The Witness考察

ボイスレコーダー

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tyrol

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島内各所に落ちているボイスレコーダー(ICレコーダー、ボイスメモ、オーディオログ)の内容、位置、内部コードをまとめたページです。
なお英語ではAudio Logsと呼ばれることが多いです。

ゲーム内には表示されませんが、ソフトウェア内部では各ボイスレコーダーに対して名前が設定されていて、それをこのWikiでは内部コードと呼んでいます。

各ボイスレコーダーのより詳しい位置が知りたい方は、FandomのThe Witness Wiki等を参照してください。

目次


初期エリア Entry Area

地上への出口の屋根の上

内部コード:dhamma_153

多くの誕生を通じ
私は放浪を続けてきた

この家の建設者を
詮無くも探し続けながら

ゲーム内では出典が示されませんが、仏教の経典『ダンマパダ』の153番目の詩からの引用です。
解釈はこちらの「DhP.153」~「DhP.154」が参考になります。
ゲーム制作者らの意図は分かりませんが、本来この一節は「輪廻転生の繰り返しに苦しみながら、それが起こる原因を探してきた」という意味です。

ゲートの上

内部コード:eddington_entering_a_room

私は今 部屋に入ろうとしていますが
これは実に複雑なことであります

まず私は 身体の表面積の1平方インチごとに
6.35 kgの力で
空気を押して前に進まなければならない

次に太陽の周りを 秒速約32.2 kmで移動して
床の上にしっかり着地しなければなりません

これが1秒でも遅かったり早かったりすると
床までの距離は何kmも離れてしまいます

それを頭を宇宙空間のほうに向けて
丸い地球にぶら下がってやらないといかんのです

そのうえ エーテルの風が
細胞という細胞の隙間を
得体の知れない速さで駆け抜けていく

原子のレベルで考えると 床板だって隙間だらけです
床に足を踏みこむのは ハエの群れに飛び込むようなもの

私の足は床を突き抜けてしまうでしょうか?

いいえ 床に足を置けば ハエの大群の1匹が私に当たって
足は持ち上がるでしょう

また落ちそうになっても別のハエが私を上に押し上げる
…と これが続きます

最終的に足が安定状態を保っていればいいのですが
もし 不運にも床を突き抜けてしまったり
天井のほうへ乱暴に押し上げられてしまったりしたら

これはもはや 自然法則の侵害というより
稀な偶然の仕業でしょう こういった小さな困難が生じることもありますが

しかし大事なのは 私の世界の軸と
床の世界の軸との交差について
四次元で考えてみることです

そしてまた 私が部屋から出ようとしているのではなくて
部屋に入ろうとしていることを決定づけるために

世界のエントロピーがどちらの方向に向かっているかも
考えなければならない

実に 科学者がドアをくぐりぬけるのは
ラクダが針の目をくぐるよりも難しいことなのであります

ドアが納屋の戸であろうと 教会の扉であろうと
科学者は

科学の入り口に横たわる難問達が解決するまでじっと待つよりは
自分達もごく普通の人間なのだと納得して
ドアをひと思いに通り抜けるのが
最も賢明であろうと思います

アーサー・エディントン 1927年

港側の外郭の部屋

内部コード:einstein_searchers

参加資格のあるコミュニティは沢山ありますが
真の探究者達の集まりを除けば 私が献身したいと思うものは1つもありません

そして真の探究者とは どの時代であれ
一度に大勢生まれることはないようです

アルベルト・アインシュタイン 1924年

色分けパズルのチュートリアルパネルの足元

内部コード:heisenberg_on_pauli

かつて物理学者のヴォルフガング・パウリは
2つの両極を成す概念について語った

それらはいずれも人間の思想史において
並外れた成果を残してきたが これらに対応する現実を
本当の意味で体感することはできない

1つめは 客観的世界の概念である
観察者が存在していようといまいと

空間と時間において決められた経過をたどる世界だ
これは現代科学を導いてきたイメージである

対極には 主体の概念がある
超自然的な世界の融合を経て

もはや客体や客観的世界に直面しない
そのような世界である

これはアジアの神秘主義を導いてきたイメージである

私達の思考は これら2つの極端な概念の
中間あたりを行ったり来たりする

私達は これら2つの正反対の概念の
適切な対立を維持すべきである

ヴェルナー・ハイゼンベルク 1974年

シンメトリー島 Symmetry Island

ガラス工場の方を向いているパネルの下

内部コード:cusa_invisible

神よ 以前私にとって あなたは
いかなる人間にも 見ることができない存在だった

なぜならあなたは 隠れた無限なる神であるから

無限とは どのような理解をもってしても
理解できないものなのだ

のちにあなたは私にとって 誰もが見ることのできる存在として 顕れた
何ものもあなたが見るとおりに 在り

あなたが見ることがなければ 無いものであるから

あなたの眼が あなたの権化であるから
何ものも あなたが見ることでこの世に在ることができるのだ

ゆえに神よ あなたは見えない存在であり 同時に見える存在
そのままでは 人はあなたを見ることができない

だが あなたを見ることができるなら
人はここに在り
あなたは見ることができる存在となる

見えない神よ あなたはすべての人にその姿を顕している
あなたを見る人は すべてのものにあなたを見るだろう

見えない神よ
見えるものすべてにおいて 絶対不変で
無限の高みにまします 神よ

あなたは見えるもの すべての内に在り
見ることすべての内に在る

それならば 私はこの見えない眼の壁を飛び越え
あなたが見える場所に 行かねばならぬ

だが この壁はすべてであり また何でも無い
万物でありながら 無であるかのように
この高い壁の向こう側に まします神よ

いかなる能力を持った人も
自力では その壁をよじ登ることさえ不可能なのだ

ニコラウス・クザーヌス 1453年

レーザーのひとつ下の段の先端

内部コード:tashih_gate

完璧で遍満したある性質は
すべての性質の中に循環している

まったく包括的なある現実のうちには
すべての現実が含まれている

ただひとつの月は
ありとあらゆる水面にその姿を映し

水に映るすべての月は
ただひとつの月に包含される

すべての仏陀という絶対的な存在は
私自身の存在の一部となり

私の存在そのものは 彼らの
それとの調和のうちにある…

内なる光には 称賛も非難も無意味である
宇宙と同様に 限りない広がりを持ち

その一方 この我々の内にもある
静寂と完全性を失うことなく

何かを失うのは必ず それを追い求めるときだ

手にすることもできず
手放すこともできない

あなたがどうすることもできない間に
それは自らの道を行く

あなたが黙ればそれは語り
あなたが語ればそれは応えない

慈善という大きな門は広く開いており
その前に障害は何もない

永嘉大師 700年頃

砂漠の遺跡 Desert Ruin

遺跡の右にある石柱の上

内部コード:einstein_cosmic_religious_feeling

私の考えでは 宇宙的宗教心こそ
科学研究における最も強く気高い動機であります

理論科学で先駆的な研究をするには欠かせない
計り知れない努力と 何よりも

献身を実現する人のみが この感情の力を
理解できるでしょう

人生における目の前の現実とは乖離しているようでも
その感情が与える力のみで
人は素晴らしい仕事を推進することができるのです

この宇宙は合理的に出来ている という深い確信
また その道理を理解したいという熱情

それらはこの世界で 知性ある人々に啓示された
根拠薄弱なアイディアにすぎなかったかもしれない

しかしそれが ケプラーやニュートンを
長年の孤独な作業に耐えさせたのです
神が創りたもうた構造の原理を紐解くという作業に!

科学研究に関する知識を主に実際的な結果から得る人は
神の存在には懐疑的な人々に囲まれているでしょう

ですからしばしば すっかり勘違いしてしまう
何世紀にもわたり

世界中に散らばる同胞らに
道を示してきた人々の心構えをね

同様の目的に人生を捧げてきた人だけが
彼等にインスピレーションを与えたものが何なのか

無数の失敗にもめげず 目標を追い続ける力を与えたものが何なのか
鮮明に認識することができるのです

人にこれほどの力を与えるのは宇宙的宗教心であります

ある人から こう言われたことがあります
「この物質主義的な時代に 純粋な信仰心を持つ者は

真剣な科学者だけだね」と
あながち間違ってもいませんね

アルベルト・アインシュタイン 1930年

採石場 Quarry

屋内の足場の上にある色分けパズルの裏

内部コード:kingsmill

人間の内なる神は捉えどころがなく 触れることもできない
ゆえに 人はそれを具現化したいという誘惑に駆られる

教会 国 社会制度 指導者などにその姿を見たいと欲する
そうすれば それほど苦労せずに神を見つけて
より多くの利益をもって奉仕できるかもしれない

だが 天国を現世に具現化しようとする試みは
必ずや大失敗に終わるだろう

天国は憲章や憲法によってもたらされるものでも
ましてや武力によって造られるものでもない

独りでそれを探し求める人達は やがて見つけるだろう
大勢でそれを探し求めるなら 彼らは自ら滅びるだろう

ヒュー・キングスミル 1944年

注:音声では最後に“1944”と言っているにもかかわらず、英語以外の字幕にはこれが表示されないようです。

木陰 Shady Trees

オレンジ色のコンテナの中

内部コード:zen_points_beyond_language

ある意味では 西洋思想史にとっての現代物理学は
東洋的世界観の発展における禅である

それは2,000年以上にわたり 熾烈な討論 議論 また
節目となる発展を経て 洗練されてきた

さらに これら2者の違いを最も明確にすると 次のように言えるだろう

物理学の関心が 何よりも
理論 概念 公式にある一方
禅が重んじるのは有形で単純なものだけである

禅は「事実」を欲する 西洋的な意味合い すなわち
事象を数値によって測定したものでなく(実のところ数値は抽象的概念だが)
生きた 即時的で有形の事実を欲するのである

