正直者の死(後編) ◆shCEdpbZWw
どこかで聞き覚えのある音が小さく聞こえた。
その刹那、自分の足元で地面が弾ける。
妹紅がそれを銃撃であることを自覚するまで、さほど時間は要しなかった。
とはいえ、妹紅にとっては完全に奇襲であったために、どこからの銃撃であったかまでは判別できない。
辺りをキョロキョロと見回し、人影が見えないかどうかを探るのが精一杯である。
「な、なに突っ立ってるんですかっ! 早く建物の中に逃げましょう!」
血相を変えたさとりが妹紅のもとへと駆け寄る。
だが、先ほどまでの我を忘れた状態とは違い、元のさとりへと戻っているように妹紅は感じ取った。
「あ、ああ。分かってる……」
黙っていれば蜂の巣にされてしまうことは妹紅も重々承知である。
まして、寺子屋の前には身を守る盾になりそうなものがまるで見当たらない。
ならば、元来た方へ戻り、襲撃者に対処せねばならない。
そう思って振り返った時に、妹紅は異変に気付いた。
寺子屋を飛び出してすぐに銃撃を受けたのだから、振り返ればそこに寺子屋があるはず。
だが、振り返った先にあるはずの玄関は3、40間は離れたところに口を開けていたのだ。
「え?」
妹紅は思わず声を漏らした。
一体何が起こったのか、それを考える間もなく、再びタタタ、と銃声が響く。
思わずその場から妹紅は飛び退くと、さっきまで自分のいたところの地面で弾が当たる音がする。
ズキズキと左足は悲鳴を上げているが、それに構っている暇はない。
「さとりっ、早く逃げ……」
そうして、さとりがいる"はず"の方を振り向く。
が、すぐそばにいたはずのさとりは、何故か十数間ほど、さらに寺子屋から離れたところにいるのだ。
さとりも異常に気づき、妹紅のもとへ駆け寄ろうとする。
しかし、またしてもタタタン、と音が聞こえたかと思うと、さとりが慌てて立ち止まる。
どうやら、襲撃者はさとりの目の前の地面を撃って助けようという動きを牽制したらしい。
もっとも、襲撃者の目星はついている。
あの時、萃香と共に閻魔・四季映姫と対峙した際に、映姫の後方から霊夢と共に走って来た長身の女だ。
あの女が構えた銃から聞こえた音と、今自分たちを襲う音が全く同じじゃない、そう妹紅は気づく。
だが、その女が"距離を操る程度の能力"を以て、妹紅と寺子屋、そしてさとりとの距離を操ったことまでは知る由もなかった。
何故いきなり広場のど真ん中にいるのか、分からない事は脇に追いやり、妹紅はさらなる最悪の事態に思いを巡らす。
(くっ……あの女がいるってことは、もしかして霊夢も……?)
しかし、襲撃者は考える暇さえ与えてくれないらしい。
また軽快な音が聞こえたかと思うと、再び妹紅の周囲で小石が弾け飛ぶ。
妹紅はどうにか射線を特定して迎撃しようと考えるが、攻撃態勢にはなかなか移ることが出来ない。
少し体を動かすごとに相変わらず痛みが走る左足を庇いながら、なんとか立ち止まらぬように動き回る。
その間もタタタン、タタタン、と銃声が響き、弾が風を切るような音が聞こえる……ような気がした。
万全の足であれば、7、8秒もあれば玄関に飛び込める。
だが、足に傷を負った今の妹紅ではそうもいかず、寺子屋までの距離が妹紅には酷く遠く感じられた。
メチャクチャに動いて狙いを攪乱しようとするので、最短距離を刻めないこともその思いに拍車をかける。
何度目になったか、また銃声が聞こえてくる。
先程から、数度にわたって続けざまに自分の周辺に弾が飛んでくる気配を感じた妹紅は悟った。
(ちっ……狙いはこの私、ってことか……!)
