順調だった。何もかも。
氷室にとっても、大場にとっても。そして訓練兵達にとっても。
個々人の些細な問題はあってもそれは周りがフォローし合えば解決するほどで。
若さと目的意識が与える訓練兵達への性能向上は、過去の例と比しても非常に良い結果を与えていた。
ここまで順調であれば、後は自身が経験したことすべてを注ぎ込むだけだと。
それだけのことだと氷室は思っていた。
それはそうだろう。
普通に考えても、あのようなことは起こり得ないのだから。
だから悩む。
女は悩む。
氷室は悩む。
教官として、決断すべき時を―――
マブラヴオルタネイティブ -暁の空へ- 第20話 『剥がれる仮面、向き合う自分』
「うわぁ………」
戦術機の本格的なシミュレーター訓練の前にある歩兵装甲による行軍訓練。
その時の
A分隊面々の口からそんな声が漏れた。
それは嫌が応でも総演のことを思い出させ、中にはそれで痛い目を見た者もいるのだ。
漏れずにいられようか。むしろ、悲鳴を上げないだけマシと云えよう。
それを知ってる氷室は、しかしそんな事情などお構いなしにギロリと鋭く冷たく睨む。
「A分隊にとっては早くも嬉し懐かしいご対面だな?だが浮かれるなよ、今は訓練中だ。喜んで昔話にふけるのは後にしろ」
「はっ!」
無着色塗膜の強化服にはまだ慣れない雫は、まだ顔を赤くしながらもそれに返事する。
ひとまずそれで手を打ち、氷室は話を続ける。
「さて、この中には何人かこれに世話になっていたのもいるが、そういうのは復習も兼ねて訓練に入る。
座学で説明した通り、戦術機の管制ユニットはこの歩兵装甲が兼用している。これは有事の際、脱出する手段として使うためだ。
機械化歩兵部隊なんかはこれに武装や跳躍ユニットを装備させた代物を使っているが、戦術機に搭載されているものは基本的に非武装だ。逃走専門の装備と云える。
よって今からやる行軍訓練は歩く感覚に慣れることを中心とする。
だが気をつけろ、この装備だけでも簡単に人を殺せるからな。特に掠めるだけでも大怪我だ。十分に注意しろ」
『了解!』
「よし、では装着作業に入れ」
グラウンドに並べられた12機の歩兵装甲に各分隊に2機ずつ当てられ、そこから装着作業が始まる。
全員分を揃えていないのはいくつか理由がある。まず訓練だけで50名以上いる分隊分の歩兵装甲を揃えるのは、それだけでコストがかかるからだ。いくら優遇されている事が多い301衛士訓練部隊であるとはいえ、訓練だけで1大隊を組めるだけの数を用意するのは流石に金の無駄使いだ。
もう1つの理由として―――むしろこちらが重要なのだが―――この歩兵装甲がお隣の帝国軍から借用した物であること。これはお金がないから………という寂しい理由ではない。単純にまだ用意できていないのだ。
そもそも国連軍百里基地にはまだまとまった軍備は存在しない。無論拡張工事等は現在行っているが、戦術機格納庫以外の設備はまだまだ先の話だ。それらを揃えるまでの間、日本帝国軍百里基地の装備を一部借りる手筈になっており、しかし50名以上いる訓練兵分を貸すのは流石に「ちょっと待った」と云わざる得ない。
それに動かすだけなら良いが、今回は初乗りの初訓練である。何が起きるか解らない。何をしでかすか解らない。下手をすれば玉突き事故のように倒れて行き、50機分全部が壊れて帰ってくる可能性だってある。
そんなリスクを背負う勇気は、残念ながら帝国軍百里基地にはなかった。
むしろそんな数を用意されても困るというのは、氷室達教官側の意見なのだが。
大場が用意しようとしたとの噂もあるが、あえて聞き流す。仮に事実だと、余計に頭が痛くなるだけだから。
「それじゃ悠希と勝名から乗ってみて。そこから乗り心地とか色々伝授する形でいくわよ」
「了解」
返事すると同時に悠希と勝名が動く。
着座姿勢の歩兵装甲の中央に座する位置にある、宙ぶらりんになった端末ユニットに腕を通し、強化服と接続。網膜に歩兵装甲側のデータが映し出され、そこから端末ユニットを操作して環境校正を実行。
