「これ、なーんだ」
店を出るなり小学生くらいの女の子に声をかけられた。12歳頃だろうか。
意地の悪そうな笑みを張りつかせてはいるが、上品な顔をした見とれるほどの美少女だった。
でもそれより私の目を引いたのは、彼女が手にした携帯電話だった。
そこには、サインペンを鞄に入れるまさにその瞬間の私の姿が映し出されていた。
なんでそんなことをしてしまったのか、思い返してみてもわからない。
ただ最近成績は下がる一方で、もうどうなってもいいような、自暴自棄な気持ちになっていたことは確かだ。
それにしたって、この期に及んで万引きしたのがサインペンとは自分の小心ぶりが情けなくて笑えてくる。
私は言い訳もできず、しらばっくれることも開き直ることもできずに立ち尽くした。
頭の中は真っ白で、見られたという事実のみがぐるぐると駆け巡っていた。
「お姉さん、成開女子でしょ? 頭いいんだね」
学校もバレている。制服を着ているのだからあたりまえか。
「困ったね、お姉さん。こんなことしちゃって」
少女は楽しそうに私の周りを回りだす。
私はその場にしゃがみこんでしまいたくなったが、そんなことしても何も解決しないことはわかっていた。
「どうする?」
どうする?
どうしようもない。
学校に知られる。退学かもしれない。親にも知られる。みんなに知られる。
おしまいだ。
「可哀想。顔、真っ青だよ」
「……ごめ、ん、なさい……」
「お姉さん、バカ? 美華に謝ってどうすんの」
少女の言うとおりだ。
でもうまく思考できなくなってしまった私は、彼女は美華という名前なのかと、そんなどうでもいい情報を処理していた。
「黙っててあげてもいいよ」
「……え?」
「その代わり美華についてきて」
少女はそう言って歩き出した。
お願いとか取引きではなく、命令。
そう感じた私は、彼女の後についていくしかなかった。
私がつれていかれたのは、どうやら彼女のマンションらしかった。
小奇麗な玄関から、広々としたリビングに通される。
歩かされたせいか、時間がたったおかげか、私の頭はいくらか冷静さを取り戻していた。
少なくとも周囲を観察できる程度には。
少女の家が裕福そうなことは部屋の様子からなんとなくわかるのだが、まるでモデルルームのように生活感がない。
本当に普段ここで暮らしているのだろうか。
少女はロッキングチェアに腰掛けると脚を組んだ。
幼い太ももが艶かしく覗いている。
「座りなさい」
高圧的な声で少女は命じた。
子どもらしからぬ迫力に押されて、私は少女の足下に跪いた。
「おまえ、名前なんていうの?」
さっきまで私をお姉さんと呼んでいたはずの少女は、あたりまえのようにそう言った。
名前を言ってしまってもいいんだろうか。偽名ならどうだろう。
そんな考えを見透かしたように、少女は私の鞄を見た。
「美華に生徒手帳とられたいなら言わなくてもいいけど」
「い、岩崎。岩崎唯、です」
慌てた私の口から出たのは、本名だった。
「唯、わたしのことは美華さまって呼ぶのよ」
美華さま……。一瞬耳を疑うような要求だった。
まるで漫画。現実的には、せいぜいお嬢様と使用人といったところか。
この子は私をどうしたいのだろう。
「唯、舐めて」
「……え?」
私の前に差し出されたのは、美華の爪先だった。
まさか、これを舐めろというのだろうか。
「返事が聞こえないわよ」
「だ、だって――あっ」
反論しようとした瞬間、こめかみのあたりを蹴られた。
痛みはさほどでもなかったが、ためらいもなく人を足蹴にできる美華に、私ははっきりとした恐怖を覚えた。
「返事は?」
「……は、はい、美華、さま」
「いいわよ。舐めなさい」
目を閉じて、恐る恐る口を近づける。
舌先に肌が触れるのがわかったが、思ったほどの嫌悪感はなかった。
くすぐったいのか、美華はかすかに身をよじる。
カシャリという聞き覚えのある音が耳に届いたのはその時だった。
目を開けてみると、携帯をかまえた美華が楽しそうに見下ろしていた。
撮られた。足を舐めているところを。こんな不様なところを。
「いい、唯。もし美華にさからったりしたら、この写真ネットに流すからね。万引き写真と一緒に」
「や、やめて、お願いやめてっ!」
彼女なら、本当にやると思った。ただの脅しには聞こえない。
