◆Ok1sMSayUQ
Stage2.
魔法使いと、その騎士たち
事実上の『開戦宣言』が終了すると、場の緊迫した空気も少しは和らぎ、空はようやく安堵の溜息を吐き出すことができた。
とりあえずは魔理沙の策が成功……したのだろうか? 一言だけ、主催者にムカついたあまりに口を挟んでしまったものの、それで策を壊すようなことにはならずに済んだようではある。
己の頭が良くないことは身に染みて分かっているだけに、意図を読み取れているかどうかも正直なところ不安ではあった。
結果的には間違ってはいなかった。それゆえの安堵であったが、直情径行のきらいは当分治りそうにはないなとも思い、空は頭を冷やす気持ちで皆に向き直った。
余計な口を差し挟んでしまったと一言詫びを入れるつもりだったのだが、そうする前に魔理沙が寄って来てバンバンと肩を叩かれた。
「よう、いい啖呵の切りっぷりだったな! 地底で私を苦戦させただけはあるな」
「え、えっ?」
「そういや霊夢と戦りあってたからろくすっぽ紹介する暇なかったっけ? 思い出せよ、霧雨魔理沙さんだぜ」
覚えてはいるけれど。事実を口にする余裕より、褒めてもらったことに対する困惑の方が大きく、空は生返事するのが精一杯であった。
正しかった……ということなのか? 思えば
メディスン・メランコリーを失って以降失敗続きだったからか、自分の行動を褒められたことが新鮮に感じる。
同時に、自分は失敗ばかりでない、やればできる子なんだという思いも芽生えてきて、自身単純だなと思いながらも空は次第に照れた笑いを浮かべていたのだった。
「しかして魔理沙さん。実際のところどうするんです? 禁止エリアを突破するというのは……」
そこにやってきたのは今しがた重役出勤でやってきた文である。強行軍でやってきたのか、額に汗を浮かべている。やってきた時には気付かなかった。
「それは多分、この紙に書いてる。……まあ、私の考えてることと同じだと思うけどな」
懐から四つ折りの紙ビラを取り出して、魔理沙が手をしならせた。
何かのメモだろうか。言い方から察するにまだ見ていない……いや、見る暇がなかったのだろう。
博麗霊夢が襲ってきたから。つまるところそれは――
「遺書、ということですか」
「そうだ。紫のな」
一言しか言及しなかった魔理沙の言葉が、却って『遺書』の重みを実感させた。
とても内容を追求する気にはなれず、文も同じ気持ちになったようで、重たそうに息をつくだけだった。
――そこで、空は思い出した。自分にとっても、文にとっても、血肉を形作っていたものが失われてしまったことを。
「あ……あのさ、文……妹紅は……妹紅が……」
「……でしょうね」
分かっていました、と言いたげに、緩慢な動作で空に振り向いた文は寂しそうに微笑んだ。
ほんの短い付き合いに過ぎなかった。仲良しなどころか、口論をしていた時間の方が長く、その人となりを知れたかどうかさえも怪しい。
肩を並べて霊夢と戦ったのが最後で、そのときの会話ですら必要最低限のものばかりで、死に際がどうだったのかも判然としない。
正直なところ、妹紅が死んだという実感すら薄かった。今ようやく、思い出したほどなのだから。
「ちょっと信じられないですけど」
微笑が苦笑に変わる。簡単に死ぬことが信じられない程度には、妹紅は生きることに執着していたように思う。
ややぶっきらぼうな口調がそう思わせるのかもしれなかったが、死地でも諦めずに活路を見出そうとする、そんな気概が妹紅にはあったように感じていた。
「あの……」
そこにおずおずと手を上げたのは、フランドールだ。そういえば彼女は吸血鬼らしいが、太陽の下でも大丈夫なのだろうか。
既に太陽は出ている。いくら朝霧の靄が日光を遮っているとはいえ、流石に心配になった空だったが、平気そうなところからして、直射日光に当たらなければ問題ないのか?
どうにもこうにも吸血鬼の弱点というのは曖昧に思える。苦手と思うから苦手なのではないだろうか。
「あの人の、妹紅って人の、死に際なら、私が」
たどたどしく、しかし意外なほど声色ははっきりとしていた。
戸惑い。躊躇い。表情にはそれらの感情が残っていた。
「教えてください」
文が応じた。交わった両者の視線には送る者と受け取る者、それぞれに少なからぬ覚悟を含んでいるように感じた。
「……霊夢にやられて、間に合わなかった。もう、いいから、って。頑張って、って。それだけ聞いて、私と早苗が」
「そうですか」
文は早苗を一瞥し、空を仰ぎ見て嘆息したように見えた。
太陽は見えない。靄の中で、答えの見えない霧の中で、文は言葉を探しているに違いなかった。
「早苗さんは人間で、妹紅さんは蓬莱人だった。だから……」
生と死の隔絶があった。あまりにも短い寿命である人間は吸血鬼化することで生き長らえ、不死であった蓬莱人たる妹紅は死ぬ以外の選択ができなかった。
悲劇が、ここにある。世界は理不尽で、不平等に過ぎる。足掻くことのできた早苗。不可能だった妹紅。自分だってもう少し到着が早ければ。誰かが助けられれば。
原因を探っていけばキリがない。なぜ、を探せば果てがない。世界を憎み、怨み、呪い続ける理由なんてあまりに簡単だ。
「――ごめんなさい」
深々とフランドールが頭を下げた。
普段の幻想郷でならば間違っても見られない、吸血鬼の謝罪だった。
全員が困惑するのが分かった。フランドールが死に追いやったわけではない。
いや、ここにいる誰のせいでもない。だからこその理不尽であり不平等であるはずなのに。
「なんで、フランドールさんが謝るんですか」
謝る必要なんてない。なのにどうして謝るのか。恨むべきは霊夢ではないのか。あるいは殺し合いそのものを起こした創造主ではないのか。
