覚めない魔女の夢 ◆Ok1sMSayUQ
フランドール・スカーレットは夜明けを知らない。
そもそも夜が明ける前に眠ってしまうことが多かったし、紅魔館から出してもらえる機会すら滅多にないのだ。
空が黄金色に輝き、払暁の光が波紋を広げていく。
自分の髪と同じ色をした太陽の光は天敵ではあったが、忌むべき存在だとは思えなかった。
少なくとも、フラン自身にはそう思えた。寧ろ感動してさえいる。あまりにも草原に広がる風景が、綺麗だったから。
今傘を手放し、光の中に自分を置いたらどうなるだろうかと想像する。
知識として、日の光に当たれば煙となって消えてしまうのだとは知っている。
その一方で傘を取り払い、身をさらけ出してみたいと考えている自分もいる。
手を大きく広げ、漂う清浄な空気を胸いっぱいに吸い込めたらどんなに気持ちがいいだろう。
人間だったら良かったのに、と思う。人間だったらこの願いは成就されただろうに。
お姉様が怒りそうだ。クスリと笑うフランの顔には半ば諦めを含んだものがあった。
姉と違って自分は吸血鬼であることに自尊心も誇りも持っていない。それよりも色々なことが知りたかった。
知ることの面白さを知ったのは例の事件が解決して以来だ。
正確な理由は教えてくれなかったが、姉の
レミリア・スカーレットは館内部においてのみ自由に出歩くことを許してくれた。
それまで地下室の世界しか知らなかったのが一変して、物が満ち溢れる場所を歩くことが出来るようになったのだ。
とはいっても当初は色々と問題を起こした。
物をよく壊しもしたし、妖精メイドに一方的に弾幕ごっこを仕掛けて滅多打ちにしたこともある。
今から考えれば、自分は壊すことしか知らなかったのだと思う。
破壊の力を宿した手のひらを眺めながらフランは苦笑する。昔はこれが自分の全てだった。
閉じ込められた場所で、唯一自由にできたもの。それは壊す以外の用法を持たぬ力だ。
だから壊した。壊せるものは全部壊した。それがどんな結果を生み出すのかなんて考えたこともなかった。
しかし咎めてくれた人たちがいる。紅魔館の住人たちだった。
本を壊せばもう読めなくなると教えてくれたのは
パチュリー・ノーレッジだ。
困る人がいる。本は皆で使うものなのだとパチュリーは言った。
物は一人だけのものではないのだということを知った。
花壇を壊したら花が見られなくなると言ったのは紅美鈴だ。
バラバラになった花は種を作ることも二度と花を咲かせることもないのだと言った。
直すことのできない物があると知った。
無闇に誰かを傷つけてはいけないと叱ったのは十六夜咲夜だ。
理由もなく暴力を振るうと嫌われると言った。ただし悪いことをしているなら話は別だとも言って笑った。
フランは初めて善悪というものの存在を知った。
そして、家族というものを再認識させてくれたのは姉のレミリアだ。
ある夜。珍しくレミリアが外に出してくれた。外は満月で、雲ひとつない夜だったのを覚えている。
紅魔館の屋根に二人して腰掛けて、短いながらも色々なことを話していた。
食べたいものはあるか。行ってみたいところはあるか。質問攻めだった。
一方的に聞いてきたレミリアは一通りの答えを聞くと「そう」と言って戻っていってしまった。
その時はあんまり面白くないと思っていたが、次の日から自分の食事に『食べたいもの』が混ざっていた。
レミリアはそ知らぬ顔だった。何を考えていたのかは推し量れなかったが、フランは喜ばしかった。
あの日初めて自分はレミリアと血が繋がっていることを認識したのだと思う。
そして他の妖怪達とも繋がりがあることを。
壊すだけの毎日は終わりを告げた。それ以外にもこの世界にはもっともっとたくさんのことがあるのだと知った。
知っていく度に、隔絶されていた自分を縛る鎖がひとつひとつ壊れていくように感じた。
自分のあらゆるものを壊す程度の能力でさえ壊せなかった因果な鎖を。
