*星野 仙一(ほしの せんいち) -そんな奴知らん。わからん -2002年~2003年の阪神監督。2003年に優勝して勇退。その後はSD職に収まり今日に至る。 -阪神を本格的に暗黒時代から脱却させたといわれるがその手法は中日時代からお得意の血の入れ替えを積極的に行いカンフル剤を打ちまくることである。 -だがカンフル剤の打ちすぎが祟ってチームがぶっ壊れ次の監督が苦労してしまうことになるのも中日時代と同じ。2004年のどんでんがまさにそれ。 -2004年も続投だったら球児や関本・福原はクビだったらしい。 -北京五輪では日本代表の監督を務める。結果は、チームの統制も取れず惨敗。その後の言い訳もあって監督としての評価は地に落ちる。おまけに選手を見る目の無さも指摘される。 -読売・渡辺オーナーのお気に入りで常に「巨人次期監督候補」に挙げられていた。 -懲りずにWBCの監督をやりたがったがさすがに世間の目は厳しかった。 -どんでんがオリックス監督になった要因の一つに挙げられている。