それを理解するためのアプローチは理論化されないであろう
なぜなら これまでに蓄積された考えや知識… 言い換えれば あらゆる種の記憶は

現実を直接的に認識する際の邪魔になると
禅では考えられているからである

そのため 禅は変わったアプローチをする
その蓄積には言語を要するが…これは仕方がないだろう

いかなるメソッドも 実はアンチメソッドである場合を含め
まずはその背景を伝えなければ効果を発揮できない

しかし禅が言語を使う時 その指摘は常に言語を超え
概念を超えた具象に帰着する

デヴィッド・ダーリング 1996年

レーザーを囲う壁の内側の壁面

内部コード:ryonen_autumn

この目が移りゆく秋の景色を
見守ること66回

もはや月については語り尽くした
だからどうか尋ねてくれるな

風が吹きすさばぬ時に
松と杉の声にただ耳を傾けよ

了然尼 1711年

江戸時代の日本の尼僧、了然尼の辞世の詩です。
本来の形態は漢詩で、原文は「六十六年秋已久/凛々月色向人明/莫言那裏工夫事/耳熟松杉風外声」です(文献によって表記が若干違いますがここでは『森銑三著作集』第九巻に記載されているものを採用しました)。
つまりここの字幕は、日本の漢詩が一旦英訳されてから日本語訳されたものですが、英訳の時点で詩の内容が若干変わってしまっているように思われます。


庭園と塔/城 Keep

正面の城壁の上の通路

内部コード:skinner_autonomy

人間は自由な存在だと昔から考えられてきた
人には自律性があり 行動を縛るような要因はないと…

だがそのような考え方や それに基づいて実践されていることは
科学的分析によって 行動と環境の

意外な因果関係が明らかになれば
再考を強いられることになるだろう…

人間は自分の意思で動くという定説を疑問視し
環境によって制御される例を示せば

行動科学は ヒトの尊厳や価値についても見直さなくてはならなくなるだろう

人が自らの行動の責任を負わなければならないのは
悪いことをすると相応の非難や
罰を受けたりするからだけではなく

成し遂げたことに対して
信頼や称賛を得られるからでもある

科学的分析では 非難だけでなく称賛も
環境要因だという見解にシフトしてきている
従来実践されていたことの正当性が危ぶまれているのである

これはこれまでの研究を徹底的に覆すものなので
従来の学説と実践を信頼しきっている人達は
当然ながら反発するが…

環境の重要性が強く認識され出すと
個々人は新たな危機に
さらされることになる

誰が 何の目的で
制御するための環境を作るのか?

自律的な人間なら おそらく自分自身の価値観にもとづいて
自分を制御するだろう
すなわち 自分がいいと思ったことをするのだ

しかし 制御する側とされる側が分かれる場合はどうだろう?
制御者と被制御者のメリットは一致するのだろうか?

このような疑問に答えるには
価値判断そのものについて掘り下げるしかない

B・F・スキナー 1971年

ギタリストの石像の下

内部コード:tagore_boast

私は人々に あなたを知っていると自慢した

人々は私のあらゆる作品にあなたの姿を見る
人々がやって来て「この人は誰か」と尋ねる

私は何と答えてよいか分からない
「実は言えないのだ」と言うと

人々は私を非難し 嘲笑して去って行く
あなたは微笑みながらそこに座っておられる

私はあなたの物語を 長く残る歌にする
秘密が私の胸からほとばしり出る

人々はやって来て尋ねる
「その歌の意味は?」

私は何と答えてよいか分からない
「誰にも意味など分かりはしない!」

彼らは微笑と 心底の軽蔑と共に去る
あなたは微笑みながらそこに座っておられる

ラビンドラナート・タゴール 1910年

玉座に座る男の石像の裏側

内部コード:hofstadter_activation

ひどく現実的な 我々のささくれ

一方我々のほとんどにとって 英国の村ネザーウォロップや
ヒマラヤの高地にあるブータン また言うまでもなく

アンドロメダの ゆっくりと旋回する渦巻銀河は
はるかに非現実的だ

しかし我々の知的自己は こう主張したがるかもしれない
後者は 我々のささくれよりもはるかに壮大で 歴史あるものである
したがって

それらは我々にとって ささくれよりはるかに
現実的であるに違いないと

口を酸っぱくして自分にそう言い聞かせることはできるが
それを信じているように振る舞う者は少ない

どこか遠くの国で地下の地盤が僅かにずれて
2万人の命が失われた…

アマゾン流域の原生林では 昼夜を問わず略奪が行われている…

貪欲なブラックホールには 非力な星の群れが
次々と呑み込まれていっている…

そしてそれぞれが一千億もの星を抱く
2つの巨大な銀河の衝突…

壮大な出来事ではあるが 私達にとっては非常に抽象的で
私の左手の小指にある小さなささくれが持つ

緊急性や重要性の感覚 ひいては現実感を
かすりさえしない

我々は皆 自己中心的であり 結局我々にとって最も現実的なのは
我々自身である

何よりも現実的なのは
私の膝 鼻 怒り 空腹
歯や脇腹の痛み 悲しみ 喜び

数学への傾倒 私が持てる抽象概念の限界 等々で

これらすべてに共通し これらを結び付けるのは
「私」という概念から生じる

「私の」という概念である
それ故に

それは鼻や虫歯ほど確固たるものでないにせよ
結局はこの「私」というものが我々にとって
何よりも明確で 疑いの余地がないもののように思われる

それが幻影ということはあり得るだろうか?
まったくの幻影でなくとも 我々が思うより
現実的でも堅固でもないということはあるだろうか?

「私」が 虹を見上げる有形の実体でなく
見上げている虹そのもののように
揺らめき 儚いものとなることはあるのだろうか?

ダグラス・ホフスタッター 2007年

袋を引きずる石像の足元

内部コード:clifford_busy

人が幼少時に教わったり
その後の人生で説かれたりしたことを信じ

それに関して湧き上がる疑念は
とにかく払いのけ

それを疑問視する本や
それについて異議を唱える人達を
故意に避け

その信条を揺るがしてまで
何らかの議論を提示することを
不信心な行為とみなすなら

その人の人生は 人類に対する
長きにわたる罪となる

ある人がこう言ったとしよう

「だが私は忙しい
ひとつの問題について的確な判断を下したり
論点を理解したりするために

たっぷり時間をかけて学ぶ暇などない」
だとしたら その人には

そもそも何かを信じる時間もないだろう

ウィリアム・K・クリフォード 1874年

難破船 Shipwreck

艦橋

内部コード:clifford_shipowner

ある船主が移民船を航海に出そうとしていた
彼はこの船が古く
作りもしっかりしていないことを知っていた

これまで多くの海を渡り荒天を乗り越えたが
修理が必要だったことも知っていた

もうこの船は航海には耐えないのではないか
そんな疑念が船主を襲った

その思いは彼を苦しめ 憂鬱にした
船に徹底的な検査と修理が必要なことは
明らかであった
しかしそれには相当な金がかかる

だが船主は 船が航海に出る前に
この憂鬱な考えを追い払った

船はこれまでも無事に多くの航海をこなし
いくつもの嵐を乗り越えてきたではないか
次の航海から帰ってこないと思うのは
無駄な心配だと自分に言い聞かせた

神の意思を信じよう
神は新天地を求めて祖国を離れる
不幸な家族達を
決して見捨てはしないだろう

造船業者や請負人らの誠実さを
疑ってかかるなど
狭量な人間のすることだ

このようにして船主は 自分の船が絶対に安全で航海に耐えうると
誠実に 心の底から信じるにいたった

そして心も晴れやかに船出を見送ると
移民達が新しい土地でいい人生を送れるようにと
真摯に願った

結局 船は大海原のど真ん中で沈没し
船主は保険金を受け取った

この船主について我々は何が言えるだろう?
移民達を死なせた罪が
彼にあるのは間違いない

船主が船の安全性を
心から信じたことは事実だ
だが その思いが誠実だったからといって
彼の罪が軽くなるわけではない

あれほどの不安材料を抱えながら
安全だと信じ込むのは荒唐無稽だからである

彼は 自分の信念を
対象を忍耐強く検証して得たのではなく
疑念を抑え込むことによって得た

しまいにはそうとしか思えないほど
自分の考えに確信を抱いていたかもしれないが

自分の思考を意図的に自ら
ひとつの枠にはめ込んだのだから

その責任は彼自身にあるのだ

ウィリアム・K・クリフォード 1874年

ツリーハウス Treehouses

海上の岩の上

内部コード:wordsworth_peak

音もない湖に
力いっぱいオールを入れた

ひとかき ひとかき 船は波に持ち上げられながら
水面を白鳥のように進んでいく

その時 それまで地平線になっていた
ごつごつした丘陵の背後から 真っ黒で巨大な山が

まるで自分の意思と本能でやってきたかのように
おもむろに頭をのぞかせた 私は懸命に漕いでみるが

黒く恐ろしい山影は 徐々に大きくなって
私と星々の間に立ちはだかった

あの巨大で恐ろしいものを見て以来
私は何日もの間 我知らず

自分が知らないものの存在について
思いを巡らすようになった

孤独とも茫然自失ともいえる 暗く大きな何かが
私の精神に覆いかぶさっているようだった

ウィリアム・ワーズワース 1888年

難破船側の桟橋の先端

内部コード:niffari_sea

神は私に海を見よと命じられた
私は船が沈み
板切れが浮かぶさまを見た

そして板切れもまた水に呑まれた

そして神は私に言われた
「航海する者は救われない」

またこう言われた「航海する代わりに
海に身を投げる者は危険を冒している」

またこうも言われた
「航海をして危険を冒さぬものは滅ぶべきである」

またこうも言われた
「危険を冒すことは救いの一部である」

波が訪れ
海中にあったものを持ち上げて
海岸を呑み込んだ

またこうも言われた
「海面は手の届かない微かな光である

そして海底は人を拒む暗闇である これらの間には
恐るべき巨大な魚達がいる」

注:実際の字幕では「そして海底は人を拒む暗闇であるこれらの間には」と続けて表示されますが、正しくは上のように途中で文が切れます。

ニファリ 970年頃

何?

