流星雨のU.N.オーエン

流星雨のU.N.オーエン ◆Ok1sMSayUQ



 夜の帳が降りてから時間は久しく、見上げた空にはうっすらとした白い雲が見える。
 もうじき夜明けになるのだろうな、と人気が失せた街の中を歩きながら、フランドール・スカーレットは本能的に感じていた。
 495年という生の殆どを地下で費やしてきたフランドールには時間が経過することの感覚が鈍かったが、吸血鬼の優れた身体能力が鋭敏に空気を感じ取っているゆえに分かるのだろう。
 小野塚小町の処遇は今のところ東風谷早苗に任せてある。というより、彼女が小町の面倒見を申し出たのだ。
 曰く、戦いを始めるならば終わった後の処理までやりきる責任まで持つ必要があるのだと。それをしなければ、ただ互いに壊し合うだけの行為にしかならないのだ、と。
 そうして、今は一人である。人間達が恐れる夜でさえ、吸血鬼であるフランドールにはどうということもない。
 強者。少なくとも自分はそちらに部類されるのだろう。それはここ最近の戦闘を潜り抜けてきたからこそ理解できる。
 夜の闇と月光が吸血鬼には恩恵をもたらすのか、街中だけではなく人里周辺の空気の変動までが今のフランドールには感ぜられている。
 戦いの臭気とも呼ぶべきもの。血と塵芥の混ざり合った、吸血鬼なのに慣れきれない、命を奪い合う匂いは今でも漂ってくる。
 フランドールは手のひらを見つめる。あらゆるものを破壊し、虚無の一片へと返してしまう究極の暴力を秘めた力がここにある。
 だが全能ではない。軽く手のひらを握り締め、我が身の小ささを痛感する。ありとあらゆるものを破壊できても、大切にしたいものひとつ守れるかどうかさえ分からない。
 自分達は常に不安の中に生きている。いや正確には、他者性の存在こそが自分を不安にさせる。

 ずっと一人だった。

 一人ではないことを知った。

 誰かがいるから、離れることや別れることがあると実感した。

 それが永久の時間になってしまうとき、寂しさが生まれるのだという認識が生まれた。

 いなくなってしまえば、ありとあらゆる感情でさえぶつける術を失ってしまう。誰かがいるから、自分がいるということを確かめられる。
 誰もいなくなってしまえば自分がいるのかも確かめられなくなる。伸ばせる手があるのかどうかさえ――

(……『嫌』だ)

 妖怪が精神性を脆くする理屈が、今のフランドールには身に染みて分かる。
 長く生きれば生きるほど、触れられる他者は少なくなる。幾度とない別れが心を傷つける。
 ならばいっそ、他者を遠ざけ、己を捨ててしまえば傷つかずに済む。
 歩き続けて他者のない世界の最果てを見る可能性があるなら。歩くことをやめようとするのは当然の心の動きなのだろう。

(……『嫌』だ!)

 天に手をかざし、フランドールは空を掴んだ。
 それでも、歩いてきたから何者でもない『私』になれた。
 間違い、失い、衝突し、別れ、
 自分自身を、尊ぶことができるようになった。
 もう、かつての仲間は殆ど残ってはいないはずだった。
 門番も、図書館の主も、瀟洒なメイド長も、己の姉でさえ。
 吸血鬼の肌身が予感する。……既に、誰も彼もが息絶えているのだと。
 帰るべき家には喧騒も影もなく、それを地下でひとり聞いていただけの日々よりも辛い現実が待ち構えているのかもしれない。
 けれど、歩く。歩かなければスターサファイアにも、因幡てゐにも出会えなかった。
 霧雨魔理沙に情緒を教えてもらうこともなく、八雲紫に反感を抱くこともなかった。
 偶然であっても。それがなければ、フランドールという私は、私にはなれなかった。
 だから。

「帰りたい」

 誰かを求めるために。

「帰るんだ」

 自分が尊ぶ、自分にしかない物語があるはずなのだから。

     *     *     *

 本格的な魔法使いじみたことに取り組んだのは割と久々だったかもしれない。
 鼻腔を突く灯油の刺激臭は最早慣れ親しんだものとなり、他の匂いなど分からなくなっている。
 額を拭えば油に塗れ、動かす指の感触はなくなりかけている。
 八雲紫の指示に従いながら爆薬の作成にとりかかって半刻は経過しただろうか。
 思えば、最近は弾幕勝負ばかりでこういった地道な調合作業をしてこなかった。
 自分の魔法使いとしての錬度も上がり、魔法を使うための媒体もそれほど量を必要としなくなった。
 簡単に用意できるように、あらかじめ店売りのもので済ませられるもので済ませ、特別な材料を集めることも少なくなった。
 そうして効率化によって空いた時間は主に弾幕遊びや蒐集にあてられるようになった。

