夢を………見ていた。
幼い頃の記憶。
痛みと悲しさと切なさが混在する、懐かしい記憶………
この御時世の中でもそれなりに裕福な家庭だった………ハズ。今はもうその記憶も薄れているけれども。
それでも、彼女―――
朝倉 都にとっては
大切なもので、同時に記憶の棚の奥へずっとしまっておきたい、悲しい記憶。
あまりに鮮明に覚えているからこそ、それが夢であると判別できる。過ぎた事とであっても、それが今も自分を苛まし縛り付ける”ソレ”は、この程度の恐怖ではなったのだから。
この夢を見る度に思い出される母の金きり声と奇声、食器が割れる音…
『もういやよ、なんでこんなことばっかり起きて!』
思い出す度に、夢を心が萎縮するのがハッキリとわかる。何度も見た夢でも、怖いものは―――怖い…
『もうやめて!気持ち悪い!元の生活を返して!』
母がヒステリックになるのは、自分が物分りが悪い子だからではない。云うことを聞かない悪い子だからでもない。
『どうしてこうなの!?私が何か悪いことした!?この子が何したって云うのよ!?』
都は幼い時から奇怪な現象が身の回りで起こっていた。最初こそ、心霊現象程度に思われ定期的に家族全員でお祓いをして収めようと躍起になっていた。
『気持ち悪い…なんなのよ、この子は………っ!』
が、あまりに効果が無い事と都の周りに集中し過ぎている事を察し始めた母は、次第にノイローゼになりやがて都を責めるようになる。
『私の子は、こんな子じゃない…こんな子が、私とあの人の子なわけがない………』
それはそうだ。”本来起こり得ないことが何度も起きる”その現象を何度も見せ付けられ、そしてそれが都の周りに集中してることを経験され続ければ、嫌でも誰が元凶かなんてのも解ってくる。そしてそれが言い聞かせてどうにかなるような物でないことも。
『………ごめんね、都……ごめんね、お母さん駄目で…』
解ってはいたハズなのだ。その都度、手を上げる度に、暴力を振るう度に、何度も泣いていた母を見てきたのだから。
『ごめんね都…お母さん、優しくできない…優しくしてあげられない…ごめんね……』
解ってくれていたハズなのだ。この怪奇現象を口で言って、暴力で訴えた所で、なんの解決にもならなかったことを。
『もう…無理なのよ…ぉ……お願い都………もう……やめて………』
解っていたはずなのに、それでも振るわれる暴力は、体だけでなく都の心をも傷つけていく。
『こんな子は…いらない……っ、家にこんな子は…いない……っ!いないの!』
………そんな都の中にあった感情は、暴力を振るう母に対する憎しみでも、何もしなかった、してくれなかった父に対する恨みでもなく………ただ、”悲しみ”だけがそこにあった。
今でもこの夢を見ることは恐怖以外何者でもない。それでも、そこから連想される感情は怒り等の復讐心ではなく、ただあの時の現状に対しての遣る瀬無さ、虚無感だけ。
生みの親なのだ。
怨むことなど、できようもなかった。
憎むことなど、できるはずもなかった。
それでも………この夢から思い出される恐怖は拭えない。
心にこびり付き、刻み付けられた痛みと恐怖は、いくら歳月を重ねたところで磨耗することは、なかった。
定期的に思い出しては、まるで再認識するように蘇る恐怖。
………一生、これを抱えて生きねばならないのだろうか。
一生磨耗することなく、一生薄れることなく、一生影で引きずりながら、生きねばならないのうだろうか?