きっと今でも自分は気が触れているのには違いない。他者から見ればきっとそうなのだろう。
あまりにも自分は、何も知らなさ過ぎる。道理という言葉すら知らなかった自分は、
感情の在り処さえ知らない自分は、恐らくは狂っていると定義されるに十分なのだろう。
『これは遊びなんかじゃない。“殺し合い”なの』
『あなたはそれを理解してない。でもね、理解しなくちゃいけないの』
これは遊びなのだと思っていた。
殺し合いという言葉の意味が分からなかった。
ただ全員を倒せばいいらしいということだけは理解できた。
つまりそれは、ゲームでしかなく、ちょっと怪我をする可能性が増えた遊びなのだと。
その程度にしか考えていなかったし、その先を考えようともしなかった。
ゲームという言葉の意味と照らし合わせ、ただその通りにしか行動しようとしなかった自分は、きっと気が触れている。
だからまともになってやろうと思う。一応は吸血鬼なのだから、それらしく振る舞える程度にはなってやろうとは思う。
誇り高き吸血鬼、レミリア・スカーレットの妹として。
先程人間になれたらいいのにと考えていた自分もいることにはいるが。これくらいの自由はあってもいいだろう。
ああ、だから、結局自分はまともにはなりきれないのかもしれない。
そう結論して、フランはスターサファイアの首根っこを持ち上げた。
「な、な、なに?」
「太陽の光を浴びて、思いっきり両手を広げて、深呼吸しなさい。いいわね?」
「え、う、うん……」
どういう意図なのか量りかねる調子でスターサファイアは日傘から出て行き、指示された通りに深呼吸する。
すぅ、はぁ、という呼吸の音が風に乗ってフランの耳に届く。
生きている。そんなことを思う。
「どんな気分?」
「すっごく気持ちがいいわよ。フランもやってみ……」
そこでスターサファイアは口をつぐんだ。
流石の妖精も失言に気付いたらしく、申し訳なさそうな表情を浮かべる。
フランはただ苦笑した。
「そう。やっぱり気持ちがいいのね」
それだけ分かれば十分だった。夜明けを気持ちがいいものだと確認出来ただけで、またひとつ鎖は外れた。
だがまだ悪いと思っているのかスターサファイアは何かを言おうとしたが、言葉は唐突な声に遮られる。
『皆様、ご機嫌いかがでしょうか? 殺し合いの遊戯は楽しんでいらっしゃるでしょうか』
先程聞いた、『主催者』の声だった。
* * *
自分の体をぺたぺたと触ってみる。
どこもおかしくはない。ちょっとばかし胸の感触が薄いのにはほんのちょっぴり絶望を覚えるが、
内奥を駆け巡る違和感はそんなものの比ではない。
傷が完璧に塞がっている。どこの冗談だろう、これは。
あまりにおかしすぎて一晩中笑いたくなってしまうくらいに現実感を欠いていた。
「そっか。化け物の仲間入りをしたのか、私は」
突いて出た言葉はあっけらかんとしていた。そうだろう。この体は、霧雨魔理沙のものではない。
霧雨魔理沙のかたちをしたなにかだ。
魔法使いとは悲しいものだと思う。事象を知識と照らし合わせ、合致するものがあればいとも容易く受け入れる。
この化け物の体を、自分は知っている。永遠亭のお姫様と竹林の自称健康マニアという実例がいるからだ。
思うのは、今考えているこの頭は、果たして化け物なのかどうかということだ。
人間だよな、と尋ねた言葉の意味はそういうことだった。
心も体も化け物になってしまったのか、それとも頭だけはまともなのか。
こうして冷静でいられること自体が怪物の証明とも言えるし、或いは事実を他人事のように思っているだけなのかもしれない。
隣に立っている八雲藍は僅かに目を伏せ、虚空を見つめている。
命を救った恩人なんだからもっと堂々としていればいいだろうに。やはり他人事のように、そう思う。
生きているという実感もなければ死に掛けたという実感もない。
それでも思うことがあった。
まだ自分は、博麗霊夢を止められる。たとえ人間ではなくなったとしても霊夢を止め、