緑のパネルの上にあるツリーハウス

内部コード:gangaji_silence

沈黙を選ぶ時
私達は 愛という動機を放棄します

愛という動機は 戦争に行くこと 戦争を続けること
別離すること 被害者になること 正しくあることの動機にもなります

沈黙の時の中で
何も考えず 何も気にせず

それらを放棄するのです
これは私の師が説いてくれたことです

ただ 沈黙を選びなさい 愛さえも選ばずに
沈黙を選ぶのです 愛はそこにあります

愛を選ぶ時 私達は愛とはこうあるものだという
考えに縛られています

でも沈黙を選ぶなら それ以上の考えは浮かびません
何も考えない道を選ぶことで

何も考えない時にそこにあるもの あったもの
これから来るものを受け入れるのです

愛も 真実も あなた自身も 私のことも
考えないのです 愛はそこにあるのですから

ガンガジ 2009年

難破船側の浜辺の石の上

内部コード:brooke_the_dead

歓びと優しさで紡がれた こころがあった
哀しみで洗われたこころは いつでも歓喜を迎え入れた

年月は慈しみをはぐくみ 夜明けも 黄昏も
この地にあるどんな色合いも 彼らのものだった

彼らは活動し 音楽を聴いた 休息しては また目覚め
そして愛した 友を持ち それを誇りにおもった

ときに 感嘆に胸をつまらせ ときに ひとり座り
花や動物 人々の頬に親しげに触れた 今やすべてが 終わってしまった

風向きが変わり 水面がさわさわと笑う
色鮮やかな空に 日がな一日照らされ輝いている

霜が降り 踊っていた波に静寂が訪れる
愛らしいざわめきがしずまる霜は 白く完全なる栄光

凝縮された輝き 開けた空間
平穏の光を 夜空の下に残していく

ルパート・ブルック 1914年

湿地/沼地 Marsh/Swamp

海上の廃ボートの陰

内部コード:chuang_tzu_boat

船が川を渡っているとき
無人の船と接触しそうになったとする

どんなに苛立ちやすくても これに腹を立てる人はいないだろう

ところが 近づいてきた船に人が乗っていたなら
最初の船に乗っていた人は
ぶつけてくるなと怒鳴るだろう

1回 2回 そして3回呼びかけても
返事がなければ
罵詈雑言が口をついて出るのは必至だ

前者には怒りがなく
後者には怒りがあった

前者は空船だったが
後者には人が乗っていたからだ

人間もこれと同じで
己をなくし 空しくしてこの世を過ごすなら
誰も彼を害することはできない

荘子 紀元前4世紀

ツリーハウス側の海岸の岩の上

内部コード:eddington_humor

知識には2種類あり 私はそれらを「記号的知識」と「親密な知識」と呼んでいます

論理的思考が通用するのは記号的知識のみ と言い切るのは
正しくないかもしれませんが

慣習として 論理的思考が記号的知識のためだけに
発展してきたことは事実です

親密な知識は 成文化や分析の対象にはなりえません
むしろ 分析しようとするやいなや
親密性は消え去り その知識は記号によるものになってしまいます

例として「ユーモア」について考えてみましょう

ユーモアは ある程度までは分析して
面白味の主要素を
分類することができると思います

「これは冗談」とされる話を聞いたとします
それを 調査対象の化学塩を分析するように
科学的に考察してみたとしましょう

慎重に分析した結果
その話が本当に冗談だと分かったとします
論理的には 次に来るステップは

「笑うこと」でしょう

でも お察しのように
真面目に吟味してしまったせいで
笑いたい衝動など
どこかへ消え去ってしまった

冗談は 冗談としての機能を失ってしまったのです

分析する行為は ユーモアの記号的知識の領域では
冗談についての全要素を含みますが
唯一 滑稽さを取り除いてしまいます

冗談の真価は 考えることではなく
考えないことで分かるのです

これは 私達が自然界に抱く
畏敬の念にも言えることでしょう

それに 敢えて言うなら
神との神秘的な体験もしかり

「自分達にとっては 神的存在が
魂を照らしてくださることが 人生で最も
瞭然たる体験の1つだ」という人もいます

彼らにとっては そうした感覚がない人は
私達の感覚で
ユーモアのセンスがないというのと変わらない

精神に何かが欠けているということです

神的体験を ユーモアの時のように分析して
神学理論を打ち立てたり
あるいは無神論に行きついたりしてもよいのですが

忘れてはならないのは 理論は結局 記号的知識だということです
一方 体験というのは親密な知識です

冗談の構造を科学的に説明しても
笑いを強要することはできないのと同様に

神(または神の代理)の特性について
学問的に論ずることは

宗教体験の本質である 精霊に対する親密な呼応を
これを妨げてしまうことになりかねないのです

アーサー・エディントン 1927年

紫色の足場の先にある地下室

内部コード:feynman_wine

かつて ある詩人が言った 「グラス一杯のワインに全宇宙がある」

詩人は理解されるために書くのでないから
彼がそう言った意図を我々は知るよしもないだろう

しかしグラスに入ったワインをよく見れば
宇宙全体が見えるというのは真実だ

物理学の観点で見れば
風や天候に応じて蒸発する
この渦巻く液体

ガラスの中の反射
そして原子をも想像することができる

ガラスは地球の岩石から生成され
その組成の内には宇宙の年齢や
星々の進化の秘密を見てとれる

ワインにはどんな化学物質の配合の妙があり
それらはどのように起きたのか?

発酵物 酵素
基質 生成物質

ワイン以外についても言える ひとつ大きな事実がある…
生命というのは 発酵だ

ワインの化学的性質を解明すれば ルイ・パスツールのように
病気の原因を発見することにもつながるだろう

見る者の意識にその存在を主張する
ワインの赤のいかに鮮明なこと!

我々の限られた知性で理解できるよう
グラス一杯のワイン すなわちこの宇宙を細分しよう…

物理学 生物学 地質学
天文学 心理学 などが関わるが…

自然にとっては知ったこっちゃない!

細分化をやめてワインに戻ろう
ワインは こういう話のためにあるんじゃない

とっておきの楽しみを 僕らに与えるためにある
さあ飲み干して すべて忘れよう!

リチャード・ファインマン 1963年

貯蔵施設/温室 Bunker/Greenhouse

緑の階の隅

内部コード:eddington_eyes

科学者の立場から言うと 色というものは 目が捉えた
エーテル振動の波長の問題にすぎません

でも だからといって私達が 波長約4800オングストロームの反射光は
抒情詩のテーマになりそうだと感じ
5300オングストロームの光による色には

とりたてて関心を持たないというような
人々の感情を否定できるわけではありません

私達科学者は「ガリバー旅行記」のラピュタ島民が
女性や動物の美しさを ひし形や円
平行四辺形 楕円など幾何学の用語を使って

表現するような境地には
まだ至っていないのであります

この世のすべての現象は
電子や量子などの関係式によって説明できると
確信している唯物論者なら

自分の妻も 非常に高度な微分方程式の賜物であると
ひそかに信じているんでしょうが

家庭生活でそれを大っぴらにするほど
愚鈍ではないでしょう

科学的に解剖していくことが
日常の人間関係では
不適切かつ不必要なものなら

最も近しく親密な関係である
人間の魂と神の霊との間に科学的議論を持ち込むことが
妥当ではないことは言うまでもないでしょう

アーサー・エディントン 1927年

ジャングル Jungle

修道院側からの入り口 (1)

内部コード:mitchell_ttc_11

我々は輻(や)を放射状に並べて
車輪を成す そこにある中空を軸とするから
車輪としての役割を果たすのだ

粘土をこねて器を作る
器は中が空っぽであるから
器としての役割を果たすのだ

木を打ちつけて家を造る
家は中に空間があるから
家としての役割を果たすのだ

形あるものを扱っているようで
実際はその中の虚ろが本来の役割を果たしている

老子 紀元前6世紀

修道院側からの入り口 (2)

