経歴

1932年6月10日-2012年4月1日。享年79歳。
腹違いの兄弟が存在する複雑な家庭に生まれる。関西学院大学商学部卒業後、第一銀行行員、ガソリンスタンド経営を経てブロイラー養鶏場を経営するが、失敗。この際負った負債の返済のため、姫路市でゲイバー「るどん」を経営する。しかしこれも失敗。今度は東京でゲイバー「とうごうけん」を経営、ゲイ雑誌「The Gay」「ザ・ケン」編集長、ゲイビデオ制作、エイズ啓蒙活動、ゲイのための診療所開設、ゲイ・ゲームズ支援等、ゲイのための活動を行う。
生涯を通して同性愛者や障害者等の地位向上のための活動に従事。同性愛者であることをカミングアウトした当時としては極めて珍しい人物であった。
選挙活動にも意欲的で、かつては選挙機会ごとに立候補していた。この際の選挙資金や供託金没収により幾度もの経済的破綻を経験し、実家が持っていた日本海側に面する大規模な土地を失うこととなる。また、1971年の参院選において宣伝カーからの演説に振り向くものもなかった際に「オカマ、オカマの、東郷、健。参議院議員立候補、オカマ、オカマの東郷健がまいりました」と叫んでみたところ、中年男性が手に持っていた荷物を落とし、東郷の乗る赤い宣伝カーを初めて見たというエピソードから、以降「オカマの東郷健」を自称し始める。
初出馬は1971年の第9回参議院議員通常選挙。以降1995年まで多数の選挙に出馬、落選を繰り返していた。
1983年に雑民党を結成。性的少数派や、障害者などいわゆる「マイノリティ」と呼ばれる人たちを集め活発な選挙活動を行った。
2012年4月1日、前立腺がんにより死去。7月1日には、BAR東郷健に集った客が中心になって企画された追悼会「東郷健を偲ぶ」が催行された。
政見放送内では過激な発言が多く、放送禁止用語を連発していた。これにより一部のマニアで人気を呼び、お茶の間にはカルチャーショックを与えた。
「オカマ」「マスゴミ」といった言葉を広めたきっかけとも言われている。

政見の特徴

落ち着いた口調でつらつらと語るのが特徴。内容は選挙により様々だが、自分の近況や半生についての話が多い。
また先述したとおり放送禁止用語を連発する過激な発言が多く、「一切の改変が認められない」政見放送において唯一内容が削除された人物でもある(政見放送削除事件)。
話には皮肉が効いており、時たま格言のようなものを発する。
  • 警察官が100人おって、100人がチンチンを見て勃起する人手を挙げてって言うたら、多分100人とも手を挙げないと思います。
  • ゲイの行くホモサウナがあって、そこで何人かとセックスをやって、そうしてエイズになったというわけですから
  • 恥ずかしいのは、自分自身に嘘をついて生きることや。恥ずかしいのは、人を愛されないっていうことや。
  • 星と、人とのただなかに、小さき者の、何を争う。

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最終更新:2013年03月06日 16:12