いつか、師が云った言葉を思い出す。
「人に必要なのは、諦めない意思と、それを支える気持ちだ」
「どんな苦難でもその2つがある限り、人は抗える」
「それでも心が折れそうな時、迷いそうな時は、この言葉を思い出せ―――」
いつか見た、師の背中を思い出す。
あの背に、悠希はまだ追い付けてはいない。
未だ遠いその背を追う悠希は、ただそれでも走り追い続ける。
あの姿こそ、自分の理想だと。
あれこそが剣の姿だと想いながら。
自分の姿と見比べながら―――
マブラヴ・オルタネイティヴ ~暁の空へ~ 第21話「変化―――移り変わり行く様―――」
シミュレータールーム隣に設けられたミーティングルーム。
そこに301衛士訓練部隊のメンツのガン首が並べられていた。
その顔は一様に暗く落ち込んでいるのは、その正面に立つ氷室の視点では一目瞭然だった。
その手にある資料が詰まったファイルには全員の進捗状況が記載されており、しかし彼ら彼女らを監視監督してきた氷室にとっては、こんなものを見なくともその内容は頭の中に入っている。
が、その上で氷室はわざとこれ見よがしにファイルを開き、そして大げさに、かつ静まりかえっている全員に聞こえるよう、鼻で笑った。
「結局、期間内には無理だったようだな」
それは、明らかな侮蔑を孕んだ発言だった。そして同時に、訓練兵達への失望も強く意識させられた。
しかし、誰一人その発言に対し異を唱える者は無い。
上官の発言は絶対………それがこの訓練課程にいる以上の、問答無用の鉄則だった。
「お前達………私が一週間前に云ったことは覚えているか?」
その問いに、全員が顔を下げる。
解っているから、記憶しているから、目を合わせないようにしする面々。
だがそれを甘んじて受け入れてやれる立場ではない氷室は声を張り上げる。
「答えろッ!お前達に課せられた課題はなんだ!」
「―――全員が5日以内に基礎応用課程Dをこなしておくこと、です」
全員が押し黙る中、そこで手を上げ、顔を強張らせながらも答える源 雫。
それを醒めた眼で、恐ろしく鋭い、冷た眼で氷室は一瞥する。
「ほう………理解していたのか…では、誰がこの課題をこなせなかったか、把握しているか?」
「そ…れ、は………」
云い淀む雫とは対照的に、訓練兵全員の眼が、一斉にある人物に向けられる。
「………」
森上 悠希―――その男に、全員の視線が向けられる。
この訓練部隊の中でただ1人、たった1人だけ、辿り着けなかった男。
その男に、全員の失望に満ちた視線がレーザーとなって突き刺さった。
「ゅ………森上、訓練兵………だけ……です」
「そうだ。その糞虫だけが、この課題をこなせなかった」
云い淀みながらの雫に対し、氷室はより強く認識させるよう、より強い口調でハッキリと、言い放つ。
「よって、全員に罰を与える」
『―――ッ!』
全員が一斉に声を上げそうになるのを、氷室はひと睨みで黙らせた。
不満は出て当然だ。今まで分隊内で済ませていた罰を、今回に限って全分隊に飛び火するとなれば、むしろ云わない方がおかしいだろう。
しかし氷室は冷笑を浮かべながらこう切り返す。
「さっき源が云ったのを覚えていないのか?
