正直者の死(前編) ◆shCEdpbZWw
先だっての戦闘で、共にそれなりの傷を負わされたということもある。
鹵獲したFN SCARの重量が、疲れ切った体には堪えるものだったということもある。
藤原妹紅と古明地さとりは人里の民家の壁に寄り掛かるようにしてその足を止めていた。
勇んで寺子屋へと向かい、保護した霊烏路空と
チルノを回収しようとしていたところだったが、今はそうも言っていられない。
4回目となる放送が、辺りに響き渡っていたのがその最大の要因であった。
さとりは響き渡る声が男の声であったことに、ああやっぱり、と思うに留めた。
目の前で八意永琳の死を見届けていたことに加え、その彼女を騙った主催者の心中を読んだ経験が、彼女に冷静さを保たせていた。
放送の中では
ルーミア、そして因幡てゐの二人の名もコールされた。
短い時間であったとはいえ、行動を共にした二人もまた、永琳や伊吹萃香と同様にその命を散らしていたことをさとりは知る。
とりわけ、自らが威嚇して遠ざけてしまったルーミアに対しては少なからず申し訳ないという思いを持っていた。
勿論、彼女のしでかしたことをただで許すわけにはいかなかったのだが……その行為を糺す機会も今や永久に喪われてしまった。
後ほど合流する算段を立てていた東風谷早苗、そして八雲紫の両名の生存は確からしい。
紫に依頼された永琳と西行寺幽々子の捜索に関しては満足な結果を得られはしなかったが、致し方ないでしょう、さとりはそう思う。
そして、何よりも空が一命を取り留めていたということが、さとりに喪失感よりも安堵という感情を抱かせた。
ふぅっ、と一息ついたさとりが、傍らの妹紅に目を遣る。
妹紅は愕然とした表情を浮かべていた。
3度目の放送での「輝夜が人形である」という不自然な情報から、彼女もまた永琳=主催者であるという点には疑いを持っていた。
さとりほど確証を持ってはいないことではあったが、永琳の死に立ち会ったことでこの放送で違う声が流れることに違和感は感じていない。
その声が、聞いたこともない男の声であることに少々面食らいはしたが、彼女を驚かせたのは別の情報である。
レティとにとりは、彼女に萃香救出を依頼したという経緯がある。
接点といえばそのことだけに過ぎない……が、妹紅は一度した約束を反故にするような人間ではない。
自らの力が及ばないことを知りながら、それでもなお萃香を自らの手で助け出したいと話した時のにとりの目を妹紅は思い出した。
あの強い意志を持ったにとりが、そして共にいたはずのレティが……既にこの世のものではない。
二人が向かうと言っていた紅魔館で何かあったのか、それとも別の要因か……妹紅にそれを知る術は無い。
てゐとの接点は先の二人以上にあった。
仇敵・蓬莱山輝夜の住まう永遠亭の住人である彼女には、一応の面識(といっても顔を知る程度だが)があった。
その輝夜の死を目の当たりにしたというてゐは不安定な精神状態のまま妹紅と接触し、そしてそのまま妹紅のもとから去っていた。
止めようと思えば止められたはずのてゐの暴走。
それをみすみす許した挙句に、その命もどこかで散らせてしまうという最悪の結果を突きつけられたのである。
さとりにとっての空や早苗、紫といった存在のような、妹紅にとってはポジティブに捉えられる側面がまるでないこの放送。
呆然自失となった彼女には、放送の後半で何を語られていたのかがほとんど頭に入ってこなかった。
プレゼントだ、金銀財宝だと、低俗な人間なら真っ先に飛びつきそうな単語にも反応できない。
まともな精神状態ならば、不死の命を簡単にくれてやるというような発言に噛みつくことも出来たであろうが、それも敵わない。
自分は何をやっているんだ、結果として萃香は救えず、レティとにとりの期待に応えられず、てゐも見殺しにしてしまった。