(間違っていたとは思わない)

 冒険のような日々で、見聞し糧となったものもある。戦うことで生まれた出会いもある。

(でも、遠い)

 平和で、暢気で、何があっても大丈夫だと信じていた幻想郷は、一夜にして荒廃した世界へと変貌してしまった。
 他の誰でもない、自分達一人ひとりの心根がそうさせてしまった。
 歴史が、言葉が、種族が。あらゆる垣根が生まれ、気がつけば自分達は狭い個室の中で生きるようになってしまった。
 無論、魔理沙自身はとうにそんなことを辞めている。何度も間違い、大切なものでさえ失い、ようやく得られた自分だ。
 今なら博麗霊夢にだって本気で言い返せる気概を持てたと思う。相対する覚悟は、十分に蓄えられたはずだ。
 問題なのは、未だに見えぬ周囲の妖怪達との距離感だ。
 八雲紫も、小野塚小町も、フランドール・スカーレットも、本心の全てを明かしたとは思えない。
 一番信用のおけるフランドールでさえ、自ずから身内のことは話そうとしない。どうしたいのかさえ判然としていない。
 好きになったであろう霧雨魔理沙という存在に、盲目的に付き従っているとも言えなくはない。
 小町はまだ殺し合いという枠の中で物事を考えているし、紫にしても同様だろう。
 もちろん置かれている状況を理解していないわけではない。たった一人しか生き残れない悪夢のデス・ゲームを壊さなければならないことくらい分かっている。
 だがそれにしても、全員が全員、その後の展望を考えていないように魔理沙には思えたのだ。
 悪し様に言うわけではないが、本当の幻想郷に戻って、何をしたいのか、しなければならないのか。決めてさえいないように感じる。
 紫は今はどうか分からないものの、以前対立していたときは霊夢さえいればどうにかなると思い込んでいた感触があったし、小町にしても同様の感覚を抱いている。
 そもそも自分を勘定に入れていないようにすら見えるのだ。……自分だって、世界を構成する欠片の一つなのに。

(だから霊夢は皆殺しにしようとしているのかもしれない)

 見ようによっては、それは自分からは動こうとしない傍観者でもあるからだ。
 役割を他人に任せるばかりで、己自身は高みの見物。必要な部品を集めはするが、そこから先は知ったことではないと無責任を決め込む。
 思えば、それは魔理沙が無意識ながらやってきたことでもあった。

「……疲れたぜ、紫」

 ゆえに、霧雨魔理沙は寄り道する。
 いやはや参ったという風に笑い、四肢を投げ出し、不毛で無駄な時間に身を投じる。
 考えなければならないことは多いが、まだ横道に逸れられるだけの猶予はあると思うから。
 それがわだかまりを少しでも埋めると信じて。
 なぜ妖怪は人を襲うのに、言葉を持ったのか。それは心を持ってしまったからだと、魔理沙は思う。
 心を埋め合わせ、他者に触れる方法は極めて少ない。会話は数少ない手段たるものだ。
 たとえ本心の一割未満しか伝わらなくとも――

「そうね、少し休憩にしましょう」

 溜息を一拍。珍しく紫が歩調を合わせてくる。
 小言を言っても無駄だと思ったのか、たまたま魔理沙と同じように考えたのか。
 取り澄ました無表情からは読み取れることは少なかった。
 代わりに分かるのは、紫が調合した火薬量は自分のそれより遙かに多いらしいということだ。
 材料の減り具合に感心めいたものを覚えながら、魔理沙はのびをする。

「ん~~~~っ、久しぶりの労働は堪えるな」
「人間はひ弱ねぇ」
「うっせ、お前だってこんなのやったことなかったろ。最初なんて結構恐る恐る混ぜてたくせに」
「あれは……別にいいでしょう。最終的には私はあなたより仕事をしている」
「ちらちら私の調合覗き込んだりしてなー。睨み殺されるかと思ったぜ」
「魔理沙……!」
「やっと私の名前呼んだな」