私は”全員が”5日以内に基礎応用課程Dをこなしておけと、そう云ったんだが。
物覚えが悪い糞虫どもだ。やはり罰は受けてもらう方が良さそうだ」
「で、でもよ教官!」
それでも中村 朋也が食い下がる。
「訓練部隊の評価単位は分隊だろ!ならこの場合、
A分隊だけにするべきじゃないのか!?」
それまでの評価は分隊単位で行ってきたし、分隊分けを行った際にもそう云っていた。
であれば、森上 悠希を抱えるA分隊だけが罰を受けるべきだ―――と、朋也は主張する。
その主張を氷室は、
「英雄的行動はその辺にしておけよ中村」
………一蹴した。
「え、い…!?そ、そういうつもりは―――」
「私は”全員”と云った。これはつまり、分隊別としてではなく、1訓練部隊を指していた。
この事は一々云わんでも理解できていたと思っていたが………
まさかとは思うが、自分の都合で上官である私の言葉を意図的に、部分的に、作為的に聞き逃したとは云わないだろうな?」
「く………ッ」
今回に限って云えば、分隊単位ではなく、訓練部隊全体の評価とする―――
氷室は5日前、初のシミュレーター実習の際にそう云ったのだ。
ようやくのシミュレーターのせいで浮かれていたのを加味しても、それを聞き逃し、あまつさえ自分達にとって都合の良い言い分に書き換えるのは、許されない。
しかし………だがしかしである。
納得するには些か理屈が足りなかった。
単純に、自分が納得する理屈ではあったが。
「納得いかないという顔だな。だがしかし、これでも私はこれでもお前達に機会を与えてはいた」
「なんの、だよ………」
「遅れてる者を助けることだ」
「………ッ!?」
「分隊という枠で安心し切っていたか?まぁ、先の言葉を作為的に聞き逃してたのなら解らなくて当然か」
溜息混じりにそう語る氷室は、しかしその表情は一律で同じ表情………無表情を貫いていた。
「私からこの事を語ることもできるが………今回の教訓だ。各自で私が云った意味を考えろ」
それでこの話は終わりと、一方的に(いつものことだが)打ち切り次の話―――ペナルティの羅列に移る。
その内容は、ようやっと開放されたと思った各種地獄のトレーニングのメドレーだった。
それが解るといなや、全員が不満の声を漏らす。だが、漏らすだけで楯突くことはしない。できない。その考えに至ることがもはや無意味と思い知らされているから。
雫はその話を聞きながらも、氷室が先ほど語った意味を、少しずつ考えることにする。
そうしなければ、いけなかったから。
そうしなければ、この先の思惑が真っ暗になってしまうから。
国連軍百里基地。その地下数十メートル地点に、
大場 重勝は向かっていた。
工事用の剥き出しのエレベーターに秘書官イバ・マリッチ大尉と共に降りてく。
その頭には、「安全第一」と書かれたイエローヘルメットが被され、イバにはやや大きいのかやや斜めにズレており、東方系の顔立ちと相まって野暮ったく見える。
イバの顔には小型のヘッドセッドが付けられ、その手には入力用の携帯端末が握られており、降りてる間も忙しなく視線と入力端末が右往左往していた。
ヘッドセットから送られる情報の多くは、主にこの国連軍側の基地の進捗状況で、次いで近々搬入される
戦術機の状況、そして各セクションの状況である。とはいえ、多くはざっくりとした説明と情報ばかりで、詳しくは各アイコンや紙面にて大場に送られる。
秘書官であるイバの仕事は主に多忙な司令職に更なる依頼や仕事を分別・順位付け・整理を行う他、書類整理やこれらの情報を基に大場の日頃のスケジュールを組むことである。
そんな彼女の悩みは、東方系の顔立ちと日本人に近いその名前から、よく【伊庭 真理】と間違えられること。特に日本に着てからは多くの日本人士官に間違われる。中に「真理っち」と愛称の如く、いや親しみを込めた上で呼ぶ者さえいる。
そして現在、その大場とイバ率いる護衛兵が向かっているのが、地下施設の中でもメインと云える戦術機格納庫だった。
この位置からでも騒音は響き渡り、戦術機や戦場が奏でる爆音に慣れた大場でも軽く顔をしかめる程度だが、そこには音が満ち溢れている。
剥き出しのエレベーターの向こうでは、強固な岩盤を工兵用歩兵装甲やショベルカーを用いて掘削作業を行っている方と、人工物が組み立てられているのが見えた。