妹紅はただただ、そうした自責の念に苛まれかかっていた。
最初に出会った猫妖怪の死体を発見した時も、アリスと共にいた少女に命を狙われた時も少なからず感じていたその感情。
それが、今はこれまでに感じたこともないほどの大きなうねりとして妹紅の心中に押し寄せていた。
「……こ……! ……紅!」
その為か、隣でさとりが大声を上げていることにさえ気づくのが遅れた。
あ、ああどうしたの、と妹紅が取り繕うが、さとりが心を読まずともこの放送で何かが起きたのは一目瞭然である。
「何があったのか……話してくれませんか」
さとりがこちらをまっすぐに見据えてくる。
わざわざ聞かなくても心を読めばいいじゃない、そうした悪態をつく空元気すら今の妹紅には無い。
ぽつり、ぽつりと一言一句を紡ぐようにして妹紅は、これまでのことを話した。
にとりとレティに萃香の救出を依頼されたこと。
萃香を捜索する道すがらにてゐと出会い、そして輝夜の死体と対面したこと。
「そこから先は……もうさっきも話したよね」
「……ええ」
互いに視線を交わそうとはしなかった。
妹紅は自らが見殺しにした多くの命に対する慙愧の念に囚われている。
そして、さとりはといえば多くの人妖が命を散らす中、己が身内の無事を確認できて安堵してしまったことを悔いていた。
お燐を、そしてこいしを喪ったと知った時に感じた喪失感を、今この瞬間にも誰かが感じているはずだというのに。
二人なら、なんでもうまくいくような気がしていた。
……でも、それは一つの戦いを切り抜けられたことで高揚感を覚えていたからではないのか?
そうした思考に陥ってしまうほどに、二人の心は沈み切ってしまった。
「……行きましょう」
切りだしたのはさとりの方であった。
それを聞いた妹紅がチラ、と視線だけをさとりに移す。
「……どんなに悔やんでも死んだ者は還ってはきません……だからこそ、これ以上犠牲は増やしたくない、そうでしょう?」
さとりはといえば、妹紅の視線に気づいていないのか、それとも気づいていて敢えて目を合わせないのか。
どこか遠くの一点を見つめながら、まるで自らに言い聞かせるかのように訥々と言葉を並べた。
(死んだ者は還ってこない、か……そういえば、いつか私もそんな事言ったっけ)
再びさとりから視線を外した妹紅が、同じように遠くの一点をぼんやりと見つめるようにして呟く。
その言葉を言った時……ほんの数時間前、まだ萃香が生きていた時だった。
今とは立場がまるで逆で、あの時は私が萃香を元気づけようとしてたんだっけ、妹紅はそう思い出す。
(……まったく情けない話よね。自分が口にした言葉に、逆に励まされちゃうなんてね)
妹紅の瞳に、微かながらもまた炎のような光が灯る。
(生き残った奴らは死んだ奴らの分まで生き抜く義務がある、他の誰でもない、私が言ったことじゃない)
ふさぎこむのは後でも出来ることだ。
自分が何もせずに座して死を待つだけならば、猫妖怪に、アリスに、こいしに、にとりに、レティに、てゐに、そして萃香に。
(合わせる顔が……ないわよね)
妹紅は壁にもたれかかっていたところから、ゆっくりと体を起こした。
すると、まるで示し合わせたかのように、さとりも同時に壁に体を預けていたところから姿勢を戻した。
「さ、行きましょう。お空と妖精さんが待っているでしょうから」
そう言いながら、先刻と同じようにまた手を差し伸べてきた。
まだもんぺの下の傷からは痛みを感じるので、無理はしない方が賢明と考えた妹紅が素直にその手を取る。
「よ……っと。それじゃ、行こうか」
「ええ。あの二人もそうそう動けるような状態ではないでしょうけど……」
「じゃあ急がないとね。誰かヤル気のある奴に見つかったらマズいことになるし」