内部コード:abbad_wine

グラスの透過性と
ワインの透過性は

似通っており
事象が混同されている

ワインを意識すれば
グラスの存在は意識されず
グラスに注目すれば
ワインは頭から消える

サヒブ・イブン・アッバード 990年頃

竹林のレーザー手前にある柱状節理の岩の上

内部コード:feynman_uncertainty_of_science

新たな方向をまったく見られない または見ようとしない
あるいは何かを疑う気持ちを持たず 無知の認識もないのなら

新しいアイディアなど得られない
何が真実であるかを知り尽くしていれば
もう調べる価値のあるものもないだろう

つまり こんにち科学的知識と呼ばれるものは
それぞれ異なる不確かさを持った主張の集合なのだ

中にはほぼ嘘だろうというものも 間違いなく正しいと言えるものもある
だが 100%真実と言い切れるものはない 科学者はそれに慣れている

無知であっても矛盾なく生きられるということを知っている

科学者でない人は問う
「無知のまま どうやって生きられるのか?」私には質問の意味が分からない

私はずっと 知ることなく生きてきた 簡単なことだ
どうすれば知れるのかを私は知りたいのだ

疑う自由は 科学において重要な問題だが
おそらく 他の分野でもそうだろう
それは葛藤から生まれる

疑ってよい 不確かであってよいと認められるための葛藤

その重要性を忘れ はじめから葛藤を避けるようには
なってほしくない

私は責任を感じる 科学者 すなわち
無知の境地を心地よく感ずることに
どれほど偉大な価値があるか知る者として

その境地によって 進歩が可能となる
思考の自由の結実するところに進歩があるのだ

責任感を持って あなた達に述べ伝えよう この自由の価値を
疑念を恐れず 歓迎せよ

それは潜在的に
人類の新たな可能性なのだ

「よく分からない」と分かっていれば
状況を改善するチャンスがある

私は未来の世代のために この自由を要求したい

リチャード・ファインマン 1963年

砂浜の波打ち際の岩の陰

内部コード:eddington_generation_of_waves

ある日 私は「風による波の発生」について
気になって仕方なくなりました

そこで 流体力学について書かれた
標準的な論文を取り出してみました 曰く…

外力p’ yyとp’ xyがe ** (ikx + at)の倍数である場合
(ただしkとaは定数)
方程式によりAとCが求められる
したがって式(9)によりetaの値は…

注:etaとはギリシア文字のη(イータ、エータ)のことです。

云々 2ページにわたって書かれていました
結局私に分かったのは 時速約0.8 km以下の風では
水面に波は起こらないということです

時速約1.6 kmになると表面は
表面張力波による細かい波形で覆われますが
風がおさまった直後に波は静まります

時速約3.2 kmでは重力波が発生します
そして 著者は控えめにこう結論づけています

「我々の理論的研究は 波形成の初期段階について
少なからぬ洞察を与えるものである」

別の日のこと
私はまた「風による波の発生」
について考えていました

でも今度は 違う本の方が私の気持ちに
合っていました 曰く…

風向きが変わり 水面がさわさわと笑う
色鮮やかな空に 日がな一日照らされ輝いている

霜が降り 踊っていた波に静寂が訪れる
愛らしいざわめきがしずまる霜は 白く完全なる栄光

凝縮された輝き 開けた空間
平穏の光を 夜空の下に残していく

魔法のような言葉でその光景がありありと想像できます
私達のほうに自然が近づいてきて
私達とひとつになる

やがて波は日差しを受けて踊り出し それを見る
私達は喜びに満たされる
同時に 凍てついた湖を射る月光に畏怖を覚えるのです

こんな時 科学者は自分を卑下してはなりません
自らを顧み 妙に客観視して

「ああ まともな感覚を残らず6つ持っていて
科学的見識もある自分が感傷的になるとは
いかにも恥ずかしい 次からはラムの流体力学の本を携帯しよう」

などと思うものではありません

こういう瞬間が私達にも必要なのです

学者の研究道具のみを頼りにし
秤にかけて測定評価できるもの 数学的記号によってのみ

表現できるものだけを相手にして それを超える
周りの世界の偉大さを感じることができなくなったら
科学者は視野の狭い 発展のない人生を歩むことになるでしょう

もちろん 先ほどの記述は幻想です
自然が見せつけた ややつたない魔術の
からくりを説明するのはたやすいことです

空気と 風で乱された水面の間
異なる角度で反射した
さまざまな波長のエーテル振動が私の目に到達し

光の刺激は視神経を通り
脳の中枢に伝わった
というわけです

私の意識は 受け取った刺激の印象を
作り上げていきます

受け取った情報が少なくても
意識は 情報を肉付けするのに使える
関連情報を多く蓄えています

印象ができあがったところで
すべての要素が意識により精査され
「これはなかなかいい」と評価されたわけであります

ここで私は評価や批判
分析をいったんやめます そして
全体の印象のみが意識に残ります

空気の暖かさ 草の匂い
穏やかなそよ風が

目に浮かぶ情景と合わさって
私の周りに 私の内に ひとつの
超越した像として浮き上がってくるのです

意識に蓄えられたさまざまなものが連想として浮かんできます
「波が笑う」という表現を思い起こすかもしれません

波…さざなみ…笑い…喜び…そういったものが秩序なく
押し合いへし合い浮かんできます

それに喜びを感じつつも エーテル振動の
どこがそんなに面白いのか
合理的に説明できる人はいません

静かな感動が印象全体に染みわたります
私達の喜びは 自然に 波に
ありとあらゆるところにあるのでした
これが からくりです

そう 確かに幻想でした でもそれなら なぜこのイメージを
さっさと一蹴してしまわないのか
心が 無秩序で実体のない空想を 外の世界に映し出したとしても

真理をひたむきに追及する人間には
興味のないことではないでしょうか?

では 先ほどの話に戻りましょう
実体のある物質 波の話に
風の圧力と重力が

流体力学の法則に従って
水という物質を動かした

でもよく考えてみると 固体という物質も幻想なのです
これだって頭の中でこしらえた空想を
外の世界に映し出したものにすぎないのです

液体から物質を 物質から原子を
原子から電子を導き出したところで
科学者はどうしたらいいか
分からなくなりました

まあ少なくとも
追いかけてみた先には陽子と電子という
実質的な発見はありました

もし新しい量子論が出てきて
この発見 このイメージが実質的すぎると非難され

科学者がそれまで頼りにしていた一貫したイメージが
失われてしまっても まだ座標や運動量 ハミルトン関数があり
少なくともqp − pq = ih/2πを導き出すことはできます

さて こういった話をたどっていくと 科学的研究は
その性質からして循環するものであり 私達を取り巻く環境の
ある側面を表現することしかできないことに気づくでしょう

科学が解明できるのは 現実世界そのものというより現実世界の骨組みです

科学的真理を追い求める過程で 事象の現実味は失われてしまうのです
そして 空想する心を否定したのち
最後にはそこに戻ってこう言うのです

「君の空想よりもっとしっかりと堅固な原則に基づいて
『完璧な世界』を作り上げた でも何かが足りなくて
『現実世界』を作れない」

「だから ここにあるものを何かひとつ持っていって 空想の息吹を与えてほしい
それだけで『現実世界』が誕生する」

埋もれた真実を手にするために
心が作り出す空想をとことん排除してみたら

そこで見つけた真実は結局 空想を呼び起こすものと
切っては切れない関係にあったということです

それは心 つまり空想を作り出す私達の意識こそ
現実性は常に空想の基であることを保証する
唯一の存在でもあるからです

現実世界にとっての空想は 火にとっての煙です
「火のないところに煙は立たぬ」はデタラメだと思いますが

ヒトの不可思議な空想の中に
潜在的な現実が映し出されていないかを検証するのは
まったくもって筋が通っているのであります

アーサー・エディントン 1927年

半島 Peninsula

半島先端部の護岸の上

内部コード:cusa_name

ああ主よ 神よ あなたを探し求めるものの救い主よ
私はあなたを 楽園の園に見いだす

注:実際の字幕では「見い出す」となっていますが、この書き方は誤りとされているのでとりあえず「見いだす」に修正しています。他の箇所も同様です。

だが私には 自分の見ているものが分からない
なぜなら 私には何も見えないのだから

だが 私は知っている
私には自分が見ているものが分からない
決して分かることができない ということを

私はあなたを 何と呼べばいいのか分からない
あなたが何なのかが 分からないのであるから

だが 私は知っている
人が あなたに名前をつけ

あれだとかこれだとか 言い立てたところで
それがあなたの名ではないことを

なぜなら あなたを見いだす場所を隔てた壁が
すべての呼び名が意味するところの 限界であるから

私には分かる あなたをあらわす概念を
人がいかに作り上げたところで

それがあなたをあらわす概念ではないことを
なぜならいかなる概念も その意味するところの限界は
あの楽園の壁であるのであるから

同様に私には分かる 人があなたを何かに例え
それによってあなたを理解しようとしたからとて

それがあなたの姿をあらわしたものではないことを

また あなたを理解しようとして
人があれこれ 方策を講じ

そこで理解したものを 説明したからとて
その人が あなたに近づいているとはいえない

なぜなら あなたとこれらすべては 最も高い壁によって隔てられ
あなたは人の言うこと考えることすべてから かけ離れたところにいるのであるから

あなたは いかなる概念にも当てはまらない
無限で絶対的な存在であるのだから

ニコラウス・クザーヌス 1453年

修道院 Monastery

左側の壁の開口部

内部コード:arabi_veils

垂れ下がるベールの他には そこに何も存在しない

知覚の行為が帰着するのは
ただベールのみ

そしてそれらを知覚する
その目の持ち主のうちに痕跡を残す

イブン・アラビー 1231年

街 Town

港のオベリスクのそば

内部コード:einstein_library

それは世界一難しい問題ですね

はい いいえで簡単に答えられる
質問ではない

私は無神論者ではありませんが
汎神論者とまで言い切る自信はありません

きっちり答えようとすると とても我々の知性が追いつかないでしょう

たとえ話で答えても構いませんか?