皆でこの悪夢から脱出するという目標を捨てずにいられる。
化け物になる代わりにもう一度神様はチャンスをくれたのだ。
「しっかりしろよ、八雲の式。これでも私は嬉しいんだぜ?」
生きている事実ではなく、まだ霊夢を止められるという事実についてではあったが、嘘じゃない。
だから魔理沙はニッと笑うことが出来た。それでようやく藍も微かな笑みを浮かべた。
人の理を乗り越えさせてしまったことにまだ負い目を感じているようだったが、それでよしと思うことにする。
終わりよければ全てよしが霧雨魔理沙の信条なのだ。
「さてと! 湿っぽい話はここまでにして、どうして私を助けたのか聞かせてもらおうか。今さらだけどな」
ぽんと藍の肩に手を置き、森を出ようと伝えて歩き出す。
森を出ようと思ったのは単純明快。さっき酷い目にあったからだ。
頷いた藍に、魔理沙は真剣な表情を差し向ける。
それなりの理由と打算があって自分を助けたのは間違いない。
まさか妖怪の式が好き好んで人助けなんてするわけがないだろう。
だとするなら、妥当な線は自分を仲間に引き入れるためというところだろうか。
これでも魔理沙は数々の異変を解決してきたやり手であるし、人間にしては(今となっては元人間だが)強い。
知識を買ったのか実力を買ったのか。大した自信だなと己に苦笑しつつ、魔理沙は藍の言葉を待つ。
「……簡単に言えば、お前の力を借りたかったからだ」
そらきた。頭の冴えはそれほど変わってはいないということらしい。
へえ、それで、と先を促す。力を借りるとは言うが、どういう方面なのかにもよる。
殺しをしろなんて言われるのは真っ平御免だった。とはいっても境界の妖怪の式に勝てるかどうかは正直不安ではあるが。
化け物の体とはいえ一筋縄ではいかないだろう。
ましてや、これまで自分の身を守ってくれていたスペルカード
ルールが通用しないこの状況では。
「霧雨魔理沙、お前にはこの殺し合いを潰すために動いてもらいたい」
「おいおい、そんなこと言って大丈夫なのか」
とんとん、と首輪を指す。爆破されるのを恐れているわけではない。
逆らおうとしていることを知られてもいい覚悟があるのかと聞きたかった。
当初から殺し合いに逆らっていた自分が死んでいない事実を鑑みるに、
とりあえずは主義主張は言うだけなら言わせてくれるらしい。随分とまあ寛容な主催者さんであることで。
自らの皮肉めいた思考も冴えを取り戻してきているようで、何故か魔理沙は安心感を覚えた。
「だったら、私も既に殺されている。危機が及ばない限りはこちらに手出しをしてくるということはない。
八意永琳はそう思っている」
そりゃ違う、と言いかけて魔理沙は口を閉じた。
そういえば永琳が主催者じゃないのを知っているのは(たぶん、今のところ)自分だけなのだ。
言うべきかどうか迷う。本当の主催は別にいる、と。
だが説得できる材料がない。具体的な証拠はなにひとつとしてないのだ。
大体自分が永琳を主催ではないと思っているのだって、
あの尋常ではない霊夢の姿を見たから、なんて曖昧な理由であるわけで。
こうしてみると随分と主観に偏ったものの見かたをしてきたのだなと魔理沙は内心嘆息した。魔法使い失格だ。
かといってずっと永琳のことを話さないわけにもいかない。一応は情報交換の約束はしている。
主催に目を付けられた永琳ならでは得られる情報もあるのかもしれず、この機会は逃したくないのも事実だった。
一番いいのは永琳と再会する時間に限り自分が単独で行動できることなのだが……そう都合よくはいきそうもない。
はてさてどうしたものか。とはいえ、時間はまだあるのだからじっくりと考えればいいと断じて、
魔理沙は当面、永琳と、ついでに霊夢のことは黙っておくことにしたのだった。
「まあ、そうなんだろうな。ルールに厳しすぎるのも考え物だからな」
「話を戻そう。お前に頼みたいのは八意永琳を探し出すか、