(何度も見るこの夢を抱え、生きていくしかないのかな…)
そんな諦めに近いものを、最近思うようになった。
”ちから”のことなんて、云えるわけがない。
もう、そう思うだけで誰も本当に好きになることなど一生ないと思えた。
少なくとも、都にとってはそのことは生きる上でとても重要なことだった―――
「―――こ、―――やこ……都っ!」
「う…ぅん…?」
誰かに揺すられてる気がして、意識が闇の奥から引きずり出された。
「………雫、さん?」
「大分魘されてたけど、大丈夫?」
「…ぁ……はぃ……たまにあることですから…」
急に起こされたせいか、頭が上手く回っていない。
眠気が邪魔して上手く視界が得られないが、それでも声から分隊長である雫が起こしてくれたのだと解る。
「とりあえず、水飲んでおきなさい。汗凄いわよ」
「はい…すみません………」
手渡された水筒を”ごきゅり”と喉を鳴らして飲む。
そこでようやく眼が醒めてくる。と、同時にベタベタと汗を吸ってまとわりつくBDUに気付いた。
確かにこれは酷い…が、この汗を拭おうにも、拭えるようなタオルも布もない。悲惨だが、これはもう我慢するしかない…………
それと、動悸がいつもより激しい。まるで悪夢を見たときのような速さで、”トクトク”と心臓が鳴っているのが、自分でも解る。
「怖い夢でも見てたんじゃないかと思って起こしたんだけど、余計だった?」
「あ…いえ…大丈夫です…怖い夢ではなかったんですけど…」
「そう………」
何かあるのだろうが、その口からはそれ以上言葉は出てこなかった。
無理に口を割らせることもないだろうし、そんなことをする必要もないため、雫は都を軽く抱きしめ、
「時間まで少し余裕もあるし、とりあえずもう1度寝ておきなさい」
「雫…さん?」
そう云われ、やや何かと葛藤するものの、結局眠気を優先することにした都は、そのまま瞼を閉じた。
やがて穏やかな寝息が聞こえるようになると、雫はそっと都の頭を自分の膝にのせ、活動時間になるまでずっとその姿勢で居続けていた。
試験開始4日目―――Aチーム、源 雫・勝名 澄子ペア。
勝名 澄子にとって、他者の判断というのはあくまで参考程度のものだった。
それは3日目の綾華と組んでた時に明確にされている。「自分の命は自分で守る」ということは、他者に己の判断を委ねないための処世術のようなものだ。
とかく、人生というのは盤上のゲームほど単純に出来てはいない。あらゆる事が起きる人生だからこそ、その判断を自分で決めたいと考えていた。
そういう考えに至る理由―――今は失われた本来の右眼の犠牲により、その時の痛みを夢で与えるという己が戒めとして新たな力となっている。
それが勝名 澄子の持ち味である”我の強さ”へと繋がる根源である。
そういう意味では、自分の目標を明確に持ち、それに向かって邁進する源 雫とは明らかにソリが合わないはずである。
………その、ハズなのだが。
「そっちを調べるより、先にこちらから調べて。そこから右に見ていけばいいから」
「りょーかいりょーかい!」
まるで手綱を握られた馬のようだ。
それが良いか悪いかはさて置き、効率という点で言えば非常に良いと云えた。
勝名が興味を持ちそうな場所へと誘導していき、その間に雫が他のトラップやら食料やらを解体・捕獲している。
人に顎で使われることを良しとしない勝名ではあるが、「共同作業」とすることでその反逆感情を抑制し、思い通りに動かす雫。
こう説明すると腹黒いように見えるが、実際に勝名を従え続けて来た雫にとって”こうせざる得ない”というのが心情であった。理知的に、感情を交えず、極普通に扱おうものなら、一気に我の強い勝名は突っ走るだろう―――随伴者を置いて。
とかく、勝名の猪突猛進っぷりは過去3日だけを見ても解るハズだ。それを入隊してから今日まで扱ってきた雫は、彼女の抑制と制御の日々とも云えた。
………もっとも、コレに関して云えばもう一人の問題児、
久我 応馬にも当てはまるのだが。言い換えると、問題児が2人もいるというのが、A分隊の特徴とも云えるが。
が、雫にとっては、この”問題児”というのも、別段悪い意味では受け取っていなかった。
むしろ逆に、教官達に「こいつらを御して見せろ」と課題を突きつけられたと受け取っていた。
この事については指揮官講習を受けさせられた事からも、ある程度推移できる。
元々この訓練部隊はおかしい事が多い。その中で集団行動を常とする訓練部隊にあって、その中から選ばれた4名が指揮官講習を受けている。しかも、1人は”問題児”を与えられて。
そこから雫は、上から自分に向けられている期待を推し量ってみた。
その推測から行くと、少なくとも源 雫は今後あるであろう”何がしか”の作戦をやらされる。しかもただの作戦ではない、もっと大きな”何か”だ。その”何か”をさせる部隊を扱わせるのが、自分なのだと。
まだ情報が少なすぎる故に漠然とではあるが、雫はそのように考えた。考えに至った。
