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中西清起 - (2019/11/04 (月) 06:55:39) のソース

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-1983年にドラフト1位で阪神に入団する。
-同年に引退した[[小林繁]]の背番号19を与えられた。
-若手時代に虎風荘の門限を破り、塀から進入を試みるも下のビールケースに落下して怪我を負う。ドラフト1位の選手がそんな事で選手生命絶っては困ると、当時は徹底的に隠蔽された。
-心臓に毛が生えていると言われるほどの強心臓の持ち主。その為リリーフに指名される。
-何とか選手生命は維持し、1985年10月16日にヤクルト・角富士夫をピッチャーゴロに打ち取り優勝を決めた。
-現役時代、勝負のかかる場面で代打をだされたことに不満をもらす[[どんでん>岡田彰布]]に対し「プロなんだから、打てないのは岡田さんが悪い!」と言った。言われたどんでんは、飲み残した灰皿代わりの缶ビールを、中西に向かって投げつけた。先輩にこんなことを言うあたり、やはり強心臓の持ち主である。
-イニングの途中に急に交代を告げられ、ランナーへのけん制で肩を作ったことがあるそうな。
-1996年に引退。ABCの解説などを務めたが、2004年に投手コーチに就任。主にブルペンコーチとしてその役目を果たす。[[球児>藤川球児]]を育てたのはワシ
--解説者時代は軽薄そうな喋りをしていたので、コーチ就任したとき指導なんかできるんかと思った人も多いだろう。だが指導者として結果を残す。
-自身が現役時代に酷使された影響からか、コーチになってからは中継ぎ投手に対して体調管理の徹底、ブルペンでは無理に球数を投げさせない等、ブルペン改革に大きく貢献。また中継ぎを酷使されたくないためか、ある試合ではブルペンにかかってきた電話のどんでんに対し怒鳴ったこともある。中西の度胸とそれでも解任しないどんでんの器恐るべし。
-とは言っても、どんでんの早大の先輩でもあった金森栄治が干された後解雇になったりしてるので、どんでんに楯突いてクビにならなかった中西が特殊かもしれない。付き合い長いしね。
--このようにイエスマンにはならない性格を球団は高く買っている模様。
-2009年に2軍投手コーチに異動
-鳴尾浜スレでは評価が高い。
-[[若竹竜士]]が1軍の久保コーチに改造された際、勝手な事するなとブチギレた
-1軍コーチ時代は、リリーフ投手のブルペンでの必要以上の投球による肩の消耗を抑えるために、できるだけ投球数を抑えさせていたとされ、それが[[JFK]]が多くの試合に登板しながらも安定した成績を多胎出す結果につながっていたという見方もある。
-大物新人の[[藤浪晋太郎]]に対しては放任的な育て方をしていると言われている。これは中西自身が藤浪とはタイプが違い過ぎて指導のしようがないと言うのもあるが、弄ってダメにしたくないというのが大きいと言われている。&br(){}阪神に限ったことではないが、投手でも打者でも大物新人は得てして&bold(){『ワシが育てた』}と言いたい為に、本人の適正を考えずにフォームを弄りまわすことが多い。とくに話題の新人の場合は解説者まででしゃばってくる。それで有望だったのに魔改造されてダメになる選手は少なくはないと言われている。&br(){}(例えば日ハムの中田翔は最初、いろんな解説者がめいめいに好き勝手に指導をして混乱したと言われるし、横浜の筒香嘉智が2014年に活躍したのは、小池晃コーチが余計な指導を切り捨てさせて、フォームが崩れた時だけ指摘するということを徹底したからである)&br(){}中西がそういうのを目の当たりにして来たために藤浪をあまり弄らず、ポイントだけ絞って指導しているという。藤浪自身も練習に対しては自分でどういう練習をすべきか自身の考えを持っていると言われているので、中西の方針とは合うものと思われる。&br(){}阪神暗黒時代はとにかく少し駄目なら&bold(){「サイドスロー」}にすぐ改造していた時期があっただけに、やはり中西はよい指導者なのかもしれない。
-しかし2軍投手時代に育てた選手の多くは芽が出ず、1軍のメイン投手コーチとしても目立った功績は上げられなかったこともあって2015年のシーズン終了後の[[和田豊]]監督退任と共に退団となった。
--ソースが無いため真偽は不明だが中西が藤浪に対して「抜け球はいい。指に引っかかるほうがダメ」とアドバイスしたことが藤浪の後年の不調の原因の一つになっているのでは、と言われている。指の長い藤浪にとってこのアドバイスは完全に逆効果である。
--そのため、現状では「プルペンコーチとしては有能だがメインコーチとしては無能」という評価が固まりつつある。