緋田美琴にとって聖杯戦争とは困った非日常だった。
逆に言えば、そこまで認識の大きさを意図的に縮められるのは間違いなく彼女の特異性の一つであったに違いない。
願いを叶える戦いと言えば聞こえはいいが実情は敗北が死とイコールで結ばれるデスゲームだ。
きっと頭を抱えて震えたり自分を襲った理不尽に不平不満を吐き散らすのが只人の正しい反応だと言える。
その点
緋田美琴がこの状況に適合し、自分にとっての普段通りを見出すまでの時間はとても短かった。
死ぬのは困る。
この世界から何としても生きて帰らねばならないとそう感じている。
美琴はちゃんと人間だ。
類稀なる超越者でもなければ悟りを開いた覚えもない。
にも関わらず彼女は非日常の焦燥と折り合いを付け、自分の日常を歩み続けていた。
前奏期間のある日に己が従僕からも指摘されたように、
美琴のそんな姿勢はこの血で血を洗う輝かしき殺し合いの儀式の渦中にあってはある種異様なものですらあった。
聖杯に託す願いは持たず、ただ帰還だけを乞い願う。
その上焦った様子はなく自らを鍛え上げる研鑽(レッスン)に日々邁進し続ける。
前奏が終わり本戦が幕を開けてもそれは変わらなかった。
今日も美琴は鏡の前で踊り舞って、時折元の世界とそこに残してきた相方に思いを馳せる。
“…にちかちゃんも一応この世界には居るみたいだけど。こっちのあの子は、マスターじゃないみたいだった”
美琴がこの世界で唯一自発的に調べたのが、彼女の所属するユニットの相方。
七草にちかという少女の所在と彼女がマスターであるか否かだった。
結果、にちか自体はこの世界にも存在していた。
七草はづきの妹というロールで。
しかしはづきに話を聞いた所、この世界のにちかは既にアイドルを諦めた身であるという。
近頃腕に怪我をした様子はなかったかという問いにも、はづきは怪訝な顔をしながら首を横に振るばかりだった。
“良かった。こんな戦いに放り込まれるアイドルなんて私だけで十分だから”
七草にちかはマスターではない。
そう確信できた事で、美琴の聖杯戦争は状況の進展を待つ現在の状況へと落ち着くに至った。
緋田美琴は自分がどういう人間であるか人一倍よく理解している。
探偵紛いの事をしてあれこれ嗅ぎ回った所で十中八九いい結果は生まれない。
そのくらいなら餅は餅屋の言葉に倣い、自身の刀として呼ばれたあの男に全てを委ねながら進展を待つ方が遥かに利口だろうと踏んだ。
そして今に至る。
くどいようだが美琴はまだ、この非日常の中で自分なりの"日常"を貫き続けていた。
一日練習しなければ自分に分かる。
二日練習しなければ批評家に分かる。
三日練習しなければ聴衆に…観客に分かる。
何処かで聞いたフランスのピアニストの言葉。
美琴はかつてそれを聞いた時心底から同意した。
アイドルのダンスもそうだ。
一日の怠けが錆になってパフォーマンスの質を著しく落とす。
自分というアイドルの価値をガクリと下げる。
ならば怠ける等、未来への不安で足を止める等できる訳もない。
美琴は既にこの世界から生きて帰った後の人生を見据えていた。
「マスター」
そんな彼女の踊りを無感動に眺めていた銀髪の男。
他ならぬ美琴のサーヴァント、
ウィリアム・ベルグシュラインが不意に口を挟んだ。
美琴の動きが止まる。
ふうと息を吐き出してから彼女は己が従僕へと振り向いた。
「…何かあった、アーチャー?」
「研鑽の最中に済まないな。だが火急の案件だ」
「もしかして、敵?」
