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タフラジオ@ ウィキ

Yellow Magic Orchestra

最終更新:2025年06月25日 16:08

prussia

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だれでも歓迎! 編集

御概要だあっ!

Yellow Magic Orchestra (イエロー・マジック・オーケストラ)は日本のテクノユニット。通称YMO
1970年代のシンセサイザー黎明期に結成され、まだ物珍しかった電子音を全面的に押し出したダンスサウンドで世界を席巻。
ドイツのKraftwerkらとテクノ音楽黎明期の先駆け的存在となり、日本で70年代末~80年代前半にかけてあらゆる楽曲にテクノが差し込まれる一大ブームを作り上げた。
後代への影響もすさまじく、YMOの影響を受けたことを公言したアーティストだけでも電気グルーヴ、テイ・トウワ、星野源、山口一郎(サカナクション).etc...と非常に多士済々。
日本のみならず世界において電子音楽のパイオニア的存在であルと申します。

御歴史だあっ!

結成前史

はっぴいえんど、ティン・パン・アレー等で活躍していた細野晴臣が白魔術(白人音楽)でも黒魔術(黒人音楽)でもない黄色人種独自の音楽(黄色魔術)の構築を提唱。
ここら辺は細野の神秘趣味を存分に感じルと申します。
78年2月、自身のソロアルバム「ぱらいそ」を作成した際、レコーディングのミュージシャンとして顔を合わせた坂本龍一、高橋幸宏両名を自宅に招待。
「マーティン・デニーの「ファイアー・クラッカー」をシンセサイザーを使用したエレクトリック・チャンキー・ディスコとしてアレンジする」というコンセプトを伝えたところ両名が賛同し、
ここにイエロー・マジック・オーケストラ、YMOが結成される。

前期(1978~1980) 「イエロー・マジック・オーケストラ」「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァ―」「増殖」

78年7月からレコーディングを開始し、同年11月にファーストアルバム「イエローマジックオーケストラ」を発売。が、国内ではさほど話題になっていなかった。12月に紀伊国屋ホールで発売記念ライブを行っている。
79年5月に北米市場向けにアレンジした「イエローマジックオーケストラ(US版)」を発売。8月にはメインバンドの前座ではあるがアメリカのグリークシアターで海外公演を行う。
これがアメリカで大いに受けた。前座相手にアンコールを求めるくらいに観客が熱狂したのだからかなりのものであルと申します。
同年9月、セカンドアルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァ―」を発売。10月には国内に先駆けてワールドツアー「トランス・アトランティック・ツアー」を敢行する。
あれ?国内は?ごめーん、海外の方が受けるだろうから後回しにしちゃった。
このツアーでは前期YMOのトレードマークとなる高橋幸宏デザインの明治時代のスキーウェアを模したコスチューム(通称:赤い人民服)と耳の上までもみあげを刈り上げたテクノカットと言う独特のデザイン。観客に向き合わずロボットチックにひたすら楽器の演奏に徹するという当時としては斬新な演奏スタイルがテクノミュージックに合致しオーディエンスに受けまくった。
しかしてワールドツアーは成功裏に終わり、日本でも世界での流行を逆輸入する形で話題が沸騰。ソリッド・ステイト・サヴァイヴァーも飛ぶように売れ、オリコンチャート1位、売上100万枚を達成。YMOというグループと新ジャンル「テクノ・ポップ」の地位を確立する。
80年3月から国内ツアー「テクノポリス2000-20」を開催。なんせ東京の路上でお変クなファッションに身を包みYMOのライディーンで踊り狂ってる若者が大量にいたようなタイミングであるから当然に成功を納め、同年6月にはコントユニットのスネークマンショーとコラボしたアルバム「増殖」が発売される。
10月には第2回ワールドツアー「FROM TOKIO TO TOKYO」を開始し、12月の日本武道館4日連続講演で締めくくられた。

