5日目・中編

 悠希達は夕飯前に出来る限り先に進もうと躍起になっていた。
 それは空を見た時灰色の雲が見えた時点で、悠希が決めたことだった。
 勝名は特に否定する意見もなく、むしろもっと進みたいと後押しする意見を上げ、必然的に休むという選択肢が消えていた。
 ともかくとして、移動は順調である。
 謎の足跡は、こちらが無理と思えるルートは一切使っておらずむしろ比較的安全な地形を選んで進んでいた。
 これが意味することは、2人には良く解らない。だが、より”何かある”と確信付けるものがある。
 だからこそ、2人の足は留まることを知らず、出発時と同じ速度でひたすら進んでいく。
 やがて…
「お…妙な場所に出たな」
 先に声を出して指摘したのは勝名だった。
 妙に開けた地形………なのだが、いくら山の中とは云え、獣道にしてはやけにでかい。熊が通るにしても広過ぎる。足元は雑草や落ち葉が潰され続けて腐り、ヘドロ状になっているのが解る。
 つまり、”何か”がここを頻繁に通ってる証だ。
 普通に考えても、ここからが本当に警戒すべき領域と云える。
 だからこそ悠希は勝名の言葉に無言で頷き、ここからは手信号で意思疎通を図ることを選ぶ。
『足跡は右側から左側へと流れてる。だから、左側から行く』
『右からの方が出会い頭に見つけられるんじゃねーの?』
『リスクを伴う方より、より確実を狙った方が良い』
 等と、複雑怪奇な一歩間違えれば踊ってるようにしか見えない手信号会話が続く。
 結局、悠希の提案通りに動くこととなり、2人は足跡を追う。
 その足跡の、横を歩きながら。
 これは、ヘドロ状の地面に足跡を残さないためと、足音を立てないためだ。
 もっとも、脇道の草木を歩くことで音を立てることになるが、少なくとも足を滑らせるような事態は避けられる方が優先された。
 しばしそうやって足跡を追うが………何も見つからない。何とも遭遇しない。
 となると、向こうの方が足が速いということになるか、あるいはまだ動いてないかのどちらかとなる。
 ここで下がるのも手だが、だからと云って下がれば何かあるという保証は無い。
 あーでもないこーでもないと、そんな葛藤を2人でする。
 と―――不意の妙な違和感を同時に感じ取る。
 僅かに地面が揺れている感覚。羽ばたく鳥の群れ。小刻みに震動する枝―――
 先に異変に気付いたのは、勝名だった。
「この震動、なんか後ろから来てない―――」
 言い切る直前、
「―――っ!?」「―――はぁ!?」
 ―――元来た道の方から、巨大な”何か”が、滑り込んできた。
 突然の展開に一瞬固まる2人だが、即座に”それ”がなんであるかを認識した。
「歩兵装甲!?」
 それは、機械化歩兵用の外骨格。戦術機の管制ユニット兼脱出用装備。その―――武装型。
 右腕スレイブ・モジュールには赤錆だらけの機関砲が、左腕には泥だらけのパイルバンカー。両脚部にはスモーク・ディスチャージャー。
 衛士を守る前面装甲が正面を覆われており、装着者の顔は見えない。
 センサーユニットが悠希達を捉えたかのように、何かが動く音が小さく響いた。
「動け勝名!」「っ!」
 振り下ろされるスーパーカーボンの腕(塊)を、2人は持ち前の反応速度で飛び退くことで避ける。
 不意の攻撃―――力任せと云わざる得ないものだが、それでも生身の2人にとってはそれだけでも十分に脅威と云えた。
「なんだって急に!?」
「喋る前に逃げろ!勝ち目なんてあるか!」
 スーパーカーボンの装甲に覆われた者と、そうでない者とでの差など一目瞭然どころか、猿でも解る状況だ。
 何故狙われているのか、何故襲ってくるのかはさておき、襲われてる事実をどう対処するか考えるべきだ。
 ハッキリ云って真っ当な装備はない。武器と呼べる物など、ナイフか閃光手榴弾くらいしかない。先程作った木の棒など、なんの役にも立たない。そのような状況で出来ることなど、そう多くはない。
 故に、逃げの一手。
 山の斜面を落ちるように逃げる2人を、歩兵装甲は木々に激突しようと力任せに追ってくる。
「くそ!どうする、このままじゃミンチよりひでぇ事になるぜ!?てか、試験どころじゃねぇだろこれ!?」
 悲鳴交じりに勝名が叫ぶ。
 そんなことは解っているし、だからこそどうするか考える悠希。
 が、装備がろくでもない時点でどうすることもできないのは明白だった。
 それにどうこう考えるのは基本苦手だ。なら、考えられる連中が考えるべきだ。
 だが、そのためには時間を作らなければならない。となれば、時間を作れる者が必要となってくる。それは誰か。
(―――俺しかいねぇな!)
 過大評価でなく、純粋に単独での戦闘力は誰よりも悠希に分がある。それは301衛士訓練部隊の誰もが認めるところだろう。
 ならば、自身が囮となって時間を稼ぎ、勝名には他の連中と合流して対策を練ってもらうべきだ。
 さらにこういう考えもある。
(自分がこれを引き付けていれば、少なくとも雫には害が及ばない)………と。
 そこまで考えた時点で、即座に悠希は今考えたことを行動に移す。
「俺がアレを引き付ける!勝名は他のチームと合流して対策を練って来い!」
 そう云うが早いか、悠希は踵を返し閃光手榴弾を投げつける。
 数瞬間を置いて閃光と爆音が響く。対閃光体勢で凌いだ2人と、一瞬センサーを殺された歩兵装甲。その相手目掛け、悠希はナイフを抜き放ち、斬りかかった。
 反論する間もなく行かれた勝名は、何か云いた気に悠希を睨むものの、即座に他のチームがいるであろう方向へと走りだした。