大場はその後者、人工物が組み立てられている方―――戦術機格納庫を見ていた。
搬入口を含めてもその巨大な空洞は、云い知れぬ畏怖を感じてしまう。しかし同時に、いやそれ以上に、数年前まであそこに入り浸っていたその身は、己に宛がわれた個室よりも親近感を感じていた。
ややあって、長いエレベーターは下層に到着する。やや錆びているのか軋む音と共に正面のシャッターが開かれた。
「―――全員、敬礼!」
大場を待っていた中年男性―――この拡張工事を担当する現場監督―――が大きな声で部下たちに命令。大場を出迎える。
「む、作業を続けてくれたまえ」
「はっ!ありがとうございます!」
緊張した面持ちで大場の指示に従う現場監督。そして部下たちに作業を続けるよう指示を飛ばす。一寸静まり返った空間が、音の大津波に包みこまれる。
「御苦労さま。どうだね、状況は」
「はい、順調に作業は進んでおります。現在は物資搬入用の空間と設備のため、空洞の拡張を進めているところです」
そう云う現場監督は、現在もけたたましく掘削を続けている方を指さす。
「戦術機格納庫ですが、少々遅れちゃいますがなに、戦術機が搬入されるまでには完全稼働状態に持っていきますよ」
「うむ、頼もしい返事だ。その戦術機の搬入は何時頃だったかな?」
そう云われ、イバに目を向けると、既にスケジュールを調べ始めており、程なくして、
「【97式】が搬入されるのは今週中です。一応、野営用の戦術機ハンガーは手配してありますが…」
「この調子なら必要なさそうだね。そうだろう、現場監督?」
「はっ、【97式】が搬入される際は、我々も出迎えましょう」
「んっ。結構、結構」
さり気なく言質を取る大場を見て、イバは軽く溜息を吐きながらもパッドを操作して予定していた野戦ハンガー配備の手続きをキャンセルする。続けてスケジュールを開き、搬入日当日に”確定”と入力。
「時に、”例の場所”はどうだね?」
「地下のヤツですか?あちらは勿論、格納庫より前―――荷物が届いた辺りには作ってあったのでご心配には及びません」
「そう不満そうに云わないでくれ、単に確認だよ。いや、私の言い方が悪かったか?」
「はっ………自分は不満を口にしておりましたか?司令に対し、失礼しました!」
「ふむ。あまり気にしないでくれ。
ところで人員が足りないとか、建材が足りないという不満はあるかね?」
「そうですね………あんまり人が多くても捗りませんし、かと云って建材も無暗に多くても置き場所にも困りますし………」
うんうんと唸る現場監督の姿を見て、大場は特に不満はないのだなと判断する。
実際に作業している者達の顔を見ても、疲労こそ見え隠れするが強制労働を強いられているような無気力感は見えない。
「特に無いようなら、先の侘びも含めて私の方から何か差し入れよう」
「先ほどのは気になさらず………しかし差し入れは有り難いです。作業者もやる気が出るというものです」
二つ返事を聞くと、イバは早速先ほどと同じようにパッドの操作に入る。
「しかし司令………この人数の差し入れとなるとそれなりに行きますが…?」
「うむ………では国連本部に居る青山くんにちょっと小耳に入れておいてくれ」
「ま、またですかぁ…?」
「なぁに、彼なら二つ返事で喜んでやってくれるよ」
その言葉とは裏腹に、イバの脳裏には、青筋を立てて、笑顔を作ろうとしながらも口元が痙攣して歪に歪む、国連に出向しているという自称大場の恩人、青山氏の顔が浮かんでいた。
―――大場という人間は、知略で物を云う軍師ではなく、人脈を駆使する、云わば参謀役だ。
それが権力を握り、そして人脈を真綿で締めたり緩めたりするのが大場流である。
その制御は基本的に自分で行うが、こういう細かくそして瑣末なことは、イバを通して行うのがここ数カ月の慣例になりつつあった。
(この人…畳の上では死ねそうにないです………)
イバは作業を進めつつも、そんなことを思う。
こんな人の使い方をしてはいずれ後ろから刺されてしまう。
あるいはこれだけのことを気軽に頼める程度には、恩や義理があるのか………
しかしイバ・マリッチの眼には、それだけの事をしているようには、まったく見えていなかった。
彼女の眼に映るのは、日長指令室に籠り書類の整理をしているか、発令所で立っている姿しかない。