中期(1981年) 「BGM」「テクノデリック」

上述の通り、YMOは世界的に成功を納め日本でも売れに売れた。売れすぎてしまった。
ファンは当然キャッチ―でポップなダンスミュージックを求めるが、メンバーはその路線はやり切ったと考えている。ファンの思惑とグループの思惑が大きく乖離してしまったのだ。
そこでだ ライトなファンを生贄に・・・やってみたい音楽をやってみることにした。
細野晴臣「何をやっても売れちゃう。こんな面白い状況は二度と来ない。だったら遊んじゃおうと思った」
坂本龍一「期待をはぐらかす快感を味わいたかった」
高橋幸宏「ファンの切り捨てをしました」
当時開発されたばかりのデジタルMTRを駆使して多くの実験的要素を取り入れたアルバム「BGM」を81年3月に発売。
これまでのポップな音楽から一転、暗くて重いニューウェーブな要素が大きく、実験音楽に近い曲調の本作は第二のライディーンを期待したライトファンから大顰蹙を買ってしまう。
一般ファンのコメント「はっきり言って新アルバムはメチャクチャ糞。ライディーンやテクノポリスみたいなのを期待してたのに暗い曲ばっかりで話になんねーよ」
それでもオリコン2位になるのだから当時のYMO人気が窺い知れると言うもの。
しかしながら当時の最先端テクノロジーを駆使して作られた本作は「へっ何がテクノポップや。面白みのないダンスミュージックのくせに」と放置されていた評論家方面から絶賛され、後のハードコアテクノの先駆けになるなど、音楽的影響は非常に大きい。
この頃、坂本は深刻なスランプに陥っており、純粋な新規作曲楽曲は1曲のみで、それ以外は既存楽曲のアレンジで済ませている。
細野「千のナイフ(坂本のオリジナル曲)みたいなの作ってよ」坂本「だったらそのまんま入れてやるよ細野っ!」
同年11月にはアルバム「テクノデリック」が発売。
こちらは当時出たばかりのサンプリング・マシーンを使って金属音などをサンプリングした音を素材に利用。
世界でもサンプラーが使用された最初期のアルバムと言って良い。こちらはBGM以上に先鋭的でストイックな仕上がりとなっており、嘘か真か「YMOの完成形」と評価する音楽ライターもいる。
テクノデリック作成時は気分転換に行った韓国旅行によって坂本はスランプを脱出しており、逆に細野がスランプに陥いっている。結果としてテクノデリックは坂本色がYMOのアルバムの中で最も強い。
11月末から2枚のアルバムの新曲を引っ提げて第2回国内ツアー「ウィンター・ライヴ1981」が催行された。
ただし、この頃には細野・坂本間の音楽性の差異などによる不和が極限に達しており、スタジオ入りの時間をお互いわざとずらして意図的に会わないようにしていた等、チームとしてはバラバラになりつつあった(仲を取り持っていた高橋の心労も増えた)。
上記のメンバー間の不和に加え、グループとしてやりたい事をやりつくしたという達成感も相まってウィンター・ライヴを最後に解散する意向がメンバー内の共通見解として構築される。
しかし、当時所属していたレーベルのアルファ・レコード側からビジネス面で強く慰留された結果、ひとまず正式な解散は無くなり、1年間の活動休止期に入る。

活動休止期(1982年)

82年はYMOとしての音楽活動は行われず、各自がソロ活動を行っていた。
細野はアイドルへの楽曲提供を行っており、松田聖子などへ提供する曲の作曲を行っていた。はっぴいえんど時代の盟友松本隆が作詞を担当しており、このコンビは当時のアイドル歌謡曲の黄金コンビの1つ。
坂本は大島渚が監督する「戦場のメリークリスマス」に俳優として出演。映画内の音楽も担当し、坂本の代表曲の一つ「Merry Christmas, Mr. Lawrence」はここで発表された。
高橋は自身のソロツアー「高橋幸宏TOUR1982」を催行する等、各々が自分の音楽を作っている。
ただ、YMOとしての活動が一切なかったというわけでも無く、オレたちひょうきん族に出演したり、トリオ・ザ・テクノの名義で漫才番組に出て物真似を披露するなどしている。

自身のエゴが前面に出る音楽活動だと衝突が起こるが、普通に顔を合わせて何かやるくらいの事は平気だったと考えられる。

後期 そして散開(1983年) 「浮気なぼくら」「サーヴィス」

テクノデリックまででやりたい事をやりつくした3人は解散を自覚しつつ、最後に思いっきりふざけてみようとアイドル路線の曲を作り始める。
よしじゃあ企画を変更してキャッチーなメロディーと歌で好き勝手遊んでみよう。
3月にカネボウ化粧品とのCMタイアップ曲「君に、胸キュン。」を発表し、YMOの音楽活動が再開。
作詞を松本隆に依頼。当時の注文は「売れそうな詞を書いてくれ」。
細野がそれまでに培ったアイドル歌謡曲の文法を用いた歌謡曲路線のキャッチーなメロディで「かわいいおじさん」路線を宣言。実際それっぽいPVも作られた。
この曲でオリコンチャート1位を狙うと公言し、実際YMOのシングルとしては最大の売り上げ枚数を記録するのだが、細野晴臣作曲、松本隆作詞の松田聖子「青い珊瑚礁」に1位を阻まれるというオチがついた。
5月には同曲を収録したアルバム「浮気なぼくら」が発売。前2作とは比べ物にならないくらいのポップでキャッチーな歌謡曲路線でファンの度肝を抜いたが、3人それぞれの作曲センス・特徴が分かりやすく出た珠玉の1枚。
ただ、既に83年中に解散することを3人で決めていたこともあり、遊びで作ったという側面も強い。
坂本龍一「お遊びだったのであまりやる意味がなかった。しかし、あの時点ではああでもしなかったら、息が詰まりそうだった。無理に遊ぼうとした」
  • 「ポケットYMO」徳間書店、1998年