「ああ。近くに居る」
相も変わらずの鉄面皮。
石像のような無機質さに情熱の類は欠片も見受けられないが、それは彼という男の弱さに直結しない。
「気配を隠そうともしていない。恐らく今、俺は誘われている」
「なら乗る必要もないんじゃないの? わざわざ蜂の巣を突く意味ある?」
「それも一理あるが、時には露を払うのも肝要だ」
ベルグシュラインは恐ろしく優秀な男である。
その事はこの一月程の付き合いで、美琴にも理解できていた。
試しに見せてくれた踊りはコメントに窮するものだったが逆に言えば彼が見せた弱点らしい弱点はそれ一つだけ。
絵物語の中にしか存在を許されないような完全無欠の英雄。
自分の知らない所で彼が一体何体の英霊を斬り伏せてきたのか、美琴には想像もできなかった。
「恐らく敵手は予選期間、この近辺でサーヴァントが次々消失している事を何らかの手段で嗅ぎ付けている」
「…それって、あなたをピンポイントで狙い撃ちしてきたって事?」
「恐らくは。此処で応じなければ、手当り次第の破壊行動に出ないとも限らん」
そして彼は冷徹な男でもある。
合理故の冷徹、迷いなき取捨選択を常に行える機械装置めいた精神性。
その言葉が民間への犠牲を嫌う故に出たものではない事を美琴は理解していた。
「要人護衛は慣れたものだが敵手が星辰奏者…もといサーヴァント級の力を持つとなればどうしてもリスクは生ずる。
ましてや兵団も部下も存在しない状況であれば尚更だ。確実に守護を果たせる確証がない」
「…えらく弱気だね。ちょっとびっくりしちゃったな――そんなに強そうなの? 誘ってきたサーヴァントって」
「君にとっては余人で言う所の掠り傷ですら重傷に値する。そう認識していたが…違ったか?」
「……」
緋田美琴はアイドルである。
アイドルは身体が命だ。
ルッキズムの否定が叫ばれて久しい現代ではあるものの、どうしても揺るぎない現実として見た目の完全さはアイドルの価値に直結してしまう。
そして顔など見える場所への手傷に限らずとも、ダンスをこなす上で必要不可欠な手足に怪我でもすれば…最悪アイドルは廃業せねばならない。
「ごめん。変に口出ししちゃったね」
「構わん。あくまでも主君(マスター)は君だ。君の意向は俺の判断よりも優先される」
「アーチャーが正しいと思う事をして。…あなたが、私の為になると思う事を」
「承知した」
そうとだけ言い残して霊体に変わり消えるベルグシュライン。
その姿を見送った美琴は、小さく苦笑をこぼした。
「我ながら夢見がちな方だとは思ってたけど…騎士様に守られる日が来るとは思わなかったな」
今更の感想だと思いながらも気付けばついつい呟いていた。
レッスンの手を止め、念のため何か起きた時にはすぐ避難できるよう備え始める。
ベルグシュラインの帰還を疑う心は――欠片も無かった。
口火を切ったのは待ち受けていた男…
石流龍の方だった。
同時にベルグシュラインの眉がピクリと動く。
驚くべきはその攻撃手段。
ベルグシュラインの目前に突き出された光景は、想像を遥かに越えて奇妙奇天烈な絵面であった。
砲台を思わせる筒状の髪型。
リーゼントと呼ばれるそのスタイルは新西暦にまで残る事のなかった、旧時代の遺物とでも呼ぶべき文化である。
その内側に魔力が収束していくのを感知するなりベルグシュラインは臨戦態勢に移行した。
何処の誰が信じられようか。
現代基準ですら時代遅れの誹りを免れないだろうその髪型は伊達でも酔狂でもなく、れっきとした彼にとって最適の砲身であるなどと。