 都は先ほど聞こえた音に、妙に嫌な予感を感じていた。
 それは確かに指示通り、何か問題が発生した場合の合図でもあったが、それ以上に別の何かが胸をざわつかせていた。
「何か…問題が発生したようですね」
「はい…」
 互いに何か問題が発生したことは知覚している。だが実際に問題が発生してみると、思うように身体は動くことはなかった。
 所詮は、訓練で培った経験である。如何に事前に想定される状況を1から10まで訓練を通して経験していても、実際に起きる状況というのは非常に複合的で、そして予想外であることが多いのだ。
 そんな時でも動けるよう訓練されてきたのだが………いざとなってみるとこんなものだ。
 事態が対岸の火事のように見え、イマイチどう動けばいいのか解らない。
 頭と体が、イマイチ一致しなかった。
「と…とにかく!方角的に、悠希さん達の方ですから向こうに行きませんか?」
「そ、そうですね」
 珍しく意見を主張する都に気圧されつつも、綾華は了解し音がした方へと歩き出す。
 が、少し移動した辺りで、
(このまま合流するより、ベースに戻った方がいいのでは?)
 と別の案が頭を過ぎった。
 どの位置にいるかも良くわからないチームと合流するより、ベースで待ったほうがより確実に合流できる。少なくとも、綾華はそう考えた。
 そのことを都に告げようとと口を広げたその時、
「逃げろ都、綾華!」
 2人の前に突然現れた勝名が怒鳴り声が飛ぶ。
 突然の事に、顔を見合わせる2人。が、すぐに思考へ反映できた綾華は、まだ反映できてない都の手を引き、勝名と同じ方向へ走り出す。
 と、いきなり後ろからバキバキと音を立てながら突き進む何か―――それを目にした瞬間、全身が粟立つのを感じた。
「歩兵装甲!?」
 そしてその前を、猿か豹かとしか思えない動きで樹木の間を移動しながら、手持ちの道具を片っ端から投げる悠希の姿が。
「どうしてあんなものが!?」
「どどど、どうしてでしょう!?」
「馬鹿!止まんじゃねぇー!」
 しかしそれに見とれてしまった2人に、勝名は間に合わないと即座に判断し2人の頭を持って力任せに伏せさせる。
 その直後、3人の横を力任せに進む歩兵装甲が通り過ぎていく。何故かは解らないが、歩兵装甲は3人の事を見向きもしなかった。
 そして、その前を進む悠希の顔が一瞬見えた都のその小さな背に、何かおぞましい物を見た時のように、背筋が凍りつく感覚に襲われた。
「見ましたか…?二人とも…」
「あ、あぁ…」
 どうやら、綾華も勝名も見えていたらしい。故に、同じ顔をしていた。
 それはまるで見てはいけないものを見てしまったような、そんな顔を一様にしている。
「なんで…」
「森上さんは…」
「あんなにも…」
 歩兵装甲による物理的な恐怖よりも、薄気味悪さが勝ってる表情のまま、3人は同時に呟いた。