または紫様や博麗霊夢などの頭のいい方々を集めてもらいたいということだ」
二人とは既に会ってるんだけどな。案外自分は重要な情報源と化しているのかもしれない。
そんなことを思いつつ、さもありなんという風に魔理沙は頷く。
「なるほど。私をメッセンジャーに使おうってか。まあ確かに私のモットーはスピードとパワーだからな」
「……できれば、橙も探してもらいたいけど」
「あいよ、一名追加。で、藍はどうするんだ」
「私は人ではなく、この場所そのものについて探ろうと思う」
場所、と鸚鵡返しに聞き返す。藍は頷いた。
「思うに、ここは幻想郷ではない可能性もある」
「おいおい、どう考えてもここは幻想郷だろ」
「だったら幻想郷にいる大量の人間や妖怪はどうした。ここに来るまでにも思ったが、あまりにも誰もいなさ過ぎるんだ。
妖精や動物ですら見かけない。いるのは私たちだけなんだよ」
む、と魔理沙は唸る。そういえば今まで霊夢のことばかり頭にかけていてここの風景を全然観察していなかった。
今歩いている魔法の森も昆虫や動物の気配が皆目掴めない。
確かにこれは異常だ。いくらなんでも参加者以外の生き物全てを神隠ししてしまうとは紫でさえ難しいだろう。
「永遠亭にも行ってみたが、妖怪兎は一匹もいなかった。不思議だろう? あれだけの数はどこに行ったんだ?」
「全部兎鍋にされた……ってことはないな、うん」
軽口を叩きながらも魔理沙は頭を働かせる。となるとここは全く別の土地なのだろうか。
だが幻想郷以外に妖怪が住んでいる土地など聞いたこともない。知らないだけで……ということも考えられなくはないが、
引っかかるのは幻想郷と瓜二つということ。偶然なんてことは有り得ない。
咄嗟に『作られた土地』というのが頭に浮かんだ。ここは殺し合いのためだけに作られた場所なのではないか。
だとすると少なくとも真の主催者は八坂神奈子と同様、『乾を創造する程度の能力』を持っていることになる。
ああ、いや、もうひとつ追加だ。『霊夢をおかしくさせる程度の能力』、これだな。
どうやら想像以上にこの異変は解決するのが難しそうだと思い、魔理沙は道が果てしなく遠くなっていくのを感じた。
「ともかく、ここがどこで、どんな仕掛けがあるのか調べないことにはどうしようもない。
下手をすると幻想郷に帰れないかもしれないからな」
「そりゃ怖いな」
おどけてみるが、冗談ではない話だ。こんな場所に閉じ込められるなんて寂しくてたまらない。
いつものように犯人を叩きのめすだけではダメなのだ。
そう考えると、あれほど大騒ぎしてきた事件も所詮は幻想郷の中での出来事に過ぎないのだという認識が頭の中で渦を巻き、
狭い世界で生きていることを実感させる。そしてそんな世界でさえ、維持するのが精一杯でしかない。
のほほんとしているが、幻想郷は危ういバランスの元に成り立っているのかもしれないと魔理沙は思った。
「……だったら、本当の幻想郷は今どうなってるんだろうな」
「さあね。……ただ、大騒ぎには違いないだろう。何せ博麗の巫女と紫様、冥界のお嬢様や地獄の閻魔様ですら忽然と消えたのだからな」
「上へ下への大騒ぎ、か。でも危機感は抱いちゃいないんだろうな」
往々にして幻想郷の住民は楽観主義的なところがある。現に魔理沙だってそうだ。
自分が異変を解決できなくてもきっと誰かが(主に霊夢が)なんとかしてくれる。その程度の気分しか持っていなかった。
ましてや事件に携わらない連中はもっとその意識が強いはずだ。おかしいけれど、まあ何とかなるだろうという危機感のなさ。
だがそんなことに失望しても仕方がないし、だからこそ自分達が動かなければならない。
もっとも、今度ばかりは解決に失敗すれば洒落にならない結末が待っているのだが。
「とにかく、藍の意向は分かったよ。で、私はどうすればいい?」
「やけに私を信じてくれるじゃないか」