肩を組んだ二人が、再び寺子屋に向けて歩を進め始めた。
足を引きずりながら歩くその姿は、まるで過去の重荷を引きずっているかのように見えるが。
それでもしっかりと見開かれた瞳は、未来を見据えているかのように見えた。
* * *
小野塚小町が寺子屋に向かったのは、そこが光を放っていたから……という理由だけではなかった。
永琳の亡骸の近くからは、足を引きずったかのような跡が寺子屋の方角にずぅっと伸びていたのだから。
慎重に足跡を辿りながら、小町は様々な方向に思索を巡らせていた。
まずは今後の護衛対象についてだ。
既にコンタクトを取った博麗霊夢、古明地さとり、そして未だ見かけてもいない八雲紫の三人である。
このうち、霊夢と紫に関しては短期的な視点で見た時に、幻想郷で欠くことの出来ない存在であることは周知の事実である。
幻想郷という閉ざされた空間が、結界というもので不安定ながらも支えられているのは紛れもなくこの二人の力によるところだ。
これに対し、さとり……さらには既に世を去った四季映姫と西行寺幽々子に関しては、中長期的な視点に立った時に幻想郷に必要な人材であると言えた。
死者の魂や怨霊を預かる彼女たちがいなければ、幻想郷は花が咲き乱れるどころの話では済まなくなってしまうからだ。
適切に裁きを下す者がいて、その結果として魂の向かう場所である冥界や地獄を管理する者がいる。
このシステムが機能不全に陥れば、怨霊を含めた霊魂で幻想郷は満たされ、そこに住まう人妖の精神に異常をきたすであろう。
とりわけ、既に閻魔と冥界の管理者が喪われたという事実は、幻想郷の保全を望む小町にとっては痛手であった。
(今の是非曲直庁の状況からして、後任の閻魔様がすぐに遣わされるとは考えづらいしねぇ……)
自分の舟だって長いことあのオンボロを使わされてるんだし、そう愚痴りながら小町がなおも思索する。
閻魔は二交代制であるが、必定残る一人に当面は全ての責務が降り注ぐことを思うと、小町はゾッとするのであった。
幻想郷にとって幽々子が喪われたのはさらにマズいことであった。
いくらでも代えの効く自分のような死神や、その気になれば後任がいずれは現れる閻魔と、彼女は全く異質の存在である。
その才故に冥界の管理を委託されている彼女はまさにスペシャリストであり、おいそれと代わりがいるわけではないのだ。
(……ただ)
そこを埋めるピースとして浮上してくるのが、古明地さとりという存在である。
もともと地底には怨霊が渦巻いており、その管轄を任されているのが
地霊殿に住まうさとりたちである。
(……もっとも、心を読めるあのお方は怨霊にも避けられてたみたいだけどね)
それでも、霊的なものの扱いにかけてはずぶの素人というわけではない。
そもそも、現状で怨霊の管理をペットに任せていたのなら、地霊殿の方はさとり不在でもどうとでもなるということなのだ。
まだ多く残っているであろうペットに灼熱地獄をある程度預けてしまい、さとりを冥界に移すというのも一つの手である、小町はそう考えた。
また、さとりの持つその能力は閻魔の代行を当面担わせるには十分すぎるものがあった。
(なにせ、黙ってても浄玻璃の鏡を持ってるようなもんだからねぇ……)
もちろん、浄玻璃の鏡ほどに全てを見通せるというわけではないのは明らかな事ではある。
それでも、隠し事が通用しないという点において裁きを下す役を任せるには十分と言ってもいいほどだ。
そして、それ以上に小町が考えていることとしては……
(何より、霊夢やスキマ妖怪じゃ、性格的に閻魔に向いているとは言えないしね)
人妖問わず対等に接する霊夢ではあるが、良くも悪くも暢気で適当な彼女に閻魔の職務が向いているとは思えず。
白黒はっきりさせる映姫とは対照的に、混沌渦巻くカオスの具現化と言ってもいい幻想郷を心から愛する紫などは論外であろう。