詰問のようにも思える文の口調からは、確かにそれらを含んだ感情があった。
「早苗を人間でなくしてしまったから。妹紅は人間じゃないって言ってしまったようなものだから。――だから、それでも。ごめんなさい」
罪の告白。空にはそのように感じられた。
人間でなくしてしまったこと、人間ではないと言ったこと。倫理を踏み越え、倫理を踏みにじることだ。
たかが人間……と、以前の自分なら思っていたかもしれないという考えが空の脳裏を過ぎった。
異種族であることの価値など認めようともしてこなかった昔なら、そうだっただろう。強いから妖怪が偉いのだと、たったそれだけの理由で思ってきた昔なら。
今は違う。力の差はあっても、妖精から、他の誰かから、大切なことをたくさん教えてもらってきた。
それは空の中で混ざり合い、溶け合い、何物にも変えがたい価値として内奥に息づいている。
他者でしか得られない視点で、他種族だから見えるものを受け渡してもらえることの価値を知っているから。
フランドールの苦悩が分かった。
「私は、いいですよ。自分で選んだ道です。私、人間であり神様なんですし。そこに吸血鬼要素が加わったくらいどうということないです!」
「属性過多の贅沢娘だ」
「……あなたが言います?」
しかし、そんな告白でさえ、『元』人間たちはあっけらかんと受け流した。
冷静に考えればとんでもないことになっているはずなのに、それがどうしたというように、彼女達は従容としていた。
軽く笑い、小突きあい、現在を肯定する。しょうがないからそうするではなく、自身で選んだから納得しているのだと。
だから、空は、彼女達は人間なのだなという、晴れ晴れとした納得を覚えていたのだった。
「そういうことみたいだからさ。いいんじゃないの、フランドール」
「……えっと」
「お空でいいよ。私は……うん、妹紅は、きっと、何も恨んでなんかないよ。私はそう信じてる」
近づいて、ゆっくりとフランドールの頭を撫でた。
チルノよりも少しだけ高い彼女の頭は意外なほどしっとりとしている。
無論、妹紅の考えが完全に分かったわけではない。だが、こんな素直にごめんなさいと言える子を恨むはずがないと思ったのだ。
私も、こんな風にごめんなさいできるかな……そんな風に考えながら、頭をくしゃくしゃとしていると、フランドールはうー、と若干の不満を含んだ声を出した。
「魔理沙といい、お空も、なんで頭なでようとするかな……」
「察しはつきますけどねぇ。この子には敵いそうにありません」
いつの間にか、文も柔らかい笑みを取り戻していた。
文も認めるものがあったに違いない。頭が塞がっていたからかしゃがみ込んでぷにぷにと頬をつつき始める。
「やめれぇ~!」
じゃあ文がやっているからとサニーミルクまでが悪戯をしている。頭を撫でている自分が言えたことではないが、よく吸血鬼相手にそんなことができると思ったりもした。
「うがーっ!」
じたばた。
無駄な抵抗だった。
「ほれほれ、フランで遊ぶのはそこまでだ。まずやることがあるだろ?」
「おっとそうでした。して魔理沙さん、どうやって禁止エリアを突破するんです?」
言いながらもフランドールの頬をびろーんと伸ばしている文。ぎゃおー! と言いたそうな表情であった。
やっぱりこいつは根っからの烏天狗だと空は思わずにはいられない。そんな空自身もまだ頭を撫でていた。
烏コンビ(+妖精)による悪辣な悪戯攻勢である。魔理沙はそこまでと言いながら止める気配がなかった。
「それはだな」
恨みがましい視線を風と受け流し、魔理沙は飄々としながら、散々にもったいぶって、さも次の行動はそれで決定であるかのように言った。
「まず腹が減ったので飯にしよう」
* * *
「支給品を漁ったら食肉一式が出てきた」
おぉ、と感嘆の声を漏らす一同。
言われてみれば、全員が全員丸一日近くまともな食事を口にしていなかったのである。
仕事をサボっていた空腹の虫がガンガンガンと大太鼓を鳴らすのが見て分かった、と後に魔理沙は語っていた。
肉、という甘美な響きにいくらかが涎を垂らしていたそうだ。さもありなん。
「えーっとだな、あるのは豚肉に鹿肉に猪肉に鶏……」
「「鶏はダメ!」」
「はやっ」
「鳥コンビが」
「そーいや文ってそういう記事書いてなかった?」
「サニー、詳しいね」
「あいつの新聞そこらへんに落ちてるからどこでも読めるわよ。フランも探してみたら?」
「鶏肉を食べるなどと畜生の極み! 許しません! 私射命丸文は断固として反対の意志を貫きます!」
「そーだそーだ!」
「えー、でも、美味しいですよ、鶏肉」
「何が美味しいの?」
「それはですねフランドールさん、私としては親子丼なんかがお勧めでして」
「こらそこの畜生!」
「うわ、文がキレて口調が素に」
「しかも鶏肉に鶏卵をふんだんに使った親子丼を挙げるとはな」
「ザ・ド畜生」
「……美味しいのかな、それ」
「う・つ・ほ・さん!」
「美味しいですよ親子丼。よ~く煮込んでプリプリとした食感の鶏肉はとても歯ごたえがよく、トロリとした卵とタレの絶妙なハーモニーが」
「殴っていいですかねこの現人鬼」
「あらひとおに……」
「間違っちゃいないな」
そんなこんなで。
すったもんだの挙句、豚肉と鹿肉と猪肉を食べることにした。
調理法はシンプルに焼いてご飯の上に載せるだけ。白米及び調味料はそのへんの民家から拝借することになった。
焼くだけなので誰がやっても基本的には同じなのだが、より料理の心得がある魔理沙と早苗の人間コンビが担当することになったようだった。
さて。
ここまでが少し昔の話。ここからが現在の話。
私、