 ニヤと歯を見せて笑った魔理沙に、紫は虚を突かれた表情になったが、すぐにしかめ面に戻して嘆息する。
 機を逃さず、魔理沙は視線を紫へと合わせる。薄暗い部屋の中で金と金の瞳が交わった。

「……名前なら、何度も呼んでいる」
「普通に呼んだのは初めてな気がするぜ?」
「そうだったかしら」
「なあ紫、そろそろこっちに来ないか」
「何の話?」
「仲良くしようぜって話だ」

 軽口を経て、ようやく踏み込んだ一歩目だった。
 今の魔理沙と紫は、目的の一致でしか繋がっていない。
 利害関係でさえない、たまたま行く先が一緒だったというだけの、それは電車に偶然乗り合わせただけの乗客同士でしかない。
 ここから先どこで別れるにしても、このままでは言葉もなく別れてしまう。
 魔理沙は、その結末だけは嫌だった。

『でも化け物だって認めてしまったら、もう私は霊夢を、何も感じずに殺しちまう』

 自分で言い放った一言が反芻される。何も感じないままに生きる。
 あまりにも寂しすぎた。恐怖すら感じるほどに。

「私が? あなたと? 冗談、人間風情と仲良しごっこなんて御免だわ」

 返ってきたのは予想通りの撥ねつける声だった。冷静にして冷徹な拒絶である。
 普段ならああそうですかと憎まれ口を返して終わり。けれど、そうしてしまえば先はない。
 誰も後は引き取ってくれない。自分が物事を放り出した結果だけが残る。
 七面倒くさいなと魔理沙は思う。面倒だが……人間は、いや知性のある存在は当たり前にやってきたことだ。
 こんな頑固者に負けてたまるかと半ばヤケクソのような対抗意識を燃やしながら、
 魔理沙は駄々をこねるように「なんでだよ」と食い下がる。

「人間と妖怪は別物。寿命も短くて、無力で、そのくせ野蛮で下賤な人間にどうして歩み寄らないといけないのかしら」
「おーおー随分な言い草で。要するに私とお前は違うんですって言いたいわけだな」
「分かってるなら聞かないで頂戴」

 取り付く島もないとはまさにこのことだが、あまりにもあまりな態度すぎて、かえってあからさますぎるとも感じる。
 大妖怪の立場とやらか、と微かな同情を覚えながらも、だからと言って引き下がるつもりもない。
 紫だって何も感じていないはずはない。でなければ自分達と行動を共にするはずがない。本当に見下しているなら、自分の言葉など聞いているフリすらしないはず。
 常にから幻想郷を眺めてきた紫になら、きっと分かっているはずだ。人間と妖怪にも道が交わることだってあると。

「なぁ、紫。なんで妖怪には言葉があるんだと思う?」
「藪から棒ね」
「人間を襲うだけならさ、会話なんてできなくてもいいんだ。いやいっそおどろおどろしい唸り声とかの方が私は怖いね」
「言葉を理解できるからこそ、というのはあるでしょう。人のかたちで、人の言葉を持ちながら襲う。十分な恐怖だわ」
「そんなのは人間だってやってるよ。妬んだり、恨んだりして、人だって人を殺す。戦争にだって発展するんだ」
「人間と変わりないと言いたいわけ?」
「少なくとも、精神的にはな。私はさ、妖怪は人間に近しい精神を持ったから言葉を持つようになったんだと思う」

 恐怖を与えるために持ったのではない。
 人間により紛れ込むために獲得したのではない。
 ――孤独だったからだ。

「……一人なのが辛いのはさ、一人じゃないのを知ってるからなんだ」

 思えば。
 家を飛び出した直後は辛かった。
 生活することも苦しければ、家に帰っても誰もいない。憎みあう相手でさえ。
 森近霖之助がいなければ。どれほどの孤独に苛まれ、どのような精神の変遷を辿っていたか想像もできない。

「妖怪は人間のせいで生まれたようなもんだ。実際はどうか知らんが、霊夢はそんな風に言ってた。だから、襲ったりするのも、私らが羨ましかったんだと思う」

 当たり前のように孤独ではなく、当たり前のように触れ合う。なのに諍い、いがみ合い、憎みあう。しかしそれすらも一人ではないことの証左である。
 同じ知性を持ちながら妖怪は孤独なまま生まれ、社会を持つ術を学ばされず……羨望が、嫉妬が、情念が。襲うという形になってでも彼らは触れたかったのかもしれない。

