酒鬼薔薇聖戦(前編) ◆27ZYfcW1SM
「鬼……」
こいしは鬼の姿を見て地底に住んでいたときのことを思い出す。
旧都は主に鬼が住まう場所。
地霊殿はそこからそう遠くない位置にある。
旧都に住む者は地霊殿を尋ねることは殆どない。行く理由がないからだ。
しかし、逆に地霊殿に住む者は旧都を訪れなければ成らない理由が幾つかあった。
火焔猫にしろ、地獄鴉にしろ、覚にしろ、飲食料嗜好品など生活必需品が暮らす上で必要になる。
地獄と呼ばれる不毛に近い土地でそれらを入手するには当然、都に行かなければならないわけだ。
心を読める古明地姉妹はこの買出しの日は憂鬱にならざるを得ない。
もともと嫌われる種族だ。嫌われて地下に潜った種族たちからも嫌われてしまう。
姉妹の姿を見たものは半無意識に嫌悪感を出す。普通ならその嫌悪感を抱きながらも口に出すことはない。
しかし姉妹の種族はさとり、その口には出さない嫌悪感をオブラートに包まずにそのまま否応無く感じ取ってしまう。
他者が抱く『嫌悪』の原液など毒以外の何物でもない。
妖怪は心を殺されることが一番の致命傷になるのだからなおさらだ……
そんな他者が住まう旧都で、唯一、古明地姉妹が心を許すことができる種族が居た。
察しの通り、鬼だ。
鬼は嘘を嫌う。嫌いだって言った本気で嫌うそういう種族だ。
嘘つきの反対は正直者。正直者は心がきれいだ。
姉妹が相手が心を思っていることを口にするよりも早く鬼はそこのことを言葉にする。
覚は相手が考えていることを先に口にしてからかう妖怪であるから、鬼はその株を奪っているといえよう。ただ思ったことがすぐに言葉になっているだけなのだろうが……
地底に潜る前は、何も考えない人間や考えていることと別の行動をする人間は怖いと、出会ったらすぐさま逃げていたが、嫌われ、地底に潜ってからはそういう人妖のほうが心が安らぐことに気が付いた。
それからいろいろあって私は心の瞳を閉じた。
鬼と一緒に居たときの心地よさをずっと感じられると思ったから。
もっと私を他の人が好きになってくれると思ったから。
鬼も、もっと一緒に居て楽しくなると思ったから。
でも、現実は――
右手に持った拳銃を前に突き出す。左手は右手を支えるように持って銃身を安定させる。
あれ? 何でこんなものを持ってるんだっけ?
なんで『鬼さん』にこんなものを向けてるんだっけ?
(さぁ、今日は少し悲しいお話の始まり始まり……)
どこからともなく『声』が聞こえた。
真っ暗な舞台に一筋のスポットライトが当てられ、人形劇が始まる。観客は私一人。
ああ、だんだん思い出してきたわ。この声は確か……
(とあるところに一人の魔女が住んでいました。
その魔女はある日とあるゲームに参加してしまいます。
魔女は思いました)
『魔法で仲間を作りましょう』
(魔女は落ちていた小石に魔法で心を注ぎ込みます)
『こいしよこいし……私の愛するこいしよ。私が優勝するまで力を貸しておくれ』
アリスさんアリスさんアリスさん。
安全装置はとうの昔に外してある。遊底は引いてある。弾をこめてあることなどいうまでもない。
(魔法使いと心が宿ったこいしは一緒に戦います。
魔法使いは魔法で、こいしは魔法使いからもらった剣で、悪い巫女と戦います)
『ばきゅーん』
『あららららら~』
(あらあら。なんということでしょう。悪い巫女の攻撃で魔法使いは死んでしまいました。)
『でも、だいじょうぶ。こいしにかけた魔法はきょうりょくなものです。
魔法使いがしんでしまっても魔法はとけません』
人形劇の舞台に上からペンキのようなものが零れ落ちる。ぐちゃっと音と共に。
「ね? こいし。」
人形劇をしていた者が言った。胸から斜めに横切るように赤い線が入り、その線からはどす黒く粘着力のある『ペンキのようなもの』がこぼれ出ている。
べちゃ……べちゃ……
『ペンキのようなもの』にその人形劇をしていたアリスの指が落ちる。
口から止まらない血、肺を輪切りにし、心臓まで届いた刀を伝って流れる血。
血で真っ赤な口を開いてアリスは言う。
「さぁ、人形劇はまだ続くわ。こいしよ舞台で踊りなさい」
こいしは尋ねる。「それは私なの? それとも物語の小石なの?」
「…………」
アリスは応えない。
アリスは腕を振って人形を操った。
――タァン!
