを添える。
「バカだね」
可奈はしゃがみこむと手を合わせた。
1年前の今日、可奈は雪子と一緒にこの道を歩いていた。
車道側を歩いていたのは可奈で、だから、居眠り運転のトラックが突っ込んできた時、本当は跳ね飛ばされていたのは可奈のはずだった。
雪子が、とっさに背中を押してくれなければ。
「ねえ、聞いてるの」
目の前のリンドウを指でちょんと弾く。
買った時より1本減って見えるのは気のせいだろうか。
「わたしさ、まだ言ってないことあったのにね。どうしてくれるの?」
なんにも言えないまま離れ離れになってしまった。
それだけは、たぶんずっと引きずることになるのだろう。
「来年はちゃんとお盆においでよね」
可奈は立ち上がって空を見上げた。
そして、真っ直ぐに手を伸ばす。ただ伝えたくて。
「……好きだよ」
雪子がそこにいるなら、聞こえているなら、この一言がどうか届きますようにと。
- 久々にSSで泣いた・・・ -- 名無しさん (2010-01-24 19:10:38)
最終更新:2010年01月24日 19:10