「……だから、天狗は仲間を作ろうとしたりして、人間の真似事をしようと思った。襲うだけでは足りなかったから」

 紫は魔理沙の言葉を否定しなかった。しないまま、後を引き取るかのように続けた。

「天狗だけじゃない。吸血鬼も、地底の妖怪も……私でさえも」

 最後の一言を発するまでに時間がかかったように感じたのは、果たして気のせいだったのか。
 鉄面皮は崩れていた。険しい表情で、紫は魔理沙を見つめている。ほんの少し怒っているようにも感ぜられた。

「私達は失敗したって言いたいのかしら、魔理沙は」
「そうだな。私達を含めての『私達』だ。互いに無関心すぎた」

 無関心であるがゆえに平気で馬鹿にできるし、端から気持ちなど伝わらないと皮肉でしか応じなくなる。

「対話できないと諦めた結果、残ったのは畏れと矜持を追い求めるだけの虚栄心、か……」
「人間も同じかもな。信じなくなれば、目に見えるものしか求められなくなるのも」

 孤独を感じていたころの名残なのかもしれなかった。蒐集癖と称して、あれこれと物品を集めるようになったのは。
 人間と妖怪は似通っている。だから理解できる。心が通じ合えると思える。決して違うもの同士ではないはずなのに。

「同じなのかもね」

 紫は音もなく立ち上がり、ゆっくりと外に向かって歩き出す。
 否定はしなかったが、最後まで肯定することもなかった。いや、肯定されることを拒んでいるように見えた。
 ひとりでいい、と。誰にも寄りかからなかったであろう、彼女の広い背中が語っているように感じた。

「でも、私は違う。……違う、と言い続けて、今の幻想郷を作ったのは私だから」

 魔理沙は気付いた。間違いをしてきた結果がこの殺し合いなのだとしたら、原因を作ったのは他ならぬ紫であるということ。
 妖怪の大賢者として、幻想郷を保ち続けてきた彼女は、引いては無能な政治ぶりで幻想郷の皆を歪ませたといっても過言ではない。
 恐らくは紫自身思い当たる部分があったのだろう。決定的になったのは霊夢の手記によるものだろうが、薄々感じるところはあったに違いなかった。
 自分を許すということは、あまりに難しいこと――西行寺幽々子の遺体を抱えて語っていた紫の胸中は、どんなものだったのか。
 紫は、自分を許せないのかもしれなかった。

「作り直せばいいじゃないか。私も手伝ってやるぜ?」
「寿命の短い人間のくせに……」
「悪いがな、今は年を食わない魔法使い様だ」
「……だったわね」

 荒げかけた語気は、ばつが悪そうに尻すぼみとなっていった。
 紫にとっては残念なことに、現在の魔理沙は取れる揚げ足のない状態である。

「私は本気だよ。この異変が終わったら、お前に協力して本当に愉快な幻想郷になるようにしたいって思ってる」
「取らぬ狸の皮算用ね」
「人間は夢に生きるんだ。っていうか、否定しないんだな」
「えっ、あ……」

 皮算用であるには違いないのだが、考え自体に否と唱えてはこなかったことをつついてみると、紫は返答に窮したようだった。
 彼女らしくないと思う。自分の考えが拒否されなかったことに対してではなく、先を読んで返答を用意していなかったことに対して、だ。
 やっぱり、と魔理沙は内心で嘆息した。紫は己自身を勘定に入れてない。

「前にも言ったはずだぜ。私はお前だって必要なんだ。胡散臭くて、小馬鹿にして、いけ好かないヤツだけどケンカ相手にゃ丁度いい」

 どんなに親密でも衝突は避けられない。逆に言えば、早くから衝突できる相手とは美味い酒が飲めるような関係になれるかもしれないということ。
 立ち止まった紫の後ろ背を凝視しながら、魔理沙は返答を待った。
 急かすことなく、待つ。
 どれだけ沈黙が立ち込めようとも、魔理沙は無言を無視とは受け取らなかった。
 袖にされるかもしれない。或いは本気にもしてもらえないかもしれない。
 何が嘘で、何が本当なのか分かるはずもない。相手が目視できるほどの距離でさえ、心の距離は測れない。
 ゆえに、都合よく解釈する。自分が納得できるなら、どんな発言だって悪意があるようになるし、間逆にもなる。