足が不自由な事を見抜かれたか、それとも個人的な恨みでもあるのか。
襲撃者の動機など、この際妹紅にはどうでもよかったが、狙われたからと言ってはいそうですかと屈するような人間ではない。
かと言って、反撃の手段に乏しいのも事実であり、このままではジリ貧であることも妹紅は自覚していた。
どこかから発せられる、自分に向けての殺意をひしひしと感じ取りながら、何とか寺子屋に逃げ込もうと妹紅は足を進める。
……しかし、現実は非情であった。
十度目くらいの銃声が妹紅の耳に届くと同時に、今までとは別の痛みが妹紅の左足から伝わる。
足がもつれてその場に倒れこんだ妹紅は、傷ついた左足が敵の銃弾をかわし切れなかったことを瞬時に理解した。
玄関まで残り4、5間ほどのところまで辿りついていたが、ついに敵の毒牙にかかってしまったのだ。
何とか体を起こして這いずりながらも妹紅は建物を目指そうとする。
だが、次の銃弾が飛んでくるまでの時間はほぼないであろうこと、心の底では今していることが悪あがきであることは理解していた。
(くそっ……! こんなところで……こんなところで私は……っ!)
萃香、にとり、レティの無念を晴らせていない。
猫妖怪、アリス、こいし、てゐに対する罪悪感も消えていない。
何より、あの輝夜の死体に向けて切った啖呵が、妹紅の脳裏をよぎっていた。
(生き続けてやる、って誓ったじゃない……! 人にも自分にも恥じない生き方をする、って誓ったじゃない……!
このままじゃ……このままじゃ私は何一つ為すべきことを為せていないままじゃない……!)
妹紅は歯を食いしばり、体を起こして再度歩き出そうとする。
瞳に浮かぶ涙は、銃撃を受けた痛みというよりも、むしろ悔しさによるものであった。
そんな妹紅の心中などお構いなしに、その命に幕を下ろさんとして最後の銃声が鳴り響く。
これで最期か、思わず妹紅は目を瞑った。
* * *
しばらく力を温存しておいた甲斐があった。
小町は心底そう思っていた。
小町は自らの能力が、この場でどこまで制限されているのか、それをあまり知らずにここまで来ていた。
基本的に弾幕に古銭を用いる彼女は、その種が無い以上弾幕を主戦力に出来なかったということもあり、妖力の消耗は最小限であった。
(能力を使ったのは……あの神様の時くらいかね)
守矢の一柱を沈めたあの戦いが小町の脳裏をよぎる。
あの時でさえ、まだ間引くべき人妖が多く残っていたこともあり小町は先々を見据えてその能力をフル活用はしていなかった。
諏訪子の進路をほんの一尺ほど弄り続けて、相手のミスを待つという戦法に出たがために、あの場では能力の制限に気づきづらかった。
建物に逃げ込まれては厄介、そして万一ターゲットから狙いが逸れて護衛対象に当たってしまっては最悪。
そう考えた小町は妹紅と寺子屋の、そして妹紅とさとりの間の距離を出来る限り操作したのだった。
結果は、それぞれ数十間離すのが精一杯であり、それだけでも小町は思わずめまいを感じたほどであった。
だが、もしここまでその能力に頼り切った戦いをしていれば、この結果も得られなかったのではないか、小町はそう考える。
(これでまずはあの蓬莱人を……仕留める……っ!)
