黒と白の境界 ◆ZnsDLFmGsk
僕の選択は本当に正しかったんだろうか。
空を見上げる。
こんな異変の最中だというのに、とても澄み渡った憎々しい程の青空だった。
朝の日差しに隠れ、もう既に星の瞬きは失われていた。
まるで夜の中心であるかの様に誇り輝いていた月もまた同じ。
それ以上に強烈な光を放つ太陽の前では薄く姿を隠してしまう。
でも僕は知っている。
例え見えなくなっていても、太陽の光に紛れてしまっていても、それでも未だ星は瞬き月は輝いているんだと。
僕の選択は正しいのか。
僕は手帳に書いた一文を思い出していた。
正否なんてわからない。
けれどただ目指すべき答えがあるだけだ。
そう心の中で想い、僕は前を歩く彼女に追いつくべく足を速めた。
こうして、幻想郷に平和が戻りました。
【めでたしめでたし】
ふと、心地よい風が花の香りを運んできた。
きっと近くの太陽の畑からのものだろう。
そして、耳障りなノイズの音が響き第一放送が始まった。
【B-7 謎の家前・一日目 早朝】
【森近霖之助】
[状態]ちょっとした疲れ
[装備]SPAS12 装弾数(7/7)バードショット・バックショットの順に交互に入れてある
文々。新聞
[道具]支給品一式(筆記具抜き)、バードショット(8発)、バックショット(9発)
色々な煙草(12箱)、ライター、箱に詰められた色々な酒(29本)、手帳
[思考・状況]契約とコンピューターのため、紫についていく。
[備考]この異変自体について何か思うことがあるようです。
【八雲紫】
[状態]かなり疲労気味
[装備]なし
[道具]支給品一式、不明アイテム(0~2)武器は無かったと思われる、酒1本
[思考・状況]主催者をスキマ送りにして契約を果たす。
[備考]主催者に何かを感じているようです。
※手が爛れています(爛れの程度は不明)
※※今から1~2時間程前※※
一体どれだけの人が気付いているだろうか。
僕でさえ気付いたのはついさっきのことだった。
気付いて、そして驚愕した。
今現在僕らが巻き込まれている異変がこんなにも大規模なものだなんて。
こんなにも重大な事実に一体どれだけの人が気づいているだろうか。
前に11年蝉の謎を教えた事があったけれど、魔理沙も僕と同じようにこの恐ろしい事実に気付いているだろうか。
いや、きっと魔理沙は気付いていないだろう。
事実、蝉と中陰の関連性すら気付いていたか怪しいものだった。
恐らく今のこの段階で、既に主催者の意図に気付いているのは僕ぐらいのものだろう。
最初から僕は少し疑問に思っていたんだ。
今回の異変は明らかに皆を殺し合わせる事を主にしている。
だけど普通いきなり殺し合えと言われたのでは、例え妖怪でも戸惑い、きっと躊躇うだろう。
だからこその細工、パフォーマンス。
この首輪も力の制限も、そして最初に目の前で一人を殺して見せたのも、
恐らく全部が全部この異変に巻き込まれた皆の恐怖心や焦燥感、無力感を煽って最終的に殺し合わせる為のものだと思う。
これだけでも十分に卑劣で非人道的な行為だ。
けれど、人妖の心理を最大限利用するというのなら、僕はまだもう一手あるのではないかと踏んでいた。
そう、物事は飴と鞭。
言ってしまえば今述べたそれらの仕掛けは“鞭”なんだ。
だからもう一手、もう一つの仕掛けとして“飴”に該当する仕掛けがあるんじゃないかと常々考えていたんだ。
殺し合いに乗り、他者を殺し生き残ることで得られるメリット。
皆の理性を鈍らせ疑心暗鬼をばらまく為の仕掛け。
その飴に該当する仕掛けこそがこれだ。
語られず秘密にされたのはきっと、頭の悪い者よりも頭の良い者にこそ生き残って欲しいという主催者の意志の現れ。