「助けてもらったからな。こう見えても私は人情に厚いんだ」
式相手だから性格には『人情』ではないが、この際気にしない。
細かいことには拘らないのが霧雨魔理沙の流儀だ。
「なら遠慮なく。私はこれから人間の里と思しきところに向かう。
ここが偽物の幻想郷なのか見極めたい。そこまでは、私の護衛をしてくれないか」
「了解だ。……そういや、向こうの方で火事かなんかがなかったっけ?」
「ああ……残念だが、竹林の方で火事があってな。派手にやりあったらしい。二人ほど死んでいた」
なるほど、と一言応じて軽く黙祷を捧げる。ひょっとしたら、霊夢が手にかけたかもしれないからだ。
霊夢の殺しを半ば許容しているくせに、そんな思いもあったが、
だからといって簡単に割り切れるほど魔理沙は冷淡にはなれない。
人間の辛いところだった。化け物になれればいいのに。そんなことさえ考えるくらいに苦悩している。
「だったらどうにしても私はフリーなわけか。あっちに行ってみようと思ってたからな……お、誰かいるぞ」
森の出口は広い平原だった。というよりは、自然に元来た場所に戻ってきたというべきか。
タイミングがいいのか悪いのか、そこには目立つ日傘を差した人影があった。
影は二つ。うちひとつは妖精らしかった。もうひとつには見覚えがある。
「フランじゃないか。あんなところにいて大丈夫なのか……? 日光浴びるとヤバいぞ? ひょっとして知らなかったりして」
「誰だ?」
「悪魔の妹さんだよ。とびっきりやんちゃだけど。日傘差してるとレミリアにそっくりだな」
「……大丈夫なのか」
藍が難しい顔をする。吸血鬼は幻想郷のパワーバランスを担っている一方、
尊大な態度で(主にレミリアが)他者を見下していることで有名だ。
協調性ははっきり言って見込めない。
「けど味方につけりゃこっちだって安心だろ? フランならまだ説得のしようが……やっぱないかも」
「おいおい」
フランことフランドール・スカーレットは姉のレミリア以上に気まぐれだ。
会った回数は少ないとはいえ遊びと称して弾幕ごっこを仕掛けられたり、かと思えば普通に遊んでくれとねだられたこともある。
正直なところ、魔理沙にもよく分からないのが実情だった。
ここでフランに『遊ばれ』たら命が危ない。割と本気で。だが能力的には文句なし。味方につければこれほど頼もしい存在もない。
交渉に出るべきなのか、どうするか。
迷った末、一度話しかけてみることを決意する。ここで機会を逃せばいつ再会できるか分かったものではないし、
気まぐれではあるが融通の利かない相手じゃない……はず。
「……行ってくる。もしものときは骨を拾ってくれ」
「あいつの場合、塵一つ残さないんじゃなかったか」
よく知っていらっしゃる。
フランのことは話くらいは聞いたことがあるのかもしれない。外見は知らなかったようだが。
妖怪の式を置いて出て行く。
魔理沙はわざと大声を出してみた。そうすることでまだ気力が萎えきっていないのを確認したかったのだった。
結果は、まあこの時にはそれなりには良かったのだけれども――
* * *
まったく、どうしたらいいのだろうね、私は。
ざっと説明するとここは魔法の森の入り口。日光の当たらない場所だ。
面子は元人間が一人、式が一体、妖精が一匹に悪魔が一体。
てんでバラバラの種族が集まったものだと感心する。
ただ、会話は全然ない。それぞれが俯いて何事かを考えている。私はそんな連中の観察をしている。
きっと知り合いの死を確認したのだろう。このゲームからの脱落者で、二度と戻ってはこない命ある者の姿を。
私か? 私は冷静よ。だって私は式だもの。考えることのスパンが早すぎて、とうに決着をつけてしまっている。
そう、私は冷静に、橙を再構築する計算式を考えているのだ。
浅ましいものだ。そんなことをしたって元の橙は戻ってくるはずはないのに。思いながらも、頭の隅で考えている。
なまじ頭がいいばかりに諦め切れていないのかもしれない。