一度ターゲットに駆け寄ろうとしたさとりに対しても銃を向ける。
もちろん、当てる気は無く、近寄らせないための牽制にすぎなかった。
彼女の性格からこれ以上介入してくることもないだろう、と小町は考える。
牽制の射撃に対して動きを止めたさとりからは視線を外し、再度妹紅に向けて照準を合わせる。
能力を使ったのが諏訪子との一戦以来でもあれば、動き回る相手を狙うのも諏訪子との一戦以来であった。
小町もこの24時間余りで銃の扱いには慣れてきたとはいえ、その程度で銃を完璧に操れるほど甘くは無い。
まして、トンプソンは決して狙って打つための銃ではない上に、ターゲットとの距離もそれなりに離れている。
こうしたことから、手負いの相手ではあったがなかなか仕留めきれずにいたため、小町は思わずギリ、と歯ぎしりする。
だが、下手な鉄砲数撃ちゃ当たる。
妹紅が寺子屋までもう数歩というところまで迫ったところで、ようやく小町の銃が妹紅の体を捉えた。
足を抑えて蹲りながらも、なお諦めずに寺子屋を目指そうとする妹紅を見て、小町は思わず感嘆の息を漏らした。
(流石は蓬莱人、生への執念が半端じゃないねぇ……)
伊達にここまで生き残ってきたわけじゃないのかね、そう称賛しながらも、引き金に籠める力は緩めない。
これで1人沈めて残りは8人、そしてあの方は私の庇護のもとに置かせてもらう。
小町はそう念じながら、最後と決めた銃弾を放った。
* * *
――音と同時に、二人の間に割り込む一つの影があった。
* * *
今までの自分だったら理解できなかっただろう。
自分はその能力故に忌み嫌われ、地底に封じられた。
力を見込まれて地底の管理こそ任されはしたものの、この力故に自分ははみ出し者の多い地底においてでさえはみ出し者であった。
自らを避けることのない、無垢な心を持つペットとのみ心を通わすようになったのはいつからだろうか。
そのペットも怨霊の力を食らうことで力をつけた者は、自分に畏怖の念を感じていたということは知っていた。
この力故に、孤独を感じ、そして人を信じられなくなっていたのだった。
この場においても、サトリという種族は皆に疎まれる存在であることが彼女の根本に横たわっていた。
だからこそ、偽名を名乗りもしたし、自らが生き残るためには危険因子を有無を言わさずに排除することだって厭わなかった。
だが、この場での多くの人妖との触れ合いは彼女の持つ観念を大きく変えるだけのものがあった。
誰にでも悪意が潜んでいるという現実を目の当たりにし、それでもなお他者と分かり合う努力を惜しまなかったワーハクタク。
自らの心が折れて、その場を逃げ出したかったときに知ってか知らずか素直な言葉を投げかけてきた宵闇の妖怪。
己が愛する二柱を喪ってもなお、理想を曲げることなく確固たる信念のもとに動き続けている現人神。
自らの罪と向き合い、後悔の念を抱えながらもなお、良心に基づき力の限り生き抜くことを選んだ蓬莱人。
打算、計算を捨て切れたわけではない。
それでも、清濁併せ呑んで生きているのは人妖問わず変わらないことじゃないかと、彼女は気付いた。
全てに絶望し、何もかも投げ捨てようとした自分に声をかけた
ルーミアはどうだったか。
そのルーミアが間違いを犯し、それを断罪しようとした自分を止めた時の早苗はどうだったか。
恨まれる可能性があることを自覚しながら、訥々と自らの罪を打ち明けた時の妹紅はどうだったか。
そして何より――自分を庇って命を散らした慧音はどうだったか。
なまじ心が読めるばかりに、あらゆる存在が内包する悪意に気づき、それを蔑んでいたのが過去の自分だった。
自分が忌み嫌われるのも、皆が何か後ろ暗いことを抱えているからではないか、そう思ったことだって一度や二度ではない。
そして、皆が汚れていると蔑むことは、即ち自らを綺麗なものであると思おうとしていたのではないか。
自分だって同じだ。