こいしは拳銃の引き金を引いた。
「外しちゃったよアリスさん。でも大丈夫。私は勝つから」
「危ないねぇ……本当に……」
〆
嘘の上塗り、空元気。立っているだけで不思議なくらいのゆれる視界。
見栄と気合がその体を支えている柱。
こんな状況で勝てるのか? と萃香は自問する。
その答えは聞くまでも無い。
絶対に守り抜くだ。
萃香は足を踏み出した。
一歩、二歩……
踏み出すたびに疲労がずきずき体を縛る。
こいしちゃんへと向かって真っ直ぐに向かう。相手が銃を持っていることを決して忘れたわけじゃない。
拳銃を前に構えた奴に堂々と正面から歩いていくことは危険すぎる? 殺されてしまう?
こいしは再び銃を構える。照準器、フロントサイトとリアサイトの山と谷を合わせ、ターゲット萃香へと向ける。
ヒュッゥン……
萃香とこいしは距離的には5メートルも離れてはいなかった。拳銃の有効射程距離はその何十倍もあるというのに当たらない。
「な、なんで……!?」
こいしは初めての表情を浮かべた。悲しみでも怒りでも狂気でもない。焦りの表情だ。その表情には『アリス』という狂気が微塵も感じられないこいしの焦りの表情だった。
萃香は歩を進めることを続ける。
今にも足を引きずりだしそうなくらいにぼろぼろの満身創痍な状況だというのに飛来する凶弾をかわしながらこいしとの距離をつめる。
「幻想郷の妖怪が……」
銃の狙いをつけることに気を取られていたこいし、二人との距離がもう手を伸ばせば届く距離になっていたことに気づくのが遅れる。
萃香は拳を大きく振りかぶる。密度を操る程度の能力を持つ萃香。拳の周りの密度を上げて熱を発生させた。
熱を持った拳は太陽光のような山吹色の光に包まれる。
「そんなもん使ってんじゃないよ!」
「ごふッ!」
萃香は懇親の力をこめてこいしの腹に拳を打ち込む。
バコンという音を立てて爆発が起こる。密度が上がっていた拳の周りの圧力が開放されたのだ。
小さな爆弾を腹に押し付けられて爆発させられたようなものだ。
まさに一撃必殺に成りうる鬼の拳。
こいしの体は旋風に吹き飛ばされる木の葉の如く優に5メートルほど殴り飛ばされ、民家の壁にぶち当たり、壁を壊して埃を舞い上げた。
からからとこいしが持っていた拳銃が弾き飛ばされ、地面をすべる。
「はぁ……はぁ……はぁ……ふぅ……」
萃香は大きく息をついた。勝った。勝つことができた。
萃香の背中は汗でびっしょりであった。
この汗は冷や汗だ。
小さな傷が致命傷にもなりそうな疲弊したこの体に銃弾が直撃することは死を意味していた。
銃が体に与えるダメージは先ほどの蓬莱山輝夜の凶弾で十分に分かっていた。
生きていることが不思議なダメージを食らって生きている状態で、その奇跡が再び起きるとは考えにくい。
萃香は片足を死の淵に突っ込んだ状態と言っても過言ではなかった。
そんな死の弾幕の中を歩いて渡ったのだ。心臓は生にしがみ付くが如く激しく動き、舌は乾き、全身の汗腺から汗がにじみ出た。
一見無策で感情に任せて突撃しただけに見える行進も内心は何時かは弾丸に当たるのではないかとひやひやだった。死が怖くなかったわけじゃない。むしろ怖くて怖くて涙が溢れてしまいそうだった。現に足は小さくカタカタと振るえ、止まらない。
萃香が一見無謀にも思えるその危険が伴った行動をした理由は『拳銃の射撃を避ける事ができる』と思ったからだ。
拳銃は狙ったところならどこにでも高速の弾を飛ばすことができる便利な道具というのが私の認識だ。
そしてその精度はそこそこ高い。そこに目をつける。
使用者が狙ったところには的確に飛んでいく。逆に返せば狙わなかったところには飛んでこないだ。
これが一つ目の理由。
そしてもう一つの理由。
弾を発射するには、引き金を引かなければならないってこと。
使用者はある道具を使うときには何かの事前動作が必要になるのは大抵の道具に当てはまる。