フランドール・スカーレットは、二人が料理をする合間に「少しいいですか」と文に呼び出されて話をすることになった。
場所は私が指定してよかったので、外を選んだ。
太陽の光は、今は私を苦しめない。だからだった。
スターサファイアが全身で享受していた光の差す世界に、少しでも身を置いていたかったから。
話の内容は、簡単なものだった。
私の姉、
レミリア・スカーレットは殺し合いに乗っていたこと。
文の仲間をたくさん殺していたこと。
恐怖を恐怖で支配する、そんな世界を作り上げようとしていたこと。
そんな姉も、いつの間にか死を迎えていたこと。
唯一接していた従者の十六夜咲夜とすら別れ、孤独に戦い、いなくなった。
「話そうか迷ってたんです。こんなものは墓場まで持っていった方がいいのかもしれない。知らない方がまだ幸せなことはあるから」
差し出したのは天狗が使うであろう機械だった。これは一種の写真機のようなもので、それとは別にもう一つの機能があると文は言った。
死者が出た際、死者の写る風景を念写する機能があるのだと。
――つまり、この小箱の中には、姉の死体がある。
広大な紅魔館の主が、たくさんの妖精メイドと時を操る従者を持ち、優秀な門番と魔法使いを仲間に持っていた姉が、こんなちっぽけな箱の中にいる。
「ようやく、すごく遅くなりましたけど、私にもこれを見せられる勇気が持てた」
「……見せるのが怖かったの?」
「そのようです」
文の気持ちは分からないでもなかった。真実が誰かを救うわけじゃない。幽々子が狂ったように、知らなければ苦しまずに済むことだってあるのかもしれない。
私は、それでも知りたいと思うようになったけれど……それは、私がいい友達に巡り会えていたから。
「ずっと責められるんじゃないかと思ってたんです。いいえ、今でも。姑息で、卑怯で、嘘つきで。糾弾されるのが、怖い。ずっとそうしてきたくせに」
写真機を受け取るとき、文の腕が僅かながらに震えていた。
恐怖。それは大切な物を失うことであったり、プライドを失くすことだったり、心をなくしてしまうことだったりする。
「怒られるのは誰だって怖いと思うよ」
私は一度、紫を殺そうとした。こいつさえいなければという憎しみに駆られ、激情のままに怨念返しをしようとした。
魔理沙が怒鳴ってくれなければ、そのまま私は紫を殺し、殺さなければ殺されていたと言い訳をし、自分を正当化していたかもしれない。
確かに怒られたときは呆然とした。納得もできなかった。正しくないと言われた気さえした。不満がなかったと言えば嘘になる。
「否定されるんだもの。お前は間違いなんだって言われるのは嫌。でもさ、やり直せないとは言わなかったよ」
「ええ、そういう方ばかりだから、あんな明るくできるんだと分かった。私もついつい、調子に乗って」
「天狗は元々そういうもんでしょ」
「……許されることなんでしょうかね、それは」
「私らがそう認めてるんだからいいの。私は楽しかったよ」
やり直すことと、何もかもを変えてしまうことは違うのだと思う。
私の根っこは、遊び相手が欲しいと思ったことだった。ここに来た当初、ゲームでしかないと思っていたように、ただ遊びたかっただけだった。
そこから、私は色々なものを足していった。くっつけて、つないで、今の自分を作った。
一つとして捨てたものなんてない。だから私は、自分を変えたなんて言いたくない。心を足していったのだと言いたい。
「見ていいかな、これ」
「……ええ。つくづく、あなたの言葉は新鮮に感じます」
褒められたような、そうでないような、微妙な気分だった。
文が頷いたのを確認して小箱を開く。予感通り、姉が死んでいるのならば。
「……あぁ」
お姉様だ、と思った。
尊敬していた。自分だけの従者がいるのが羨ましかった。冒険に出かける姉の勇躍に躍った。
威厳たっぷりだと聞いた。優雅だと耳にした。よく笑うという噂があった。
姉は好きではなかった。嫌いでもなかった。姉妹であるというだけの、ただの他者だった。
喜びはなかった。怒りはなかった。哀しみもなかった。楽になった気分でも、なかった。
しかし――会いたかった。姉に自分を見てもらいたかったのだ。心から尊敬してやまない吸血鬼である、姉に。
好きになるかもしれなかったのに、嫌いになれるかもしれなかったのに。
何の感慨も抱けないまま、家族であったはずの姉は、私の他者にしかなれなかった。
悲しいことなのかな、と思う。それでも姉との離別に泣けない、私は。
「戻ろう、文」
表情のないままそう言うことしかできなかった。
文は不審に思ったかもしれない。怒りもしない、泣きもしない、私を見れば誰だって気付く。
「ええ、戻りましょう。……きっと、美味しいものが食べられるはずなんで、戦の前に騒ぎましょうか」
そう言ってくれた、文の言葉は優しさだったのかもしれない。
気付かないふりをしたのでもない。それでもいいという無言の肯定があった。
「もし親子丼があったらどうするの?」
「真っ直ぐ行って右ストレートで殴ります」
即答。可笑しかった。
こんなことでも楽な気持ちというものは取り戻せるもので、固かった感情が柔らかくなるのに私は気付いていた。
すると体も現金になってくるというもので、豚鹿猪丼なる食べ物がどんなものなのかが気になってきて、空腹が込みあがってくる。
きっと、それでいい。いいのだと思えた。
食事が作られている家(奇跡的に残っていた)の窓から僅かに煙が立ち上っているのが見える。
肉を焼いているからなのと、換気のためなのだろう。
たなびく細い煙を、私はふと何故だか、葬式のように感じていた。
* * *
肉、肉、肉。
換気は十分にしているはずなのに、息を吸い込むとひたすら肉の匂いが染み渡ってくる。