欲にまみれて醜くもなお生き続けるという点においては変わらないはずなのに、そこから目を背けていた。
そうして自分の暗部を受け入れた時に、初めて自分もまた悩み、もがき苦しみながらも理想を信じようとしていたことに気づけた。
少し前の自分なら、ペットがいなくなったからといっても、いつものことだとそのままにしておいたかもしれない。
自分があれほど取り乱してしまうことなど、想像もつかなかったことだった。
この24時間余り、それは妖怪にとっては短すぎる時間だが、彼女は自分の暗く閉ざされた心が優しく解きほぐされていくのを感じていた。
少しは素直に感情表現も出来るようになったということも、自分に正直になることが出来た証左なのだろう。
未知の力で、自分と妹紅が引き離された。
一度だけ、襲撃者が牽制の射撃を入れてくる。
それに少しばかり怯みはしたものの、何とかするという決意は揺るがなかった。
目の前で友が猛攻を受けていた。
すっかり標的を友に絞ったらしく、こちらに弾が飛んでくる気配は感じられない。
なんとかして友を援護するべく、彼女は再び力の限り駆け出す。
その刹那、銃撃を受けた友が地面に這いつくばる。
致命傷ではないらしく、何とか立ち上がろうとはしているが、それも時間の問題であることはすぐに見て取れた。
放っておけば自分は助かるのではないかという打算も、残された身内がどうなるのかという考えも、その瞬間は消え失せていた。
このことを問う機会があるとするならば、身体が勝手に動いていた――と答えていたかもしれない。
――友の前にその身を投げ出した少女に、無慈悲に弾丸が撃ち込まれた。
* * *
最期を覚悟したはずだった。
だが、顔を上げた妹紅が目にしたのは、ゆっくりとこちらに倒れてくるさとりの姿だった。
外に飛び出していきなり銃撃を受ける、何故か寺子屋とさとりから遠ざかる、妹紅にとって訳の分からないこと続きである。
その極めつけが目の前の光景である。
倒れこんでくるさとりを、どうにか妹紅は受け止めた。
その胸と腹を見ると、みるみるうちに紅に染まりつつあった。
鳴り響いた銃声、ジワリと広がり続ける血、この二つの事象が導き出す答えは一つだった。
「なんで……どうして……っ!」
さとりを抱き寄せながら、妹紅が叫ぶ。
確かに赦すとは言われたが、何故自分の妹を殺したような女の盾になってしまったのだ、と。
「さとり……っ! しっかりしなさいってば……っ!」
その必死の呼びかけに応えたのだろうか、ゲホッ、と大きくさとりが咳き込んだ。
と同時に、その口からは血が溢れだしてくる。
まだ生きているとはいえ、一刻を争う状況であることは見て取れた。
「くっ……このっ……」
痛む左足をおして立ち上がった妹紅は自らの足だけでなく、さとりも引きずるようにして目と鼻の先まで迫った寺子屋を目指す。
どういうわけか、銃声が響かなくなった。
襲撃者の気まぐれか、それとも弾切れか……いずれにせよ、妹紅にとって攻撃の手が止まったことは僥倖であった。
「しっかり……死ぬんじゃないわよ……っ!」
妹紅は絶えず言葉をかけ続ける。
力なく一度だけ、さとりが頷いたように見えた。
さとりを引きずった跡を示すかのように、真っ赤な血の痕跡も遺されている。
どこに逃げ込むかは一目瞭然である……が、逃げ込まないわけにもいかなかった。
再び寺子屋に入った妹紅は、板張りの廊下をなおもさとりを引きずりつつ進む。
そして、手近な部屋に入り込み、さとりともどもその場に倒れこんでしまった。
ゼイゼイ、と荒い息を切らす妹紅に対し、さとりの呼吸は時を追うごとに弱まる一方である。
さとりの頬を軽く叩き、意識を手放さないように妹紅が尽力する。
だが、傷の手当てに必要な手段を持ち合わせていない現状では、最期の時がやってくることを先延ばしにもできなかった。
「……妹……紅」
弱々しい言葉がさとりから漏れる。
「さとり……っ! もういい、喋らないで……っ! 無理に力を使わないで……っ!」