(私は、紫を信じると決めた)

 どんな答えが来るとしても、それが紫の本心であると思うことにした。
 後はどう応えるか、だ。もっとも、一度突き放されたくらいで諦めるわけもないがな。魔理沙は内心で悪戯っぽい笑みを浮かべた。
 足掻くだけ足掻いてやる。絶望が迫っても逃げられるだけ逃げて、希望の灯火を消さない。
 誰かの思い通りになって屈服させられるのだけは真っ平だからだ。

「あなたは……」

 そこで、ようやく。紫が口を開いた。
 沈思の時間を経たであろう彼女の声は毅然とはしていたが、生まれたての赤子のようでもあった。

「どこまでも真っ直ぐね……」

 羨んでいるような響きがあった。
 けれどもそこに揶揄や嘲るような感触はない。
 赤子のように感じるのも当然なのかもしれなかった。
 なぜなら、それは――紫でさえ生まれて初めて聞いた、自らの本音なのかもしれないのだから。

「でも、皆が皆あなたのように直線に生きられるわけじゃない……私を憎む奴だって――」

 そこで紫は口をつぐんだ。
 私はきっと受け入れられない。そう言いたかったのだろうか。
 滅びへの道に至る幻想郷を作り上げた妖怪など、不必要とされて当然ではないか。
 言葉にせずとも伝わってきた紫の論理。全てを受け入れるはずの幻想郷が、作り上げてきた者を拒もうとしている。
 きっと正しい。元を辿れば、賢者と称される妖怪は諸悪の根源とも言える。
 だけど、そんなの――ただの責任の押し付けじゃないか!
 入り込もうとする『正しさ』に、魔理沙は否と唱える。
 だが、そう言っているのも自分ひとりだけかもしれない。
 紫の言う通り、誰もが真っ直ぐに生きられるわけではない。
 味方は魔理沙一人かもしれない。
 だとしても、私は……

「そんなことない! 私がいる!」

 そこに割って入ったのは幼い声。魔理沙がいつも身近で聞いてきた、幼くも強い吸血鬼の声だった。
 紫の影に隠れて、彼女の姿は七色の羽しか見えない。しかし魔理沙には彼女の決然とした表情までが、見て取れるように分かった。

「皮肉屋で、ムカつくけど、私はあんたが悪者じゃないって知ってる! 私が自分の目で見て、知ってる!」

 忘れていた。どうして、自分は、味方が自分ひとりだなんて思っていたのだろう。
 結局自分だけ英雄になりたがっていたということか。ここまで来てまだ孤高のヒーロー気取りだった己の思考を省みて、魔理沙はクソ食らえだと吐き捨てた。
 足掻くという決意も、真っ直ぐな生き方も、自分ひとりだけのものではない。
 もっとみっともなく喚き散らしてもいいものだ。お上品である必要などどこにもない。

「だからね、信じるよ、私。私は、あんたに怒れることとか、考えることとかを教えてもらったから。自分の一部なんだ。大切にしたいの」

 そうして、目の前のフランドールは馬鹿正直に伝える。殺し文句だな、と魔理沙は思った。
 小賢しい言葉の何倍も心地よい。いつの間にか顔には笑いが浮かんでいた。愉快だった。

「……諦めたら、あんたがコンティニューできないのさ」

 やがて自分の言葉の意味に気付いたフランドールが、くるりと180度回転する。
 それすらも照れ隠しには分かりやすすぎて、紫は絶句するしかないだろうなと思った。

「っとに、あなた、達は……阿呆ね……! 馬鹿すぎて笑えてくるわ……」
「な、なによその言い方……! 話盗み聞きしてたようで悪いかななんて思って……あれ、あんた……」

 一蹴されたと思ったのか、再度振り向いて文句を言おうとしたフランドールは、紫の表情越しに何かを見ていた。
 それは魔理沙には分からない。背中を向けたままの紫は無言でしかなかった。
 知らない方がいいな、と魔理沙は思った。少なくとも自分が知って得をすることでもない、と判断した。

「……言わないで頂戴。魔理沙にだけは、見られたくない……」
「……分かったよ。私も二人の話こっそり聞いてたし、これで相子にしましょう」
「でだ。そこなフランドールお嬢様は何をしに来たんだ?」