昔は教導隊に在籍していたという話もよく聞こえるが、しかしそれなら恩を売ったり義理立てられる状況は少ないと考えられるが………
まだ数カ月だが、未だこの司令の人徳について疑問を抱かざるを得なかった。
「それでは司令、そろそろ次の仕事に………」
「あのぅ…秘書官どの?」
「え?」
現場監督に呼ばれ、前を見ると………見えてなければいけない背中が、消えていた。
「え、あれ?司令!?」
「大場司令ならあそこに………」
そう指さす方向をみると、ゆっくりと上昇していくエレベーターに乗っている大場の姿が。
愕然としているイバに笑顔で、そして小さく手を振る大場。
「し、司令!な、なんで私を置いていくんですかぁ!?」
彼女の悲痛な叫びは、拡張工事が生み出す騒音の前では、無力に等しく、そして大場は解った上での行動のため、静観を決め込んでいた。
「あぁ~、もぅッ!」
怒りをぶつける先もなく、秘書官はただ騒音の中で渾身の力を込めて、しかし上官である以上罵るわけにもいかず。
ただ悪態を吐くしかなかった。
『しっあわせは~、あ~るいてこ~ない…ッ♪』
『だ~か、らあるい…ッてゆ………くんだッねぇ~♪』
『い……いちに…ッち、い~ッぽ…み…みぃ~…ッかで、さ………んぽ…』
『さ、さ……さんッ…ぽ、す………すすん………だぁッ!?』
「………はぁ」
監視モニターに映る高等練習機、【吹雪】が”こける”という無様な姿を見て、
氷室 法子は本日6度目の溜息を吐いた。
森上 悠希の補習を始めてから一週間。
一週間前よりは格段に進歩している悠希の姿に、氷室は涙を流しそうになる。
本当に、あまりの進歩に本当に泣いてしまいそうだ。
無論、皮肉だが。
ここまで才能がないのも珍しい。どこに行っても、こんな間抜けな衛士が居たなど聞いたこともない。だから”珍しい”は間違いではない。
最初の2日はひたすらこける【吹雪】を見続け、3日目に半ば投げやりに「歌いながら歩いてみろ」と指示してみたところ、辛うじてまともに歩けた。
それ以降はひたすら悠希に歌わせながら歩かせてはいるのだが………
「歩行距離5km………喜べ、記録更新だ」
『………わーい、わーい』
氷室の呆れっぷりは悠希にも手に取るように解った。
普通にやればこの程度の距離は10分で済む。にも関わらず、一週間かけてこの距離である。
呆れを通り越して、半ば笑ってるように見えるのは、気のせいにすべきか。
「とはいえ、とりあえずは動かせると云えば動かせるか………」
本当にとりあえずだがな―――心の中で1人ツッコむ氷室。
この一週間で解ったことと言えば、口にして行動を先に考えさせないと、碌な結果にならない―――ということだ。
主腕を動かすのも、歩かせるのも、その都度何がしか口にさせながら動かさせないと、真っ当に動かせない。口にさせず動かそうものなら、こちらの想像を超える、狙ってやってるのなら逆に高等技術に相当する動きでもって、周囲の障害に激突してしまう。
………まぁ、そこまでは良い。辛うじて、かなりギリギリ、赤点と黒点の境目、曖昧基準で言えばぶっちゃけアウトなレベルだが、なんとか及第点と認めることは、色々条件付きではあるができる。
しかし問題は………いや、大きな問題は次にあった。
「さて………いい加減まともに飛んでみせろ。オービットダイバーズでもあるまいに、何回頭からダイブすれば気が済む?」
『…了、解』
跳躍ユニットのロケットモーターに火が入り、スピーカーから甲高い音が響く。
ここまでは良い。のだが、
『ま、ま~すぐ、飛べば~~~~…ぁぁああッ!?』
「………」
まっすぐ跳躍したかと思ったら、直後に跳躍ユニットが上を向き、機体が予期せぬ方向へ加速されてなんとも無様な墜落現場を作り出した。
………これが、悠希の一番の問題だった。
手足を動かす事は、歌を歌わせることで、思考を限定させることでなんとか捩じ伏せられた。
だが跳躍は、跳躍ユニットを用いた機動だけは、どうしても進展が見られなかった。
何度やっても直後に墜落………これでは戦術機に乗せる意味がない。
ここを乗り越えられないようでは衛士には到底なれない。なれたとしても、【死の8分】から逃れることは到底不可能だ。
最低でもこのライン…跳躍機動ができるようになるまでは補習を解除することはできない。
………実に頭が痛い問題である。