殺し合いの場で感じた生臭い死臭とは違う。滋養があることを仄めかし、明日への活力を予感させる匂いだ。
気にしてしまえばもう押さえようがなく、早苗の胃袋はひたすらに催促を続けている状態だった。
思えばまともなものなど口にもしていない。しかも幻想郷に来てからというもの、滅多に口にできなかった肉である。
鶏肉が食べられないことに未練はないではなかったが、それよりも猪や鹿が食べられる幸運を喜ぼうと気持ちを切り替える。
外の世界でさえ、それらを食べられる機会なんてなかったのだから。
神奈子様、諏訪子様。早苗は幸せです。
「早苗ー、まだー?」
「まだー?」
椅子に腰掛け、子供のように両足をぱたぱたとさせているのは空とサニーミルクである。
目を爛々と輝かせているこの地獄烏は、鶏肉以外なら食べるのに躊躇はなさそうな様子である。
というより、こっそり混ぜても気付きそうにもない。流石にそんなことをするほど早苗も意地悪な人間(吸血鬼)ではないのでもくもくと肉を焼く。
「もうちょっと待ってください。五人分を一気に焼くのは中々手間でして」
言いながら、焼けた肉をひょいひょいと皿に乗せて新しい肉を焼く。魔理沙は即席で作ったらしい焼肉用のタレをドボドボとふりかけていた。
魔理沙がどの程度料理ができるのかは不明瞭であるが、森で一人暮らししていたのだ。自炊は得意なのだろう。
「お肉ってもう焼けた?」
そこに戻ってきたのはフランドールと文だ。用事は済んだらしく、興味は既に室内にひたすら漂う肉へと向いているようだ。
「もうちょっと待つんだぜ。その間に必要なことを話す」
「いよいよですか」
重々しく文が頷いた。現在のメンバーの中で最年長である文にも緊張の色が浮かんでいるのが分かる。
これが最後――そう思えば、誰だって汗を浮かべずにはいられまい、と早苗は思う。
終われば、きっと戻れる。その予感はあった。
今までのように守矢神社の風祝だけをやっていればいいというわけではない。やることは山のようにある。
吸血鬼の身になったのも、決して偶然ではない。可能な限り生き延びたい。その思いからフランドールに血を吸ってもらった。
自分で選んだ道という言葉に偽りはない。生きられるだけ生きて、人と妖の行く末に関わっていきたいという思いは強い。
人間と妖怪が分かり合えるという理想。紫には夢想と言われ続けて、ようやくここまで来た。
「それにしても、あの前哨戦のお陰で首輪の盗聴を気にしなくなってもよくなったのは皮肉なことですね」
「あ、そうだった」
今気付いたというようにサニーミルクが手を合わせる。
「じゃあもう色々気にしなくていいのね! どーするのそれ?」
嬉々として全員の首輪を指差していた。妖精にとって禁止されたものを守るのはストレスが溜まるのだろう。
もっとも、機能を失っているわけではないので相変わらず嫌な感触であることには違いないではあるが。
「別に。外しはしない」
魔理沙のあっさりとした解答。
早苗も含めて、全員が呆気に取られた。絶句した。沈黙が漂った。肉の焼ける音だけがあった。
「ちょ、ちょちょちょっと!?」
先に我を取り戻したのは文だった。
「外さずにどうやって突破するんです!?」
「決まってるだろ」
答えは簡単だと言わんばかりに、魔理沙は一枚の紙を広げ、中に書かれてあるのと全く同じことを喋った。
どこか挑発的であり、僅かな稚気を含ませ、しかし美しさすら感じさせる少女、八雲紫の笑い方で。
「最大火力であの城ごと首輪の起爆装置を吹き飛ばす。それだけですわ」
再び場が沈黙に包まれる。しかしそれは呆れから来るものではなく、紫という妖怪に対する畏れが生み出したものだった。
あまりに単純であり、豪快。策と言うにはあまりに直線に過ぎる彼女の遺言は、しかし確かな重みを伴って場に落ちた。
小細工を弄するより、大元を断つ。トラブルの解決法としては基本ではあるが、ここ一番で持ち出すとは予想できない。
だからこその、賢者。
「……そうか、爆弾はそのために。でもどうやって中まで運ぶの?」
フランドールの質問に、それで気づいたのが早苗だった。
「スキマで運ぶつもりだったんでしょう。恐らくは、本人の能力で。魔理沙さん、持ち物にそういうものがありましたね?」
「だろうな。制限解除装置……まあ支給品なんだが、でスキマを使う……もしくは、それに準ずる能力でやるつもりだったと書いてる」
「でもその紫は」
「……分かってたか知らないけど、『それ』、出せる装置、私持ってる」
声を上げた空に、文、サニーミルクが「ああ!」と同調の声を重ねた。
「予見してた、とは思いたくはないですが……似たような支給品があるかも、とは八雲紫も思ってたんでしょう」
「確か確か、あと……もうちょっとで使えるんだよね、空」
頷いた空が、さらに思い出したとばかりに大仰に手を叩いた。
何故だか早苗は、今という状況が叩けば叩くほど埃の出てくる状況になっているように感じた。
紫の計算。そんな考えも浮かんだが、それだけではないのだろう。
これらの道具にしても、元は誰かの支給品。道具は自分から集まってきたりはしない。
誰かが集め、誰かに渡し、受け継ぎ、ここまで辿り着いたのだと思いたい。
「そうだ、あの城の近く……ロケットがある!」
「ロケットって」
「チルノが最初にあれに乗ってたんだ。そのまんま禁止エリアに突っ込んで」
「……つまり、燃料が残っていたら誘爆させられる」
「城ごと吹っ飛ばせるってわけだ」
文の言葉を魔理沙が締めた。つまりは、こういうことになる。
スキマ装置を使い爆弾を運び、ロケットの燃料に誘爆させ、大爆発で城ごと巻き込む。