  ―――楽しそうな顔をしてるのだろう―――




 即座に音がした方へ動こうとした雫の耳に、本来なら聞こえてはならない声が入ってきた。
『―――応答しろA分隊。源、返事をしろ』
 響いてくるのは、荷物の中から。つまり、無線機。
 本来ならギブアップ用にしか使わない物から、向こうから通信が入ってきている。
 その事実に気付くのに僅かばかりのタイムラグを要した。
『心配せずとも、これに出ても失格にはならん。とっとと出ろ!』
「こ、こちらA分隊、源です。しかし、急にどうしたのでしょうか?」
『無事なようだな。全員そこにいるか?』
「いえ、現在2人1組(ツーマンセル)で活動しているため私と久我しかいません」
『よし、ならば2時間以内に全員を集めろ。問題が発生した』
 問題―――その言葉に、先ほど聞こえた破裂音が連想される。
「何が起きたのでしょうか?」
『ここは以前、政治的目的を達成しようとする組織的暴力の行使した連中が立て篭もった島らしくてな。
 その連中そのものは既に排除済みなので気にすることではないのだが、そこには連中が使ったまま放置された旧式の歩兵装甲があると云う事実が発覚した。
 それが今回の問題だ。そいつが今、自律制御で動いてることが観測した結果判明した』
「―――っ!?で、では試験はどうなるのでしょうか!?」
 音が聞こえた瞬間から嫌な予感はしていた。
 だがそれは、あくまで個々の問題であり、まさか試験そのものに影響を与えるレベルのものだというところまでは、想像もつかなかった。
 しかし氷室はその問いに答えず話を続ける。
『貴様らの安全をまずは確保するため、1度全員ベースキャンプを集めろ。詳しい話はその後だ』
 あくまで事務的に。平時の時はよく見せる、平坦で感情が篭ってない口調で話を進める。
 それは雫を落ち着かせるため、わざとそうすることで余計な混乱を避けるためにも見えた。
『事態が事態のため、その歩兵装甲の装備の情報は伝えておく。
 火器類は実弾が装填されているが、弾そのものは使えても火器本体の腐食が激しいため使い物にならんだろう。
 スモーク・ディスチャージャーは作動すると思われるが、実際に動作するかどうかは不明だ。
 それと厄介なことだが、パイルバンカーが装備されており、こちらは現役で稼働するようだ。
 現在確認できるのはその程度だが、急げ。
 先ほども云ったが、2時間後にまた連絡する。その時には全員揃っていろ』
「了解…しました」
 返事と共に、無線機のランプが消える。
 一瞬うな垂れるものの、すぐに顔を上げ、
「久我、全員と合流するわよ!生木に火をつけて移動するわ!」
「りょ、了解っす!」
 事態の不味さは久我もしっかりと把握していた。
 故に2人は迅速に動く。事態は自分が思っている以上に悪いことになってると。
 教官側から通信を寄越すほどの異常事態なのだと。
 強く意識せずにはいられなかった。



