無無色の竹林

無々色の竹 ◆gcfw5mBdTg






 物語のプロローグは終わりを告げ、僕の物語の第一章はここから始まるのだ。
 プロローグのサブタイトルは……そうだな――――〝 Phantasmagoria 〟と記そう。



 ……この辺りで一区切りといったところか。
 木製の机に向かい執筆していた手を静止させる。

 出来事、雑学、想い、思考、思想をありったけ詰め込んだのだが……少々書きすぎたかな。
 頁は文字でびっしりと埋まり、非常にバランスが悪い。
 普段ならば、もう少し簡潔に綺麗に綴るのだが、いささか筆が暴走していたようである。
 人は死を身近にすると自分の生きた証拠を残す本能が増幅されるというが、もしかすると、この執筆欲も無意識に後押しされていたのだろうか。







 天高く無数に聳える迷いの竹林の最奥に建設された純和風の屋敷、永遠亭。
 僕は、その主の部屋の畳の上で、歴史書予定の日記を執筆していた。




 主催者の調査と治療の為に永遠亭に訪れた僕と紫は、まず内部を一通り巡り、誰かがいないことを確認した。
 結果、人の気配は無し。異常は八意永琳の部屋が多少荒されていた程度。
 安全確認後、紫の提案で、永遠亭の主の部屋を調査を僕、八意永琳の部屋での治療と調査を紫、と各自で分担して調査することになった。

 そうして現在に至るわけだが……八意永琳の部屋から小さく響く物音から察するに、あちらはいまだに片付いていないようだ。
 調査を済ませて余った時間を執筆に回してもまだ終わっていないのだから、よほど手間取っているのだろう。

 やはり手伝いに行ったほうがよかったのだろうか……いや、やめておこう。
 紫が別行動案を提示した際、安全面と治療の手伝いから同行を提案したのだが、頑なに受け入れてくれなかったのだ。
 きっと紫には永琳の部屋に調査と治療以外の目的があり、危険性や秘匿性などの理由から僕に明かすことができなかった。そう考えると辻褄が合う。
 敵を欺くにはまず味方からということだ。 とすると、やはり紫を信頼して待っているべきなのだろう。



 仕方なく、時間を潰すために日記を見直すと……ひどいな、これは。
 見難さだけでなく、内容もひどい。

 幻想郷の強者を、誰にも抵抗させずに誘拐し拘束する実力。
 完全に相手の手の内である会場で、主催者の目から逃れて首輪や制限を外す難易度。
 運良く出会ってはいないが、最低十人程度はいると思われる主催者の趣旨に沿う人妖。
 参加者間での殺し合いが停止したとしても、時間経過による禁止エリア増加で終了。
 万が一脱出できたところで、そもそも僕達は連れ去られてきたのだから、なんらかの対処方法がなければ連れ戻されてしまう。

 生き残りを目指したいならば主催者の意思に沿うのが一番ましと確信できる絶望的な構図だ。
 一応やるべきことぐらいはやるつもりではあるが、したところでなにかが変わるのだろうか。
 今は生きているが、明日も生きているなんて保障はないのに、のんきに油を売っているなんていいのだろうか……。

 霊夢や魔理沙は、今頃どうしているのだろうね。
 勝手な紅白の巫女と勝手な白黒の魔法使いのニヤケ顔が、これ以上ないくらい鮮明に思い浮かぶ。
 いたらいたで騒がしすぎて面倒なのに、いなければいないで物足りないと思ってしまうとは我ながら情けないものだ。彼女達に知られたらどうなることか。


 そのようなネガティブな考えに支配されていると――突如、ガタリと、どこからか音が鳴った。







 驚いて視線を移してみれば……音源は庭に面した障子。影は映っていない。

 ……どうやら吹き抜ける風が、障子を揺らしただけのようだ。
 念のために銃を構えながら、慎重に障子を開いてみても誰もいない。
 板張りの縁側に、枯山水の庭、そして大地に生い茂る竹林の壁だけである。


 誰もいないことに、ほっと息を抜いて、縁側に腰掛ける。
 紫が来るまで気分転換を兼ねて、颯と鳴る風にあたりながら、竹でも見ていよう。

 鬱蒼と茂る竹の連なりはなかなかに見事な見栄えだった。
 屈強な柱を思わせる逞しい幹はとても立派で活気溢れており、外の世界にいた頃でも、お目にかかったことがない。
 きっと永遠亭の設計者は主の為に、一番景色のいい場所を選んだのだろう。