そして解散記念に劇団S.E.Tとコラボして最後のアルバム「サーヴィス」が作製され始める。この頃には解散することが前提だったこともあり全員が終始穏やかに曲を作っている。
10月に雑誌のインタビューで公式に散開(解散)を宣言。
細野晴臣「僕は散開に関して、別に何も思い入れがないの。ファンの人は“解散”なんて聞くとショッキングだろうから、その辺を考慮して“解散”という言葉は使わなかったし、発表する気もなかった」
  • 「Soundall」83年12月号、学研

11月より散開ライブツアー「1983 YMOジャパンツアー」がスタートし、ツアー中の12月に最後のアルバム「サーヴィス」が発売される。
なお、ツアー最後の公演である日本武道館での公演を素材とした映画「プロパガンダ」が製作され、84年に全国公開されている。この後、3人が揃って公式の場に姿を見せることは93年まで無かった。

再生(1993年) 「テクノドン」

散開から約10年が経過した93年2月、YMOの再生(再結成)が発表され、4月に記者会見。新アルバムと東京ドームでのライブが公表された。
日本や世界を一世風靡したYMOの再結成という事で世間的にも大きな衝撃を持って迎えられ、民放各社やNHKがニュースで報じた。
5月に再生後初のアルバム「テクノドン」が発売され、6月には東京ドームでライブも行われた。
しかし、この再生は3人の本意では全く無かった事が後年細野、坂本、高橋が証言しており、
どうもそれぞれに「残り2人は再結成に同意している」と言うような言葉をかけて再結成を仕向けたのではと言う噂が根強い。
結局そんな状態で継続した活動ができるわけがなく、それ以上の音楽活動も行われず、かといって改めて解散が宣言されることもなく再生は自然消滅した。

その後のYMO

しかし、年が経つにつれてお互いに丸くなったこともあり徐々に音楽面でのコラボが増えていき、2001年にはNHKの番組内で3人が共演。ライディーンを演奏している。
2002年には細野と高橋によって「スケッチ・ショウ」が結成。そのライブにゲストとして坂本が参加し、YMOのナンバーも演奏されるなど雪解けが本格的に始まった。
2004年にスケッチ・ショウ+坂本のユニットとして「ヒューマン・オーディオ・スポンジ(HAS)」が結成され、スペインで公演。11年ぶりに3人が1グループとして音楽活動を行った。
ただし、この頃はまだYMOへの忌避感があったからかあくまでHASとYMOは別物であるという説明が行われていた。
その後2007年、キリンビールの企画CMに3人が出演し、YMO名義がついに復活。かつての代表曲ライディーンをアレンジした「RYDEEN 79/07」がCMソングとして使用・発表された。

以降、高橋がキュレーターを務める音楽フェスWORLD HAPPINESSに出演する等、定期的にYMOとして音楽イベントに出演していた。
が、2023年1月に高橋が、同年3月に坂本が死去。メンバーの逝去によりYMOとしての活動は実質的に終了している。

作風

1970年代当時、シンセサイザーを使った音は既に存在したが、あくまでも実験的な作品としてか、効果音程度で止まっていた。
そのシンセサイザーの音を本格的に商業的作品に作り上げた黎明期のグループであり(本人たち曰く世界で3番目)、キャッチーなダンスミュージックから最先端の機器を用いた実験的音楽まで、電子音楽の基礎を作り上げたと言えるだろう。

メンバー紹介だいっけぇ!

細野晴臣

エレクトリックベース・シンセベース・コーラス担当。YMOのリーダー。
YMOの発案者にしてリーダーにしてプロデューサー。この男がいなければYMOは無かったしその後に続くテクノも無かったと言っても過言ではない。
はっぴいえんどやティン・パン・アレーで活動した後YMOを結成したのは先述の通り。グループ内ではほぼベーシストに徹しているが、正確無比なリズムでYMOのサウンドを根底から支えた。
ソロではアイドルへの楽曲提供を行ったり、自身の音楽活動としてはアンビエント方面へのアプローチが強い。

坂本龍一

キーボード・シンセサイザー・コーラス担当。愛称は「教授」。
東京芸大大学院で作曲を続けつつスタジオミュージシャンとしても活動していた所、細野に誘われてYMO結成に参加。教授の愛称は大学院に在籍していることを知った高橋幸宏から「教授にでもなるの?」と言われたことがきっかけ。
グループ内ではYMOの楽曲構築の中心的人物であり、ライブのアレンジも坂本が一手に引き受けていた。
ソロでは俳優として活動したり、その縁から映画音楽にも参加。映画「ラスト・エンペラー」で音楽を担当し、アカデミー賞音楽賞を受賞する等世界的に活躍している。
2023年3月に咽頭がんにより逝去。享年71歳。