弓は弦を引くこと、剣は鞘から抜き、振りかぶること。銃は引き金に指をあて、引かなければならない。
指を引いた瞬間に狙ったところに弾が飛んで来るのなら。指が引かれきる前に狙ったところから逃げればいい。
でも、普通にジャンプとかして逃げようとすれば、指が動き始めてから引き金を引ききるまでのわずかな間に銃弾の射線上から逃げられるとは到底思えなかった。
それが人間の、何の力もない者の思考。それが、常識。
その常識をぶち壊す。
忘れてはならない。私たちは『飛べる』のだ。
地面を歩くことしかできない2次元から飛ぶことによって3次元の世界へと飛び立つ。
アリを踏み潰すことは簡単だ。しかし、空を飛ぶハエを叩き落すことは骨が折れる。
私は飛ぶことによって指が動いたときに逃げることで弾丸を避けた。
この行動で当たらないという自信は殆どなかった。なぜなら、飛来する弾丸を見ることはできなかったから。目に見えないものを信用するなど難しい……
しかし、この行動をしようと決断を下すことに後押ししてくれたのも目に見えないものだった。
私の背中の後ろに居る者たちと、私の関係だ。
さて、こいしちゃんがちゃんと気絶しているのを確かめて、拳銃を回収しなければ……
さとりちゃんには悪いがこっちだって命がかかってる。殺すことも視野に入れて行動させてもらおう。
そもそも、どうしてあのこいしちゃんがこんな風になってしまったのか調べる必要がありそうだ。
私は吹き飛ばした民家の中へと入った。
〆
「つっ!!」
私、秋静葉は痛みで目を覚ます。
とても短い間であったが寝てしまったようだ。
体の間接が固まってしまったかのように四肢が動かない。
私の意思に反して、体が動くことを拒否しているような感覚だ。
まだ時間はそう経ってはいない。しかし、外から音は聞こえてこない。
状況がつかめない。まだ鬼は戦っているのか? それとも勝負が決してしまったのか?
動かないほうがいいのか? それとも情報を集めに行った方がいいのか?
秋静葉は考える。
まず落ち着きなさい、私。深呼吸して自分を落ち着かせる。
見たところ先ほど隠れていた民家だ。となると、この民家の正面で鬼とあの少女は戦ったはずだ。
私の体には洋服の布が巻かれている。その布は私の血で赤く染まっていた。
無論、巻かれたところの下には傷がある。治療してくれたようだ。
「鬼さん……」
鬼を探そう。近くには何の気配も感じないからきっと戦いが終って、鬼はどこかに行ってしまったのだろう。
少し薄情であると思ったが、鬼という種族は地下に移り住んでからそういう性格になったのかもしれないと中りをつけた。
性格がどうであれ、今一番頼りになる人は鬼以外に居ない。
助けてもらったお礼もしていないのだから、探し出してお礼を言おう。
そう、心に決め、体を起こそうとしたときだった。
隣にはルナチャイルドという名前の妖精が横たわっている。私を助けるために命を散らした勇敢で心優しい妖精だ。
私は戦闘中に気を失ってしまって、まだ彼女の傷口を洗ったりなどの死んだ体が恥ずかしくない状態にできていない。弔い前の状態。
拳銃弾の衝撃で後頭部が西瓜割りのときの棒で殴られたようなぐじゅぐじゅな状態に砕かれ、体は軽機関銃の一発でも致命傷に至りそうなくらいの破壊力を持つ弾丸を5、6発とは言えないほどしこたま打ち込まれ、臓器が傷口から零れ落ちそうな状態。
気持ちが悪いとかそういう感情は生まれなかった。
私が驚いたことはここではない。
彼女が死してなお、目を見開いていたことが私にとって重要だった。
後頭部で爆弾が爆発したかのように後頭部が見るも無残な状態であるというのに、顔、目だけはしっかりと形が残っていた。
彼女のルビーのような赤い目にもはや光はない。死んでいるのだから……
しかし、死んで間もないので、目はまだ乾ききっていない。その薄く張った涙と瞳が作る鏡……
瞳の中には私の顔ともう一つ酷く歪んだ笑顔の少女の顔が映っていた。
――ブツッ!