校正が終了と同時に網膜上にレクティルが表示され、完全起動状態に達する。
「動かすぞ、離れろ」
その言葉と同時に全員が一斉に”必要以上”に下がる。
知らず、無意識下に歩兵装甲への恐怖が刷り込まれているのだと、A分隊の面々はそう感じ苦笑いで場を濁した。
「先に立つぞ、勝名」
「あいよ」
勝名の返事を待って、悠希はゆっくりと立ち上がる。人間程度の馬力では動きようもない金属とカーボンの塊が抵抗もなくゆっくりと動き、そして拍子抜けするほどあっさり立ち上がった。
(へぇ…これがな…)
これがあれだけ大暴れしていた歩兵装甲の、本来の姿かと変な感慨にふける。
視界は思ったほど高くはならない。ただ、網膜に投影されている画像が頭より上なせいか少し違和感がある。レーダーには50個の生体反応のグリッドが表示され、12個の識別反応が検出されていた。
軽く腕を横に広げると、炭素帯らしい静かな駆動音と共に、悠希の動きをトーレスする。続けて一歩足を進め―――ようとして、少しバランスを崩した。
「っと。ちょっと感覚とズレがあるのか。気をつけろよ勝名」
「あいよ!確かにちょっと足元がふわふわしてて気持ちわりぃなこれ」
脚部端末ブロックを支えるアームが横から生えているせいなのか、あるいはトルクがあるが故なのかは知らないが、どうにも足元が軽い。
それに自分の視点では足が地についてないのがどうにも違和感が強い。それは普段から自分の体を酷使していた2人には大きな違和感となる。
浮ついた気持ちはまったくないが、どうにも落ち着かない。
もっとも、総演の時に追いかけ回された事も一因しているのだろうが。
「歩兵装甲は馬力がある分見かけのよりも身軽だ。総演の時は樹木が邪魔をしていたからそれらしくは見えなかっただろうがな。
その軽さが歩兵装甲の本領だ」
「あ、教官」
「グラウンドを5周してから交代しろ。モタモタするな!」
「了解!」
云われるがまま悠希と勝名は走り出す。思った以上の加速と速度に驚きながらも、既に走り始めていたB・
F分隊の面々と合流していく。
「貴様にしては随分とのんびりじゃないか、森上」
「色々とな。感覚に齟齬がある」
先に走っていた中岡が絡んでくる。とはいえ、総演前のような噛みつく勢いでないのは、単に慣れない事をしているせいか。
しかし驚くべきは、
B分隊の中岡、中村の先を悠然と走るF分隊の有田の存在だろう。
悠希以上に寡黙に走るその様は、どう見ても慣れ親しんだ動作だ。むしろ悠希には、似たような存在故か、その動きに喜々してる部分があるように見てとれた。
「有田、なんか嬉しそうだな」
同じように受け取った中村が少し先行して声をかける。それに対し、少し考える素振りをして「まぁな」と短く答える有田。
「型式は違うが、こいつはよく解ってる。癖もな」
「へぇ、流石実戦経験者なだけはあるぜ。今度これについて教えてくれよ」
「それは良いが………俺達の目標は戦術機だ。そこを履き違えるな?」
「わ、解ってるって。どの道使う時もあるだろうし、その時のために、な」
『ピーチクパーチク囀る余裕があるならもっと早く走れ屑共!やる事は山ほどあるんだぞ!』
ヘッドギア越しに梶原の重低音が響く。それはもっともと短く返事をする有田は、前傾姿勢をとりさらに加速し先行した。
(―――あぁ、そうか。足腰の力が上がる分前へ進む力が跳ね上がるのか)
奇妙な違和感を抱きながらも、悠希は有田の加速を見ながらそんなことを思った。
実際、少し前屈みになり強く踏み出してみれば、自分が想定していた以上の加速が得られる。パワーアシストが働くこの装備は、やもすれば自分の力が跳ね上がったかのような錯覚に陥ってしまう。
いや、実際跳ね上がってはいるのだ。ただ、これを自身の力と勘違いしてしまいかねないところ。
自分の性能をよく把握していればしているほど、この差異を如実に感じてしまう。逆に気にしてない者にとっては、純粋に良い装備ではあるかも知れない。
(足元に感じる違和感はこれのせいなの………か?)