 生きてることが実感できた。
 死を間近に実感できた。
 その境界線の上に立てた事を実感できた。
 それこそが、自身の全てであると、強く意識することができた。

 振り下ろされるスーパーカーボンの塊を紙一重で避け、関節部にナイフを突き立てる。それを無視してもう一つの腕を使って悠希を掴―――として、しゃがまれて避けられる。その状態のまま、肘関節めがけ飛び上がる勢いを乗せてナイフを突き立てる。が、これも効果なし。
 それでも。
 いや、”だからこそ”と言えば良いのか。

 ―――血が沸く。

 ―――肉が踊る。

 ―――魂が昂る。

 恐ろしく危険なのに。
 一発でももらえば終わりなのに。
 生と死の境界線上にいるのに。

(何よりも嬉しい―――)

 経験こそ人を強くする。良いも悪いもない。全ては糧になる。
 そのために経験を求めた。あらゆる状況を知ろうとした。
 そのためなら、命を投げ出すような真似だってしてきた。
 そして今、これまで経験して来た経験を生かせる場所を与えられた。
「く…っ」
 避けて避けて避けて、攻めて攻めて攻めて。
 振り下ろされ、振り回され、バンカーを放たれ。
 雑草を踏み潰し、木々をなぎ倒し、動物をも肉塊にし。
 飛んで、しゃがんで、大きく仰け反って。
 全て、師匠が仕込んでくれた術が生かせる。自分よりも大型の相手だろうと、まったく食らう気がしない。
 意識せずとも体が反応し、次に何が来るか予想できないのに体はまるで予測済みだと云わんばかりにひたすら動く。
 それが、この上なく楽しい。意識ではなく、無意識のレベルにまで経験が行き渡ってることが、とても楽しく嬉しかった。
「く…くく……っ」
 惜しむべくは、手に握るのが長年愛用していた刀ではない事。だがそれも、今という状況に巡り合えた事に比べれば非常に小事。むしろ、そんな状況であろうと動く我が体がとてつもなく頼もしい。
 まるで次の行く先が解ってるかの如く、その身は的確に相手の死角に入り込むために茂みを使い、木々を伝い、山肌の中を縦横無尽に駆け抜ける。
 命をすり減らし、経験を喰らい、新たな境地を目指す。
 それを求めていた。望んでいた。
「くく…くかかっ………」
 我知らず、ナイフを握る腕に力が入る。それに気付かないほど、全身に力がみなぎってるのが解る。
 その力を如何なく発揮できる相手と、それを制御できてる自分がとても嬉しく。
「くはは…っ!くははははははははっ!くはははははははははははははっ!」
 我知らず―――自分の耳にも入ってないのか―――悠希は、笑っていた。
 酷く歪な笑みを浮かべて。
 力任せに振り回された腕が足場にしていた樹木をなぎ倒す。その衝撃を利用して別の幹に飛びつき、拾った石をセンサーめがけ投げる。直撃させるも、全く効果なし。
 むしろ移動先を教えたようなもので、左主腕に取り付けられた赤錆だらけのパイルバンカーを今足場にしている樹木に押し当て―――衝撃ッ(インパクト)。その一瞬の間に別の樹木に飛び移り、しかし根元から打ち抜かれた樹木を歩兵装甲は、さらに力任せに悠希めがけ振り回す。