となれば、今の仲間くらいはきちんと扱えなければ駄目なのは明白だろう。
そうと決まればこそ、雫は勝名のことを操縦する方法を模索していった。
その考えが冷徹過ぎるという心の声もあったが、本心はその通りだと解りつつも、それだけでは部隊を扱えない事も解っているからこそ、雫はメリット・デメリット、費用対効果、損得勘定で物事を考える。そうすることで、結果として仲間を守れるのだと信じているから。
ともあれ、勝名は使い方さえ間違えなければ間違いなく優秀な人材なのだ。それを効率良く扱うことは、きっと自分にも有益であるのは間違いないハズなのだ。
そんな色々な思惑を胸に抱き、雫は勝名に指示を出し続けていた。
―――Bチーム、森上 悠希・朝倉 都ペア。
食料集めを優先された1日目と違い、今回はその事に対し目くじらを立てる必要も無く、本格的な探索に勤しんでいた。
前回同様、悠希が前を進み、都がその後を追う形である。密林内を普段と同じ速さで動ける悠希と比べるべくも無く、都はほぼ問答無用で後ろに付く形になったのではあるが。もはや必然である。
都が周囲をしきりに周りを見渡しているのは、自分なりに何かないかと見渡しているから。しかし、そんな姿がどこか愛くるしいのは、見かけが幼い故か。
時折見かける雫と都のコンビは、どこか姉妹に見えた。胸の薄さ繋がりかと思えたが、それは絶対に口に出せないのはお約束。
そんな都を疑う自分に軽く嫌悪感を覚えるが、それを信念と云う名の暴力で叩き潰す。むしろその嫌悪感のためにも、都の疑念を晴らさねばならない。
………とは云ったものの、その疑念を晴らす手段が思いつかなかったりするのが今の現状である。
こうして都から先行することで一応の仕事をしているわけなのだが、それはそれとして本来の目的を晴らすための手段を考えねばならない。
そもそも、この疑念についてはただでさえ不確かなことであり、しかもその事についてあるかどうかも解らない事柄………下手すると妄想の域から出ない狂ったものだ。
そこまできて、自分がこの疑念に対してハッキリとした物の見方をしてない事に気付く。
せめて疑念を持つなら、最低限この事に対して確信めいた物を握って置かなければならない。疑うのなら、少なくともそれくらいの覚悟は必要である。少なくともそう思わねば、都に無礼過ぎた。
だから悠希は、この疑念に対し素っ頓狂な答えなりに、答えを綴った。
(都は超能力者か、その分類に当てはまる―――ハズ)
そこで初めて答えを、便宜上の名札をくくり付けたことで、より鮮明に不可解な出来事に対し説明が出来た。
………もっとも、それは妄想の域どころか、頭の中で相手を陵辱する域ではあったが。
それはそれとして、少なくともそれなりに成長した男女がパラシュートに絡まれることなく、森林の中に降りられたというのは有り得ない。可能性はゼロではないが、それに近い数字のはずだ。
だというのに、結果はご覧の有様。おかしいと思わない方が不自然だろう。いくら自分がその手の修練をしていたとしても、だ。
皆は「悠希ならできるだろう」ということに話題の着地点を見出してたようだが、当人からして見れば薄ら寒いことこの上ない。
「悠希さーん、何かありそうですかぁー?」
「いや、相変わらずトラップの山だ」
そう云いつつ、また一つ閃光手榴弾へと続くワイヤーを解除する。
と、ふとそれを見て(使えそうか?)と思い至り、思ったがすぐに手が動き巻き付けられたワイヤーを解きそれを回収する。
「………ま、かさ張る物でないし、いいか」
今更になり、今まで解除してきたトラップから使えそうなものは回収しておけば良かったと後悔するが、それは後の祭り。そもそも使うかどうかも解らないものを大量に確保するのも馬鹿臭い………と、強く思い後悔の念をねじ伏せる。
「何か見つけま………閃光弾、ですか?」
「あぁ。何もないよりかは、な」
「はぁ…」
山の上に何かいるのは解っている。が、これが必要な物かは今のところ定かではない。
それは重々承知してはいるが、今のところ武器らしい武器はナイフ以外何もないのだ。こんなのでも無いよりはマシと云えるハズ。
「あ、私が持ちましょうか?結局、トラップの解除は悠希さんが殆どやっちゃってますし」
「ん?―――あぁ、任せた」
そう云って閃光弾を手渡す。間違っても放り投げて渡すのは厳禁―――という話は云うまでもない。
………疑念を持つ相手に手渡すのはどうかと一瞬迷ったのは口が裂けても云えない話。
その後は先程と同じようにトラップの解除に専念していく。
が、やはり頭の中ではグルグルと都に関する疑念が巡り、巻きつけられていくテープのように膨らみ続けている。それが悪いことと解っていても、やはりやめることはできなかった。
―――都をチラリと見る。
その挙動には不審なところは見られない。いたっていつもの丁寧口調でどこかおっかなびっくりな都の挙動だ。
では前回の組み合わせ………初日での挙動はどうだろう?