 しかし、それでも気分転換とまではいかなかった。
 心情というものはそう易々と移り変わらないものだ。


 やれやれと自分の弱さに呆れ、ふと、天を見上げてみると――――僕は思わず感嘆の溜息を零してしまった。




 僕の視線を惹いたのは――花。
 大空と太陽を埋め尽くさんと上方で満開に咲き誇っている、光に溶け込むように白い稲穂のような花。
 大木の枝に積もった雪のように幾層にも積み重なり、春の心地よい風に吹かれ、カーテンのように揺らめいている。



 そう――竹の花が咲いていたのだ。


 竹の開花は種類にもよるが、六十年に一度とも百二十年に一度とも言われる。
 そして花を咲かせれば枯れてしまう。つまり死の前兆だ。

 なのに、死の恐怖など無関心極まる態度で穏やかに平然と咲いている。

 天上から漏れる天照の光輝にも色褪せていない。漏れ出す生命に一片の翳りも窺えない。
 ただ今限りの泡沫の花、長い人生に比べて僅かな時間で消失してしまう幻想だというのに、この雄大さはどうしたことか。
 竹の花とは不吉の象徴と伝えられているが、これを見た僕にはそうは思えない。
 元来、竹とはここまで咲くことができるのか。幻想はいつも予想を超えてくる。

 竹林に比べて、なんと自分のちっぽけなことか。
 いつのまにか先程のネガティブな気分は薄れていた。
 壮大に居並ぶ竹の花を見渡していると、悩んでいた自分が恥ずかしく思えてくる。
 生憎、竹ほどの度胸は身につけれそうにないが、少しばかりは見習いたいものだ。


 ◇ ◇ ◇






 竹に惜しみなく賛辞を送りながら、茫然としていると、遠く足音が聞こえる。
 オルゴールのように精密で一定のリズムで、木製の床板を鳴らしながら段々と近づいてくる。
 廊下を進んでいるのだろう。続いて障子の開閉音が耳に届く。足音の持ち主は、部屋に入り僕を探しているらしい。
 やがて縁側へ続く障子に僕の影を見つけたのか、背後の障子が開かれる。
 優雅に歩みを続けていた存在、八雲紫は僕の隣で静止し、柔和な微笑を浮かべながら、たおやかに縁側に座った。
 足をぷらぷらと子供のように揺らしながら、静かに竹の花を眺めている。

「こちらは見ての通り簡素な部屋だった。
 想いの籠められてそうな道具なんて、そこの優曇華の盆栽ぐらいだ。そちらはどうだったんだい?」

 異変に関わった形跡は特に見受けられなかった。
 高級な道具、家具、衣服などはあるのだが、どうにも生活観が薄い。
 この部屋の主は、趣味や嗜好品といった個人的なものをあまり持っていないのだろう。

「それなりに、ですわ」

 そう言った紫が差し出したのは……レポートだろうか。

 なにかを含んだような物言いに引っ掛かる物を感じ眉を寄せながらも受け取る。
 嫌な予感はするが、読まないとしても現実が変わるわけではない。とりあえず読んでみよう。

 表紙に第123季、冬季、薬物研究と著者、八意永琳の名前が記されているレポートをペラリと捲る。


『花の異変のときにウドンゲが持ってきた彼岸花やスズランなどの毒草を中心に、毒薬を作った。
 その毒は無色無臭。水に溶かして使用するものである。
 2%に薄めた毒薬をネズミに与えたところ、5秒もしないうちに死亡した。
 もし人間が服用したならば、数滴の服用で数分もしないうちに死ぬだろう。
 この毒はあまりにも強力すぎる。一旦この薬の製造は中止し、改良を施すことにした』

 ペラリ。

『即効性の麻酔を開発することに成功した。
 スズランから採れる蜜とヒマワリの種油を調合し私の魔力を送り込むことで作られる。
 非常に簡単に作ることが出来るが、私の魔力が必要なことから、他の人では作ることが出来ないのが残念だ。
 また、ただのスズランやヒマワリでは作ることは出来なかった。どうやら、無名の丘のスズランと太陽の畑のヒマワリでなければならないらしい。
 これらは通常のものと何が違うのか。研究中である。
 なお、実験用のネズミに鍼で刺すと、一瞬のうちに全身が麻痺しその後意識を失った。
 だが、数分で意識を取り戻し再び動いたことを確認。後遺症もないようだ。
 性能上、人間が妖怪に襲われたときの護身が中心となるだろう』