半ば懇願するかのように、妹紅が縋り付く。
しかし、それをやんわりと拒むかのように、さとりが首を振る。
「いいん……です。自分……の……した……ことに……な、納得は……してます……から……」
瞳から涙をボロボロと零しながら、妹紅がさとりの手を握りしめる。
その手からぬくもりを、妹紅の心を感じたさとりが、柔和な笑みを湛えた。
「お願い……です……お、お空を……あの子を……頼みます……」
「そうじゃないでしょ!? さとり、あんたのペットでしょ!? あんなに会いたがっていたじゃないの!?」
「いえ……妹……紅に……貴女に……なら……任せられ……ま……す」
再び、さとりがニコリと微笑みかける。
短い付き合いとはいえ、妹紅はさとりのそんな表情を見るのが初めてであった。
そして……その笑顔を崩さぬまま、さとりはその生に幕を下ろした。
後にはさとりの手を握りしめ、涙を零して項垂れるだけの妹紅だけが遺された。
ギシ……ギシ……と廊下から足音が聞こえてくる。
その音が、殊更寺子屋に響き渡るようであった。
* * *
結果はよりにもよってターゲットとの間に身を投げ出した護衛対象を撃ち抜いてしまうこととなった。
一瞬、何が起こったか分からなかったのは小町も同じであった。
妹紅を仕留めるのに集中するあまり、さとりへの注意がおろそかになっていたのは確かだ。
だが、さとりのこの動きは予想もしなかったことだ。
今出来る力の限りで距離を離したし、牽制の一発だって入れておいた。
その後、妹紅の粘りに手を焼いていたとはいえ、小町としては現状の手駒の内でやれることをやったはずだった。
小町は、自分が撃ち抜いたさとりが、スローモーションのようにゆっくりと倒れていくのを、ただ呆然と見つめていた。
あたいは何をした?
幻想郷を救うための賢者を撃ってしまった?
これで幻想郷は終わりってこと?
もう何もかもおしまいなの?
小町はショックのあまりトンプソンを取り落しそうになるのを、何とかこらえた。
顔を上げると、妹紅がさとりを引きずりながら寺子屋に逃げ込もうとするのが見えた。
このままじゃ終われない、せめてあの蓬莱人は始末しておかないと……
そう思い、引き金に手をかける……が、手応えはない。
弾が出ないことに疑問を持ちながら、さらに二度、三度とせわしなくガチャガチャと引き金を引く。
やはり弾は出ず、小町の表情に焦りの色が浮かぶ。
(こ、こんな時に弾切れなんて……!)
マガジンには50発籠められるとはいえ、手持ちの銃は軽機関銃だ。
それだけ消費も早いうえに、先だって妹紅やルーミアを襲った時に多少なりとも弾を使っていた。
残りの弾数に注意を払っておらず、ここでの弾切れとなってしまったのだ。
慌ててドラムマガジンをスキマ袋から取り出し、装着しようとする。
……が、銃の扱いに熟達しているわけではない小町が、機敏なリロードなど出来る訳もない。
焦りもあって手元が覚束ない中で、どうにかマガジンを装着した時は、既に二人は寺子屋へと逃げ込んだ後だった。
もう室内での不利だなんだと言っている場合ではなかった。
小町は木から飛び降り、そのまま広場を駆け抜けて寺子屋の玄関へと向かう。
玄関前からは、さとりのものであろう血がずっと寺子屋の中に向けて残っていた。
銃を構える手に力が籠もる。
あの神様と同様に、さとりも恐らく長くは無いのだろう。
それならば、ここで是が非でも妹紅を仕留めなければ、小町のしたことは全て無駄なことになってしまう。
幻想郷のことを思えば、妹紅の命とさとりの命とでは釣り合いが取れないのだが、生かしてしまうよりはマシだった。
血の跡は板張りの廊下にも続いていた。
小町は注意深く血の跡を辿るが、床板はミシ、ミシと音を立てる。
そして、玄関から一番近い教室の中へと血の跡が伸びているのを小町は確認した。
(あの足じゃ、遠くには逃げられないはず……間違いなくこの部屋にいるはず……っ!)