中岡と勝名を振り切りながら、悠希は自身の中に蠢く違和感に理由を求めた。
午前の楽しいハイキングが終了し、PXでの早めの昼食を終えた訓練部隊の面々。
しかしその多くは食後の一服なぞしてる様子もなく、座学で渡された教本と睨めっこしているのが殆どだった。
その教本とはすなわち、戦術機を制御するための教本である。
事典並の厚さのそれを、座学だけでは理解できない部分をこうして必死になって読み漁る。中にはノートに書き写したり、イメージして操作するあまり身体まで動いてるのもいる。
普段お喋りな面子でさえその有様で、PXは異例とも云えるほど静まり返っていた。
このような事になっているのは何故か―――それは、
「この後、初めてシミュレーターでの操作訓練に入りますが………これはかなり難しいのでは………?」
A分隊の集団の中で、齋藤 綾華が皆の気持ちを代表してそう云った。
―――そう、彼らはこれから、人生初の―――中にはそうでないのも居るが―――戦術歩行戦闘機を、シミュレーターではあるが、操作するのである。
それに先立ち、事前に操作を頭の中にだけでも叩き込んで置こうと思い、こうして皆が必死になって覚えてようとしているのだ。
歩兵装甲とは比べ物にならないほどの複雑な機構。それを2つの操縦桿とフットペダルで制御することの難しさ、複雑さを、この教本はとくとくと教えてくれている。
それを少しでも理解しようと頭を全力回転させているのだが、ここに来て何人か項垂れているのが見てとれた。
「ん~………操作自体にはそれほど苦労はしないけど、それ以外の制御が専門的で苦しいわ………」
特にパネル操作が異常とも思える。入力キーの数もさることながら、ファンクションキーで切り替わる入力モードも複雑で理解するのが難し過ぎる。これらをまとめたフローチャートが欲しいと、叫びたくなる。
「~~~っだぁっ!解るか、こんなもん!」
吠えるように教本を投げ―――ようとしてギリギリのところで踏みとどまる勝名。これを投げると教官達に何をされるか解ったものではない。そんな思考が働くのと同時に、しっかり調教されてるなぁと、嘆かざる得ない。
「理屈では解りそうだけど、現物を使ったことがあるわけじゃないから、まったく想像できないっすよこれ………」
「き、機械はよく解りません…銃器ですら苦しかったのに………」
理屈は解る久我と、その理屈も厳しいと嘆く都。
それぞれ成績に準じた嘆きの声を上げる面々に、流石の雫も弱音とも取れるぼやきを漏らす。
「難しいとは云っても、現役衛士はこれを全部覚えてるのでしょ?ということは、そうだということは、この量が頭には入るということなのよね………」
人間の可能性というものを強く感じさせる云い回しではあるが、それは言外に「私は無理」と宣言しているのと同じだった。
が、そこは一応分隊長である。表立って「無理だ」というはしない。
「悠希はどう?さっきから黙ってるようだけれど」
普段から口数の少ないな悠希にその云い分はどうなんだと、全員が内心でツッコむ。
その当事者は「ん?」と軽い反応で、見れば殆ど読んでないのではと思える速度でページをめくっていた。
「こういうのは使ってから読んだ方が解る」
「つまり?」
「読んでない」
「「「「おいこら」」」」
雫を除く4人が一斉にツッコミを入れる。なお、雫は頭を抱えてうずくまっていた。
「大丈夫なの、それで………?」
「使えてる人間がいるんだ。そういう人から教わるわけだし、知識なんて後から付けても大丈夫だなと」
「あ~………そういえば貴方はそっちの方だったわね………」
経験は知識なり。知識は経験なり。
鶏が先か、卵が先か。
後ろに逃げるのか、後ろに進むのか。
そんな違いについて奥州に居た頃悩んだことがあった気がする。割と瑣末なことであったが。
「まっ、森上の云う通り戦術機なんてのは乗って慣れる代物だよ実際は」
「あ、姉貴!」
「日吉さんって呼べっ!」
A分隊の面々に割り込む
日吉 梓を出迎える久我だが、出迎え方を間違えたがためチョークリーパーを極められる羽目に。
