吾亦紅

吾亦紅 ◆Ok1sMSayUQ




 煌々と輝く太陽の光が肌を照らす。藤原妹紅はひとつ息をついて、眩しすぎる太陽に目を細めた。
 いい天気だ。こんな状況でもなければ遊びに行くにはもってこいの日和だろう。
 もっとも、竹林にこもりきりの自分にとってはあまり関係のない話だっただろうが。

 そんなことを考え、苦笑の皺を刻んだ妹紅は河城にとりとレティ・ホワイトロックの情報を受けて再度人間の里へと向かっていた。
 目的は、幻想郷最強の種族とも謳われる『鬼』の伊吹萃香の捜索及び保護。
 言わば人助けのために動いているのだが、実際のところは個人的な思惑によるところが大きい。

 霊夢に逃げられ、アリス・マーガトロイドと同行していた少女に狙われて以来、妹紅の胸中には漠然とした不安が常に漂っていた。
 自分の為そうとしていること、自分が志していることに意味はあるのか。
 やること為すことが裏目に出てばかりの妹紅に以前のような自信はなく、そんな自分がのうのうとしていることが許せなかった。
 危険を承知で萃香の捜索を引き受けたのはそれが理由でもあった。

 半ば自分のせいで二人もの命が喪われたという事実。
 それが妹紅の心に重く圧し掛かり、償わなければならないという気持ちを生んでいた。
 要は、何かやっていないと気が収まらなかったのだ。
 まだ万全な状態ではなく、戦闘を続行できるかも怪しいものだというのに。

 性懲りもなく、また死にたいと思っているのだろうか、と自分の心を眺めてもそうとは考えられなかった。
 生きたいと思っている。記憶と共に、上白沢慧音のはにかんだ顔も思い出せる。
 こうして焦っているのは、やはり行動が空回りばかりしているからなのだろう。

 生き甲斐を見つけたかった。自分が生きたいという思いだけではなく、自分でもここにいていいと言ってもらいたかった。
 藤原妹紅は、人間だから。不死の体でも、永遠以上の時間を過ごせる異形の体なのだとしても、ひとりはつらい。
 心はいつまで経っても人間で、誰かと一緒にいて安らぎを得たかった。
 たとえ相手が有限の時間しか持たないとしても、妹紅は構わなかった。

 諦めたつもりだったのに、全然諦めきれていないらしいと妹紅は苦笑する。
 願いに従ってしまえば、ひた隠しにしていた思いが浮き上がってくるのは容易いことだった。
 だからこそ認めてもらいたかったのかもしれない。
 自分の安全なんて二の次で、心が安寧を得られるというのなら……

「……それこそ、死にたがっているとも見られかねないか」

 ひとりごちて、妹紅は溜息をついた。生きるということは難しくて、よく分からない。
 考えずに生きてきた結果なのだろうし、そうなのだろうという自覚があった。
 これは難題だ、と妹紅は考えて、輝夜ならこの難題にどう答えるだろうかと思った。

 同じく不死の咎を背負っている次のお姫様。蓬莱山輝夜でも答えに窮するのだろうか。
 輝夜も輝夜で何を考えているのか分からない節がある。
 暇潰しで自分に刺客を送ってきたり、かと思えば普通にお茶会に誘ってきたこともある。

 輝夜が奇異な行動を取るたびに認識をかき乱され、どう接していいのか分からなくなり、
 最終的にはもうどうにでもなれという気持ちで輝夜の馬鹿げた行動に一々付き合うことにした。
 その利点といえば文字通りの暇潰しくらいでしかなかったが、本心がどうであるのかは考えるだけ無駄だったのでそこは諦めている。

 恨みという感情はないではなかった。寧ろ輝夜に対する感情の半分近くを占めていたのだが、
 真面目にぶつけたところで輝夜は死ななかったし、彼女もまた永遠以上を生きる罪人だと知ってしまえば、
 いくらかの同情も生まれようというものだった。

 無論自分をこんな目に遭わせた元凶としてのわだかまりも残っていて、だからこそ輝夜を理解する気が涌かなかった。
 結局、輝夜にはどんな難題も別の意味で通じないだろうと結論した妹紅は、足早に思考を切り替えることにした。

 再び里に戻ってきたが、とりあえずは人の気配はない。
 戦いの後だ、そういうものかと思い、萃香の手がかりでも探してみようかと歩き出そうとしたところで「う、動くな」という声を聞いた。
 とんだ勘の悪さだと呆れつつ振り返ってみる。