手がかりは幾らもあったし、恐らく分かるものにだけ分かるように仕掛けられた巧妙な仕掛けなんだろう。
だとすれば色々な疑問が解消される。
戦う力のないあの九代目御阿礼の子……稗田阿求がこの異変に巻き込まれた理由も、力ではなく知識や知恵を買われたからではないか。
僕だってそうだ。 確かに戦うことに関しては素人だけど、知識と考察力に関しては妖怪の賢者達と比べても遜色ないものを持っていると自負している。
そして現に僕はその推察力、考察力でこの異変の意図……恐ろしい仕掛けに気付いてしまった。
そう、初めに違和感を感じたのは夜空を見上げた時だった。
まず星座が見あたらなかった。 星の配列が無茶苦茶だったんだ。
それどころか位置を知るのに重要な役割を果たす北極星すらも空にはなかった。
だからその時点で僕は、地図とコンパスの重要性に気付くと共にここが幻想郷でなく別の世界なのではないかと思った。
つまり、この異変を起こした主催者が創り上げた偽物の世界なんだと僕は考えていたんだ。
だけど、そうするとまた幾つか腑に落ちないことが生まれる。
ここが創られた世界だとするなら何故わざわざ幻想郷そっくりにしたんだろう。
世界を創り出せる程の実力者だ。 殺し合いをさせるならもっとそれに適した世界が創れるのではないか。
慣れ親しんだ場所で殺し合わせることで皆の心を揺さぶろうと言う策なのかとも思ったけれど、そこで僕は気付いてしまった。
これは一種の儀式で、ここは幻想郷の“見立て”なんだと。
“厭魅”という呪術を知っているだろうか。
蠱毒と並び“蠱毒厭魅”と恐れられた呪術である。
それは人型などの人形を憎い相手の見立てとして用い、
それを槌で叩いたり針で刺したりしてその相手を呪うという、
よく“丑の刻参り”とか“呪いの藁人形”などと呼ばれている呪術だ。
僕は今回の異変も厭魅の様な呪術の一環なのではないか、
つまり偽物の幻想郷で事を起こすことによって本物の幻想郷に影響を与えるという、主催者の目論見ではないかと推測したんだ。
また厭魅では、ただ相手に怨を送るだけでは効果が薄いとして、
“人を呪わば穴ふたつ”という言葉もあるように、術者が自らの身体を痛めつけ苦しめることで怨を増し、術を強めるという。
つまりこの場合は主催者である八意永琳、本人がこの殺し合いに参加し殺し合うことで、それを自身への苦痛とし術を強化しているんだろう。
そう考えれば、何故主催者自ら殺し合いに参加しているのかという疑問も解消される。
そして更に、この異変が呪術的なものであるという根拠は他にもある。
先程、厭魅と共に述べた蠱毒という呪術だが、この呪術の方式も今現在起こっている異変と奇妙に一致する。
蠱毒とは、ひとつの器の中に無数の虫を閉じこめ共食いをさせる呪術で、
その最後に生き残り、他の虫の生や怨念を引き継いだ最も強いものを“蠱”と呼び、
それを使役することによって相手を呪い殺したり、相手の財の才を盗んだり出来るという。
“器に閉じこめ共食いをさせる”
どうだろう、これこそ今まさに僕らが置かれている状況じゃないか。
しかもそれだけじゃない。
ここが呪術的な場だということを証明する事柄は他にもあった。
それがこの地図だ。
7×7マスの正方形、その中それぞれの場所に送られ配置された僕たち。
人妖の姓名や属性というものは数字に変換することが出来る。
その事を踏まえてこの地図を見ると、
この場、この世界は数秘術における魔方陣ではないかと考えられる。
つまりここは幻想郷の見立てであると同時に巨大な術式の中にある訳だ。
だけど魔方陣というものは八卦などもあるように3×3の9マスが基本だ。
しかしこの地図では7×7の49マスに分けられている。
それは何故か。
