Border of life

Border of life ◆Ok1sMSayUQ



 どういうことか、今日は自分が生きてきた中でも最高に珍しい日であるらしい。
 焼け爛れた手、森近霖之助の硬く唇を結んだ表情、そして夜明け。

 いずれ二度とお目にかかることはないだろうと思われるものばかりだ。
 とはいっても、夜明けが珍しいと思うのは普段、自分が夜にしか活動しないからなのだけれども。
 眠気はない。眠ってはいられない。余裕なんて、既になくなっている。

 八雲紫は苦笑する。それはこうして焦りを自覚している我が身と、
 認識していながらも一向に言うことを聞こうとしない己の体の脆弱さを思い知ったからなのかもしれなかった。
 いつもの自分と、何もかもが違う。
 能力も行使できなければ無様な姿を晒し、あまつさえ心配される始末なのだから。

 きっと霖之助は失望しているのだろうと紫は思う。
 妖怪の一匹さえどうにもできない無力。優雅さなどなく、ただ醜いばかりの感情を発露させてしまった現実。
 大妖怪の威厳などどこにもない。あるのは、壊れかねない体を抱えた少女のかたちをしたものがひとつ。
 恐らく、実際には、霖之助にさえ組み伏せられてしまうのかもしれない。
 試す気はなかったが、きっとそうなのだろうと思う。

 いや、そもそも自分自身身体能力が高いわけではないのは知覚していたはずだった。
 体力に関しては並の妖怪と同等でしかなく、鬼や天狗に比べれば月とスッポンだ。
 ひとえに自分が強いと言われているのは境界を操る能力がゆえ。
 空間を自在に操り、神出鬼没で相手を惑わし、自分のペースに持ち込む。それこそが八雲紫の生命線であり、
 こうした胡散臭い仕草や物言いも敵にペースを掴まれまいとして身につけたようなものだった。

 そんなことも忘れていた事実に腹を立て、情けなく思い、またそういう自分を無様だと思う。
 霖之助はきっと、それすら見抜いている。その上で失望しているのだ。
 能力が使えなくなった程度でここまで落ちる妖怪など。

 笑えばいい、とは思えなかった。何故ならそれは紫を孤独にし、無力を強調させる。
 まだ自分は余裕綽々で、先ほどは少々油断しただけだったのだと思わせなければならなかった。
 冗談めかして言葉で煙に巻き、何事もなかったかのように立ち上がり、
 その一方で自分を怒らせると怖いのだということを思い知らせる。

 ――なのに。そのはずなのに。
 体は震えたまま動かず、
 内省を重ねるばかりの頭は気の利いた言葉も考え出すことはなく、
 ただ死に掛けたという事実が支配している。
 死の恐ろしさを感じたのはいつ以来だっただろうか。

 生まれてすぐ?
 月に戦争を仕掛け、敗北したとき?

 そうではない。死の実感は、ここに来て、生まれて初めて、味わっているのだ。
 つまり、自分は、迫る死の実感に対して赤子のように無力でしかいられない。
 根源的な恐ろしさが賢しい思惑や魂胆を一瞬のうちに吹き飛ばし我が身を縛り上げているのだ。

 事実は小説より奇なり。
 頭で分かっているだけの知識など体験してみれば何の役にも立たなかった。
 死は、ただ恐ろしいものなのだ。前にしてしまえば大妖怪の権威などありはしない。
 ただ己を踏み潰さんと圧倒的な暴力を振りかざす。それが死であって、生きるものは抗うために無様に抵抗する。
 逃れられないと知っているのにそうせずにはいられない。――紫自身でさえ。

「……紫」

 メディスン・メランコリーが逃げていった方向を見ていた霖之助が遠慮がちに口を開いた。
 霖之助は手を伸ばさない。ただ失望した言葉だけが自分を見つめている。
 そう、これが弱者に対する然るべき態度なのだ。気を抜けばこうなることは分かっていたというのに、
 何故悲しく思い、それとは別に新しい恐れを抱いている自分がいるのだろうか。