「そう云えば日吉さんは乗ったことがあるのでしたね」
「そうだよ。ま、それは置いといて、戦術機は頭で考えるより身体を使ってなんぼの代物だから、実際のところ教本と睨めっこしてもあんまり意味ないんだよな。覚えるべきことは、その時になったら嫌でも教わるもんだしね」
「では、教本は覚えた事への補完と考えれば良いんですね」
「そうそう。駄目な時は教官から鉄拳食らうだけだし、気楽に行こうやっ」
そう溌剌とした笑いを振り撒いた後、日吉はその場を去って行った。
………久我を連れて。
「………なんで久我が連行されてんだ?」
「姉貴と呼んだからでしょ。ほっといてもその内帰ってくるわよ」
軽くため息を吐きながら雫は再度教本と向き合う。
それもそうかと、何故かあっさりと納得した勝名も教本に向かい合うのだった。
久我への仕打ちはいつもの事ではあるが、あわあわと慌てるのは、都くらいなものであった。
場所は代わり戦術機シミュレーター室に集まる訓練兵達。
ここ連日、無着色塗膜の訓練兵用強化服の着用にも慣れつつあるのか、日を経つ毎に腕組みをする訓練兵の数が減っている。
それに最初こそ何も云わなかった氷室教官も、徐々にそのことを指摘し怒鳴り散らすようになってきたのもある。どの道何かするためには腕組みを止めねばならないのだから、いくら躊躇しようとも下ろすしかないのだが。
「喜べ虫共。今日から貴様らの本領を磨く時が来た。これより本格的な戦術機講習に入る」
『はい!』
「本来ならこのシミュレーター、訓練兵如きでは2台使えるのが精々なのだが………喜べ、ここにある12台全て使用許可が下りた。これがどういう意味か、各自よく理解しろ」
シミュレーター室に置かれている12台を親指で指差しながらそう告げる。
コスト的に、訓練兵にこれだけの数を同時使用するのは躊躇われる。が、彼ら301衛士訓練部隊は先に告げられた理由もあり、ある種の特別待遇を受けている。これが何を意味するか、どういう意味があるのか。それを考えれば、むしろもっと手厚くやりかねないのだろうと、よく理解している者は、者達は自分達にかけられている期待の大きさに青筋を立てる。
「基礎過程から基礎応用課程までいくつか段階に分けられていて、XM3の性能を考えればこの過程は早々に終われるはずだが………貴様らには1つ課題を出そう」
そういう氷室の口は、笑っていた。眼は薄ら寒いほど鋭く冷たかったが。
わざとらしい数秒の間を取り、さらに一呼吸置き、
「貴様ら全員、基礎応用課程Dまで5日以内に済ませろ。ちなみにこの日数は旧OSでの最短記録だ。XM3なら簡単だ、泣き言は聞かん」
その言葉に全員が固まった。
一部、そこの言葉の意味を理解しきれていないのもいたが、徐々に理解していくと今度はどんよりとした表情が、その顔に張り付いていく。
それはそうだろう。教本を見ただけでは全く解らないのに、それを5日以内に済ませろなどと。本気で終わらせることができると思っているのだろうか。
真意は定かではないが、全員の眼には、氷室は本気だと思わざる得ない何かを放っているのが見えた。
一方、氷室はというと………横浜では1日でそこまで済ませた訓練兵がいたとの情報もあったが、裏付けが取れてないのであえて見なかったことにした。そうでなくとも、この課題は少々無茶振りなのだから。
とはいえ、XM3の性能を鑑みればそう大げさでも無茶振りでもないとも考えていた。
旧OSよりも反応速度が上昇しているXM3であれば、多少手間取ることはあっても躓くような課程は存在しない。少なくとも、氷室はそう考えることができた。
「さて、それでは早速始めよう。各分隊から2名ずつシミュレーターに搭乗。1・2番機をA分隊、3・4番機がB分隊、5・6番機がC分隊と分けて使え」
その言葉を合図に訓練兵達は一斉に動き出し、割り当てられたシミュレーターに集まる。
「それじゃ最初は私と綾華から行くわよ。その次に勝名と都、最後に悠希と久我の順でね」
「汚すなよ分隊長?前に戻し「無駄口は自重しないと教官に睨まれるわよ」グダグダうるせぇぞ久我ぁ!」