異変に巻き込まれた人数が多いためにマス目を増やしたかとも思ったが、
ここまでの全てに意味が込められていた事を考えると、この数字にもまた何か意味が隠されていると考える方が自然だろう。
7という数は数秘術では最も神秘的なものとされていて、唯一無二や盛衰など様々な意味を持つ。
即ちこの7×7という囲いは、この世界の結界が如何に強力で破りがたいかを現しているんだろう。
そうやって数字やそれが持つ意味に注目してみると、そこから更に奇妙な符号に気付く。
7×7の49マス。
これは、中陰の49日に当たり最も重要とされている大練忌こと“七七日”を意味しているのではないか。
中陰とは死者が新しい世界に蘇るまでの49日間のことであり、七七日とはまさに死者が新たな生を受ける日のことである。
もう、これだけ様々な事柄が一致する以上、この異変に呪術的な意味が込められているのは間違いないだろう。
ではここまで大がかりな仕掛けを作ってまで行いたい呪術とはなんなのか。
主催者の意図は何かと考えてみる。
幻想郷の見立て。
見立てに怨をかけることで本物へ影響を与える呪術である厭魅。
陰陽道に通じ風水などでも大きな意味を持つ魔方陣。
またその陰陽道において五行説へ通じる十二天将、朱雀や六合などの中心であり、また宇宙の中心ともされる北極星の不在。
更に、数秘術で唯一無二や盛衰を意味し、
中陰においても大切な区切りの数とされる7によって区切られ、
死とそこからの再生の日である大練忌を意味付けられたこの場、この世界。
そして何より、最も強いものを選ぶという蠱毒を摸して行われた多種多様な人妖による殺し合い。
ここからは根拠も確証もない、完全に僕の想像だ。
しかし僕が思うに恐らく、この異変を起こした主催者の目的は……
幻想郷における最高神である創造と破壊を司る龍神の座、その争奪戦なのではないか。
そう、つまりこの殺し合いに生き残った一人は新たな幻想郷の頂点、神となれるのだ。
それこそがこの異変の真意。
賢しいものにのみ分かる生き残りのメリット、“飴”の仕掛け。
これはもう、天(あめ)が下るどころの話では無い。
この異変でただ一人生き残れば、例えば僕だって天すら支配する神になれるということだ。
そう考えると僕はぞっとして、自らの考えを振り払う様に首を振った。
僕はなんてことを考えているんだろう、ついさっき彼女と幻想郷を平和にするという契約を立てたばっかりではないか。
そうだ、そういえば妖怪の賢者である紫もこの恐ろしい事実に気付いているんだろうか。
そう思い、目の前の彼女に尋ねようとした。
けれど、口を開き訪ねようとしたところで口元に人差し指を突き付けられた。
『さっきお静かにと言ったばかりでしょう?』
などと、彼女の顔からはそんな怒りに近い感情が読み取れる。
確かにこれは二度目の注意だ、怒気がこもるのも仕方ないかもしれない。
だけど僕は彼女にとてつもなく重要なことを訪ねようとしていたのだ。
何だかこれは出鼻を挫かれたようで何とも面白くない。
だから……いや、うん、だからという訳じゃあないけれど僕はこの事を彼女に尋ねるのは止めておこうと思った。
彼女に何か問題がある訳じゃない。
“天(あめ)が下る”のくだりで昔の嫌な勘違いを思い出した所為と言うのが一番の理由だろう。
僕は以前に香霖堂の周辺にだけ降った雨の異変を草薙の剣による天下統一の力だと勘違いしたことがあった。
あの時は口に出していなかったから良かったものの、自分の中で結構恥ずかしい思いをしたものだ。
あんな間違いを繰り返すのは嫌だ。
今回もまだ状況証拠だけで、推測が当たっているか怪しいものだし、
【コンピュータ】を使って僕の所に情報が集まるまで話さないことにしよう、とそう心に決めた。