どれほど鍛えられていても ヒトの知性が
宇宙をすっかり理解することはできません

我々はあらゆる言語で書かれた書籍でいっぱいの
巨大な図書館に足を踏み入れる
子供のような立場にあります

その子は 誰かがそれらの本を書いたに違いない
とは思っていても どうやってかは分からない

それらの本に
使われている言語も理解できない

本の並び方にどことなく
神秘的な秩序を感じるが
それが何なのかは分からない

私にとってそれは
非常に賢明な人が神に対してとる態度で
あるように思えます

アルベルト・アインシュタイン 1930年

教会の塔の鐘

内部コード:denck_nobody_finds

ああ主よ この憐れむべき世界で

あなたの御業はかくも偉大であるのに 誰もあなたを見つけられないのはなぜですか
あなたの呼び声は響き渡っているにもかかわらず 誰も耳を傾けないのはなぜですか

あなたの御業がすぐ側で起こっているというのに 誰もあなたを感じないのはなぜですか
あなたは御身をすべての人に捧げておられるのに
誰もあなたの名を知らないのはなぜなのですか?

人はあなたから逃げながら あなたが見つからないと言うのです
あなたに背を向けながら あなたが見えないと言うのです

そして耳をふさぎながら あなたの声が聞こえないと言うのです

ハンス・デンク 1520年頃

教会の1階 (1)

内部コード:feynman_atoms_with_curiosity

人類を超えて宇宙について熟考することは 大冒険だ
人類がいなければ 宇宙はどうなっていたのだろう… いや待てよ

実際に宇宙の歴史の大部分 人類は存在していなかったし
今も宇宙のごくごく一部に生息しているだけじゃないか

この客観的な視点をようやく手に入れ
物質の謎と価値を十全に認識した後に

人類を物質とみなし 客観的な目を向け
生命を 最も奥深い宇宙の謎の
一部とみなすことは

非常に稀有で胸躍る体験であるが

これは通常 笑い話のような徒労に終わる
宇宙にあるこの原子というものが何なのかを理解しようとすることは

好奇心を持つ原子達 とでも言うべき自分自身を観察し
なぜそれが物を考えるのか と考えることだから

これら科学的な見方は結局 畏怖と謎の中に迷い込み どこまで行っても
確かなものに出会えず 道を失う
だがいくら深遠で印象深く思えても

それが 神様が良くも悪くも人の葛藤を観劇するために整えられた
舞台であるという説には納得できない

今 私が宗教的経験について話していると考える人もいるだろう
大変結構 好きなように呼べばいい

その延長線上で言わせてもらおう
若者の宗教的経験とは 自分の教会の宗教が

その種の経験を説明するにも包含するにも
不十分であると気づくような経験なのだと

その教会の神様の大きさでは足りないのだ

リチャード・ファインマン 1963年

教会の1階 (2)

内部コード:augustine_silence

肉体のあらゆる騒ぎが 地上 海 空気についての
せわしない考えとともに静まったさまを想像してみなさい

世界そのものが止まり 心がそれ自体について考えることをやめて超越し
ぴたりと止まったなら

夢や想像に一切の幻想が現れぬようになり
発話も記号もなくなったなら

滅びうるすべてのものが静止したとしよう…
耳を傾けてみれば 彼らは言っている

我々は自らそうしたのではなく 主によって永遠に待つ者となったのだ…
さあ 想像してみなさい それだけ言って 口を噤む彼らを

言葉を聴け
他ならぬ彼の声に耳を傾け

人の舌 天使の声 雷雲 その他のしるしを

通じてではなく
これらのものの中にある
我々の愛する

「そのもの」を聴き そして行きなさい

我々自身を超越し すべてを超えた果てに待つ
永遠の叡智のひらめきを得るために

想像してみなさい その瞬間がいつまでも続き
すべての風景と音を置き去りにする時

ただひとつ 見る者を魅了し
喜びの内に引き込んで離さない ある光景…

永遠の命の残りは それ故に
あの一瞬の幻影のごとくなり
我々は息を呑む

主の喜びに身を投じること これこそが
聖書の命じるところではないか?

アウレリウス・アウグスティヌス 400年頃

反射板のそば

内部コード:cusa_clock

時計の概念は 時間の連続をすべて内包している

概念においては「6時」は
「7時」や「8時」より早いわけではない

しかし 概念が定められない限り
時計は決して時を告げない

ニコラウス・クザーヌス 1450年

山 Mountain

滝の頂上

内部コード:einstein_mystical

我々が経験しうる最も美しいものは
神秘です

それは真の芸術と
真の科学が生まれるところにある
基本的な感情です

それを知らず もはや新鮮な驚きを感じず
驚嘆しない人は

すでに死に 視力を
失ったようなもの

それは 謎を体験することです…
それは時に 恐怖すら糧とし…
宗教を生み出しました

我々には計り知れない
何物かが存在することを知り

我々の知性ではその最も原始的な形態を
理解するのがやっとの

深遠なる道理や 輝くばかりの美を
知覚すること…

真の信仰心を構成するのは
この知とこの感情です

この意味合いに限って言えば
私は非常に宗教的な人間です

私は 自らの創造物に
賞罰を与えたり 我々と同じような

意志を持ったりする
神を想像できません

私は肉体的な死を生き残るような
人物を理解できないし
したくもない

そのような考えは
恐怖や不条理な利己主義から生まれる
貧弱な魂のものでしょう

自ずと現れる道理の
最小限にせよ一部を

理解したいと
渇望する献身者と同様
私は命の永遠の謎と

既存の世界の
素晴らしい構造を

認識し その姿を

垣間見るだけで
満足なのです

アルベルト・アインシュタイン 1931年

山頂、測量をしている石像のそば

内部コード:schweickart_eva

あなたはそこで 1時間半ごとに地球を1周します
そして それがずっと続きます

たいてい起きるのは朝です
軌道がそうなっているからですが

起きた時に眼下にあるのは中東や北アフリカです

朝ご飯を終え 通りすがりに窓の外を見ると
地中海 ギリシャ

ローマ 北アフリカ
シナイ半島などの全域が広がっています

そして一目で気づくのです
自分が目にしているものは 人間の長い歴史であったもの…

古代文明の発祥地であることに

その後 北アフリカを渡って
インド洋に出ます

そして 大きなインド亜大陸を
下のほうから見上げる形で通りぬけます

セイロン(現スリランカ)を横に見て ビルマ(現ミャンマー)
東南アジア フィリピンを抜けると
呆れるほど広大な海洋…太平洋が広がります

この光景を見るまで
あなたは太平洋がこれほど広いものだとは知りませんでした

やがて やっとカリフォルニアの海岸が見えてきます
懐かしい場所を 目を凝らして探します
ロサンゼルス フェニックス エル・パソを越えて

ヒューストン あなたの故郷
もちろん そこにはアストロドームが
思わず感情移入し
故郷への愛着がこみ上げてきます

ニューオーリンズを横断し さらに南に目を向けると
フロリダ半島が一望できます

大気中を何百時間も飛行した
あのルートも
すべて懐かしく
思い出されます

そうやって大西洋を通って アフリカに戻ってきます

それを何度も何度も繰り返すのです

そのうちにあの感情 ヒューストンに感じた
あの思慕を ロサンゼルスやフェニックス
ニューオーリンズにも感じるようになってきます

次に あなたは北アフリカを
懐かしく思っていることに気がつきます

あの大陸の姿を心に抱き それが視野に入ってくるのを
心待ちにするようになるのです

地球一周を何度も繰り返す過程で
感情移入の対象が変わっていきます

地球を1時間半で周り続けているうちに
気づくのです
自分が 地球全体に思慕を抱いていることに
これは 自分を塗り替えるほどの経験です

あなたは地球を見下ろして 自分が
いかに多くの国境や境界線を渡っているのか考えて
唖然とします
しかも それらの境は目に見えないのです

目覚めて最初に目にする中東では
あなたには見えない架空の国境をめぐって
何百人もの人々が殺し合いをしています

あなたが見ている場所からは 地球はひとつです
そして とても美しい
衝動がこみ上げてきます 争い合っている人達の手を取って
こう言ってあげたい…

「ほら ここから地球を見てみてください
どうですか? 今 何が大事だと感じますか?」

それからしばらくして あなたの隣にいた
宇宙飛行士の仲間が月に行きました

旅を振り返り 彼は言います 「地球を大きいとは思わなかった
細部はとても美しかったが

地球は 虚空に浮かぶほんの小さな惑星だった」

鮮やかな青
クリスマスツリーの飾りのような白 漆黒の空…
無限の宇宙のコントラストが
心に蘇ってきます

小さくて 大切で…
地球はまさにそのようなものなのです

とても小さくて壊れやすい
船内からは 親指で隠せてしまうほど小さい
けれど尊い 宇宙の中のささやかな1点

そして その青と白の小さな1点が
あなたにとって意味のあるすべてなのだと
気がつくのです

歴史 音楽 詩 芸術
戦争 死と誕生 そして愛 涙 歓喜
遊び

そのすべてが あなたの親指ほどの小さな場所の中に
あるのです

あなたは 自分の世界観が変わったことに気づき
何か新しいことが始まっているのを感じます

あなたと あなたの周りの世界との関係も今までとは違います

船外活動をしていた時のことが頭をよぎります
カメラが故障して ほんの少し
時間の余裕ができたこと その時に
今 何が起きているのか考えていたことを

思い出します

その時 あなたは目の前の光景を
じっと見ていました あなたはもう
何かの中にいて 窓から外の風景を
眺めているわけではありません

あなたは外にいて
あなたの頭には 金魚鉢のようなものがある
無限の空間を持つ金魚鉢です

枠もなければ 境界線もありません

あなたは 地球から離れた外の世界に
浮かんでいるのです 音もない真空の宇宙を
時速約40,000 kmで駆け抜けているのです

そこにあるのは静寂です
初めて経験する深さ
景色と際立った対比をなす静けさ

そして途方もないスピード

それらのコントラストが
心に蘇ってきます

そして あなたは思うのです 自分が経験していることや その妥当性について
自分にこのような素晴らしい体験を授かる価値があるのだろうか
これは何かのごほうびなのだろうかと

あなたは神と接触するために選ばれたのでしょうか?
普通の人間には許されない
特別な体験をするために?

