「くあぁ~…っ!訓練後のシャワーはやっぱ気持ちいいねぇ!」
濡れた髪をタオルで力任せに拭く勝名を先頭に女子組が分隊部屋に帰って来た。
先に上っていた男子陣―――悠希と応馬しかいないが―――はすでに思い思いに寛いでいた。
「流石に男子は早いわね」
「そりゃ気に掛けてるトコは少ないからなぁ」
ベッドで横になりながら戦記物の小説を読んでいる悠希の、そのベッドに雫が座る。ギシリと小さく軋んだ。
視線を本から外し、何気なく雫に向ける。
………ほんのり桜色に染まった頬と、まだ乾き切らない艶やかな黒髪。そして生来から仕込まれた女性らしい”しな”が、悠希を何かよろしくない気持ちにさせる。濡れた黒髪を拭く仕草もまた、どこか艶かしく、動悸が急速に早くなっていく。
これは何かマズイと察知し、視線を本に戻す。丁度そのとき、雫がこちらを向いた。
「何読んでるの?」
「平家物語」
そう云いながら、本の表紙を雫に向ける。露骨に嫌そうな顔をする雫。
「それは私に対する嫌がらせ?」
「いやいや、自分が読みたいから読んでただけだって」
弁解しつつ、本を閉じて私物入れに放り込む。
雫が嫌がることはしない。それが悠希だった。
とはいえ、読むのをやめると途端に手持ち無沙汰になってしまう。かと言って自主訓練をやる時間も無い。仕方ないので、寝る準備に入る。
別に楽しく読んでた本が読めなくなって機嫌を損ねてるわけではない。そこまで子供ではない。
ただ単に、やることが無くなったので早めに寝ようかと思っただけのこと。
しかし、雫には不機嫌そうに見えたようで、表情が曇る。彼が自分の言葉によほど無茶な内容でなければ従うというのを、時折忘れてしまう。
時折見せる幼馴染としての顔が本当の彼なのだと知っているから………時折周りに人がいてもその延長として勘違いし、冗談を言ってしまう。そして、それを否定せず、何も文句を言わず従う悠希に対して申し訳ないと思ってしまう。
(駄目だな…私………やっぱりまだまだ悠希に甘えてる…)
と反省はするものの、今更気にしないで読んでとも言いにくい。
だから、虚勢も交えて努めて明るく、別の話題に切り替える。
「あ、他に何かない?私が読めそうなの」
「へ?」
そう言いながら、枕元にある悠希の私物入れに手を伸ばす。丁度、それは雫からの位置では身長的に手をつき、背伸びして届く距離に。ただしそれは、悠希に覆いかぶさる形になり、しかも体勢的にかなり怪しげなことに。
目の前で揺れる、控えめながら確かに自己主張する二つの乳房。そしてまだ乾き切っていない長い髪の先が額を撫で、突付く。
流石に間近で、幼馴染で仕えるべき相手ではあるが、同い年の女子の胸がすぐ目の前で揺れているという状況に、男としての本性が鎌首を擡げる。
―――流石にこれは不味い。色々不味い。久我じゃねぇんだぞ俺は…っ!