反射的に体を転がせる。
私が寝ていた所、首があった所にフランベルジェが振り下ろされた。
先ほども確認した。辺りに気配はまったくないと!
現に、ルナチャイルドの瞳に映った少女の姿を確認するまで気配を感じることはなかった。1mと私との距離は離れていないというのにもかかわらずだ。
彼女を認識してから気がつく。悍ましい殺気。
これほどの殺気を放ちながら私の背後1mまで近づいたのか? とクレイジーな仮定に頭が混乱する。
まるでペンギンが空を飛んでいるところを見ているようだ。
「あれ? おかしいね。フフフフ……避けられちゃった」
「あ、ぁああ……」
突如当てられた恐怖と理解不能の理論に言葉が回らない。
私の本能に浮かんだことは『逃げろ』だった。
床に刺さったフランベルジェを引き抜いたこいしは再び静葉に向かって斬り付る。
寝ている状態で襲われたのが私の運の尽きだ。
とっさに身の前へと出した左腕に火を付けられたかのような激痛が走る。意思とは関係なく目は見開かれ、涙が零れ、喉が震える。
フランベルジェは私の腕の肉の中に入った状態で止まっていた。
骨が直接触れられている。その触れているものはもちろん振り下ろされたフランベルジェだ。
刀身が波打つ剣、それはまるで揺らめく炎のようだ。
その銀の刀身が血で真っ赤に染まり、本当に炎を宿したかのように見える。
「あ、あぁぁああぁあ!!」
「ん? よいしょっと」
悲鳴を上げた静葉とは対照的にこいしは冷静にフランベルジェを静葉の腕から引き抜く。静脈も動脈も一緒に切断した傷口から血が噴出した。
そのまま5分もすれば出血多量で死んでしまうほどの血が流れ出ているのにもかかわらず、こいしはまだ命の炎が消えていないことが気に食わない。
再びフランベルジェを静葉へと振り下ろす。
「やめて、お願いだから……」
フランベルジェは静葉へとは届かなかった。
季節は冬から春にかけての間の季節。まだ気温は肌寒く、民家には暖をとる道具が残されていた。
静葉が寝ていたところは火鉢の近くであった。火鉢には炭を扱う道具、火箸がある。
この家にはそれがなかった。しかし、この家の主はそれの代わりとして火掻き棒を使っていた。
静葉はとっさに掴んだその火掻き棒でフランベルジェを受け止めたのだった。
「ふぅん……」
こいしはフランベルジェを引き、再び振りかぶりながら相手を品定めするようにつぶやいた。
「任せて、アリスさん、これなら勝てるから」
〆
恐る恐る民家へと入った。
伊吹萃香は浮かない顔をしていた。
私は恐れを、不安を抱いている。
その不安は一度目の体当たりのときから始まったものだった。
自分の力が制限されているから懇親の力をこめた体当たりを直撃させても相手は昏睡しなかった。
そう、最初に思った。いや、今もそうなのだろうと思っている。
しかし、そう2発目の拳を腹へとぶち込んだときからある違和感、不安は大きくなった。
あることが頭をよぎるようになった。
もしかしたら、自分の力の制限以外にも何か要因があったのではないか? と考えるようになった……
考えすぎだろう。今の私の気持ちだ。
一部屋一部屋警戒しながらこいしちゃんの姿を探す。
そして、壁が壊れた部屋にたどり着いたとき、私の考えがいかに浅はかだったと思い知らされることになる。
壁をぶち破った部屋に、こいしちゃんの姿はなかった。
あの攻撃を喰らってこれほど早く回復して移動しただって?