 タイトル通り、薬物研究の進捗情報を書き記したものらしい。
 病気に罹らない僕がお世話になることは金輪際ないだろうが、他人の実験というのはなかなかに面白いものだ。




 …………。




 一文字一文字を注視しながら八割方読み終える。
 ん、この頁の最後のところにだけ紫の文字らしきものが小さく書かれているな。



『殺し合いの核心についての意思疎通は控えなさい。
 世界自体があちらの手の内にありスキマを自由に操れる以上、監視されているとみていいわ。
 かといって、主催者についてなにも話さないのも不自然だから、予想しやすいけど外れていそうなものと核心に関わらないものに限定して発言を許します。
 もしも、ある程度核心に迫れそうなものを思いついたら、手話か日記でそれとなく伝えなさい』

 監視……か。
 確かに魔術でいう遠見などを使えば実現可能だろうし、スキマ袋の技術からしてありえなくもない。

 レポートの書き込み自体を見られていればどうするのかとも思ったが、行動全てを逐一監視されていた場合どちらにしろ抵抗は不可能だから変わらないか。
 それに、大規模で精密な遠見を継続していれば精神に変調を来たす可能性が出るだろうし、星の配置の狂いや不自然な赤い月など主催者は思考をわざと許している節がある。
 恐らく監視していたとしても、視点を定点に配置していたり、音を聞いていたりする程度……だと思いたい。

 しかし……意思疎通の手段が減るというのは、なかなかに面倒な事態だ。
 できるならば、無言で以心伝心できるようになれればいいのだが、紫が相手では厳しいな。


 おっと、こうして一つの頁で考え込んでいるのも見られていれば怪しいと思われるかもしれない。レポートの続きに戻ろう。


 …………。


 最後まで読み終えたレポートについて気になった点は二つ。

 一つは内容。
 強力すぎる毒薬の製造を中止したり、護身用の麻酔を作成するという善意の意思が籠められている。

 一つは文字。
 レポートは、最初の日付から永遠に乱れがなく全てが同じ調子で書き綴られている。
 筆圧は柔らかく一定。訂正や消去の痕跡も一切なく、内容も合理的で理性的。
 衝動や感情ではそうそう動かない落ち着きのある大人という人物像が窺える。


 上記二点は、先程の放送のように殺し合いを娯楽とみるような性質とは到底一致しない。
 つまり紫は八意永琳が偽者、もしくは共犯者がいると言いたいのだろうか。


 ……実のところ、あまり考えないようにしていただけで、ありえない話でもない。
 主催者の執行した数々の神業に比べれば、僕達を化かす程度は児戯に等しいだろう。
 偽者でなかったとしても、この異変に必要な労力を考えるに、共犯者がいてもなんらおかしくないのだ。

 しかし……できれば共犯者がいるとしても、せめて参加者の中にいてほしいところである。
 未知の人物が主導している場合ほど恐ろしいものはない。
 趣味、嗜好、性格、思想などの事前情報は皆無であり、手に入る見込みも限りなく薄い。
 難攻不落の要塞に攻め入るどころか、要塞の所在地すら把握できないなど論外にも程がある。


 なので、できればレポートが偽証されたものであってほしいが、真偽はどちらだろう……。ああ、だから紫は僕に渡したのか。
 視線で判断を促すと、紫は小さく頷いた。つまり能力を使えということなのだろう。

 僕は瞬き一つせずレポートを注視し――道具になった気持ちで見つめ、道具が視てきた記憶を共有する。
 それが道具に対する愛であり、その愛さえあれば名前を知ることぐらい朝飯前である。

 道具にとって最も印象に残った出来事であり、存在意義である名前と用途を授けられた瞬間を垣間見た結果は。

 名前 第123季、冬季、薬物研究レポート。
 用途 薬物研究の進捗情報を書き記す。

 ……残念ながら偽証の余地は無かった。




「名前も用途も通常。レポートの記憶にも怪しい点は見えない。
 昔に纏め買いして名付けたという可能性は紙質の劣化具合から除外するとして。
 少なくとも第123季の冬に入るまでは正常だった可能性が高いというところかな」

 完全な否定はできないが、一人と冬の期間という条件でここまで大掛かりな準備を整えるのは厳しいだろう。
 面倒なことに永琳以外の参加者か第三者の関与が疑わしくなってきた。
 参加者か第三者か、どちらにしても永琳との関係は協力、脅迫、怨恨、無関係、大体この四択だろうか。