「はっはーッ!」
(―――間合いを離すより、詰める方が良い!)
 そう思うよりも早く体が動く。振り下ろされる樹木の脇を姿勢を低くしてすり抜け、一気に間合いを詰める。光学センサーからでは、物陰の向こうは見えない。そういう算段。
 はたしてそれは成功し、真後ろを奪う。その真後ろから見える、生身の部分を目視で確認。ナイフを正面に構え、危険を承知でその脇めがけ突撃っ。
 歩兵装甲も即座に反応し、バンカーに樹木を引っ掛けたまま後ろの方へ裏拳を振るう。が、その樹木が他の木々に邪魔されて、若干の間を生み出す。
(―――殺ったぁ!)
 それでもギリギリの所を掠めながら、その間合いに入り込む。首から下は強化服がある上前面装甲がある以上、ナイフ程度の刃物では致命傷どころか、切り傷さえ与えられない。ならば、致命的損傷を与えられる場所は―――首と頭の付け根、脊髄と脳が繋がる、首裏の一点!
 平突きの要領で放たれたナイフは、吸い込まれるように強化服を着た者の東方に吸い込まれる!
 が、
「!?」
 …その装甲という隙間を縫い、突き刺したナイフの感触は―――予想に反してやけに緩かった。
 次いで”ぼとり”という、何か重い物が落ちた音。
 下を見ると、そこには、芋虫と見間違うほどに成長した蛆虫が沸いて、腐乱した肉が僅かに張り付いてる頭蓋が―――頭の中で、記憶が煌く。師との記憶が…
 ―――その一瞬の隙を作ったのが、拙かった。
 スーパーカーボンの塊が、歩兵装甲の肘が、無遠慮に叩きつけられる。
「ぐぅ…っ!」
 咄嗟に飛んだものの、腕を引くのが飛ぶタイミングを遅れさせ、結果衝撃を半分も殺せなかった。幸い飛ばされた先には樹木が無く、小さな枝や枯れ葉がクッションとなり打撲以外痛みは無い。
 ………今のところは、の話ではあるが。
 ともかく、同じ場所に留まるのは非常に危険だ。現に、荒れ狂った歩兵装甲が、脇目も振らず直進して来る。
 歩兵装甲の中枢である歩兵が死んでいるのにも関わらず、歩兵装甲は動き、人を狙う。
 制御系が狂ってるのか?と思うが、今は考察している暇はない。
 幸い、密林内での機動力はこちらが上だ。向こうはその図体が仇となり、満足に動けていない。
「三十六計逃げるが勝ち…か」
 本来ならここで仕留めるか、最低限移動に支障を与えるだけのダメージを与えるべきなのだろう。が、相応の装備がない以上どうすることもできない。
 なら、少しでもベースから遠ざける方角へ逃げ、時間を稼ぐのが正しい。時間があればその分対策を練るのも、逃げる時間を稼ぐのにも使える。
 そうと決まれば、何時までも痛みに耐えてる暇はない。
 立ち上がり、木々を薙ぎ倒しながら迫る歩兵装甲に中指を立て、挑発も程ほどに密林の中へと走っていく。
 果たして挑発に意味はあったのかは解らないが、歩兵装甲は悠希を目指し密林の中へと入っていった。