「……と言うことなんですけれど、聞いていらっしゃいましたでしょうか」
気付けば、紫が何やら不機嫌そうな顔でぼそぼそとこっちに話しかけていた。
どうやら考えに夢中で彼女の話を聞き逃していたようだ。
けれどもう一度聞き返すのも癪なので色々な話で誤魔化そうかとも思ったが、
やはりこの場合はどう考えても僕が悪いので、敢えて誤魔化したりせず、ちゃんと謝った上でもう一度話して欲しいと彼女に伝えた。
すると僕の誠意が通じたのかそれ以上僕を咎めることはなく、半分呆れたような顔をしながらも話してくれた。
なんでも、前方の家の中に誰が居るのか確かめたいらしい。
そして、とりあえず自分が屋内に入って調べて来るから、
僕には念のために近くの茂みに隠れて、辺りを見張りながら待っていて欲しいと言う。
僕はその提案に頷いた。
中に敵かも知れない何者かが潜んでいるとしたらそれは確認しておくべきだし、
また万が一に備え、様子見として一人は残っておくべきだろう。
それで僕と紫、どちらが調べに行くべきかと言えばそこは男性と女性。
男である僕が行くべきだ……と言いたいけれど、やはり紫が適任だと思う。
紫ならば力のない僕と違って幻想郷屈指の大妖怪だし、戦おうと思う者は少ない筈だ。
それに、彼女ならば例え襲われたとしても大丈夫だろう。
僕はそう考えていた。
彼女を信頼し、そう思って安心していたんだ。
そうしてその事件は起きてしまった。
どちらが加害者で、どちらが被害者かも分からないその事件が……
僕は草陰に隠れ彼女が家の中に入っていくのを見ていた。
手にSPAS12を持ち、見張りとしての自分の役割を果たす為に。
本当は“彼女が襲われた時に助けに入る”という役割も僕にはあったのだろうけれど、
その時の僕には相手が誰であれ彼女ほどの大妖怪が苦戦する姿なんて想像出来なかった。
そして想像出来なかったが故に少しも考えていなかった。
※※※※
びくびくぱたぱた、小さなカラダをふるわせて。
ユメから覚めてもユメのなか。
きっとこわーいあくむのさなか。
いつだって一緒だったスーさんは目覚めたときからお留守のよう。
少女のきぼうは一枚の地図とひとつのコンパス。
それは少女とスーさんをつなぐみちしるべ。
わかってしまえば大あんしん。
わかってそれでもとっても不安。
だって、あくむは少女をこまらせ続けるのです。
がたがた、がたり。
それは、家のどこからか聞こえてきた物音。
スーさんがいなくてふるふる不安なメディスンちゃん。
せっかくのあんしんもすぐにこわいこわーいしてしまいます。
びくびくぱたぱた、どうやら物音はげんかんの方から聞こえるみたいです。
げんかんは家をでるときにつかう場所ですから、これはもうにげるワケにはいきません。
けれど、にげちゃいけないと、そう思えば思うほどココロのなかのこわーいがゆうきやあんしんをおい出そうとあばれるのです。
けど、それじゃだめだがんばれと少女は、もういちど懐中電灯をつけてまわりを見わたしました。
きらきらと、ちいさな少女のあんしんがあたりをつつむ。
みえなくてもずっとソバにいるのです。
だいじょうぶ、スーさんとわたしの絆がまもってくれる。
そうつよくつよくココロのなかでつぶやくと、こわーいはひゅるりとどこかへきえてゆきました。
やっぱりスーさんの愛が少女をまもってくれているのです。
さあ、それならメディスンちゃん。
こわいけど、それでもこわくなんてありません。
ずんずんと音の聞こえるげんかんへ近づいていきます。
愛しのスーさんと出会うためなら、こわいも不安もへっちゃらちっくです。
そうしてギロリ。
げんかん先で少女はこわいこわーいようかいと出会いました。
ようかいは地面にからだを横たわらせ、少女をおそろしい顔でにらみつけています。