二人を生き残らせる方針に変更は無いが、閻魔を任せるには不安要素が大きい。
(だからこそ、あの方には生き残ってもらわなくっちゃ)
小町は、さとりに閻魔の代行、および冥界の管理を委託させよう、そう考えていたのだ。
閻魔の人事など、一介の死神に過ぎない小町にどこまで発言権があるかは分からない……が。
現場からの推薦を、まったく取り合うことなく無視することもないだろう、小町はそう考える。
とはいえ、状況は芳しくない。
さとりには二度接触しているが、良好な関係を築けているとはまず言えない。
さらに、別の方向に思索を及ぼした時にも小町は今の状況がよろしくない事を改めて悟るのであった。
別の方向とは、永琳の下手人についてであった。
先刻の戦闘の場にいたのは、伊吹萃香、藤原妹紅、博麗霊夢、四季映姫、そして古明地さとりであった。
あの戦闘の場から、永琳終焉の地まではさほど距離が離れていないことから、このうちの誰かが永琳殺害に関わった可能性は大きい。
このうち、萃香と映姫は既に命を落としていることから、この足跡の正体とは考えづらい。
小町はそう推測し、さらに思索に耽る。
さらに、小町はさとりと接触してその場を離脱してから、永琳が霊烏路空にチルノという二人と交戦しているのを見ていた。
この二人の足跡である可能性も考えたが、永琳の死体の状況からあの二人にこんな器用な真似が出来るのだろうかと疑問視している。
小町の想像するシナリオでは、チルノと空の二人と交戦する永琳に対し、横槍を入れて奇襲をかけた者がいるのではないかというものだ。
そして、チルノと空の名前が先の放送でコールされなかったことから、この二人を保護する理由のある人妖が下手人ではないかと考える。
そう推理すれば、永琳を殺害したのが霊夢である可能性はかなり低いのではないか、そう小町は結論付ける。
(あの場にいなかった誰かの干渉が無かったとは言い切れないけど)
推測は所詮推測であり、事実とは異なる可能性が高い。
だが、あの場にいた面々の中にこの足跡の持ち主がいるとするのならば……
(あの方か、それとも蓬莱人のどちらかだろうねぇ)
小町はひとまず可能性を二つに絞り込み、それぞれについて対応を検討する。
前者ならば、有無を言わさずに保護をするしか選択は無い。
自らの所業を見られているが故に抵抗されるのは必至だが、足を引きずる程の怪我を負った重要人物を一人で放置はできない。
そして後者ならば……
(骸になってもらうしかないねぇ)
計算が正しければ、残りは自分を除いて12人。
このうち、護衛対象の3人を除けば残りは9人。
手元の弾薬と、自らの妖力を考慮に入れれば、自らその9人を残らず斃してしまうことも不可能ではないと小町は勘定する。
とりわけ、小町は自分のドジにより幽々子と離れ離れになってしまったがために、その命を散らせてしまったことを悔いていた。
(もう四の五の言っている場合じゃないね……もっと自分から仕掛けていかないと)
改めて、積極的に護衛するという方針を反芻し、小町はさらに歩を進めた。
慎重に辿り続けた足跡は、そのまま寺子屋の入口へと伸びている。
寺子屋から光が消え失せていたことに気づくが、足跡に気を取られているうちに何かあったのだろうと小町は推測した。
子どもたちが体を動かせるようにとの配慮からだろうか、寺子屋の正面は少々開けた広場のようになっている。
(さて、乗り込むべきか、それとも待ち伏せといくか、どちらにしようかねぇ)
しばしの間考え込んだ小町は、待ち伏せを選択した。
手持ちのトンプソンの銃身の長さから、室内での乱戦となった時に不安を感じたからだ。
小町は辺りを見回し、広場をぐるりと取り囲むように並ぶ木々に目を付けた。