最初はトラブルのせいで若干落ち着かない様子ではあったが、それ以外は特に問題は見られなかった。少なくとも、いつも後ろをついてくるという普段の姿しかなかった記憶しかない。
(実はそんなことは無かったぜ………って事なのか?)とクダグダになりつつある頭の中でそんなことを思いつつも、記憶の遡行は続ける。とは云え、そんな気に留めるほどの不審な行動があったとは………ぁ?
(そういや、1つだけ挙動がおかしかった時があったな………うん、確かトラップの解体を指示した時だ)
思い出し、あの時の状況を細部に至るまで強く記憶の中から掘り出す。
………あの時、都は駆けつけた悠希に対し妙に慌てていた。妙だとは思ったが、あの時は気にも留めなかったが、今思い出してみると妙な挙動だ。別段、トラップが作動させてしまった事は隠す必要は無い。作動させること自体が悪いことではなく、それにひっかかる事が問題になるのだ。
だというのに、何故かあの時の都は妙に慌しかった。忙しなかった。
何か、ある。
となれば、パラシュートの件と今回の件は繋がりがあるかも知れない。
しかし、あの時の状況は詳しく見ていなかったから、細部までは思い出せない………それはそれとして、思い出せる限りの記憶を必死に掘り出し繋がりを見つけ出していく。
覚えているのは、遠くから聞こえた都の悲鳴と現場での不審な挙動。手に持つトラップの残骸。作動してあらぬ方向へ飛んだトラップ………あらぬ?
(まてまて、今何故そう思った…)
単に作動させただけなら”あらぬ”なんて思わない。なら何故?都がいる所とは大きく外れていたからだ。
確かあの時のトラップは都がいる側に射出口があったはず…解除したのは自分だ、それくらいは覚えている。
なのに、”関係ない方向”へ飛んでいるトラップ………?
(意味が解らん………)
頭の回転率が拍車がかかり知恵熱が出そうだ。頭が痛くなってきた…
そして、そんなことを考えてたせいか、思考が明後日の方向に行き過ぎた故なのか。
露骨なまでに見えている単純なトラップを見落として………
見逃してしまった。
「―――みや」
「え?ヒッ―――」
物はボウガンタイプで飛翔体は”本物”。幾つか本物はあったが、こんな時に―――!