あなたはその答えがノーであることを知っています
なぜなら あなたはそうした恩恵を授かるような
大きなことは何もしていないからです

これは確かに特別な体験… でも自分ひとりの
ためのものではない とあなたは思い至ります
その瞬間 強烈なひらめきを覚えるのです
自分は「人類のために」何かを感じるべきなのだと

眼下を見下ろし 自分がこれまで暮らしてきた
地球の表面を眺めます
そこに住んでいるのは あなたが知っている人々です

彼らはあなたに似ています 彼らはあなたです
ここに送られてきたあなたは 彼らの代表なのです

あなたは感じ 教える存在なのだと
謙虚な気持ちで受け止めることができます
それは 一種の使命感です
自分のためにすることではありません

人類の一員として 取り組むべきことです
これこそ 地球がそこにあり あなたがその外にいる理由です

そして あなたは自分がこの生命体のかけらであることを知ります

あなたはその先頭にいて
地球に大切なものを持ち帰らなければなりません

これはとても特別な使命です

あなたは私達が生命と呼ぶものと
あなた自身の関係について学びます

戻ってきたとき 世界は違ってみえます
あなたがしてきた経験のおかげで
地球とあなたとの関係

あなたを含む地上のあらゆる生命体との関係が
これまでとは違ったものになります

これはとても意味深い
変化です

ここまで私は「あなた」という言葉を使ってきました
なぜなら これは私ではないからです デイヴィッド・スコットでも
ディック・ゴードンでも ピート・コンラッドでも ジョン・グレンでもありません
これはあなたであり 私達でもある生命のことなのです

この経験は私だけのものではありません
地球をひとつにするという課題 挑戦 喜びは
私だけのものではありません
それはあなたの そしてすべての人のものなのです

ラッセル・シュウェイカート 1975年

シュウェイカートはアポロ9号の乗組員で、地球周回軌道上で船外活動を行っていた際に機材のトラブルにより数分間地球を眺める時間ができ、そのときに上記のような強烈なインスピレーションを得たそうです。このボイスレコーダーは島の最高地点である山頂にあり、そこから島全体を見下ろすことができます。

内部第1層、足場を作るパネルの右

内部コード:cusa_impossible

神よ ゆえに私はあなたに感謝する
なぜなら すべての人間

もっともすぐれた賢人でさえ

近づけない 不可能と思えるやり方でしか
あなたに近づけないことを

私に 明らかに示したのであるから

あなたは私が不可能なものに対面し それに阻まれるときのみ
あなたの姿を見ることができるのだと 私に指し示したのであるから

神よ あなたは成熟者の糧
私が自己を打ち倒す 勇気を与えてくださった

なぜなら 不可能は 必然と一致するのであるから
あなたが見いだされる場所は

矛盾の一致に取り巻かれているのであるから

そこは楽園の壁
あなたがまします楽園

壁の門は 最も堅牢な理知で護られ
それが覆されないかぎり 門の扉は開かない

ゆえに
あなたが見られるのは

矛盾の一致の向こう側であり
こちら側ではないのだ

それゆえに もし
あなたの眼に 不可能が必然であるならば

あなたの眼に見えぬものは ひとかけらとしてないのであろう

ニコラウス・クザーヌス 1453年

内部第1層、中央のガラクタの中

内部コード:skinner_reciprocal

制御する側とされる側は
相互に関係している

ハトの行動を研究している
ラボの科学者が 行動随伴性の実験を試み
その成果を観察した

実験装置は明確な制御をハトに加えているが
ハトのほうも実験を制御していることを見逃してはならない

実験道具の設計や使用手順は
ハトの行動を見ながら
決められているからだ

このような相互制御の関係は 科学のあらゆる場面で見られる
フランシス・ベーコンの言葉を借りれば
「自然は これに従うことによらなくては征服されない」のである

サイクロトロンを設計する科学者は
研究対象である粒子の反応に支配される

親が子をしつける時は
叱る場合も褒める場合も
子供の反応が親の行動を左右している

心理療法士による治療で患者の行動が変わる時
療法士はそれまでの過程で患者の行動を変えるのに
有効だった方法に影響されている

政府や宗教団体なら 市民や信者を制御するのに
過去に効果があったやり方で
指示をしたり 制裁を加えたりすることがある

雇用者と被雇用者の関係では
給与システムが被雇用者の勤勉かつ丁寧な仕事を促すが
そのシステムは
被雇用者に現れた効果により調整される

学校の教師もしかり
授業のやり方は
生徒の反応を見て決めている

要するに
奴隷は奴隷使いを
子供は親を

患者は療法士を 市民は政府を
信者は神父を 被雇用者は雇用者を
生徒は教師を 制御しているのだ

B・F・スキナー 1971年

内部第1層、建物の模型の中

内部コード:zen_physics_intellectual_catastrophe

日本には2つの主だった宗派がある
臨済宗と曹洞宗である

注:原文は“Two major schools of Zen exist in Japan”なので、正しくは「日本には2つの主だった禅宗の宗派がある」のように訳されるべきです。

いずれも瞑想をせずに世界を見るという同じ目標を持つが
アプローチの方法は異なる

注:原文は“Both have the same goal, of seeing the world unmediated”であり、「瞑想をせずに」ではなく「媒介なしに」「直接的に」のように訳されるべきです。

曹洞宗では 思考に特定の焦点を持たず
着座して行う静かな黙考を重視する

しかし 臨済宗の手法では
論理的な解答のない問題に
知性で取り組む

こうした問題は「公表」を意味する
中国語から「公案」と呼ばれている

一部は 単なる問いかけだ 例えば

「精神が善悪の二元論について
考えていない時 生まれる前のあなたの
もともとの顔は何か?」

次のような 問答形式のものもある

「仏とは何か?」

答え:「3ポンドの亜麻である」
または「中庭のヒノキである」
(色々な答えがあるが 典型的な2例のみ挙げる)

伝統的な禅においては
このような難問のレパートリーが
1,700種類もある

これらに共通する目的は
一種の知的なカタストロフィーを起こすことだ

それは突然の飛躍である
個人を 言葉と理性の領域から
悟りという 事物を直観する領域へと引き上げる

禅は 瞑想法ではない
仏教の他の宗派とも異なる

なぜなら禅は 我々を俗世間から
世界の真理へと徐々に開眼させる
ものではないからだ

ひとつひとつ修行を積み重ねるわけではないのだ

禅を研究する唯一の目的は 稲妻のように突然やって来るその瞬間を
体験することである

知性がショートし
主体と客体を隔てる障壁が
消え失せる瞬間を体験することである

デヴィッド・ダーリング 1996年

内部第2層、スケッチの裏

内部コード:cezanne_motif

「ほら モチーフはこれなんです…」

(彼は手を合わせ 10本の指を開いて引き離し
ゆっくり 非常にゆっくりとまたそれを合わせ 握り
固くつかみ 噛み合わせた)

「これが実現すべきものです
片手が高すぎたり低すぎたりしてはうまくいきません」

どの部分も 感情 光 真実の逃げ道となるような穴が残るほど
緩みすぎてはならない

私はキャンバス全体 あらゆるものに同時に取り組むのだと
理解してもらいたい

ひとつの衝動 ひとかたまりの信念を持ち
私はすべての散乱した破片に近づく

この目に映るすべてのものは 崩壊して消えゆく定めにある
自然は常に同じだが その中にあって目に見えるものは1つも残らない

我々の芸術は 自然が見せる演技のスリルを
その要素と共に あらゆる変化の様相と共に
描写しなければならない
永遠なる自然を味わえるものでなければならない

その下には何がある? 何もないのか
それとも
すべてがあるのか!