実に単純明快。それも幻想郷好みの派手なやり方に相違ない。
「私は紫が選んだ、この方法に賛成したい」
魔理沙が手を差し出す。
ただ枷を外すだけではない、あらゆる束縛を、それまでに重ねてきたもので崩す。
無駄なことなどなかった。この一瞬のために今までがあったのだと証明するための、それは約束のようなものだ。
「やるよ、私。わかりやすいのっていいよね!」
一番に手を重ねたのは空。
「ぎゃふんと言わせてやろうよ!」
続いてサニーミルクが。
「信じます」
短く告げて、文が。
「……私、初めて紫がすごいと思った。多分私は、紫を忘れられない」
フランドールの言葉は、既に誓いだったのかもしれない。
「そういうわけで、ご飯を食べて、準備をして、行きましょうか」
早苗は、笑顔でこれからを望んだ。
「オーケイ、満場一致だ」
それぞれに重ねていた手を放し、魔理沙はしゃもじを掴む。
片手にはまだ中身のない丼ぶりがあった。
「飯を盛って肉を載せるぞー!」
* * *
腹がくちくなると気力が充実してくる。
久しぶりに詰め込んだ滋養を消化しようと、体の全てが蠕動しているのが分かる。
蓬莱人になっても腹は減る。これは救いだな、と魔理沙は満腹の頭でぼんやりと考えていた。
できればその感覚が正しいのかどうか、藤原妹紅にも意見を尋ねたかったものだが――
いない以上は、仕方がない。
「にしてもさ、すごかった。すごかったよ。妖怪の山丼」
しみじみと呟いているのはサニーミルクで、彼女の言う『妖怪の山丼』とはその名の通り山の如く肉をもりもりと載せた丼である。
感覚的には白米より肉の量が多かったように思う。あまりにも初体験。あまりにも大味な食事だった。
「ご飯よりお肉の方が多い肉丼なんて初めてでした」
文が感慨深げに。
邪道な食事だった。しかし肉は正義だった。
幻想郷でも肉食はあるにはあるが、ここまで贅沢に食事した経験はない。
量的にも、食卓を囲む人数的にも。
いいものだな、という実感がある。同じ釜の飯を、という言葉もまんざら間違いではない。
だが自分はきっと、そのうち輪から外れてしまうだろう。今は弱められているものの、ここから離れれば本来の意味での蓬莱人に、つまり不老不死になる。
ずっと一緒にはいられないのだ。寿命がある以上は永遠に続くものは存在し得ない。
辛い、と思う。今はまだ幸せだ。自分ではない他人がいる。
けれどもそれよりずっと先は? 気の遠くなるような年月が続いても、幻想郷は続けられるのだろうか?
不老不死になってしまった霧雨魔理沙の行き着く先は、結局のところ最果て……己の他に誰もいない、虚無の荒野でしかないのではないか?
かつての妹紅は、蓬莱山輝夜がいたから考えずにいられた。だが今は、魔理沙ただ一人が不老不死である。
(……ずっと先のことを考え出すと、ダメになるな)
答えは分からない。自分は万能ではない。数万年、数億年先のことなんて見通せない。
精々明日の予定を立てられるくらいしか、今の魔理沙には見通せない。
だから、明日のことを考えよう。
「それじゃ、そろそろ行くか」
鶴の一声。全員が反応し、魔理沙の方を向いた。
本当のリーダーみたいだ、と冗談のように思いながら、同時にそれも悪くないと思い始める。
自由気ままに、明日のことなど分からないと嘯いて暮らしてきた生活だった。
分かってくれない。理解してくれない。道具屋の娘として生まれ、道具屋の娘として生きなければいけないことに反発し、家を飛び出した。
縁、人付き合い、しがらみ。そんなものは真っ平だった。あるがまま、その日付き合ってその日別れる、それで十分だと主張して。
短絡的な考えだと、今なら分かる。一人は寂しいし、しがらみから生まれるものだってあると知った。
あらゆることに、あらゆる意味があり、簡単に切り分けられる良悪はない。
「必要なものだけ持っていこう。もう私達に、銃なんていらない」
ミニ八卦炉、愛用の帽子。魔理沙自身の持ち物に加え、上海人形に藍の帽子を被せ、霖之助の眼鏡をかけてやる。
家に飾るつもりだった。女の子の人形らしくはないが、愛嬌はある。女は笑顔だ。
「じゃあ、私はこれかな」
フランドールはレミリアの日傘を。胸元に添えられた人参のお守りと合わせて、一見すれば可憐な少女である。
その実際は人たらしの悪魔だが。
「えっと、何でもいいの?」
「遠慮すんな。なんなら私達のからもってけ」
「……じゃあ、やっぱりこれ」
サニーミルクが広げたのは、河城にとりの工学迷彩だった。
大切そうに胸に抱えるその姿に、魔理沙は会ってももいないにとりの優しさを見たような気がした。
「私はこれで。記者の最大の武器ですので」
文はカメラを。
やっと戻ってきた、と文は愛おしそうにカメラを撫でていた。
そのついでというように、天狗の団扇を回収するのも忘れなかったが。
「あ……もうひとつだけ」
そして、最後に持ち出したのは伊吹萃香の瓢箪だった。
かつての上司である鬼に対する手向け以上の、なにかを秘めた表情があった。
「私は諏訪子様の帽子を。これは私の信仰の原点ですから」
被らず、早苗はぬいぐるみのように帽子を抱きしめた。
くりくりと動いた帽子の目玉は、不思議な愛嬌があるようにも思える。
「私は……うん、もう持ってるから大丈夫!」
高々と掲げた腕には、いくつかのリボンが結ばれている。
敢えて言うなら、それなのだろう。空は繋がり、結びつきというものを持ってゆく。
「後は……」
爆薬、スキマ発生装置、制限解除装置、そして念を入れて、気質顕現装置なるものを持つことにした。
吸血鬼の体調を考えてのことだ。あり得ないとは思うが、急激に天候が変わり、快晴或いは大雨にならないとも限らない。
