シャッターの下りたアーケードの商店街には、ストリートミュージシャンが立ち並んでいた。
みんなアマチュアとは言え、見向きもされない人がいて、ファンに囲まれてる人もいる。
わたしの興味を誘うような曲は全く聞こえてこなかったけど。
そもそも歌が嫌でこんなとこまでやってきたというのに。
さっさとこの場を離れたいのが本音なのに、歩いても歩いてもアーケードは終わらない。
さっきたしか3丁目だった。いまは5丁目。で、何丁目まであるの?
うんざりしはじめた私の耳に不意にとびこんできたのは、さしてうまくもないギターだった。
ボーイッシュな短髪に、白いTシャツとジーンズ。わたしよりもたぶん4、5歳年上の女の人が歌っている。
もうちょっと服装に気をつかえば全然可愛く見えると思うのに。損してる感じだ。
でもその飾り気のなさが、なんだかわたしの目をひいた。
女の人が歌っているのはバラードだった。
悲しい、片思いの歌。シンプルで覚えやすい、いい歌だと思う。
「終わり?」
5分ほどで歌い終えたその人に、私はつい話しかけていた。
自分に興味を持ってくれたことが嬉しいのか、女の人はわたしに笑顔を返してくる。
「まだ帰らなくてもいいの? もう遅いよ」
少なくとも、小学生が出歩く時間じゃない。
わたしは返答に困って口ごもったが、黙ったままなのも嫌で短く答えた。
「帰らない」
「帰らないって、でもそんなわけにいかないでしょ。家、どこなの」
「世田谷」
「ああ、セタガヤ……世田谷!? 世田谷って、東京の世田谷?」
「他に世田谷ってあるの?」
少なくともわたしは北海道にもセタガヤってとこがあるなんて聞いたことなかった。
「あんた、いいとこの子?」
「さあ?」
たしかに家はお金持ちの部類に入ると思うけど、世田谷ってだけでそれを連想するこの人もどうなんだろう。
「お父さんかお母さんは?」
「詮索するつもり?」
触れられたくないところをつつかれて、ちょっとムッとする。
「だって気になるでしょ、普通」
「一人じゃ悪いの?」
「わ、悪かないけど。あ、おじいちゃんとかおばあちゃんのとこに遊びに来たとか? 夏休みだもんね」
「そんなのいないわよ」
あいにく、わたしの祖父母は東京出身で、しかももう亡くなってる。
だから、はずれ。
「……じゃ、じゃあ……」
たぶんもう一つの可能性に気づいたんだろう。
言われる前に、わたしは答えをバラした。
「家出しただけよ」
「やっぱり! だと思ったんだよ。ああ、もう」
女の人はなんでか頭を抱える。べつにあなたが悩む必要はないと思う。
「お金、あるの?」
「お年玉とお小遣い貯めてたから」
「なんで北海道に?」
「べつに。逃げられれば沖縄でもよかったんだけど」
ただ、沖縄行きより札幌行きの飛行機の方が出発が早かった。それだけだ。
「逃げるって?」
「い、いいでしょ」
一番痛いところを、平然と。無神経な人だ。
わたしが逃げたのは、レッスンから。コンクールのプレッシャーから。歌、そのもから。
でもそんなの説明してあげるほど、わたしはこの人と親しいわけじゃない。
「親は心配してると思うよ」
「かもね」
さて、どうしようか。
これ以上この話題を引きずって、警察を呼ばれたりしたら厄介だ。
なにか別の話にしよう。
「ねえ、そんなことより他の曲もあるんでしょ?」
「違う曲も聴きたい?」
「いや、べつに」
聴きたいと言えばよかったが、もう遅い。わたしは素直なんだ。
「……可愛くないなぁ。反抗期?」
「だってヘタクソなんだもん、MADOKA」
自主制作のCDだろう。ジャケットに書かれた名前を見て、わたしはこの人をそう呼んでみた。
「なっ、そ、あ、そぅ……そういう君はなんてお名前なのかな家出少女さん」
「可憐」
わたしは自分の容姿も性格も好きじゃないけど、この名前だけは気に入っている。
「ごめんね可憐。気に入らなかった?」
「気に入らなかったら、5分もムダにして聞いてやしないわよ」
これも本当。
「……つくづく可愛くないね」
「歌もギターも最悪だったけど、詞と曲はよかったわ」
「……ありがとう」
MADOKAは複雑そうな表情をする。褒めたつもりだったのに。
「こんなことしてて楽しいの?」
「楽しいよ。好きでやってるんだから」
MADOKAちょっとムキになって答えた。
歌が楽しいなんて、わたしには考えられなかった。
いや、もっと小さい頃は、わたしだって……。
と、急にグルグルという間抜けな音が響いた。わたしのおなかがなる音だ。
「おなかすいたの?」
「な、なに聞いてんのよ失礼ね」
「おかげさまで耳はいいの」
わたしは恥ずかしいというよりも悔しくてうつむいた。
交通費と宿泊費でお金を遣ってしまうと、手元にはあまり残らなかった。
昨日あたりからまともに食べていない。
「どうぞ」
MADOKAがそう言って差し出したのは、一粒のチョコレートだった。
たりない。育ち盛りをなんだと思ってるんだろ。
でもその好意が、わたしには無性に嬉しかった。
心が浮き立つ。なにかはしゃいだ声を出したい気分だった。
だからその代わりに、わたしはリクエストをした。
「MADOKA、さっきの曲弾いて」
「いいけど?」
「歌なしでね」
MADOKAは首を傾げながらも、ギターを構えてくれた。
わたしは通行人たちの方を向き、背を伸ばした。
なんだか胸が高鳴る。バカみたいに。
興奮を抑え、息をつめてわたしは待った。
MADOKAのギターが鳴り始める。前奏が終わる。そして――。
わたしは歌った。MADOKAの歌を。
たった1回聴いただけでわたしの中に入りこんできたラヴソングを。
それは我ながら伸びやかで透明感のある、どこまでも響きわたるような会心の出来だった。
通行人の足が止まる。1人、2人……4人、8人……もっと、もっとそれ以上。
どんどん増えていく。
気づくとわたしたちの周りではすっかり人の流れが止まってしまっていた。
5分40秒。
歌が終わる。次いで、MADOKAのギターも。
代わりに起こったのは万雷の拍手だった。まるでコンサートホールのように。
「どう?」
わたしは誇らい気持ちになってMADOKAに振り向いた。
「最高!」
なにを考えてるのかMADOKAはわたしに抱きつき、おでこにもほっぺたにもキスしてくる。
「暑っ苦しい」
わたしが突き放そうとしても、MADOKAは笑うだけで全然こたえない。
勘弁して。
「ただのお礼よ」
「チョコの?」
「それと……」
「それと?」
「……べつに」
わたしは大事なことをはぐらかそうとした。恥ずかしくて。
MADOKAの腕の中からようやく抜け出したわたしは、もう全てが吹っ切ったれたことを感じていた。
だからもう潮時なんだ、たぶん。
「帰るわ」
「お家に?」
「うん」
「なんでまた急に」
そんなこと訊きながら、MADOKAはちっとも驚いていなかった。
なんとなくわかっているのかもしれない。
「そうね……」
後ろにまわした手を組んで、わたしはかかとを浮かせた。
恩人の、MADOKAの頬へキスするために。
「歌が楽しいものなんだって、思い出したから……かな」
「そっか。よかった」
MADOKA、わたしはきっとまたここに来る。
あなたのヘタクソな歌を聴くために。
あなたに会うために。
いろんな想いをこめて、わたしはささやいた。
「またね、MADOKA」
最終更新:2009年08月14日 23:14