私は知らず知らずのうちに常識に捕らわれていたのだ。
私の常識では私の懇親の力の拳を喰らえば蓬莱人であろうと数分は動くことすら叶わない痛みに襲われるはずだ。覚に過ぎないこいしちゃんならなおさらのはず……
常識が私を虚実の幻想世界へと誘った。
すぐに私の失態が形となって押し寄せる。
私の耳に命の恩人が上げた悲鳴が、守るって鬼の名をかけて宣言した神の悲鳴が……届いた。
「くそっ」
私は神さまが居る民家へと駆ける。
ほんの数メートルを走るだけなのに足がものすごく遅く感じる。
ほんの数秒が長く感じる。
鬼の名をかけて守ると決めたのに。魂に誓ったのに……
私は民家の扉までたどり着いた。間髪を入れずにその引き戸を開いた。
神と少女はお互いに持った得物で斬り合っていた。
秋静葉は片方の腕に火掻き棒を持ち、同じく片手でフランベルジェを持つ古明地こいしの攻撃をその火掻き棒でしのいでいた。
しかし、静葉の腕から流れ出る血で床に血溜りができていた。
「鬼さん!」
静葉は萃香の姿を見て喜びの声を上げる。
絶望の中に見えた光だったのだろう。その顔がぱぁと明るくなった。
こいしにとって、その心持は隙以外の何物でもなかった。
こいしはフランベルジェを火掻き棒の『掻き』の部分に引っ掛けて腕を振るった。
静葉は虚を突かれ火掻き棒をその手から離してしまう。
火掻き棒は宙を舞い、ガァンと音を立てて壁にぶつかった。
これで静葉は素手、何も武器を持っていない状態。
絶好の攻撃の機会。
「やめろぉお!!!」
私は叫ぶ。足よ、動け。
私の意に反して足は動かなかった……
「だめだめ。私はアリスさんと!!!」
こいしは静葉へと足を踏み込んだ。フランベルジェを高く振り上げる。
静葉はとっさに両手を体の前へと出し、身を窄める。
しかし、十分な勢いを持った刀剣にその行動が何の意味を成さないことなど火を見るより明らかだ。
血飛沫が私の頬に飛来し、赤く染める。
私は何が起こったかわからなかった。
突然、少女……こいしが転倒したのだ。
「お前さん!」
静葉はがくっと膝を折って倒れこむ。
私は我に帰り、神とこいしちゃんの間に滑り込む。
「おい! 大丈夫か?」
血色が悪い。血を流しすぎている。
一刻も早く手を打たなければ、しかし、その前に敵をどうにかしなければならない。
私はこいしちゃんのほうを睨んだ。
こいしはまだ転倒した状態から起き上がってはいなかった。
いや……これは……
「ううううう…フゥ……フゥウ……」
こいしは歯を食いしばり、立ち上がる。
額に脂汗を浮かべて息が荒い。その理由は足から流れ出る大量の血液である。
丁度私が撃たれたとの同じような傷がこいしの足に刻まれ、鮮血があふれ出ていた。
こいしは窓のほうをキッと睨んだ。
パキュム!