気質はそのまま天候に反映される。いざとなれば、フランドールの気質を呼び覚ませば、吸血鬼向けの天候になるはずだ。
邪魔はされたくない。打てる手は全て打つ。紫でもそうするはずだ。そうだろうと問いかけ、頭の片隅で及第点だと頷く紫が見えたことに、魔理沙は少し安心した。
「これでいい」
スキマ袋に放り込んで立ち上がる。魔理沙以外の面々はもう準備を整えてしまったようだ。
いかなる甘美感か。後は始めるだけとなると、果たして上手くいくのだろうかという不安は綺麗になくなっていた。
実行する段階になってしまえばそんなものなのかもしれない。呼吸を重ねるたびに清涼感が浸透してゆくようだった。
理由を考えてみて、すぐに思い当たる。
ひとりで決めて生きるのは、もうやめたからだ。
ここにいるのは、殆どが昔からの友達ではない。一日に満たない間に知り合い、行動を共にし、居続けようと決めた仲間だ。
本当の友情があるかどうかなど分からない。都合よく考え、いてくれるだろうと信じているだけに過ぎない。
信じることは難しいことじゃない。難しいのは、自分の頭で考えたことを信じ続けることだ。
正しいかどうかなんて不明瞭だ。もし裏切られたら胸が痛いだろう。疑い出せばキリがないのだろう。
自分が心から信じていることが否定されるのは辛い。そしてそれ以上に、否定した相手を信じられない。
――でも、それでも。最後の最後だとしても。霊夢の行為が、誰かを貶めたいという悪意から始まったのではないと、信じることができたのだから。
「出発だ。こんな世界を、」
さあ、顔を上げよう。
停滞することをやめよう。
約束を果たしにいこう。歩き続けよう。
完璧には分かり合えない心たちと、手を繋いで。
「やっつけてやろうぜ」
* * *
里の外は薄曇りだった。
とはいえいつ太陽の陽が差してくるのか分からず、フランドールと早苗は身を寄せ合って日傘の中に隠れている状態だ。
サニーミルクの能力で光を屈折させることはできたが、それは彼女の体力を使ってしまうということで、いざというときまで持ち越すことに。
不満そうなサニーミルクだったが、魔理沙の「切り札はとっておくもんだ」という一言で機嫌を直した。
褒めると喜ぶのは妖精の共通的な特徴らしいと、月面探査車の後ろ座席に跨る空は思っていた。
これから決戦に向かうはずなのに、人を乗せて走行できるという不思議な代物である車とやらの動きは鈍い。
それもそのはずだった。唯一運転できる早苗が吸血鬼になってしまい、日光の中での行動が大きく制限されてしまったためだ。
では誰が操作し、運転しているのか。
「もうちょっとスピード出せないんですか? 貴女速さが売りなんでしょう」
「安全運転を心がけてるんで」
満場一致で魔理沙になった。
理由は単純なもので、リーダー格だから、というもの。
魔理沙は顔を引き攣らせていたが、早苗が懇切丁寧にレクチャーしていたので使うことには成功しているようである。
もっとも速度的には歩くよりは早く、空を飛ぶよりは遅いというような状況で、客観的に見ればとても決戦の地に向かって行軍しているようには見えない。
ただ、しかし、とは言えども。徐々にその形を大きくしてゆく城に、空は自身気が引き締まってゆくのを感じていた。
ようやくここまで来た。回り道をして、三歩進んでは二歩下がっているようなことを何度も続けて、やろうとしていたことができる。
『良く分からないけど、私の力を試す絶好のチャンスだわ!』
思いつきだけで無謀なことをやろうとして。
『あ、ちょ、そこのアンタなんとかしてー! って寝てるし! 起きろバカー! バカガラスー!』
あそこでチルノと出会った。
壮絶な出会いだったと鮮明に思い出せる。
『ああ、これが地上で、これが空なんだ』
鳥輪の国の眠れない夜。
落ち着きを取り戻して、地上の感動に浸かった夜。
チルノとのドタバタがなければ、無感動に眠り続けたままだったのかもしれない。
『だから、ね。最強の『何』になるか、じっくり考えなさい。お空お姉さんからの忠告よ』
ここから始まった。
自分達の最強を目指す一歩。
『チルノ、私最強になんてなれなかった』
驟雨の死骸と腹の中、
『だって…だって…! 友達を見捨てて私だけ逃げるなんて出来ないよっ!!
私はもう誰ともさよならしたくないの!!』
哀しい死が来て、
『いくよ!』
『どこへ?』
『どこか!』
それでも太陽を、信じた。
『最強は、ここにあるって教えてくれた。他の誰でもない、おくうの心が。心が自分で自分の『最強』を決められるんだ、って』
だから、
『ちょっと待って、良いものあげるわ』
自分は初めて、自分の意志で、誰かに優しくなれた。
『もう、いいよ』
自分で考えて、結論を下して、誰かを許した。
いつの間にか閉じていた目を開く。目的地はすぐ側にあった。
各々が降りる準備をしている中、空はふっと頭上にある青を見上げる。
こんなにもたくさんの、小さく大切なことを覚えていられたのは初めてだ。
違う。きっと自分は、覚えたことを忘れたのではなく、覚えることを忘れてきたのだろう。
大切なものがあまりなかったから。覚えたいことなんてないものだと思っていたから。
空っぽだった自分には、今、たくさんの気持ちが宿っている。それが実感できた。
帰ったら、まずは
地霊殿の仕事があるだろう。
さとりもこいしも、燐もいない中、怨霊を統率する役目になるのはきっと自分だ。
きっと大変だ。けれども力を貸してくれる仲間がいる。
とりあえず、困ったら距離的に一番近い文を頼ろうと空は思った。かわりに温泉でも振る舞ってあげれば喜ぶ、かもしれない。
いやむしろ、温泉を提供するかわりに自分の仕事を手伝う人員を募集でもするべきか?