気晴らしに今週までに揃った各訓練兵の進捗状況をまとめたファイルを開く。
そこには、昨日のミーティングで見ていたものと同様ではあるが、悠希を除く全訓練兵が基礎応用課程Dを突破していることが、一目瞭然になるよう記載されていた。
これは今日、司令に報告するためにまとめた資料であはるが、こんなのを渡すのは少々心苦しい。
昨日での朋也が噛み付いてきた件………あれも、当然と言えば当然と云えた。
半分言葉遊びで付けた「全員」ではあったが、実際あの時はここまで深い問題になるとは思ってもいなかった。むしろ予定より早く全員が突破して「よくやった」と誉めるつもりだったのだ。実際、ファイルを見れば基礎応用家庭Dを突破した時期は早い者で4日だ。異例の速さに、半ば小躍りしたい気分だと云うのに。
結果として、あの時の「全員」が自分の首の皮1枚………XM3対応部隊という今後の予定を辛うじて繋げてみせたものの。
悠希を除く全訓練兵が、期限内にキチンと終わらせられたというのに、補習を受けてまでやってるのに結局殆ど進んでない………この事実は氷室にしても、もはや手に余る事態になりつつあった。
無論、それはある程度覚悟していた上でやっていたことでもあるが………が、しかし。だがしかしである。
ここまで進まないのでは、到底実機演習に参加させるなど、到底承諾できない。むしろ整備兵達にサンドバックにされてしまう。
表情はいつもの凍結しかのような険しい表情のまま、頭の中で氷室は唸る。
ハッキリ云ってしまえば、このような訓練兵は即刻切ってしまいたい。この時間を他の訓練兵に回してもっとより研鑽したい。もっと多くの事を訓練兵達に叩きこみたい。
しかし、それは以前にも上げたように、おいそれと出来ることではない。やってしまうと、この訓練部隊の存続にも繋がってしまう。
頭が痛い。本当に頭が痛い。どうしてくれようか………
「―――そんなに眉間に皺を寄せると跡が残るよ、氷室くん」
「ッ!?大場司れ―――お疲れ様です!」
一寸、唐突に発せられた野太い声に全身を硬直させるが、即座に振り向き相手を視認。硬直直後とは思えない流れるような動作で敬礼した。
「うむ、楽にしてくれたまえ。それよりどうかね、ひよこ達の様子は」
それを楽しそうに眺めながら応礼し、楽にするよう手話で指示を出す。
(底意地の悪い人だ………)
等と思いながらも完全に表情には感情の表現をカットし、先ほどまで眺めていた資料を大場に手渡す。
「ほう………ほうほう………これはこれは。悪くない、悪くないねぇ氷室くん。実に良い。
この人数でこの達成率は評価できるものだよ」
「ありがとうございます。しかし、1つ問題が………」
「あぁ―――彼のことかな」
『だぁぁあああああああッ!?』
タイミングが良いのか悪いのか、モニターに眼を向けると、ビルに向かって頭からダイブした【吹雪】の姿が映った。
「はっはっはっ、中々楽しそうなことをしてるじゃないか。シミュレーター上の事とはいえ中々できんぞアレは」
「いえ………あれは………」
云い淀む氷室に一寸目を配ると、再度動き出した【吹雪】にすぐさま戻す。
『ま……まぁっすぐとべば………ぁぁぁぁぁぁぁあああああああ』
「………………【吹雪】であんな直角機動できたか?」
「私の記憶の中では、するにしても色々問題があったと」
「うむ………つまり見所があるということかね」
「今のままではまったくありません」
「そうだろうねぇ…」
手に持つ資料に再度視線を落とす。そこには、【森上 悠希】の項だけ未だ基礎課程Aのままだった。
「このままでは、この訓練課程の先にある本題に大きく影響してしまいます」
「確かにこのままいけば大問題になりかねないな。はっはっはっ」
笑いごとではない―――眼力にその意思を乗せ、無言の威嚇を試みる氷室。
それをまるで気付いてないかのように受け流す大場は、何度か小さく頷くと氷室の肩を軽く叩いた。
「ともかく1度実機に乗せてみなさい。壊しても良いよう、整備部隊の正太郎さんには私から話を通しておこう」
「それは助かりますが………本当によろしいのですか?」
「稀にシミュレーターは駄目でも、実機では問題ない者も居ると聞く。それに期待しようじゃないか」
(そんな不確かな可能性に頼らないといけないとでも云いたいのか………?