高橋幸宏

ドラムス・ボーカル担当。YMOのビジュアル面担当。
サディスティック・ミカ・バンドなどでドラムとして活動しており、細野に誘われてYMO結成に参加する。
ファッション・デザインに造詣があり、初期YMOを象徴する赤い人民服やライブのステージ衣装は高橋のデザイン。
グループ内ではコンピューターの自動演奏する同期音(クリック音)に合わせて正確無比なドラムを叩いており、恐らくコンピューターのビートと同期してドラムを演奏したのは高橋が初。楽曲「中国女」でボーカルを担当したところボーカリストとしての才能も発揮。グループの歌詞付き楽曲のほとんどでメインボーカルを担当している。
また、当時尖りまくって衝突していた細野と坂本の間を取り持っていたのも高橋だった。嘘か真か高橋が後年ハゲたのはこの頃の心労のせいだとするファンもいる。
2023年1月に脳腫瘍により併発した誤嚥性肺炎が原因で逝去。享年70歳。

松武秀樹

YMOの主要サポートメンバー。YMO第4の男。
正式なメンバーではなく、あくまでサポートメンバーではあるが、ほとんど全てアルバム・レコーディングやツアーにマニピュレーターとして参加。YMOを語る上で決して外せない人物。
音楽制作会社を経営しており、YMOが使用する電子楽器はほぼ松武の会社からリースされていた。
ライブ映像ででかいタンスみたいなシンセサイザーをガチャガチャやってるのが松武。

御代表曲だあっ!

Fire Cracker


アルバム「イエロー・マジック・オーケストラ」収録
細野が2人を誘う際に説明したコンセプトのきっかけとなった曲。この曲からすべてが始まったと言っても良い

TECHNOPOLIS


アルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」収録
YMOを代表する1曲。RYDEENと双璧を成す。これが1970年代に流れる正に未来の曲。

RYDEEN


アルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」収録
YMOと言えばこれと言える曲。元は高橋幸宏が飲み屋で歌った鼻歌を坂本が楽譜に起こした。アップでキャッチーなダンスミュージックとして日本を席巻。どっかで聞いたことがあるマネモブは少なくないだろう。

CUE


アルバム「BGM」収録
実験的作品が多かったBGM収録曲の中では比較的キャッチー。ドラムは高橋ではなく坂本が叩いており、当時絶賛スランプだった坂本が手持ち無沙汰でドラムを申し出たのがきっかけ。後年のライブでも坂本が担当しており、やけに真剣な顔でドラムを叩いている。

京城音楽


アルバム「テクノデリック」収録
インドネシアのガムランをモチーフにしつつ、坂本が韓国を訪問した際の印象を曲にした。曲中流れてくる声はトランシーバーを通したものを録音している。

君に、胸キュン。


アルバム「浮気なぼくら」収録
散開前に最後に遊んで終わろうという事で作られた1曲。このMVを見なさい。これは30代のおっさん3人が当時のアイドルのMVを模倣しようとしたもの。とにかく売れ線なメロディーと歌詞でオリコン1位を獲ろうとしたんだ。

RYDEEN 79/07


シングル「RESCUE/RYDEEN 79/07」収録。Youtubeの音源はロンドン公演時の物
キリンビールのCMソングとしてRYDEENをリミックスした1曲。編集者の中高時代、当人を異常YMO愛者にした名曲を超えた名曲としてお墨付きを与えられている。

余談

YMOのベストアルバムは90年代に集中しており、特に90年代後半は1年に1枚はベスト・アルバムが出ている。
これは通称アルファ商法と呼ばれるもので、ベストアルバムの中に1~2曲だけ未発表音源を収録して、未発表音源欲しさにファンが殆ど代わり映えしないベスト・アルバムを毎年買うと言うもの。
曲を収録・発売する原盤権の権利がアルファレコードにあり、YMOのメンバーが管理できておらず発売に関してタッチできなかったことが原因。
結果としてメンバー3人の連名による謝罪文まで発表された。
アルファ・レコードさん・・・あなたは糞だ。
2000年以降は東芝EMI、ソニーレコードから出ているためここら辺の問題は解消されていると考えられる。
あーどれかっていいか分かんねえよと言うマネモブにはメンバーがそれぞれ監修したベスト・アルバムが3枚存在するため、そこから1枚選んで欲しい。

細野晴臣監修 YMO GO HOME!

https://www.amazon.co.jp/dp/B000MZHT8Y

坂本龍一監修 UC YMO

https://www.amazon.co.jp/dp/B00009KMD1/

高橋幸宏監修 ONE MORE YMO

https://www.amazon.co.jp/dp/B000MZHT98

編集者は教授ファンなのでUC YMOにしたらしいよ。

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