下手に顔は動かせない。一歩間違えて触れようものなら何をされるかわかったものではない…
なので、対処方法の一つとして、視界情報の削除を慣行する。
………が、”視界情報がない”となると数々の神経が外界の情報を取り込もうとして、耳が、肌が、視覚を除く4感が全力で”源 雫”という存在を、熱を、音を拾い出す。そして、若者らしい、女子への僅かながらの憧れがそれをより強く意識させた。
―――コリャ駄目だ…余計に股間の長槍に血が回る…
目を開き、適当に眼を動かす。とにかく、今は余計なことを考えるべきだ。
と、そこで斉藤がこちらを見ているのに気付いた。口元を本で隠しているが、あれは絶対にニヤけている。
何か言いたいが、本当に鼻スレスレのところに乳房が揺れているので、下手に動けない。
「ね~悠希、なんか無いの~?」
「分隊長殿、かなりいかがわしい体勢になっているのですが…」
存分に楽しんだところで口を挟む齋藤。口元は本で隠したままだ。
「え?」
言われて視線を下に向けると、若干顔が赤くなった悠希が。眼が合い、愛想笑いを向けてきた。
「き、きゃ………っ!?」
バネのようにもの凄い勢いで飛び上がり、慌てて胸元を腕で隠す。
「中々罪な人ですね、森上さんも。一声かければ良かったのに」
「喋れたら喋ってたけどね…」
そうぼやきつつ、上半身を起こして雫に頭を下げる。
「自分から注意すべきだった。ごめん」
「い、いいからっ!私が無防備過ぎただけだからっ!気にしなくていいから!ね!」
顔を真っ赤にしながらも必死に悠希に非が無いことを諭させる。
主に非を持たせる事に何某かの抵抗を感じてるようではあったが、その主である雫は「私が悪いのだから謝らないで」と主張する。
結局、「雫がそう云うのなら」ということで、悠希はその場を譲ることとなる。
その一部始終をニヤニヤと眺めていた斎藤も、プライベートな時間に入ったようで趣味の時間に入る…何故か将棋の指南書を取り出して。
都と勝名も雑談にふけ始めたので、
久我 応馬もそれに混ざる。基本的に何かしでかさなければ特に何もされない………と、そう教育したのだ。主に雫が、応馬に対して。
そのお陰で、最近では無闇に抱きついたりセクシャルハラスメントな発言も大分減り、ひとまずは”分隊内”の安全は保障された。ただ、これは裏を返せば”分隊外”の女子には未だ抱きついたりしているということなのだが。
「お二人とも、知ってるかい?この訓練校にまつわるこわぁ~いお話」
「ンだそれ?初めて聞くぜ?」
「私もです。どんなお話なんですか?」
「おっ、二人とも食いつきいいねぇ、お兄ちゃんそういうの大好き。
で、その話なんだけど、ある衛士がこっそり訓練しようとシミュレータールームに向かったんだ。
で、一通り訓練を終えて、さて帰るかって思ったシミュレーターから出た………そしたら、不意に白い影が目の前を通り過ぎたんだ…
慌てて白い影を追うんだけど、隣のシミュレーターに音もなく入ってしまい…」
「………んだよ、全然怖くないんだけど。なぁみや………って、おい」
見れば、両手で耳を塞ぎ、力いっぱい瞼を閉じて「こわくない、こわくない…」と念仏のように呟いている都の姿が。
「自分で聞いといてなんだそりゃ」と言わんばかりに脱力すると勝名。一方の久我は「いいよいいよーその震えっぷり」と何かに目覚めている様子。
世の中には、恐いものは嫌いだけど聞きたがる輩がいるという。都はそんな輩の一人なのだろうか。
「都ちゅぁんってもすぃかすぃて恐くなると一人で眠れないタイプぅ?」
奇妙な巻き舌を使いニヤニヤと挑発する久我だが、言葉上では意外と的を射ていたらしく、ひどく動揺してる。
「なんだったらボクといっsy「も、森上さん!」
「ん?」
抱きつこうとする久我より早く都が動き、何か話している悠希と雫の元に駆け寄る。オイタをしようとした久我の脳天に勝名の鉄拳が振り下ろされ、素晴らしいまでに痛い音が響く。が、いつものことなので誰も気に留めない。