「予想通りね。八意永琳は優秀さと頭脳では群を抜いているけれど、行動原理自体は人間とたいして変わらないわ。
 以前に起こした異変にしても、動機も手段も守備的なものでしたからね」

 レポートについてはこれで終了し、それからは偽装の意味も込めた適当な議論をすることとなった。

 ◇ ◇ ◇

 年度。 

「今年度である第123季は【日と冬と木の年】。
 人を惹きつける【日】。死を意味する【冬】。力強く優しい【木】を意味するわ。
【日】は会場への空間転移の一端。【冬】は言うまでもなく主催者にとっての最良の時節。
【木】の性質だけは噛み合わないけど……土行である私を弱らせるためかしら」

 ◇ ◇ ◇

 季節。

「現在は冬と春、どちらともいえなくはない時節だ。
 死を意味する冬を求めてのものであれば、もしかすると準備不足で強行したのかもしれない。
 誕生を意味する春を求めたのであれば、主催者の目的に関係しているのかもしれない。
 もしくは欲張って両方……というのも有り得なくはないかもね」

 ◇ ◇ ◇

 時刻。

「午前零時は、昨日と今日の境界であり、今日と明日の境界でもあります。
 世界が変容する隙間の時間に決行することで、大規模空間転移に使用するエネルギーの負担を軽減しているのでしょう」

 ◇ ◇ ◇

 舞台。

「幻想郷に舞台を似せたのは空間転移の負担軽減とも見れるけど、恐らく本命は別ね」

「ああ、ここまで大掛かりな舞台を造るのならば、よほどの力を必要とするはずだ。
 負担軽減のために舞台を似せるなんて効率が悪すぎる。オマケと見るべきだろう」

「気になるのは……幻想郷ではないのに、幻想郷なんじゃないかと錯覚するときがあるのよね。
 予想でしかないけれど、外見だけでなく性質も似せているのではないでしょうか」

 ◇ ◇ ◇

 選出。

「強者を呼び集めるのならば、天魔や紫以外の妖怪の賢者も呼び集めるだろう。
 そうでないということは異変に関わりのある者が鍵だとは思うが、それだと僕や九代目御阿礼の子の説明がつかないのが問題だ」

「貴方と阿求は置いておくとして、もし異変経験者を選んだとすれば理由は……そうね。
 もしかすると異変経験者は別の異変に引き寄せやすいのかもしれないわ。過去の異変の関係者は、その後の異変にも関わる例も多いのよ」

 ◇ ◇ ◇






 首輪、制限、空間転移、異界作成、殺し合いを開催した目的、主催者の正体。
 核心に該当するこれらに関してはまったく進展していない。
 あーでもない、こーでもない、と恐らく間違っている仮説を振り撒き適当に管を巻いているだけだ。

 このあたりは必ず考えなくてはいけないのだが……如何せん、材料が少なすぎる。
 想像で大部分を補完するとなると、外の世界の人々が妖怪の存在を実物提示無しで確信するぐらいに困難だろう。

 想像とは、空想、妄想、予想、仮想、幻想の順にランクがつけられている。
 僕達が求める想像は最上位である幻想。
 つまり【事実】と確信できる領域にまで昇華させなければいけないのだが……想像を根拠にした想像は決して幻想には至らない。

 空に散らばる星の数の想像から唯一の幻想を掴み取るなど不可能なのだ。
 だけど、決して有り得ない可能性だとしても、僕達は神の掌から抜け出さなくてはならない。


 仮説を立ててそれを否定することは、目に見えない進歩だと聞いたことがある。
 情報を集めつつ、想像しては否定を繰り返していけば、いつか決して否定できない幻想を見出せる……かもしれない。
 自身の限界は弁えているし、いつもは理解できないものは気にしないようにしているが、そんなことを言ってられる状況でもない。

 せめて主催者の目的さえ分かれば、代替品を用意するなどの、やりようがあるのだけどね。
 もちろん、超越者が求めるような目的の代替品を調達できなくても、騙されても、終わりではあるが。
 それでも幻想郷を容易く手玉に取れるような相手と真っ向から相対するよりはましだ。
 古今東西、神話や歴史での強大な存在への対抗手段は、弁舌や策略などが常道。
 打倒の道を捨てたというわけではないが、未来への道はできるだけ多く知っておくべきである。
 勝利の女神は、正しい者に微笑むのでも邪な者に微笑むのでもない。備えのできていた者に微笑むのだ。