 教官から連絡があった1時間と30分経過した辺りで、雫達はベースキャンプに到着した。
 山の中はまだまだトラップの解除は済んでなかったため、相応の時間を要してしまったことに雫は軽くイラ立ちを覚えた。
 そんな雫達よりも早く勝名達が到着しており、しかし………表情は一様に硬かった。
「みんな無事―――って、悠希は?」
「………奴の相手をしてるよ…」
 勝名が3人を代表してゆっくりと告げる。
「”やつ”って…歩兵装甲と?」
「………あぁ、そうだよ」
「うわ、無茶するねぇ森りんも」
 いくらなんでも無茶だと言わざる得ない。
 あれは本来BETAと戦うための装備であるが、それ故に生身の人間程度でどうこうできる代物ではないのだ。たかが人類1人で破壊できる兵器など、BETAには通用しない。少なくとも、その程度なら非武装状態でも人間相手に負けるはずがない。
 そんな相手に1人で?ナイフ1本で?どこからどう見ても自殺志願者だ、それは。
「…何故、歩兵装甲だって解るんです?」
 綾華がふと顔を上げ、指摘する。
「その事を踏まえて全員に今私達が置かれる状況について説明したかったんだけど、仕方ないわね。
 悠希には後で説明するしかないわ」
 そう納得すると、全員に雫を注視するよう言い放つ。
「現在、私達はテロリストが使ったまま放置されていた歩兵装甲に命を狙われているわ。
 そこは私と久我以外の3人はよく理解してるみたいね。
 現役稼働してる装備は今のところパイルバンカーのみとなってるけど、火器類には実弾が装填されてるとのことで、例え腐食して作動しそうに無いように見えても、作動してると想定するわよ。
 スモーク・ディスチャージャーも装備されてるって話だけど、動くかどうかは運次第だって。
 後は、その通信があった2時間後に再度連絡するということだったけど…」
 そう言葉を濁し、無線機を持つ。
「それよりも!」
 不意に、勝名が声を荒げる。あまりに不意に雫は大きく眼を見開き、久我は悲鳴を上げた。
「ありゃなんだよ!?」
「…何が?」
「悠希だよ!なんなんだよ、アイツ!」
「悠希が何かしたの?」
「なんであいつは、あんなのに襲われてんのに………”笑って”んだよ!?」
「―――!?」
 一瞬―――司令の客人との模擬戦を思い出した。
(あの、ぞっとするような、笑みをまた?)
 だが、その事については雫自身、よくは”知らなかった”。
 幼少の頃から長く馴染んできた相手のことだ。よほどの事がない限り、知らないことなどないはずなのに。
 知ってて当然の相手…その相手のことが、良く解らない。
 ただ………あの笑みを見た時に感じたものは、間違いなく良い意味の物ではない…少なくとも、そう断言できるものだった。
「あれは流石に、私も背筋に嫌なものが流れる感じがしました…」
「正直、気味がわりぃよ…!」
 機械の塊に襲われたことよりも。
 パイルバンカーを振り回されたことよりも。
 一撃で殺される恐れがある機銃を向けられた事よりも。

