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江川卓 - (2016/11/20 (日) 17:03:26) の編集履歴(バックアップ)
江川 卓(えがわ すぐる)
- ご存じ怪物江川。巨人のエースだった男である。
- 巨人の選手をなぜ紹介するのだ!と思われるかもしれないが、1日だけ阪神タイガースの選手だった。
- 詳しい経緯は江川事件で検索。だが簡単に経緯を説明すると当時の巨人がどうしても江川が欲しくて、規定を自分達の都合の良いように解釈し自分達が交渉権があると言いだした。
当然そんな横暴が許されるわけでもなく、抗議の意味で阪神他数球団が1位の強行指名。その結果、阪神が交渉権を得る。
だがここでも巨人はあきらめず阪神入団後はすぐに江川をトレードすることを「強く要望する」とかコミッショナーがふざけたことをのたまう。
当然阪神は憤慨するが、江川サイドはトレードの確約を得られないことから阪神に不信感を抱き、契約交渉ははかどらなかった。
結局阪神の詰めが甘かったのか、交換トレードの相手が魅力的だったのか、巨人の要求を呑むことになり当時の巨人のエースだった小林繁(故人)との電撃トレードが成立してしまう。そしてコミッショナーは、今回の件は特例とし前例としないとか抜かしやがる。
- 以上より江川は阪神に1日だけ在籍していた、れっきとした阪神OBなのである。阪神での背番号は3。これは江川に対するせめてもの抗議だと言われている。(巨人の背番号3は長嶋茂雄が付けており永久欠番)
- 江川の高校大学時代の怪物ぶりや巨人での実績は他サイトを参照。
- 江川は特に世間から蔑称が付かなかった。なぜなら「江川」という名前自体が蔑称になったからである。
- 「エガワる」が流行語になり、子供の嫌いなもののなぞらえで「江川、ピーマン、北の湖」という言葉が出来たがあまり流行らなかった。
- 当時の沢村賞は記者による投票制だった。よって世間を騒がせた江川は記者から嫌われたので5冠を達成したにも関わらず、沢村賞を受賞できなかった。
この件により沢村賞の選考基準が変わることとなる。
- 嫌われたのは江川事件のためだけではなく時には手抜きと批判されたプレースタイルにもあった。
- もっともこれは大学時代に肩を故障していて肩の痛みを抑えるためだったらしい。実際、高校・大学の監督曰く「プロに入ってから球速が落ちた」らしい。
- 手抜きと言っても一流の打者は本気を出していて、二流の打者は手抜き投球をしていたため、二流打者によくホームランを打たれていた。
若手が「江川さんて思ったより大したことないですね」と掛布雅之に言ったら、「お前ら相手には本気だしとらんわ!」と言ったとか。
- 引退後は日本テレビの解説者となる。解説の時は現役時代のライバルだった掛布とほぼ必ず組んでいた。
- 口調は丁寧であり現役選手は必ず○○選手と呼び、決して呼び捨てにはしない。
- 小林とは後に和解することができた。
- 阪神が星野政権になり暗黒時代を脱却し全国のマスコミが称賛していたとき「私も実は阪神OBなんですよ」と自慢とも自虐ともとれる発言をしたことがある。
- 一応阪神OBなので、毎年阪神OB会の招待状が届くらしい。
- 余談だが漫画『キン肉マン』の主人公であるキン肉スグルの名前は江川の下の名前から取ったものである。
- さらにスグルの兄・アタルの名は江川の実兄・中(あたる)氏から取ったものと言う
- この記事が増えたせいで、項目数が334となる。