 紫の声色も、表情も、感情も、今は知らなくていい。
 自分だって知られたくないものの一つや二つはあるからだ。
 借しにしとくぜ、と内心で呟いてから、魔理沙は話の対象をフランドールへと切り替えた。

「ああ、うん。……いい?」
「別に。気にかけられるようなことがあって?」
「……そうだね。そういうことにしとく」

 お互いに頷き合い、二言三言交わして二人は交差する。
 フランドールは部屋の中に、紫は部屋の外に。

(私がフランから聞き出すとは考えない、か)

 そういう信頼の方法だってあると魔理沙は考え、改めて目の前の幼い吸血鬼に向き合う。
 短い時間、一緒にいなかっただけなのに、引き締まった口元に凛々しく整った目元は、彼女の中のなにかが変わったかのように見えた。
 彼女も思いを結び、一歩を踏み込むことを決めたということなのかもしれない。

「魔理沙、あのね。……戦い方を教えて欲しいの」
「こりゃまた急な」

 が、その口から出てきたのは意外なほど普通な内容。
 というより、何をいまさらと言うようなものでさえある。
 そもそも人間が身体能力において及ぶべくもない吸血鬼に教えるようなことがあるのだろうか……?
 頭をぽりぽりと掻いて、さてどう返事したものかと思っていると、フランドールは不安そうに首を傾げる。

「難しい?」
「あーいや、私が教えられるようなことなんてないぞ? それこそ紫とかの方が……」
「違うの。うーんと、えーっと、ほら、私、弾幕を使った戦い方しか知らないんだ」
「だっけか?」
「そうよ。495年も引き篭もってればね。それで、その……格闘術。門番がやってたみたいな」

 ああ、と魔理沙はようやく得心がいった。
 以前の異変でも、フランドールは見事な弾幕を披露していたものだが、それ以外の戦いはとんと見たことがない。
 姉のレミリアは戦いなれていたのか格闘戦も度々行っていたが、妹はそもそも知らなかったのかもしれない。
 確かに紫には不向きだろう。あの妖怪は極端な弾幕重視の戦いだ。早苗も得意ではなさそうであるし、そうなると候補に残るのは自分というわけだ。

「しかしなんでまた格闘なんか」
「……私、あいつに、霊夢に勝てなかったから。力もスピードも私の方が圧倒的だったはずなのに」
「霊夢か……」

 いずれまた再会し、そして今度こそ生死を賭けた戦いになるであろう、紅白巫女の姿を浮かべる。
 以前、フランドールは霊夢に単身挑み、そして敗北している。魔理沙が駆けつけなければ死んでいたといっても過言ではない。
 身体能力など比較にもならないはずの霊夢に完膚なきまでに土をつけられたのだ。それをフランドールは自分なりに分析し、原因が自分にあると見たというところか。
 全く吸血鬼らしくない、と感心半分呆れ半分の気持ちになりながら、魔理沙は思ったことを尋ねる。

「単に運がなかったとか、弾幕の撃ち方の問題とか思わなかったのか?」
「それはないよ。現に魔理沙は霊夢と互角だったでしょ? 私にはないものが魔理沙にはある。だったら弾幕以外のなにか、だよ」

 末恐ろしい吸血鬼だ。あの姉にしてこの妹あり、か。
 ふとフランドールの瞳の中に、レミリアの面影のようなものが見えた気がして、魔理沙は少々慄然とする思いだった。
 一つ息をつき、呼吸を整えてから、話を再開する。彼女になら、知らせてもいいはずだった。

「互角っつーかな、私は霊夢について、ひとつ直感があるだけなんだ」
「直感?」
「あいつには弾幕は効かない。当てられないんだ。絶対にな」

 自分で口にして、なんと馬鹿げていると思う。
 弾幕が当たらない。避けられるでもなく、当てられないのだ。
 まるで全ての避け方を熟知しているかのように、霊夢は弾幕を回避する。

「性質が悪いのはな、ギリギリで避けるところだ。紙一重で避けるからもう少しで当たると思い込まされる」
「……そういえば」

 当たりそうで当たらない。届きそうで届かない。もどかしさに敵は冷静さを欠くようになる。
 その一瞬の猶予を見逃さず、霊夢は切り込む。針の穴を通すかのようなタイミングで撃ち込まれる必殺の夢想封印。
 彼女が博麗の巫女だからなのか、それとも本当に生まれ持った天性の才覚なのかは分からない。
 だが弾幕戦においては常勝無敗。絶対無敵。それが魔理沙の知る博麗霊夢の真実である。

