Bitter Poison ◆Sftv3gSRvM
まずは、ある生き物の小話を。
毒蛇は、人間よりも遥かにサイズが小さく、一見すると生物として弱小の部類に括られる。
だが、窮鼠猫を噛むの言葉通り、追い詰められた彼らは一転して強力な毒を宿した牙を剥く。
怒りや悲しみ、敵愾心と言った原始の感情が物質化して、体内に毒素が発生するのだ。
それと同時に、感情が高まった蛇の血液中には、その毒素を中和する抗毒素が生まれる。
身を護るために発した武器に当てられて、自分が毒死したのでは本末転倒だからである。
逆に抗毒素だけを発生しても、相反した毒素がない場合は、却って毒作用となって宿主を蝕む。
生存本能を成り立たせる為の、自然なメカニズム。生命の神秘とも呼べる際どいバランス。
そして、それは毒を操る程度の能力を持つ妖怪である、『今の』メディスン・メランコリーも例外ではなかった。
―――無名の丘。
幻想郷縁起で評された、人間にとっての危険度は中程度。
丘の中には鈴蘭が群生していて、その花々は季節などお構いなしである事を主張するかのように辺り一面に咲き乱れ、白と緑の鮮やかなコントラストで彩られていた。
見る者を圧倒させる花鳥風月を眼前に収めたメディスンは、ホッ、と見るからに安堵の笑顔を浮かべた。
「スーさん、み~つけた!」
浮ついた声と共に、メディスンは畑目指して一直線に駆け出した。
目を覚ましたらどこか知らない家にいて、それだけならまだしもスーさんが傍にいないのが一番驚いた。
こんな事、生まれて初めてのことだったから、不安で心細くて仕方がなかった。
早くスーさんの所に帰ろう、と思ってたら、今度は怖い女の人に首を絞められた。
何もしていないのに、ただスーさんに会いたかっただけなのに、理由もなく突然襲われたのだ。
わからない事だらけで、怖くて苦しくて涙が出た。
スーさんと一緒だったら絶対あんな妖怪に負けたりしないけど、一人だとなんにも出来ない。
今日は本当に変な日だ。ここに向かう途中にも、知らない人の声が聞こえてきたりしたし。
早くスーさんと合流したい。一緒に居さえすれば、仏滅だってきっと大安にひっくり返る。
メディスンはそう信じて疑わなかった。
しかし、目的地に近づけば近づくほど、彼女の目から見て鈴蘭の様子がいつもと違う事に気付いた。
物心ついた頃から無名の丘を生きる場とする、メディスンにしかわからないくらいの微かな違和感。
目の前の鈴蘭はどうしてか、見慣れているそれよりも生気が薄いように思う。
まるで造花みたい、というよりも、花畑全体が作り物のように人工的なものに見えたのだ。
「今年のスーさんはちょっと元気がないかしら? でもそれって私がいなくて寂しかったからだよね?
私もスーさんと一緒だよ。一人ぼっちで本当に寂しかったの」
だが、そんな些細な小骨など、喉に詰まる前に飲み込んだメディスンは、彼女らしい前向きな解釈で自己完結した。
鈴蘭たちに元気を取り戻してもらう為、軽やかな音調でおまじない染みた呪文を口ずさむ。
「コンパロ、コンパロ、毒よ集まれー♪」
待ち焦がれたスーさんとの再会まで、手を伸ばせば届く距離。
早く花畑の上で寝そべって、スーさんにさっきの出来事を話しながら寝直したい。そして、イヤな思い出を忘れてしまいたい。
約束された安息の時まであと一歩。鈴蘭畑の目と鼻の先まで迫った瞬間。
喜色に満ち溢れていたはずのメディスンの顔が、不意に強張った。足も止まった。
「あ、あ……れ……?」
思わず小さな呟きが漏れた。汗ばんだ手を額にやる、少女の顔色は元々良くはない。
だが、今のメディスンの顔は青白いを通り越して、血の気の一切通わない乳白色に変わっていた。
吐き気がする。苦しい。急に眩暈がして立ち眩んだ。
そもそも肉体のベースが人形である自分が、吐き気を催すなんて事はありえないのに。
こんなにも気分が悪いのは生まれて初めてだった。
また新たに襲われた『嫌な初めて』にメディスンは動揺し、恐怖したが、あの時とは違い今はすぐ近くに誰よりも頼れる味方がいる。
(た、助けてスーさん! 何だか私の身体がヘンなの。おかしいの!)