 紫はすぐに言葉を返せなかった。内心に宿る動揺の在り処が分からなかったからだ。
 思うのは、ここで弱音を吐いてはいけないということだった。笑わなければいけない。
 霖之助は、いや八雲紫を知っている者全てがそれを望んでいる。
 紫に大妖怪であれと期待しているのだ。
 だから、半ば必死に表情を作って、いつもの笑みを浮かべることに専念した。

「大丈夫よ」

 ああ、と紫は納得する。
 私は孤独になりたくないのだな、と。
 ついに、気の利いた冗談は出てこなかった。

     *     *     *

 これが放送前の紫の姿で、いかにも情けないと神は判断したのだろう。
 堕落した我が身に向けて早速神は罰を与給うたのか。

 既に罰なら与えられていた。なのにまだ温いと言わんばかりの処遇だった。
 しかし、それさえも紫は当然なのだと思う。大妖怪足り得ない己を叱責するには然るべき処置なのだと納得する。
 だが納得はしても頭のどこかは受け入れないでいた。
 八雲藍の式の橙が死んだという事実よりも、それによってショックを受けているという事実に。

 式は所詮式。作られ、計算されつくしたモノの行き着く先であり、命ですらないと断言できる。
 自身の計算能力を以ってして生み出した藍ならば橙の構築式を再び書き出すことは容易いだろう。
 式などいくらでも替えが利く消耗品でしかない。そうなのだと理解しているにも関わらず。

 "同じ橙は生み出せない。既に橙は消滅し、どこにもいなくなった〟

 この事実が頭の中を占め、一抹の寂しさが紫の孤独を引き立てた。
 どんなに論理を並べ立てたところで、紫は所詮機械ではない。悲しいことに、考えてしまう頭を持っていた。

 橙は子供同然だった。
 ふらりと外出し、遊んでは戻ってくる。
 かと思えば藍様藍様と猫のように甘える姿を見せるときもあり、
 たまに眺めている自分に気付いては紫様もこっちに来てくださいよと手を招く。

 いつの間にか三人で食卓を囲むようになり。
 いつの間にか三人枕を揃えて寝るようになり。
 いつの間にか三人は共同で暮らしているようになった。

 それは紫が長年求めてやまなかった家族の姿だったのだ。
 生まれたときから、八雲紫は孤独だった。
 この名前を誰がつけたのかも分からず、何が自分をこの世に生まれさせたのかも分からない。

 ただ、自分は、気がつけばそこにいて、生きているしかなかった。
 不思議なことに他の妖怪よりは頭が良かったらしく、妖力も高かったようなので上に立つことは簡単だった。
 生きることを脅かす有象無象を蹴散らしているうちに、いつしか大妖怪と畏れられるようになった。
 賢者とも呼ばれるようになって、そのつもりもなかったのに幻想郷の中心に居ることになった。

 そんな生活も嫌いではなかった。狭い視野の中で暮らすよりは、
 広い視点を持って世の中を眺めながら暮らしていく方がよほど有意義なことのように思えたし、
 畏れられることは妖怪の誉れだ。むしろそれだけの力を与えてくれた幻想郷に感謝さえした。こう誓ったくらいだ。

『私は生涯を幻想郷のために捧げよう』と。

 孤独で受け入れるべき場所を持たない自分を、幻想郷は受け入れてくれたのだ。
 しかし、それでも内実に宿るどうしようもない寂しさは紛らわせることはできても解消することはできなかった。
 友人はたくさんいる。西行寺幽々子、伊吹萃香、他にも知り合いは数え切れない。
 だが家族はいない。かつては幽々子にも、萃香にも家族はいた。そういう話も聞いた。

 自分にはそれがない。血を分かち、思いを共有し、共存を宿縁付けられた存在がいない。
 我が身と同じ種族の妖怪は、どこを探してもいなかったのだ。
 紫が外の世界に赴いていたのは、そのためでもあった。