「どうした?青い顔して」
「い、一緒に寝てもらえませんか!」
「「はぁ!?」」
悠希と雫が同時に驚く。
何を言い出すんだこの娘は―――と口にするより早く、雫が先に動き鼻先がつきそうなほど顔を近づける。基となる顔が美形なだけに、睨み顔はそこらの強面とは別のベクトルで恐い。幼馴染とはいえ、この時の顔は何度見ても慣れない。
「貴方まさか久我みたいに…っ!」
「おおおお落ち着け雫!俺は何も」
「都、どうしたの!?悠希に何かされたの!?」
「いえ、実は…」
先ほどの恐い話を聞いて恐くなったので一緒に寝て欲しいという事を掻い摘んで説明する。
その内容をよく吟味し、再度本当に何もないのかを確認して、深く溜息を吐いた。
「分かったわ…でも悠希じゃなくて私とね…」
「あ…ありがとうございます!」
しょぼくれていた顔が一気に明るくなり、雫はそんな都を抱きしめた。
ちょっと驚くが、そのまま髪を撫でられる。
「まったく…怖がるくらいなら聞かなきゃ良いのに」
「それは…その…」
「ま、良いけどね。そういうこともあるし」
そういう雫の手は、やけに優しかった。その優しさに、都は少しずつ体の緊張を緩めていく。
どこかに忘れたまま、置き去りにしたままの何かが、都の心を包む。何故こんなことをするのかよく解らないけれども、この優しさに包まれる感触は、都にとってとても抗い難いものだった。
「よくこうして母さまにあやしてもらったっけ…」
都を撫でる手がより優しくなり、その表情もいつもの凛々しさが際立つ生真面目な顔から、母のような優しさに溢れた笑みに変わっている。
それが余計に気持ちよく、都はなすがままにされる。
そんな光景を至近距離で見せられる悠希は、目が線になっていた。というより、見ないようにしている。微笑ましいとは思うのだが、心の奥にある何かが見てはいけないと叫んでいる。理由なんてこっちが知りたい。
「そういや源ぉ、アンタん家って九郎の親戚かなんかか?」
不意に部屋の端で久我を使って遊んでいた勝名が、唐突に話を振ってきた。一瞬にして、穏やかだった場の空気が氷河期の如く凍る。
都は何故か急に冷たくなる空気が理解できず、しかも先程までのギャップに「え?え?」と慌て、本を読んでいた斎藤は頭を押さえ「いきなりなんてことを…」と渋い顔をし、久我は「はい?なにその話?おいしいの?」と云った風で、何も理解してない様子。
―――聞いてはいけないもがこの隊にはある。
そんないつの間にか出来た”暗黙の了解”が、この冷たい空気を作り出していた。
で、その渦中の人物はというと―――思案してるような仕草を何度も繰り返す。
なんと答えるべきか………それを模索してるようにも見える。
云い難いのかと思った悠希が、代わりに語ろうとして、雫は手で制す。
「ここで下手に誤魔化しても、いずれは余計な詮索が入るだろうし………それに別に隠してるわけじゃないしね」
そう云う雫の顔には、苦笑が浮かんでいた。そこから、何がしかの覚悟を決めたと判断した悠希は、何も言わず目を閉じ、姿勢を正す。
「確かに、私の家は源の九郎と白拍子の間に生まれた子の子孫よ。諸説はいろいろあるようだけど、我が家の口伝ではそういうことになってるの」
「では、武家………ということに?」
静観していた綾華が口を挟む。雫はその問いに対し、首を横に振る事で応えた。
つまり、武家ではない。公家でもない。では何か。
「今はただの農家よ。でも、目標ではある」
「目標…ですか?」
「そう」と、都の質問に短く答える。
「昔はそこそこ立派な家柄だったようだけど、今じゃ岩手の山間にあるただの農家。
今の私の夢は一つ。国連でも帝国軍でもどちらもいい………戦で功績と名声を上げ、再び武家の一門として返り咲くこと。それが私の、そして源家としての夢。
そのために、私はここにいる」