そのうちの一つによじ登り、丈夫な枝に跨ってトンプソンを構えると、ジッと息を殺して寺子屋から誰かが出てくるのを待つのだった。
* * *
小町が寺子屋に到着した時から遡ること数分であった。
足を引きずりながらも、どうにか目的地に辿りついたさとりと妹紅は安堵のため息を漏らした。
そのまま板張りの廊下を、これまでと同じようにえっちらおっちらと歩きながら、二人を運び込んだ部屋を目指す。
「一番広い部屋だったっけ?」
「ええ、一番奥の部屋です」
顔を見合わせてこくりと頷いた。
「どうします? 二人と合流して少し休みますか?」
「ああ、そうしようか。ひとまず傷もしっかり手当てしないといけないしね」
「ただ、あくまでも小休止です。明け方までには博麗神社に向かわないといけませんから」
「……本当に紅魔館には行かないんだね?」
「貴女も諦めが悪いですね……何度も言いましたが、この傷で突撃をかけるのは無謀以外の何物でもありませんよ」
妹紅は下を向いて黙り込んでしまう。
ここに至るまでの道中で、寺子屋で二人と合流した後の行動方針について話し合っていたのだが、結論は覆らなかった。
――紅魔館は避ける
さとりが紫たちと約束を交わしていたというのが理由の一つ。
激しい戦闘を繰り返した自分たちが、ヤル気になっている誰かがいるであろう紅魔館に向かっても不利であることがもう一つであった。
にとりとレティの無念を晴らしたい妹紅は、さとりのこの提案に対して当初は拒否反応を示した。
だが、寺子屋にいる二人と合流すれば、満身創痍の人妖が四人となる。
皆がそれぞれにボロボロであり、この状況で地雷原に飛び込むことは出来なかった。
「首尾よく早苗さんや八雲紫と合流出来れば、きっと犯人を打倒する策が見つかるはずです。それまで辛抱してください」
「……分かってるよ」
諦めきれないのか妹紅が口を尖らせるのを見て、さとりは小さくため息をつく。
もっとも、呆れているとか、失望したとか、そういった意味合いは籠っていなかったのだが。
「よいしょ……っと。やれやれ、やっと着いたね」
かなりの距離に感じられた廊下を歩き続け、目的地の大教室の前に行き着くと妹紅もまたふぅっ、と息をつく。
肩にかけていた手を外し、さとりが引き戸に手をかけた。
「まだ休んでいるでしょうから……静かに入りましょう」
妹紅がこくりと頷く。
そして、極力音を立てぬように注意しながら、さとりがスーッと引き戸を開け放った。
大教室はもぬけの殻であった。
さとりが教室の隅々を見回すが、人影一つ見当たらない。
眼前の光景が異常であることには妹紅もすぐに気が付いた。
「あれ? 部屋間違えた?」
「いえ、そんなはずは……」
銃創を負った肩を押さえながら、さとりが駆け出す。
教室の奥の扉――恐らくは物入れであろう――を開けながら、ペットの名前を呼ぶ。
「お空? どこに行ったの? 出てらっしゃい?」
焦りの色を見せながら、さとりは並べられた文机の下を一つ一つ覗いていく。
そんな様子を横目にしながら、妹紅は教室の壁にもたれかかって息をついた。
(まったく……手間かけさせて……あんなボロボロでどこに行っちゃったんだか)
妹紅はため息交じりに、ふと天井を見上げてみる。
そして、天井の異変に気が付いた。
何かが落ちてきたか、逆に何かが突き破ったか、そこには大穴が開いていたのだ。
よくよく見れば、あちこちに木屑や砕けた瓦が散らばっているのが分かった。
「なっ……!?」
思わず驚嘆の声を漏らした妹紅に、さとりも気づく。
そして、妹紅の見つめる先に同じく視線を合わせると、たちまち顔が青ざめ始めた。
「な、なんですか一体あれは……!?」
大穴を見つけたさとりの心中に様々な可能性が去来する。
何者かが上空から襲来し、二人に危害を加えるか、攫うかしたのではないか?