それに気付くのに僅かコンマ何秒―――たったそれだけ。
なのに、自分の背中から乾いた起動音がして咄嗟に振り向く。その僅かな視線移動の間にトラップが見えた。
後ろを付いて来る都の脚に、細いワイヤーが引っかかって、そんな都はトラップに気付くが体は固まっていて。
音で判断するよりもワイヤーの位置からトラップの位置を適当に判断して。全身の力を前に突き出す力に変えて―――都に覆いかぶさる。
だが、遅いっ。間に合わないどちらかが飛んでくる矢に当たってしまう。
(なら―――)
選ぶまででもない。いや、選ぶ余裕もない。
このまま都の盾になるのを瞬時に選び、どこに当たるのかも解らないまま、強く彼女を抱きしめた。
「き、きゃぁぁぁあああああああああっ!」
悲鳴―――耳を劈くような、都の声。あんまりに高音で、耳が痛い。でも、この手を緩めるわけにはいかない。
「―――っ…!?」
が、それだけ。
発射音は聞こえた。というのに、いつまでも衝撃は来ない。音もしない。
(おかしい)と思い、ふと後ろを振り返ると―――
「………っ!?」
矢が、”浮いていた”。
ピタリと、何も無い中空に、ポツンと。まだ回転してるのか、羽が筒状に見える。
が、”それだけ”。その回転もすぐに収まり、しかし中空で浮いたまま。
それもやがて糸が切れたように中空から真下に落ちる。カーボン製特有の乾いた音が「カランカラン」と鳴らしながら。
(何故―――)と思った矢先、すぐに頭の中で何かと直結する。そして腕の中にいる都を見る。が、
「い、いやぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああっ!」
「ぐっ!?」
さっきよりも高い悲鳴と、突然”ダンプカーにでも真正面からぶつかったような衝撃”が全身を襲い、次の瞬間”宙を舞っていた”。
咄嗟に手足を動かし作用反作用で姿勢安定させて着地し都を探すが、既にどこぞへと走り去ろうとする背中が。
「待て、都!」
追いかけようとするが、思った以上に衝撃が強かったのか前に進む力が弱い。そも、人の体が宙と飛ぶ衝撃なんて、どこから出てきたのか―――
「違う、今はそんなことより!」
今は考えることよりも、都を追うことが先決だ。脚を殴り、走る力を振り絞る。
錯乱してるのか、枝や枯れ木を踏み抜きながら去る都。幸いにもそういうのが目印になってくてるお陰で追うことが出来た。後は足の速さはこっちの方が上。ならすぐに追いつける。
程なくし、何か叫びながら逃げる都に追いつく。
「いや、いやぁ、なんで!?どうしてぇ!?せっかく、せっかくぅぅう…うぅぁぁぁぁあ!」
「待て都、止まれ!」
「いやぁ、来ないでぇぇぇ!虐めないでぇぇぇええええ!」
「くっ!?」
悲鳴とも雄たけびとも取れる都の懇願、次いでまた”あの衝撃”。まったくの不意打ちで、またも見事に吹っ飛ばされる。
「この…っ、何がどうなってんだ…!?」
どういう理屈で吹っ飛んでるのか、まったく解らない。だが、少なくともこの現象は”都が発している”ことは理解できた。
しかし、だからと言って怖気づいてる暇は無い。いや、むしろ解ったからこそ怖気づいてる余裕なんて無い。
追いかける。意地でも追いつく。何度でも衝撃が来ようとも、諦めるわけにはいかない。諦めてはいけないのだ。
やがて密林の中はを走るのにも限界が来たのか、都はへたり込む。泣きじゃくったまま。
「どうして…どうして今まで隠してきたのに…どうして…っ!」
大粒の涙を流しながら、華奢な拳で何度も地面を叩く。血が出ようともかまわず、云いようの無い絶望感に向かって。少しでも、ほんの少しでもこの悲しみを和らげるために。
そんな都の小さな小さな背中、後ろに立ってただじっと立ち止まる悠希。
それに気付いたのか、都は自分の体を抱くように蹲る。涙は止まらない。
「………なぁ、みや」
「いやぁ!来ないで、近づかないでぇ!虐めないで、叩かないで、殴らないでください!謝りますから、謝りますから!」
四つん這いという、ある種もっとも見られたくない姿を晒しながらも悠希から離れていく。が、すぐに大きな幹にぶつかり、その根の股へとその身を震えながら、赤子のように縮こまる。ようやく見えた都の顔には、怯えと恐怖と大粒の涙がびっちりと張り付いていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!悪いのは私ですから、ぶたないで!蹴らないでください!許してください、わざとじゃないんです!だから、だから………」
錯乱…と、言うべきなのか?酷く怯えているのは解る。
が、これで普段もどこか余所余所しかった理由が、ある程度理解できた。