これはいくらなんでもあくむです。 こわすぎます。
けれどやっぱりにげるワケにはいきません。
ゆうきをふりしぼったメディスンちゃん。
さあ、メディスンちゃんのたたかいのはじまりです。
※※※※
僕には最初、何が起こったのかわからなかった。
紫が家の中に入ってそれほど時間は経過していなかった。
相手が隠れ潜んでいるとすれば、いくら彼女でもまだ見つけられるような時間じゃない。
そう考え、僕はその時、家の方ではなく周囲を警戒することにだけ思考を割いていた。
そんな中、しかし突然に家の中からがたがたと大きな物音が響いた。
見てみれば玄関の前で苦しそうに紫が這い蹲っていた。
あの物音から察するに、恐らく椅子も何もかもを蹴り飛ばして必死に外へ出てきたのだろう。
息が苦しいのかヒィヒィと肩で呼吸をしているのがここからでも分かった。
妖怪の賢者、八雲紫。
幻想郷を裏で牛耳っているとさえ言われる妖怪の中の妖怪、八雲紫。
いつだって余裕たっぷりで大物としての貫禄を感じさせる彼女。
そのあんまりな姿に僕は自分の眼を、そこに映った世界を疑った。
家から出て、少しだけど正しい呼吸を取り戻した彼女は、覚束無い視線を僕に向け、
未だ掠れた声を張り上げて、必死の形相で“毒”のことを伝えてきた。
それは本当に、酷いくらい必死な顔だった。
そういえばあの大妖怪、八雲紫はいったいどこに居るのだろう。
はは……馬鹿だな僕は、彼女はついさっき家の中に入ったばかりじゃないか。
ああ、それにしても何でこんなに世界が遠いのだろう。
あんなにも近くで、けれどこんなにも叫び声が遠くに聞こえる。
ここは本当にどこなんだろう。
毒だって? そんなに何度も叫ばなくても分かっているよ。
大丈夫さ、彼女ほどの大妖怪がそんなものに負けるなんて思えない。
そうさ、彼女はいつだって自信に満ち溢れていた。
真の力や実力はいつもその余裕の笑みの裏側に潜んでいて僕には窺い知ることすら出来ないんだ。
だから彼女の本気がどれ程かなんて僕には想像も出来ない。
だって僕が憧れ続けた外の世界だって、彼女にとってはただの“隣り”に過ぎないんだ。
そう、八雲紫は本当にすごい妖怪なんだ。
叫び、そして目の前の彼女は咳き込む。
あんまりな落差、酷いギャップだ。
思わず大丈夫なのかと心配してしまう。
きっと過ぎた心配だろう。
僕は未だ動けない。
そしてその時、僕から見てちょうど紫の後ろ、玄関口の所に一人の少女が現れた。
恐らくこの毒をばらまいた張本人だろう。
紫もそれに気付くと大きく振り返り、目の前の少女を睨み付ける。
今にも相手を射殺しかねない程に鋭い眼光。
僕が今まで彼女に抱いていたイメージとは全く違った、憎しみに満ち悔しさを孕んだ表情。
振り返る途中の彼女の表情は凄いものだった。
自分を殺しかけた相手がのこのこと目の前に現れたのだ、感情を抑えろというのは無理な話だ。
少女の首もと目掛けて紫の両腕が伸びる。
“自分を殺しかけた相手”
ああそうか……彼女は死にかけたんだ。
――私だってちゃんと皆のように死ぬのよ。
そうだ、彼女だって死んでしまうんだ。
そうして僕の中の理想と現実の境界が埋まった。
埋まってしまった。
――皆様には、殺し合いを行っていただきます。
そうだ、僕らは殺し合いをしているんだ。
急にぞわりと震えが走る。
脊髄を捕まれて冷や水の中に連れ戻されたような。
そして、連れ戻された以上こっちが僕にとって本当の現実なんだ。
その時ようやく知識だけでなく感情が現実に追いついた。
天(あめ)が下るなんて言うそんな馬鹿げた話じゃない。
僕らは今、紛れもなく殺し合いの中にいるんだと。
“わかっていた”なんて言うには僕も彼女も格好悪い姿を見せすぎただろうか。