色々アイデアはあったが、後に取っておこうと空は結論した。
今の自分は、きっと何も忘れることはないだろうから。
「行こう」
既に降りていた五人に続き、空は軽やかな体捌きで車から飛び降りた。
今度こそ、絶対に。
「やっつけてやる」
* * *
日中の上、準備は全て魔理沙がやってくれているとなれば、大人しく眺めているしかないというのがフランドールの現状だった。
隣にいる早苗に日傘を差してもらいながら、慌しく動いている魔理沙、付き添いの文を目で追う。
「暇だね」
サニーミルクが隣で腰を下ろして溜息をついた。彼女は妖精ゆえ、複雑な機械の操作などできない。
それでも触りたいなどとは言い出さず、大人しくしているあたりが、彼女の精神性が子供などではないことを如実に示していた。
空も同じく手は出さずにいたものの、体を動かさずにはいられないのかあらぬ方向に制御棒を構えて臨戦態勢になっている。
そういえば、彼女は太陽の化身なのだということをフランドールは思い出し、一緒に行動していることの奇特さに可笑しくなる思いがあった。
天敵同士が手を取り合ってこの場にいる。それは決して利害の一致だけではなく、心から歩み寄ろうとする意思があるからなのだろう。
フランドールは太陽が嫌いではなかった。あんなに明るいと気分がいい。
「暇ならさ、なんか食べる?」
だからだろうか、同じく『太陽』の名を冠するサニーミルクにも軽い気持ちで話しかけることができていた。
懐から、こっそりと持ち出しておいた果物を差し出してみると、サニーミルクは目を輝かせた。
「あれだけ食べてまだ食べるんですかお二人は」
「美味しいよ?」
「私は結構です……」
苦笑いされて、丁重にお断りされた。デザートには丁度いい、と思ってスキマ袋の中にあったものを持ち出してきたのだが。
まあ個人差とかいうものなのだろうとフランドールは考えることにして、自身は魔法の森で拾った果実を食べることにした。
「それなに?」
「友達から貰ったもの」
因幡てゐと出会ったときに落ちてきたものだ。食べ損ねていたが、今ならちょうど良かった。
一口かじってみると、水気のある実がぷちぷちと口内で弾けた。爽やかな甘みがあり、肉の濃い味の後には最適なデザートと言えた。
どんな果実なのか知らなかったのでひょっとすると苦いかもしれなかったが、幸運だった。幸せのお守りがあるからだろうか。
「……よし、スキマ移送は完了した。今頃爆薬がロケットの中にでも落ちてるだろうぜ」
「後は起爆させるだけですよね。遠隔起動が出来るんでしたっけ」
「ああ。紫が作ってくれた」
魔理沙の手にあるのは『えむぴーぷれいやー』なる機械だ。どうやら準備が完了したようで、後は起爆させるだけのようだった。
スイッチを押すだけで、城の近くに転がっているロケットという巨大な筒が誘爆して辺り一帯を吹き飛ばす。
元はチルノという氷精が乗っていたものらしい。そのチルノとずっと行動を共にしていた空がここにいる。
姉がいれば運命だと鼻高々で語っていただろう。実際、これはちょっとした奇跡のようなものだ。
ここにいない、既に死んでしまった人妖達の意思をかき集めたかのようにして、道具は揃った。
それはまるで、殺し合いの中でも全員が最初に抱いていたであろう、「帰りたい」という思いを具現化したようにも感ぜられて――
「――よし。いくぞ! 吹っ飛べぇっ!」
魔理沙の手に収まった機械のスイッチが勢いよく押され……
誰もがその行方を固唾を呑んで見守る。
数秒が経過し、数十秒が経過し。
「……爆発、しない?」
一向に変化は見られない。魔理沙はもう一度、いや何度も機械を操作していたが、努力むなしくロケット周辺では何も起こらない。
異常が発生していることを文も察知したらしく、切羽詰った表情で「見せて!」と横から覗き込む。
「……っ」
文の顔色が変わる。
どうやら、そう簡単には事を運ばせてくれないらしいとフランドールはまたぞろ腹の底が冷える気分になった。
その一方で、冷えていた頭の一部が逆に熱を帯び始める。
そんな運命、やっつけてやると。
「霊夢さん、とんでもない置き土産を残していったみたいですよ」
「なんだと?」
「壊れてます。恐らくは、魔理沙さんたちが戦ったときに」
「……なるほどな」
どうやら魔理沙も同じ気分になったようだった。くくっと低く笑いを漏らした彼女の瞳には、燃えるような攻撃的な色がある。
フランドールも立ち上がり、残っていた果実を丸ごと口に入れる。
機械から起爆できない以上、やることはたったひとつだ。
「全く、しょうがない奴だよ霊夢は」
機械を投げ捨て、代わりに構えたのはミニ八卦炉だった。
文も察したのか、長い溜息をひとつついて、腰に差していた団扇を抜き放ち魔理沙に並ぶ。
そこに待ってましたとばかりに空がステップしてくる。
「えっと……聞くまでもないと思うんですが、何をするんです?」
そう言う早苗も、既に歩みを始めている。
未だ察していなかったサニーミルクは、とりあえずしたり顔でついてきているようだった。
「その前に」
魔理沙がもう片方の手でひょい、と一つの装置を取り出した。
「お前ら、霧雨は平気か?」
「霧雨って……」
「私の気質だ。この天気だとな、スペルの威力が上がるんだ」
「まあ、そこは。サニーに任せるよ」
「え? あ、ああ。うん。任せてよフラン」