「弾幕が当たらん以上、格闘戦に持ち込むしかないんだ。あっちなら当たるからな」

 それでも滅多に当てさせてくれないのだが。問い質したときの「勘よ」という言葉は今でも憎らしい。
 幻想郷における決闘ルールは霊夢が作り出したものである。
 ならルールに精通しているのは当然と言えば当然だが、だとしてもあの避けようは異常と表現して差し支えない。
 何しろその気になれば、『夢想天生』のように弾が一切当たらなくなるような芸当も可能である。
 ここまで来ると単なる能力ではなく、別世界の理が働いているような感覚さえするのだが、魔理沙個人はそれを認めたくはなかった。
 魔理沙はいつだって霊夢を対等な存在として認めていたからだ。

「弾が当たらない、なんて言い方はしたかなかったんだがな。相手のせいにしてるみたいで」
「でも実際当たらないんでしょう? どういう芸当かは知らないけど……」
「私も知らん。ともかく、霊夢にはあらゆる弾幕が通じない。その上で的確な反撃をしてくる。どういうことか分かるか」
「……一方的に弾幕を撃たれるのと同じ」
「そういうことだ。私らは無駄弾を撃ってるようなもんだよ。ただ、完全に無駄ってわけじゃない」

 射撃のみで勝負しようとするから負ける。
 射撃を軸に立ち回り、隙を突いて打撃を叩き込む。
 魔理沙が唯一知る、霊夢への対処法だ。一部の妖怪達も実践している風はあったが、あくまで理論として考えているのは少ないだろう。
 そもそも弾幕ごっこは格闘ではない。美しさを競うものである以上殴ってでもと考える方が少ないはずなのだ。
 理論として確立することができたのは、単に魔理沙が負けず嫌いであるだけに他ならない。同じ人間であることが導き出した答えであるとも言える。
 こんなときになって役に立つとは思わなかったが、と思いながら魔理沙は言葉を続けた。

「弾幕はあくまで布石だ。避けるってことは、当たるってことだ」

 夢想天生のような例外はあるが、今の状況なら時間制限があるはずだ。でなければ霊夢が最初から夢想天生を発動してゲームセットでお終いである。
 特別な場合は除く。今教えるべきことは基礎だ。霊夢に限らず、あらゆる状況においてこの基礎は通じるはずだ。

「避けた先を想像する。読むんだ」

 魔理沙が片手で弾を撃つモーションを取る一方で、もう片方の手で虚空を示す。
 フランドールが生真面目に目で追うのを確認してから、魔理沙は指差していた手を拳の形に握った。

「後は殴るだけだな」
「……なるほど」

 うんうんと鷹揚に頷いたフランドールは、今度は少し考える素振りを始める。

「お姉様ってさ、どんな技使ってたの?」
「レミリアか?」
「うん。同じ吸血鬼だから真似できるかなって」

 捉えようによっては姉にできて私にできないはずがないという意味の言葉だったが、純粋に種族が同じだから思いついただけなのだろう。
 こちらを見もせず、真剣そのものの表情で考え込んでいる姿を窺えば、邪推する気持ちもなくなろうというものだ。

「んー、そうだな……高速で突進したりとか、撹乱するように動いて爪で切り裂くとか」
「あ、少しだけ見たことある。あれよく使ってたんだ。なんて名前なの?」

 口にしようとして、迷った。
 レミリアのネーミングセンスは一種独特で、正直に教えていいものか悩ましい。
 けれども――フランドールは、姉のそういう部分さえ知り得ていないのだ。
 今だって生きているのか、死んでいるのか……

「……私が教えていいもんなんかね」

 迷った末、魔理沙は尋ね返す形の言葉しか出せなかった。
 紅魔館の仲間達については言葉少ないながらも、知りたいと思う願いの気持ちは、強い。
 そして思いが強い分、失ってしまうとそれだけ怒りが強くなることも、因幡てゐの一件で知っている。
 もし期待を持たせて、それが裏切られるような形になってしまったら……
 不安が暗雲となって立ちこめる。濁してしまうべきなのか、それとも……