そう確信した小町が慎重に教室の中を窺う。
そこには、亡骸と化したさとりの姿だけがあった。
思わず目を丸くした小町は、焦りの色をさらに濃くする。
(どういうことだい……っ!? どこに……どこに隠れた……っ!?)
血の跡は畳の上に横たわるさとりのところまで一直線に伸びていた。
廊下は一本道であり、妹紅とすれ違ったのならば気づくはずだった。
念のために廊下に目を遣るが、血の跡はこの部屋にだけ伸びている。
足を撃たれた出血がすぐに止まるとは思えず、小町は妹紅が奥へと逃げた可能性を排除した。
「どこだいっ!? 出てきなよっ!?」
小町は思わず声を荒げた。
苛立ちに任せて文机を蹴り上げるが、その下に隠れている様子もない。
教室奥の物入れも開けてみたが、誰もいない。
(部屋の中にいない……? でも奥に向かったわけでもない……?)
小町はしばらくの間徹底的に、その教室を探し続けた。
畳も剥がし、床板も外してその下も含めて調べを進めたが、これといった手掛かりは見つからないままだった。
ターゲットが見つからないイライラが、徐々に小町の心中を支配し始めた。
小町が血の跡を再び外に向かって辿ったのは、室内をあらかた調べ終わってからのことだった。
一段と大きい血だまりが出来ているのは、おそらくさとりが撃たれた地点だったのだろう。
その血だまりから、点々と外に向かって血が落ちているのを見つけた時に、小町は妹紅を取り逃がしたことを悟った。
小町は怒りからトンプソンを地面に叩きつけそうになるのを抑えて、一つ思い切り地団駄を踏んだのだった。
* * *
寺子屋から数町離れた人里のある角。
先程までそこに影も形もなかった少女が一人、突如として姿を現した。
妹紅が寺子屋を脱出できたのは、彼女が着込んでいたとある支給品のおかげであった。
萃香救出のためにと、にとりから託された光学迷彩である。
これを着込んで姿を消した妹紅は、小町に気取られないよう、さとりを引きずった跡を辿って自らの出血をごまかしながら逃げたのだった。
……だが、姿さえ消していれば、不意打ちで小町を仕留めることは出来たのではないだろうか?
妹紅はそれを選択しなかった。
手持ちの武器は残り1発だけのウェルロッドにフランベルジェと包丁、そしてダーツの矢。
鹵獲したばかりのFN SCARに関しては、使い方もほとんど分からない状況である。
もし不意打ちを仕掛けようとして、それを相手に悟られてしまったら?