「グラニテブラスト」
刹那、世界が爆ぜた。
ベルグシュラインの脳裏を過ぎるのは音に聞いた英雄の星であった。
天霆、絶滅光、破滅の光、浄滅の輝き、明日への希望。
ありとあらゆる美辞麗句を並べて語られ畏れられた邪悪を滅する死の光――ガンマレイ。
それを彷彿とさせる程の頭抜けた出力と集束の元に放たれた閃光が白昼の摩天楼に惨事を刻む。
撒き散らされる粉塵。
爆砕されたコンクリートの飛沫。
白昼堂々の大火力砲撃によって巻き上げられた塵の中から、ベルグシュラインは静謐のままに歩み出た。
衣服に多少の煤や塵は被っていたものの目立った手傷は負っていない。
肩口の埃を払いながら剣士は此度の敵へと平坦なままの声色で言った。
「随分と派手にやるものだ。漁夫の利を狙われるのが恐ろしくはないのか?」
「悪いな。女と美味い物には我慢をしねぇ性分なんだ」
――ベルグシュラインの推察。
目前のサーヴァントは典型な戦闘狂、バトルジャンキーである。
最低限の分別はあるのだろうがあくまでも最低限の領域に留まる。
自分自身が出る釘となって誰かに打たれる事を躊躇しない、それどころか歓迎する手合い。
討伐令や裁定者といった聖杯戦争の均衡を保つシステムの存在しないこの舞台にある意味では最も最適な形で適合している。
そして驚くべきはその火力、その出力。
“異次元だな。まともに喰らえば瞬きの内に消し飛ぶか”
あの次元の星辰奏者はそうそう見なかった。
ベルグシュラインが知る四柱の神祖、淫蕩なる地母神にすら並ぶか凌駕するだろう。
極めて厄介。そしてそれ以上に危険な手合いだと看做さざるを得ない。
以上を以ってベルグシュラインは結論を出す。
この男はこれまで己が相対して来たどのサーヴァントよりも強い、と。
しかしそれでも神剣を抜刀するその手に震えはなく。
精密機械じみた精密さと速度を両立させた抜刀が完遂されるか否かの瀬戸際で、石流の砲撃(ブラスト)が彼の立つ地点に殺到――焼き尽くした。
「――ッ!」
生死の確認は不要であった。
誰が見ても分かるから、ではない。
砲火によって生じた爆風と粉塵が晴れるよりも速く、爆心地から石流に向けて殺到するモノがあったからだ。
“簡易領域…! シン・陰流か?”
簡易領域という技術が存在する。
領域の展開を可能としない弱者が領域の使い手に対抗するべく編み出した弱者の生存戦略。
古には彌虚葛籠。
石流の生きた戦国乱世の時代にはシン・陰流が頭角を現していた。
これらを指して簡易領域。
そしてシン・陰流のそれが持つ効果こそが、自身の周囲半径一定距離に侵入した物体及び霊体を全自動で迎撃するというものであった。
石流龍は今目前で生じた事象をその技巧により成し遂げられた不条理であると解釈しようとした。
だが大雑把な外見と豪快な戦闘スタイルに似合わない聡明な脳髄がその安易な結論に否を唱えた。
“いや…違うな。シン・陰のそれより五倍は速ぇ”
ベルグシュラインは如何にして石流による集中砲火から生き延びたのか。
その回答はあまりに無体で非現実的なそれであった。
単純明快、殺到した砲火の一つ一つを呆れる程の緻密さと驚く程の速度で文字通り斬り伏せたのである。
更にそれだけには留まらない。
爆塵と衝撃波の合間…恐らくは0.001mmを遥かに下回るであろう僅かな隙間を縫うようにして斬撃を石流の許へと走らせた。