私はその ひらひらと遊ぶ手と手を結びあわせる
私は右で 左で ここで そこで
そこかしこで何かを手に取る

その色合い 色彩 陰影
私はそれらを描き入れ まとめあげる

それらは線を形成し 物体や岩や木となる
私が意図しなくとも
量感や価値を帯びる

これらの量感 これらの価値が キャンバス上で呼応する
私の感性の中で 平面に向かって 一点に向かって

これは私達の目の前で起こること
そしてキャンバスの中で 自然の両手はしっかり組み合わされている

そこに迷いはない
手は高すぎも低すぎもせず組み合わされている
私のキャンバスは真実で 小さく 豊かだ

しかしある日わずかにでも気を逸らすものがあれば…
またわずかにでも失敗すれば… 何よりも解釈に懲りすぎれば…

今日の私が昨日の私の考えに
夢中になって反論をはじめてしまえば…

描きながら考え 余計なことをしてしまえば…
おじゃんだ すべてが台無しになる

ジョワシャン・ガスケによるポール・セザンヌの回想 1921年

内部第3層、階段の下

内部コード:jeans_eos_1

天文学的な時間スケールで見るとき
人類は誕生してまだ間もない

乳児期のように
あらゆる未知の可能性を持つ新生児である

その間ずっと
彼らは専ら

揺籠と哺乳瓶のみに
強い関心を寄せている

自分と揺籠を取り囲む広大な世界に
気づいたばかりであり

遠くの物体に目の焦点を合わせることを学びつつあり
目覚めかけている脳は うっすらと

ぼんやりとではあるが 考え始めている
「自分は何者で 何のためにここへ来たのか…?」

外界への関心は
さほど育ってはおらず

能力の主な部分は まだ
揺籠と哺乳瓶に夢中であるが

その脳は一隅で
考えることを始めている

ジェームズ・ジーンズ 1928年

内部第3層、時間制限のあるパズルの扉の右

内部コード:jeans_eos_2

生後3日の赤ん坊である我々には
ほんの数分前に発見した宇宙について

自信たっぷりに解釈することなど
決してできない

その子ひとりの寿命は70年ほどであろうが
人類という種で考えれば

約7万年であると思われる

突如目覚めて突き付けられた世界は
明らかに無意味で不可解なことが多く
その子は困惑し 悩み

しばしば苛立つかもしれない
しかしその子はまだまだ若い

同じくらい若く経験のない赤ん坊は
地球の反対側まで探さなければ
見つからないかもしれない

その子にはすべてを理解するために
十分すぎるほどの時間がある

遅かれ早かれパズルのピースを
つなぎ合わせなければならないが

うっかりすれば見落としてしまうほど小さな
パズルの一片に過ぎないその子自身に

果たしてパズルの全体像が理解できるかどうか
疑わしく思うのも当然であろう

ジェームズ・ジーンズ 1928年

洞窟 Caves

下層の線路の終端

内部コード:sandwich

神は私に海を見よと命じられた
私は船が沈み
板切れが浮かぶさまを見た

そして板切れもまた水に呑まれた

そして神は私に言われた
「航海する者は救われない」

またこう言われた「航海する代わりに
海に身を投げる者は危険を冒している」

またこうも言われた
「航海をして危険を冒さぬものは滅ぶべきである」

またこうも言われた
「危険を冒すことは救いの一部である」

波が訪れ
海中にあったものを持ち上げて
海岸を呑み込んだ

またこうも言われた
「海面は手の届かない微かな光である

そして海底は人を拒む暗闇である これらの間には
恐るべき巨大な魚達がいる」

注:実際の字幕では「そして海底は人を拒む暗闇であるこれらの間には」と続けて表示されますが、正しくは上のように途中で文が切れます。

ニファリ 970年頃

何?

買い物に行くけど サンドウィッチか何か要る?

そのために1時間もそこにいたの?

邪魔したくなかったんだ

サンドウィッチは好きじゃない 私がサンドウィッチを食べてるところ 見たことないでしょ?
それでどうしてサンドウィッチを勧めるの?

ごめん

まあいいわ …少し眠ろうかな

もちろん 根を詰めすぎてたからな

ちゃんと読みたくて これ きっと今後何度も聞くことになるもの
細かな部分まですべてが重要になる

大丈夫 すでに良い出来だ

ありがと そうね でも目標が高いもの どんな細部もおろそかにできない

コーヒーを1杯もらってもいい?

踊り場のある階段の壁

内部コード:authenticity

…これらをうまく読んで
ちゃんと録音されたものを選ぶのは…

理路整然としていなくてもいいと思う

何か僕らの痕跡を残しておこうよ
勇敢な誰かが探せるようにね

というと? 島に来る人は
ちょっと歩き回れば 私達の声を聞くことになるだろう?

そりゃあそうだけど 舞台裏で起こっていることを
見てもらうのも悪くない

僕らの誠実さを分かってもらうためにもね

もし僕らが賢い言葉を
並べることに躍起になって

それらを心に響かない方法で届けたとしたら

表面的なものにしか
聞こえなくなるかもしれない

ここが微妙なところだ
下手すると尊大に聞こえかねないからね

誰もが避けたいことなのに そうなっていたとしたら気づきにくいだろ?
もしくはプロジェクトに没頭しすぎているかも?

もし ところどころに僕らの会話を挟んで
自分達は何かを超越した存在なんてものじゃなく

行き詰ったり 口論したり
落ち込んだりすることもある
ってことを知ってもらえば

少なくともごまかしではないこと
こそこそした奴らでないことが分かってもらえる

そうやって信頼を築くのはいいことだけど
でも 事件やドラマなんて 日常に山ほど溢れてるんだ

だからこそ そういう喧噪から離れた

静かな場所をここに作っているんじゃないか?
けたたましい日常のドラマを称えるんじゃなく…

ここにあるのは思索するためのものだ
心を集中させ 明瞭にする
それは最初に決めたことだろう

分かってる それを変えるつもりはないよ
ちょっとひねりを加えるだけだ 奥の方でね

ドラマである必要もない 現実を見せるだけだよ

現実だって? ミーティングの様子を録音してそれを入れるとでも?

それもありかもな! でももう かなり良いのが録れてるよ

君が女性に
サンドウィッチを勧めているところとか

彼女のマイクが入ってた だからアーカイブに保存されてる
でも話の流れとしてはパーフェクトだ

上からものを言ってるシーンじゃないからね

ここに録音してあるものは
「真実」を求めた人間の努力の証だ

でも 人は本当の「真実」には
たどりつくことができないことも忘れちゃならない

僕らがそれを知っていることをここを訪れる勇敢な人にも
きちんと示すべきだと思うんだ

まあ 分かったよ とりあえずはそれで様子を見よう

この島については 私達は何というか… 際どい立場にある
その点は気をつけてくれよ

特に私は少々恥ずかしい部分も さらけ出すことになるようだし…

そうだ 一応知らせておくけど この会話も録音してるよ

おいおい

僕は真剣さ

(ため息)

最上部の散乱している板材の陰

内部コード:conference

お湯が沸いたようよ
あのティーポット 早く沸くけどうるさいよね さあ 続ける?

ああ 目下の懸案事項は
唯物論的無神論者や物理主義者

その界隈の思想を
もっといい形で提示することだ

ずっと模索しているんだが どうもうまくいっていない

問題は 理論的に一貫している無神論者の主張が
どれも 神についての特定の概念の否定や

宗教組織の活動の歴史に対する
怒りの表明に終始していることだ

私達がほしいのは
まず原理的に神という概念が

存在しえないことを
証明するような言論だというのに

私もまったく同じ問題を感じてるわ

無神論の根拠が 聖書がいかに不合理かを
あげつらうばかりになっていること

バートランド・ラッセルのような先進的な思想家でさえ
宗教についての解釈は

「なぜ私はキリスト教徒ではないのか」という
狭い見地からの物言いにしか聞こえない

ここで提示している神のビジョンに対して
スケールが小さすぎるのよね

えっと…

最後のところ何て? 通信の調子が悪くて

ああ 無神論者が議論に出す神の概念が
あまりにも限定されてるってこと

極端な例では わら人形論法的に神なるものを批判していたり…
クザーヌスやスピノザ スーフィーの聖者達

さらにはアインシュタインまでもが持っていた
神のビジョンとかけ離れすぎているのよ

そもそも論じる土俵が違いすぎるってことなの

唯物論をはっきりと唱えているのは
物質的な世界を最先端で理解している

物理学者じゃなく
たいがい
哲学者や作家だからね…

大物の物理学者にはなかなかいない

わら人形論法的な詭弁じゃない
しっかりと骨のある議論を見つけるのは至難の業だ

現代ではすべてとは言わないが
物理学者の多くが無神論者だっていうのに

この分野の学者が
強いはっきりとした無神論を説くことは少ない
それが不思議だよ

そうだな 強いて言うならファインマンがいて
彼は 特定の事柄について
科学はある程度までの確実性は語るが

それ以上のことについては分からないのだから
作り話に納得したり 勝手に推測するより

大きな疑問については僕らには分からないということを
きちんと分かっていた方がいいというようなことを言っている

でも ファインマンはもうかなり引用しているね

ポール・ディラックはある時期 かなりの無神論者だったようだけど
そういう主張が記録に残っているかどうかは分からないな

注意して見ておくよ

ディラックは唯物論者とはいえないな…
何しろ宇宙は数学でできていると信じていたんだから

これはもちろん単純化しすぎているにしても

彼はアインシュタインと同じようなニュアンスで
神について何度か言及したりもしてる

何だか馬鹿げているわ 科学的素地のある人には
それは当たり前のことなんじゃない?

科学者やプログラマーみたいな人種にとって
唯物主義はデフォルトでしょう?

唯物論を信じないのは
知性が足りないからだって思ってる…

でもそれを論理化してる人がいないなら
どうしてそういう風潮になるのかしら?

キリスト教やユダヤ教の説法に
不合理性を見つけるのは難しいことじゃない…

だから信仰に対するそういうイメージがあって

ほとんどの人がそうだろうけど
自分の価値観を 掘り下げるのには抵抗があるなら

宗教っぽいものはすべて
聖書のようなでっちあげで

唯物主義は反宗教的
一般に教養のある人は唯物論者という感じがするし
自分は知的でありたい

…っていうことで片付けてしまえる

加えて だいたいどんなものでも信じて
それを広めようとする

いわゆるスピリチュアルな人々もいるからね…

聖書だけじゃなく お化け話や占星術
スプーン曲げ… そういったいかさまは

この世にいっぱいあるよ

でたらめが多すぎて
スピリチュアルな世界に質の高い思想を探すのは

実に難しくなってしまってる
「スピリチュアル」と一括りにしていいか分からないけど

だから すでに唯物論に傾倒している人は
薄っぺらな「スピリチュアル」な人達を見て

だからみんなウソですよって
短絡的に結論づけてしまうことが多い

僕もそう考えてやっていた しばらくの間はね

なるほど まあそれは置いておいても
現代の科学者の中には

ある種の無神論的唯物主義を信じていて
その論理を慎重に考察している人もかなりいる

そういった見解も見ておかないと

そういえば…
何だかもどかしい…

ごめん

いえいえ どうぞ

ええと ただ…
カール・セーガンが「悪霊にさいなまれる世界」か何かで

スピリチュアリティの源泉としての科学について
語っていたのを思い出したの

でもセーガンの言うスピリチュアリティは
神秘的なものじゃなくて…

真理への純粋な献身や
世界の中での人間のあるべき姿に対する考えを
深めていくっていうことなの

宗教に対する反感や軽蔑のない無神論になっていて
とても良い本よ

ああ 私も読んだよ
なかなか素晴らしい一編で

ぜひにと思ったんだが
エージェンシーが要求する額が高くてね

払ってしまえば?