それなりの傷を負わせることが出来るのならまだしも、仕掛ける前に見つかってしまってはたまらない。
左足に重傷を負った今の自分では、一度見抜かれたら最期、あとは死あるのみである。
そうなってしまうと、なんのためにさとりが命を張ってまで自らを生かしてくれたのかが分からなくなってしまう。
さとりの死を犬死にしないためにも、妹紅はその場では矛を収める決断を下した。
なにより、最期にペットの今後も託されており、その頼みを無碍にすることもまた、妹紅には出来なかった。
涙に濡れた瞳は真っ赤に染まっている。
悔しさと悲しさから、脱ぎ捨てた光学迷彩を地面に投げつけ、拳で板塀を一発殴りつけた。
さとりに生かされ、そしてこの光学迷彩でにとりからも生かされたようなものだ。
「私は……私は何をしているんだ……!」
目の前で多くの人妖が犠牲になる様を見てきた。
数々の屍の上に、今の自分の生が成り立っているこの現状に、妹紅もまた言いようのない苛立ちを抱えていた。
ほんの少しでも死ぬことに憧れた過去の自分に対してさえ、憤りを感じるほどに自己嫌悪を覚えていた。
ふと、ザッザッと重い足取りでこちらに近づく足音が妹紅の耳に入った。
もう追いつかれたか、と一瞬慌てた妹紅が顔を上げる。
そして、驚きで目を丸くしながら言い放った。
「何で……何であんたがそいつと一緒にいるのよ」
視線の先には小さな妖精をおぶったボロボロの鴉天狗が、何が起きているのか分からないといった表情で妹紅の方を見つめていた。
【D-3 人里・北のはずれ 二日目深夜】
【藤原妹紅】
[状態]腕に切り傷、左足に銃創2ヶ所(ともに弾は貫通)
[装備]ウェルロッド(1/5)、フランベルジェ、光学迷彩
[道具]基本支給品×3、手錠の鍵、水鉄砲、包丁、魔理沙の箒(二人乗り)、にとりの工具箱、
アサルトライフルFN SCAR(0/20)、FN SCARの予備マガジン×2、ダーツ(24本)
[基本行動方針]ゲームの破壊、及び主催者を懲らしめる。「生きて」みる。
[思考・状況]
1.閻魔の論理は気に入らないが、誰かや自分の身を守るには殺しも厭わない
2.さとりを殺した奴、にとり・レティを殺した奴を許さない
3.文が何故サニーといるのか問い詰める
4.空を捜索して合流した後、博麗神社で早苗たちとの合流を目指す
【射命丸文】
[状態]瀕死(骨折複数、内臓損傷) 、疲労中
[装備]胸ポケットに小銭をいくつか、はたてのカメラ、折れた短刀、サニーミルク(S15缶のサクマ式ドロップス所有・満身創痍)
[道具]支給品一式、小銭たくさん、さまざまな本
[思考・状況]基本方針:自分勝手なだけの妖怪にはならない
1.人里で体を休め、同志を集めてレミリア打倒を図る
2.私死なないかな?
3.皆が楽しくいられる幻想郷に帰る
4.古明地さとりは一応警戒
5.妹紅から情報を聞き出す
* * *
小町は再び寺子屋へと引き返していた。
そして、改めてさとりの死体を検分していた。
「まったく、安らかな死に顔なことで……あたいの気も知らないでさ」
何かを成し遂げたような、そんなさとりの顔を見て小町はぽつりと吐き捨てると、そのまま死体の傍に胡坐をかいた。
そして頭を掻きながら、ふーっ、と一つため息をつく。
「あたいはあんたを守りたかったんだよ? 誰の為でもない、幻想郷の為にね」
まるで語りかけるかのように小町は言葉を並べるが、当然目の前の屍からは反応が無い。
小町はまた一つ大きなため息をついた。
「これで残る賢者は二人だけ……かい」
合流を躊躇えば別のところで命を散らし、合流を目指せば自らの手で命を摘み取ってしまった。
やることなすことが裏目に出続けているような感じにさえ、小町には思えてくる。
残りは自分以外で11人。
その数も勘定に入れながら、小町の中にある思考がむくむくとその頭をもたげてくるのだった。
「信用は出来ないけど……真剣に検討した方がよさそうだね……その"ご褒美"とやらも」
【D-3 人里・寺子屋 二日目・深夜】
【小野塚小町】
[状態]万全
[装備]トンプソンM1A1改(50/50)
[道具]支給品一式、64式小銃用弾倉×2 、M1A1用ドラムマガジン×4、銃器カスタムセット
[基本行動方針]生き残るべきでない人妖を排除する。脱出は頭の片隅に考える程度
[思考・状況]
1.生き残るべきでない人妖を排除し、生き残るべき人妖を保護する
2.再会できたら霊夢と共に行動。重要度は高いが、絶対守るべき存在でもない
3.最後の手段として、主催者の褒美も利用する
【古明地さとり 死亡】
【残り12人】
最終更新:2011年12月10日 09:08