「うぐっ……」
何か風を切るような音が耳に入った。同時にこいしちゃんはくぐもった悲鳴をあげ腹を抱える。
「なんだい、なんだい? 銃が効かないのかい? あんたは」
窓から射手が現れる。
窓枠に土足を掛け、そのまま室内へと入った射手。
長く艶かしい長い銀髪の射手。
右手に持った鉄パイプに取っ手を付けただけのような拳銃のボルトを引き排莢を行う射手。
射手、藤原妹紅が姿を現した。
「なんだ、悲鳴が聞こえたから駆けつけてみれば私が探していた鬼じゃないか……まだ生きていてよかったよ」
妹紅は私の姿を見てにっと笑った。
妹紅はこいしが弾き飛ばした火掻き棒を拾い上げ、それを肩に掛けながら言った。
「悪いがそこにいる鬼に私は用があるんだよ。このままどこかに行くもよし、私に攻撃するもいいよ。
だけど、そこの鬼とその……お連れさんに手を出すんだったら私は容赦しないよ。
もっとも、私に攻撃してきたって容赦はしないけどね」
火掻き棒で肩をとんとんと叩く妹紅。まるで不良がガンを飛ばしているような挑戦的な目つきだ。
「あぁあ、あぁぁあああ!!」
こいしはフランベルジェを構える。
地面に水平に構え、両手をグリップへと添える。
突きの体勢。フランベルジェを妹紅へと向けて突進する。
カァン!
妹紅は肩に掛けた火掻き棒をそのまま振り下ろした。
妹紅の肉体を求めて喰らい突いたフランベルジェは民家の床板をその歯に食わされる。
「言ったよ。容赦はしないってね!!」
フランベルジェを押さえつけた火掻き棒はまるでバトンを操るように優雅に線を描く。火掻き棒を巧みに操る妹紅はそのまま振りかぶり、一気にこいしのわき腹目がけ振るった。
「かはっ!」
こいしは自分の耳に自分自身の骨が砕ける音が響いてくるのを聞いた。直後に襲われる耐え難い苦痛。体の臓器が一斉に痛みを叫ぶ。呼吸がまともにできずに何度も咳き込む。
妹紅の力に火掻き棒が耐えられず、ぐにゃりとその鋼鉄の体を曲げた。
その歪に曲がった火掻き棒を萃香のほうへ投げ捨てると、こいしが持っていたフランベルジェを奪い取る。
萃香はその火掻き棒を拾う。長物をもった鬼と蓬莱人が相手ではこいしにとって相当不利であろう。もう勝負が決していると言っても過言ではない。
「さて、どうする鬼? こいつを殺すか?」
妹紅はできれば殺したくないなーと思っていた。しかし、現状で油断を許せない状況であることは明らかだ。甘いことは言ってられない。
てゐは殺しを行う可能性がある人物であった。しかし、自ら進んで殺しをしているのではなく、現状に無理やり殺しをさせられていた形に近い。
それに、話し合う余地と敵の強弱を見極めての無謀な戦いは避けるちゃんとした理性があった。
しかし、こいつはどうだ?
まるで獣か機械人形だ。殺すことしか考えていないように思える。
生半可に長年生きていない。この状態は一種の戦争中毒『コンバット・ハイ』だ。
病名は知ってるが治療法など知る由もない。
そもそも精神病なんてものはつばを塗っていれば直るものじゃないことを自分がよく知っている。
死ぬほどの傷を完治させる蓬莱の薬でも心の病は治せないからだ。
「こいしちゃん……」
萃香だって殺したくない。古き地底に住んでいたころからの知り合いなのだ。
しかし、状況。
見逃してもこいしちゃんは殺しをやめることはないだろう。
私もこの幻想郷に殺し合いを強要されている。
これはそういうゲームで、そのゲームの中に私は居るのだから……
……ごめん、こいしちゃん。
怨んでくれてもいい。
あの世で私を何度でも殺していいから……
死んでくれ……
「――殺せ」
妹紅はやれやれと肩をすくめるとフランベルジェでこいしを切り捨てた。
フランベルジェはこいしの胸から腹にかけて斜めに通過する。
こいしの着ていた水色のカーディガンが刃物によって切り裂かれる。
「な!?」
「ふふふふふ……残念ね」
血は……出なかった。
カーディガンの裂け目から出てきたのは血でも内臓でもない。
黒い強化繊維を幾度も織り込まれた防具、防弾チョッキ。
その防具は、萃香の鬼の力を吸収し、妹紅が撃ったウェルロッドの銃弾を止め、火掻き棒の衝撃をいくらか受け流し、フランベルジェの刃が体を切断することを阻止した。
異常なこいしの耐久力の答えがそこに終結していた。
こいしは投げナイフを取り出すと妹紅へと投げた。
こいしは自分が切られても死なないことを知っていた。しかし、妹紅はこいしを切り捨てるという想像を、未来を見ていた。
突然の未来の変更。妹紅の頭脳はパラドックスで一瞬の混乱状態に陥っていた。
ザシュッ!