突如重くなった足を必死に動かして、メディスンはフラフラ、と一番近い鈴蘭の元まで歩み寄る。
さらに眩暈が強くなった。最早立っていることさえままならず、少女はその場で尻餅をついた。
その拍子に、持っていた懐中電灯をぽろり、と落とす。
小刻みに震える空いた手を必死に伸ばした。白い花弁までほんのあと数センチの距離なのに、指先がどうしても届かない。
メディスンにとってその小さな溝は、掛け替えのない友人との確かな隔絶のように思えてならなかった。
「―――! ―――? ―――!?」
思考は回らず、言葉も発せない。体調の悪化と混乱がメディスンの意識を真白にしていた。
その中で浮かび上がるのは、断片的な疑問符。「なぜ?」や「どうして?」と言った主語のない自問自答が少女の頭を埋め尽くしていき。
「……うっ! うぇぇぇぇぇぇ!!」
それが飽和すると同時に、メディスンは口から胃液とも毒液ともつかない吐しゃ物を吐いた。
抱えきれない程のストレスを体外に排出するそれは、もしかしたら自身の心を守る為の防衛本能によるものなのかもしれない。
吐しゃ物と一緒に、少女の目元から大粒の涙がぽろぽろ、と零れた。
苦しいからなのか、それとも悲しいからなのか、その理由はメディスンにしかわからない。
「……なんで? なんでっ!? まさかこれって……スーさんのせい? 私たち友達じゃなかったの?」
スーさんに近づけば近づくほど、自分の身体が「苦しい」と悲鳴をあげている。
微かに香る大好きなスーさんの匂いを嗅ぐ度に視界が霞み、頭痛がひどくなる。
「こ、こんなのあんまりよ。私何か悪いコトした? 今まで、こんな事……一度もなかったじゃないっ!」
メディスンはこの事実を拒絶のサイン、と受け取るしかなかった。
「……認めない。こんなの夢に決まってる。スーさんが……私を拒むなんて……あっちゃ……いけない」
気を失いそうになる絶望の中、その頑なな意思だけがメディスンの意識を繋げる最後の砦だった。
朦朧とする意識を必死に繋ぎとめ、少女は這うように腕の力だけを使って前進する。
ありえない。いや、あってはいけない。
私はスーさんの毒によって生まれた妖怪だ。いわばスズランの化身。
毒は私にとって力であり、家族であり、命と同義であるはずなのに。
メディスン・メランコリーがスズランの毒に冒され、倒れるなど絶対にあってはならない。
「ありえないありえないありえないありえないありえ……ない」
呪詛のようなうわ言を繰り返し呟きながら、メディスンはひたすら利き手を伸ばす。
彼女はかつて鈴蘭畑に捨てられた、名もないただの人形だった。
だが、そのまま朽ちていくだけだったハズの身体は、鈴蘭の毒を浴び続ける事によって命を得た。
命を、魂を、生きる意味を与えてくれた存在が、今度はそれを情け容赦なく奪おうとする。
こんな理不尽、認めたら壊れる。心ばかりではなく、自分の存在意義が崩れ落ちてしまう。
スーさん、お願いだから元に戻って。今なら許してあげるから。冗談だったことにして笑うから。
「ス……さ……」
大切なものの名は最後まで呼ばれることなく。
心機能の低下により限界に達した、メディスンの意識はそこで途絶えた。その手に一輪の花を握り締めて。
何故、メディスンは鈴蘭の毒に当てられたのか。答えは、このゲームの主催者が握っている。
殺し合いの円滑化を理由に、参加者の身体には一種の細工が仕掛けられていた。
不死であったはずの者は死ぬことができ、強靭な肉体を持つ鬼や妖怪、神も人の手で作られた武器によって死んだ。