 仲間が見せた、狂気を孕んだ笑みの方が怖い。

 そう云い切られた雫は、流石に動揺を隠せなかった。
 それは、雫自身も一瞬でも感じられたものだったから。
 あの客人との訓練で見せた時にも感じたあれを、他の人が見ても気付けるレベルのものを見せたということは、やはり相当なことなのだと思う。
 やたらと仲間を見捨てたがらない綾華でも、距離を置きたくなると趣旨の意見を上げたのが決定的だ。
 そして、雫自身は、その2人に対し言い返す言葉は持っていなかった。
 いや………正確には、持てなかった。
 言葉が、口が重く、声が喉から登ってこない。そんな感覚。
 その雫の無言が、全員に重く圧し掛かる。
 雫が悠希を擁護できないということは、それはイコールで、その雫自身も気味悪がっているのだ………と。
 言外に、そう言いふらしてるようなものだった…
 そしてその事実は全員に浸透し、『森上 悠希』という異質な存在をより際立たせることになる。
 そもそも、言動がおかしいのだ。皆とさして変わらない歳で、まるで達観したかのような、諦観したかのような、自己を捨てられることが。
 あの歳で自分を見捨ててるかのように、存在の全てを一つのことに捧げられる事が果たしてできるだろうか?居ないわけではないだろうが、それは結局のところ、特殊であり異常であることを認めているのに他ならない。
 この試験中は、今まで見せたことが無いほど自己を主張していたが、それすらも今では懐疑的な眼で見つめてしまう。
”気味が悪い”………その見方は間違ってはいないのだろう。
 人が人を嫌う理由の多くは、輪を乱す者か、変人・奇人と大体は決まっている。あるいは、『人とは違う』か。
 悠希の場合、その奇人変人に加えて異質の恐怖を与える何かを内包している。そう云わざる得ない。
 それはつまり、悠希もまた『人とは違う』のだと、云えた。
 その恐怖は伝染する。誰かが恐怖を感じれば、他の誰かも恐ろしく感じ、そしてその恐怖を増大させる。
 そんなものが、分隊の中にいて、気付かなかった自分の愚かさが、相手への恐怖が、自身を蝕んでいく。
 周囲の場に、薄気味悪さと恐怖を内包した空気が蔓延する。無視の鳴き声さえ押し潰す重苦しい空気と、悠希に対する疑心が張り付いた面々の顔が、際限のない悠希への恐怖を助長させている。
 静寂が、重くおもく、皆を押し潰していた………
「………っ、みなさん落ち着いてください!」
 その静寂を打ち破ったのは―――都だった。
 突然立ち上がり、そう叫んだものだから、そこにいる全員が都を注視した。
 それに臆する事無く胸を張り、涙目になりながら、声を震わせながら、それでも主張する。
「状況が急変したことで動揺してるのは解ります…!
 でも、でも!だからって、悠希さんを、仲間を怖がる理由には、ならないじゃないですかっ。
 確かにあの顔は怖かったですけど、でももしかしたら、私達を安心させるために、無理に笑ってたのかも知れないじゃないですかっ!それが強張って、あんな怖い顔になってたって、そうとも考えられるじゃないですか!
”源分隊長”も、落ち着いてください!貴女が落ち着かないと、私達も落ち着けません!」
 これ以上ないほどの強い自己主張。いや、都自身の想い。
 気が動転しているだけのだと。仲間を恐れる事は間違いなのだと。あれが悠希の本性ではないということを。
 それを一番彼を理解している貴女が突っ撥ねないでどうするのだと。
 都は、普段見せたことがないほど強い意思で、声音で、精一杯主張した。
 ………昨日の出来事を知る雫にとって、それは都が持つ”力”の事も暗に含ませてることはしっかりと理解できた。
 守るつもりが、守られた………と、云えばいいのだろうか?
 支えができたから、”そういうこと”ができるようなったと見るべきか。
(ううん、今はそういうことじゃない。そういう考えを巡らせる時じゃない)
 未だ打算を求める時ではない。求めるべきは、そういうことではないのだ。
「………そうね、都。貴女の云う通りだわ。ちょっと意識が悪い方向に流れてちゃってたわね」
 まずは反省点を見つけて強引にまとめる。今はこんなことで言い争ってる時ではない。
 だから多少論点がズレても話はまとめてしまう。次の話題にいくために。
「都の云う通り、みんなちょっと落ち着きましょう。気が動転したままじゃ、余計なミスを誘発するだけだから。
 勝名と綾華も、いいわね?」
「あ、あぁ……確かに気が動転してたのかもな」
「そう、ですね…いきなり歩兵装甲が出てきましたから…驚かない方が無理というものです」
「そうですよ、あんなのに襲われたら、BETAじゃなくても怖いですよっ」
「いやぁ………話に割り込む隙がないっす」
「こういう時こそ、機転を利かせろよ久我 応馬!」
「ぇー、そりゃないよカッチーナぁ…」