「何故ボクが!?」
「はしゃぐな糞ったれ共!さっさと搭乗しろ!」
「「了解!」」
早速罵声が飛び、慌てて雫と綾華が1番機・2番機に搭乗する。
他の分隊もそれぞれ搭乗して行き、モニターで全員搭乗したのを確認する。
『―――よし、それでは基礎過程Aを始める。まずは歩行からだ』
「せ、世界は震度1ね…」
1時間経った後、交代のためそれぞれ1組目が筺体から下りてくる。
外から見ると激しい揺れに見えたが、中も実際そうだったようだ。
「大丈夫か?」
横に立ち、ヨタつく雫の肩を持ち支える悠希。
それに力なく返事しながら、その手に寄りかかる。
「ちょっと…ね。本当に慣れるのかしら…」
「自分で動かす分………少しは、ら…楽ですが………っ」
「だ、大丈夫ですか!?」
吐きかける綾華に都がかけより、背中をゆっくりとさする。これ幸いと久我もさすりに行こうするが、勝名が首を掴んで抑える。
「酔ってるのはその辺に座らせておけ!時間がない、次行くぞ!」
「よっしゃ、都行くぞ!」
「は、はいっ」
「が、頑張ってきてください………」
なんとか耐え切れた綾華が、2人を見送る。
ややあって、また激しく動き出す筺体をみて、悠希と久我は軽く自分の番が来るまで祈るのだった。
「意外と大丈夫でした…よ…?」
「2回目となりゃこんなもんか?」
2組目が下りてくるなり、都と勝名はそんなことをのたまった。
多少、揺れから来る足元の不確かさはあったが、雫と綾華ほど酷くは見えない。なにより顔色がそれほど青ざめてない。
「何が違うって云うの………」
「人に寄るさ」
「でもね…」
「感想会は後にしろ!さっさと乗りこめ、時間はないぞ!」
「それじゃ、行ってくる」
「頑張って………」
「あぁ」
「そっれじゃぁみなさん、ボクの華麗な姿を良く見ててくれたまへよ!」
「さっさと行け久我!」
「ヒィ!す、すみません!」
雫を都に預け、悠希と久我は筺体の中へと入っていく。
中に入ってみると、構造上そうなのか、外部の音があまり入ってこない。
フットペダルと強化服の脚部パーツを噛み合わせて足を固定し、操縦桿を握る。身体を固定した状態を確認し、氷室に連絡する。
『―――よし、本日3回目の地獄行きだ。存分に楽しめ』
(云う事かいてそれかよ…)
内心でそう思うが、口には出さない。出せば怒鳴られる。
『………森上、強化服にはバイタルチェックのため、脳波も観測しているのはその小さな脳みそにちゃんと入ってるな?』
「はい」
『では今、我々は貴様の考えが統計値ではあるがある程度解るわけだが………何か云いたいことはあるか?』
「素晴らしい教官に出会えて自分は三国一の幸福者であります!」
『当然だ馬鹿者。以後考える時は気をつけろ?』
「了解!」
『よろしい、それは基礎過程Aを始めよう。何、ただ歩くだけだ。飛んだり跳ねたりは少し先の話だ。
全員やってみろ』
氷室の合図と同時に、視界が広がる―――合成映像だが、自身が18メートル級の巨人に変身しかのような錯覚に陥った。
首を動かすと視界も一緒に動き、宙に浮いてるように表示されているレクティルやレーダーもリンクして動く。横を向くと、他の機体―――”吹雪”がゆっくりと動き出そうしているのが見えた。
『うわ…なんか凄い違和感…』
『慣れろ。別に死にはしない』
『視界との齟齬が凄いあるけど…なんとか歩けるか…』
他の訓練兵が思い思いに喋りながら動かす。
それに感化されたわけではないが、悠希も自分の仕事を始める。
(よし、俺も歩かせるか)
人生初の戦術機を歩かせる瞬間。
ここから雫と共に進むための一歩。
それを―――
「へ?」
大きく振り上げたその足は、
「え?」
振り下ろされることなく、
「ぐっ!?」
バランスを崩し―――転倒した。
「―――ッは!?」
『なにをやってる森上!さっさと立ち上がらんか!』
「くっ…りょ、了解!」
この段階ではまだ転倒復帰動作は自動にされている。ゆっくりと立ち上がり、元の位置に戻ったのを確認し、
(今度は浮ついた気持ちはなしで…!)