避ける事ができず、投げナイフが妹紅の腕へと刺さる。
「くそっ!!」
妹紅は毒づく。
こいしの後ろから萃香が火掻き棒を振るう。
ブンッ!
しかし、火掻き棒は宙を切った。
こいしは身を屈めて火掻き棒をくぐったのだ。
萃香をこいしは上目で見つめる。萃香は火掻き棒を振った反動で動くことができない。
――やばっ!
「復燃「恋の埋火」」
こいし、スペルカード宣言。
ハートの形をした弾幕が2つ出現する。
一つは妹紅へと、もう一つは萃香へと向かって飛来する。
ハートの弾幕に萃香は吹き飛ばされる。
萃香の腹から胸にかけて、着ていた服は黒く炭化し、萃香の肌は赤く爛れていた。火傷だ。
このハートの弾幕はそのスペルカード名の通りに燃えているのだ。長い炎の尾びれが小石と萃香、妹紅との間に壁のように立ちふさがったのだった。
鬼は熱に強い事が幸いして萃香は生き残ったが、常人なら炎に包まれて焼死していただろう。
「温いよ、そんなちんけな炎はッ!」
しかし、萃香よりも、こいしよりも炎とともに人生を歩んだ藤原妹紅には効かない。
「私への攻撃に炎を選択するなんてね。その選択は大間違いさ」
妹紅の背中に不死鳥が舞い降りた。
十何世紀も生き続ける過程で手に入れた妖術だ。
炎の尾びれに妹紅は飛び込む。
炎の壁を抜けたとき、妹紅は面を食らう。
こいしは妹紅にも目もくれずにひたすら天井を眺めていたのだ。
妹紅は理解する。最初からハートの弾幕は妹紅と萃香を攻撃するものでも、逃げるためでもないということ。そして本当の狙いは『天井』だったということ。
天井に二つの弾幕が突き刺さった。
二つの弾幕が刺さったことの衝撃で天井は崩壊する。
見たところそれほど新しい民家ではない。築10年ほどだろうか?
そんな民家の天井裏には大量の埃が積層する。
天井という支えを失った埃は一気に重力の鎖に縛られ、地面へと落ちる。
しかし、埃は軽い。
スモークのように萃香、静葉、妹紅、そしてこいしが居る室内に埃が舞う。
こいしは妹紅が入ってきた窓から外へと飛び出た。
かという私たちは突然天井から降りてきた埃のスモークに気を取られ室内へと残された。
「妹紅!」
民家の扉が突如開かれ、その者は叫んだ。
「てゐか」
「早くその部屋から出るんだ。あいつの狙いは目眩ましじゃないよ!! 本当の狙いは……」
てゐの声を遮るように、こいしはハートの弾幕を放った。
復燃「恋の埋火」の弾幕はまだ続いたままであった。
一度消えたと思われた弾幕は、再燃する。
ハートの弾幕から伸びる炎の尾びれ。それが空気中を舞う埃に接触した。
ヂッ!
恋の炎は空気中に舞う埃を喰らい、激しく燃え上がった。
粉塵爆発と呼ばれる化学現象が発生したのだった。
数千度の炎が室内に満たされ、民家の屋根を梁を柱を、ルナチャイルドの死体を焼く。
灼熱地獄のカラスでさえ怯んでしまいそうな業火だった。
爆発というよりはナパーム弾の焼夷攻撃。
そんな爆炎の中に居ればどんな生物でも焼死しているだろう……
最終更新:2010年03月29日 21:45