 無理にいつもの調子で久我を罵る勝名。と、丁度タイミングを見計らったように無線から教官の声が響いた。
『―――A分隊、応答しろ。繰り返す、A分隊、応答しろ』
「こちらA分隊、源です」
『予定通り、全員揃ってるな?』
「いえ。今、森上が単独で歩兵装甲を陽動しており合流してません。合流時間は未定です」
『ふむ………まぁいい。それよりも、今後の作戦行動を伝える』
「はい」
『我々はこれより、あの歩兵装甲の無力化を試みる。
 現在こちらの位置は700キロほど離れた位置にいるが、天候が荒れてきている。よって戦術機の航続距離では即座にカバーできない距離にある。現在移動中ではあるが、それでも相当の時間を有する。
 また、敵性存在の現有戦力を加味しても、貴様らの安全はそれほど長くはない。
 よって、こちらの位置、最短時間、現有火力を加味した結果、島の東方にまで誘導し、そこで迎撃することとなった。
 貴様達の仕事は1つ。歩兵装甲を今から7時間後に島の東方に誘導することだ。手段は問わん。
 それまで生き延びろ』
「…っ!質問をよろしいでしょうか!?」
『云ってみろ』
「我々だけで、歩兵装甲とやりあえ…と?そういうことなんですか!?」
『そうだ。どの道、こちらからでは即座にどうこうすることはできない。また、その装備もない。
 お前達に無理を云ってるのは承知している。だが、今こちらからどうにもできない以上、そちらも相応の対処をしてもらうしかない』
「っ……は、い…」
『他に質問はないな?1時間もしない内にその島も暴風雨に飲まれるはずだ。
 状況は芳しくないが、各自今まで仕込まれたあらゆる技能を最大限生かして生き延びろ。
 ―――以上、通信を終わる』
 殆ど一方的な説明の後、ノイズを響かせて無線機は沈黙した。
「………………………………………………………………………………………………………」
 全員の顔に、今度こそ暗い影が落ちる。
 当然だろう。あんなものに襲われ続けながら7時間も逃げろ等と。無茶にもほどがある。
 しかもこれから雨が降る?視界が利かなくなる状態でそれは、「死ね」と云ってるようにしか聞こえない。
 何を考えてるか解らない、むしろふざけるなと罵りたく―――
「っ!全員、顔を上げて!気持ちを切り替えしなさい!」
『っ!?』
 負のスパイラルに陥りかけたところで、雫は大声で気を張り、そこから抜け出した。
 結局のところ、こんなところでグダグダしてる暇はないし、へこたれてる場合でもないのだ。
 今見るべきは下より前、後ろより前なのだ。
 思考で遊んでる暇があるなら、今後のことを考えるべきだ。
「いい?とにかく今は逃げることを優先して。それと、できる限りトラップをかき集めて。
 戦う手段なんて、そう多くはないからね。とにかく、あり合わせを組み合わせて時間を稼ぐしかないわ。
 状況が最悪なのは当たり前、後はそこからどう抜け出すかを考えましょう」
 そう、状況は最悪なのだ。BETAに命を狙われずとも。例え狙われようとも。
 今、自分達が置かれている状況は、それに匹敵するほどの最悪なものだということを。
 そして、そんな状況から少しでも生き残る可能性を、生き残る術を組み立てていこうと、雫は全員を鼓舞した。
 その力強さは、確かに分隊へと伝わり、少しだけ活気を取り戻させた。
 その僅かなりの活気にそれなりの手応えを感じつつ、雫はさらに指示を出していく。
「それじゃ、バラバラに動かず今は全員で動くわよ。そしてその間に、トラップ群の回収を。
 実弾が装填されてるのがあればいいけど、シリコン弾でも問題ないわ。とにかく、使えそうなのを片っ端から集めるわよ!」
『了解!』
「あの、分隊長…1つ、いいですか?」
「何、都?できれば簡潔にお願い」
「はい。悠希さんは………どうするんですか?」
「連絡手段がない以上、こちらから合流するワケにも行かないわ。
 そうなると、派手に音を鳴らしてこちらの位置を知らせるしか無いわね」
 それ以外は、ない。
 こちらから合流するような手間はかけない。
 雫はそう決断した。
 分隊長がそう決めた以上は、全員従うしかない。
 綾華は何か云いたそうであったが、ぐっとこらえ流す。
「さ、移動するわよ。向こうは大型だし、動けばそれだけ音を撒き散らすからなるべく注意して」
 天候が崩れ大雨になる以上、その指示も無駄になりそうではあったが、それでも指示を出さずにはいられなかった。
 空を見れば、暗くなりつつある空を覆うように、より暗く分厚い雲がゆっくりと島を覆っていく。
 これでは1時間もしない内に、降って来るだろう。
 それまでに、出来る限りトラップをかき集め、迎撃体勢を整えたい。
 遊んでる暇は、なかった。
最終更新:2010年11月06日 21:45
ツールボックス

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