目の前で紫が少女の首に両腕をかけ、そしてそのまま力任せに強く絞めてゆく。
居ても立ってもいられず僕は草陰から飛び出す。
少女は怯えた表情をしていた。
ひょっとすれば少女にこちらを襲う意図はなかったのかも知れない。
そう、それは不慮の事故だったのかもしれない。
僕は二人の元へ走った。
遅すぎた走り出しだと自分でも思う。
慌てすぎた所為か足がもつれ、しっかり走れもしない。
けれど僕は止めなくてはいけないんだ。
どちらにも悪意なんて無かったのだから。
だけどやっぱり走り出すのが遅すぎたんだと思う。
僕はそれを止めることは出来なかった。
ぐちゃぐちゃな頭のなかで沢山の原因が浮かぶ。
咄嗟の出来事に“どっちを止めるべきなのか”と僕は迷ってしまった。
それは致命的な時間のロス。
間に入ったら危ないのではないかと“紫のことを”恐れ、自分の身を案じてしまった。
それもまた致命的な空白。
だから結局“僕は”二人を止めることは出来なかった。
――私が愛する幻想郷で
そう、止めたのは僕じゃない。
八雲紫、彼女自身がすんでの所で我に返り手を離したのだ。
二人ともぜぃぜぃと荒い呼吸を零していた。
そして二人とも生きていた。
そんな当たり前のことで僕は涙が出そうだった。
八雲紫の突然の行為。
弁解することは出来る。
それが誰に対する弁解なのかは分からないけれど……
彼女がそんな行動を取った理由が僕には十分に理解できる。
そしてそれはきっと彼女とこの少女の間だけの話じゃない。
僕らの力は酷く制限されていた。
僕は大妖怪である八雲紫ならば大丈夫だとそう考え、強く頼りにしていた。
プレッシャーだったと思う。
大妖怪だから大丈夫……なのではない、それは逆だったのだ。
いつだって息をするように簡単に出せたスキマがどんなに頑張っても出せない。
いつもなら一瞬で行き来できた距離を空を飛ぶことすらも出来ずに歩く。
力を削がれ能力を押さえ込まれた身体で一歩一歩、今まで感じることのなかった疲労を貯め込みながら。
それでも愛する幻想郷の危機だからと彼女は精一杯頑張っていたんじゃないだろうか。
あくまでも大妖怪“八雲紫”として。
余裕の笑みに隠された彼女の感情は僕にはわからなかった。
――でも、まだいけないのです。
私が居なくても幻想郷を維持できるようになるまで、私は生きなくてはならないのだから
けれど思い返せば彼女の言葉には畏れや焦りの色が浮かんでいたように思う。
焦燥感、無力感、そして恐怖。
大妖怪だった所から突然にただの人間と同然にまで力を落とされたのだ。
元が強大な妖怪であった分、その落差も凄かっただろう。
使命感と板挟みの状態でどれだけ彼女は悩んだかわからない。
それでも彼女は僕の前では大妖怪の八雲紫を崩すことなく“やるべきこと”の為に動いていた。
どうして気付いてあげられなかったんだろう。
いつか無理が来るに決まっているのだ。
死への恐怖、愛する者が今にも殺し合っているかも知れないという焦り、悲しみ。
易々と抑えられるような感情ではない。
きっとこの場を作った主催者へ憎しみをぶつけることでそれを清算していたんだろう。
だけど、この家でとうとう崩れてしまった。
死にかけるという経験。
そう、大妖怪である自身の命すら、この場では容易く奪われ得る物なのだという実感。
彼女ほどの妖怪だ、きっと初めての感情だったに違いない。
あんまりな理不尽。
どうして自分がこんなことに、と考えたのではないか。
いや、それよりもきっと彼女のことだ、自身の命よりも他の者のことを考えていたに違いない。
強力な妖怪である自身の命がこんなにも容易く奪われかけているのだ。
霊夢は? 魔理沙は? 式神たちは?
