経歴

1911年5月27日-2002年7月14日。享年91歳。
高等小学校卒業後、陸軍指定工場で働きつつ専門学校入学者検定(略称:専検)に合格。東京府女子師範学校(現:東京学芸大学)に進学し、本科卒業。更に同学専攻科修了。東京都台東区立小学校教諭となる。
初出馬は1989年7月の第15回参議院議員通常選挙(東京都選挙区)で、以後1990年2月の第39回衆議院議員総選挙、1990年9月の鳩ヶ谷市長選挙、1991年4月の東京都知事選挙など、旺盛な選挙闘争を行う。
長らくその後が不明であったが、選挙マニアによる調査で2002年に逝去していたことが判明した。
あまり語られることがないが、そのあまりの衝撃的なスタイルから政見放送マニアの間では有名な人物であり、ひっそりと人気を見せている。

政見の特徴

彼女は何らかの精神障害を患っていたとみられ、内容は支離滅裂なものが多い。また、政見放送の中で、一切の政治的主張が無い。
内容は彼女の自費出版著書「我は平民」の一部を読み上げるものとなっている。しかし現在国会図書館や、自費出版図書館にも所蔵されておらず、親族も所持していないことから原著を手に取ることは絶望的である。(本人曰く、「我は平民」は銀座の「岡本屋」という書店で販売をしていた。また、ドイツ大使館にも寄贈してあるそうだが、両方とも真偽は不明。)
政見放送内では実際に本を手にとって朗読しており、姿勢が安定しない、入れ歯が外れるなどのパフォーマンスが特徴的である。
内容は非常に聞き取りにくく、また有志により解析された全文を読んでも全く理解不能な内容であった。しかし出馬意図として後生掛温泉、NHK、担当民生委員、天理教並びに晝間仲右衛門初代鳩ヶ谷市長に対する被害妄想を執拗に訴え罵倒した事実や、政見放送中の「牢にぶち込まれた」という閉鎖病棟への入院を示唆する発言があり、これが彼女が精神障害を患っていたとされる最大の理由である。
  • なんじゃいな。
  • 山、山、山、人もいない。どこに埋られようと知る由もない。山、山、山の神、何もない山、山ばかりである。熊の山。
  • 松沢病院は死病院

ニコニコ動画で視聴できる動画


タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2023年07月26日 20:58