はたまた、ボロボロのはずの二人がそれでもなお立ち上がり飛び出していったのではないか?
いずれにしても、安全地帯から空がいなくなってしまったことは明らかである。
それは即ち、自らのペットが、残されたたった一匹の身内が再び命の危険に晒されていることを意味していた。
さとりに悪寒が走ったのは、天井の穴から吹き込む夜風のせいだけでは無かったのだろう。
肩から走る痛みを無視するようにして、さとりは駆け出した。
そして、教室を出ようとするところで妹紅に肩を掴まれた。
「……っ! 離してくださいっ!」
妹紅の手を振りほどこうと、さとりが体をよじる。
「どこに行くつもり!?」
「お空が! お空が危ないんですっ!」
冷静沈着だったこれまでのさとりとは打って変わって、半ば恐慌状態に陥っているのに妹紅は面食らう。
妹紅もまた、現状を見て運び込んだ二人に何かがあったことは悟っている。
そして、それを見たさとりの焦りも理解は出来ている……が、かといってそのまま放逐するわけにはいかない。
「落ち着いてってば! 貴女が取り乱してどうするのっ!」
片足を撃たれている妹紅の機動力が落ちているのは明らかである。
だが、永琳との戦いで妖力を酷使したさとりも、現状では戦闘力が格段に落ち込んでいるのも明らかなのだ。
そんな時に一人で行動させるわけにはいかない、そう思う妹紅が肩を掴む手に力を籠める。
「邪魔しないでくださいっ! お空が……お空が死んじゃうかもしれないんですっ!」
撃たれた方の肩を掴んでいれば、あるいはさとりを押しとどめることが出来ていたのかもしれない。
だが、それは体に障ると逆の肩を掴んでいた妹紅の優しさが、この場では仇となった。
じたばたともがき続けるさとりを、どうにか抑え込もうとした時に妹紅の左足からまたしても痛みが走る。
「痛っ……!」
その瞬間に妹紅の握力が僅かに緩み、その隙にさとりの体が妹紅の手を振りほどいた。
「お空っ……!」
ドタドタと大きな音を立てながら、さとりが板張りの廊下を駆け抜ける。
苦悶の表情を浮かべた妹紅は、蹲ってしまいそうになるのをどうにか堪えてその後を追う。
「ま、待ちなさいよっ!」
一歩足を進めるごとに顔を歪めてしまうほどの激痛に襲われる。
それでも、追わないという選択肢は妹紅には無い。
左足を引きずりながら、不格好ではあるが妹紅もさとりの後を追って走る。
だが、両足が健在のさとりと、片足が機能不全の妹紅とでは、どんなに妹紅が頑張っても引き離されるばかり。
お空、お空、とまるでうわ言のように呟きながら、さとりは一目散に寺子屋の外へと飛び出した。
「お空っ! どこに行っちゃったのっ!?」
そうして辺りを見回そうとしたその時だった。
タタタン、という軽快なリズムが遠くで刻まれたかと思うと、さとりの足元で地面が弾けて小石と砂が舞った。
気が動転していたさとりは、これが何者かの攻撃であるということに気づくのが一瞬遅れた。
だが、不思議と追撃がやって来なかったが為に、僅かではあるが冷静さを取り戻すことが出来た。
もし自分がもう少し前に飛び出していたら……そう考えたさとりの背中に冷たい汗が伝う。
「さとりっ! 待ちなさいっ!」
さとりは背後からの声に気が付いて振り返った。
妹紅が足を引きずりながら、こちらに走ってくるのが見える。
だが、外には何者かが息を潜めて攻撃の機会をうかがっているのだ。
思わずさとりが叫ぶ。
「ダメですっ! 来ないでくださいっ!」
しかし、ここに悲しいすれ違いが生じる。
自らの手を振りほどいて駆け出したさとりのこの発言を、妹紅は「追ってこないで」、そう解釈した。