「私が悪いんです、私がなにもかも悪いんです!消えますから、いますぐ目の前から消えますから!」
あの”力”、なんだかは良く解らないがそれを見られたくなくて、そして見られた時自分へのダメージを最小限に抑えるため、なるべく接点を抑えようとしてたのだ………ろう。
となれば、今すぐ近づくのは逆効果だ。都が落ち着くまで、待つことにする。
ただじっと、都が正気を取り戻すまで。
辛抱強く、じっと。
演習中であることは今は忘れて。
彼女を落ち着かせるために。
ただ、じっと………
そして数分か、あるいは数時間か、感覚が軽く狂ってきたところで、少しだけ都から正気が薄らと見えた。
「落ち着いたか、都」
「ひ………っ!?」
が、その顔には普段の愛らしい笑みはなく。あるのは、悠希に対する恐怖だけ。だからまだ、近づかない。
一度間を取るため大きく深呼吸。気持ちを整理し、しっかりと正面から都と向き合う。
「………さっきのあれ、その慌て方を見るに…お前がやったんだな」
「………」
恐怖で見開いていた眼を一瞬さらに大きく開き、そして顔を背けた。それは肯定を意味するところであり、悠希はそのまま続ける。
「凄いな、都は」
「………」
「あんな”力”、そうは無いだろ?幽霊は散々見てきたけど、この手のは初めて見たな」
「………」
「素直に驚くしかないな、コレは。俺を吹っ飛ばせるってことは、BETAだってきっと吹っ飛ばせるんじゃないか?」
―――何を喋っているのだろう。
何故、こんなに必死になってるのだろう。
そんな思いが一瞬頭の中を過ぎる。
『こんなことで時間を食っている暇は無い』と、心のどこかで騒いでるが良く解る。理性でも、都に対してこんなことをしてる暇は本来無いのだと解ってはいるのだ。
雫の手を煩わせることは許されない。自分からそれを率先してはいけないのだと、そういう考えが根底にあるから。
………でも、それでも。
『都を放っておくことはできない。それを許してはならない』という思いが、強迫観念みたいなものが全身から溢れているのも、また自覚できていた。
むしろそちらの方が非常に強く、そしてその考えこそが正しいと理性が賛同しているのだ。
だから”都を蔑ろにする考え”はほんの僅かの間に封殺されていた。
「……………………凄くなんか………ないです」
ややあり、か細い声で都は反論した。顔は変わらず背けたまま。
「こんなのがあっても…迷惑なだけです…人を傷つけるし…自分、も………」
何かを思い出したのか、また涙が溢れ出している。拭っても拭っても、その涙は止まらない。
「気持ち悪いですよね…触りたくないですよね……解ります、解ってますから……こんな気味の悪い子なんか…」
悲しみと遣る瀬無さが染み込んだ声が、小さくしかしはっきりと響く。
………自分の存在を全否定する姿は痛々しかった。
一体この小さな体にどれほどの悪意が圧し掛かったのだろう。
心的外傷になるほどの悪意が、都という小さな少女に纏わり付くのは解る。
―――だが。
悠希にはその傷を抑えてやるほどの度量は、生憎と無かった。
正確には、度量と云うよりも覚悟…と言い換えれば良いか。
彼女の傷は恐らく”重い”。それにおいそれと手をさし伸ばせば、自分ごと押し潰されるだろう。だが、彼女を見捨てる真似はできない。それこそ、その考えは今の悠希にはない。
では、どうすべきか?
(―――決まってる。あぁ、決まってるさ)
「都、俺の話をちゃんと聞いてくれ」
「………」
「お前が背負ってるものは、俺にはどうすることも出来ない。その”力”は手放せるものでもないだろ?」
「………」
「それの重みで心が磨り減ってるのも、理屈の上では解る。そのせいで、人に云えるような家庭環境を持てなかったのもだ」
「………」
「それを手放せなくて諦めて隠す選択をしたのは、仕方ないと思う。それを隠さなくちゃならなくて、他の人と距離を取りたがるのも、理解できる」
「………」
「それでも、な」
一呼吸置き、自分の心に問いかける。
………うん、大丈夫。問題ない。
「”そんなこと”でお前を嫌う理由にはならない。なるわけがない」
「………………………………?」
何を云われたのか、都はよく理解してない。”混乱してる”と云うより、思考が働いてない。
だから続ける。自分の本心を。
「そんなの個性の一つ程度にしか、俺は思ってない。こう云えばいいか?
どっちにせよ、俺にはお前を恐れる理由が無い。だから暴力を振るう必要もない」
「……………ぇ……?………ぇ?」
まだ混乱してる。それでも悠希には少しずつ理解しようとする動きが見えていた。
「それに、お前はその”力”を制御できてはいるんだろう?