「……妖怪兎?」

 人ではなく、妖怪だった。小柄な体にいくつもの傷をこしらえ、鼻息も荒く鉄砲らしき筒を構えた姿がある。
 確か永遠亭にあんな奴がいたような気がする、と思い出して声をかけようかと思ったところで、
 「動くなって言ったろ!」と金切り声がつんざき、妹紅は無言で手を上げるしかなかった。

 観察してみたところ、妖怪兎はかなり興奮しているようで下手に動くと危ない。
 鉄砲の性能は世事に疎い妹紅には見当がつかず、ここは慎重に行くべきだと判断した結果だった。
 少しは自分の身を案じるだけの冷静さは残っているらしいと思考して、妹紅は「要求は?」と尋ねた。

「なによ、随分冷静じゃない……怖くないの? 私はあんたを殺すんだよ」
「だったら、問答無用で撃てばいいじゃない」
「近づかないと当てられないからよ。私はそこまで扱いなれてないから」

 なるほど確かに妖怪兎は一歩ずつじりじりと近づいてきていた。
 しかし迂闊だ。扱いなれてないということは鉄砲は素人だということ。
 そして鉄砲は遠距離から狙撃できる反面、当たりにくい武器でもあるということをバラしているようなものだ。

 武器を持った高揚感で冷静さを失っているのだろうか、と思ったが、妖怪兎の様子は尋常ではない。
 もうどうにでもなれと自棄にもなっているような、成功も失敗も蚊帳の外にしている危うさがある。
 逃げようと思えば逃げられるだろうが、話し合うだけの余地もあると考えた妹紅は挙動に注意しつつ言ってみる。

「私の名前、知ってる? 妖怪兎さん。藤原妹紅っていうんだけど」
「藤原……!?」

 驚愕に目を見開いた妖怪兎だったが、すぐに敵意に満ちた視線へと戻し、皮相な笑みを浮かべた。

「あんたこそ、私の名前を知らないようね。因幡てゐ。永遠亭の妖怪兎。そして、地上の兎のリーダーよ」
「永遠亭の……?」
「そうよっ! 私は知ってるんだからね! あんたが死なない体なのも、でも今は死ぬ体なんだってことも!」

 どうやら自分の正体も、不死の力はなくなっているという事実にも気付いていたようだ。
 しかしそんなものは先刻承知であり、死なないと驕っているつもりもない。
 寧ろその事実をどこで知ったのかが気になった。
 てゐは勝ち誇ったように笑みを吊り上げる一方、途方に暮れたような表情で「そう、ここじゃ誰も助けてくれないんだ」と続けた。

「誰も助けてくれない。鈴仙も、お師匠様も、姫様も私を見捨てた……みんな私を置き去りにして……」

 嘲るような口調は、孤独に蝕まれた者のものだった。
 絶望しか信じられなくなった瞳を寄越して、「でも私は死にたくないんだ」と重ねた。

「だから殺す。優勝しさえすれば、生きて帰れるんだ」

 そうなってくれと願うような声だった。何もかもを信じられないあまり、
 殺し合いに優勝すれば生きて帰れるという言葉さえ信じられなくなったてゐの言葉を受け止め、
 妹紅はここで逃げるわけにはいかないと思いを新たにした。

 逃げ出しても良かった。鉄砲で撃たれる確率は高く、五体満足で生き延びようと思うならその方がいいのだろう。
 しかしそうして生き延びたところで、この体に何の意味がある?

 アリスの仲間だった少女を助けられなかったときから、初めて妹紅は生き甲斐というものを考え始めた。
 その正体は今も分からないし、これから先につかめるものなのかどうかも分からない。
 だがこれだけは間違いない。ここで自分の命だけを優先するような奴に、生き甲斐を求める資格はない。
 孤独に苛まれるのが人なら、寄り添うのも人。
 妖怪と人間の違いはあるとはいえ、言葉を交わせるのなら問題はなかった。
 死も生の観念もその瞬間にはなく、人として当たり前の行動をしようとだけ考えた妹紅は、てゐの瞳と相対した。

「私は、殺し合いには乗ってなんかいない」
「はっ、信じるもんか!」

 信じることを拒否した声と共に鉄砲が持ち上がる。
 あれの引き金が引かれれば、きっと自分は死んでしまうのかもしれない。
 だがそんなことは関係ない。目を反らした時点で、きっと自分は負ける。恐らくは、てゐの心も巻き込んで。
 だからここで踏み止まらなければならないんだと思いを結び、妹紅はじっとてゐを見据えた。