いや 無理だよ
そんな特別枠を作れば

例外がどんどん増えていって
破産するのがオチだね

セーガンはなしだ

素晴らしい思想家だったし 雄弁でもあったのに
残念だがね

湿地への出口手前の木の根本

内部コード:dreams

最初の船に乗っていた人は
ぶつけてくるなと怒鳴るだろう

1回 2回 そして3回呼びかけても
返事がなければ
罵詈雑言が口をついて出るのは必至だ

前者には怒りがなく
後者には怒りがあった

前者は空船だったが
後者には人が乗っていたからだ

人間もこれと同じで
己をなくし 空しくしてこの世を過ごすなら
誰も彼を害することはできない

荘子 紀元前4世紀

それで この後はどうなるんだっけ?

さあ

覚えてないわ

え?

ああ 私 いつもこうなの
夢を覚えていたことがないわ

起きる直前に意識して覚えていようとすれば
夢の断片くらいは残るけどね でもその後は たった20分後でも

その断片さえ消えてしまう 書き留めておけば別だけど…
それでも後で読み返すと

おかしな人が書いた戯言の羅列のようなの

そう でもそうなると 記憶に副次的な影響がないと言える?
例えば自分の人生の他の事は 全部覚えてるものかしら?

それは大丈夫よ! ただしまい込んでるだけで…
頭を切り取られるわけでもないんだし 全部そこにあるわ

夢の中で 私達はよく
ちょっと違った人格を帯びる

起きている時の日常の細かなことを忘れ
かわりに架空の世界の記憶を保持するでしょう

それがどうやって起こるのかっていうと
ただ… 同じ経路を使っているだけ 大丈夫よ

でも確かに 何かが欠けていた場合 どうやって気づけばいいんだろう?
もし細かなことをいろいろと忘れているとしたら

忘れているという事実はどうやって思い出せばいい?
別に何か大きなものが欠けているというわけじゃないと思うけど

あれ そういえばあなたはどちらさま?

もう なぜあなたを「一番手」にさせたのやら…

まだ「一番手」じゃないわ!
私はただ 水際に足の先をつけただけ

「本当の一番手」は 真っ逆さまに飛び込んで
自分でいつ出てくるか決められるようになった最初の人よ

誰が行くことになるかしら? あなた?

ああ こんな怖いことをするなんて
まだ分かってなかった頃が懐かしい

大丈夫! 怖い事なんてない 楽しくなってくるわ

楽しすぎて忘れちゃうくらいなのね

まあね さてと 始めようかな 帰る前にこれをもう一度録音しておかなくちゃ
新しい考えが浮かんできたの

それはテストのせい?

ええ たぶんね

何も覚えてないんじゃなかったっけ?

ふぅん なるほど 不思議ね

でしょ じゃあね おやすみ また明日

チャレンジのスタート地点近くの水辺

内部コード:dirac

宗教について なぜかみな正面切って論じようとしない
正直であろうとすれば(科学者はそうあるべきだが)

宗教が事実無根の虚偽の寄せ集めでしかないことを
誰もが認めざるを得ないはずだ

神という概念そのものさえ 人間の想像の賜物にすぎない
自然の脅威が今よりもっと大きかった

原始時代の人々が 恐れの気持ちから
そうした力を擬人化したというのは

たやすく理解できる

だが自然の原理がもっとよく分かるようになった現代では
そのような手段を講じる必要性がない

僕には
全能の神の存在を前提とすることで
何かの役に立つとは到底思えない

神の存在を仮定することで人々は
悲惨な状況や不当な環境に陥ったり

金持ちが貧乏人から搾取したりする残酷な状況を
なぜ神は放っておくのかという

考えても仕方がない疑問を抱くことになる

今でも宗教が教え込まれているなら
それは僕らがその教義に納得しているからでは決してなく

下層階級を黙らせたい
という層が一定数存在するからだ

人々が不満を抱き あれこれと要求してくるより
静かにしてくれている方が
統制も搾取もしやすいからだ

宗教とは 民衆がどれほど不正義や不平等に苦しんでいても
国家がそれをきれいに忘れ去り

自らの進みたい方向に粛々と進めていくための
一種の麻痺剤のようなものだ

ポール・ディラック 1927年
ヴェルナー・ハイゼンベルクによる引用

私が何を言いたいかは分かるだろう

ええ これも適当じゃないわね

どうしてだと思う?

それは… 比較的小さなことに やけにこだわって
議論を大きくしてるからかな…

高みを志しているのでも
究極の真実を突いているのでもないし

ほとんどは 自分が正しくて それに比べ
愚かな人達がいかに間違っているかを述べているだけだわ

だが ポール・ディラックは真実の探求者だった…
少なくとも物理の世界においてはね

でも私には ここからその真実を求める姿勢というのは見えないな
ほかの信条に対抗するために作られた信条なら

それは本質的なものとは言えないわよね? さして深いとも思えない

ただ ディラックは自然の原理について述べる時
はじめに現実をふまえた自分なりの哲学を打ち出しているわね

興味深い点だ 反対意見でもなく 既存の考えの棄却でもなく
独自の論理の展開を試みているんだね

でも これは私達が求める無神論の思想じゃない
もう少し見てみよう

ディラックはこうも述べている

「こう説明できるかもしれない
神はことのほか優れた数学者で
きわめて高度な数学を使って宇宙を作り上げた」

ここでの神は アインシュタインの言葉と同じような意味合いだろうね

同じ人がそんなことを? 本当に?

そうさ まったく人間は不思議なもので 科学者はそれに輪をかけているね

同感だわ

街への出口手前のトロッコの下

内部コード:mine

時計の概念は 時間の連続性をすべて内包している

概念においては「6時」は
「7時」や「8時」より早いわけではない

しかし 概念が定められない限り
時計は決して時を告げない

ニコラウス・クザーヌス 1450年

それは僕の担当だろ

そうね でもこれについて思いついたことがあって
ちょっと試してみたいの さてどうなるかな

気がついた時には クザーヌスのテキストをすべて奪われてしまいそうだね

で、どんな考え?

さあね! 意識下の衝動っていうの?
創造力にはつきものでしょ

あの島に行く前からそんな風に思ってた?
それとも行った後からかい?

たぶん 行った後からね すべてじゃないにしても
前から芽はあったんだと思う

初めにこれを聞いた時
あなたは私に考える手助けをしてくれた

でもその時はうまく気づけなかったの
今では「エンドウ豆の上に寝たお姫さま」のようだわ

注:「エンドウ豆の上に寝たお姫さま」はアンデルセンの童話です。あらすじはWikipedia等を参照してください。

でも出しゃばるつもりはないのよ
本当に個人的な衝動なの…

これを録音しておきたくて
後で自分の聞きたいように聞けるように

整理しておきたいの 自分のためにね

これを「持っているといい問題」のファイルに入れておこう

たぶん旅を通じて この一編に対する君の態度は変わった
あるいは もっとはっきりしてきた うまくいっている証拠だ

何かがうまくいっているんだ たぶんね

始めた頃はここまで来れれば
ラッキーな方だと思ってた

でも 来たわね

ああ さあ どうぞ録音して 僕は行くよ
君に感謝してる 僕自身が避けているものについて
考えるチャンスをくれたのだから

どういたしまして!

砂漠の地下へ通じる道の箱の下

内部コード:tagore_voyage

私の力は限界に達し
この旅路にも終わりが来たと思った…

私の前途は閉ざされ
蓄えは使い果たし
静かな暗がりの中へ身を隠す時が来たと

しかしあなたの御心に私の終わりはなく

言葉が舌の上で死に絶えると
心の底から新しい旋律が沸き出でた

私は知った 古い道が消えると
驚くばかりの新たな国が その姿を現すことを

ゲーム内では出典が示されませんが、ラビンドラナート・タゴールの詩集『ギタンジャリ』の英訳版『Song Offerings』からの引用です。

仮エンディング

仮エンディングで流れる音声

内部コード:endgame

夜明けの星

内部コード:bubble_in_stream

流れのうたかた

内部コード:flash_of_lightning

夏の雲に閃く稲妻

内部コード:flickering_lamp

ちらつくランプ

内部コード:a_phantom

幻影

内部コード:and_a_dream

そして夢

仮エンディングで流れる一連の音声は仏教の経典『金剛般若経』からの引用で、「諸行無常」を説いた一節です。

真エンディング

フロントのカウンターの上

内部コード:tagore_end

私は一生の間 歌をもってあなたを探し求めてきた
戸口から戸口へ私を導いてくれたのはあなただった

歌をもって周りの世界を感じながら
私の世界を探し 触れてきた

私が学んだものはみな
歌が教えてくれたこと

歌は秘密の小道を示してくれた
私の眼前 心の地平線上に 数多の星を
見せてくれたのも歌だった

歌は私を一日中
喜びと苦しみ溢れる国の神秘へと導いた

そして 歌よ
旅の終りの夕暮れに なんという王宮の門の前に
案内してくれたことか

ゲーム内では出典が示されませんが、tagore_voyageと同じくタゴールの『Song Offerings』からの引用です。
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