勤めて平静に、再度ペダルを踏み込む―――
「あがっ!?」
今度は一歩前には進んだ………が、上半身は何故か左側へ傾いていて、重心が崩れているのを補正しようとシステムが働き、反対側の足を動かす―――背中に向かって。
それは当然、重心以前の問題となり、出鱈目な姿勢のまま、またしても転倒した。
『な………何をしている、森上……!』
怒りのあまりか、声が震えている。それに答えようと立とうとするが、やはりまたしても転倒していまう。
「く…!?なんだってんだ…!?」
わけが解らない。ただペダルを踏んだだけなのに、何故他の者達と同様の動きをしてくれないのか。
「こなくそぉ!」
普段叫ばない悠希が、叫ぶ。それは誰も聞いたこともないような、焦りを強く感じさせるものだった。
だからだろう。筺体に乗っている全員がそんな醜態を晒す悠希を注目していた。
中岡も、そんな悠希をみていた。
『なにを………なにをやってるんだ貴様はぁ!』
失望や願望が入り混じった叫びが全員のインカムを響かせるが、悠希にそれに答える余裕はなかった。
何故こんな事になっているのか、氷室は慌てて操作ログを開き原因を探りだす。
しかし入力に特に不備はない。と、いうよりこの程度の操作ではあのような状態にはならない。
だが、
「なんだ…これは!?あり得るの………か?」
もう1つの操作ログ―――戦術機という巨大な精密機械を高速かつ効率的に動かす、肝心なシステム………思考制御のログを開いた氷室は、普段の冷徹な顔から想像できないほど、驚きと困惑に彩られていた。
「どうかしましたか、氷室きょうか………こ、これは…!?」
あまりの驚きように
冨樫 吉宏が駆け付けるが、その制御ログを見た途端同じ顔をする羽目に。
「こんな…こんな出鱈目なことが起き得るのか…!?」
表示されている文字は正確である。特に問題はない。そう、表示自体は正しいのだ。別にバグが出ているわけではない。
バグならば最初の2組の段階で発生していてもおかしくない。ならばこれは、バグではないのだろう。
では………これはなんだ?
何故こんなことが起きている?
そもそもこれをひき起こせるのか、人間に?
機械もこれをちゃんと判断している?
「なんだというんだ、これは…ッ!」
氷室は小さく叫ぶ。
制御ログには、全く統一性のない思考入力が、高速で流れていた。
無意味な入力は弾くシステムであるはずの思考制御ログの中で、無数の正しい誤入力が―――
本日の訓練はひとまず終了し、ドレッシングルームで強化服を脱いでいく。
しかしそこには、初めて戦術機を動かした事への喜びはなく、あるのは悠希に対する哀れみの空気と、視線だった。
故に言葉数も少なく、浮かれる声も疎ら。しかしどれもが余所余所しい。
関係ないと装っている者もいたが、チラチラと悠希を見ては、侮蔑とも哀れみとも取れる視線を向け、すぐに外す。
「お、思ったより面白かったですね、朋也くんっ」
「あ、あぁ…そ、そうだな!」
場の空気を和ませようと
中原 渚と中村 朋也がいつもの夫婦漫才を始める。が、すぐに居た堪れない空気に気圧され、意気消沈して声が段々小さくなっていく。
今まで技能訓練では個人成績上トップ組にいた悠希が、戦術機過程ではあの体たらく。
その事実は、ある種の尊敬や敬意を抱いていた者達にとっては、失望するに十分な出来事だった。
それだけに、この場の空気が重くなる。
誰が悪いわけでない。ただ、勝手に尊敬して、勝手に失望しただけのこと。
しかしそれでも、尊敬していた者にとってはショックであるし、場の空気を悪くしているのは事実である。
森上 悠希という存在がそこにあるだけで、全員が気を使って何も云わない。だが、この事に対して何か話し合いたい、共有し合いたいというのはあるし、正直な話をすれば人にとっては陰口というのが一番気持ちを共有し合えるものだったりする。
最後のものは除外するにしても、これらは本人の前で話すことは憚れるもので、故にその眼は、視線は、悠希へと向けられ、無言の抗議へと切り替わっていく。
そんな当事者たる悠希は特に気にしてないのか、マイペースを貫き、しかしいつもの如く手早く着替えている。
「先行ってるぞ、久我」