呪力により強化した右腕で斬撃を跳ね除け事なきを得るが、彼の手の甲からは一筋の血が滴っていた。
並の術師・英霊であれば傷を付ける事からして難しいだろう所を、単なる反撃の一閃で以って斬り裂いてのけたのだ。
ニヤリと石流の口元が笑みに歪む。
悪くない。
多少の悪目立ちを覚悟で誘い出してみた甲斐があった。
「砲撃(ブラスト)を斬り捨てられたのは始めてだ」
「生憎と、剣を揮う以外に能のない盆暗でな」
「盆暗の剣でアレを掻い潜られて堪るかよ」
鼻で笑いながらも石流の顔に驕りや嘲りのそれはない。
先程まではあった様子見の気配も今や消えていた。
「甘いというよりはしょっぱそうだ」
「何の話だ」
「だが、塩飴ってのもなかなかどうして乙なモンだからな。
舐瓜に生ハムを巻いて食うのも…趣味じゃないがまぁ悪くはねぇ。変わり種だが確かな値打ちがある」
「悪食だな」
「俺もそう思うよ。しかし塩味が甘さを引き立てるってのもまた確かさ」
石流が構える。
砲台の照準は無機質な剣士へ。
ベルグシュラインも構える。
此処からが白昼堂々の鉄火場の本番だ。
「精々甘くなってくれよ? 侍かぶれの異人くん」
グラニテブラスト――放出。
確かに先手を取ったのは石流だった。
しかしながら此処にまたしても不条理が具現する。
砲撃に対しベルグシュラインが何らかのアクションを起こすよりも先に、石流は回避の為にその場を飛び退くのを迫られた。
「蕩けるような浪漫を所望なら、運が無かったな」
後の先。
古今東西ありとあらゆる武術において至高の一つに数えられるそれを事も無く成し遂げる剣士。
迫る砲撃を同じく飛び退いて躱し、宙に浮いた足が再び地を踏むまでの須臾の時間で片手間に十重の剣閃を放つ。
「俺もそれを探している所だ」
一発たりとて軽視はできない。
妥協は即ち即死に繋がると石流は既に理解していた。
血の気が引く程の光景だった。
果たして生前ですら、これ程までに悪夢じみた剣の使い手と相対した事があったか。
“繊細! 精密! 針の穴を縫うより遥かに高度な所業! 一撃でも浴びれば心の臓まで斬り裂かれるという確信がある!”
背筋が冷える程の恐るべき太刀筋を目の当たりにしながら、しかし石流の心臓は高鳴っていた。
何しろ彼は強敵の登場を受けて心を躍らせる質の術師。
一手誤れば文字通り膾切りにされる事請け合いの死線の中でアドレナリンを過剰分泌させながら呪力を廻す。
頭の砲台から飛び出させた無数の呪力がこの苦境を覆すべく迸った。
散弾のように放たれた砲火、それが路地を建物を破壊しながらベルグシュライン本体にまで襲い掛かる。
ベルグシュラインの防性は呪力による自己強化が可能な石流に比べて数段劣る。
もしも彼の出力による集中砲火なり絨毯爆撃なりをまともに浴びれば、忽ちその傷は致命のそれへと繋がるだろう。
「刀身…いや、斬閃の延長か。神経を病みそうな術式(ちから)だな」
「言っただろう。俺には剣以外に無いと」
返しの死線を文字通り捌いて立つその貌には恐怖も動揺も一切なく。
星辰光の正体を看破された事に焦るでもなく毅然と立ち続ける。
カンタベリー聖教皇国の騎士団長にして神祖の刀という立場を任じられた恐るべき傑物――絶対剣士、
ウィリアム・ベルグシュライン。
「行くぞ」
閃撃が解き放たれる。
嵐の如き剣の波濤はその気になれば都市の一角を更地にする事さえ可能な極みに達した剣戟である。
剣の斬閃を延長するとだけ言えば単純に聞こえるだろう。