 さて、頭脳の働き先は決定したが、肉体の働き先は。

「八意永琳との接触……かな」

「それしかないでしょうね」

 できればコンピューターで探し出したいところではあるが、期待はできない。
 紫がコンピューターを探しに行かないところから考えるに、恐らく式神を操る能力が多少なりとも無ければ使えないものなのだろう。

 となると、八意永琳の立場がどうであれ、関わる他ない。
 最後の一人になるという手段を唾棄した以上、主催者に辿り着く手段は限られている。
 なにかと面倒そうな未来に、僕は目を閉じ、頭痛を抑えるように頭に手を当てて、小さく色々な感情の混ざった溜息を気だるげに漏らした。

 いや、漏らそうとした。

「溜息は幸せが逃げるわよ」

 胡散臭い稚気を孕んだ表情の紫が、幼児でもあやすような調子で僕の唇に人差し指を添えていたのだ。
 当然、驚いた僕の溜息は、強制的に制止させられている。

「溜息すら我慢しなきゃならないのに幸せっておかしくないかい?」

 やれやれ。溜息をつくのは、幸せを目一杯確保してからということか。

 ◇ ◇ ◇




 議論は閉幕し、竹林は静寂に戻った。
 いつのまにか風も止んでおり、もう聞こえるのは呼吸音や心音くらいで、他にはなにも聞こえない。

 とりあえず、先程の議論を日記に簡潔に数行程度で纏めておこう。
 そうして膝の上に日記を置き、少し筆記具を滑らせていると……なにやら視線を感じる。
 視線の主の心当たりは一人しかいないので、そちらを向いてみると。

「あら、迷惑だったかしら?」

 稚気に溢れる表情の紫が、いつのまにか興味深げに覗き込んでいた。
 迷惑とまでは言わないが、居心地が悪いのは否定できない。

「別に構わないが、世間一般的には趣味が悪いといって差し支えない行為であるのは間違いないね」

「内容じゃなくて貴方を見ていたのよ。
 何故、そんなに落ち着いて過去に目を向けれるの、とね」

 冗談のようで真面目の霧が掛かった言葉……のように思える。紫の狙いは恐らく……。

「君も書いてみれば分かるよ。
 日記を書くという行為には様々な恩恵があるが、本質は集中力の向上ではないか、と僕は思っている。
 人も妖怪も毎日、大量の情報を受けながら生きているが、受信し蓄積されるのはほんの一部だ。
 だが、日記を書けば、アンテナの感度は極限まで増幅され、些細な事柄でも見逃さないようになれるのさ。
 つまり……だ。日記というものは過去じゃない。現在と未来を作り出す前向きな要素なのさ」

 言動自体に嘘は付いていないが、竹を見るまで過去に目を向けるとちょっと危うかったのは黙っておく。
 恐らく紫は意思疎通の手段である日記を執筆する口実が欲しかっただけだろうし、問題はあるまい。

「考慮しておくわ。最後に八意永琳の部屋をもう一度探索してくるから書き終わったら来なさい」

 そう言って縁側から腰を上げた紫は、しばらく静かに、遠い眼差しを竹の花に投げかけ。

「……――――」

 寂しげな微笑を堪えながら、ぽつりと儚い淡い想いを吐露した。
 静寂であっても聞き逃しそうなあまりにも小さい声で、内容までは聞き取れない。



 彼女の言葉に籠められた想いを図る術はない。
 反応していいのかを迷っている間に、静かに音もなく、八雲紫は去っていった。



 ◇ ◇ ◇


 ………………さて、議論は纏めた。そろそろいこう。


 その想いを最後に、縁側から腰を上げ、部屋に戻ろうとすると――障子に掛けた手が止められた。
 竹の花が一片、風に救われて重力に引かれ、僕の手元へと吸い込まれるように不自然に舞い込んできたためだ。


 まさかと思い、能力を使用してみると……。

 名前 竹の花の栞。
 用途 頁と頁の境界線。




 この竹林……妖怪竹だったのか。

 木は人間より、時には妖怪よりも遥かに長く生きており、幻想郷には妖怪と化す植物だって少なくはない。
 桜などは代表的なものであり、人を引き寄せ死に誘う不可思議な魔力を持っている。