なら俺には雫に害をなす者には見えない。少なくとも都、お前自身にはそんなつもりは無いんだろ?」
「………う、薄気味悪いとは、思わない………んです、か…………?」
「それなら俺も大分気味悪くないか?考え方が」
自分の歪みはある程度承知している。でなければ、指摘されても「それで良い」なんて考えは出てこない。
なまじ行動という形で目に見えてわかる分、悠希の思考の方がかなり気味悪いと云える。
そう云えることにする。
「………怖いと、は……思わない…んですか…?」
「”あるがままを受け入れろ”」
「………?」
「俺の師の言葉だ。良く”中庸を極めろ”とも云われてたけど、要は目の前で起きたことを信じろって事だ。
云われてた時は平常心を持ち続けろって解釈してたけど………うん、こういう事にもで当てはめられるんだな…」
実際に起きてしまった以上は仕方が無い。まずはそれを受け入れる。
一度受け入れてしまえば、後はすんなり「そういうものだ」と受け入れることができる。もっとも、信念と敵対するようなものに対してはその限りではないが。
ともかくとして、都の”力”に対し悠希の中では、それほど脅威とも、あるいは畏怖すべきものでもないという結論はある程度状況を把握した段階で下していた。
後は都がどう決断するか、それだけだ。
「自分はなんとも思ってない」結論を突きつけている以上、後は都の判断以外求ることはできない。
「………ほん、とうに…怖く、ないん………ですか………?」
「あぁ」
「気味悪いとは…思ってない、んです………か?」
「あぁ」
「暴走する……かも、とは思わないんですか?」
「するのか?」
「……………最近は、してません」
「なら良い」
「でも、いつ暴走するか…私………」
「その時は、知ってて黙ってた俺も同罪になる。だから、護ってやる」
―――すんなりとその言葉が出たことに自分でも驚いた。
何をもってそう云わしめるのか、自分でも解らない。
それでも、そう云い切っても良いという自信は、しっかりとあった。
その事について”何故”と思わなくもなかったが、その本能的な確信に悠希は素直に従うことを選ぶ。
或いは、単に守護対象を求めてたのかも知れないが。それはそれで、良いのかも知れないと素直に思う。
そして、そう云われた都もまた、酷く驚いた顔をしていた。
というよりも、信じられないという顔をしてた。
無論、そういう顔ををしたくなる理由はある。だから、しばらくそのまま固まらざる得なかったのだから。
やがて………ゆっくりとその言葉の意味を租借していく。
上から目線な発言など気にならず。むしろ、奇妙なまでに心が穏やかになっていく。
悠希は至って平然だ。気を害するわけでもなく、ただじっと、都を待ち続けている。
「ほ………本当に、護って…くれるん…です、か…?」
「そうだ」
「苛め、られたら…助けて、くれるんですか?」
「そういう事をするちっちぇ奴は潰す」
「ほ…本当に、本当に、護って…くれるんですか?」
「あぁ」
「し…雫さ、んが…気持ち悪がっても…見捨てませんか?」
「………っ!」
雫のことは、思わなかったわけではない。
都には以前話しているが、悠希は雫の命令には逆らえない。少なくとも、雫の命令には絶対服従なのが悠希のスタンスだ。
それを訓練を通して、言葉を通して知っているからこそ、都はその時どうするのか、と聞いてきた。
彼女が都を嫌った場合、過去の例で云えば悠希も嫌うことになるだろう。となれば、この「護る」という言葉は”嘘”となる。
逆に雫の意に反し都を護るのであれば、それもまた悠希にとっては過去の自分を否定する行為にしかならない。
『二律背反を抱える事になる貴方はどうするのか?』
という問いに、悠希はこう答えた。
「その時になったら考える」
「………ぇ?」
想像の放棄。問題の先送り。思考停止。
まるで何も考えなしとしか取れない答えに、都は硬直してしまった。
「言い訳になるが、そういうのはなるようにしかならないもんだ。
仮に雫がお前を嫌うことになっても、少なくとも雫は陰湿な苛めをやるような人じゃない。