だが一斬一斬の間合いを正確無比に調整し、ましてや一瞬を無数に断割した刹那の瞬間に最適な長さを算出する技を神業と呼ばずして何と呼ぶのか。
まさに剣を揮う為に産まれたような男だと石流は手放しに彼の御業を称賛する。
そしてその上で…其の底を検めた上で己が食らうと獰猛に決定しながら己の術式を解き放ち対抗した。
「来いやァ!」
ベルグシュラインの斬撃は一つ一つが極限の鋭利さで放たれている。
一切斬滅を地で行く神敵殺しの御業。
石流の出力とも正面切って張り合える刃。
されど彼が放つ極太の砲撃…稀代の超出力の真髄を具現させる究極の力業までは正面突破を通せない。
切れ味と速度を併せ持った合理の極みを真正面から押し潰す超大出力。
それを隠れ蓑に石流はあろうことか、ベルグシュラインへと接近する事を選んだ。
呪力を万全に載せてコーティングした鉄拳とベルグシュラインの神剣とが触れる――否、触れない。
呪力と斬閃そのものが纏った衝撃波の力場。
その二つが最短距離にて衝突する事で、互いに触れ合わぬまま激突するという矛盾を現実の景色として実現させていた。
「至近じゃ流石に無茶はできねぇか?」
嗤う石流。
前蹴りの一撃は刀身に受け止められたが、それでも尚絶対剣士の体躯を宙に浮かせ吹き飛ばした。
単なる打撃蹴撃すらもが砲撃のそれに匹敵する異次元の火力。
サーヴァントである以前に星辰奏者であるベルグシュラインをして、力押しではまず敵わぬと確信させる力を彼は気儘に揮う。
「俺はつまらん男でな。無茶無法の類にはとんと縁がない」
着地するベルグシュライン。
次の瞬間、石流は瞠目させられた。
「出来て、この程度だ」
「――ははッ!」
建物の外壁を踏み台にしてそれこそ砲弾の如く加速したベルグシュライン。
吶喊する過程ですら剣が揮う彼は、攻防を最高の精度で合一させた活動する斬撃に他ならなかった。
旋(つむじ)の一つ一つに斬鉄の次元を遥か超絶する鋭さが宿った颶風(かぜ)。
石流に反撃をすべく舞い戻った彼には、小手先の火力は通じない。
一切合切両断しながら、逆袈裟に振るわれた刃が石流のジャケットを斬り裂いた。
「躱すか」
「躱すさ。舐めんなよ」
僅か一歩分の後退で致命を避けた石流。
ベルグシュラインの斬撃の丈(サイズ)を敵手の立場に立って算出し、その距離分正確に下がる事で切り抜けた。
並の経験則では成し遂げられない確かな実力に裏打ちされた咄嗟の回避。
仕留め切れなかったベルグシュラインに対する応報とばかりに万物粉砕の大火力が迸る。
但し今度は正面からベルグシュラインを呑もうとするのではなく、斜め45°の角度で地面を抉り吹き飛ばした。
“目眩ましか――”
しかし何という事もない。
真横一閃の斬撃が揮われ、砲火の余波たる火力の波ごとその向こうの石流を斬り裂かんとした。
ベルグシュラインの眉根がピクリと動く。
歯を剥いて笑う石流のリーゼントの先端…彼にとっての砲口の地点で、絶対剣士の斬撃は解放を待つ呪力の波と鍔迫り合っていた。
「俺も出力(これ)だけが取り柄でな」
力比べではベルグシュラインの方が分が悪い。
持ち前の合理的思考で競り合いに見切りを付けた剣士をしかし石流は逃がすものかと踏み込んで追撃する。
鉄拳一発。再びベルグシュラインが刀でそれを止める。
先の焼き直しとも言えるような構図が描き出されるが、石流は至近距離であるにも関わらず躊躇う事なく呪力を解き放った。
“反動(リスク)は許容する! 斬れねぇ間合いで焼き潰されりゃ流石に吠え面掻くだろう!?”