 では、竹はどうなのだろうというと、これもまた妖怪になれる素養はあるといえる。
 竹とは日本でも有数の信仰を受けている植物だ。
 冬でも緑を保ち雪にも折れることないということで無事を表し、松竹梅と崇められている。
 日本最古の物語「かぐや姫」では、かぐや姫を内包する光る竹が登場するし、七夕では願いを叶える媒介として活用される。
 なにより、ここの竹林は迷いの竹林と称されるほどの特殊な竹なのだ。妖怪だったとしてもありえなくもない。
 もしかすると、障子を鳴らし僕を縁側に呼んだのも、この妖怪竹の仕業だったのかもしれない。




 …………ちょっと待てよ。
 ここは幻想郷でもあるが、幻想郷ではない創造された空間のはずだ。恐らく六十年も経ってはいないはず。
 妖怪になるにも花を咲かせるにも時間不足だし、この空間に参加者以外の妖怪がいるとも思えない。
 そもそもだ。地下茎で繋がっている竹の花が一部分だけ咲くなんてのは考えにくいだろう。

 なによりだ。――竹林が栞の存在を知っているのか?



 と、そのとき、僕に心当たりが浮かんだ。



 永遠亭への道中のことだ。僕達は二人の死体を見つけた。
 一人は竹林内、一人は竹林外。

 竹林内の死体は星熊勇儀。死体は火事の影響で原型があまり残っていなかったが、放送の内容と角、体格から紫がそう判断した。
 近くにはM2火炎放射器という名前の武器の残骸。

 竹林外の死体は風見幽香。
 名簿内では指折りの実力者であり、僕の作成した傘の持ち主である――花の妖怪。


 僕達が想像した結末は二つ。
 一つは勇儀との戦闘中だった幽香を助けるために第三者が放火したが、幽香は手遅れ、もしくは手違いで死んでしまい、死体だけでも竹林外に運んだというもの。
 もう一つは戦闘中の勇儀と幽香を第三者が火災に巻き込み殺そうとしたところを、第四者が幽香を竹林外に運んだというもの。

 つまりどちらにしろ幽香は星熊勇儀と同じ場所、つまり永遠亭の近くの竹林で生を終えた可能性が高い。







 全ての事象から考察した僕の結論は――幽香の花を操る能力の残光が一番生命に満ち溢れていた近くの竹林に流れ込み、花を咲かせたのではないかということだ。



 紫が去り際にぽつりと漏らした言葉も今にして思えば不自然だ。
 僕に伝えるならば、もう少し声量をあげればいいだけであるし、伝えたくないのならば一人の時に言えばいい。

 つまり紫は、僕にではなく――竹林に言葉を紡いだのではないだろうか。





 もちろん全ては空想でしかない。真実は神のみぞ知る、だ。



 けれど、あの花を愛する妖怪なら、彼女なら。少なくとも僕は信じてみるとしよう。



 たしか竹の花言葉は、節度、節操、神秘、清節……だったか。
 言われなくなって分かっているさ。元々、生き急ぐのも死に急ぐのも僕の趣味ではない。





 ――――願わくは、太陽の季節にて、また逢おう。

 別れを告げた僕は、花の妖怪の忠言を日記に挟んだ。

【F-7 永遠亭 一日目 昼】
【森近霖之助】
[状態]正常
[装備]SPAS12 装弾数(7/8)バードショット・バックショットの順に交互に装填、文々。新聞
[道具]支給品一式、バードショット(8発)、バックショット(9発)
    色々な煙草(12箱)、ライター、箱に詰められた色々な酒(29本)、栞付き日記
[思考・状況]基本方針:契約のため、紫についていく。
[備考]この異変自体について何か思うことがあるようです。


【八雲紫】
[状態]正常
[装備]なし
[道具]支給品一式、不明アイテム(0~2)武器は無かったと思われる、酒1本
    八意永琳のレポート、救急箱、日記
[思考・状況]基本方針:主催者をスキマ送りにして契約を果たす。
 1.八意永琳との接触
 2.自分は大妖怪であり続けなければならないと感じている
[備考]主催者に何かを感じているようです。
 ※手が爛れています。痺れがある。治療はしたが、完全な回復はしていない。



83:ゆめのすこしあと 時系列順 86:悪石島の日食(前編)
84:うたかたのゆめ(後編) 投下順 86:悪石島の日食(前編)
76:GSK 最高経営責任者 (2009) 森近霖之助 115:紫鏡
76:GSK 最高経営責任者 (2009) 八雲紫 115:紫鏡


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最終更新:2009年11月09日 20:39
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