嫌いな相手でも苛められてたら救いの手を差し伸べるのが”源 雫”って人のやり方だ。
だから嫌うことになってもお前を苛めることはあり得ない」
むしろ嫌うからこそ突っかかるタイプなのだが、そこはあえて黙っておく。
「で、でもそれじゃ…」
「納得いかないのは解るが、それでも俺はお前を護りたいという気持ちは変わらない。
それだけは本当だ」
その言葉にどれほどの重みがいまあるのか………それを考えると軽く鬱になるが、今はそれどころではない。
未だ不安顔を見せる都に、悠希は意を決し、
「言葉が信じられないなら」
そう云うなや、おもむろに歩み寄る。ズンズンと聞こえそうなくらい力強い歩みに、咄嗟に怯む都。
そんなことはお構いなしに接近し、そして―――
「は、わっ!?わっあぅぁ~!?」
グリグリと頭を撫でた。かなり強い力なのか、あるいは都が無抵抗過ぎるのか、されるがまま頭が激しく揺れる。
目が回るほど良いように玩ばれたところで、不意に手を離す。体がまだその違和感に踊らされてるのか、まだ目を回してる都に向かい、
「ほら、いくぞ」
手を差し伸べた。
狂った三半規管が治り、しかし涙目になってるそのつぶらな瞳が悠希の顔と手を交互に見比べている。
しばらくそれを繰り返してみるが、やがて意を決したのか、縮めていた手をおずおずと伸ばし始めた。
おっかなびっくりに、ちょっとでも触れてしまったら引っ込めてしまいそうなくらいゆっくりとその手を伸ばし、やはりちょっと指先が触れただけで引っ込める。
(やはり駄目か…)と思った矢先、また都は手を伸ばし始める。そしてまた、触れるか触れないかの所まで来て、今度はそこで留まってしまった。
手を取るか、引っ込めるか―――そのどちらかに迷い、そしてまた悠希の顔と手を交互に見る。
そして、悩み悩んだ末、意を決して恐ろしさと不安で目を瞑りながら手を握―――
「はうわ!?」
急に手を掴まれ、そのまま持ち上げられた。急に高くなる視界に、思わず驚きの声を上げてしまう。
「え?え?えぇ?」
「怖気付いたって結果は同じなんだから気にするな。な?」
「え?え?」
イマイチ状況に追いついていないのか、悠希の言葉に相槌を打てない都。
しかしそんなことはお構いなしに悠希はその手を引いて元来た道を戻っていく。
「良いか?少なくとも俺はお前を嫌わない。だから信じろ、俺を。俺が雫を信じてるように」
その手を引きながら、自分の心構えの一つを説いていく。
それは人を信じる上で当たり前。それでも、今の都には大事なものだと思ったから、今そのことを話す。
だからか、都は少しだけ…自分の”力”を知ってもなお嫌わないでくれている悠希を信じられた。信じることができた。
「………は、い…」
小さく、でも悠希には聞こえるくらいの声で、都は返事を返す。
そんな都を見て苦笑する悠希。
そして少しだけ信じてもらえたと解ったから、だからこそ悠希はこの提案をする。
「だからな、都。この話だけはつけさせてくれ」
「なん…です、か?」
「この事を雫に知らせたい。知ってもらいたい」
「………え、えぇ!?」
逃げようとする都の手を強く握り、そして振り返り正面から都の眼を見据える。
「知られることが怖いのは解ってるつもりだ。
でも、だからこそ。
俺は雫にお前の”力”を知っててもらいたいんだ」
「で、でも!私そんな!こんなの広げなくても良いじゃありませんか!」
「隠し通せやしない、と云ってるんじゃない。
知ってる人が増えれば、それだけお前の負担を減らせられる。
そして雫を信じてやってくれ。俺が信じてる雫を、俺を信じてくれたように」
その眼は真剣だった。あまりに真剣すぎて、睨んでるようにも見えた。
そんなことは百も承知だが、悠希はそれをやめなかった。真摯を貫き通すために。
しばらく、悠希のその眼に怯えてた都だったが、
「わ、わかり…ました…。悠希さん、を信じます…」
「………ありがとう」
そう云って都は悠希の手を強く握った。それに合わせるように、悠希も握り返す。
その手が震えているを、あえて見ないようにしながら。
試験はまだ、続いているのだと思わせながら。
最終更新:2010年07月05日 16:48