無論代償はある。
自分自身の火力に焼かれる自傷ダメージ。
しかしこれは石流にとって痛みを許容するに足る好機だった。
ベルグシュラインは間違いなく傑物であり怪物である。
されど剣を揮う事が物理的に不能な状況であれば彼はノーガードの丸腰にも等しい。
そこを渾身の一撃(ブラスト)で焼き尽くせば雌雄は決する。
石流はリスク承知で勝ちを取りに行った。
果たしてその成果はどうか。
爆煙が晴れた時、答えは示された。
「…改めて言うぜ、何処が盆暗だテメェ」
「この有様を見れば解るだろう。まんまとお前に一杯食わされ、苦し紛れの反撃には成功したものの仕留め切れていない体たらくでは」
爆発にも等しい火力炸裂。
ベルグシュラインは土壇場で手を打ちどうにか致命傷は回避した。
だが負ったダメージは大きく、衣服や肌の所々が焦げ付いている。
石流の繰り出した一手は完全な形で決まるとまでは行かなかったが、ベルグシュラインに大きな痛手を与える事に成功した。
とはいえそれは石流の方もまた同じであった。
無茶な砲火炸裂を敢行した反動として受けた自傷のみではない。
彼の脇腹に刻まれた一筋の裂傷と其処から湧き出る血潮がそれを物語っていた。
「そう驚く事でもあるまい。剣を揮えない状況ではあったが、剣を動かす事自体はできたのだから」
「……」
「一寸、二寸…それだけあれば我が星辰を発動するには十分事足りる。
苦し紛れの不格好な剣戟に限られる事を除けば、な」
ベルグシュラインは只凌ぐだけには留めなかった。
伯仲と拮抗の最中に刀身を微か、それこそ一寸二寸のみ動かし…その僅かな動作を起点に星辰光を発動させたのである。
万全には程遠く絶対剣士の名が廃るような不格好な剣ではあれど。
接触している地点から周囲数メートルの間合いに無軌道な斬閃の嵐を撒き散らす事くらいは可能であった。
その大半は石流の砲撃によって押し潰され霧散したが、一発だけは火力の中を掻い潜って彼の腹に届いていた。
劣勢のベルグシュラインが石流の脇腹を斬れた絡繰りはひとえにそんな所。
さりとてそれがどれ程頭抜けた絶技であるのかは石流の表情を見れば推して知る事ができよう。
「――良いね。俺好みの味じゃあ無ぇが、此度の現界にだいぶ希望を持てた」
ベルグシュラインの強さは甘くない。
SWEETとは縁遠い、恐ろしい程に味気なく塩辛い剣戟だ。
それは生憎と強弱の話抜きに石流の好みからは外れていた。
が、それとは別に彼の頭抜けた強さと技の冴えは甘味に飢える石流に大きな希望を与えてくれた。
これ程の使い手が彷徨いている都でならば。
己の飢えと乾きを、物足りなさを満たしてくれる極上のデザートにありつける可能性は十分にあるだろうと。
「退くのか」
「興が乗りすぎるといけねぇんでね。飛んで火に入る夏の虫は大歓迎だが、それが群れになると流石に具合が悪い」
「ならば俺も追うまい。此方としても白昼堂々の悪目立ちは本意ではない」
「建前だな。この近くに居るんだろ? おたくのマスターが」
誘いに応じる形で現れたベルグシュライン。
その時点で石流は、彼のマスターがこの近辺に滞在している可能性を考えた。
そして戦いの中でそれは疑念から確信へと変わった。
悪戯に戦闘の規模を拡大させたくないというのもあったのだろうが、それにしても戦場をこの路地から押し広げる事を厭っているのが分かったからだ。
己の術式は大出力の大火力。
付近にアキレス腱たるマスターが存在する状況で不用意に全力を出させれば…万一の事が無いとも限るまい。
「人は見た目に依らないな」
「その言葉はそっくりそのまま返してやるよ。生真面目そうな面しちゃいるが、オマエは根っこの部分は俺と同類だろう?」
「さてな。少なくとも貴殿ほど貪欲になったつもりはないが」
「まぁ、お互い頑張ろうぜ? 良いデザートにありつけるように」
そう言い残して踵を返す石流。
彼の姿は空へと溶け、霊体化して消えた。
ベルグシュラインもまた霊体に変わるがその間際に、一言。
「…此方はまだ主菜にすらありつけていない身でな。食後の甘味に目を向けられる時など――果たして何時になるのやら」