「ふぇ!?あ、あぁうん。どうぞどうぞ」
隣で着替えていた久我に声をかけると、悠希は1人ドレッシングルームを出ていく。
………途端、部屋中からため息が洩れた。
「まさか森上くんがあんな酷い操縦してたなんて…」
「ちょっと信じられないよねぇ」
「一緒の時だったけど、ちょっとあの転倒の仕方はおかしかったなぁ…」
「ワザとやったにしては酷かったよねぇ」
「じゃぁあの激しい転倒は森上さんで間違いなかったんだ」
「でもどうやったらあんな初歩から転倒できるんだろ?」
この件の中心人物が消えたことで、途端に活気付く訓練兵達。基本的には二十歳も過ぎてない若者、しかも女子が多い故に、どうにも姦しい会話になってしまう。
それが悪いこととは云わないが、しかしそれを従える雫にとっては、あまり良い気分でないのは間違いなかった。
だが、この件に関してはどう頑張っても悠希だけの問題である。少なくとも、雫は関係ない。が、それはそれ。これはこれ。
雫の問題は悠希の問題であるように、悠希の問題は雫にとっての問題であると。雫は強く思っていた。
しかし、今はその事で騒ぐべきではない。
徐々に騒々しくなっていくドレッシングルームから逃げるように、雫は出ていく。その後を追うように、慌てて都も出て行った。
(―――何故そうなるのか、それが理解できない)
PXへと向かう通路を歩きながらも、悠希の頭の中にはその考えが堂々巡りしていた。
(操作については特におかしい点はなかったはずだ………事前の座学で受けていた説明通りのことをしていた………それは間違いない)
そもそもあの程度の数の入力デバイスで、そう間違えることなどあるはずがない。
皆と同じ入力はしていたはずなのだ。
にも関わらず、まったく異なる動きを見せていた。
おかしい―――とは思う。が、「では何故」という思考にぶつかる。
経験が少ない以上、その「何故」を紐解く答えが見つからない。
(教本を読んでないからか?………その程度なら、”わからない”と唸っていた連中と変わりはないはずだ)
読んでいようが読んでいまいが、理解出来ていなければ意味はない。
理解してる範疇が増えたところで入力デバイスの数が増えるわけでも、減るわけでもないのだ。
しかし、悠希にとって一番の問題は戦術機に関することではない。
(このままだとこの訓練校から出ていく羽目になる………そうなると、)
―――雫を、守れない―――
頭の中にその言葉が、文字が浮かび上がる。
それだけは許容できない。してはならない。しようとしては駄目だ。
だがしかし、今のままではその可能性が頭の中を埋め尽くそうとしている。
それを拭おうとしても、それ自体を否定したい気持ちはあっても、材料が、ない。
気持ちだけ先行していては眼の前の現実から逃げるだけだ。現実を見据えて、その上で否定しきれるだけの材料が、欲しい。
だけれども、それがない。
「………ふぅ」
深呼吸し、一度頭の中の事を吐きだす。
………が、どうにも負の思考がこびりついて思考が切り替えられない。
まるでカビの様に心の壁に根付き、その範囲を着実に広げている。
(………思い出してみれば、自分のことをここまで考えたことなかったな)
全ては雫のために。雫を守るために。雫の力となるために。
その理念で、思想で、想いで生きてきた。
奥州に居た頃も、結局は自分のためではなく、雫のために辛い修行の日々を過ごしてきた。
だが今は、それが無に帰すのでは―――という瀬戸際に立っている。立たされている。
あんな単純なことで躓いているようでは、先には進めない。少なくとも、雫と共に除隊式に参加することなど、夢のまた夢だ。
自分の不手際で発生したこの事態を、どう打開するか。今はこれを考えるべきだろう。
………が、そもそも戦術機に乗り出したばかりのひよこ以下に、解る問題ではない。
(だからって考えないわけにはいかないがな………)
思考を切り捨てるのは簡単だ。そういう修行をしてきたのだから。人格漂白はより高い戦術力を引き出すための手段として教えられてきた。
だが今それをやるのは思考停止でしかない。考えを止める事と、恐怖を抑え込むために考えることをやめる事とは、根本的に異なる。
(でも、だからってどうすることも………!?)