完全に理解はしていないようだったが、とりあえず雨を防いでやればいいということは分かったのか、早苗から日傘を借り受け、
ついでに自分の方に光学迷彩を投げ渡してきた。この外套があれば、存分に全身を使って暴れられるだろう。
「全く。紫さんが最初に言っていた通りになったようですね」
既に気質が顕現し始めているのか、日光は薄れ、空を覆う雲からは小粒の滴が落ち始めていた。
それでも太陽の全てを覆い隠しはしない。その程度にしか水を落とさない、魔理沙の優しい気質だ。
「最大火力で吹き飛ばす。いやはや全くその通り」
「狙いはあのロケット。誘爆させて派手に吹き飛ばす。簡単だろ?」
「言ってくれますねぇ。さて、他に必要なものは?」
「そうだな……後は、勇気だけだ!」
文と魔理沙が軽口を飛ばしあう傍ら、空は目を閉じて大きく息を吸い込み、早苗は諏訪子の帽子を被って祈りを捧げる。
それで各々の力が高まるというわけでもないのだろう。これは、儀式のようなものだ。
約束のような、指きりのような。無駄なことなどないと証明するための誓いだ。
きっと、首輪を外したりする方法は探せばあるのだろう。
自分達が取ろうとしているのは、無駄足を踏むのと殆ど変わりない、あまりにも非効率的で不確実な方法なのだろう。
簡単に諦めるわけにはいかない。その一点だけで、この方法を取ったに過ぎない。
けれどもそれが何よりも大事なことなのだと、フランドールが、皆が知っていたから。
「久しぶりのお披露目だぜ! 全力でブチ込んでやる! ファイナル、スパァァァァァァァクッ!」
「ここまで来て、みっともないとこ見せられません! 『天孫降臨の道しるべ』!」
「風に奇跡を乗せます! 『弘安の神風』!」
「やるよ、今度こそ! 『ペタフレア』ッ!」
「出来ないなんて幻! こんな絶望も幻だ! 消えろ! 『レーヴァテイン』!」
ここまで生き残った、五人の全力。
最早レーザーと呼ぶには相応しくない、ビームと言って差し支えない『ファイナルスパーク』に、
『天孫降臨の道しるべ』と『弘安の神風』が重なる。瞬く間に肥大化したそれはさらに『ペタフレア』と『レーヴァテイン』を受けて炎を纏う。
無人の荒野を突き進むそれは、さながら矢のようであり、僅かに残った草木でさえ熱で燃え盛る。
ひとりひとりのスペル単体なら、ロケットにはとても辿り着かないだろう。辿り着いたとしても、所詮それは火花にしか過ぎない。
しかし火花も重なれば。それはより大きな力を爆発させるための火種になる。
全力を出してでさえ火種。ちっぽけで、威厳もない。だが壁を突き破るためのただ一つの火種だ。
熱を持ちすぎて、殆ど白色と化したスペルの集合体が、ロケットに激突する。
「いけっ! いけ、いけえええええええっ!」
気合いを込めて、もう一閃。気持ちで結果を引き出せはしない。
けれども、気持ちを引き出さなければ結果は出せはしない。
フランドールが大きく腕を振りかぶった瞬間、みしり、とまさに世界が引き裂かれるような音が響いた。
ロケットが膨れ上がったように感じたのは一瞬で、装甲板の一部が紙切れのように弾け飛んだと同時、爆発的に吹き上がった炎が瞬く間に周囲を飲み込む。
さらに衝撃により発生した衝撃波が軽い地響きを伴って押し寄せ、爆心地点から遠く離れているはずのフランドール達の髪をも払い、土煙の波が包んだ――
* * *
爆心地の地下にあって、少なからぬ振動に見舞われているはずのその男は、微動だにする気配を見せなかった。
いや、逃げることなど毛頭ないとでも言うように、彼は顔色一つ変えない。
机の上にある酒瓶は、既にどれもが空になっている。転がっているビール缶も一滴として残っていない空き缶ばかりだ。
男のいる薄暗い空間は、地上の爆発の影響で、今は非常用の電灯しか点いていない。
色は青と黒の二色のみ。創造主の御座する場所としては悪くないロケーションだと思いながら、男は彼女達がやってくるのを待った。
「終わらせようとした、か」
男は直前に交わした、霧雨魔理沙との会話を思い出していた。
正直なところ、殺し合いは終わったのだと証明してみせたところは見事だったとすら思っていた。
それは博麗霊夢という『本命』を失っても補えるだけの価値を持っていたといっても過言ではない。
魔理沙の意識の変革という一事のみで、このゲームを作った甲斐があったと男は思う。
「でも、少しだけ違うよ、霧雨魔理沙。僕は『終わらせよう』としたんじゃない。『やり直そう』としたんだ」
息を吐く。アルコールを含んだ吐息はすぐに霧散する。
このゲームももうすぐ終わりだ。機械類は全て壊れているが……いや、そもそも機械などこの男には必要のないものだった。
全ては見せかけ。あった方が気分が出るというだけで、実際は機械などなくとも事足りるのだ。
「霧雨魔理沙。僕と君の目的は同じなんだよ」
それは男にとって、必要な独白だった。
自らがここに『居る』ための言霊のようなものだった。
さて。意味は整えた。そろそろ始めるべき時がやってきた。
いつでもどうぞ。そう思考したのと同時、部屋の最奥にある階段から何者かが降りてくる気配と足音があった。
総勢六名というところか。中々、イレギュラーなメンバーだとは思ったものの、瑣末なことだと打ち捨てた。
創造主、『楽園の素敵な神主』は妖しく笑う。
いよいよ、ラストステージだ。
最終更新:2012年10月05日 21:41