「私を助ける奴なんていない。だってそうでしょ? こんな弱い妖怪なんかいたって役立たずだもんね」
「……だからあなたも、私が殺すって思うの?」
「そうだよ。私は永遠亭の、仲間だって思ってた連中からも見捨てられたんだ。だったら、赤の他人のあんたなんて信じられないよ」
「その言い方……永遠亭の誰かには会ったのね?」

 質問を重ねる妹紅に、自分の立場を知らないのかというようにてゐの目が険しくなる。
 少々無神経だっただろうか。ヒヤリとしたものを感じて唾を飲み込んだ妹紅だったが、
 てゐはひとつ嘲笑を寄越して「そうよ」と言った。

「鈴仙と、姫様にね。もっとも鈴仙は姫様の言いなりになって私を殺そうとして、姫様も嘘をついてたけど。
 ばっかみたい、自分は死なないんだって嘘をついて、私達を利用するだけ利用して……それで姫様は死んじゃうんだもの」
「死んだ……? 輝夜が?」

 俄かには信じられないてゐの物言いに、妹紅は鉄砲を突きつけられていることも忘れて一歩詰め寄った。

「く、来るなって言ったでしょ!」

 再びてゐの銃口が目に入り、我を取り戻した妹紅はぐっと押し留まったがそれで輝夜が死んだショックが収まるわけもなかった。
 あの飄々としてつかみどころのない輝夜が死を迎えたという事実が信じられなかったのだ。

 それだけはないだろう、という認識がどこかにあった。
 だからこそもし輝夜と出会ったらという想像を捨てられなかったし、その時には殺し合いになるかもと考えもした。
 同じ不死の者としてのシンパシーを感じながらも、自分の一族を辱めた恨みは厳然として残っており、
 決着をつけたいとどこかで期待していたのか。
 拍子抜けする感覚と、自分よりも先に死を迎えた輝夜に対する狡さとが渾然一体となって、妹紅にわけもない寂しさを感じさせたのだった。

「そうよ、もう利用されてたまるもんか。利用されて、捨てられて、死ぬのは嫌なんだよ……」

 てゐが感じているであろう絶望の一端が分かったような気がした。
 輝夜がてゐと密接な関係にあり、曲がりなりにも信用していたからこそ、利用されていたときのショックが大きかった。
 自分とて慧音に裏切られれば何も信じられなくなってしまうかもしれない。
 でも、そうだとしても……

「……輝夜のところに案内して」

 確かめたかった。輝夜は何故仲間さえも利用したのか。
 永遠を生きるからこそ、永遠の一刹那が大切なのだとも語っていた輝夜が、どうして他者を利用するような真似をしたのかと。
 相対するべきはてゐではない。
 てゐの背後に居座る、輝夜の亡霊だった。

「なんだって? あんた、自分の立場を分かって」
「聞こえなかったの? 案内しなさいと言っている」

 かつて自身がそうであった頃の貴族の声で命令すると、ひっ、とてゐが小さな悲鳴を上げた。
 鬼気迫る表情であろうことは自分でも想像出来ていたが、思った以上に恐ろしい表情になっているのかもしれない。

 だがてゐはそれでも食い下がるように、鉄砲の引き金に手をかけた。
 ここで行かせてしまえば誰も殺せない臆病者になる。そう頑なに思い込んでいる目があった。
 妹紅はそれでも引かず、ただ貴族の声で続けた。

「下がりなさい。私の敵は、あなたではない」

 迷いも臆面もなく出された言葉は凛とした矢になって、てゐを貫いた。
 よくもまあ貴族面が出来たものだと内心呆れるが、
 あの輝夜に真正面から向かおうとするならこれくらいはしなければという思いもあった。
 その意味では、妹紅は今まで輝夜から目を反らしてきたのかもしれなかった。

 決着をつけたいと思いながらも、その実終わらせた後にどうすればいいのか見当もつかず向き合おうとしなかったのが今までの自分なら、
 この先の生き甲斐を見つけるために輝夜と相対しようとしているのが今の自分といったところか。
 何にしても、輝夜が死んでしまった今となっては遅きに失したと言えるのかもしれないが。
 それもまた、妹紅の不実の一部だった。