彼女よりも弱い妖怪なんてこの幻想郷には幾らでも居る。
皆が今も殺し合い、死にかけているかも知れないのだ。
自身の命が危ぶまれているだけあってその想像はリアルだったに違いない。
そんな彼女の前に、神経を逆撫でするようにのうのうと、自身を殺そうとした張本人が現れたのだ。
その時の彼女の怒りがどれ程だったかはあの時の彼女の表情が物語っている。
強いその愛情の分だけ想いは裏返り、憎しみへと変わっただろう。
そう、それは見た通り、相手を殺そうとする程の憎しみだ。
毒で朦朧とした意識の中でのことだ、咄嗟のことだったに違いない。
ひょっとすれば自分が誰を殺そうとしているのかも分かっていなかったかも知れない。
とにかく愛すべき幻想郷を脅かすものを、殺し合いなんていう馬鹿げた現実を、自身の身に襲い掛かる死を、不安を恐怖を……
きっと、彼女の前から平和な幻想郷を奪い去った全ての理不尽を彼女は殺そうとしたんだろう。
そこに悪意なんて微塵も無かったに違いない。
だって、すんでの所とはいえ彼女は少女を逃がしたんだ。
幻想郷を、皆を愛していなければ自らを殺そうとした相手を逃がす訳がないだろう。
だからきっと彼女は、ただ必死に幻想郷を守ろうとしただけなんだ。
例え、実際に彼女が取っていた行為がそれとは正反対のものだったとしても、
僕から見て、ただ怯えた少女を絞め殺そうとしている様に見えていたとしても。
その時彼女は……八雲紫は間違いなく幻想郷を守っていたのだ。
怯えた少女が泣きそうな顔で僕の隣を駆け抜けて行った。
本当に怯えた顔で、恐がりながら必死に……
そして少女が通り過ぎる時。
僕は少々の息苦しさと共に少女の身体から何かが漏れていることに気付いた。
それは毒の粒子だった。
少女は毒の粒子を振りまきながら走っている、走っていた。
呼び止めようと何度も叫んだけれど聞く耳を持たない。
ああ、当然だろう、今の少女にとって僕たちは紛れもない恐怖の対象だ。
このまま少女はあちらこちらに毒を振りまいて行くのだろうか。
そうしてこれからも、この紫のように苦しむ妖怪を増やしていくのだろうか。
追いかけるべきか迷った。
けれど紫はまだ万全じゃない、彼女をここに残しては行けない。
ではどうすれば。
可笑しな話だけど、僕はそこではじめて自分が持っているソレが銃であることを思い出したんだ。
“SPAS12”僕の手からそれの用途が伝わってくる。
それは身を守る為のモノ、命を殺すためのモノ。
震える手で銃先を走り去る少女に向ける。
そうだ、ひょっとしたらあの少女は僕らに襲われたと皆に伝えるかも知れない。
そしたら皆に僕らが殺し合いに乗っていると誤解されてしまう。
事実として少女を襲っている以上、きっと弁解も難しいだろう。
もしかしたら危険な二人だとして皆から襲われるかも知れない。
霊夢や魔理沙と……
ああ、そんなのは嫌だ。 幻想郷の皆と殺し合いなんかしたくない。
そうだこれは彼女が毒を広めるのを防ぐ為だ、皆の安全を守るためなんだ。
だから、だから僕は……
銃を強く握りしめ、僕は引き金に指をかけた。
そして……
そして、そこで僕は動けなくなった。
僕らは殺し合いをしているんじゃない。
走り去り、少女の背中は見えなくなってしまった。
さっきまでずっと頭の中にこの銃の用途が浮かんでいたのに、