静かに…だがハッキリと、自分の出自を語る。その背には以前にも見えた、はるか昔の名将の存在感がおぼろげだが見えるような気がした。
「もののついでに今後の方針を全員に伝えるわよ。
私は今後全分隊の指揮も任される形になったから、その分貴方達への指揮が疎かになる可能性があるの。そこで、私の指示が届かないような状況に陥った場合、綾華の指示に従うこと。
それと突入等の前後衛に別れるケースの指揮は前衛は悠希、後衛は綾華にお願いするから」
「随分と唐突な話ですが…1つの部隊に判断指揮する存在が複数あるのはあまり良いとは思えませんよ?」
「えぇ、それは解ってるわ。そう何度も起きる状況ではないだろうけど、念のためよ。今後のことを考えると、どうしても私以外に指揮できる存在が必要になる。基本的には副分隊長である綾華に任せるけど、前衛に関しては悠希が上だから」
「なるほど…了解しました。源さんがいない時の分隊は任せてください」
「頼りにしてるわよ、綾華。そういうことだから、悠希も解った?」
「了解。とは云っても、ウチの前衛組って俺と勝名しかいないけど」
「悠希に顎で使われるってのはシャクに触るけど、分隊長の命令なら仕方がねぇ。従ってやんよ」
「と、云いつつカッチーナは森りんの言葉には素直に従うのであったマル―――っていたいたいたいいたいたい!」
真面目な話にチャチャを入れる久我に勝名が、主に関節技で制裁を加える。腕が背中に来るように手首を持って捻り、そのまま押し倒す。
ミシミシと嫌な音を立てるが、ここ数ヶ月の間何度も極めた技なので加減にも慣れ、外れるか外れないかの微妙な力加減で押しとどめる。その状態こそが一番痛いのは久我がよく知っていた。
「ふざけたこと云ってるからだ!それはともかくさ…………そろそろ”おねんね”の時間だぜぇ…?」
ただでさえ激痛で苦しんでる久我が、さらなる追撃に身を振るわせる。もっとも、ここから先は当分隊の恒例行事なのだが。
「えぇ!?ああああの勝名さん、ボクそろそろ普通にねt「オレ達が安心して眠るための犠牲だ!文句あっか!?」
「ごめんね久我くん。でもこれ、私たちの身の安全を保証するための処置なの。諦めてね?」
「久我さんがもう少し自重していただければ、私達もこんなことしないんです…」
「まだ諦めてなかったのかお前………前にお情けで普通に寝させた途端、綾華に襲い掛かっただろ?もう無理だって」
「ちょっと森りん、勝手に捏造しないでもらえますか!?
ていうか分隊長~、たぁ~すけてぇ~!」
「寝なさい」
どこか底冷えする眼と、うっすらとした作り笑みを浮かべる口元が、短くかつ無慈悲な判決を言い渡す。親指が立てられ、真下に突き立てた。
それを合図に勝名、綾華が主導で都がサポートに入り、久我を簀巻きにしていく。
もはや恒例行事と化していたそれは、ほどなくして全てが滞りなく処理されていく。要するに、久我が暴れる前に全て終了していた。
きつ過ぎず緩過ぎず、訓練で習った捕縛術も合わせ、ものの見事に久我の布団巻きという実に美味しくない料理が完成した。
と、ちょうどそれを見計らったように就寝ベルが鳴る。
「はい、みんなおやすみ!」
雫が手を2・3度叩き、全員がしなやかな動作で自分のベッドに潜り込む。雫自身も先に入っていた都がいる自分のベッド―――悠希の隣―――に手早く滑り込む。
全員がベッドに入ったのを見計らったかのように、ほぼ同時に蛍光灯の灯りが消えた。
「―――悠希」
「ん?」
意識が沈みかけていた所に、雫が小声で語りかけてくる。
横を見ると、掛け布団から顔を半分出した雫がこちらを見ている。
「おやすみ…っ」
「…あぁ、おやすみ」
自分達にしか聞こえないほど小さい声で、二人は言葉を、視線を交わす。
そのまま悠希は、雫は、明日の訓練に向けて深い安らかな闇へと落ちていった………
最終更新:2009年04月26日 20:24