なんとなく、紫様が私達を生み出した理由が分かるような気がするよ。
寂しい。いなくなって、一人で取り残されるのは寂しいんだ。楽をしたかったんじゃない。
きっと紫様も悲しんでいると思いたい。だって私が悲しんでいるのだから。
紫様に生み出された私が悲しいから、きっと紫様も……
ああ、全然冷静じゃないよ。私の思考はきっと、ぐちゃぐちゃだ。
色々な思いが混ざりすぎて泣くことも出来ない。他の皆が泣いていないのも或いはそういうことなのかもね。
悪魔の妹は大人しかった。話に聞いていたのとは違う。だけどそれには理由があったんだ。
聞き逃していた放送では、橙が死んでいた。フランドールが語ってくれたのだ。
再構築する式を考えていたのも、そのためだった。
フランドールに声をかけたときはあれほど元気だった魔理沙も今は覇気がない。
口にこそ出さないが、きっと私と同じく、大切な誰かを喪ったのだろう。
「全く、死にすぎだよな」
そう魔理沙は言っていたけれど、どう見ても空元気だった。
無理に保とうとしているように見えて、だから私はかける言葉を持てなかった。
いや正確にはあの時既に橙のことを考えていたから、かけようともしなかったのかもしれない。
冷たい式だと思う。妖怪とはこんなものなのだろうか。紫様はここにいないから、何も教えてはくれない。
まったく、どうしたらいいのだろうね、私は。
* * *
パチュリーが死んだ。
いなくなったって事実を確かめても、私の心にさほどの変化は見受けられなかった。
ただ、あの魔女を図書館で見ることが出来なくなると思うと、どうしようもない空白感が私を覆った。
でもこれは悲しみじゃない。私に教えられた『悲しみ』は感じたとき泣くのだと聞いている。
私は泣いていない。だから私は悲しんでいないのだ。それはきっと、気が触れているからだと思う。
アイツだったら泣いているかしら。それとも威厳がうんたらかんたらで、誰もいないところで泣くのかしら。
アイツって無駄に紳士なところがあるから情にもろいのよね。まあ私だって泣くところを見たことはないんだけど。
そういえば、私に『知ること』を最初に教えてくれたのもパチュリーだった。
本を壊したときに思い切り怖い目で睨まれたのだ。
それからくどくどと子一時間、本の重要性についてお説教された。
パチュリーは様々な属性の魔法を扱えるから、私の弱点だって知り抜いている。
流水の魔法だって使えるから、説教は聞くことにした。
大半はどうでもいい内容だったけど、とりあえず本は大切にした方がいいと学んだのだ。
でもなんだかんだで本には詳しかったし、聞けば教えてくれた。たまに面白い本を紹介してもらえた。
もう聞けないのだと思うと、本を探すのがつらくなりそうだった。
これだけ思い返しても全然泣けない。やっぱり悲しみなんてないのだ。
けれど、なんだろう。この気持ちは。パチュリーのことを思い出さずにはいられない、この感情は。
定義付ける言葉が見つからなかった。誰に聞けば、この感情を表す言葉を教えてくれるだろうか。
少なくとも、知っていそうだった魔女は、もういない。
私は今、ずっとその言葉が何か考えている。永琳のこと、白髪の女のこと、鬼と河童のことを思わないではなかったが、
気がつけばそればかり考えている。スターサファイアはずっと私を心配そうに眺めていた。
大丈夫よ。考え事をしてるだけだから。あなたが思うような感情は持ち合わせていない。
ああ、でも、私の知っている感情で、これだけは当て嵌まることがあったわ。
『怒り』だ。
理性で抑えきれず暴れだしたくなるような衝動のことだ。
私は今、少なくとも、パチュリーを殺した奴を……殺したくてたまらなかった。
* * *
あーもう、なんだこのザマは。
あれだけ高らかとゲームを止めるだの霊夢を止めるだの言ってたけど、こりゃ散々な結果だな。
だってこんなに死んでるんだぞ?