「何よ……そんな顔したって……!」

 虚勢であることは誰の目にも明らかながら、てゐもまた引かなかった。
 こうなれば無理矢理にでも引き摺ってゆくかと考えて、妹紅は一歩てゐに近づいた。

「う、撃つって……言ってるでしょ!」

 てゐの指が。

 引き金を引く。

 乾いた一発の銃声が、木霊を上げて響いた。

     *     *     *


 硝煙のたなびく鉄砲をぎゅっと抱えて、てゐはぺたんと尻餅をついていた。

 なぜ。どうして。
 狙いはつけたはずだったのに。まるで最初からそうなっていたかのように、
 銃弾は妹紅の頬を掠めただけで殺すことはおろか重傷にさせることもできなかった。

 迫力に呑まれたといえば、そうなのかもしれない。
 事実鉄砲の反動に押される形で尻餅をついてしまっていたし、力も入らない。
 妹紅の振る舞い。まるで輝夜を彷彿とさせるような、毅然とした佇まいと射るような目線。
 気迫負けしたのは当然のことだったのだろう。

 しかしそれだけではない、とてゐは半ば諦観を含んだ思いで胸の内に吐き捨てた。
 どうせ無駄だと思っていたから。
 ここで妹紅を殺せたところで、どうせ自分はいずれ死んでしまうと捨て鉢になっていたから。
 誰も騙せない。誰も助けてくれない。孤独でしかないてゐが生き延びることは不可能だと理性は分かりきっていた。
 それでも死にたくなかった。不可能だとしても死ぬ恐怖には抗えない。
 生きるものの意地を押し通して引き金を引いたのに……

 結局は本能よりも何かを成し遂げようとする意志の方が勝っていたということなのか。
 いや、半ば生きる意志さえ放棄していた自分は既に死に体で、誰にも勝てるはずはなかった。それだけのことなのだろう。

「輝夜のところに案内して」

 手を差し出しながら妹紅が言った。従うしかないだろうと思いながらも、妹紅の手を取ることはしなかった。
 せめて少しはプライドを守りたかったのか、何も信じないと決めた心がそうさせたのか……
 ふん、と悪態をつきながら立ち上がる。どうせなら案内するふりでもして逃げてやろうかと思ったが、首根っこを掴まれた。

「その前に、武器没収。本当に撃った度胸は認めてあげるけど」
「……好きにしなよ」

 どうにもこうにも、自分の魂胆は見切られ通しだと嘆息して、てゐは押し付けるようにスキマ袋を差し出した。
 輝夜の遺体の近くに落ちていたものだ。中身にはこれといった武器はなく、恐らくは捨てられたものなのだろう。
 スキマ袋のなかったてゐはそれを拾って白楼剣を仕舞っていた。鉄砲も今しがた入れたばかりなので、正真正銘自分は手ぶらだ。
 殺し合いが始まったばかりの自分なら白楼剣でも隠し持とうなどと思っていただろうが、今はその気力もなかった。

 どうも、と礼にもならない礼をして妹紅が先を促した。
 気力の萎え切った体は一歩も進みたくないと駄々をこねていたが、
 そんなものが妹紅に通じるはずもなく、てゐは一歩一歩重たい足を動かした。

「そういや、どうしてあんたそんなボロボロなの? 輝夜に命令されて誰かを殺しに行ったの?」
「質問が好きな人間だね」

 もう喋るのも億劫だというのに、全く無遠慮だとてゐは思った。
 沈黙を押し通しても別の質問攻めにされるとも限らず、そちらの方が鬱陶しいと考えて大人しく話すことにする。

「姫様に命令されたのは最後よ。永琳を助けろ。そうすれば、あなたも永琳も助かるから、って……でもそんなの当然でしょ。
 姫様はあのお師匠様が本当のお師匠様だって信じてるんだから。
 つまり姫様の言い分で考えれば、私が優勝しても、お師匠様は主催者だから当然助かる。
 助けろっていうのは殺し合いを加速させろってこと。あのお師匠様は、本物じゃないのに……」
「本物じゃない?」

 驚きを含んだ妹紅の口調に、てゐはまた失笑する。輝夜の知り合いのくせに、全然物事を知らないではないか。
 永琳との関係くらい知っていても良さそうなはずなのに。

「あれがお師匠様なはずないでしょ。姫様に対する態度を見てれば、あんなことは絶対にしない。
 お師匠様は何よりも姫様が大切なんだから。何かお灸を据えたいとかそんなんなら、もっと別の方法にするよ。
 こんな野蛮で、暴力的なことはしないのがお師匠様さ」
「そうなんだ……私、いつもあの医者に叱られてる輝夜しか見た事がなくて」