不意に―――
本当に、不意に―――
―――鬼の顔が、頭の中に浮かんだ―――
何故………と、思った直後、
「―――悠希っ!」
「ん?」
不意の大声に、一瞬身体が揺れてから、何事もなかったかのように振り返る。
振り返った先には、血相を変えて心配そうに見つめる雫と都がそこにいた。
「どうした分隊長?そんなに慌てて」
「どうしたって………それはこっちの台詞よ」
「悠希さん、いつもより落ち込んでますから…」
「あぁ………そういうことか」
勤めていかにも”なんてことはない”と云わんばかりの態度。
駆け寄る雫と都だったが、悠希は特に気にした様子もなく、いつも通りに雫の隣に立つ。
が、足を止める雫に対し、悠希はそのままPXへと引き続き向かう。慌てて雫と都はその後に続く。
「やっぱり…気にしてる?」
「気にならない…って云えば嘘になるけど、そんなもんだよなってのもある」
PXにたどり着くと御盆を手に取りいつも通りに並んでいく。既にPXには夕食を食べに正規兵が並んでいた。
「………いつもより多いな」
「え?―――あら、本当」
「見た事がない人も結構いますね…」
「あの作業着………整備兵かしら?」
「だろうな」
戦術機訓練が始まれば、当然実機を使った訓練も始まる。その実機を整備するための要員も必要となってくる。
となれば自然、今まで見た事がなかった者もチラホラ居るようになってくるだろう。
特にこの”国連基地側”は殆ど設備が揃っていない。それは当然人員も揃ってないという意味で、度々数名の整備兵を見かけることはあったが、本格的な人員とは呼べるものではない。
その整備兵が増えつつあるのは、近い内に実機がこの”国連基地側”に運び込まれると云う事を意味し、今見かけている人員はその受入体制を整えるための先行隊であることは、ある程度考えを深めれば簡単に辿り着く答えだった。
「これから本当にあれに乗るのね…」
「こうして見ると、実感が湧いてきます…」
それまでは”軍事基地”と呼ぶには人員が少なかった。それこそ、警備兵と訓練兵、そして僅かにいる整備兵だけと、実質基地と呼ぶのも躊躇われるほどに。
それが日が経つにつれ設備と人員が次第に増えていく。ここ数日の間は訓練中頻繁に重機が行き来していたのも見ている。
それらを見かける都度、雫達は自分達に寄せられた期待の重さを感じていた。
「―――はいよ、悠希ちゃん」
「ありがとうございます」
流石臨時曹長から渡された定食を受け取る悠希。が、その悠希の顔を見て、流石は怪訝そうな顔を向けた。
「どうしたんだい悠希ちゃん?なんか嫌なことでもあったかい?」
「―――いえ?」
「にしちゃぁ随分と落ち込んでるように見えるねぇ。ま、おばちゃんはよく早合点するからねぇ。勘違いならいいんだよ」
「お気使いありがとうございます。でも、大丈夫ですから」
「あいあい、残さずお食べよ」
流石に促されるように、悠希はいつも定位置へと去っていく。
入れ替わるように雫が流石の前に来ると、
「どうしたんだい悠希ちゃん?随分シケた顔になっちゃって」
「いえ………私もよく解らなくて」
「雫ちゃんでも解らないのかい?あ、兵隊さんの機密ってのに触れるならいいんだよ。
ただね、こういう時は雫ちゃんが励まさないといけないよ?同郷ってのはそれだけで強みなんだからね」
「そう………ですね。それより、よく悠希の表情わかりましたね」
「何言ってるさね。あんな解りやすいくらいしょげてるのは誰が見たって解るよ」
「………」
(殆ど無表情にしか見えなかったわ………)
付き合いは1番長いはずなのに………それよりも短い流石さんには見抜けて、雫は見抜けなかった。
それが年の功や人付き合いの多さから起因するものだと、そこまで考えが回らず、雫は1人別の意味でしょ気ることに。
それをいち早く見抜いた流石さん―――かどうかは謎だが、元気よく定食を雫の前に出す。
「さ、これでも食べて元気になりなさい。暗い顔したって良い事は何もないよ」
「そう…ですね。ありがとうございます」
「さて、今度は都ちゃんかい。他の子達はまだなのかい?」
「はいっ、今日はちょっと先に来ちゃいました」
「そうかいそうかい。都ちゃんは腹ペコさんなんだねぇ」
「訓練は毎日厳しいですけど、ご飯は美味しいですからっ」
「そうかいそうかい。じゃ、いっぱいサービスしなきゃねぇ」
「え……ぁ、こ、この前のようなのはちょっと………」
「ふふふ…解ってるよ。さ、持っていきなさい」
「ありがとうございますっ」
元気よく挨拶した都は、急いで先に座った雫達の元へ向かう。
そんな3人を見送った流石は、ボヤくように呟いた。
「何か問題があったようだねぇ…どっこでもあるけど、折れないことを祈ってるよ」
孫を見るような、そんな細い眼を向けながら。
3人を見守っていた。
最終更新:2011年07月15日 10:12