一言で纏めるなら、今の参加者たちの身体は種族に問わず『限りなく人間に近い』。
構造も、耐久力も、もしかしたらその思考パターンさえ。
そしてそれは、人形であるメディスンの身体にも当然施されている。
だが、彼女の能力は毒を操ること。
そもそも鈴蘭の毒を身体に通わせているのなら、免疫体だってその身に宿しているはず。
正鵠を射ている。本来なら能力の制限を受けようが、人間の身体になろうが、メディスンが鈴蘭の毒に倒れるはずなどない。
六十年周期の大結界異変が起こったあの日までは。
あの日、幻想郷は蘇生し、様々な花色と俄かに活気付く妖精たちで溢れかえった。
自然の力が爆発したかのような過去の異変。その恩恵を受けたメディスンもまた、かの異変における主役の一人だった。
立ちはだかる強敵たちと弾幕ごっこで勝負する。
戦い続けるうちに自信をつけたメディスンは、慣れ親しんだ丘を離れ、幽世まで足を運んだ。
そこで見つけたのは、鈴蘭以外の毒花。鈴蘭よりも強い毒性を持つ辺り一面の彼岸花だった。
お仲間との邂逅によって色めき立ったメディスンは、喜び勇んでその毒素を『吸収』した。
勿論それによって、彼女の毒はより強くなった。それこそ弱体化しているとはいえ、妖怪の賢者である八雲紫を追い詰める程に。
―――だが、同時に純粋だった鈴蘭の毒は、他の毒を混ぜた混合性の毒素に変化した。
毒素の変化は、即ち彼女の体質の変化を意味する。変質に合わせて、彼女の抗体も変わったのだ。
人形だった時には気付かなかった些細な変化。だが、人間の肉体になることで、彼女はその煽りをモロに受ける形となる。
冒頭でも述べたが、毒を持つ生物は例外なく、抗毒素というものを内包している。
自分で自分の首を絞めない為の自然な配慮。しかし、それはあくまで自分の持つ毒に合わせたもの。
毒の強い弱いは関係ない。種類が違うというだけで、それは猛毒を持つ蛇にとっても立派な害悪となる。
毒を以て毒を制す、とは言葉通りの意味ではない。そんな手段で克服出来るほど、毒というものは甘くないのだ。
鈴蘭畑に一人の少女が倒れている。
その肌色はすでに死人のもの。ぴくり、とも動かない身体は傍目から見れば、もう全てが終わった後のように見えるかもしれない。
だが、少女は死んでいなかった。恐らく何時間とここで横たわっていようが、今後死ぬこともないだろう。
鈴蘭の毒に元来、致死性はない。だからこそ危険度も中程度で留まっている。
何より、抑えられているとはいえ毒を操れる彼女の身体が、このまま死ぬ事を許すハズがない。
気を失うほど追い込まれたのも、体調の悪化というよりも精神的ショックによるものが大きい。
もう一つの理由が、鈴蘭畑に近づく前に言い放った彼女の能力による干渉。
『コンパロ、コンパロ、毒よ集まれー♪』
……皮肉にもこの言葉によって、鈴蘭の持つ有毒成分、コンバロシドの効力が高まってしまった事など、今のメディスンには知る由もない。
メディスンは再び目を覚ます。その時、彼女は一体何を思うのだろうか。
鈴蘭の花言葉。それは『幸せの再来』。
メディスンは再び目を覚ます。彼女が再び笑える日は、果たして来るのだろうか。
【D-7 無名の丘 一日目 朝】
【
メディスン・メランコリー】
[状態]若干の疲労 心機能の低下による意識不明
[装備]懐中電灯
[道具]支給品一式(懐中電灯抜き) ランダムアイテム1~3個
[思考・状況]気を失っているので、現在は不明
※主催者の説明を完全に聞き逃しています。
最終更新:2009年09月05日 02:34