 意外なことを知ったというような妹紅の言葉に、てゐは笑う気もなかった。
 妹紅の言動は嘘だとは思えない。自分の無知を正直に認め、受け止めている。
 質問が多いのもひょっとすればそのせいなのかもしれない。無知だからこそ、少しでも成長しようとする。

 不死の化物のくせに、人間らしいじゃないか。

 奇妙な感心を抱き、そんな自分を知覚して馬鹿馬鹿しいと思い直し、妹紅の人間性も見抜けなかった自分に呆れた。
 長年生きてきた割にはこんなことも分からない。それとも長く生きすぎて固定観念に凝り固まってしまったのだろうか。
 誰もが騙せると思い込むようになり、誰もが自分を助けてくれないと思い込むようになった。
 生きる者は皆すべからく違い、ひとつとして同じものはないということも忘れて……

 だがそんな希望を抱いたところでどうする、とてゐは浮かびかけた考えを打ち消した。
 それで自分の立場が変わるわけでもないし、良くなるとも思えない。
 所詮負けた奴はずっとそのままなのだ。強者だけが勝ち、弱者は屠られる。
 まして、こんな殺し合いの中では。
 暗澹たる思いに沈むのも億劫になり、てゐは「私がボロボロなのは」と続けた。

「逃げてきたから。死にたくなくて、他人を利用しようとして、それが失敗したってわけ」
「私を殺そうとしたように?」
「その通り。もっとも、最初から最後まで失敗続きだったけどさ。笑えるよね、騙せてたって思った奴が、
 実は最初から見抜いてて、泳がせてただけなんてさ。弱者は所詮弱者。生き死にも強い奴の自由ってことか」

 この状況への皮肉と、自らを嘲るつもりで言ってみたが妹紅は無言だった。
 しばらくしてからようやく一言、「だったら、私も弱者ね」と残しただけだった。
 妹紅も妹紅なりに修羅場でもくぐってきたのかと思ったが、尋ねるつもりはなかった。
 そうしたところで無駄だといつもの自分が囁いたからだった。
 姑息で、打算的で、利害しか考えられない自分が。
 ボロボロになった今になって、ようやく少しばかりの虫唾を感じられるようにはなったが、取り返しがつかないことだった。

 それからはお互い言葉もなく、黙々と歩き続ける。
 輝夜の遺体は、しばらく歩いた先の、里の中でも一際古ぼけた町並みの中にあった。
 胸を一突きにされ、おびただしい血の池を広げて、蓬莱山輝夜は仰向けに横たわって、浮かぶように死んでいた。

 体中痣だらけで、艶のあった黒髪もぼさぼさで、質素でありながら仕立ての良かった服も見るも無残に破れていて。
 てゐのとっての絶対的な柱は、朽ちて腐り落ちた老木のようにも思えた。同時に、絶望の象徴でもあった。
 死なないはずの体は死を迎え、そうまでして成し遂げようとしたことはただ殺し合いに乗ったということで、
 嘘をつき、欺き、鈴仙を貶め、自分も貶めた成れの果て。
 そして身勝手に絶望だけを残して輝夜自身は彼岸の彼方へと旅立ってしまった。
 いずれ自分もそうなるだろうという諦めと、現在の自分の孤独との両方を思い出して、てゐは力なくうな垂れた。

「……あれが姫様だよ。本当に死んでるんだ」

 やっとの思いでそれだけを搾り出し、てゐはぺたんと地面に座り込んだ。近くの民家の長椅子に歩くだけの気力もない。
 改めてどうにもならない現実を突きつけられた、その感覚だけがあった。
 妹紅が無言で横を通り過ぎ、真っ直ぐに輝夜へと歩いてゆく。

 ここで姫様が起き上がって、妹紅をくびり殺してくれたらいいのに。そうしたら、私はまた人を騙せるのに。
 そんな想像は所詮空想でしかなく、ありもしないことを期待した自分にまた虫唾が走った。
 だが、ここにどんな希望がある? たった一人で、じわりじわりと押し寄せてくる死神から、どう逃げればいい?
 逃げたところで追い詰められて、鎌を振り下ろされるだけだというのに。
 死にたくない。願いはただそれだけなのに……