それくらい、私にとって美華というのは得体の知れない存在になっていた。
「お返事は?」
「え?」
「返事よ。美華、バカは嫌い」
「……は、はい、わかりました。絶対にさからいません、美華さま」
「うん、いい子ね」
褒められたって嬉しくない。
なのに私はおもねるように美華の足に舌を這わせた。
美華が満足そうに微笑むのがわかった。
壁掛け時計は7時をまわっていた。
学校に残って自習していることの多い私でも、そろそろ帰らないとさすがに親が心配する。
しかし、美華の家族は一向に姿を現す気配がない。
監禁という言葉が脳裏をよぎった。
まさか殺されたりはしないだろうが、帰してもらえるのだろうか。
「疲れたでしょ」
美華の爪にペディキュアを塗り終えると、彼女は私を残してキッチンに立った。
冷蔵庫を開閉する音が聞こえて、すぐに戻ってくる。
「オレンジジュース、飲める?」
「は、はい。ありがとうございます」
ずいぶん冷や汗を流してしまったせいか、喉はカラカラだった。
でも手を伸ばすと、美華はおもむろに自分の口許へコップを近づけた。
そこから滴が垂れ落ちる。1滴、2滴。まるでコーヒーにミルクを入れるように。
「ほら、飲みなさい」
唾液の浮かんだオレンジジュースが差し出される。
わかってるわねとでも言いたそうに、美華の目は笑っていた。
拒めばきっと……。
選択権などない私は、息を止めて一思いに飲み干すしかなかった。
実際には唾液の味なんかわかるものじゃない。
冷たいオレンジジュースは渇いた体に染み渡るようだった。
「おいしかった?」
「はい、美華さま」
「ふーん」
美華は屈むと、突然私の顔めがけて唾を吐き出した。
頬に当たって、ドロリと顎へ流れていく。
「あ……あ」
「美華の唾がおいしんでしょ、変態」
「……は、あ、ぁ」
自分に起きた変化を、私は理解できなかった。
ただ、不快でなかったことがショックだった。
むしろ美華に汚されたと思うと、背中や下腹部のあたりがムズムズしてしまう。
まるでおかしな薬でも飲まされてしまったみたいだった。
「なにうっとりしてんの、変態」
もう一度罵られて、私は気が遠くなりそうだった。
夕食はどこかのホテルで売っているというハニーブレッドだった。
美華さまがちぎって一口ずつ食べさせてくれたのだ。
手を使わずに口だけで食事するというのは不思議な感覚だった。
まるで記憶も残っていない頃の幼児にまで戻ったような……戻されてしまったような気がした。
「出てもいいわよ」
美華さまの指についた蜂蜜を舌で綺麗にお掃除している私の横で、さっきから携帯が何度も鳴っている。
「家族でしょ。心配してるのね」
ふっと、美華さまの表情が暗くなった。一瞬だけ、寂しそうに。
携帯が鳴り止む。
「あの、美華さまの、ご家族は?」
「さあね。たまにしか帰ってきやしないから」
「それじゃ、ずっと、お一人で?」
「……なに、同情してんのよ!」
可哀想だと思ってしまったのが表れてしまったのだろう。
美華さまは怒りを隠そうともせず、私の胸のあたりを蹴り飛ばした。
衝撃で息がつまる。
「唯、もう帰ってもいいわよ」
美華さまは唐突に宣言した。
立ち上がると、携帯を操作してつまらなさそうにつぶやく。
「データも全部消したから」
呆気にとられながら、私は事態をゆっくりと飲みこんだ。
どうやら、ゲームは終わったらしい。私は解放されるのだ。
けれど、安堵感よりも先に訪れたのは、疑問だった。
「どうして、ですか」
「理由なんかどうだっていいでしょ。もう自由にしてあげたんだから、さっさと帰れば?」
この広い寒々しい部屋に、美華さま一人残して?
そんなことできない。
私がいつまでもその場を動こうとしないせいか、美華さまは根負けしたように溜息をついた。
「あんなことされておきながら……唯ってホント変態ね」
この感情を変態と呼ばれるなら、確かにそのとおりかもしれなかった。
私は、年下の美少女に奴隷のように扱われることに明らかな興奮を感じているのだから。
「わかった」
「美華さま……」
「明日……4時にここで待ってる。遅れたりしたらひどい目に合わせるから」
「あぁ……はい、わかりました美華さま」
私の、お嬢様。
そして私は美華さまの爪先に口づけをした。
最終更新:2009年08月14日 22:21