だが、待てと言われて待つ道理は今の妹紅には無い。
さとりが妹紅に危険な目に遭って欲しくないのと思うのと同じく、妹紅だってさとりに危険な目に遭って欲しくなかったのだ。
「さとりっ!」
そう叫んだ妹紅が、さとりの後を追って外に飛び出した。
そして、ほんの僅かな間を置いて、再び遠くからタタタ、とリズムが刻まれた。
* * *
トンプソンに取りつけたレーザーポインターから赤い光が飛ぶ。
小町はスコープに目を凝らし、寺子屋の玄関前に照準を合わせた。
狙いやすくなったのは確かだが、レーザーを飛ばすが故に正面から襲うことは標的に気づかれる危険性を孕む。
結果、小町は玄関前を横から狙うことを余儀なくされたのだった。
正面から構えていれば、真っ先に飛び出してきたのが護衛対象であったことに気づけたかもしれない。
だが、その手段が取れなかったことから、小町は人影が飛び出してきた瞬間に反射的に引き金を引いてしまった。
しまった、と思った時には既に数発の弾丸が発射された後。
思わず青ざめた小町であったが、発射された弾丸はさとりに掠ることなく地面に着弾したらしい。
(あ、危なかった……!)
この時ばかりは命中しなかったことに小町は感謝する。
追ってきた相手はどうやら護衛対象だったのかねぇ、と呟きながら、それでは保護しようかと飛び出そうとした時だった。
さとりが寺子屋の側を向いて何やら叫んでいるのが目に入った。
(……まさか、もう一人いるってのかい……!?)
小町とて、永琳の下手人が複数であることを考えていなかったわけではない。
だが、護衛対象以外全員の殺害を目指す小町にとって、目的の人物以外は邪魔でしかない。
余計な者を排除しようとしたところで、護衛対象に妨害される可能性がある。
妨害されるだけならまだしも、何らかの拍子に誤って護衛対象に危害を加える可能性だってあるのだ。
(どうしよう……ここはいったん退くべきか、それとも……)
僅かに逡巡した後、小町は再びトンプソンを構え直した。
かつて同行を躊躇ったばかりに幽々子を、そして映姫を死なせてしまったという負い目が小町にはあった。
故に、今度ばかりは同行を諦めるわけにはいかなかった。
どんな手段を使ってでも邪魔者を排除し、嫌でもさとりにはついてきてもらう。
そんな決断を小町は一瞬の間に下した。
骸を一つ積み上げることが、幻想郷の維持に繋がる、そう信じて小町は再び息を殺してその時を待つ。
そして、後を追って飛び出してきた人影に向け、再び引き金を引いた。
もう何度も聞いたタタタン、という小気味よい音、そして体に感じる銃の反動。
小町は、かつて最悪最低と断じた銃という武器が、いつしか自らの身体に馴染んできているような気がしていた。
(参ったね、すっかりこの武器に毒されちゃったのかな)
そんな雑念が籠ったからだろうか。
小町の発した弾丸は、邪魔者――藤原妹紅に傷一つ負わせることなく、さとりの時と同じように足元の砂と小石を跳ね上げるだけであった。
かつて一度仕留め損ねた相手を、再び仕損じたという結果を前にチッ、と小さく舌打ちをしながらも、小町はスコープから目を外さない。
こちらの攻撃はバレてしまい、奇襲は失敗。
寺子屋の目の前はちょっとした広場になっており、遮蔽物は無し。
(……となれば、建物に逃げ込むのが定石、かねぇ)
それを許してしまえば、小町のアドバンテージもグッと少なくなってしまう。
そしてその事はターゲットたちも気づいているのか、慌てて踵を返して寺子屋に戻ろうとするのが見える。
(そうは……させないよ……っ!)
小町がぐっと力を籠めた。
最終更新:2011年10月29日 01:50