 迷う。心の問題に答えはないがゆえに。
 迷う。それでも正しい答えを探そうとするゆえに。
 迷う。フランドールに、確かな友情めいた感情を持つゆえに。

「私は、知りたいよ」

 出口の見えない迷路をさまようだけだった魔理沙に、明確な指向性を含んだフランドールの声が応える。
 それで、ようやく自覚できた。自分も気遣われているということに。
 でなければ、相手の心中を推し量らなければ、今のタイミングで今の言葉はない。
 優しいな、という感想だけが魔理沙の中にあった。自覚的な気遣いほど心に染み渡るものはない。

「知らないでいるってことはさ、忘れてしまうのと変わりないと思う。……それは、残酷だって、私は思ったから。
 私のお姉様、お姉様が作ってきた仲間も、私がここで知った色んなのも。全部が私を作ってるなら、知りたい」

 殺し文句だ、と魔理沙は思った。
 本日二度目。ひょっとすると、この悪魔は将来大物になるかもしれない。
 こんなにも心を揺り動かす奴が悪魔でなくてなんだ。
 我知らず、口を開いて笑っていた。これも二度目である。
 全く、どうして。よくもまあ自分はこんなものを拾ってしまったのだろうと、魔理沙は清々しい気分で目の前の七色の宝石を見ていた。

「……笑わないでよ」
「悪い悪い、感動したんだ」

 どうだか、と頬を膨らませるフランドールに、嘘じゃないんだがな、と内心で付け足しておく。

「よし聞いて驚くなよ? お前のお姉様のネーミングセンスを」

 今度はニヤと意地悪く笑って、魔理沙は己の知る限りのレミリアの技とネーミングセンスを披露してやったのだった。




【D-4 人里 二日目・早朝】


【フランドール・スカーレット】
[状態]右掌の裂傷(治癒)、右肩に銃創(治療済み)、スターサファイアの能力取得
[装備]てゐの首飾り、機動隊の盾、白楼剣、銀のナイフ(3)、破片手榴弾(2)
[道具]支給品一式 レミリアの日傘、大きな木の実 、紫の考察を記した紙
    ブローニング・ハイパワーマガジン(1個)
[思考・状況]基本方針:まともになってみる。このゲームを破壊する。
1.スターと魔理沙と共にありたい。
2.反逆する事を決意。レミリアのことを止めようと思う。
3.スキマ妖怪の考察はあっているのかな?

【八雲紫】
[状態]健康
[装備]MINIMI軽機関銃改(200/200)、コンバットマグナム(5/6)、クナイ(6本)
    毒薬、霊夢の手記、銀のナイフ、紫の考察を記した紙
[道具]支給品一式×2、酒29本、不明アイテム(0~2)武器は無かったと思われる
    空き瓶1本、月面探査車、八意永琳のレポート、救急箱
    色々な煙草(12箱)、ライター、栞付き日記、バードショット×1
    ミニミ用5.56mmNATO弾(20発)、.357マグナム(18発)
    mp3プレイヤー、信管
[思考・状況]基本方針:主催者をスキマ送りにする。
1.爆薬を作る……けど休憩中。
2.幽々子に恥じない自分でいるために、今度こそ霊夢を止める
3.私たちの気づいた内容を皆に広め、ゲームを破壊する
4.頭の中の矛盾した記憶に困惑

【霧雨魔理沙】
[状態]蓬莱人、右頬打撲
[装備]ミニ八卦炉、上海人形、銀のナイフ(3)、SPAS12改(7/8)
[道具]支給品一式、ダーツボード、文々。新聞、輝夜宛の濡れた手紙(内容は御自由に)
    八雲藍の帽子、森近霖之助の眼鏡、
    紫の考察を記した紙、バードショット(6発)バックショット(5発)ゴム弾(12発)、ダーツ(3本)
[思考・状況]基本方針:日常を取り返す
1.爆薬を作る……けど休憩中だから後で。
2.霊夢を止める。
3.紫の考察を確かめるために、霊夢の文書を読んでみる……後で。


179:眩しく光る四つの太陽(後編) 時系列順 183:……and they lived happily ever after.(序章)
181:Spell card rule/命名決闘法 投下順 183:……and they lived happily ever after.(序章)
175:A History of Violence(後編) 霧雨魔理沙 183:……and they lived happily ever after.(序章)
181:Spell card rule/命名決闘法 フランドール・スカーレット 183:……and they lived happily ever after.(序章)
175:A History of Violence(後編) 八雲紫 183:……and they lived happily ever after.(序章)


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最終更新:2012年08月20日 16:50
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