悪いなリグル、なんて言えるようなレベルじゃない。
本当ならうかうかしてられないんだけど、体が動こうとしない。
化け物の体はもう疲れ切ったのか? 情けないな。
そういや、パチュリーが死んじまってたな。どうしよう、もう本を借りに行けそうもないじゃないか。
それと返しに行くことも出来ないわけで。死んだら返すって言ったけどさ、
あれは私なんかよりお前の方が長生きだからって思ってたからなんだよ。
なのにどうして私より先に死ぬんだ? 順序がおかしいぜ。
……そうさ、どうしてあいつが私より先に死ななきゃならないんだ。
間違ってる。こんなの絶対おかしいじゃないか。
霊夢はいつもの調子で異変を解決するって言ってた。でも死ぬべき順番で人が死んでないんだ。
あいつはそれを何もおかしいって思っていないのか? 本当に?
何人殺したんだろう。私よりずっと長く生き続けるはずだった連中を、何人殺したんだろうか。
『おかしい』ことを何回続けているんだ?
まったく、嘘だって思いたいよ。パチュリーは実は死んでなくて、
「あなたって本当に馬鹿ね」と言ってくれるのを待ってたっていいはずなんだ。
でも私は見たんだ。見てしまったんだ。霊夢がリグルを殺すところをな。
だから死が嘘だなんて信じられない。死は、ここ全てを包囲している。
さっきは生きている実感も嬉しさもなかったのに、どうやら他人の死には敏感ときた。
……いや、私は私にも怒ってるのかもしれない。
死ぬはずだった人間が生きてて、死ぬべきではない奴が死んだ。
別に藍を責めてるわけじゃないさ。でもな、やっぱり悩むんだよ。頭はまだ人間なんだからさ。
悩みすぎて泣きたいぜ。人生の中でこんなに考えるのは後にも先にもこれだけだろうよ。
はぁ。考える、か。私って考えるより足動かせって奴じゃなかったっけ?
情けない。情けないなぁ、本当……
弱気の虫が私を覆っていく。どうすればいいだろうなんて他人事のように考え始めたとき、妖精が騒ぎ出した。
「も、もう! 皆暗いよ! 生きてるんだからそれでいいじゃない。なんでどよんってしてるの!」
そういや、こんな奴もいたんだな。名簿にいたっけ? スターなんちゃらって名前だったな。
まあ妖精からしたらどうでもいいことなのかもな。妖精は自分勝手だもんな。
……でも、と私は思う。こいつの言っていることもまた正しい。
とりあえず私は生きてるんだ。文句を言ったって私は死んでない。それは喜ぶべきことなんだ。
パチュリーやリグルはもうなにも出来なくなってしまったけど、私にはまだなにかができる。
あいつらの代わりに、まだ行動できるんだ。
妖精の言うことに動かされるのも癪だが、このまま沈んでるのももっと癪だ。
本当に絶望するのはもうどうしようもなくなったときでいい。私だけでもそうする。
異変解決屋の霧雨魔理沙が、こんなところで落ち込んでてどうする。一人だけでも、私はやるんだ。
「うるさいな。これからまた行動しようと思ってたところなんだ。妖精にとやかく言われる筋合いはないぜ」
「な、なによ! 図星のくせに!」
「そういうことで、だ。私は行くぜ。藍がやらないってんなら私が調べる。ついでに紫も探してきてやる」
「……待て。いつ私がやらないと言った」
私が勝手に補完した。なんてな。
でもお前だって上の空だったじゃないか。
もっと煽ってやろうかと思ったが、そうするまでもなく藍は立ち上がる。
「お前が立つのを待っていたんだよ。紫様は私も探す。私は紫様の式だからだ」
おーおー、橙のことを考えてますよーって顔してんのに無理しちゃって。