 どこかにきっと、私と同じ妖怪が。

 その望みを断ち切ったのはいつだっただろうか。いないのだと諦めてしまったのは、恐らくは遠い昔。
 希望は力の代償に失われてしまったのだと納得することで、またいくらか寂しさは紛れた。
 それでも残った。消え失せはしない、本能的に持っている性質が求めてやまないのだ。

 理由はない。とても残酷なことだと思った。あるわけがないと納得もしているのに、心の奥底がそれを許さない。
 矛盾を追い続ける事実こそが力の代償なのだと思い知らされるに至った。
 藍を生み出したのはそんな渇望がもがいた結果だったのかもしれない。
 恐らく、多分そうではないかと思うが、藍を作った当時はスキマの能力に慣れきって楽をすることばかり考えていた。
 確かこう考えていたはずだった。
『楽をしたいなら式神に働かせればいいじゃない』と。

 本気でそう考え、実際に式神を憑かせた。生活がとても楽になった。
 後に家族のようになるなんて期待もしていなかったし、頭にすらなかった。断言できた。
 けれども、孤独にすり減らされた心は苦しみきっていたらしく。
 藍は家族的な行動を取るようになり、また橙を生み出した。
 とても可笑しなことに、自分の孤独は藍にそっくりそのまま伝わってしまったらしかったのだ。

 これは浅ましいことなのだと紫は思う。
 頭にもなかったはずの家族が紛い物の形で生み出される。
 しかも、自分はそれを受け入れ、あろうことか身を置くことを受容したのだ。

 家族を求めての末の愚行。妖怪としてあるまじき女々しさ。
 しかしそれでも居心地のいい場所だったのだ。
 友人達と一緒にいる楽しさとはまた違う、孤独に苛まれずに楽を感じられる場所ができたのだ。
 たとえ紛い物なのだとしても、紫は自分の家族だと断じて疑わなかった。

 孤独は霧散し、なくなろうとしていたはずだったのに。
 死んでしまったのだ。

「聞いたかしら。全く、安い挑発の言葉ですわ。そう思いませんか」

 放送の後、紫と霖之助の間に交わされた会話の第一声がそれだった。
 目の前の家は未だ毒気に包まれており、何人も寄せ付けぬ防壁が作られていた。
 薄まる気配は一向にない。恐らく昼まで毒は残りそうな按配だった。
 それも意に介しないような口ぶりで語りかけてみたのだが、霖之助は眼鏡の奥にある眼を細めただけだった。
 失望は、未だに向けられている。

「……君は、何も思わなかったのかい」
「気付かないところがありましたかしら」

 霖之助の拳が握られ、けれども諦めたように開かれる。同時に溜息が吐き出された。
 何を尋ねられたのか想像はついた紫ができる返答はこれしかなかった。
 及第点だったのだろうか、それとも落第と判断したのか。

 色のない瞳はいくら見つめても分かりはしない。いや、そもそもそんな権利は紫にはない。
 心を見るということは、同時に心を曝け出す覚悟であり、弱さを責任の放棄という形で投げ出すことに相違ない。
 しかしそうして寄り集まるのが力の小さな妖怪や人間が生き残るための術であり、持ち得る権利だ。
 大妖怪の紫には許されない。常に孤高であり、強大を期待されてしかるべき存在だ。

 だから心は暴き出さない。同時に、暴かせてもならない。
 ただ強者を演じる事のみが紫に期待される役目だった。

「そうか、そうだろうな」

 一言、そう告げた霖之助は寂しそうに唇を弧の形にする。霖之助もまた、明確な判断を下しはしなかった。
 やはり幻想はそう簡単には捨てられないものであるらしい。
 大妖怪失格の烙印を押されないことに半ば安堵しながらも、紫は息苦しさを感じる。
 これで良かったのだろうか。不意にそんな疑問さえ浮かんだ。

 行動は間違っていないという確信がある。
 だが大妖怪という重圧が重さを増し、我が身を押し潰していくような、そんな気がした。
 それでも弱音を吐くことはできない。権利は既にして奪われている。
 幻想郷に身を捧げた紫に、大妖怪の名を捨てることは重罪にも等しいのだから。

