~今日の誠一タン!~
蒸し暑い熱気に響く駆動音。
まだ夏も始まったばかりであるにも関わらず、その部屋は物言わぬ巨人の排気熱によりまるで真夏かのようであり、雨と相まって激しい不快指数を叩き出している。
その暑さの中、熱の発生源にアリの様に纏わりつきせっせと仕事に励んでいるのが、国連軍横浜基地 フェニクス小隊付整備班の面々であった。
先日豪雨により中止された実機訓練。スケジュール調整もあって数日の猶予が生まれた為、これ幸いにと分解整備を行っており、作業も佳境に入り稼働確認を行っている――弱まったものの続く雨により作業環境は最悪であるが…。
「よし、問題無しと……。お~い、機体を立下げてくれ~。」
蒸し暑い中指示を飛ばしているのが整備班班長、川上誠一軍曹である。
誠一の一声により作業を終了し、わらわらと機体から離れる面々…誰もが疲労困憊である。
「みんな、お疲れさん。午前はこれで終了して、休憩にしよう。」
返事をして解散する整備班の面々、その中で一人近づく少女がいた。
「川上班長~、ちょっと良いですか?」
「ん?どうした?」
今のご時勢決して珍しくない女性の整備兵である彼女が持ってきたのは、一着のつなぎであった。
一見普通のつなぎに見えるが、黒字で『子鬼』と刺繍されている。
「前のときに話に出たつなぎです、こんな感じでどうでしょう?」
横浜基地に所属する以前から『白髪鬼』の渾名で知られる朽木蓉鋼大尉。彼の小隊付であり、彼を慕う整備班たちは、回りから『子鬼』と揶揄されているが…本人たちはその呼び名を至って気に入っていた。
最初は冗談半分なアイデアであったが、いつもの悪ノリにより皆でつなぎにお揃いの刺繍をすることとなったのだ。
「おっ、さすが女の子…良い感じだな。」
「有難うございます!それじゃあ、全員のつなぎを私達の方で刺繍しておきますね!」
「俺も手伝うよ…けっこう大変な枚数だろうけど、頑張ろうな。」
「はい。それじゃあ午後もしっかり仕事をこなして、その後作業しましょうか。」
不死鳥小隊や再訓練部隊の面々を卑下する人間は少なからずおり、その整備兵も目の仇にされることがある。
この刺繍は尚更目障りに思う人間もいるだろうが、身体の一部を失って尚人類の為に戦う彼らの
戦術機を整備することを、己も含め整備班の面々は誇りに思っている。
(それに、師匠を怖がってそうそう直接手出しはしてこないだろうしなぁ…。)
整備班の一部から心の師として『師匠』と影で呼ばれている朽木大尉――彼が大暴れした事件を誠一は思い出していた。
その日も、陰鬱とした天気であった。
最初は、肩がぶつかっただの、目つきが気に入らないだの、そんな些細なことだった…。
5人ほどの正規兵――後で知ったが再訓練部隊とも日ごろから小さな衝突があった集団だったらしい――が整備兵に難癖をつけてきたのだ。
「おら、どうしたっ!?階級なんて気にしないでかかって来て良いんだぜっ!」
トラブルに巻き込まれた部下を庇った誠一は、名も知らぬ少尉に一方的に殴られていた。
仲間の衛士達が近くでニヤニヤと眺めており、倍以上の人数がいるものの、整備班の面々は手を出せずにいた。
(くそっ、こいつら…他の整備兵に頼んで戦術機に何か仕込んでやろうか…。)
整備兵がちょっと悪戯心を働かせれば、衛士は実戦どころか実機訓練で簡単に死ねるだろう…。
「お前ら、不愉快だ…さっさと解散しろ。」
そんな物騒な考えをしていたとき、彼はまるでヒーローの様なタイミングで…それでいてヒーローとは思えない、人を見下した――さも詰らない物を見たかのような冷たい眼差しで現れた。
「なんだぁ?…って、いっ!?」
凄みながら振り返った瞬間、驚愕する衛士…その次の瞬間、その頭が掴まれる。
「がっ!?」
言い訳をさせる暇なく、朽木が傲慢に言い放つ――全力で握られているらしく、苦悶を浮かべる男。
「その言い草、その態度…上官侮辱罪だな…。」
「た、大尉っ!?こいつはそんなつもりで…っ!」
一番近くで眺めていた女性衛士がとっさにフォローしようとするも、遮るように掴んでいた男性衛士を投げ付ける朽木。
「非常に不愉快だ…お前ら、罰として今から訓練を行う。なぁに…グラウンドを走って来いとは言わんさ…組手だ。階級など気にせず、かかって来い。」
唖然とする衛士達…問答無用で別の近くの男衛士に掌底を打ち込む――冗談かのように人間が吹き飛ぶ。
「どうした?…お前らも似たような事を言っていたんだろう?」
苦い顔をする衛士達――覚悟を決めて身構える。
「いや、それはですねっ!こいつらが…ぐはっ」
往生際の悪い最初の男に蹴りを叩き込む。
「せいやっ!」「はぁっ!!」
覚悟を決めた二人が左右同時に突っ込んでくる――さすが同じ部隊の衛士、息は合っている。
「だが、遅いな。」
一人目の拳をいなし、腹部に掌底を叩き込む。続いて振り向きざまに蹴りを放つ。
「す、すげぇ……。」
誠一が感嘆を漏らすのも当然であった――相手の衛士達も鍛え抜かれた軍人である…しかしそこには、圧倒的な差があった。
たった二人しか挑んでいないものの、戦意を喪失する衛士達…しかし朽木は、問答無用で拳を振るう。
何もしなくとも腹を打つ…挑んでくれば、いなして打つ・・・逃げようとすれば大声で脅し、足を止めさせてから打つ…立ち上がらなければ蹴りを放つ。
「お前らも、見てないでさっさと解散しろ。」
一頻り暴れた後、整備兵に一言告げた朽木は、最初に誠一を殴っていた衛士であり、最後まで言い訳をしようとした軟弱物の衛士を連れて何処かへ去って行った。
その後の噂によると、問題を起こした衛士の大隊長に話をつけに行ったらしかった。
「………………格好いい…。」
静かになった現場に、誰かの呟きが小さく響いた。
最終更新:2009年08月26日 22:50