 なら殺しなさい、と輝夜が、鈴仙が囁く。
 無理でもやるしかないと彼女達は言っていた。ここは殺し合いの場だから。
 絶望だけを信じればいい。恐怖を餌に、本能だけに従って食い殺せばいい。
 出来なくてもやるしかない。個人の意思も可能性も関係なく、そうするように仕組まれているから。
 誰も、輝夜ですら逆らえない絶対服従の規律。殺した者だけが全てを支配する、力の倫理を――

「――この、バカグヤっ!」

 てゐの思いを吹き散らしたのは、感情も露に叫んで、遺体を足蹴にする妹紅の声だった。
 憤懣やるたないといった表情で、ただ怒っていた妹紅は先ほどの貴族然とした振る舞いの欠片もない、一人の人間の姿だった。

「あんたね、姫様でしょ!? 姫の癖に、簡単に逃げるなっ!
 死なないことをずっと苦しんできたんでしょ! だから命を大切にしてきたんじゃないの!?
 それを、それを、こんな殺し合い如きで翻すなっ! 底が浅いのよ!」

 罵声を飛ばし、輝夜の遺体を踏みつけ続ける妹紅。だがそれは恨みを晴らしているというよりは、
 不甲斐ない同志を叱っているように思えた。唖然とするてゐにも構わず、妹紅はぽろぽろと涙を零し始めた。

「私にも、この兎にも! あんたは恥じるような生き方しかしてないじゃない!
 私はそんなの絶対嫌なんだからね! 生き続けてやる。私はいっぱい苦しんで、いっぱい悩む!
 それで少しでも人にも、自分にも恥じない生き方をしてやる! 悔しいでしょ、バカグヤっ!
 あんたに魂の充足なんてない! 永遠に、死んでればいいわ!」

 自分が泣いていることにも気付かず、妹紅は輝夜と喧嘩していた。
 ああ、この二人は本当に知り合いで、因縁浅からぬ関係だったんだという納得がすっと広がり、てゐの心に微かな火を灯した。

 妹紅もまた、気付いている。ここには絶望しかないということを知っている。
 それでもなお彼女は諦めないのだろう。どんなに辛くて、苦しくても生きるしかないと知ったから。
 みじめに心が死ぬのは嫌だという、ただそれだけの思いに衝き動かされて。

「あんたの難題、受けて立つ! 私は……藤原の娘、妹紅だっ!」

 気迫の叫びと共に、妹紅の背中から炎の羽が生えたように見えた。
 あれが不死鳥とも言われる炎の妖術だろうかとも思ったが、出現したのはたった一瞬に過ぎず、本物なのかどうかさえも判然としなかった。
 袖で顔を拭った妹紅はようやく自分の涙に気付いたようだったが、嗚咽は一つも漏らさなかった。
 人間のくせに。てゐが思ったのは妹紅に対する浅からぬ嫉妬心と、これからの身の振り方をどうするかということだった。

 この人間は、一人だ。一人だけれども、精一杯押し潰されまいとして足掻いている。
 その結果押し潰されたのだとしても、『人に恥じない生き方』をしたことで心に残る。現に自分が嫉妬しているように。
 孤独という死に至る病から逃げるために、妹紅はその道を選んだのだ。
 悔しい。悔しいけれども、妹紅が羨ましかった。
 自分は、仲間の鈴仙一人だって説得できなかったというのに……

「さて、と。私はこれから、鬼探しに行かなきゃいけない。悪かったわね、あなたを引っ張り回して」

 戻ってきた妹紅は、ポンとてゐの前にスキマ袋を投げた。
 目をしばたかせていると、「返すわ」とそっけない口調で言われた。

「鉄砲は抜いておいたけどね。かといって丸腰でも危ないだろうから、刀だけ返してあげる」
「どうして……私、またあんたを殺そうとするかもよ」
「あなたを丸腰のまま放り出して、次の放送で死なれる方が気分悪いから。別に拘束する気もないし」

 臆面もなく言い切った妹紅には、てゐに自分が殺せるはずがないという驕りなど一切なく、
 ただ最低限には身を案じてくれているという気遣いがあった。

 殺そうとした相手に、ここまでできるものなのか。気分が悪いという妹紅の言葉を酌めば、恐らくはただの自己満足なのだろう。
 それでもこのまま利用されるよりはマシだったし、またそうしたくないという妹紅の気持ちは分かっていた。
 だからこそ、てゐは「甘ちゃんなんだよ」と毒づいた。徹底的に輝夜と戦うつもりらしい、この愚かな人間に。