いや、私も同じか………)
上官に対する不満が一瞬溢れたが、責任を大場に押し付けた氷室はそれを云える立場ではない。
責任を押し付けたくせにその相手を罵るなど、子供以下だ。責任を持った大人がすることではない。ましてや階級を持ち組織の1部となった存在であれば、なおのことだ。
考え方を切り替えると、氷室は敬礼と共に了解した。
「しかし………念のためお聞きしますが、もしそれでもダメだった場合、どうなさいますか?」
「なに、問題はないよ」
その言葉を放つ大場は、脱落者が出ても構わないと、そう態度で示していた。
その脱落者が、適性検査を1位で通ってきた者であっても、使えなければ意味がないと。
実機に乗せることが、最後の機会だと。
大場は云ったのだ。
その思惑を理解した氷室は、より顔を引き締め大場に敬礼する。その覚悟を受け入れるために。
と、そこで不意にエアが抜ける音と同時にドアが開いた。
「し、司令は居ますか!?」
「どうしたのかねイバ・マリッチくん、そんなに息を切らして。
駄目だぞ、秘書が主な仕事とは云え体力は付けなくては。
それに最近デスクワークが多くてお腹がたるんどらんかね?」
―――入ってきたのは、汗だくになったイバだった。
そんな彼女を笑顔で出迎える大場と、突然無防備な来客に眼が点になる氷室。
「未開発中の基地内を疾走してれば息も切れます…!それに体調管理は万全ですしむしろ体重は減ってます!主に司令の無茶振りで!」
「ふむ、どぉりで胸が小さくなっているわけだ。ここに来る前はもう少し大きかったが」
「む、胸は縮んでません!太股の方ですよ!まったく、どこを見てるんですか!?」
「もちろん、君の瞳の奥だよ」
突如入ってきた大場の秘書官は、肩で息をしてるにも関わらず大場のボケに対し的確に、しかし真面目に反論していく。
………ここが一寸、軍隊であることを忘れそうになる氷室。辛うじて衣類と持ち物でそれが維持されているが、これがフォーマルスーツであれば完全に別世界のものと勘違いしていただろう。
それはともかく。
「………”また”単独行動を?」
「また、とは人聞きの悪い。緊急時における対応能力の強化訓練と云ってくれたまえ」
「もっともらしいことを云ったつもりでしょうが、スケジュールを狂わせてまでやる必要がどこにありますか!?」
時折、大場はこうして単独で動く癖がある。
これは教導隊に在籍していた頃の癖なのだが、それが骨の髄まで染み付いてしまい今でもこうして動いてしまう。
大場の言い分は半分ハズレではあるが、しかし残り半分は当たってもいる。
この意味を知り、なおかつ何度もこの半分嫌がらせが入ってるとしか思えぬ行動を受けた氷室は、階級を踏まえた上で呆れながらも”また”と云ったのだった。
「君のスケジュールは分刻みで疲れるのだよ………私もトシでね」
「お陰である程度余裕は作らせていただきましたよ…えぇ、本当に。今回もあるだろうって思って次の予定まで時間は空けてありますが…!」
「………はぁ」
上官と部下とは思えない応酬に軽く頭を抑える氷室。そしてそれは、教導隊に居た頃の自分とも重なった。
だからこそ、氷室はイバ・マリッチの気苦労がとても解る。
むしろ、司令という立場になった大場の行動は、教導隊の頃よりも強化されている可能性があり、むしろイバの心労は察するに余りあると云えた。
「ふむ、今回の訓練でも良い結果が出たので私も仕事に戻るとしよう」
「はっ。御足労していただきありがとうございました」
「正太郎さんにはさっき話した通り私から通しておく。イバくん、先に整備部隊の方だ。時間はまだあるだろう?」
「はい、まだそれなりに余裕はあります。遊んでいられる時間も多くはありませんが」
「結構。では行こうか」
「はい。あ、氷室さん。今度時間を作りますからまた飲みに行きましょうね」
「はい大尉。楽しみにしています」
話がまとまると、氷室が先んじて敬礼し、大場とイバがそれに応礼してから2人はこの場から去っていく。
階級持ち特有の張り詰めた空気と、それを感じさせない台風のような攻勢のイバに当てられ、氷室は軽く目眩を覚える。
張り詰めた空気の方は慣れ親しんだものであるため、そう苦痛は感じない。
しかしイバ・マリッチのパワーは自分に無いもの………少なくとも氷室はそう考えているため、圧倒させられた。
「………とは云え、今はそれはどうでもいい、か」
後ろから響く墜落音が耳に入ると、氷室はいつもの無表情から呆れ顔に崩した。
最終更新:2011年11月27日 21:42