*&link_wikipedia(橘高淳){橘高 淳}(きったか あつし) -今更説明の必要もないが球審白井と一、二位を争うほどの酷いクソ審判。だが実は阪神タイガースの選手だったのである。 -1981年に捕手としてドラフト外で入団。同期入団は後に一緒にセリーグ審判となる[[渡真利克則]]。渡真利は優勝時のウィニングボールで有名になったが、橘高は1軍登録もなく1983年に戦力外となる。 -その後1984年は阪神でブルペン捕手になるも1年で退団。その後1985年、ブリンクマン審判学校を経て、セントラル・リーグ審判部入局。現在はクルーチーフ。 -審判としては誤審もが多く、ストライク判定に関しては&bold(){「可変ストライクゾーン」}と揶揄されている。 -昔はジャンパイアとか言われていたが、時が経つにつれて巨人も被害をこうむっていたり、巨人が絡まない試合でも色々やらかしているのがネット上ですぐに広まった為、最近は単純にクソ審判認定されている。 --やらかす度に「また橘高か」という言葉で出来るほどである。 -あまりに誤審が多い為、球界関係者からも審判としての能力が問われている。 --だが自身の判断には自信を持ってるとか答えてやがる。 -橘高の誤審伝説は数多くあり紹介しきれないが、やはり阪神絡みで有名な誤審は、ガルベス激怒事件と[[ダレル・メイ]]が[[和田豊]]に放ったビーンボール事件だろう。