「ああ、あと別に輝夜の埋葬なんてしなくていいし、するつもりもないから。そんな暇、ないもの」
「私もするつもりなんてないよ」

 輝夜を嫌っての言葉ではなく、単純に地理的条件からそう言っただけなのだが、妹紅も同じ考えに至っていたらしい。
 もっとも妹紅はそれ以上の意味を含んでいそうだったが。

「そう。じゃあね、兎ちゃん。精々輝夜のようにはならないように願ってるよ。……その時は、多分あんたも許さないと思うから」

 挑戦的な視線を投げかける妹紅に少し身が引けたが、構わず「待ちなよ」と呼び止める。

「鬼を探すって? 外見は知ってるの?」
「……角があるんじゃない?」
「正確には知らないんじゃない」

 どこか間の抜けた返答を寄越した妹紅を笑いつつ、てゐは一つの交渉を持ちかけた。
 死にたくない。それで騙そうとして、嘘をついて、それで失敗したのなら交渉しかない。
 それならば、まだ道はあるかもしれない。追い込まれた結果そうするしかないとも言えたが、他に方法もない。

「私は知ってる。幻想郷には顔が広いからね。伊吹萃香でしょ、あんたの探してる鬼は」

 幻想郷で鬼といえばそれしかない。地底まで含めれば分からないが、第一候補としてはそれしかないと思って言ってみた。
 案の定妹紅は「よく分かるね」と感心したように頷いていた。

「それにあんた、竹林に篭もりきりで地理に詳しくないでしょ。だから私が先を歩く。あんたは勝手についてくればいい。
 でも、私は殺されそうになったらあんたの後ろに隠れる。そしてあんたは戦う。……どう?」
「護衛をしろってことか。……そう言えばいいのに」

 先ほどの一件から考えて遠回しに言ってみたのだが、そもそも妹紅はそんなことを気にかけていないようだった。

「なるほど、確かにそれだと私は後ろから刀で刺されずに済むわね」
「で、どうなのよ」
「ま、勝手にすれば? 勝手についてくればいいだけみたいだし。鬼はさっきまでこの里にいたらしいんだけど」
「私も見てないよ。どっか行ったんじゃない?」
「ってことは、生きてるってことね」

 ひとり納得して、妹紅はどこかホッとした表情を見せた。元から知り合いだったとは思えない。
 それなのに心配できる彼女が、やはり羨ましかった。

「それじゃ適当に探そうかな。んー、紅魔館とやらに行きたいな」

 わざとらしく言って、妹紅はのそのそと歩き出した。あまりにもあからさまで、
 応じるのもバカバカしく思ったてゐは無言で先に進み出た。

 とりあえず、交渉には成功したようだった。これでいいのか、と今までの自分が言う反面、
 嘘をついていたときの緊張もそれほどにはなかったのもまた事実だった。
 どちらが得なのかは後々判断すればいい。そう断じて、てゐは前を向いて歩き出したのだった。


【D-4 人里 一日目 午後】
藤原 妹紅
[状態]※妖力消費(後4時間程度で全快)
[装備]ウェルロッド(4/5)
[道具]基本支給品、手錠の鍵、水鉄砲、光学迷彩
[思考・状況]基本方針:ゲームの破壊及び主催者を懲らしめる。「生きて」みる。
1.萃香を助ける。
2.守る為の“力”を手に入れる。
3.無力な自分が情けない……けど、がんばってみる
4.にとり達と合流する。
5.慧音を探す。


【因幡てゐ】
[状態]中度の疲労(肉体的に)、手首に擦り剥け傷あり(瘡蓋になった)、軽度の混乱状態
[装備]白楼剣
[道具]基本支給品
[基本行動方針]死にたくない
[思考・状況]
1,生き残るには優勝するしかない? それともまだ道はあるの?
2,妹紅が羨ましい

※輝夜のスキマ袋はてゐが回収しました。


114:比那名居天子の憂鬱 時系列順 120:伽藍の堂
117:誰がために鐘は鳴る(後編) 投下順 119:悲しみの空(前編)
112: 藤原妹紅 129:酒鬼薔薇聖戦(前編)
110:赤い相剋、白い慟哭。 因幡てゐ 129:酒鬼薔薇聖戦(前編)


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最終更新:2010年07月28日 19:40
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