 ああ、やはり、孤独から逃れることはできないのだなと紫は思った。
 どこまでも私は、幻想郷に縛られている。
 この思いは悲しみなのか、諦観なのかさえ分からなかった。

「しかしどうする。この家にしばらくは入れそうもないぞ」
「しばらくすれば毒も薄まるでしょうけど」
「だが、その間に襲われない保障はどこにもない」

 周りに逃げ場はなく、どこまでも広い平原と花畑が広がっている。
 加えて紫は怪我をしているし、霖之助も銃を持っているとはいえ使用法が分かっていないし、そもそも戦闘ができるわけもない。
 霖之助の言葉は当然といえば当然のものである。

「仕方がありませんわ。一旦ここは離れましょう。無名の丘を辿って、永遠亭に行くわよ」
「何故永遠亭に?」
「あの女のことが何か分かるかもしれませんもの。それに、この手も何とかいたしませんと」
「ああ……痛むかい?」

 少々、と答えた紫だが案外事は重大であった。
 毒により爛れた腕は痺れを訴え、まともに手を開いたり閉じたりすることさえ叶わない。
 妖力は十分にあるためスキマを行使できずとも弾幕を打ち出すことは不可能ではないが、
 片腕が使えないというのはハンデが過ぎる。

 霖之助が腕を眺めようとするのを不自然にならないような形で隠す。
 怪我の度合いを悟られたくなかったのもあったが、それ以上に焼け爛れた醜い腕を見られたくないという気持ちがあった。
 存外自分は身なりを気にしているらしい。紫は内心に失笑するほかなかった。

「それでは参りましょう。……もう、私は歩けますから大丈夫ですわ」
「……そうか。それじゃあ、僕の手は必要ないか」
「あら、私がそこまでか弱く見えて?」
「一応は、僕も男に当たるのでね」

 霖之助は薄く笑い、「ところで」と続けた。

「あの家は何だったんだい」
「ああ」

 そういえば言っていなかった。
 本当のところは大した理由もなかったのだが、折角なので勿体つけて言ってみる。

「謎は、解き明かしたくなるものでしょう?」
「君でも分からない場所なのか」
「私だって神ではありませんもの」

 もっとも――自分は既にして神に見放されかけている存在なのだが。

 浮かべた笑みは恐らく皮肉めいたものだったと思う。霖之助はそれをいつもの笑いと受け止めたようだった。
 自分は、きっと神様気取りの誰かさんが許せないのだと、八雲紫はそう思ったのだった。


【B-7 謎の家前・一日目 朝】
【森近霖之助】
[状態]ちょっとした疲れ
[装備]SPAS12 装弾数(7/7)バードショット・バックショットの順に交互に入れてある
    文々。新聞
[道具]支給品一式(筆記具抜き)、バードショット(8発)、バックショット(9発)
    色々な煙草(12箱)、ライター、箱に詰められた色々な酒(29本)、手帳
[思考・状況]基本方針:契約とコンピューターのため、紫についていく。
[備考]この異変自体について何か思うことがあるようです。



【八雲紫】
[状態]かなり疲労気味
[装備]なし
[道具]支給品一式、不明アイテム(0~2)武器は無かったと思われる、酒1本
[思考・状況]基本方針:主催者をスキマ送りにして契約を果たす。
 1.永遠亭に向かう。同時に治療するものを探す
 2.自分は大妖怪であり続けなければならないと感じている
[備考]主催者に何かを感じているようです。
 ※手が爛れています。痺れがあり、物を握ることは不可能


68:108式ナイトバード 時系列順 70:Bitter Poison
68:108式ナイトバード 投下順 70:Bitter Poison
50:黒と白の境界 森近霖之助 76:GSK 最高経営責任者 (2009)
50:黒と白の境界 八雲紫 76:GSK 最高経営責任者 (2009)

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最終更新:2009年07月06日 00:44
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