でも悪いが、藍にはついてきてもらわないと困る。貴重な頭脳労働組だからな。
私? 私は頭脳肉体労働派だ。
さて、後は一人。
「……私も行く。お姉様に会いたいもの。それと、パチュリーに会いたい」
「あれ? パチュリーって名前は……モゴ!」
「空気読め」
スターなんちゃらの口を塞ぐ。フランもフランなりに情ってもんがあるらしい。
私もあいつの弔いくらいはしてやりたいな。できれば、一緒に本も返してやりたかったが……
ここは幻想郷じゃない可能性もあるから、私の家にも本があるとは限らないんだよな。やれやれ、ムカつく話だ。
「フランのことを考えると森伝いに里に行くのが懸命っぽいな。深入りしなきゃもう罠にも引っかからないだろ」
「その方が好都合だろう。遠回りにはなるが、仕方がない」
「里に行くの? だったら、紅魔館にも行きたいんだけど。お姉様がいそうだし」
「んな馬鹿正直に紅魔館に……戻りそうだな、あいつは」
でしょう、とフランが頷いた。さすがは妹、よく分かってらっしゃる。
「紅魔館も目標のひとつだ。私に異論はない」
藍も納得したようだった。とりあえず、この三人(と一匹)の利害は一致したというわけだ。
むーむーと呻いていたスターなんちゃらの口を放す。途端、ぎゃーぎゃーとがなりたてたが、無視を決め込んだ。
スルーは私の得意技なのだ。
「よし、行くか。道案内は私に任せろ」
二人(+一匹)に先んじて私は歩き出した。
そうしたのは、きっと無理矢理にでも立ち直らなければならないという意思があったからなのかもしれない。
あいつらまだ色々考えてそうだからな。
やれやれ、私にも考える時間が欲しいぜ。
【F-5 一日目 朝】
【フランドール・スカーレット】
[状態]頬に切り傷
[装備]レミリアの日傘
[道具]支給品一式 機動隊の盾(多少のへこみ)
[思考・状況]基本方針:まともになってみる。だが、自分は気が触れていると思っている。
1.魔理沙に同伴して紅魔館まで向かう。日なたは避けて移動する。
2.殺し合いを少し意識。そのためレミリアが少し心配。遊びは控える
3.永琳に多少の違和感。本当に主催者?
4.パチュリーを殺した奴を殺したい。
※3に準拠する範囲で、永琳が死ねば他の参加者も死ぬということは信じてます
【霧雨魔理沙】
[状態]蓬莱人、足の怪我はほぼ全快、服が破れていたり血塗られていたりします。帽子はない。
[装備]ミニ八卦炉、ダーツ(5本)
[道具]ダーツボード、mp3プレイヤー
[思考・状況]基本方針:日常を取り返す
1.まずは仲間探し……そのために人間の里へ向かう
2.霊夢、輝夜を止める
3.真昼(12時~14時)に約束の場所へと向かう。
4.リグル・パチュリーに対する罪悪感。このまま霊夢の殺人を半分許容していていいのか?
※主催者が永琳でない可能性が限りなく高いと思っています(完全ではありません)
※永琳から輝夜宛の手紙(内容は御自由に) はまだ隙間の中です
※隙間はほぼ全壊、まだかろうじて使えるレベルです。
※隙間の中に入ってたものは地雷の被害を受けている可能性があります
【八雲藍】
[状態]やや疲労
[装備]天狗の団扇
[道具]支給品一式×2、不明アイテム(1~5)中身は確認済み
[思考・状況]紫様の式として、ゲームを潰すために動く。紫様と合流したいところ
1.永琳およびその関係者から情報を手に入れる。
2.会場のことを調べるために人間の里へ向かう。ここが幻想郷でない可能性も疑っている。
3.無駄だと分かっているが、橙のことが諦めきれない。
最終更新:2009年08月10日 19:01