今では何故かちっとも伝わってこなくなっていた。
能力が無くなってしまったかと思ったけれど、考えてみれば僕の能力だって制限がかかっていたんだった。
かなり集中しなければ物の用途はわからなかったし、きっと先程の用途は僕の妄想か何かだったんだろう。
こいつは、この手の中の銃は多分ただの棒っ切れだ。
あくまで身を守る為の物だ。
ひとつ大きく息を吐いて、僕は紫の方を見た。
様態はだいぶ安定していたけど、動揺の所為かまだ息が荒かった。
大丈夫かと声をかけようとしたけれど、先程の紫の恐ろしい形相がフラッシュバックして咄嗟に声が出なかった。
これじゃあいけない、僕は紫と協力して平和な幻想郷を取り戻すんだ。
恐れを振り払い声をかける。
すると、何とか呼吸を落ち着けた彼女がこちらを見てただ一言、
『大丈夫よ』と答えた。
いつも通り、余裕たっぷりの微笑を携えて。
お互い声はふるえていたと思う。
そしてよく見ると、彼女の手は毒で少々爛れていた。
そこで僕はふと、彼女が少女から手を離したのは本当に善意からだろうか、
もしかしたら手が爛れて力が抜けただけなのでは、と恐ろしいことを考えてしまった。
すぐにその考えを吹き飛ばす。
今さっき協力して幻想郷を守ると決めたばかりじゃないか。
少女を逃がしたのは彼女の優しさ、善意からの物に決まっている。
もしも彼女の心が読めたなら、きっと簡単にその答えを知ることが出来たのだろう。
けれど僕は彼女ではない、僕に彼女の心は分からない、それは無理な話だ。
なにより僕は今彼女の心を、答えを知りたくないと思った。
そして、それが僕の答えだった。
本当の答えを知るのが怖かった……訳じゃない。
そういう訳じゃ無かったと思う。
不安がないなんて言うのは嘘だけど、本当に彼女を信用していない訳じゃあないんだ。
ただきっと、僕は自分なりの答えを信じているだけなんだ。
僕はいつだって物事の答えは自分で考えてきた。
だから今回も答えなんて教えてもらいたくない。
手帳に一文を記したとき、僕はいつものように自分で考えて、そして彼女を信頼すると決めた。
彼女と力を合わせてこの異変を解決すると決めたんだ。
――こうして、幻想郷に平和が戻りました。
だからもう、彼女に対して本当だとか答えなんてものは要らないんだ。
そしてこれからも、きっと僕はどこまでも幻想郷の皆を信じるんだと思う。
※※※※
こわーいようかいたちから、なんとかにげのびて、
少女はとってもよろこびました。
愛しのスーさんのところまであとちょっとです。
少女は思いました。
空はきれいだし、草木はおひさまを受けてきらきらイキイキしている。
これでこのこわいこわーいだったあくむもおわりなんだと。
ヒトリぽっちじゃなくなって、
そして、とにかくうーんとあんしんなんだと。
そう少女はよろこび、はねる様に歩をすすめ……
にこやかにわらったのです。
そして、第一放送がはじまりました。
【C-7 無名の丘付近・一日目 早朝】
【
メディスン・メランコリー】
[状態]若干の疲労
[装備]懐中電灯
[道具]支給品一式(懐中電灯抜き) ランダムアイテム1~3個
[思考・状況]無名の丘を目指しスーさんに会いにいく
※主催者の説明を完全に聞き逃しています。
最終更新:2009年09月28日 00:45